February 25, 2009

「おくりびと」とセカンドライフ

CNET書きました。

第81回アカデミー賞外国語映画賞を受賞した滝田洋二郎監督の「おくりびと」だが、そのチーフ助監督を務められたアバター名sela boaさんこと、 長濱英高さんが、セカンドライフ内でも熱心にマシネマ「ぼくのおとうさん」などを制作しておられる有名な方だったことから、ノミネートされた段階からセカ ンドライフ内では注目をあびていたのだが、ついに受賞ということで、大きな話題となっている。

続きは以下

IT's Big Bang! -- ITビジネスの宇宙的観察誌  「おくりびと」とセカンドライフ

2009 02 25 [映画・テレビ] | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック

August 13, 2007

映画「トランスフォーマー」を観に来る奇特なカップルは偉いというか凄い。----最弱の台本に最強のSFX

Transf


この世界には絶対に誰も一緒に見てくれない映画がある・・というか世間的・ネット的にはファンがいるんだけれど、まず間違いなく自分の周囲には一緒に見てくれる人が全くいないというジャンルがある。平成ガメラシリーズとかもそうなんだけど、あと「アルマゲドン」とか。あ、この映画撮ったマイケル・ベイ「アルマゲドン」の監督じゃん。やっぱなあ。スピルバーグも「宇宙戦争」でラスト見事にめちゃくちゃにしてくれたしなあ。

というわけで、観る前から肝試し的要素満載の映画「トランスフォーマー」はスピルバーグとマイケル・ベイの最強タッグ。暑いさ中、こんな映画誰が見に行くんだよ。

・・・私です。

同じ劇場で「レミーのおいしいレストラン」なんかもやっていて、デートするならそっちの映画でしょう。「トランスフォーマー」に来るカップルがいたら、こっちが心配して、悪いこと言わないからネズミちゃんのほうに行きなよ、だってマイケル・ベイだよ?と止めてあげたくなるような猛暑の夜・・・って・・結構いるな、カップル。大丈夫ですか?って結構楽しそうに来ている。いるんだねえ、この映画カップルで見る人。ロボットオタクかな?まいいか。ぶるぶる。

内容と言えば、もうそれはもう。はっきりいって、これほど中身の薄い台本に、これほど凄まじいSFXをよくやったなと。いや、台本だけだったらお金返せと言いたいくらい、荒唐無稽で馬鹿馬鹿しい。だっていきなり「我々は金属生命体である」なんて名乗られてそうですかなんて、どうすればいいの。ああ、これはウルトラマンの世界レベルなんだなと途中で皆が気がつきざわめき始める。「やっちゃったかなあ、私たち」。いやウルトラマンシリーズ馬鹿にしてはいけない。あっちのほうが遥かに台本きっちりできている。で、コメディっぽい演出があちこちで施されているのだけど、ギャグが寒い。どこまで昔のアニメ版とかと一致してるのか。知らんけど。

主人公の男の子もめちゃどうしようもない。女の子と   しか考えていない情けない奴なんだが、突然地球を救う運命を託されてしまう。嫌というほど見せられたご都合主義。「君に地球の運命がかかっている」って・・なわけねーだろ。いや、映画だ。むきになるなみたいな。

トランスフォーマーってどんな機械にでも変身できるんですが、結局車に変わることが多いので、あれあれ、カーアクション映画でいけちゃうじゃんとか。

突っ込み所は満載で、じゃあ、どうしようもない映画なのかと言えば、前評判通り、SFXは凄い。とにかく凄い。すさまじい。後半戦闘シーンはもう、どれほどつまらん台詞を俳優たちがしゃべくっていようと、とにかくすさまじい映像。どうやったのか想像もつかん。いや私につくわけがない。この凄まじいというか超一級の映像のおかげで、金返せという人は誰もいない(かどうか知らない)

