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May 06, 2014

「鼻血ごときで騒ぐ人は発狂するかも」という雁屋哲氏の「いつもの悪い癖」


「現在発売中の「スピリッツ」22・23合併号に掲載された「福島の真実篇」において、東京電力福島第1原発など福島県を取材のため訪れた主人公・山岡士郎らが鼻血を出す描写があり、これが風評被害を助長するのではないかとの指摘が相次いだもの。作中には前双葉町長の井戸川克隆氏も登場し、「福島では同じ症状の人が大勢いますよ。言わないだけです」と発言、ネットを中心に炎上状態」

自分は3月11日以降、福島には何十回も足を運んでいるが、直接「同じ症状の人」に会った事もないし、「同じ症状の人」を知っているという人にも話を聞いた事がない。けれどだからといって「そういう症状の人」はいないということにはならない。実際SNSでは「低線量被曝による鼻血などの症状」を訴える人がたくさんいることは知っているし、確かにそうした人たちもいるのだろうと思う。僕がたまたま会っていないだけかもしれない。

けれど、だからといって自分の個人的視点で見る限り「大勢いますよ。言わないだけです」などという状況になっているとは判断できない。一定の発信力を持つ人がメディアで「言わないだけです」などと言えば何も知らない人は壮大な隠蔽を想像するだろうし、「血にまみれた福島の過剰な闇」を想像するだろう。

この問題に関して両論は両論とも不完全であり、慎重な見方をとりながらも「わからない」というのが現在のもっとも誠実な対応だと思う。注意しながらも気を配る。こういう慎重でまだるっこしくも思える対応の継続にしか真実はないように思う。

一方で「3年経っても死んだ人が誰もいない」から放射線への脅威論の化けの皮がはげたなどという論陣を張る人がいてそれに賛同する人がいる。安全論の根拠として「放射能で死んだ人が誰もいない」などとたった3年で主張する事もおかしい。そもそも本当に誰も死んでいないのか。この3年間で吉田所長含め癌でこの世を去ったコアな関係者は多くいる。亡くなっている方達の死を即放射能被曝に結びつける事には慎重であらねばならないだろうが、即「死んだ人は誰もいない」などと判断するのもまた違う。
さらにチェルノブイリでは20年以上たってからも相次いで甲状腺がんの発症や心臓の異常が続いていることはもう周知の事実だと言ってもいいだろう。

不幸すぎる未来を喧伝して人を惑わすのはもちろん慎むべきだが、現状に漂っている不透明な部分を見てみないふりをするのもまた違う。

いずれにしても

「鼻血ごときで騒ぐ人は発狂するかも」

という不要な挑発的台詞を吐く雁屋哲氏の「いつもの悪い癖」には眉をひそめざるを得ない。それは誠実な態度だろうか。福島に対して。そして我ら全てに対して。

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