March 11, 2005

「非人道的」とはどういうことなのか。批判の限界(4)---東京大空襲60年

kusyu
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「非人道的」とはどういうことなのか。批判の限界(3)

3月10日は東京大空襲から60年である。

小さい頃から、東京大空襲の記憶は祖母に聞いて育った。その頃、我が家は浅草にあったのであるが、祖母と幼かった父とは、祖母の郷里である三重県に疎開していて、浅草には祖父が残っていた。
寡黙にして、あまり口数の多くない祖父であったが、この空襲に浅草で遭遇した。祖母は、東京に戻り、あまりの惨状に祖父の死を確信したそうだが、奇跡的に祖父は空襲の中生き延びた。

どのような「地獄」があったのか直接聞く機会はなかったが、先日放映されたNHKスペシャル「東京大空襲60年目の被災地図」では、この人類史上に残る大虐殺の一端が紹介され、様々な事実が紹介されていた。

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3月10日未明のB-29爆撃機344機による爆撃は、40km2の円周上にナパーム製高性能焼夷弾を投下して東京の住民が逃げられないようにした後、東京市の隅田川沿岸地区を中心にその円の内側を塗りつぶすように約100万発(2,000トン)もの油脂焼夷弾、黄燐焼夷弾やエレクトロン焼夷弾が投下された。当夜は低気圧の通過に伴って強風がふいており、この風が以下の条件と重なり、大きな被害をもたらした。(Wikipedea 東京大空襲より
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番組では、この恐るべき大量殺戮について以下の説明がなされていた。

●当初、B29編隊の目標は隅田川沿岸の約30Km2だったものが、米の思惑を超えて火が強烈に燃え上がり、結果的に40Km2にまで類焼したこと。

●上空はすさまじいばかりの、火炎による上昇気流が発生し、攻撃する側のB29も飛行を保つのがやっとのパニック状態の中で焼夷弾を落とし続けたこと。そしてそのことが、当初の「延焼予定地域」外にも大量の焼夷弾をばらまく結果となったこと。

●そして、この対日戦略爆撃を指揮したカーチス・ルメイ少将が、日本の木造家屋を想定した焼夷弾による焼却訓練を、事前に十分行い、これを実行したこと。米軍は家屋が燃えやすいように焼夷弾を“改良”し、市民の命より戦争終結促進を優先させたという。

さらにWikipedeaによれば、この被害を、低気圧による強風が甚大に広げたとして以下も紹介されている。

・警戒用レーダーのアンテナを揺らしたため、確実に編隊を捕捉できず空襲警報の発令を極端に遅らせた

・「低空進入」と呼ばれる飛行法を初めて大規模実戦導入したことで、爆撃機編隊を通常よりも低空で侵入させ、そのまま投弾させたため、着弾範囲が以前より精密だった(逆に火災による強風で操縦が困難になり、焼夷弾を当初の予定地域ではない場所で投下した記録もある。そのため、火災範囲がさらに広がった箇所も)。

・火勢を猛烈に煽り、延焼を助長した

・近郊の飛行場に配備されていた戦闘機の発進を妨げたため、ただでさえ絶望的に少ない迎撃のチャンスを奪った(通常は戦闘機が到達できない高度から爆撃を行っていたが、この日は違った)

投下された100万発(2000トン)もの焼夷弾は(NHKスペシャルでは32万発と紹介された)およそ2時間半の間、東京の隅田川沿岸を焼き尽くし10万人もの犠牲者を出した。
仮に32万発としても、この途方も無い数は、毎分2100発もの焼夷弾が2時間半にわたって降り注いだことになる。まさに狂気のなせる業である。その上逃げ惑う市民には超低空のB29から機銃掃射が浴びせられたのである。

番組では猛火の中で娘を、あるいは妹を失った、すでに高齢になった被災者が、今なお、親族の死について自分を責め、あの日から60年経っても苦しみ続けている姿が紹介された。ここまでの地獄を経験した人の悲しみを癒すには60年は短すぎるのである。

