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July 03, 2011

南相馬市原町区で少しだけお手伝いしてきた話 (3) 泥出し作業と遠くにある海

(前章)南相馬市原町区で少しだけお手伝いしてきた話 (2) 南相馬へ入る

ボランティアセンター受付

翌朝。いよいよホテルから歩いてボランティアセンターに向かう。朝食をすませてフロントを通りかかると、フロントのおばさんが、ボランティアに来たと思われる宿泊客に津波の話をして泣いている。ご家族が亡くなったようだ。黙って横を通り過ぎる。

ボランティアセンターの場所は昨日のうちに下見してあったが、やはり何となく不安。ぽつぽつと歩くが、道すがら同様にセンターを目指す人にかなり出会う。仲間だ。

南相馬市原町区の場合、ボランティアセンターへの登録は当日でOK。事前に連絡する必要はない。朝9:00から受付開始なので、センターの前に並び、初日には簡単な登録をすればよい。(この時にボランティア保険に加入していない場合にはそこで加入しなければならない。)僕は少し遅れてしまい、10分過ぎくらいになってしまったが、この日は土曜日とあって、すでに多くの人が並んでいる。

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登録が終わると、初日の登録者には庭で簡単なオリエンテーションがある。先にも書いたようにここには、団体のボランティアバスなどはほとんど来ていないので、一人で来る参加者もかなり多い。年齢も性別も様々。見ると服装も軽装から重装備まで様々な参加者が集まっている。

服装や行動などの注意点に加えて「写真撮影は厳禁」と告げられる。

「見たところ普通の町に見えるかもしれませんが、町民は家族や知人、友人を失い、家を流され傷ついて敏感になっています。プライバシーの問題もあります。以前にボランティアの方が撮影したご自宅の写真がブログに掲載され、その方から激しい抗議が来たことがあります。どの場所でも携帯やカメラで撮影する事はやめてください」と言われる。みな黙って聞いている。

参加者はこの規則を僕がみる限り非常によく守っている。これ以降2日間、作業現場で誰かが写真どころか、携帯を構えている場面すらほとんど見なかった。僕もそれに従ったので、作業現場の写真は基本的にない。ただし、こうして戻ってきて読者に作業の内容を伝える場合に、やはり写真があればいいと思うことが何度かあった。難しい問題だけれど、もしもボランティアセンターの活動や現場の模様を伝えたければ、作業ボランティアのルートとは別に取材の申し込みをして、きちっとした取材スタンスで望むのが筋なのかもしれない。繰り返すが、本当に難しい問題だ。)

オリエンが終わると原町区では、基本的には希望の作業を選ぶ事ができる。ただし、泥出しや瓦礫の片付けなどの屋外作業は肉体的に過酷だが、希望者が多いので、早めに行かないとなくなるかもしれない。ここではきつい仕事の方が人気があるのだ。雨天の場合には一切屋外作業はない。屋内作業は、流出物の洗浄や、その展示、避難所の運営手伝い、被災者の話し相手などがある。

初日は屋外作業をやろうと「泥出し」を希望。数人のグループがそろった段階でリーダーを決め、スコップなど必要な機材などを受け取って指示された現場へ向かう。僕たちのグループは7人だが、先に現場へ向かっている20人ほどのグループを追いかけて同じ場所へ向かう。リーダーは経験者の中から選ばれるが、我らのグループのリーダーは大阪からほとんど不眠でやってきたという、めちゃ明るい人。このほかにも、ウルトラ級に口数が多く明るいメンバーが多かったので、1日中賑やかだった。

2度目、3度目の参加者は、作業に必要な道具もよくわかっているが、僕は何が何だかわからないまま、言われた機材を車に積み込んでいるうちに出発。この日の作業内容は、原町区萱浜の下水溝の泥出し。


※原町区萱浜は南相馬市でも大きな津波被害を受けたところである。このサイトに写真がある。(http://www4.plala.or.jp/oouchiteijuen/20110311shinsai.html


