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September 30, 2016

拡散などという薄い言葉ではなく

優れた文章を読むといつも思うことがある。それはつまり、僕がそれを読んで何を感じたのかなんて、二の次だということだ。自分の感想がどうであるかなんてことよりも、1人でも多くの人に読んでもらえればそれでいい。自分の感想なんてそれに比べれば大した話ではないと。こういう時SNSがあって良かったと思う。拡散などという薄い言葉ではない何かがそこにあるような気がしている。



RT @miura_hideyuki
朝日新聞アフリカ特派員

①極めて個人的なことを少し書く。東北のブロック紙・河北新報の伝説のカメラマン・渡辺龍が今日死んだ。享年43歳。大腸ガンだった。震災発生時、宮城県南三陸町で押し寄せてくる大津波に向かってシャッターを切り続けた、伝説のカメラマンだった

②当時、彼は南三陸支局の記者だった。あるいは妻子がいなければ、彼は津波で死んでいた。震災当日、町の職員と共に町議会の議事堂にいた。職員の多くはその後、防災対策庁舎(今、骨組みで残っているあの建物だ)の屋上に避難し、高さ13メートルを超える津波にのみ込まれて亡くなった

③あの日、龍の妻は偶然仙台に出掛けていた。彼は代わりに息子を迎えに行こうと会議場を抜け出して幼稚園に向かい、助かった。それがなければ彼は間違いなく、あの骨組みの建物の屋上にいた、そういう記者だった

④もしあなたの人生で最大の出来事は何ですか、と聞かれれば、私は迷わず「東日本大震災です」と答える。海外の現場で幾度も遺体や惨状を見たが、あの日沿岸部で見た光景の衝撃を私は今も忘れることができない。私の足元で、子どもが自転車にのったまま、泥に埋まっていた

⑤私は破壊され、混濁し、結局何も書けなかった。だから翌月、志願して南三陸町に駐在記者として赴任した。混乱の中で役所取材のすべてを放棄し、1年間、被災者と呼ばれた普通の人々の暮らしを追い続けた。一人称で、深く、長く、「誠実さ」を掲げて。そしてそこにはいつも龍がいた

⑥鈍くさい記者だった。質問もせず、ただずっと側にいて、最後に数枚写真を撮った。ただただ被災者と一緒に泣いていた。だから愛された。彼には人を惹き付ける、弱くて静かな「優しさ」があった

⑦僕らは「ライバル」であり「家族」でもあった。がれきで覆われた町を駆け回り、秋以降はできたばかりの仮設住宅で鍋を囲んだ。震災報道とかジャーナリズムとか、そんなアホ臭い話はしなかった。「○○さんの奥さんの遺体、やっと見つかったみたいだ」。僕らの周囲には生と死しかなかった

⑧かなり傲慢なことを言えば、私と龍ほど被災地に溶けこんで日々を見つめた記者はほかにいなかったと思う。書籍『南三陸日記』を読んで欲しい。本が出たとき、龍は「いい本だ。これは俺たちの記録だ」と言ってくれた。嬉しくて涙が出たよ

⑨だから毎年3月はどこにいても南三陸に帰った。昨年3月には龍はもう末期で、仙台で入院中だった。最後だと思ったんだろう。だからわざわざ南三陸に会いに来てくれた。「まだ生きてるな」と私が言うと、「そっちこそ。三浦より先には死なないよ」と冗談を言って、無理に笑った

⑩今年3月は記者仲間みんなで温泉に行った。何枚も写真を撮った。私は言った。「また2人で震災報道やろう。つまらない、作ったような『作文』じゃなくて、ここで暮らす人が『いいな』と思ってくれるような、そんな記事を2人で書こう」。龍は言った。「三浦は戻ってくるな、外で頑張れ」


