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June 02, 2007

邯鄲の夢(5)-----天上の人

有楽町西武がオープンしたのは、1984年の10月。この年の4月には、ダイエー系のプランタン銀座がオープンしている。この頃の西武とダイエーは、全国いたるところで商圏を奪い合って熾烈な戦いを繰り広げていた。今となっては想像しがたい時代である。

この頃、僕の勤務していた制作会社は、西武系の広告代理店I&Sから、有楽町西武のオープニングパーティ全体の運営を請け負っていた。会場は有楽町西武全店。館内全体を、中華をテーマにしたパーティ会場にしようという画期的な(当時としては)企画である。マスコミや関係者、そして得意先のみを対象にした盛大なパーティは、ダイエーに対する強烈な西武のライバル心も反映されていたと思う。

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May 13, 2007

邯鄲の夢(4)-----消えた痕跡

江副浩正氏の「リクルートのDNA」という新書が売れている。まだ殆ど目を通していないが、リクルートという企業の「DNA」が現在も様々な企業に引き継がれ、その出身者がIT関連でも起業をして成功しているとか、そういう話のようである。実際、あれほどの事件の後でも、リクルートという企業のDNAが途絶えることはなかったという江副氏の自負は、間違っていないように思える。実際、あちこちの企業でお会いするアクティブな人材が、聞いてみるとリクルートの出身者であるという例は多い。

ところが、同じバブルの時代にあって、商業文化の中心に栄華を誇っていたはずの、西武セゾングループと、堤清二氏の存在感は、非常におぼろげになっている。もちろん西武百貨店はそごうと経営統合して、今でも池袋の「軍艦」のような店は健在であるし、セゾングループとしての統合は解体されたとは言え、渋谷に行けば今でも渋谷店やロフトにも、人は入っている。

しかし、何かが決定的に違う。西武セゾングループのDNAは消えてしまったのだろうか。

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May 03, 2007

邯鄲の夢(3)-- 腐敗

文化戦略という、大風呂敷を広げる一方で、その頃の西武百貨店の、財務管理の酷さといったらなかった。取引会社として口座を開くと、そこは担当者のやりたい放題。毎月末近くになると、その月の取引の明細を送ってくるのだが、見たこともないような明細が延々と記載されている。あるときには、買ってもいない下駄が150足などと記載されていた。つまり売りと買い(仕入)の両方にわたって、架空の数字を打ち込むわけである。取引を開始した最初の頃こそ、いちいち西武の経理に電話を入れて確認していたが、経理の答は全く要領を得ない上に、担当に聞いてくれの一点張り。

実際に行った取引が記載されず、行ってもいない取引が勝手に記載されている。150足買ったはずの(買わされたはずの)下駄は、次の月には、西武側に買い戻されていたりする。それらの架空の数字に交じって、時折よくわからない金額が、請求書も出していないのに振り込まれてきたりする。とにかく数字そのものが複雑で、複数の担当が交互に数字を入れるから見ても訳がわからない。問い合わせの窓口もはっきりしない。

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April 27, 2007

邯鄲の夢(2)-- 蟻の棲むところ

あの時代の西武セゾングループには、独特の企画書の様式があった。それは、大きな1枚の紙に、まるで蟻が這っているかのような、細かな字をぎっしり書き込むというスタイルだ。通常企画書は、文字が多すぎてはいけない、なるべくビジュアルでわかるようなシンプルな言葉でまとめろと言われてきた僕には、初めて見たそれは異様だった。

通常のB4の紙ではとても足りないから、それを何枚か張り合わせる。数枚ほど貼り合わせれば、B2ーB1程度の大きさになる。その巨大な紙の隅から隅まで、まるで蟻が這いまわるような小さな文字で、テーマについてのあらゆる派生したイメージを書きなぐるのである。「企画書は1枚で見せる」これが、堤清二氏の指示であったから、そういうスタイルが出来たと誠しやかに言われていたが、本当のところはわからない。

その企画書を、商談の席では相手の前で威圧的に机一杯に広げる。グループの力と権勢を誇示するように、心理的効果もあったと思われる。

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April 23, 2007

邯鄲の夢(1)-- 闇に逃げた猫

中国の故事に「邯鄲の夢」と呼ばれる、よく知られた話がある。

「中国の青年廬生は、楚国の高僧に、人生の教えを乞いに行く途中、邯鄲の宿に泊まる。
 この宿の亭主は、不思議な枕を持っていた。この枕をして眠ると、瞬時に悟りが開けるという。亭主の薦めで、廬生も、その枕で、一眠りすることになった。
 枕に頭をつけると、たちまち勅使が現れ、楚国の帝が、廬生に位を譲ると言う。廬生は戸惑いながらも、輿に乗って宮殿に行き、王位に就く。やがて、五十年が経ち、廬生は、一千年の寿命を保つという仙家の酒を飲み、長寿を祝う酒宴を開いて舞を舞い、限りない栄耀栄華を尽くした日々を送るが、宿の亭主に、食事が出来たと起こされる。すると一瞬のうちに宮殿は、元の鄙びた旅宿に戻る。盧生があくびをして目を覚ますと、呂翁が相変わらず傍らにいる。宿の主人は、盧生が眠る前に 黍 ( きび ) を蒸していたが、それがまだ蒸しあがってもいない。
 廬生は、王位に就いての五十年の栄華も、人生そのものも、泡沫の夢だと悟り、枕に感謝し、故郷へと帰っていくのである。」

ざっとそんな話だ。

ちなみに、邯鄲は能楽の演目にも加えられており、そこで使われる男面は、「邯鄲男」と呼ばれる。「人生に迷った男、邯鄲。眉間に八の字皺が描かれ思索を廻らす哲学青年を表現。 また憂いがあるので若い神にも使用。」

とされているが、男、廬生は長い夢から目覚めた時、むしろ清々しい気持ちにさえなって、そこから去っていくのである。その清々しさも、能ではこの「邯鄲男」の面で、表現されるべきとされている。

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