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January 21, 2008

アウン・サン・スーチーという意志-----第1章 「写真物語Ⅱ」

(参考リンク)
アウン・サン・スーチーという意志-----序章 「写真物語Ⅱ」

品川・高輪台にある宮下さんの事務所をお訪ねしたのは昨年の11月3日だったのだが、私の多忙から、その後インタビュー記事をまとめるのに、長い時間がかかってしまった。しかしながら、ビルマからの情報はほとんど入ってこなくなった現在だからこそ、これを公開する何らかの意味があると信じたい。それを言い訳にしながら、この記事を公開したい。

当日は、宮下さんが自ら車を運転して、品川の駅まで迎えに来てくださった。第一印象としては、非常にてきぱきと動く方であるという印象を受けた。海外で長い間生活をされた方であるということも影響しているのかもしれない。そして、宮下さんが語ってくださったアウン・サン・スーチーさんの印象と、どこか宮下さんのイメージも重なるところがあったような気がする。

宮下さんの事務所の周りは閑静な住宅地だけれど、周囲には大変にお寺が多い。高輪には行く機会もかなりあったけれど、いまさらながらこんなにもお寺が多い所なのかと驚いた。宮下さんのお祖父様は画家でおられたのだが、そういう関係でか、宮下さん自身も早いうちから美術に親しんでおられたらしい。アウン・サン・スーチーさんとの出会いも、この美術がきっかけだった。

Miya

【宮下夏生氏プロフィール】

美術史家。元明海大学講師、日本根付研究会理事、米国プリンスィピア大学奨学金生、卒業。BA取得。英国ロンドン大学大学院で東洋美術史を3年間学ぶ。この他、ロンドン大学コートードル・インスティテュートにて西洋美術史、オックスフォード大学・北京大学で中国語、ミュンヘン大学でドイツ語、ハーバード大学でアメリカ文学、ヴィクトリア・アンド・アルバート美術館で西洋絵画、彫刻史を学ぶ。2007年、フジテレビ番組「写真物語Ⅱ」にアウンサン・スーチー女史の友人として出演する。


BB 「宮下さんは、フジテレビの「写真物語Ⅱ」に出演されましたが、スーチーさんとの関わりは、スーチーさんの親代わりになっておられた、ゴーブース卿(Lord Paul Gore Booth)を通してということですね?」

 

はい。ゴーブース卿とゴーブース夫人は、卿が戦前に日本大使館につとめ、ゴーブース夫人が日本で生まれたこともあり、日本とは関係が深く、大変気さくな方たちでしたので、よくお食事に招かれました。ゴーブース卿とスーチーさんの関係ですが、ゴーブース夫人がビルマ大使をされていた時、8歳のスーチーさんとお会いしたそうです。ゴーブース夫人は地位のある方ですが、困った人や体の不自由な方には特に手を差し伸べていました。親切な人ですから、スーチーさんの身元引受人にもなったんだと思います。スーチーさんのお母様のキンチーさんは凄い方で、国会議員でインド大使も務めておられますし、お父様のアウンサン将軍は、ご存じのようにビルマの英雄ですから、人々にそれはもう尊敬されていて、会うこともなかなか自由にならないくらい、大変な方だったそうです。

 

BB「宮下さんが最初にスーチーさんにお会いになったのはいつ頃なんでしょうか」

スーチーさんとお会いしたのは1984年だと思います。ゴーブース夫人に「オックスフォードに行くのなら、ぜひスーチーさん夫妻に会いなさい」と言われました。最初にオックスフォードのご自宅でお会いした時は、スーチーさんは普通の母親で、日本料理に大変興味を持っていらっしゃったので、ご夫妻とはお稲荷さんを作ったり、のり巻きを作ったりしました。

BB「マイケルさんとスーチーさんが知り合ったのも英国ですね」

ゴーブース夫妻の息子、クリストファーと同じ大学の友人が、スーチーさんの夫、マイケル•アリスでした。ロンドンのチェルシーにあるゴーブース邸にマイケルが招かれるようになり、そこで21歳のスーチーさんと20歳のマイケルは初めて出会いました。彼女は大変にきれいな方ですから、マイケルはすぐに彼女に惚れてしまったそうです。もし、私が男性でしたら、きっと同じようになったでしょうね。スーチーさんはオードリーヘップバーンのような、それはもう妖精のようにきれいな方でしたから。

スーチーさんにとってもマイケルは魅力的に映ったようで、二人はその後、文通を続けました。

マイケルは大学卒業後、ブータンへ行き、ロイヤル・ファミリーの家庭教師となり、滞在中に博士論文の準備をしました。一方、スーチーさんは国連本部に勤務し、1970年、クリスマス休暇にマイケルが彼女の元に訪れ、二人は正式に婚約します。式は19721月にゴーブース邸で執り行われ、8ヶ月後にスーチーさんはマイケルのいるブータンへと移り住みました。