⑪実を明かすと、私は11年9月と12年3月に2度、彼に「朝日新聞で一緒に働かないか」と転職を持ちかけている。当時、私は災害報道に人生を捧げたいと考えていて、津波を目撃し、その後も人々と共に泣き暮らした記者やカメラマンが絶対に必要だと信じ込んでいた

⑫龍は数日留保した上で「やっぱり河北でがんばるよ」と笑いながら言った。「それが津波を撮った人間のつとめだ」。奥さんも笑ってた。「あまり主人を惑わせないでくださいね」。龍は12年3月に言った。「ありがとう。三浦さんの誘いを一生胸にここで頑張ってみるよ」

⑬河北新報のみなさん。どうか良い紙面を作ってください。私はあなたたちが作っている紙面が好きです。記事や紙面は武骨だけれど、人間の匂いがする、伝えていくべき喜怒哀楽がある。龍のためにも。あの不条理にのみ込まれ、未だ立ち上がれない、彼が愛した人たちのためにも(終)

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September 27, 2016

見よぼくら一銭五輪の旗-花森安治

見よぼくら一銭五厘の旗

花森安治

美しい夜であった
もう 二度と 誰も あんな夜に会う
ことは ないのではないか
空は よくみがいたガラスのように
透きとおっていた
空気は なにかが焼けているような
香ばしいにおいがしていた
どの家も どの建物も
つけられるだけの電灯をつけていた
それが 焼け跡をとおして
一面にちりばめられていた
昭和20年8月15日
あの夜
もう空襲はなかった
もう戦争は すんだ
まるで うそみたいだった
なんだか ばかみたいだった
へらへらとわらうと 涙がでてきた
 
どの夜も 着のみ着のままで眠った
枕許には 靴と 雑のうと 防空頭巾を
並べておいた
靴は 底がへって 雨がふると水がしみ
こんだが ほかに靴はなかった
雑のうの中には すこしのいり豆と
三角巾とヨードチンキが入っていた
夜が明けると 靴をはいて 雑のうを
肩からかけて 出かけた
そのうち 電車も汽車も 動かなくなっ

何時間も歩いて 職場へいった
そして また何時間も歩いて
家に帰ってきた
家に近づくと くじびきのくじをひらく
ときのように すこし心がさわいだ
召集令状が 来ている
でなければ
その夜 家が空襲で焼ける
どちらでもなく また夜が明けると
また何時間も歩いて 職場へいった
死ぬような気はしなかった
しかし いつまで生きるのか
見当はつかなかった
確実に夜が明け 確実に日が沈んだ
じぶんの生涯のなかで いつか
戦争が終るかもしれない などとは
夢にも考えなかった
 
その戦争が すんだ
戦争がない ということは
それは ほんのちょっとしたことだった
たとえば 夜になると 電灯のスイッチ
をひねる ということだった
たとえば ねるときには ねまきに着か
えて眠るということだった
生きるということは 生きて暮すという
ことは そんなことだったのだ
戦争には敗けた しかし
戦争のないことは すばらしかった
 
軍隊というところは ものごとを
おそろしく はっきりさせるところだ
星一つの二等兵のころ 教育掛りの軍曹
が 突如として どなった
貴様らの代りは 一銭五厘で来る
軍馬は そうはいかんぞ
聞いたとたん あっ気にとられた
しばらくして むらむらと腹が立った
そのころ 葉書は一銭五厘だった
兵隊は 一銭五厘の葉書で いくらでも
召集できる という意味だった
(じっさいには一銭五厘もかからなか
ったが……)
しかし いくら腹が立っても どうする
こともできなかった
そうか ぼくらは一銭五厘か
そうだったのか
〈草莽そうもうの臣〉
〈陛下の赤子せきし〉
〈醜しこの御楯みたて〉
つまりは
〈一銭五厘〉
ということだったのか
そういえば どなっている軍曹も 一銭
五厘なのだ 一銭五厘が 一銭五厘を
どなったり なぐったりしている
もちろん この一銭五厘は この軍曹の
発明ではない
軍隊というところは 北海道の部隊も
鹿児島の部隊も おなじ冗談を おなじ
アクセントで 言い合っているところだ
星二つの一等兵になって前線へ送りださ
れたら 着いたその日に 聞かされたの
が きさまら一銭五厘 だった
陸軍病院へ入ったら こんどは各国おく
になまりの一銭五厘を聞かされた
 