無辜の非戦闘員の上に地獄の業火を落とし、大量の人々を生きながら焼き尽くした米軍を恨むことなく、「(戦争だから)しょうがなかったんですが・・」と言いつつ、最愛の者をを守れなかったことについて、自分に対してだけは、自分に対してだけは、その「無力の罪」を免責しない「普通の」証言者のあまりに素朴な姿に涙が出た。

とかく広島や長崎の影に隠れがちな東京大空襲であるが、ここで指揮をとったカーチス・E・ルメイは、明らかに非戦闘員を大量虐殺した狙ったとする批判に対して、戦後の回想記のなかで次の様に述べている。

「私は日本の民間人を殺したのではない。日本の軍需工場を破壊していたのだ。日本の都市の民家は全て軍需工場だった。ある家がボルトを作り、隣の家がナットを作り、向かいの家がワッシャを作っていた。木と紙でできた民家の一軒一軒が、全て我々を攻撃する武器の工場になっていたのだ。これをやっつけて何が悪いのか…。」(東京を爆撃せよー作戦任務報告書は語るー 三省堂選書<奥住喜重・早乙女勝元>より)

全てが軍需工場だったというのである。民家ではなく。

このような許しがたい、でたらめな言い訳に終始するルメイに対して、こともあろうに日本は佐藤内閣の時代、昭和39年に「日本の航空自衛隊の育成に協力した」との理由から、勲一等旭日大綬章まで贈っている。
(何ということだろう。)

東京大空襲が、災禍の歴史として語り継がれることはあっても、加害者としての米国への追求が全くなされなかったどころか、このあまりにも、あまりにも愚かな勲章授与は一体どうしたことだったのだろう。

当時、米国の極東戦略に巧みに組み込まれながら、再武装への道を歩んでいたこの国には、もはや「魂を売る」と評されてもしかたがない決断しかなかったのか。
あの隅田川に、業火から逃れるために飛び込み、あるいは生きながら焼かれていった数十万の人々を思うとき、東京大空襲は、決して忘れてはならないこの国の記憶である。

既に「非人道的」とはどういうことなのか。批判の限界(1)ー(3)」で書いたように、私達には、加害の罪悪感はあっても、首都の上空に、あるいはナガサキにヒロシマに、人類未曾有の大量殺害兵器を招き入れてしまった国であることが忘れられている。
この記憶を、美しく人類共通の平和観に昇華させるのはまだ早い。その記憶を、ゆがめて、あるいは消去して世界に対峙すれば、この災禍は必ずもう一度繰り返される。

それが、仮に我々の国家、我々の民族の上に起きることではなくても、もしも我々が沈黙を続けるのなら、我々の責務は加害の国家にも増して大きいと言わざるを得ない。アフガニスタンを、イラクを思うとき、東京大空襲は過去の物語ではないのである。我々の上空に再び、B29が飛来していないだけである。そして、業火に焼かれるているのが我々の国民ではないというだけである。

自らの被害の苦しみを封印しては、同じく苦しむ者たちの悲痛は、耳に入らない。

今、もう一度言う。

ヒロシマは、ナガサキは、トウキョウは終わっていない。

2005 03 11 [「非人道的」とはどういうことなのか] | 固定リンク | コメント (24) | トラックバック

January 21, 2005

「非人道的」とはどういうことなのか。批判の限界(3)

「非人道的」とはどういうことなのか。批判の限界(1)
「非人道的」とはどういうことなのか。批判の限界(2)

非人道的な行為を糾すには、加害の視点だけではなく、被害の視点が必要である。
大量の非戦闘員を、一瞬にして溶かされ焼かれたこの国は、実は被害の視点も持っている。アジアではその加害の立場ばかりが取りざたされるのだけれど、日本もまた頭上にかつて恐怖の殺戮兵器を迎え入れてしまった国なのである。

