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January 21, 2008

アウン・サン・スーチーという意志-----第2章 「写真物語Ⅱ」

Suti

(参考リンク)
アウン・サン・スーチーという意志-----第1章 「写真物語Ⅱ」

宮下さんは、ご本人も言われているとおり、ずっと美術畑を歩んでこられた。オックスフォードに行かれることになったのも美術がきっかけだし、英国でのアウン・サン・スーチーさんの親代わりになったゴーブース卿と知り合ったのも美術を学ぶ願望が因である。

私に会う前に、宮下さんは自分がビルマの政治的な状況を語る立場ではない、と気にしておられたが、スーチーさんの英国時代の話を少しでもお聞きしたいのでと、無理を聞いていただいた。おそらく宮下さん自身、スーチーさんをめぐる現在の不思議な運命の展開に戸惑っておられる面があるのだろう。

人が人に出会うときには、不思議な力が働く。宮下さんのお話を聞いて思ったのは、まずそのことである。英国で紹介された、ビルマ出身で少々変わってはいるが、そして美しくはあるが普通の夫婦。小さな子供を抱え、子育てに邁進する、どこでにいるような普通の主婦。それが宮下さんの、アウン・サン・スーチー氏の第一印象だったという。宮下さん自身、その後、スーチー氏がここまで世界的な注目を浴びるような立場になるとは夢にも思っていなかった。その後の展開が、どれほど彼女にとって驚きであったかは、想像に難くない。
例として適切であるかどうかはわからないが、ご近所の普通の若き母親が、突然厳しい表情をたたえて、世界史の表舞台に突然現れた。自分の知っているあの、若くてこまめな母親の優しい表情をかなぐり捨てて。一体何がどうなってしまったのか?推測するに、それが、宮下さんの正直な戸惑いであったと思う。

我々は、ともすればスーチー氏を別次元にいる、自分とは関係のない別の世界の人だと思っている。そうとでも思わなければ、これほど過酷な運命の中で、ただ1人十年以上にも及ぶ軟禁状態で戦っている彼女の実像を理解することは難しい。特にこの国にあっては。地理的な問題はおいても、ビルマが精神的に遠い国であるからでもあるし、身近に感じるには、あまりにアウン・サン・スーチー氏の厳しい表情は、平穏な日常を送る日本の我々にとって遠いからでもある。

英雄の娘に生まれたという、拭い去れない運命の必然はあっても、普通に暮らし、普通に恋愛し、普通に子供を育て、普通に母親の看病に帰国していた彼女の運命を一変させたものは何だったのだろうか。そのことについて考えてみたいと思ったのが、宮下さんにお会いしたいと思った私の動機である。

しかし世界は、かように簡単に個人の感傷が通じる世界ではない。我々は幾度も中途半端な理想を掲げては虚しく現実に跳ね返され、打ちのめされ、時には完膚なきまでに叩きのめされる。無力な私達である。過酷な世界の現実の前に、私たちのできることは殆どないと言ってもいい。

実際、年が明けてからビルマ関連のニュースが入ってくることはほとんどなくなった。軍政とスーチー氏の間では、対話がなされているはずだが、我々には、その仔細もほとんど知ることはかなわない。思えばあの軍政は過去何十年もそれを繰り返しながら、支配体制を温存してきたのだ。悪い意味で賢いのである。スーチー氏の健康状態も非常に気遣われるところである。

絶望だらけの世の中で、こんな端っこのブログで何かを伝えることなど出来るのだろうか。意味があるのだろうか。事実、こうした現状を、そして試みまでもただ嘲笑うしかしない者もいる。救いようのない現実はこの国にもあることも、おそらく我々は知っている。だが、良いではないかとも思うのだ。そんなことは気にする必要もない。あなたが今日もあなたの一歩を何らかの形で刻むように、私も宮下さんも、それぞれの一歩をそれぞれの形でまた今日も刻めばよい。おそらく世界はそうした試みの無限の積み重ねでしか変わるはずもない。他の道はないのだ。


宮下さんには、彼女以外にもアウン・サン・スーチー氏の人となりを知る方のお名前を何人か伺わせていただいた。私の気持ちとしては、ペースがあがらずとも、これからもそういう方たちに一人でも多くお目にかかり、あるいは消えていくかもしれない、貴重な記憶の数々を言葉にしていければいいと思っているが、どうだろうか。そこで私の決心やら覚悟やらも問われるのだろう。まあそれは私の問題として、今回はこの記事を何とかお届けするところまでである。今はそこまでだ。

この週末、実家から引き揚げてきた書籍を整理していたら、その中に「韓国からの手紙」という岩波新書が出てきた。1972年10月に韓国に戒厳令が布かれて以来の緊迫する韓国の政情,民主化を求める知識人の動き,そして民衆の声を生々しく伝え、「世界」に連載されて大きな反響を呼んだ著作である。金大中氏拉致事件を含む激動が生々しく報告されている。(著者はいろいろ取り沙汰されているが、日本在住の韓国人の書いたものであることがわかった。)


久しぶりに古ぼけた茶色く変色した「韓国からの手紙」をぱらぱらとめくり、現在のビルマの状況が、その当時の韓国の状況に類似している点が多いことに、今さらながら格別の思いを持った。

ここに書かれている韓国は35年前の世界の一遍である。

あせらず、それでいて歩を弛めることの決してないように。


【参考】

※宇田 有三氏略歴

1963年 神戸生まれ。
1990年 27歳で教職を辞し、フォトジャーナリストの勉強のため渡米。
1992年 中米の紛争地エルサルバドルの取材を皮切りにフォトジャーナリスト
    としての仕事を開始。
現在は、東南アジアのビルマ、中米、オーストラリアを中心に軍事政権下の人々、先住民族を中心にドキュメンタリー写真を撮影し続ける。

1995年 神戸大学大学院国際協力研究科修了(国際法修士)
1998年 「平和・共同ジャーナリスト基金」奨励賞受賞。


※宮下さんは、「写真物語Ⅱ」への出演をきっかけに、アウン・サン・スーチー氏の貴重な記録写真を盛り込んだDVDを制作された。売上金は、ビルマ難民など、現在のビルマの現状に苦しむ人たちへの支援に充てられると言うことであるので、ここで紹介させていただく。関心のある向きは、宮下さんの「ビルマ応援の会」からご購入ください。

Dvd_image_photo3

ビルマ応援の会

(紹介文から)

「本年10月6日、「写真物語Ⅱ」(フジテレビ)に、アウン・サン・スー・チーと、夫・マイケルの友人として出演して以来ビルマ(ミャンマー)で迫害されている人々を以前よりなお一層案じるようになりました。隣国タイの国境には現在14万人のビルマからの避難民が過酷な状況下にいます。また、私たちの住む日本にも多くの政治難民が滞在しています。
スー・チーとマイケルの友人として私が出来ることをと考えたとき、私が撮った写真を
もとにDVDを作製し、その売上金を困っているビルマ人に寄付しようということでした。この構想を彼女たちの親友であった田崎明氏に話しましたところ、亡きマイケルから預かっていたという貴重な写真の使用を許してくださいました。また、この数年ビルマに滞在し、写真を撮り続けているカメラマン・宇田有三氏がこころよく彼の作品使用許可をしてくださいました。
美しく聡明なスー・チーを中心にビルマ建国の父・アウン・サン将軍、元インド大使の母キン・チー、スー・チーの夫と二人の息子を紹介するDVDです。」

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Comments

>どうだろうか

  ただ無責任なだけのコメントかもしれませんが…

  読みたいです。

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