考えてみれば すこしまえまで
貴様ら虫けらめ だった
寄らしむべし知らしむべからず だった
しぼれば しぼるほど出る だった
明治ご一新になって それがそう簡単に
変わるわけはなかった
大正になったからといって それがそう
簡単に変わるわけはなかった
富山の一銭五厘の女房どもが むしろ旗
を立てて 米騒動に火をつけ 神戸の川
崎造船所の一銭五厘が同盟罷業をやって
馬に乗った一銭五厘のサーベルに蹴散ら
された
昭和になった
だからといって それがそう簡単に変わ
るわけはないだろう
満洲事変 支那事変 大東亜戦争
貴様らの代りは 一銭五厘で来るぞ と
どなられながら 一銭五厘は戦場をくた
くたになって歩いた へとへとになって
眠った
一銭五厘は 死んだ
一銭五厘は けがをした 片わになった
一銭五厘を べつの名で言ってみようか
〈庶民〉
ぼくらだ 君らだ
 
あの八月十五日から
数週間 数カ月 数年
ぼくらは いつも腹をへらしながら
栄養失調で 道傍でもどこでも すぐに
しゃがみこみ 坐りこみながら
買い出し列車にぶらさがりながら
頭のほうは まるで熱に浮かされたよう
に 上ずって 昂奮していた
 
戦争は もうすんだのだ
もう ぼくらの生きているあいだには
戦争はないだろう
ぼくらは もう二度と召集されることは
ないだろう
敗けた日本は どうなるのだろう
どうなるのかしらないが
敗けて よかった
あのまま 敗けないで 戦争がつづいて
いたら
ぼくらは 死ぬまで
戦死するか
空襲で焼け死ぬか
飢えて死ぬか
とにかく死ぬまで 貴様らの代りは
一銭五厘でくる とどなられて おどお
どと暮していなければならなかった
敗けてよかった
それとも あれは幻覚だったのか
ぼくらにとって
日本にとって
あれは 幻覚の時代だったのか
あの数週間 あの数カ月 あの数年
おまわりさんは にこにこして ぼくら
を もしもし ちょっと といった
あなたはね といった
ぼくらは 主人で おまわりさんは
家来だった
役所へゆくと みんな にこにこ笑って
かしこまりました なんとかしましょう
といった
申し訳ありません だめでしたといった
ぼくらが主人で 役所は ぼくらの家来
だった
焼け跡のガラクタの上に ふわりふわり
と 七色の雲が たなびいていた
これからは 文化国家になります と
総理大臣も にこにこ笑っていた
文化国家としては まず国立劇場の立派
なのを建てることです と大臣も にこ
にこ笑っていた
電車は 窓ガラスの代りに ベニヤ板を
打ちつけて 走っていた
ぼくらは ベニヤ板がないから 窓には
いろんな紙を何枚も貼り合せた
ぼくらは主人で 大臣は ぼくらの家来
だった
そういえば なるほどあれは幻覚だった
主人が まだ壕舎に住んでいたのに
家来たちは 大きな顔をして キャバレ
ーで遊んでいた
 