目的至上主義の米国保守主義者は、テロの脅威とか、自由を守るとか、世界を解放するとかそうした大義の前には、ほとんどあらゆる行為と手段を認める。
その行為そのものが残虐なのか、理不尽なのか、ではなく、動機さえ正しければ無辜の非戦闘員の「多少の」犠牲などは、止むを得ないことなのである。この多少の上限は彼らによれば極めて大きい。

この手法は、ヒロシマやナガサキにかつて使われた論理と全く同じである。

龍3さんの原爆投下目標・京都!で紹介されているところでは、「京都に原爆を投下せよ」(吉田守男著・角川書店)の記載として京都が原爆投下の最有力候補であったことを紹介している。

記載中、原爆目標選定委員会によって、京都が最も理想的な投下目標とされた理由の中でも

>④日本人にとって宗教的意義を持った重要都市であり、この破壊が日本人に最大の心理的ショックを与えることができ、その抗戦意欲を挫折させるのに役立つ。

などはまさしく身の毛もよだつような理由であるが、かくほどさように、彼らの「目的至上主義」の前には、プロセスにおける非人道は、もっと大きな大義の前に無視されるのである。

そのまったく同じフォーマットで、9.11後、アフガンはたたかれたのであり、イラクは壊滅的な打撃と10万人のイラク人の犠牲を出した。
大量破壊兵器の定義が、瞬時にして数十万人を殺す兵器のことであるとすれば、ついにそれを持たなかった国家の民衆に対して、アメリカとその同盟軍は、瞬時ではない・・数ヶ月かかって同じ災禍を与えたということの違いだけである。いったい、これをどう考えればよいのか。

それさえも彼らによれば「非人道的」ではないのだろう。なぜなら正義のための行為なのだから。

祖国よ。祖国に過ちがあったとすれば百万編も謝罪し、反省し、頭を垂れるのもよいだろう。
しかし、同じほどの激烈さを持って、同じほどの執念を持って、私達は私達のヒロシマに起きたことを、ナガサキに起きたことを、トウキョウに起きたことを、人類普遍の情愛に昇華させる前に、すべきことがあったのではないか。はっきりするべきことが。
外交とは正義ではない。力と力の戦いは軍事以前から始まっているし、軍事が終了した後にもなお続く。

もしもあの時、毅然とした「攻撃的平和主義」をこの国が取り得たとすれば、あるいはファルージャの、アルグレイブの、悲劇は避けられたかもしれないのである。

そうした意味でヒロシマは、ナガサキは、トウキョウは、終わっていない。

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恐怖とは、飛行機が超高層ビルに衝突する姿に気をもむことだけではない。テロリズムとは、国家保安隊がアメリカ軍のハムヴィー(訳注:多目的装甲車)かイラク高官を通すという理由で、渋滞の最中に、ほんの数メートル先でカラシニコフ銃の炸裂音を聞かされること。恐怖とは、自分の家が家宅捜索され、ほんのつまらないことでアブグレイブに連れて行かれて兵士に拷問され、殴打され、殺されるかもしれないと知ること。恐怖とは、マシンガンの連続音が止んだ最初の瞬間、必死に頭を上げて、愛する人がまだばらばらにされていないかどうか確かめるとき。恐怖とは、近くが爆破されたために粉々になったガラスの破片を居間のソファーから拾い集めようとして、もしここに人が座っていたらどうなっていただろうかと想像しないように努めること。

大量破壊兵器は一切存在しなかった――国が見分けもつかないほど焼かれ爆撃されたあげくに、まるで愛する人が犯してもいない罪状によって死刑を宣告されたようなものだ。そうして、2年間にわたって死者を悲しみ、失われた国の主権を悼んだ後になって、そんな兵器隠匿の罪を犯していないと聞かされるなんて。私たちはかつて一度もアメリカの脅威だったことはない。

おめでとう、ブッシュ。今こそ私たちは脅威よ。
(バグダードバーニング by リバーベンド
2005年1月15日(土) 幻の大量破壊兵器より)


