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July 16, 2011

「東京の空の下でAfter311をゆるく語るオフ」という会をやりました

だいぶ遅くなっちゃいましたが、と書き出したところで考えてみるとまだ2週間ちょっとしか経ってないんですね。6月の終わりに僕がお声がけをして「東京の空の下でAfter311をゆるく語るオフ」と題したイベントをしたわけですが、その報告をしておこうと思います。

こんな感じのイベントでした。

東京の空の下でAfter311をゆるく語るオフ

大震災から100日が過ぎました。今更言うまでもなく、東日本は激烈な震災に見舞われ、海岸沿いは津波で壊滅的な打撃を受けました。原発事故は収拾の目処もついていません。そんな日々が私たちの日常になりつつあります。

この100日間はニッポン国には怒濤の毎日でありました。首都圏に住んでいる私たちにも、もちろん皆それぞれ大きな影響や思いがあったと思います。親族の方が被災を受けた方もおられると思います。
100日を過ぎて、この震災以後の日々をちょっと語り合ってみるのも悪くないかなと思い、このオフを企画します。

震災の話 あのときどこにいたかな話 怒っている話 原発の話 被災地の話 個人的な話(もちろん言っても構わない範囲) そしてこれからの話 怖いよーな話。いまの話 

そんなことを、あまり肩に力を入れないで、暗くなり過ぎもせず(難しいですけど) ちょっと試しに話してみたらどうかと思います。これからニッポンをどうしていくべきか。なんて考える前に、私たちはもう少しだらだら喋ってみる時間を共有してみてもいいのではないか。と思っています。

とは言え、ここは被災地とは言いがたい。東京であります。東北や北関東の方々にしてみれば、何をかいわんやでありましょうが、それでも怖いものは怖い。不安なものは不安。思い切り東京なロケーションで、それでも肩肘張らずに、どんづまりの愚痴でもいいから吐き出すみたいなのはどうかと思ったのがきっかけです。

そうはいっても、ヒーリングセミナーじゃないので(笑)、ずっと「怖かったね」「大丈夫ですよ」なんてやっててもしょうがないかなと思い、プレゼンのようなことも入れてみました。これはどうだったかな。プレゼンはどれもすごく貴重で「こんなユルいイベント」にはもったいないような内容だったのだけれど、もっと前向きに行きましょうねなどと意志をそろえるつもりも今回はなかったので、もっとぐだぐだでもよかったかもしれません。わかりません。

場所はけっこう、あれこれ悩んだのですが、その末に今回お世話になったのは、 QUONS  青山のおされな場所にありますけれど、何と会場は屋上でして。じゃなかったテラスでして。いややっぱり屋上?みたいなビアガーデンみたいな。。。よくわかりませんが、不思議な場所です。空が見えることはなんか大事にしたいと思ってこういう場所にしました。写真ではよくわからないと思いますが、ほぼ外です。(いや中です)

当日は、この酔狂な企画に10数人の心優しい人たちが集まってくださいました。無謀にもプロジェクターを持ち込んでスクリーンを張って、あらかじめお願いした方たちに、順番に話をしていただきました。

After1

 

○震災のその日から時系列で行こうという私の勝手な思いつきのままに、トップバッターは@shimon_yamadaさんの「あの日何をしていたか」

震災のその日にいったいどこで何をしていたかを、ネットやリアルで多くの人に聞いた力作です。サラリーマンやタクシーの運転手さんなどにも聞いています。最初はどうなるかと思ったのだけれど(w)、これが結構興味深く、あの日災害に巻き込まれた我らの隣の人たちの様々な生活ぶりが浮かんできて、興味深いものになりました。人のドラマは本当に普通の出来事の中に、こうした特別な出来事が急に割り込んできたときにこそ、鮮やかに浮かび上がるのだと思いました。
もっと聞いていたかったのですが、時間を急がせてすみません。(いやこれは全員ですが。)後からこれは何かに似てるなーと思ったのですが、村上春樹の「アンダーグラウンド」(地下鉄サリン事件の被害者のインタビュー集)でした。言い過ぎかな。話が長くなるのでそれはまた今度。


○2番目は、震災直後に早々とQ&Aサイトを超速攻で震災掲示板に変えてしまった、オウケイウェイブの旧知の中の人。「桶たん」こと武内さんにお話を伺いました。

このようなUSTもやる気のない小規模なイベントで企業関連の話をしていただいても、全く広報効果もメリットもない(苦笑)にも関わらず、そしてどう見ても商業的ではない催しに来ていただいた「桶たん」、本当にありがとうございました。震災後数日で、このサイトが被災者の情報交換に使えると気づいたインスピレーションもさることながら、それを速攻で実行してしまう、さすがの実行力に感服です。もっと苦労話も聞きたかったという声がありましたが、きっと互いに話が長くなるのでそれはまた今度ゆっくりと。