帰りのエレベーターの中で、さっきのカップルが興奮して(?)話していた。「いやー凄かったねえ、訳わからんくらいすごい」「そーだねー」「でも見た後なーんにも心に残らないねーあははは」「そーだねー」「もう1週間経ったらなーんも覚えていないよーあはははは」「・・・・・・・そーだねー」

今一線越えたな、そこの男・・・・・・・・・・・・・うーんそれでいいのか青少年男女。

でも本当にその通り。

まあ、何でしょう。こんな映画ではありますが、少しまじめにコメントすると、米国的というかスピルバーグ的世界観では、いつも「国家的機密」を守って「異星人とか」を「隠したり拉致したり実験材料にしたり」する「NASAかあるいはもっとシークレットレベルの高い大統領直轄の秘密組織」があって、国民の目から何かを逸らして怪しいことをやっているわけですね。で、破綻する。その破綻を喜劇的に描いて笑ってやろうみたいな。

強引に日本的に福井晴敏に持っていっちゃうとDAIS(ダイス)こと防衛庁情報局とか。でも米国ほどのリアリティっていうか、良くも悪くも恐れられるほどの存在感はないので、笑ってやろうとしても笑えなかったりする。あるいはマジに笑って終わりだったりする。つまり、(強引にまとめると)米国民は「全てを知っている国家的組織」が確実に自国にあると意識していて、これと市民的自由とかとのボーダーが結構テーマになるよと。ところが我が国で言えば、きっとそんな組織はないか、何も知らないか、どうせ米軍から情報もらってブローカーやってるのかなとか、そういうイメージしか持てないように思う。

恐れるあまり笑いものにするしかない「国家秘密組織」を絶えず意識する米国民と、恐れず笑いものにしてしまってるかもしれない日本との差って言うか・・。

まあ、そんな理屈は何も「トランスフォーマー」を見なくても書ける。こんな映画評書いている暇あったら、「フラット革命」の書評でも早く書け、自分。はいはい。

うーん・・久しぶりに更新したと思えばこの記事か。ま、暑さのせいといううことで。


#追伸つぶやき

その1
スピルバーグがウルトラマンシリーズ撮ったら凄えだろうな・・台本は円谷プロで・って・・無理か。

その2
あれ?そういえばむかーし、トランスフォーマー(玩具のほうね)の発売時、プロモーションの仕事やったような記憶があるなあ。忘れてた。

2007 08 13 [映画・テレビ] | 固定リンク | コメント (5) | トラックバック

April 09, 2007

スーダラ節の時代がようやくわかったように思った。---植木等の苦悩

車の中で、NHK教育の「植木等さんをしのんで スーダラ伝説~植木等・夢を食べつづけた男」を見ていた。あ、植木等の追悼番組だ、程度にしか思っていなかったのだが、内容に引き込まれてしまった。

植木等という人が、寺の息子で真面目一徹で、あの「スーダラ節」だの「無責任男」だのを苦痛を伴って演じ続けていたということは聞いていたけれど、実際ホンマかいなと思っていた。しかし番組では生前の植木のインタビューを3日間・6時間にわたって行い、そこに日本の戦後芸能史を重ねていくという作りだったのだけれど、驚きました。本当に悩んでいたんですねえ。あのイメージと自分の精神の乖離で。

ちょいと一杯のつもりで飲んで
いつの間にやら梯子酒
気がつきゃホームのベンチでごろり
これじゃ体にいいわけないよ。
わかっちゃいるけどやめられない。

という歌詞。そんなに悩むこたーないじゃないか、面白いじゃんと思うけれど、植木は本当に死ぬほど悩んで、こんなものを歌ったら、自分の人生は滅茶苦茶になってしまうと思ったそうだ。で、きっと反対されるだろうと思いながら、父親に相談に言ったら、この父親が言うことには

「それは親鸞聖人の生き方だ。素晴らしい仕事だ。ぜひやれ」

父親いわく、親鸞聖人も駅のベンチで寝てはいなかったけれど、「わかっちゃいるけどやめられない」と思いながらも罪に罪を重ねて生きていたのだそうな。確かに悪人正機説だもんね。「善人なおもて往生をとぐ、いわんや悪人をや」というのはスーダラ節ですか。そうですか。凄いなあ。