いま 日本中いたるところの 倉庫や
物置きや ロッカーや 土蔵や
押入れや トランクや 金庫や 行李の
隅っこのほうに
ねじまがって すりへり 凹み 欠け
おしつぶされ ひびが入り 錆びついた
〈主権在民〉とか〈民主々義〉といった
言葉のかけらが
割れたフラフープや 手のとれただっこ
ちゃんなどといっしょに つっこまれた
きりになっているはずだ
(過ぎ去りし かの幻覚の日の おもい
出よ)
いつのまにか 気がついてみると
おまわりさんは 笑顔を見せなくなって
いる
おいおい とぼくらを呼び
おいこら 貴様 とどなっている
役所へゆくと みんな むつかしい顔を
して いったい何の用かね といい
そんなことを ここへ言いにきてもダメ
じゃないか と そっぽをむく
そういえば 内閣総理大臣閣下の
にこやかな笑顔を 最後に見たのは
あれは いつだったろう
もう〈文化国家〉などと たわけたこと
はいわなくなった
(たぶん 国立劇場ができたからかもし
れない)
そのかわり 高度成長とか 大国とか
GNPとか そんな言葉を やたらに
まきちらしている
物価が上って 困ります といえば
その代り 賃金も上っているではないか
といい
(まったくだ)
住宅で苦しんでいます といえば
愛し合っていたら 四帖半も天国だ と
いい
(まったくだ)
自衛隊は どんどん大きくなっているみ
たいで 気になりますといえば
みずから国をまもる気慨を持て という
(まったく かな)
どうして こんなことになったのだろう
政治がわるいのか
社会がわるいのか
マスコミがわるいのか
文部省がわるいのか
駅の改札掛がわるいのか
テレビのCMがわるいのか
となりのおっさんがわるいのか
もしも それだったら どんなに気が
らくだろう
政治や社会やマスコミや文部省や
駅の改札掛やテレビのCMや
となりのおっさんたちに
トンガリ帽子をかぶせ トラックにのせ
て 町中ひっぱりまわせば
それで気がすむというものだ
それが じっさいは どうやら そうで
ないから 困るのだ
 
書く手もにぶるが わるいのは あの
チョンマゲの野郎だ
あの野郎が ぼくの心に住んでいるのだ
(水虫みたいな奴だ)
おまわりさんが おいこら といったと
き おいこら とは誰に向っていってい
るのだ といえばよかったのだ
それを 心の中のチョンマゲ野郎が
しきりに袖をひいて 目くばせする
(そんなことをいうと 損するぜ)
役人が そんなこといったってダメだと
いったとき お前の月給は 誰が払って
いるのだ といえばよかったのだ
それを 心の中のチョンマゲ野郎が
目くばせして とめたのだ
あれは 戦車じゃない 特車じゃ と
葉巻をくわえた総理大臣がいったとき
ほんとは あのとき
家来の分際で 主人をバカにするな と
いえばよかったのだ
ほんとは 言いたかった
それを チョンマゲ野郎が よせよせと
とめたのだ
そして いまごろになって
あれは 幻覚だったのか
どうして こんなことになったのか
などと 白ばくれているのだ
ザマはない
おやじも おふくろも
じいさんも ばあさんも
ひいじいさんも ひいばあさんも
そのまたじいさんも ばあさんも
先祖代々 きさまら 土ン百姓といわれ
きさまら 町人の分際で といわれ
きさまら おなごは黙っておれといわれ
きさまら 虫けら同然だ といわれ
きさまらの代りは 一銭五厘で来る と
いわれて はいつくばって暮してきた
それが 戦争で ひどい目に合ったから
といって 戦争にまけたからといって
そう変わるわけはなかったのだ
交番へ道をききに入るとき どういうわ
けか おどおどしてしまう
税務署へいくとき 税金を払うのはこっ
ちだから もっと愛想よくしたらどうだ
といいたいのに どういうわけか おど
おどして ハイ そうですか そうでし
たね などと おどおどお世辞わらいを
してしまう
タクシーにのると どういうわけか
運転手の機嫌をとり
ラーメン屋に入ると どういうわけか
おねえちゃんに お世辞をいう
みんな 先祖代々
心に住みついたチョンマゲ野郎の仕業な
のだ
言いわけをしているのではない
どうやら また ひょっとしたら
新しい幻覚の時代が はじまっている
公害さわぎだ
こんどこそは このチョンマゲ野郎を
のさばらせるわけにはいかないのだ
こんどこそ ぼくら どうしても
言いたいことを はっきり言うのだ
 