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「非人道的」とはどういうことなのか。批判の限界(4)---東京大空襲60年」

2005 01 21 [「非人道的」とはどういうことなのか] | 固定リンク | コメント (2) | トラックバック

January 18, 2005

「非人道的」とはどういうことなのか。批判の限界(2)

「非人道的」とはどういうことなのか。批判の限界(1)

ヒロシマの「広島平和都市記念碑」に刻まれた「安らかに眠って下さい/過ちは繰り返しませんから」という言葉。

この「過ち」を犯したのは一体誰で、誰に対して過ちを犯したのだろうか。そして、その「過ち」とはなんだったのだろうか。「過ち」とは原爆の投下か。それとも戦争そのものか。あるいは他の何かか。

これについては実は原爆慰霊碑碑文論争(「はまゆう通信」さんへのリンク)というものがある。

それによれば、1952年11月3日に、インドの国際法学者、ラダ・ビノード・パル判事が碑文に疑問表明。

「『過ちは繰返しませぬから』とあるのは日本人を指しているのは明らかだ。それがどんな過ちであるのか私は疑う。ここにまつってあるのは原爆犠牲者の霊であり、原爆を落としたのは日本人でないことは明瞭。落としたものの手はまだ清められていない。この過ちとは、もしも前の戦争を指しているのなら、それも日本の責任ではない。その戦争の種は西洋諸国が東洋侵略のために起こしたものであることも明瞭である。・・・」

これに対して1952年11月10日、 雑賀忠義広大教授がパル判事に抗議文を送り、

「広島市民であると共に世界市民であるわれわれが、過ちを繰返さないと誓う。これは全人類の過去、現在、未来に通ずる広島市民の感情であり良心の叫びである。『原爆投下は広島市民の過ちではない』とは世界市民に通じない言葉だ。そんなせせこましい立場に立つ時は過ちを繰返さぬことは不可能になり、霊前でものをいう資格はない。」
などと反論している。

さらに1983年9月には広島市が慰霊碑に取り付ける日英両文の説明板内容を公開。

「碑文は全ての人びとが原爆犠牲者のめい福を祈り、戦争という過ちを再び繰り返さないことを誓う言葉である。過去の悲しみに耐え、憎しみを乗り越えて、全人類の共存と繁栄を願い、真の世界平和の実現を祈念するヒロシマの心がここに刻まれている」と説明。

1983年11月3日には、広島市が慰霊碑のそばに日英両文の説明板設置。市民の要望で正式名の「広島平和都市記念碑」に「原爆死没者慰霊碑」を付記し、碑文論争に一つの区切りとなった。

この一連の流れを見るにつけても、これほどの犠牲者を出した大禍の後で、日本人は驚くべき率直さと従順さを持って米国の無差別大量殺人の加害の罪を許し、その一方で自らの加害の罪をも曖昧にやり過ごしてきた。

だが待って欲しい。
傍らにある米国は、中国は、韓国はどうであったか。一度たりとも共に同じ願いを共有したことがあったか。そして当の日本自身ですら本気でそれをかなえようとしたか。

およそ、全ての戦争を「非人道的」とするならば、その中にあたかも「良い戦争」と
「悪い戦争」あるいは「正義の戦争」と「邪悪な戦争」などという区別があるがごとき主張自体、認められないことになる。
もしくは私達は、段階的にあのとき、正義の戦争は彼らのものであり、我らは邪悪な戦いを挑んだと規定したのであろうか。

第二次世界大戦の全体が非人道的であったのか、それともナチスや日本の枢軸国の所業が人道に反していたのか、あるいは核兵器の使用か。それらを明確にせず、ヒロシマで日本人はどういうわけか全てをオブラートに包んでしまい、事を未解決なまま後世に放り出した。