泥出し作業


この時に初めて、津波の被災地を目のあたりにした。印象は広い。とにかく広い。地平線までが泥の大地になっていて、ところどころに防風林があったが破壊し尽くされ、その林の中の木が数本かろうじて残っている。家々はほとんど流されてしまっているので土台しかない。片付けられた瓦礫の山があちこちに点在している。萱浜の住宅はほとんど全滅して流されてしまった。宮城や岩手の漁港のように、大型船や魚、建物の残骸が膨大にある状態ではない。おそらく民家が多かったので流されて根こそぎ町が「消えて」しまった。後にはただ膨大な泥の海が広がっている。この広さを知るだけでも被災地に行く意味はあるのかもしれない。
長さ400km、幅5-6km以上にもわたって、東日本の膨大な面積が泥の海になったのだ。その被害の甚大さはそこに立たないとなかなか実感できないと思う。


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被災地に車が進んでも、誰も感想は言わない。リーダーは場所を間違えたらしく、陽気な声で本部に電話をかけて確認している。僕はおそらく息を飲んであたりを見回しているのだが、どういうわけか、それを口に出せない。

ボランティアを経験した人は誰でもわかると思うけれど、現場にいるときにやることは、「ひどいね」とか「うわー。。」とか感嘆詞や感想を口にする事ではない。目の前にはやることがある。具体的にある。自分は悲しみや感慨に浸るためにここへ来ているのではなく、「作業」をするために来ているのだ。もちろん泣くためではない。その割り切りが心を強くすると言えるかもしれない。

下水溝の泥出し作業にかかる。ここで初めて気がついた。これは「泥出し」ではない。便宜上そう呼んでいるけれど、ありとあらゆる物が流されて、下水溝に詰まっているのだ。
石、屋根瓦、木片、ヘドロ、その他何だかよくわからないようなもの。そういうものが混然と下水溝に詰まっている。スコップで掘ろうとすると、その石や屋根瓦が邪魔をする。しかたなくしゃがんでそれらを手で取り除く。スコップで掘る。ガツン。また手で取り除く。その繰り返しだ。

けれど悲惨な風景の中にあってずっとうちのチームはバカ話をし続け笑いが絶えなかった。話が途切れると海の方にみんなの視線が固定してしまうのだ。時々休憩時間にふっと誰かがその輪を外れ、一人で少し遠くのほうに行って、あたりを眺めている。流されないで残っている崩れかけた民家の近くに行って、しばらく眺めている。僕はその後ろ姿をぼんやり眺めている。やがて彼は戻ってくるが、誰も今見ている風景についての感想は言わない。そんなことが続いた。

うんうん言いながらかき出す。かき出す。かき出す。まだ5mですよ。町内のドブさらいもしたことない。俺もだ。また皆が笑う。酒か笑いがないとやれない。涙以外がいい。

なんと驚いたことに、チームに2人の地元の中学生が加わっている。週末ごとに参加しているらしいが、少しハラハラする。ちゃかし屋のBさんがずっと2人をからかっては遊んでいる。大変だったろうなんて誰も声をかけない。先輩と後輩のようにじゃれあって、時々プロレスごっこをしている。

みんなやってるの?て聞くと

「僕らだけです。」

「じゃあ君らはあれだ。変わり者だ。」

「そうかもです。」

「あはは。」

誰かが生徒何人?って尋ねた。

「500人です。」

「うんうんそうか。」

「でも今は250人になりました。」

明るいメンバー達が静まり返った。





本当の街の姿がわからない


昼食は瓦礫を見ながら座り込んで食べた。こんな昼食は初めてだと誰かが言い、また笑った。目の前の瓦礫はどうも民家のガレージらしい。あの鉄骨は何だろう。その横の青いのは?んーぐにゃぐにゃでわからないなあ。などと言いながら弁当を食べる。

本当に申し訳ないけれど、僕たちは(おそらくそのほとんどが)被害を受ける前の萱浜を知らない。微かに残っている家の土台がなければ、それはただの海岸にも見えるのだ。微かに残る人の暮らしの兆候で「ここは海岸ではなかったのだ。街なのだ」と知るけれど、僕たちにはもうその街の元の姿がわからない。そのことがまだ僕たちを楽にしているのかもしれないし、だから遠くから来たものにできる事があるのかもしれない。そんなことを考えた。