 

BB「当時、宮下さんは彼女がアウンサン将軍の娘であることなどはご存知だったんですか?」

いえ、全然知りませんでした。

スーチーさんはマイケルの妻で、二人の息子の母親。お料理が上手で、動きが早く、家事をてきぱきこなす女性でした。マイケルは優しいので、そんなスーチーさんの言いなりでしたね。マイケルは本当に優しい夫でした。だから、アリス家ではスーチーさんが家庭をリードしているような感じでした。

ですから、彼女がビルマに帰国して、軟禁状態にあっても、マイケルに持って来て欲しいものを色々と指示していました。彼女が最初に軟禁状態になった時、困ってしまったのは食べ物だったらしいんです。彼女は日本の食べ物が好きなので、私も力になれないかとうどんや、長持ちする鰻など、彼女の好きな食べ物を色々詰めて、マイケルに持って行ってもらったこともありました。

彼女が京都大学に来ていた時も、夫妻で私の住む東京まで会いに来て下さり、一緒に写真を撮りました。それが三人で撮った唯一の写真です。

ゴーブース卿が亡くなった時も、それはもう凄く豪華な式だったんですが、スーチーさんもいらっしゃって、よもやま話をしたりしました。それからしばらくして、スーチーさんはどんどんテレビに出てくるようになっていて、私は確実に彼女はビルマのリーダーになるのだと思っていましたが…


BB「
1988年以降、スーチーさんが自宅軟禁されて以降、マイケルさんとはどんなお話をされていたのですか?」

マイケルとは始終、毎月のようにお会いしていて、「スーチーさんはどうしているだろう」など、色々な話をしていました。

面白いエピソードがありまして、ある時、マイケルとアフターヌーンティを飲んでいましたら、ファックスが届いたんです。送り主を聞いたら、当時、大統領夫人だったヒラリー・クリントンさんでした。「このメッセージをスーチーさんに伝えて欲しい」といった書き出しで、「私達、アメリカ国民は、決してあなたのことを忘れていません」といった内容でした。目の前でそういったメッセージが届いたことに私は驚きました。また、元国連弁務官の緒方さんと、マイケルはメッセージの交換をしていました。そういったことからもやはり、スーチーさんがノーベル平和賞をいただいたことに、マイケルはとても貢献していると思います。

マイケルは貴族の家系や特殊な家ではなく、普通の家に生まれたのですが、不思議なことにマイケルの祖父母は明治時代に日本に来ていたことがあったそうです。ですから、私の伺ったオックスフォードの家には日本の印籠と根付が綺麗に飾られていました。「これは祖先のものなので、絶対に売れないよ」と、マイケルはとても大切にしていましたね、そういったルーツからも、彼はアジアに興味を持ち、スーチーさんにひかれたのかもしれませんね。

テレビで彼女を見かけるようになって、驚きましたけれど、英雄の娘とはいえ、こちらにしてみれば、友人の奥さんが急に演説を始めるという印象でした。スーチーさんの育ちを聞いてはいましたが、頭の中でうまく結びついていなかったんですね。

 

BB「マイケルさんは本当にスーチーさんを支えていたんですね」

ええ。それで、スーチーさんをなんとか援助しようとマイケルとは色々な話や相談をしました。「今、スーチーさんはどんな風に暮らしているんだろうか」とか、「今度は何を送ろうか」とか。彼は辞書や本を彼女に渡していたみたいです。他にも、化粧品や下着類は「ここの会社のこういうもの」と、指定が細かいんですって。女性ならではのエピソードですよね、お洒落な人ですから。

最初はマイケルも自由にビルマに出入りできたんです。入国を拒否されても結局は許可されたり。スーチーさんと一緒に軟禁されたこともあったんですよ。(1989年の一時期、スーチーさんは夫のマイケル、2人の子供も一緒に4人で軟禁されていたことがあった。この時マイケルはスーチーを訪ねようと降り立った空港からそのまま連行されて拘束され、一時行方がわからなくなり欧米のメディアでも騒ぎになっている)

けれども、そういった入国の許可が軍事政権の大きなミスだったんですね。スーチーさんにマイケルがオックスフォードに戻ってくるようにと説得すると思い、入国を許可したのですが、彼は彼女を尊敬し、彼女の活動を応援していましたから、逆にビルマで頑張るようにと励ましたらしいですね。

 

