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February 25, 2008

三浦和義氏拘束----疑惑の銃弾から27年

27年前にロスで起きた、いわゆる「疑惑の銃弾」と呼ばれる保険金殺人疑惑で、三浦和義氏が、サイパンで拘束されたと聞き、非常に驚いている。この事件にはロス市警はかねてからこだわりを持ち、日本での無罪確定に相当の苛立ちを持っていたというから、おそらくは入手しているだろう、新しい証拠とともに機会を狙っていたのだろうが、それにしても、被告人の母国で最高裁で最終的に無罪確定している事件を、あえて今更摘発に至ったというのは、きわめて異例の前例のない事態であるという。何がロス市警をここまで突き動かしているのだろうか。

それにしてもどこにでも、いつでも不用意なことを言う人はいるもので、黒鉄ヒロシがテレビ番組の中で、これは沖縄の米兵不良行為問題から日本の人々の目をそらすための、米国のデモンストレーションだなどと、真顔で語っているのにはあきれてしまった。黒鉄ヒロシの漫画は大好きであるが、この人はどうもワイドショーのコメンテーターになってから、しばしばこうした、苦笑してしまうような軽率なトンデモ発言をする。さすがに、他の出演者からたしなめられていたが。

あらためて久しぶりに昔の映像を見ていると、三浦氏の27年の風貌の変化にしても、一美さんの狙撃現場となった元駐車場にしても、荒れ果てていて、あらためて時の流れを感じるわけだが、再婚相手となった女性は美人であったし、(この人とは離婚後、また再婚したと聞いたが)2人で、ショルダーバッグを肩から下げて、空港の通路を闊歩する長身の三浦氏の映像は、今見てもスタイリッシュな印象を受け、あの当時彼の個人的な性癖と合わせてこの事件が異様なほど注目を集めたのもわかるような気がする。

おどろおどろした、闇と謎を感じさせる彼の性格や生き方に加えて、この事件がロスで起きたということに、今とはだいぶ違う、どこかファッショナブルで、人を惹きつける要素があった。怖いものみたさに、トレンドがかぶった感じというのだろうか。一美さんの殺害された駐車場の写真には、確かロスではおなじみのPalm Treeが写っていて、あのころのロスは今よりも遥かにある種のステータスの匂いをかもし出していたような気がする。つまり、おかしな言い方なのだが、今思えば、何だか非常に「ファッショナブルな」事件だったのである。そうした部分も、今はすっかり色あせた印象があるが、あれもあの時代こそがなしたことではあるだろう。思えば三浦事件はバブルまっ盛りの日本の80年代の傍らで進行していたのだと、今になって知る。

それにしても、まさに国境をまたいだ、劇場型犯罪の極致でもあったわけだが、のちに元女優に依頼した殴打事件では最終的に有罪となっている三浦氏の最終的なありようも、どこか落ち着かない不可思議な状態にはなっていた。

黒鉄ヒロシの陰謀論には到底同意しないけれど、これほど昔の容疑で、最高裁で無罪確定した日本国民を拘束するのに、日本の司法当局に事前に何の連絡も打診もなかったというのも、妙な話ではあるし、こうしたことが、今後一般化された場合には、自国民を守るという日本外務省の海外機関の立場上も、決して喜ばしいことではないだろう。そうした意味で、27年の時を経て、報道の切っ先が今後どちらの方向に向かうかも、改めて問われるように思う。

2008 02 25 [日記・コラム・つぶやき] | 固定リンク | コメント(6) | トラックバック

February 15, 2008

更新 セカンドライフ関連です。

インタビューを交えたセカンドライフ関連記事です。

SecondLifeで世界規模のDJネットワークを作り上げたClub Vital Staff(1)(Cnet Japan)

SecondLifeで世界規模のDJネットワークを作り上げたClub Vital Staff(2)(Cnet Japan)

2008 02 15 [パソコン・インターネット] | 固定リンク | コメント(0) | トラックバック

February 03, 2008

100年の孤独

その人がいなければ、おそらく今の自分はなかったし、今の自分のありようとは大きく異なっていただろう。

苛烈という言葉が、これほど似合う人もいなかった。妥協だとか、弱気だとか、まず無縁な人であったし、過去を後悔するということもなかった。実際この人の元を離れて社会に出たとき、世の人たちはこんなにも気が弱いものなのかと驚いた。それほどに、強い心の人の元に自分はいたのかと知り、驚いたものだ。社会は厳しいなどというが、ある意味ではこの人の世界のほうが、遥かに過酷で厳しく、そして混乱もしていた。

物心ついてからは、この人に対して、「社会の理(ことわり)」を説くのは僕の役割になっていた。なぜ遥かに年少の自分が、そして世の経験の少ない自分が逆の立場にならなければならないのかと、不思議だったものだ。

もしも世界が焼け野になることと、理不尽を受容することとの2つを選択せざるを得ないとすれば、迷わず彼女は、世が全て焼け滅ぶことを選んだだろう。全ての人が自分の前から立ち去ったとしても、それを彼女に迷わせるものはなかっただろう。息子である父が死んだときも、娘である伯母が死んだときも、その精神は微動だにしなかった。

おそらく父も伯母も、常にこの人を恐れていただろう。

他の全員が賛成しても、自分が納得できないなら、たった1人でも立ち向かえと繰り返し繰り返し教えていたのもこの人だった。その心が培われたのは、全てが狂ったように破綻に向かって突き進んでいった、先の戦争の経験だったとは、ずっと後で知った。およそ卑怯であることなど、彼女の前では許される余地もなかった。

理知的とはお世辞にも言えず、蒙昧といえば蒙昧であったが、周囲の状況を見抜くこと、人の心の狡猾さを見抜くことに関しては、天性の勘を持っていた。この世の人たちは、暴力よりも権力よりも、こういう人間を恐れるのだ。決して相手を恐れない人間を恐れるのだ。過ちを犯すことを恐れず、相手の反撃を恐れず、ただ、ただ主張を続ける人間にこそ怯えるのだ、と僕はこの人に学んだ。もちろんそれがまた、新たな理不尽を生んだのだけれど。厄介といえば実に厄介な人だった。



おそらく強さは限りない孤独を生むのだろう。自分にも周囲にも。そしてそれは美しい孤独であるとは限らない。強さと孤独は背中合わせの関係なのだということも、この2度の大戦と限りない死者を超えてきたこの人に学んだ。あなたのような生き方を肯定するのか否定するのか、僕は今でもそれに関して言いよどむ。そこには何か、大きな道筋が隠れていたようにも思うが、今はまだ定かではない。

昨夜、祖母の心臓は、あらかじめ止まる時が、ずっと前から決まっていたかのように、今まであれほど長い長い時間、鼓動を刻んできたのが嘘のように、あっさりと止まった。病室に入り、直線になって反応しなくなった心電図を見ながら、ああ、この人の命もこうやって尽きる時があったんだなあ、それは今日だったんだと今更のように思った。何かがあらかじめ今日のこの時間に向けて全てがセットされていたのではないかという、不思議な感慨を持ったのだ。それほど永遠に、彼女はこの世界にこの先永遠に生きているのではと思っていたのだ。ついこの前まで。

十分に長い人生だったと思う。
涙は、不思議とまだ出ていない。

あるいはこの人を送るにふさわしい強さをもってなそうと、僕は無理な努力をしているのかもしれないのだが。

2008 02 03 [日記・コラム・つぶやき] | 固定リンク | コメント(9) | トラックバック