SNS

My Photo

BooksBooks

無料ブログはココログ

« 南相馬市原町区で少しだけお手伝いしてきた話 (1) 出発前 | Main | しょうがない運命はない »

June 28, 2011

南相馬市原町区で少しだけお手伝いしてきた話 (2) 南相馬へ入る

(前章)南相馬市原町区で少しだけお手伝いしてきた話 (1) 

梅ヶ丘のボランティアビューローで、ボランティア保険の手続きをする時、窓口の人にどこの被災地へ行くのかと聞かれ、南相馬と答えると興味をもたれたらしく、「どのように行くのか」などと色々聞かれた。各地の被災地へ行くボランティアを送り出しているのだが、ここにもあまり情報が入っていない様子だった。

南相馬にとってアクセスの大きな障害になっている原因は2点ある。1つは常磐線が分断されている点。そしてもう一つは原発事故である。原発事故のことは後から触れる。

原町駅のある常磐線は現在も久ノ浜(福島県いわき市)~亘理(宮城県)間の運転が不通になっている。言うまでもなくこの間に福島原発があるため、復旧の見通しは全く立っていない。関東から南相馬へ行くルートの最新情報は、南相馬市災害ボランティアセンターの公式サイトで確認して欲しい。(http://bit.ly/lSk7o5)

東北自動車道<二本松IC>から入るコース

【原町区】

http://maps.google.com/maps/ms?hl=ja&ie=UTF8&msa=0&msid=218281874062868710898.0004a2fabc68ce6287d06&z=10

【鹿島区】

http://maps.google.com/maps/ms?hl=ja&ie=UTF8&msa=0&msid=218281874062868710898.0004a2e8ea9ffc1053f48&ll=37.649034,1


バスでのアクセス


▽南相馬・相馬~福島線
【時刻表】福島交通HPのリンク

http://www.fukushima-koutu.co.jp/upd/detail.php?update_id=236&t=3&f=3
http://www.fukushima-koutu.co.jp/bus/pdf/20110516_smfs.pdf

 

▽相馬~仙台線

 

【時刻表】福島交通HPのリンク
http://www.fukushima-koutu.co.jp/upd/detail.php?update_id=151&t=&f=

今回は、このうち、新幹線で福島まで行き、そこかから臨時バスで原町まで入ることにした。自動車で二本松から入ることも考えたが、慣れない道であることと、災害でGPSの表示もあてにならない。1人でいくリスクも考えて自動車は断念した。(もっとも現地ではこれがかなり不便なこととなった)通常は新宿から相馬まで高速バスが出ているようだが、今は停止中。宮城県や岩手県に多く出ているボランティアバスも、この地にはほとんど出ていない。

福島駅前から相馬・南相馬方面へは、時刻表でわかるように臨時バスが1日に6往復出ている。終点の南相馬市役所までの所要時間はおよそ2時間。バス停にはかなり人がいる。20人ほどだろうか。

バスが来た。ゆったりとしたリクライニングシートで快適である。

5879673559_5c080d75f2_2

相馬方面への山道はかなり細くて険しい。相馬市役所までは下車できない旨言われる。乗客は半数くらいがボランティア風の人である。1人客も多く、バスは静かだ。

両側には美しい田園が広がっている。田には既に稲が植えられ水が張ってある。快晴。美しい空。山。風。そして空を映す田の清涼な水。行きかう車は多い。


(霊山付近)

5879673971_202af8c40a_2

(※伊達市霊山は原発から50km程だが、一部地域では、その後の調査でかなり放射線量が高いところが見つかっており、特定避難勧奨地点を決める対象となっている。)

相馬営業所まで来たらほとんどのお客が降りてしまい残り10人くらいになりさびしくなった。iPhoneは時折電波が切れる。NTTの光ポータブルを持ってきたので、それに切り替えながらツイッターやTwitcastingをしていた。

相馬市内の道路脇、各所に遺体安置所の文字がある。

2時間後、南相馬市役所前に到着。ここでおよそ25Km圏内だが、至って普通の日常が流れている。閉まっている商店こそ多いが車の通行量はそこそこ多く、歩いている人もマスクもかけていない。

