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December 26, 2015

ディズニーとスターウォーズ


https://www.facebook.com/sakacharn/posts/1184839091544025

という投稿を見たのでちょっと。

新作はまだ観ていないのですが、ディズニーの好戦的体質については耳にしたことがありますが、あの戦争では日米ともに多くの作家が戦争宣伝に加担しました。もちろんディズニーだけではありません。

みんなに愛されて僕も大好きだった「のらくろ」は今の価値観ではただの軍隊礼賛モノですし、日本軍をこぞって慰問した有名作家の群れには今更触れるまでもないでしょう。

ウォルトディズニーは戦いも煽ったかもしれないし西部開拓を偏った視点で描いているかもしれないけれど、それでも現実とかけ離れた夢の世界も作りました。ピーターパンも戦っているし、ミッキーだって時に戦いますけどね。ウェンディも時には戦う女の子でありました。

男の子にとって。いやおそらく女の子にとっても、ファンタジーやアドベンチャーと背中合わせに血なまぐさい戦いがあります。それを夢で包んだことで罪があるならあるのでしょうが、ものごとはもう少し複雑であり、多面的に見る必要があるでしょう。

スターウォーズに関しては、きっと多くの人から同じような擁護の論が出るでしょうが、あれは戦いの物語でもありますが、父子の話でもあり、人間の善悪は何なのか、深い世界への構えも同時に用意してきました。

暗黒面に堕ちるなという警鐘のキーワードは常に現実の世界で自分に染み付いていると言わざるをえません。自分として、これが暗黒面だと実際の生活で思うことは確実にあるのです。

さらにスターウォーズは元来ディズニーが生み出したものでもありません。もちろん今後に注目ですがウォルトディズニーの「好戦的な」姿勢をスターウォーズの銀河戦争に繋げるのは些か牽強付会でありましょう。

ピクサーを立ち上げたスティーブジョブズはディズニーの重要な役員でもありましたが、かくいうアップルもファンタジーとカニバリズムの両面を持つ会社となりました。

詰まる所、我々は米国文化とその世界戦略についてどう理解するのかということであり、それはそんなに単純ではないだろうということです。

もっとも、日本は他のどの国よりもその飴の甘さと恐ろしさをわかっている国だと思うのですが、現状進行している様々な事態はつくづく残念なことです。

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December 24, 2015

クリスマスの夢

クリスマスになると苦笑混じりに思い出すことがある。子供の頃の「夢」だ。

「僕はね。クリスマスイブの日に渋谷で牛丼を食べているような人になりたいんだよ」

それを言うと、またバカなことを唐突に言い出したと祖母が笑っていた。

「お前はへそまがりだから」

あんたに言われたくはない。笑

どういう成り行きでそんなことを口にしたのか今となってはよく覚えていない。

で、僕は大人になって、イブになると吉野家の前を通る度にそれを思い出すのに、一回もそれが実現できていないことが気になっている。

あの時に自分が思っていたことは確かにあった。そしてそれは思いのほか、色んなことを象徴していたように思う。届いていない。それだけは確かだ。

それにしても昔のクリスマスはもっと凛として寒かったように思うよね。

メリークリスマス。世界。

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December 23, 2015

地域の邪悪

あまりおおっぴらに発語できないけれど、この国には、いやおそらくどの国にも「地域の邪悪」というのがある。その地域に育っただけで自然と身につける邪悪だ。その地域の人たちが皆、悪人だと言っているわけではない。

しかし、幼い頃から囲まれた周囲の大人たちのせいで、他の地域とはかけ離れた邪悪に包まれている。その邪悪を無視すればみな人のいい日本の田舎の人たちである。

しかし時としてこの邪悪が決定的な意味を持つことがある。原発だとか戦争だとか、国家の行く末を決めるような決断の時こそ、この邪悪は鎌首をもたげ、国を貪り邪悪の方向に引っ張る。

もちろんその邪悪に気がついて、そこから抜け出そうとする人たちもいる。

みな邪悪という言葉で理解していなくても心当たりがあるはずだ。

もちろん東京も例外ではない。

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失語

月並みな励ましは言うまいと思うと人を励ませなくなる。
月並みな正義を口にすまいと思うと正義を語ることはできなくなる。
社交辞令を言うまいと思うと、あなたの話をただ黙って聞いているしかなくなる。

言葉に溢れているようで、この世界に、響く言葉は少ない。少ないことに皆ぼんやりと気がついているから、薄い言葉にもとりあえず乗っておこうとする。そうでなければ虚しい。

それで平和になるならそれでもいいではないかとも思う時もある。

もちろん思わない時もある。

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December 18, 2015

頑迷な同姓主義はまだ見ぬ将来の家族のあり方を破壊する

夫婦別姓の問題に関して、別姓選択への疑問を呈する人達の意見がそもそもわかりません。別姓を選択することで起こりうる混乱は、外国の例を見てもわかるように想像できないからです。

生理として

「そういうのは嫌いだ。夫婦は同姓であるべきだ」

ということを感じる人がいることは理解します。しかしそれは生理的感覚であり、社会的制度としてそう思わない人の行動を縛るまでの、合理性はあり得ません。家族制度を壊す論に至っては論外です。

そういう頑迷な同姓主義こそ、こうした硬直した形式に拘泥することでまだ見ぬ将来の新しい家族のあり方を知らぬ間に破壊しているのだと知るべきです。

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December 11, 2015

萎縮するためなのか。自由のためなのか。

仕事の場で名刺を出したほぼ瞬間、下手をすればメールのやり取りだけでこちらのプロファイリングを一瞬にして終える人たちが増えてきた。それが当たり前の社会になりつつあるのを感じる。

人に対してネットで死ねとか言っていなくても、いきなり「拝見しました」とか言われると流石に「どれをよ!」と思う。笑い話で済む次元ならいいがこうしたところも社会の息苦しさに繋がりつつあるように思う。


「賢き」人々はそのリスクを避ける。無難に無難に。相手に対して攻めどころを与えない。
つまり発言しないのが一番だということになる。


けれど人智はそれを超えるべきなのだ。萎縮のためのツールなのか。自由のためのツールなのか。SNSも人間もその存在を問われている。おそらく勇気も。

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December 07, 2015

立ち上がらない友

ああ。この友人は立たないのだと思うことがある。立てというのではない。考える。恐れる。警戒する。逡巡する。バランスを考える。それらはみな当たり前のこと。

それを踏まえてなお、一気に立ち上がる人がいる。中腰を見せる人がいる。悩みつつ呟く人がいる。

そしてその中で、ああこの友は立たないのだと思う瞬間がある。立とうという意志もないのだと。その友とのこれまでの年月を思う。うなづける時もある。どうしても納得できない時もある。なぜ。と。

ああ。これがあなたの言っていたあの時の社会なのだと思う。それは劇的でもなければ悪魔的でもない。立とうとしない友と、それをわかっても批判のできない弱い心が皆で、皆して作り出して行ったのだと思い当たる。

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