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April 26, 2011

魂への暴力

平穏あるいは平和であるという状態には2種類あるように思っている。つまり真に平穏である場合と、平穏である外観を呈している場合である。

前者のような「絶対的平穏」とでもいうような状態はこの世界ではなかなか得難いので、ほとんどの平穏は後者に属するのでは無いか。

成立起源的に、平穏を希求しなければならない国家は、そうなると容易に実現できる方、「平穏な外見」を整えようとする。その方がたやすいからだ。

国家による、あるいは政府によるあらゆる隠蔽は、このためだと考えれば納得がいく。隠す側もそれこそが正しい道だと思い込んでいるのであり、「外観の平穏」を希求する国民も、容易にそれに賛同するから、少し大袈裟だが、この「平穏」は時として魂への暴力となる。

ここしばらくの大異変に対して日本が装っている不思議な平穏は、海外からは評価されている場合もあるようだが、この「外観を整えようとするチカラ」が日本人はとりわけ強いからだけではないか。

「この国は自由な国である」という言い方は正しいが、「この国には自由がない」という言い方も異論がないだろう。その意味は、この国に暮らす者なら誰でも知っている。

April 14, 2011

3月11日がやってくるまでの個人的な話。今思えばどこかで繋がっていた。

大震災から1ヶ月たった。ようやく書く気分になったので、3月11日がやってくるまでの個人的な話をちょっと書いておく。

僕は1月ころから中東で起きている大変革に心を奪われた。アルジャジーラの報じるエジプトのタハリール広場の映像にかじりつき、時計の表示を日本とエジプトに合わせて常に現地時間にあわせて、Twitterに飛び込んでくる現地や欧米の英語情報を拙い日本語に翻訳するというようなことを延々とやっていた。

そんなことを始めたのも、エジプトの大変動が日本のメディアでは殆ど報道されなかったからだ。いくつもの欧米メディアや広場の若者からリアルタイムで飛び込んでくる情報は日本の日常とは遠く離れたスリリングなものだ。慣れてくると相互の情報の隙間に垣間見える現地の民衆の息づかいも体感できるようになる。時を忘れた。

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