戦後の進駐軍のクラブで、植木始めクレイジーキャッツのメンバーが育まれていくわけだが、クレイジーキャッツに来るまで一番稼いでいたのが桜井センリだったとか、植木が下手なギターでなぜ次々といい仕事に恵まれたかというと、生真面目な性格故、教則本でギターを学ぶという、およそ当時のミュージシャンにあるまじき「譜面が読める」という長所が評価されたからだとか、もう面白いエピソードが一杯。

進駐軍のクラブも戦後は最大で全国に500はあって、そのすべてがジャズをやっていたので、米国人のミュージシャンでは足りなくなって、下手でも何でもとにかく楽器をやる日本人がいたらジャズをやらせて舞台に上げたという当時の気風とか。すさまじい時代だったんだなあ。その中にあって、米軍将校と日本人の貧しいミュージシャン。どんな交流があったんだろう。勝者と敗者という型には納まらない関係があったんだろうな。

オヤジが生きていたら、話を向けてやれば得意になって長い話をしただろう。すでに鬼籍にあり残念。

で、「スーダラ節」だの「無責任男」だの、僕は今まで誤解していたんですね。あれは日本が高度経済成長に向かっていく時代の、BGMであり、「サラリーマンは気楽な稼業ときたもんだ」を素で受け止めていた。ほんとにどんどん給料が上がったんだろ。どんどんアッパーな暮らしが出来るようになったんだろ。うらやましーみたいな。

ところがこの番組を観て気がついたのだが、彼らは実は隙間もない急成長に圧倒され巻き込まれ、疲弊していたことをあらためて思い起こさせられた。で、疲れている。疲れているから休みたい。ところが律儀な日本人の習性で、ぎりぎりまで働いてしまう。そのぎりぎりの生き方を、肯定して生きていくしかなかった当時にあって、植木の「スーダラ節」だったんですね。

あの歌のタブー性のようなものは、おそらく僕には正しく伝わっていなかったんだなあと、悩みまくったという植木の話で理解した。今さらだけれどね。

あと、クレイジーキャッツの映画30本が終わってしまって燃えカスのようになっていた時代に、「王将」の舞台に恵まれ、俳優として50歳から再生した話。人ごとじゃないです。はい。とにかく男にも女にも僕はもてましたねえ。一生もてました。と語っている爺、植木等。これはうらやましい。

生きているうちにこの人の話をもっと聞いておけばよかったという悔いは、何度も何度も繰り返されるのだけれど、それはそういうものなんでしょうね。死者となって初めて人は雄弁に語り始める。

そんなもんですね。

2007 04 09 [映画・テレビ] | 固定リンク | コメント (7) | トラックバック

March 20, 2007

「ドリームガールズ」---圧倒的な美と才能。いずれもが狂おしかった。

Dream

1960年代。シュープリームスとダイアナロスのサクセスストーリーをベースにしながらも、現実をおそらく超えるかもしれないドラマティックな映画に仕上がっている。「ドリームガールズ」は、かつてブロードウェイミュージカルとして1981年に公開された舞台の映画化である。

何といっても、ダイアナロスをイメージしたディーナの美しさ、そしてそれを演じるのが大スターのビヨンセと来れば、物語のフレームは出来上がってしまっていると、観る前には誰もがそう思うだろう。実際、ビヨンセ演じるディーナの美しさと言ったら、気が遠くなるほどである。売り出し前の、初々しい秘めた美しさを持った愛らしいティーンの時代から、センターに起用され、次第に自信を持ち、輝きを増していく、その「美人っぷり」と言ったら!人間とは思えない。溜息が出るというような紋切り型の表現では収まらない。何と言ったらいいのだろう。ビヨンセ!ビヨンセ!この人はこんなにも美しい人だったのかと、改めて見直した。目をこすったと言ってもいいかな。

ところがこの映画の更なる驚きは、この完璧とも思える世界の大スター、ビヨンセの美しさに対して、無名の、しかし途方もない歌唱力と存在感を持つ新人、ジェニ ファー・ハドソンを真っ向からぶつけているところである。彼女がアカデミー助演女優賞を取ったのは、うなづけるどころの騒ぎではない。圧倒 的なその歌!

