SNS

My Photo

BooksBooks

無料ブログはココログ

« Oblivion ドローンの恐怖とロマン | Main | カナリア »

September 20, 2013

二つ目の地獄はいらないー深刻化するフクイチ汚染水

原発事故当時、たった一度の事故で未来を捨てるのかと言われた。パニック脳とか放射脳とか今でも。さて2年半が経ってこれほど原発事故が恐ろしいものだといよいよ我らは知ることになっている。チェルノブイリ当時、あれは無知蒙昧な圧政ソ連の成せる技。遠い出来事だと思っていた。別の世界だと。


核燃料を冷やすために注いで一時はほっとした膨大な水は今や放射能汚染水という無限に増えるエイリアンの卵のような存在になり一帯を地獄に変えつつある。作業員確保も世界に救いを求めなければ無理だ。恐怖は去るどころかチェルノブイリと異なる地獄が10数万人の人から故郷を奪った。


原発推進論の堀江氏は、廃炉というゴミに長期に国民の税が注がれるのは無駄だという。ならば少しでも動かして生産させろという。原発続行を唱える多くの人たちは2度目の事故のリスクを低く見て原発撤退の経済リスクを高く見るところに共通の視点がある。しかしこの地獄を見ても尚なのか。


短期には廃炉は電力会社にも国民にも政府にもただならぬ負担を強いる。緩やかに動かしてフェードさせるという論も一理あるように見える。しかしそれは2度目の惨事のリスクを限りなくゼロに近く見た場合だ。もう一度稼働中の豊富に核燃料を抱えた原発で事故が起きればこの国は助からない。


膨大な事故リスクをゼロと見積もらないと経済的な合理性すら成立しない。推進論の論拠は「福島アゲインはもうない」という根拠のない楽観から成立している。我々がたった一度の事故で震撼し恐れおののいて別のエネルギーに全力を傾ける。それこそ経済合理性にも進化の論理にも沿うものになるはずだ。


命かカネかとは皮相な比較だ。どちらにもこの先我らが原発事故の膨大なリスクを継承する程の合理性はない。放射性廃棄物の最終保管場所も原発総廃棄の経済的かつ思想的な決心がなければ具現できないと思う。フクイチひとつで十分と言うにもあまりある。まして二つ目の地獄はいらない。

« Oblivion ドローンの恐怖とロマン | Main | カナリア »

Comments

安全は大好きだ。神話も好きだ。安全神話作りは得意で、すぐに信じられる。広めるのもたやすい。
我が国の国策は、安全神話と深く関係しているに違いない。
だが、最悪のシナリオを想定するのはひどく難しい。恣意(本音)の人ならそうなる。
これは、平和ボケのようなものか。

太平洋戦争初期に、フィリピンの米比軍はキング少将もジョーンズ少将も投降して、75000人以上の将兵の命を救った。
太平洋戦争後期に、日本軍は米空軍の飛来をゆるし、1945年3月10日未明、東京の下町の江東地区がB29約300機による空襲をうけ、死者10万をこす被害を出した。
日本人の指導者には、作戦の成否を予測する力はないのか。
人命の尊重はどのように考えられていたのであろうか。

それでも日本人は、原発の再稼働を選んだ。
一億総ざんげへの道。動き出したら止まらない。
この道は、いつか来た道。ああ、そうだよ、民族の歴史は繰り返す。

意思のあるところに方法はある。(Where there’s a will, there’s a way).
意思のないところに解決法はない。
意思は未来時制の内容であり、日本語には時制がない。
それで、日本人には意思がなく、解決法が見つけられない。
自然鎮火を待つのみか。成り行き次第。

>親戚のじいちゃんはガ島で地獄を見てきた。
>「あれは決して国のために尊い命を落とす姿じゃ無かった」という言葉を忘れない。
兵卒は優秀。参謀は愚鈍。日本語脳の定めであるか。理不尽に耐える心を養うべきか。
耐え難きを耐え、忍び難きを忍んで、もって万世のために太平を開かんと欲す。

不自由を常と思えば不足なし。
座して死を待つか、それとも腹切りするか。
私の父は、玉砕した。何のお役に立てたのかしら。
安らかに眠ってください。過ちは繰り返しますから、、、、

わかっている、わかっている。皆、わかっている。
ああしてこうすりゃこうなると、わかっていながらこうなった、、、、、
十二歳のメンタリィティには、知恵の深さが見られない。教養 (洞察力) がない。
わかっちゃいるけど やめられない。ア、ホレ、スイスイ、、、、

白く塗られた黒いオオカミの足を見破ることは難しい。
だます人は悪い人。だまされる人は善良な人。おとり捜査は難しい。
この調子では、人の命はいくつあっても足りるものではない。
我々は、自らは望むことなく危機に陥る民族なのか。

http://www11.ocn.ne.jp/~noga1213/
http://3379tera.blog.ocn.ne.jp/blog/


リスクは、人によって変ります。たぶん、事故の起きる前のリスクの方が高くて、今は下がっています。原発全体は。

ただ、失ったものは戻らないということを、リスクに含めてしまうと、いつまでたっても、前にも後ろにも動かないまま、時間が無駄になるだけです。時間の無駄ほど、リスクを呼ぶともいえるでしょうね。時間の無駄ほど、人を傷つけるし。そして、まさに、時間の無駄を繰り返していることで、リスクは、事故前より高くなっているともいえるでしょうか、とくにフクイチは。

原発は、「マッチ売りの少女」のマッチみたいなものです。つまり、人の心に火がつくと戦争をしたり宗教的いざこざになったり、消せば、あれはなんだっただろうかと思い出したりして、また、ジブンでジブンに火をつけたりとか。

ま、どちらにしても、国民が決めることなので、原発より人間の方が危険で、善良な人でさえ凶暴になるもんだよって、もしたずねられることがあったら、そう答えるでしょうね。ま、とりあえず、経済的責任を企業にも国にも負ってもらわないと、どうにもならないでしょうね。巻き込まれてる人が気の毒ですね。

Post a comment

(Not displayed with comment.)

TrackBack

TrackBack URL for this entry:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/28156/58231785

Listed below are links to weblogs that reference 二つ目の地獄はいらないー深刻化するフクイチ汚染水:

« Oblivion ドローンの恐怖とロマン | Main | カナリア »