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January 06, 2012

【新年のご挨拶  昨日と同じ明日】

「この人たちはいったいどこに行くんだい?」

あまり出歩く事のなかった祖母を車に乗せると、夜の都内を走る無数の車の光が不思議で仕方がなかったらしく、いつも同じ事を尋ねていました。そのたびに私は

「家に帰るんだよ」

とか

「そんなの知らないよ」

などと適当に返していましたが、考えてみれば夜更けに出歩く事の少なかった祖母は、街がすっかり暗くなっても大勢の人たちがひたすら「どこかに向かって」いること自体が不思議でしょうがなかったのでしょう。こちらとしてみれば、そんな当たり前のことを何度も尋ねる祖母のほうが滑稽に思えてしょうがなかったのですが。

私たちが当たり前に使っていた光がやむをえない事情(とされました)で大幅に縮小を余儀なくされ、東京の光がみるみるうちに少なくなり、繁華街に夜の暗がりが帰ってき
たときにこの言葉と一緒に思い出したのは、子供の頃に夏休みになると訪れていた三重の田舎の闇の深さでもあります。
まだ小学校だった私が、日頃見慣れない山里の闇の深さにあまりに怯えるので、田舎の祖母の姉夫婦が、外に小さな裸電球をつけてくれたのですが、それでも子供の目には、漆黒の闇の恐ろしさに変わりはありませんでした。

その姉夫婦も亡くなり、そして祖母も亡くなり、あの山里の夜を知っていた父も他界
して、気がつけばあの闇の深さを知っている人間が自分の周りからどんどん減っていきました。

私たちはどういうわけか、夜も活動を止めることを嫌がり、昼と同じような時間が1日中続く事を求めました。24時間、無限の消費ができるようにコンビニがどんどん増えていき、ファミリーレストランも深夜まで開いているのが当たり前になりスーパーやデパートも営業時間を拡張し、便利という名の下に私たちはそれを支持しました。

石油エネルギーの枯渇が騒がれた時代がありましたが、教科書に出ている資源の円グラフは、水力と火力に代わって登場した「それ」によって、もう何の心配もなくなったかのように語られました。最初は円グラフ中に細い細い目立たぬ線で密かに登場した「それ」は知らぬ間に次第に大きくなり、決して暗闇のない未来、夜も止まる事のない無限の生産に向かってひた走っていると信じ込まされるようになりました。ごく少数の人を除いて、誰もが無限の光を手に入れたと考えるようになりました。

あの日までは。

あの日の午後、考えられないような揺れと水の甚大な力によって破壊された「それ」が世界史上に類のないような凶暴な牙を剥いたとき、初めて私は、何がこの東京の数十年を支えてきたのかに気がつきました。祖母たちの考えつかないような、無限の私たちの活動をこの街で支えてきたものが何だったのか知りました。本当に情けないことだと思っています。

昨年の6月から、縁があって「それ」に近い街をたびたび訪れるようになりました。今でも一部が警戒区域という名の下に封鎖されている街です。私のような者が「それ」に近づいて何かを確認することすら、今はもうできません。
何かの反省や思いや後悔を仮にそこで致そうとしても、「それ」の半径何十km四方の巨大な地域が、何十万人という人たちに昨日と同じように明日を暮らす事を阻んでいます
。生まれてから現在に至る思いの大地全てを失っただけではなく、今なお遺体の捜索すらままならない人たちがいます。その喪失感を考えただけで目がくらみます。

これが彼らと私たちー安心を説いてきた者たちとそれを信じてきた私やあなたがしでかしたことです。

この先にはもう入れない境界。封鎖されたアスファルトの道路の一点に立って、すぐそこに見えているのに入る事のできない広大な山々を見ながら、1人で考えても答のあるはずのない問いを延々と考えました。

「いったい自分たちはどこに行こうとしていたのだろう」

夜の車列の行き先を問うただけの祖母の問いと、この問いはもちろん同じではありません。しかし自分にとってはこの2つが重なって仕方がありません。何度も繰り返していた祖母の問いを、自分はただの1度も心から受け止めた事はありませんでした。共に不思議だと思う事も1度もありませんでした。

もちろん間違ったのは、都会に住む人間だけではありません。この土の上に住む私たち全てが間違ったのです。そういう意味でこれほどの重い後悔から始まる年はないと私は思います。甚大な天災と人災により、私たちは取り返しのつかないものを、たくさん失いました。

自分の残りの人生の時間を計算しながら動かなければならないほどの局面の深みを
覗き込んで、さあこれからどうしていこうかと考える新年になりました。もう間に合わない、取り返せないものも沢山ありますが、喪失したものを数えても切りがありません。
まだ取り返せるもの、遅くはないものも沢山あると信じたいと思っています。

「もしも昨日と同じ明日を過ごしたいと望むなら、昨日と同じように暮らしていては絶対にかなわない。」

矛盾しているようですが、これが昨年学んだ強烈な教訓だったように思います。今生から心半ばにして去った多くの人たちが、残された私たちに教えてくれたのは、その1点でもあると思います。これから私たち全てが振り絞る、全力の知恵の可能性を信じたいと思っています。

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昨年は大変お世話になりました。
本年もよろしくお願いいたします。

どうか今年は、私たちの差し出す無数の手が、それを求めるさらに無数の人々の手に届き、しっかりと繋がりますように。

(いつもながら新年から長文失礼致しました。ご容赦ください。)

 

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Comments

昨年も新年のご挨拶にコメントさせていただきましたヴヴァンです。
今年もよろしくお願いします。
直接の被災地の方が元に戻る希望を持ってらっしゃることは良く理解できます。
ただ、私も含めた東京圏に住むものが元に戻ろうとするこの圧力は一体何なのでしょうか。電力不足による消費一辺倒な生活の多少の改善には繋がったものの、その他ほとんどが元に戻りつつあります。
BBさんが終わりの方に書かれた「もしも昨日と同じ明日を過ごしたいと望むなら、昨日と同じように暮らしていては絶対にかなわない。」が突き刺さるのですが、棘がささったままなのです・・・

どうも。ヴヴァンさん。返信が遅くなりました。この日常に戻ろうとする力、何も起きていないことにしようとする力を「正常化バイアス」というそうですが、なんともこの国のそれは並の力ではないように思います。
未だ地震にしろ原発にしろ危機が去ったわけではまったくないのでありますが、我らにはまだショックが足りないのかもしれません。

ともあれ、本年もよろしくお願いいたします。

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