5879674737_438974e054_2

ホテルにチェックイン。すぐに市内を歩き回り、明日のためにボランティアセンターの位置をチェックに行った。ホテルから歩いて10分ちょっとの距離にある。時折自衛隊の災害派遣車。

ボランティアセンターとホテルの往復の時にいつも通る橋から見る、市内を流れる川。透き通った清流が流れている。

美しい街だ。

5880241370_b03730bfce_2

原町駅前はコンビニがあるし、早い時間であればドラッグストアも開いている。市内の飲食店は休業のところも多いが、夕食に不自由するほどではない。車があればちょっと郊外に行ってファミレスなども使えるのだが。レストランでは、地震や津波の時の話をしているお客が多かった。地元の人らしい。多くはないがタクシーも走っている。

5879675265_3763b7ff98_2

5880236904_8cea2f6953_2

5879705949_5373fc38e7_2

5880269032_a59e60ba85

5880271698_cfed5edb44_1

※マスクは最初こそ緊張してかけていたが、滞在するうちに次第に慣れてしまい、忘れて外出するようになってしまった。もちろんかけたほうがいい。

※南相馬市は、平成18年1月1日、旧小高町、旧鹿島町、旧原町市の1市2町が合併して誕生した。現在はそれぞれ小高区、鹿島区、原町区となっているが原発の事故当初、小高区は原発20km圏内の「避難地域」となってしまい、原町区、小高区は「屋内退避区域」とされた。この時点で南相馬市は孤立し、市長が世界に向けてYoutubeなどでSOSを出したことは記憶に新しい。多くの住民が市から避難したため、7万の南相馬市の人口は、一時は2万ほどまでに減ってしまったという。

その後、原町区、小高区は「緊急時避難区域」とされて屋内避難は解除されたために住民は戻ってきている。今は4万くらいではないかと、のちに出会った市民の方は言われていた。

次章へ続く


南相馬市原町区で少しだけお手伝いしてきた話 (1) 出発前 南相馬市原町区で少しだけお手伝いしてきた話 (2) 南相馬へ入る 南相馬市原町区で少しだけお手伝いしてきた話 (3) 泥出し作業と遠くにある海 南相馬市原町区で少しだけお手伝いしてきた話 (完) 流出品洗浄作業と「犬っていう犬」の話

« 南相馬市原町区で少しだけお手伝いしてきた話 (1) 出発前 | Main | しょうがない運命はない »

Comments

娘の同級生に2人、南相馬から避難して来ているお子さんがいますよ。
今も体育館から学校へ通っています。
1人の子のお母さんと話しましたが、やはり原発があんなですから
帰りたい気持ちはあっても帰りたくないと。
ついにこちらで民間のアパートを借りることにしたそうです。

南相馬のどの地区に家があるのか聞きませんでしたけれど
この報告の写真を見せてあげたいなと思いました。
でも、どうなんだろう。
かえって故郷への思いを募らせるだけで気の毒でしょうかねえ。
懐かしいのは間違いないでしょうけど。

コメントありがとうございます。

>娘の同級生に2人、南相馬から避難して来ているお子さんがいますよ。

>かえって故郷への思いを募らせるだけで気の毒でしょうかねえ。


そうですねえ。どうでしょうか。。


こういう記事は果たして住民の方が読んでどう思うのか気になります。原発の恐ろしさを強調すればするほど、人は集まらなくなるので、ボランティアセンターなどでは全く触れないんです。(この後書いていきますが)でもそれでは、一番の問題について触れないことになってしまうし、かといってこの記事を読んでやっぱりボラティアやめようと思われたら本意じゃないし。。


Post a comment

(Not displayed with comment.)

TrackBack

TrackBack URL for this entry:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/28156/52067323

Listed below are links to weblogs that reference 南相馬市原町区で少しだけお手伝いしてきた話 (2) 南相馬へ入る :

« 南相馬市原町区で少しだけお手伝いしてきた話 (1) 出発前 | Main | しょうがない運命はない »

-