彼女が演じるエフィーは、圧倒的な歌唱力でグループ「ドリームメッツ」のセンターをとっているが、遥かに美しさで勝るビヨンセ演じるディーナにセン ターを譲らされる。結果的にはこの思い切ったチェンジが功を奏し、ドリームメッツは、スターダムを信じられないような勢いで駆け上っていくのだが、エフィ の叶えられない自我はやがてエフィ自身を破滅に追いやっていく。そしてディーナも不幸が襲う。

ジェニファー・ハドソンの歌と言ったら!新人?いったいこの人はどこに隠れていたんだろうと思うぐらい。そして、ああR&Bという音楽はこんなにも格好良 く、しかも人の心を掴む音楽だったんだと認識させられる。ビヨンセのあの太陽のような圧倒的な美ですら、どちらかというと外見が地味で「太っちょ」のエフィの 大地のような存在感を、少しも損なうことはできない。映画上の2人の位置が、おそらく現実の、つまり「キャスティング」という意味で見たビヨンセとジェニファーの位置関 係にもなぞらえられるようで興味深い。つまり、この映画は、途方もない「美」と「才」とが、互いに「痛み分け」をしているのである。ビヨンセは、その美し さを限界まで発揮することによって、そしてジェニファー・ハドソンは、その歌の圧倒的説得力で大スタービヨンセさえ、かすめさせるほどである。彼女にこの場を与えた監督、ビル・コンドンは最大限に称えられるべきだろう。

2人の良さが、これ以上考えられないほどの緊張関係を作り出し、そうだな。音楽にかかわりがある、あるいは音楽を志向する全ての人が観るべき映画だと思ったよ。

もう一度言うけれど、R&Bとは、何とかっこいい音楽なんだろう。そして、人の能力の限界のなさというか、地平のなさというか、その深みと遠さに気が遠くなるようである。

映画を観終わったら、どういうわけか、しっかりとした文章を今年は書いていこう、どんな表現でも真剣にやっていかなければならないという思いになぜ かさせられた。仕事もね。そうだな。音楽という次元じゃなくて、おおよそ全ての「何かを創ろう」としている人たちにとって、必見の映画かもしれない。

観に行って完膚なきまでにうちのめされてください。

僕も、もう一度観にいくと思う。

2007 03 20 [映画・テレビ] | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック

November 05, 2006

父親たちの星条旗(「Flag of Our Fathers」)と隣のサンドウィッチ

Io


連休中だったが、館内は半分くらいの入り。

クリント・イーストウッドが監督した『父親たちの星条旗』+『硫黄島からの手紙』の二部作として公開される予定の映画の第一弾。米国の視点から見た硫黄島攻防戦を描く。第二次世界大戦でも屈指の激戦地とされた硫黄島の戦いは、戦死者計約26,000人(日20,000人:米6,000人)を出したとされる。圧倒的な兵力の差から、当初3日程度で終わると見られていた戦いは36日間に及んだという。

この硫黄島の戦いで撮られた、「擂鉢山に米国旗を掲げる兵士」の写真は、米国の戦勝ムードを盛り上げるための格好のプロパガンダとされたが、映画では英雄とされた6人の兵士のそれぞれの運命を描いている。あまりにも有名な写真の裏に隠された真実が、この映画のテーマである。

戦争における建前と現実の間のすさまじいギャップを、兵士たちの視線から描いている作品として秀逸な出来だと思うが、意外に思ったのは、当時の米国の戦争資金逼迫の深刻度である。「英雄」とされた兵士たちは、「戦時国債」のためのいわばプロモーションとして、米国各地を見世物のように引き回されるのである。戦争末期、日本が既に各家庭から強制徴用した貴金属などを戦時資金に当てるほど武器弾薬不足に逼迫していたことは知られているが、米国の切迫度について、リアルに描かれている映画は珍しいように思った。