工場の廃液なら 水俣病からでも もう
ずいぶんの年月になる
ヘドロだって いまに始まったことでは
ない
自動車の排気ガスなど むしろ耳にタコ
ができるくらい 聞かされた
それが まるで 足下に火がついたみた
いに 突如として さわぎ出した
ぼくらとしては アレヨアレヨだ
まさか 光化学スモッグで 女学生バッ
タバッタ にびっくり仰天したわけでも
あるまいが それなら一体 これは ど
ういうわけだ
けっきょくは 幻覚の時代だったが
あの八月十五日からの 数週間 数カ月
数年は ぼくら心底からうれしかった
(それがチョンマゲ根性のために
もとのモクアミになってしまったが)
それにくらべて こんどの公害さわぎは
なんだか様子がちがう
どうも スッキリしない
政府が本気なら どうして 自動車の
生産を中止しないのだ
どうして いま動いている自動車の 使
用制限をしないのだ
どうして 要りもしない若者に あの手
この手で クルマを売りつけるのを
だまってみているのだ
チクロを作るのをやめさせるのなら
自動車を作るのも やめさせるべきだ
いったい 人間を運ぶのに 自動車ぐら
い 効率のわるい道具はない
どうして 自動車に代わる もっと合理
的な道具を 開発しないのだ
(政府とかけて 何と解く
そば屋の釜と解く
心は言う(湯)ばかり)
 
一証券会社が 倒産しそうになったとき
政府は 全力を上げて これを救済した
ひとりの家族が マンション会社にだま
されたとき 政府は眉一つ動かさない
もちろん リクツは どうにでもつくし
考え方だって いく通りもある
しかし 証券会社は救わねばならぬが
一個人がどうなろうとかまわない
という式の考え方では 公害問題を処理
できるはずはない
公害をつきつめてゆくと
証券会社どころではない 倒してならな
い大企業ばかりだからだ
その大企業をどうするのだ
ぼくらは 権利ばかり主張して
なすべき義務を果さない
戦後のわるい風習だ とおっしゃる
(まったくだ)
しかし 戦前も はるか明治のはじめか
ら 戦後のいまも
必要以上に 横車を押してでも 権利を
主張しつづけ その反面 なすべき義務
を怠りっぱなしで来たのは
大企業と 歴代の政府ではないのか
 
さて ぼくらは もう一度
倉庫や 物置きや 机の引出しの隅から
おしまげられたり ねじれたりして
錆びついている〈民主々義〉を 探しだ
してきて 錆びをおとし 部品を集め
しっかり 組みたてる
民主々義の〈民〉は 庶民の民だ
ぼくらの暮しを なによりも第一にする
ということだ
ぼくらの暮しと 企業の利益とが ぶつ
かったら 企業を倒す ということだ
ぼくらの暮しと 政府の考え方が ぶつ
かったら 政府を倒す ということだ
それが ほんとうの〈民主々義〉だ
政府が 本当であろうとなかろうと
今度また ぼくらが うじゃじゃけて
見ているだけだったら
七十年代も また〈幻覚の時代〉になっ
てしまう
そうなったら 今度はもう おしまいだ
 
今度は どんなことがあっても
ぼくらは言う
困まることを はっきり言う
人間が 集まって暮すための ぎりぎり
の限界というものがある
ぼくらは 最近それを越えてしまった
それは テレビができた頃からか
新幹線が できた頃からか
電車をやめて 歩道橋をつけた頃からか
とにかく 限界をこえてしまった
ひとまず その限界まで戻ろう
戻らなければ 人間全体が おしまいだ
企業よ そんなにゼニをもうけて
どうしようというのだ
なんのために 生きているのだ
 
