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November 23, 2014

ミッション

TOWER RECORDS渋谷の石井麻木さん写真展へ。



大勢の若い来場者でごった返していた。なぜTOWER RECORDSで?と一瞬思ったけれど、震災前から石井さんはライブハウスやミュージシャンの写真を撮っている方だったのだと思い出す。各地を巡回してきたこの写真展が、東京でTOWER RECORDSを会場に開催されるのは理由があるのだ。写真展も半分くらいは東北LIVEHOUSE 大作戦に連動してライブの写真とビデオ。





ヘリから撮影したあの夜。決壊しそうになった国会議事堂前デモの写真がいちばんぐっときた。

で、ちょっと違うことを書くけれど、他者の表現は絶対に自分の表現とは相容れない。それは当然の自明のこととして物心ついた最初から思い込んできた。けれど、日本の学校教育というのは、皆さんも知っての通り、そういう子供の原始的な違和感を矯正していく面がある。必ずしもそういう感性は歓迎されなかった。絆を最初から違うでしょとか言って切りにかかるんだからね。何しろ。めんどくさいやつだ。









まして半分戦時体験のような経験を経て小学校に入学してきた子供の見る風景は、他の子供とどこか違っていたかもしれないのは仕方がないように思うし、そこで何らかの軋轢(さらっと書き流すがそれは当然当事者にとっては大変なことだった)があるのは当然だったろう。

でも、この「当然」と流せるようになるまでには相当の年月がかかる。その闇と暴力はもちろん比べようもないが、ベトナムやイラクの帰還兵が長く故郷になじめず、ついには次の戦場へ回帰するところに追い込まれていくようなドキュメンタリーを見たことがある。


「異常な」体験をした人間は、これがとても不可思議で厄介で困ったことだけれど、「もっと異常な」場所を求めるようになる。つまり災害や戦争、異常な緊張関係を強いられた人が、必ずしも平和を求めるとは限らないのである。このニュアンスは、きっとわかる人にはわかり、わからない人にはわからない。「暴力の連鎖」ということの意味は深い。

人間の中には一定数、幸か不幸かこういう人たちが存在する。正義感からの思い上がりだとか、目立ちたい根性だとか、自己満足だとかいう言葉では片付けられない衝動をもてあましている種類の人たちだ。(もちろん石井さんがそうであるという意味ではない。)

石井さんの写真から逸れたかもしれない。話を戻そう。

彼女の写真の風景のほとんどは、僕が(僕たちと書きたいが)この3年余りの時間の中で見てきたものばかりだ。彼女は音楽という媒介を通じてこの災禍を表現することを選んだ。あるいは僕を含め他の人たちはその経験を、こうした形にあらわすことすらできず、そしてもちろん被写体となる人たちは生きることに追われている。

表現する側ーそういう峻別も本当はないのだろうがーも、対象となった方たちも、それぞれの立場で膨大な違和感を抱えながら生きてきていると思っているのだが、残念ながらその両方でない人たちもいる。この災禍によってすら人生にも感性にも影響を受けなかった人たちである。

けれどそういう人たちにとって目に見える確かなものはまずお金だから、経済の数値の回復に邁進する。そして、いつの間にかそれ以外が見えなくなっていく。
ミクロのことなんて所詮、被災地の仮設住宅の深々と静まり返った夜を知ることなしには肌身に感じることは困難だから、話は自然とマクロのことになるのだ。

最近、よく人のミッションということを思うようになった。「どんな人にもミッションがある」と言ってしまえば、それこそどこぞの宗教の教えのようだ。しかしそのことをあれ以来感じざるを得ない。

ミッションとミッションの違いはそれぞれがそのことを信じこんでいる故に、よけいに厄介な形でぶつかる。個の殻に閉じこもって防御をする一方の人たちに僕はずっと苛立っていると認めざるを得ないが、それは個の殻ではなく、ミッションの違いだと思えばまだ救われる。大きなことは当たり前のことだけれど、無数の感性やトラウマのモジュールが組み合わさって不作為に成し遂げられるのではないか。彼や彼女の果たすかもしれないものを軽んじてはならない。

だから、仮に石井さんの写真に違和感を覚えたなら、それがあなたのモジュールに何かの信号を発信したということなのだろうと思う。違和感は共感以上に強力な信号を発信するし、あなたの信号がまたきっと誰かに違和感を引き起こすのだろう。おそらくこの、ほとんどの人にとって意味不明な僕の文章も。

外に出ると渋谷の交差点はクリスマスの装いとゲスの極み乙女の巨大な宣伝幕に占領されていた。







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Comments

ネットだと、人を点としてとらえて、その点と点を結んで、いろいろな心配したりするみたいだけど、人は人生という一本の線を描いているのだから、とくにアーチストの線がどう変化したかが見所でしょうね。

例えば、現代アーチストの、村上さんなんか、今という点を強くアピールしているけど、彼の作品の頂点は、ランドセルのシリーズだと思うわけで、ところが、ネットだと、彼のアーチスト人生の線を知らないで、みんなでむかついて楽しんでいたりするわけでしょ。最新の発言点に対して。

で、アートというのは線を感じようとしたら容易く感じられるところがいいところで、ビジネスというのは、まさに点。だし、ビジネスが人生なら、点しかない人生だとも。ま、学校教育は、様々なんだけど、結局、生徒と親側が、ビジネスとしかとらえていないから、点の若者になってしまうんでしょうね。

それと、たくさんの老人を見ているけど、家族に囲まれていようと、お金に恵まれていようと、人生、ずっとビジネスだった人は、不幸ですよね。点しかないわけで。不幸だから、社会保障が必要で税金もたっぷりかかるんでしょうね。いまさら、線を描くには遅すぎるわけで、残酷です。

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