二人の息子、長男アレクサンダーと次男キムは大事な時期に母親がいないということで、みんなで心配をしていました。けれども、アレクサンダーは現在、アメリカ国籍のビルマ人でお医者さんをしているお嫁さんをもらい、オレゴンに家を買い、キムはオックスフォードで絵の額縁を作る工房で働いています。二人ともすっかり落ち着きました。アレクサンダーが34歳、キムが30歳ですからね。兄弟二人とも、今は政治的な活動を行っていません。

 

BB「マイケルさんが亡くなる頃の話を聞かせてください」

※マイケルが癌になってからは、軍政はスーチーさんに対して、国外に出るなら対面は自由だが、呼び寄せるなどの許可は一切出さなかった。彼女は、一度国外に出れば二度とビルマに入国できなくなることを警戒して出国はしなかったため、夫婦は会うことはなかった。当然彼のイギリスでの葬儀にもスーチーさんは出席できなかった。


マイケルが癌になったという知らせは日本で聞きました。カナダにいるアレクサンダーに会いに行って、その帰りに飛行場で突然、身体に異変が起きたと聞きました。体調を崩し、這うようにして帰って来たそうです。
99年に亡くなってしまったんですが、3ヶ月くらいの闘病だったと思います。あんなに元気だった彼が…と信じられませんでした。

マイケルが病気になってからは一度も会えませんでした。ゴーブース夫人から容態を教えていただき、そばに行ってあげたいと思ったのですが、オックスフォードには彼をサポートしてくれる人は沢山いましたから…そうこうしているうちに彼は亡くなってしまって。

 

BB「ビルマの現状をご覧になってどう思いますか」

私の本業は美術ですし、できるだけ政治に関わらないようにと思いましたが、スーチーさんの力になれればと思いまして、新たに行動を起こすことにしました。カメラマンの宇田有三さんが撮影したビルマやスーチーさんの大変素晴らしい写真や、私の持っている彼女のプライベートな写真等を使い、スーチーさんのDVDを制作、販売し、売上でビルマの人々に支援できないかと思っています。

 

今、私がスーチーさんの友人として一番心配しているのは、スーチーさんの健康状態です。ガンバリ特使との写真が掲載された時、彼女の本当に不健康そうな顔を見て、驚いてしまいました。

それだけではなく、話し相手もメイドさん一人で、そのメイドさんが全ての買い物に行き、食事の面でも彼女が作ったものを召し上がっているらしいんですが、それでは精神的にも、身の回りのことも不十分だと思い、心配です。家も、荒廃して雨漏りも激しいのに、それを直す人もいない状況です。

ビルマはデモもすぐに鎮圧されてしまいますし、反政府活動はなかなか長続きしないですね。今後、ビルマの中からスーチーさんに代わるようなリーダー的存在が現れないと、この先、どうにもならないと思います。スーチーさんにビルマという130以上もの少数民族が集まる国を治めることができるのかという否定的な意見もありますが、軍事政権の弾圧により、国外へ逃亡している優秀なビルマ人達を呼び戻し、彼らをブレーンとすれば、スーチーさんはしっかりと国を治められると、私は信じています。スーチーさんには本当にがんばってもらいたいと思っています。

●アウン・サン・スーチーという意志-----第2章 「写真物語Ⅱ」へ続く

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Comments

昨日、京都お西様の聞法会館1Fロビーにてビルマの、アウンサンスーチー氏と家族の写真展を観てきました。
将に彼女の半生(現在もご活躍中)を覗き見て感動しました。同氏は最愛の家族とも会う事もできない、状況下で国民大衆のため、いじらしくも一人身を挺して強力な軍事政権に対し、(最愛の夫の死に目にも会え無いのに)和やかな笑顔をもって多くの民衆に対しビルマの民主化運動を進めて居られるのには敬愛の念を生ぜざるを得ませんでした  20010-11-10  soseki  

こんにちは。コメントありがとうございます。それはこの記事にも出てくる宮下さんとカメラマンの宇田有三さんの写真を中心にした展覧会でしょうか。見てみたかったです。
総選挙、そしてスーチーさんが軍政の約束した13日に釈放されるかどうかという大きな節目を数日後に控えて、自分の過去の記事を読み返したり、改めて他のSNSに紹介したりしています。
この数年間、自分も正直ビルマのことを忘れていた期間もいくらもありました。他の場所につくった拠点も放置したままです。
何か後ろめたい気持ちでビルマの問題から遠ざかっていたことは否めません。この節目という時間の後押しで、戻ってきてもう一度過去の記事と向かい合っているところです。

政治的な考え方は様々あるでしょう。ですがスーチーさんは人として大変な強さを持っています。その偉大さには深く頭を垂れざるを得ません。どうか彼女に自由と可能性を。と祈るばかりです。

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