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March 11, 2005

「非人道的」とはどういうことなのか。批判の限界(4)---東京大空襲60年

kusyu
【関連記事】
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3月10日は東京大空襲から60年である。

小さい頃から、東京大空襲の記憶は祖母に聞いて育った。その頃、我が家は浅草にあったのであるが、祖母と幼かった父とは、祖母の郷里である三重県に疎開していて、浅草には祖父が残っていた。
寡黙にして、あまり口数の多くない祖父であったが、この空襲に浅草で遭遇した。祖母は、東京に戻り、あまりの惨状に祖父の死を確信したそうだが、奇跡的に祖父は空襲の中生き延びた。

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January 21, 2005

「非人道的」とはどういうことなのか。批判の限界(3)

「非人道的」とはどういうことなのか。批判の限界(1)
「非人道的」とはどういうことなのか。批判の限界(2)

非人道的な行為を糾すには、加害の視点だけではなく、被害の視点が必要である。
大量の非戦闘員を、一瞬にして溶かされ焼かれたこの国は、実は被害の視点も持っている。アジアではその加害の立場ばかりが取りざたされるのだけれど、日本もまた頭上にかつて恐怖の殺戮兵器を迎え入れてしまった国なのである。

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January 18, 2005

「非人道的」とはどういうことなのか。批判の限界(2)

「非人道的」とはどういうことなのか。批判の限界(1)

ヒロシマの「広島平和都市記念碑」に刻まれた「安らかに眠って下さい/過ちは繰り返しませんから」という言葉。

この「過ち」を犯したのは一体誰で、誰に対して過ちを犯したのだろうか。そして、その「過ち」とはなんだったのだろうか。「過ち」とは原爆の投下か。それとも戦争そのものか。あるいは他の何かか。

これについては実は原爆慰霊碑碑文論争(「はまゆう通信」さんへのリンク)というものがある。

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January 11, 2005

「非人道的」とはどういうことなのか。批判の限界(1)

様々な局面で「人道的」あるいは「非人道的」という言葉が多用されている。
「人道的食糧援助」「人道的に問題がある」「劣化ウラン弾は非人道的である」云々
云々。
北朝鮮であれば、即時の経済制裁を強く主張する主張に対して、この国民の命脈を断ち切りかねない、食糧支援の打ち切りに対して「人道的」立場から強く反対を唱える人々がいる。
フセインがクルドに対して使用したと言われる、マスタードガスについてもその「非
人道的」側面に国際社会の非難が集まった、とされる。

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