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April 26, 2011

魂への暴力

平穏あるいは平和であるという状態には2種類あるように思っている。つまり真に平穏である場合と、平穏である外観を呈している場合である。

前者のような「絶対的平穏」とでもいうような状態はこの世界ではなかなか得難いので、ほとんどの平穏は後者に属するのでは無いか。

成立起源的に、平穏を希求しなければならない国家は、そうなると容易に実現できる方、「平穏な外見」を整えようとする。その方がたやすいからだ。

国家による、あるいは政府によるあらゆる隠蔽は、このためだと考えれば納得がいく。隠す側もそれこそが正しい道だと思い込んでいるのであり、「外観の平穏」を希求する国民も、容易にそれに賛同するから、少し大袈裟だが、この「平穏」は時として魂への暴力となる。

ここしばらくの大異変に対して日本が装っている不思議な平穏は、海外からは評価されている場合もあるようだが、この「外観を整えようとするチカラ」が日本人はとりわけ強いからだけではないか。

「この国は自由な国である」という言い方は正しいが、「この国には自由がない」という言い方も異論がないだろう。その意味は、この国に暮らす者なら誰でも知っている。

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