私達はどこまでを過ちと規定したのか。何を捨て、何を守ろうとしたのか。それがわからない。

広島平和都市記念碑の「過ちは繰り返さない」は、実は誰の責任も問わない、何の過ちをも明確化しない、逃げたメッセージではなかったか。

その非戦の理想を世界に広めようという真摯な姿勢が本当にあったならば、私達はまた、米国のこの「非人道的」大罪もまた曖昧に許すべきではなかったのではないか。

もちろんこれはパラドックスである。なぜなら、あの憲法9条ですら、占領国としての米国の監査のもとに綴られた条文なのであり、二度と大日本帝国を凶暴な亜細亜の「狂犬」にしないがために作られたものであり、決して「人道への罪の廃絶」などという理想をこめたものでもなければ、軍事力のない、ジョンレノン的桃源郷を目指したものでもなかったからだ。

「過ちは繰り返しませんから」と言った時点で既に過ちは始まっていたのではなかったろうか。
今日の世界へ綿々と続く過ちが。

私達は非人道の非道を裁けない。なぜなら自らの上に降りかかった非人道も、そして自らの非人道的行為も、いずれも曖昧にしてきたからである。

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2005 01 18 [「非人道的」とはどういうことなのか] | 固定リンク | コメント (4) | トラックバック

January 11, 2005

「非人道的」とはどういうことなのか。批判の限界(1)

様々な局面で「人道的」あるいは「非人道的」という言葉が多用されている。
「人道的食糧援助」「人道的に問題がある」「劣化ウラン弾は非人道的である」云々
云々。
北朝鮮であれば、即時の経済制裁を強く主張する主張に対して、この国民の命脈を断ち切りかねない、食糧支援の打ち切りに対して「人道的」立場から強く反対を唱える人々がいる。
フセインがクルドに対して使用したと言われる、マスタードガスについてもその「非
人道的」側面に国際社会の非難が集まった、とされる。

※マスタードガス、サリン、タブン、VXなどを混合したカクテルガスで、約5,000人
が死亡、1万人が負傷したといわれる。

しかし、そもそも「人道的である」とか「非人道的である」というのは、一体どういうことなのだろうか。どういう行為が「人道的」でどういう行為は「非人道的な」なのだろう。
この戦いの時代の中で考えると、解は思いのほかに、複雑な様相を見せる。
ちょっとしばらくこれについて考えてみたい。


ナガサキ・ヒロシマにおける原爆投下は言うまでもなく、大規模核兵器を実戦に使用し
た唯一の例であり、「非人道的」な兵器使用の代表的な例であり、その悪は疑いない、
と多くの日本人であれば思っている。

ところが、これもある程度知られている事実ではあるが、多くのアメリカ人は未だにそ
う考えていない。

1995年、スミソニアン航空宇宙博物館で企画されたエノラ・ゲイを中心とする原爆展が
、議会や軍人会の圧力で中止に追い込まれた事実が記憶に新しい。
また、僕の実体験としても、だいぶ前であるが、海外のメンバーを交えたメーリングリ
ストを運営していた経験があり、様々なテーマについて、つたない英語で議論したが、
テーマが原爆投下に及ぶと、他の問題については極めて理性的で冷静な対応をしていた米国人のメンバーの態度が一変するということがあった。

いわゆる「原爆投下是認論」である。その主たる主張は

(1) 原爆投下が日本の早期降伏という形での戦争終結につながった。
(2)本土決戦(九州上陸作戦)が行われた場合の米兵の犠牲者(50万人から100万人
-『トルーマン回顧録』による)を最小限にとどめることができた
(3)戦争の早期終結によって本土決戦が避けられたことは、(結果的にしろ)何百万
人の日本人の生命をも同時に救うことになった
(4)アジアでの侵略戦争を自ら引き起こし、南京虐殺などのあらゆる残虐行為を行っ
た日本人に、原爆投下の非人道性云々を言う資格はない