午後は今度は水路の修復。やはり街の元の姿が想像できないので水路をどうやったら元の形になるのかわからない。そもそもどれが水路かわからない。

「どの状態が直った状態なんですかね?(笑)」
「悔しいよね、正常な状態で一度見てればなあ」

などとメンバーと話しながら進める。僕の目からは、ただ巨大な沼があるだけだ。

地権者と思われる方の指示で、言われた通りに泥をかき出しているうちに、急に水が勢いよく流れ始める。「ありがとう。ありがとう」と言われるが、何がどう進んだんだろう。情けないことにそんなレベルだ。

この頃、20人ほどのメンバーの中に女性が2人ほど入っていることに気づく。男と全く変わらない泥出し作業を泥まみれになってやっている。すごいなあ。僕らでもきついのに。と思っていると、そのうちの1人がすっと帽子を外して小さな小屋に入っていく。見れば慰霊所だ。奥に線香を立てられるところがある。彼女が線香をあげて頭を垂れている様子をしばらく見ていた。


水路の後は、泥をかき出した下水溝に蓋を戻していく作業だ。これが参った。蓋になる大きな石を特別な道具ではさんで2人がかりで元に戻していくのだが、最初は何のことはない。たいした作業ではないと思ったのがまずかった。なにしろ蓋は何百個もある。気がついたらそこには数人しかいない。みなほかの作業に散ってしまった。交代でやるけれど、数十個やったあたりで足下が危なくなる。つい「ふー」とため息をついたところを、Bさんが見逃さない。

「あ、もういいよいいよ!どいてどいて!」

もう休んでろといわんばかりに言うので僕も気に入らない。
負けじと

「ちょっとため息ついただけでしょうがー!」

と言い返すと

「ため息ついてたらだめだよ。幸せが逃げちゃうよ!!ほらどいてどいて!」

と無理矢理に工具が奪われる。このあたりが限界かな。僕も苦笑しながら工具を奪われる。


Bさんはお調子者ナンバーワンだ。とにかく作業中、ずっとしゃべっているかと思えば、別のグループの女の子に声をかけている。あろうことかこんな悲惨な風景の中で下ネタを連発している。なんてやつだ。

聞けばコンビニへの配達作業を普段やっているという。コンビニのおねえちゃんを口説いた話を延々と始める。話の巧みさに吹き出してしまうが、あまりに話が終わらないので、ほかのことを考える余裕がこちらもない。彼は1人でここにやってきて、もう数日目だという。ここに来ているメンバーは1人でふらりとやってくる人が多い。ふらりと来て仕事をして、またふらりと帰っていく。

そのバカ話ばかりしているお調子者がぽつりと言った。

「やっぱ屋外作業はいいな。楽しい。写真洗いはキツいよ。あれはキツいです。泣いちゃって泣いちゃって、作業ができないもん。俺は向いてないよあれ。」

経験者の何人かがうなづく。少し静かな時間が訪れた。

配達や土木作業など普段から力仕事をしている人たちはこういう作業では頼もしい。体の動きが違う。重機なんか動かせれば英雄だ。僕は世代的には非肉体労働系としては最年長かな。足は引っ張りたくないと思ったけど、偏差値45くらいで、何とか赤点は逃れたかな。わからない。それでも3時の作業終了までなんとか脱落しないで頑張れた。

目をあげると陸の区切りが見えない。「海はどこだろう」誰かが言うがわからない。遥か彼方。遠くに小さな白波が見えて、あそこが海なのかと思った。


海は、本当はあんなに遠くにあるんだ。


続く



南相馬市原町区で少しだけお手伝いしてきた話 (1) 出発前


南相馬市原町区で少しだけお手伝いしてきた話 (2) 南相馬へ入る


南相馬市原町区で少しだけお手伝いしてきた話 (3) 泥出し作業と遠くにある海


南相馬市原町区で少しだけお手伝いしてきた話 (完) 流出品洗浄作業と「犬っていう犬」の話




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