プロモーションのパンダ役に疑問を呈する兵士に政治家が言う「行くなら石を持っていけ。持たせる弾丸はない」という一言は印象的。

「英雄」としての扱いは実に馬鹿ばかしさと欺瞞に満ちたものであり、兵士たちが、地獄の戦場での記憶に苛まれながら、次第に心の均衡を失っていく様子が淡々と描かれている。このあたりちょっと時間軸が行ったり来たりでわかりにくいところもあったが、紛れもなく「敗者」としての我らの立場から、「勝者」であったはずの米国のナーバスな痛点を見せられる奇異な感覚。

を味わいながらも、隣に座った国際カップル(男おそらく米国人:女おそらく日本人)の食べ散らすサンドイッチの音と匂いが、映画前半でやけに気になったのは、このストーリーのナイーブな部分が知らずに自分にも影響していたせいかもしれない。

硫黄島での圧倒的な兵力差は、地平線まで広がる米国の大艦隊と、我らが兵士の地に潜り、血にまみれて36日間の苦闘をなした、そのあまりにものすさまじい姿の対比で否応にも思い知らされる。

それにしてもよくぞ双方から描く手法を選んだ・・というよりも、第二部「硫黄島からの手紙」で日本側からの視点を再体験しないことには、何とも精神的におさまりのつかない映画であるし、この1作だけでは日本市場での公開は微妙であっただろう。

加えて、実際にはアイスランドで撮影されたという「硫黄島」の夢の中のような不思議と現実感のない荒々しい岩肌の輪郭が心に残り、今度は防御の側から描かれる次回作「硫黄島からの手紙」も観にいこうと思った。

つまり製作者側の思惑にまんまと乗せられているようなのだが。

2006 11 05 [映画・テレビ] | 固定リンク | コメント (7) | トラックバック

October 09, 2006

映画「ワールド・トレードセンター」が描けなかったもの-----未だ途上にあって

Wtc

いわば9・11は人類にとって不可知のブラックボックスであったのであり、そこに投げ込まれた「値」は至るところでエラーを起こして演算不能=コンフュージョンとなっており、その出力結果を知ろうとする我らの試みは、ことごとく拒絶されて現在に至っているように思う。

にも関わらず、それは確実に「起きた」ことなのであり、脳内造影でも妄想でもない。(おそらく)

ワールド・トレードセンターの惨劇を扱ったドキュメンタリーとしては、当ブログの「神が命じた場所に立った兄弟-9・11から3年」でも扱った、9.11 N.Y.~同時多発テロ衝撃の真実~がとにかく圧倒的な臨場感と恐怖に満ちており、凡百のレポートやノンフィクションなど寄せ付けないと今も尚思っている。

そんな中にあって、この映画を観に行ったのは、やはりオリバーストーンという表現者がいかにこの事件を描くか、あるいはアメリカ社会にあって、WTCを正面からタイトルに冠した最初の映画というところにあった。
だが、多くの映画評が触れているが、そうした観点からの期待は見事に裏切られる。

オリバーストーンは、ビル倒壊時に生き埋めになった2人の警察官(実話)を中心に、彼らの生への執念と友情、必死に彼らを救おうとする名もなき市民の隣人愛、そして彼らの家族たちとの、家族愛をテーマに据え、見事に政治的テーマは疎外した。
彼ら2名は事故直後に瓦礫に埋まってしまっているので、多くの殉死した消防士やフロアから脱出できず死んで行ったいった2000名以上の人々のこともほとんど出てこない。きわめて視点を絞った作品であるといえよう。

ある意味でオリバーストーン「らしく」、ないのであり、公開のためのリスクとなりうる、「テロ観」や政治的主張は、「配慮して」避けたのではないかと思えるような映画である。