おけったー
被災地情報共有&復興支援Q&Aネットワーク

After2_2


○3番目は、その日初めてお会いした@kenmurakさんの「東日本大震災被災地復興支援ACTFOR」プロジェクトの紹介。被災地に土のう袋を2万袋送付した経験のほか、被災地を訪問した記録などについて話していただきました。

ACTFORプロジェクトは、主に宮城県の東松島市や南三陸町に支援を行っています。「ACT FOR 土のう袋を送ろう!プロジェクト」は、東松島市より、土のう袋が足りないと言う話を聞いて業者と交渉。通常1袋80円~90円の土のう袋を10分の1の値段で提供頂けることになり、当初目標としていた1万袋を大幅に越え、なんと倍の2万袋を被災地に送ることが出来たということです。@kenmurakさんの話もまだまだ聞いていたかった。何しろ1人20分くらいですからねえ。。

詳しくは

ACTFORのサイト  をご覧ください。

○4番目は、この日僕が最もお会いしたかった@nakanoさん。やはり会うのは初めてですが、エジプト、リビアなどで今年初めから進行していた中東革命の海外情報をツイッター上で翻訳するという活動の中で知り合いました。

遠国で起きた大きな波は、まさかと言うような全く違う形で僕たちの国にやってきた。その衝撃を共有してきた@nakanoさんは僕にとって「戦友」のような存在です。自分の国に大災害が発生し、期せずして@nakanoさんも僕も、他の人もその活動はいったん切り上げて、自国のことに集中しようと決めたのですが、その時に現地の人々からもらった、「いいから自分の国のことに集中してくれ。今までありがとう」という言葉は忘れられません。

その@nakanoさんは、レーベン号というボランティアバスに乗って毎週末に気仙沼や陸前高田などへボランティアへ行くようになりましたが、その活動について話してくださいました。現地には泊まらず、夜中に出発して1日だけ災害支援をして帰ってくる「レーベン号」は、初めて被災地へボランティアに向かう人たちの入り口として成長し、多くの人たちを毎週末、被災地に送り出しています。詳しくは中野さんとレーベン号のサイトをご覧ください。

☆ボランティアバスで復興支援(つくば・東京発気仙沼行き)運行中!☆ By レーベン

@nakanoさんのサイト(du pope : NAKANO Hajime's Blog)


○5番目は私です。私はほんの4日ほどですが南相馬市を訪ねて2日間だけボランティアで泥出しと流出物洗浄をしてきましたので、その体験を話しました。

南相馬のおかれた難しい立場にも触れようと思ったのですが、かなりこのへんで時間がタイトになり、駆け足になってしまいました。このあたりの詳しい話は私の記事をご覧ください。


BigBang 南相馬市原町区で少しだけお手伝いしてきた話 (1)-(4)



○6人目。最後のプレゼンテーターは、@adelie33さん。@adelie33 さんはIT/サイエンス系のフリーライターをされています。プレゼンは、放射能の未来に関わる話。北海道の幌延にある「高レベル放射性廃棄物最終処分場」を見学してきた話を中心に、日本の高レベル廃棄物処分の現状についての話をしてくださいました。

その時のプレゼンテーションは、@adelie33さんによってこのイベントのレポート記事と一緒に公開されていますので、それを見て頂いた方がいいと思います。本当に中身の詰まった重厚なプレゼンテーションであり、まるで大学の講義レベルを聴いているようでした。この国の放射性廃棄物の未来が行き詰まっており、どうにも先が見通せないということが痛感できましたが、何分にも(あまりユルい話ではなかったw)時間が足りず、せっかくの話を自分としては十分に消化できなかったのが残念でした。

@adelie33さんのブログと当日のプレゼン資料

Organnova 「東京の空の下でAfter311をゆるく語るオフ」に行ってきました。


After3


予定の時間をずいぶんオーバーして会が終わる頃には雨が降ってきました。そのまま店の1Fに移動して、残ってくださった方と2次会をしました。(この2次会でようやく会の趣旨が全うできたかなあ。という感じ。もっと非プレゼンテーター同士も話したかったですね。)

ひたすらあの日とそれに続く毎日を語ってみようという野心?溢れるプロジェクトにしては、試行錯誤の連続でしたが、何とか会として成立するかもしれないなあという感触は持つことが出来ました。

もちろん被災地支援も、原発事故の話も大事なことなのだけれど、311は私たちのそれまでの普通の暮らしを激変させてしまった出来事です。固い外側の鎧はそう簡単に崩れないけれど、自分たちの奥にある柔らかい部分は、それぞれに揺さぶられて、ある意味では「めちゃくちゃ」になった。

その「めちゃくちゃ」な状態からは、もちろん前に進んで行かなければならなくて、それは被災地では復興ですが、離れた場所にあっても、心の中においては気持ちの復興が必要なのではないかなあとぼんやり考えています。

ともあれ、皆さんありがとうございました。
また趣向を変えてやりましょう。

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