今度こそ ぼくらは言う
困まることを 困まるとはっきり言う
葉書だ 七円だ
ぼくらの代りは 一銭五厘のハガキで
来るのだそうだ
よろしい 一銭五厘が今は七円だ
七円のハガキに 困まることをはっきり
書いて出す 何通でも じぶんの言葉で
はっきり書く
お仕着せの言葉を 口うつしにくり返し
て ゾロゾロ歩くのは もうけっこう
ぼくらは 下手でも まずい字でも
じぶんの言葉で 困まります やめて下
さい とはっきり書く
七円のハガキに 何通でも書く
 
ぽくらは ぼくらの旗を立てる
ぼくらの旗は 借りてきた旗ではない
ぼくらの旗のいろは
赤ではない 黒ではない もちろん
白ではない 黄でも緑でも青でもない
ぼくらの旗は こじき旗だ
ぼろ布端布はぎれをつなぎ合せた 暮しの旗だ
ぼくらは 家ごとに その旗を 物干し
台や屋根に立てる
見よ
世界ではじめての ぼくら庶民の旗だ
ぼくら こんどは後あとへひかない
 
(8号・第2世紀 昭和45年10月)

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September 22, 2016

東京都写真美術館-杉本博司展 「嘘をついている者が」




世界が終わる33のかたち。様々な職業の33人の証言者が世界が終わった理由を綴り、その個々の世界を表現している。

なぜかこの中に嘘をついている者がいると感じた。その人数によって何かが少し変わるかなと考えたところで、ここに繰り広げられているのは33通りの未来であり、パラレルワールドでなければ、嘘つきは32人ということになるとたどり着く。

世界がその時まだ続いているなら全員が嘘をついている。あまり意味がない妄想だとは思う。

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September 11, 2016

想像力と希望





知というのは知識量でも、ましてや学歴でも階層でもなく、想像力のことではないかと最近強く思う。想像力があれば自分の見えない世界で起きている非道を想像できる。自分と違う立場の人々の苦境を想像できる。自分に何が足りなくて、何が満ちていて、何に対して傲慢なのか、何が人を傷つけるのか、何に対してどう貢献できるのか想像できる。
知識や技術が足りなければ、それをどうやって身につけるか想像できる。そのあとの世界も。

世界報道写真展の会場ではいつもどこかで誰かがすすり泣いている。悲しみだけれど、想像力と希望の音でもある。

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September 08, 2016

黒いハイネックとヒゲのキャラクター -Appleが輝いていた頃

息を飲んでその時を待つ。02:00という時間も気にならない。どんな手段でその時を共有すればいいだろう。刻々更新されていくサイトの写真にも興奮を覚える。何が発表されるか予想もつかない。この人の一挙手一投足に世界の目が集まる。今夜のその時間までと、今夜のその時間からは世界が変わるのだ。プレゼンの段取りが狂うような、機材のトラブルすら心躍る。どんな鮮やかな切り抜け方をするだろうか。

黒いハイネックのセーターは同じものを何十着も持っていたそうだ。人としてどうかと言われればおそらくクズだ。親としてどうかと考えれば、これもおそらくクズだ。だが才能としてどうかと言われれば間違いなく天才だ。天才という言葉すら卑小すぎた。

その人ですら挫折を味わい、駆逐され破産の危機に見舞われ、もう二度と帰って来れないかという表舞台に、これ以上ない舞台仕立てで帰ってきた。片手をあげれば世界がどよめく。そんな経営者は2度と出ないかもしれない。

Appleが最も輝いていた時代の話だ。

今。彼はそこにいない。その代わりに、日本企業から生まれたヒゲのキャラクターがAppleの製品の中で踊ることが高らかに宣言されている。来場者は拍手を送る。だがその拍手がかつてはレインボーだったとすれば、今は数色の色程度の話だ。誰だってわかっている。