もちろん、それでも元海兵隊員がテレビで報じられたニュースを見て、「抑えることのできない」衝動で現場に駆けつけ「非合法の活動」の中から彼らを発見することになるエピソードは、その後この海兵隊員がイラクに向かうことになるという逸話とともに、表現者のある種の「思い」は感じるし、また過去の不祥事で免許を停止されていた元看護士が、命の危険のある中で必死に彼ら二人を救おうと暗い瓦礫に潜り込んでいくことで「自己回復」を遂げる様子、さらには彼らの家族の痛いほどの思いなどを見れば、あらためて9・11という惨事が、どれほどの重い犯罪的行為であったかについてを含め、感動的に観ることはできる。

だが、テロについて、そしてその後のアフガニスタン、イラクと続く米国の報復行為を思えば、人間はもっとも崇高になることもできるが、その同じ人間の手が、もっとも残虐な行為をすることがあるのだという、いまさらの事実に震撼の思いを再確認せざるを得ない。

その矛盾した2つの方向の奔流に投げ込まれた感覚が、どうしても拭うことができないのである。

ではオリバーストーン自身は、そのあたりについてはどのように思っているのだろう。現ブッシュ政権と世界の距離感についてどのように考えているのか。映画ではそこはおぼろげな像しか結んでいない。

『ワールド・トレード・センター』オリバー・ストーン監督記者会見

■OS「3000名の方が生き埋めとなり、そこから救われたのはたった10名だった。私たちがその中の2名から話を聞けたことは、大変ラッキーだったと思うんだ。あの事件にまつわるいろいろな映像を私たちは繰り返し見てきたが、中に閉じこめられた人の肉声、つまりインサイド・ストーリーを聞く機会はなかった。そして彼らの家族から話を聞けたことも、とても幸せなことだったと思う。なぜ「ラッキー」なんて言い方をするのかって? たとえばフランス革命の起こった日に、バスチーユの前にいた人々の見たものを直接聞けるとしたら、それは値段の付けられない、大変貴重で素晴らしい証言となるだろう。あの日、事件から24時間の間に起こったこと、崩壊しつつあった家族が絆を取り戻し、地獄のような場所のなかでも人々は希望や光、信念を見つけたということを、この映画は語っている。あの日のもっとも素晴らしい<「記録」として、この作品を見てほしいんだ」

このインタビューを読む限り、オリバーストーンが何か意図的に抑えた表現をしたというのは、あるいは考えすぎかもしれない。素直にとれば彼にとって、到達できる段階が、ようやくここまで来たということであり、別のところでは、「テロ」をテーマにしたものはこれとは別個とらなければならないとも語っているようである。彼にとって、ひとつの通過点なのであり、思えばあれほどの大惨事を、仮に彼自身が整理しきれずにいたとしても、それを批判するのも性急に過ぎるとも言えるのではないか。

#そうした時間と歴史に対する一種の寛大さのような悠長さを心がけようとすればその矢先、まるでそれをあざ笑うかのように、隣国の愚か者が、また一発大きな死の花火を地に響かせたと伝えられた。


2006 10 09 [映画・テレビ] | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック

August 01, 2006

地平線近くの太陽--「歓びを歌にのせて」を観て

Yorokobi

あっち方向では考えていることも、迷っていることも多いのだけれど、なかなか言葉にしにくい。というわけで、関係のないことを書いてみる。

ストックフォルムに行ったのはもう15年くらい前になる。その頃の仕事は、今とは違ってあちこちに忙しく移動することも多かったので、その延長にたまたま、ストックフォルムがあった。ストックフォルムはぎりぎりで白夜にならないことは最近知ったが、そのとき太陽はやはり一晩中、地平線付近をさ迷う様に徘徊していたが決して沈まなかった。