などである。

(4)については現在の日本の占領行為を理由に、拉致の正当化を言う北朝鮮の理屈にも通じる部分があると思われ、「犯罪者に人権を言う資格はない」とも解される議論であるから、感情的な面が強すぎることは否めない。
(2)のトルーマン回顧録については、九州上陸作戦にともなう当時の米側推定死傷者
数が、「2万人以内」(1945年6月18日の会議用資料)や「6万3千人」(スミソニアン
原爆展の展示案)に比較してもかなりの「誇張」であったと言える。

また、

(3)の日本側の犠牲にも「配慮」したとの理由は、2カ所の原爆投下で1年以内に約20万人(広島約13万人、長崎約7万人)、現在では33万人を上回る原爆犠牲者の膨大な数を思えばこれも合理性を欠く議論といわざるを得ない。
百歩譲って、東京や大阪のような大都市上陸作戦のように、極端に双方の犠牲を拡大する前提をおけば、あるいは犠牲者が少なくなったという見方もあるかもしれないが、その場合には、死者の数が数百万人になるところだった可能性すらあるのに、米国の決断により、「たったの」数十万人ですんだ!というような、到底納得のいかない主張を認
めざるを得ないことになり、到底受容できるものではない。

戦勝国=投下国としての米国と、敗戦国=日本における原爆投下への評価が異なるのは当然であるが、落とされた側、我々日本人の間では落とした米国人への怨嗟や怒りの表現よりもむしろ、自戒と自己反省に彩られた「平和の碑」と名付けられた平和公園内の石碑に刻まれた「安らかに眠って下さい/過ちは繰り返しませんから」という言葉に象徴されている。

「過ちは繰り返しませんから」

に込められた、恐るべき善人性が今でも平和主義の精神的主柱として存在しているこの国の状況を米国のそれと対比すると、際立った違いがあるのである。

落とされた被害者は、この兵器を用いた加害の者を直接恨むことをせず、専ら自らの侵略と他国民への迫害の歴史への自省を、人類共通の懺悔の言葉に昇華させようと、悲壮な決意を表明したのに対し、(その楽観的に過ぎる決意の問題点については別に触れるとして!)今日に至るまで、ついぞ米国の知識層においてすら、原爆投下への真摯な自省の動きは聞いたことがない。

そしてその米国の思想的に緩慢な動きを、許してきたのも他ならぬ我々=同盟国の日本人自身である。

先のメーリングリストにおいて、辛うじて中間的な立場をとった米国人ですら、さらに別の観点から反論があった。それは、
「他の通常兵器と原爆をなぜ区別するのか。同じくらい残酷ではないか」
という主張である。言葉を変えれば
「人を殺すのに悲惨もへったくれもあるか。どうやって殺そうと同じだろう」
に近い。

つまり、日米双方とも、あらゆる手段で互いを大量に殺傷しており、その多くの犠牲者がある中で、ヒロシマとナガサキの犠牲者のみを突出させてなぜ米国を批判するのか。
それをいうなら真珠湾で殺された米兵の命は、非核で殺されたがゆえに、ヒロシマやナガサキの死者に匹することはできないというのはおかしいではないか、という主張である。

核兵器をあえて一般兵器と区別するのはおかしいという議論で、結果的に核の使用のみを罪悪視するのはなぜかというわけである。

いや、それは違う。核兵器が決定的に他の通常兵器とは異なるのは、その生態環境に破壊的なダメージを与えることである、といちいち放射能汚染や原爆病のデータまであげて反論すると、ようやく(渋々といっていいだろうか)通常兵器と異なるというお前の主張はわかった。そのかわり今度は「つまり、通常兵器はOKで核兵器はダメという主張なのだな?」と畳み込んできた

ここでも、ヒロシマを米国の特殊な原罪としたくない意図が感じられると共に、核による放射能被害の「何が恐ろしいのか」が、米国内でほとんど理解されていないのではないかと思われる。