彼が残したスマホは少しだけスリムに、少しだけ速く、少しだけ洗練されて、少しだけ電池が持つようになり、少しだけメジャーなコンテンツが乗るようになった。

失われたのはあの熱気。何回となく繰り返されたあの熱気だ。ここから先、その熱気を知らない子供たちが、Appleの製品を買うかもしれない。だがそのAppleは自分の知っているのとは別の会社だ。

忘れるべきものは忘れるべきであり、忘れるべきでないものは忘れるべきではない。繰り返しが繰り返しとして続いていくことは知っている。知ってはいる上で今朝の僕の感想の一部である。



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September 03, 2016

シン・ゴジラと平成ガメラ

今晩は。ご無沙汰ばかりでごめんなさい。

シン・ゴジラは僕にはあまりアピールしませんでした。何ていうのかな。日本政府の対応がどうとか、法的な面がどうとか、僕には退屈で、もっと怪獣ものの基本に徹して欲しかったです。特撮にももっとお金をかけてもらいたかった。どう考えてもハリウッドに比べて見劣りして、その分、色々な著名俳優を揃えて誤魔化している気がしました。

例えば最近新作のゴーストバスターズを見たんだけど、あれほどバカバカしいストーリーを圧倒的な特撮技術でリアリティ持たせるのがハリウッドの手法なんですね。ターミネーターにしろ、スターウオーズにしろ、いま新作を準備しているブレードランナーにしろ。

日本映画はハリウッドに対抗するなら、どろっとした人の葛藤。アメリカ人では描くのがなかなか困難な(ハリウッドではという意味です)心の機微を描いて欲しく、そこがラフだと特撮の未熟さばかり目につきます。

その観点では好きなのはやはり平成ガメラシリーズで、中山忍とかが出ていました。戦いの宿命性とか、憎しみを超えることだとか、見事に描かれていて、そちらに軍配を上げざるを得ません。

世代的にエバG世代ではないので、その分もシン・ゴジラが理解できないのかもしれないですけどね。

以上、怪獣ものにはちょっとうるさいBigBangでした。

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絶望が生む希望-世界報道写真展が始まった

2年間も改修のためにクローズしていた東京都写真美術館で今日から世界報道写真展。行きたいけど今日は混むだろうなあ。

毎回、何というか自分の心とか暮らしとか生きていくことだとか仕事とか、色々なことを考えていく時の大事なペースメーカーだ。

圧倒的な現実に、これほどまでに自分は世界を知らないのだと思わされ、また息を凝らして写真の前に佇む沢山の若い人達の姿に励まされる。

絶望が生む希望。


世界報道写真展始まる 第一線の写真家の150点紹介

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September 01, 2016

「100年の孤独」を読み返すことと「量子のもつれ」

祖母が逝って8年になるのか。

「100年の孤独」

自分が書いたものだけれど、時々読み返す。読み返した時に思うことはその時々で変わる。力をもらうこともあれば、打ちひしがれることも、忌々しく思うことも。

確かなのは、今はこれを読み返す時だということだ。

人の精神の歴史は、おそらくその個体の歴史ではない。引き継がれるもの、引き継がれてはならないもの、どうしようもないものもある。答を探す時に自分の体の中、頭の中だけを見ていても見つからない場合がある。

ところで実は人間の精神や心は宇宙を構成する元素と量子レベルで繋がっていて、遠く離れた人や死者の魂とも交感できる---交感と言っていいのかな。とにかく繋がっていて感応する。我々の体も心もそうした元素の起こす反応でしかないからだ。

最新の科学ではそうした次元を超えた感応を「量子のもつれ」と表現するのだと最近知った。

カルトではなくて、そうした考え方に立たないと説明のできないことはたくさんある。そういうことだそうだ。死者を思っても、自分の次の世代を見つめても、そうかもしれないとぼんやりと思っている。


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