で、夜中にホテルの窓を開け、夕方のようにしか思えない薄明の街並みを見たときには、それは想像するほど楽しい気分でもなかったのである。まさにその頃仕事にも、仕事の人間関係にも、ぎりぎりまで追い詰められていたこともあり、異国情緒を楽しむ余裕もなかったこともある。

その後こうして生きているということは、その仕事も、その仕事上の人間関係も、きっと「どうにかなった」のだろう。では「どうなった」のか、それはもう覚えていない。

で本題。

最近ビデオで観た「歓びを歌にのせて」はスウェーデン映画である。(ストックフォルムの薄暗い街を思い出したのは、きっとそのせいだろう。)ある名を馳せた指揮者の心の再生の物語といっていいだろうか。いい思い出のない故郷に、疲弊し果てて帰ってくる主人公の造形は、「ニュー・シネマ・パラダイス」のトトを思い出す。もっとも本作品の主人公、ダニエルはおそらくトトよりも、深く傷ついており、そんな彼が故郷の村の聖歌隊の指揮者になり、かつて純然として音楽にかけていた心を取り戻していくという物語である。

と言う風に書くと、物語の組み立てとしては、あるパターンに添っていることは確かなのだが、ラストシーンの表現が何ともかんとも、収まりが悪いというか、落ち着かないというか個性的。関心のある向きは映画を見てください。

で、スウェーデンという国は一方で性的に解放されているとばかり思われているのであるが、その一方で大変に保守的な社会を持つ国でもある。訪れたときにも、よそ者に簡単に心を開かない国柄のようにも、思えた。フランスやイギリスで味わうような、黄色人種への差別意識とは違う。もっと彼らの側に深く内在する、他者を容易に寄せ付けない感覚のようなものがあり、それがこの映画の舞台である保守的な村、ユースオーケルの雰囲気にも色濃く反映されているように思ったのが、所詮旅行者。一定の期間住んだわけでもなく、話をしたスウェーデン人と言えば、僕がヤケになってかけた日本への国際電話代の破滅的な値段に、呆れ果てていた、ホテルのフロントの女性くらいしかいないのだから、これ以上賢しらぶることはできないのでスウェーデン論はこのくらいにする。

で、この映画を見て思ったことは結局のところ、人はどん底まで落ちたときには、自分を救うことばかり考えていては、もう一度浮かび上がることはできないのではないかということである。ただ浮かび上がったところところで、そこにあるのはパラダイスとは限らないのだが、そこで見るのが例え荒れ果てただけの世界であっても、やはり浮かび上がってみるべきなのである、と思った。

「歓びを歌にのせて」は2005年のアカデミー賞外国語映画賞にもノミネートされたという。肌触りは変わっているが見る価値はある映画であると思う。

2006 08 01 [映画・テレビ] | 固定リンク | コメント (1) | トラックバック

May 29, 2006

「ローマの休日」の著作権問題-----つまり江川問題みたいなことらしい

Casab

最近、店先のワゴンのようなところで、わーっと山積みにして、著作権切れの「名画」DVDを500円とかで売っているところをよく見かけるようになった。

「よくやるよ。誰が買うんだ。どーせ飲んだ帰りの酔っ払いのオヤジが買うんだよ。こういうの。もう何年も映画なんてみてないなーなどと言いながら。やだね。これでも昔は映画青年だったんだなんて、おねーちゃんに見栄はって、あーいやだいやだ。年はとりたくない」

って何だかんだ思いつつ、「誰がために鐘はなる」と「ガス塔」と「カサブランカ」を夜の銀座でこないだ衝動買いしたのは誰ですか。

私です。

だって500円だよ。「カサブランカ」が。何度も見られてあのカサブランカが500円ぽっきり!!

