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March 25, 2016

常磐道を走る

こんな青い空の元で車を走らせていると、ここがどこなのか、ここで何が起きてしまったのか忘れそうになる。というより自分も、この国のほとんどの人たちも、本当に忘れてしまいたいのかもしれない。知性や理性で忘れるべきではないと思う前に、心の奥底で知らぬ間に起きてしまったことを認めることを 5年経った今でも忌避している。

無人の美しい家々。

忘れることはできない。忘れることができるほどに、この田畑一面に広がる風景。青や黒のフレコンバッグの山の存在感は甘くないのだ。悪夢の中の田園風景というものがあるとすれば、その一つはまさしくこの風景だろう。

ここにどんな日常があったのだろう。

自分たちの国は世界史上にない額の借金を作り、世界史上にない2発の核兵器を落とされ、そして有史以来最大級、1000年に一度という大地震と大津波を受け、そして4基の原発が破裂し甚大な放射能を国土にばらまいた。

その上でそれを除去しようとして膨大な除染「事業」を行い、甚大な数の袋に詰めたはいいが、そこで手詰まり。ただ積み上がっていくフレコンバッグの最終的な保管場所も決まらず、倉庫番ゲームのようにこの無人の田畑の各所に積み上げては動かし、動かしては積み上げている。

墓場を走り続ける列車のようなこの車。

土や草木や川の間にこの膨大な数の袋が人の背丈の何倍もの高さに積み上がっていく様を見ながら自分は、「4.4μSV/hour」と表示される横で高速道路を疾走している。こんなところを走りながら息も止めない。呼吸ももう乱れない。

事もあろうにその土地に人々に帰れというのだ。なにごともなかったかのように。これは何なのだろうか。彼らはどこから来たのか。何の幻覚か。

実のところ、こうやって重ねてものを考えることはもう自分の心の習慣としてはない。ここを何度も通るうちに、この異様な風景に慣れてしまった。風はあくまで気持ちよく吹き渡り午後の日差しは平和に澄み渡る。

この土地の人はどこに行ったのか考えさえしなければ。

美しい空気のいったいどこが汚れているのだろう。何かの勘違いではないかとすら思う自分がいる。

不思議なことに東京に戻って、渋谷の雑踏を歩いている時にフラッシュバックのようにこの遠い風景が蘇りようやく正気を取り戻すのだ。そして唐突に思う。

「自分たちはなんということをしてしまったのだろう」

泣き出したくなる。

それが。刹那。完全に毒が消えるとされている10000年単位の時間を考えたところで気が遠くなり、やはり何かの勘違いか白昼夢を見ているのではないかとまた正気はまどろんでいくのだ。心は平静な日常に戻っていく。

きっと私たちは狂っているのだ。ずっと前から。

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