少し視点を変えてみよう。
そもそも、彼らの発想では、「戦争的局面」が生じた場合には


(1)「戦争」=悪=但し必要悪

であり
「必要悪」=他のもっと大きな災禍を避ける手段として正当化される。
(もっと大きな災禍とは、上陸作戦の場合の日米の想定死者数。)

※最近では「大量破壊兵器によるより多くの犠牲」「世界の民主主義に対する脅威」「テロの脅威」等々が代わりに使われる)

そのため、この(1)のフェーズをいったん認めることを米国民の常識として許容する以上

(2)武器の使用と人間の殺傷

をこれまた必要悪として正当化することは帰結として合理的なのである。
(2)は単独には悪ではあるのだが、ここでも(1)におけるもっと大きな災禍を避けるためには、演繹的にに正当化されるわけである。

ここまで来てしまえば、条件が整えば、次のステージである

(3)核兵器の使用

を正当化することも、それほど大きな問題はないというわけだ。なぜなら、ルビコンの河は(1)で一回渡ってしまっているわけであり、そこから一瞬に戦闘を終わらせる可能性のある核兵器は、使用を一時留保されているだけだからである。
(とりあえず自分の頭に落ちてくるのでないのならなおさらである!)

これを踏まえず、被爆国の日本人が、(1)も(2)もふっとばした上で、いきなり(3)について「非人道的だ」と異論を唱えても、彼らの耳には入らない。

戦闘が長引いて、あるいは拡大して、双方により沢山の犠牲者が出たらどうするのか?民主主義と自由は誰が守るのか?とくる。この論法の展開は、現在のイラク戦争でも、先の太平洋戦争でも殆ど変わらない。

とはいっても、(2)から(3)へは大きな飛躍と国際世論の反発を伴い、容易なアクションであるとはいい難いが(2)→(3)の道程の中で、無数のバリエーションが存在する。(3)に比べて遥かに心理的抵抗は少ないバリエーションである。

二つばかり例をあげてみると

(2)-1 非戦闘員の非意図的殺傷(いわゆる誤爆)

(2)-2 非戦闘員の意図的殺傷(東京大空襲における無差別攻撃→ファルージャ)


つい昨日も、イラク北部モスル郊外で、一般の民家が米軍により誤爆され、14名の死者が出た。米軍は、「無実の市民の命が奪われたことを遺憾に思う」とのコメントを出したが、この行為をいくら非人道的であると非難したところで、彼らの真意としては(1)の段階で一度飛び越えた結果としてのミスであるから、それはミスでこそあれ、「非人道的」というコンテクストとしては理解されないのであろう。
それは戦略上の事故もしくはミスでこそあれ、非人道ではないのである。
そもそも(2)-2では意図的に非戦闘員の大量殺害を行っているわけであるから、それを考えても彼らにとって「大したことではない」のは想像できる。

つまり、一度出発点で「平和に対する戦い」「自由と民主主義に対する戦い」「テロへを許さない戦い」と目的意識を確定して行動をとってくる相手に対して、中途の(2)もしくは(2)のバリエーションをとらえて、(あるいは(3)であってすら)人道的でないとか残酷であるとか批判しても、聞く耳を持たない状態になりかねない。
亡くなった無辜の非戦闘員の不幸は「大事に対する小事」として、戦術の中での一定率として「処理」されている感がある。
「非人道」を防ぐための「非人道」は、「非人道」とはされないのである。特に他民族に対する行為は。

それでなくとも、かつての原爆投下是認論と現代の米国の展開している戦争との間には、切っても切れない密接な関連性があるように思える。

熱線で体が溶け、傷跡は化膿して腐り始め、水を求めて地獄の業火で死んでいった、あるいは放射能で生きながら何十年にもわたる苦しみの中で死んでいった人々を何十万人も生み出したその行為すら、正当化できる論理はどのように生まれてきたのだろうか。
そしてそれは過去ではなく、現在進行形の悪夢として私達を苦しめていないか。

問う。

「非人道的行為」--それ自体が内部矛盾を起こしているのか。

(この項続けたい)

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