これはどーゆーことか。文化的愚弄ではないか。著作権切れなのは知りつつ、しかも自分はちゃっかり500円で買いつつ、そんなこと思っていたら数日前のこの記事。

名画「ローマの休日」の著作権所有を主張する「パラマウント・ピクチャーズ・コーポレーション」が、同作の激安ソフトを販売する会社に販売差し止めを求め る仮処分を東京地裁に申請していたことが二十四日、分かった。同作などが公開された昭和二十八(一九五三)年は、著作権の保護期間内にあるのか、期間が終 了しているかが明確でない“空白の一年”で、映画の当たり年でもある。関係者の間では「五三年問題」と呼ばれ、司法判断に注目が集まっている。
 昭和二十八年に公開されたいわゆる二十八年映画には「ローマの休日」のほか、西部劇「シェーン」やSF「宇宙戦争」、小津安二郎監督の「東京物語」などの名画が多く、平成十五年十二月三十一日で公開後五十年を経過している。
 十六年一月一日、映画の著作権保護期間を公開後五十年から七十年に延長した改正著作権法が施行されたことで、保護期間の解釈に相違が出た。
 同法を所管する文化庁は、二十八年映画について「保護期間の終了した十二月三十一日二十四時と、改正法施行の一月一日零時は同時」とし、「改正法の施行時は著作権の保護期間内にあり、改正法が適用される」との見解を示している。
 パラマウント社側は「文化庁の見解は、昭和四十五年に同法が改正されたときの考え方を踏襲している。従来の考え方ならば著作権は継続している」と説明する。つまり、「ローマの休日」の著作権保護期間は、七十年ということになる。
 これに対し、一部の業者は「二十八年映画の保護期間は十二月三十一日で終了し、その後に改正法が施行された」と主張している。保護期間が終了した映画は 「パブリックドメイン」(公共物)となり、自由に使うことができるとして、著作権料を払わずに激安ソフトの販売を始めている。
 パラマウント社側によると、「ローマの休日」だけで、五百-千円のDVDが七、八種類も出回っている。同社は警察に相談したが、「海賊版かどうかは司法判断がないと分からない」と回答され、申請に踏み切ったという。

(産経新聞) - 5月25日

ふーん。つまり1953年(昭和28年)は「江川の空白の一日」なんだな。(??ひどい理解)
確か、僕が買った本屋の店頭にも「ローマの休日」はあったように思う。「東京物語」も。なんだ、これならもっと買っておけばよかったななどと、非常に月並みな感想。

しかしパブリックドメインになった映画は、こっちで自由に複製して売っても良い訳だよね?何だかオードリーやバーグマンがどこの四畳半とも暴力団の事務所ともわからん暗がりで、安物のDVDコピー機で次々と複製されている(妄想)のを想像すると、これまた胸が痛むのであった。

って思い切り世代の感傷が混じってしまった。

警察の「海賊版かどうかは司法判断がないと分からない」という回答も、まあもっともな答で、しょうがないんだろうはが、映画ファンの警察官が受け付けたとすれば激昂したのではないか。


2006 05 29 [映画・テレビ] | 固定リンク | コメント (6) | トラックバック

April 03, 2006

因島の小学生とポルノグラフィティ

以前僕の事務所があった近くのマンションの1Fがカフェになっていて、そこでよく昼食を食べたのだけれど、そこでよくポルノグラフィティのハルイチを見かけることがあった。だからというわけではないけれどポルノグラフィティに親近感を深めるようになった。
あ、ハルイチだ。とそれはまあそんな感じだったけれど。

ハルイチが書いた詩を、アキヒトのあの一種独特のスピード感のあるボーカルに載せるのが、ポルノグラフィティのスタイルであり魅力だけれど、この2人は広島県因島の出身だ。昨夜のNHK番組「スーパーライブ ポルノグラフィティ in 因島」という番組で、この2人が故郷因島を訪ねて「凱旋コンサート」的なものを開催し、また2人の思い出の高校を訪ねる。その高校はこの春廃校になってしまって・・という、まあよくあるアーティスト帰郷ものといえばそうなんだけれど、そこはそれ、なにしろあの「あ、ハルイチだ・・のハルイチ」とスピードボーカリスト、アキヒトだったわけです。いい味が出ていました。

#BSでは1月に放送されていたものだったよう。

ついつい見入ってしまったのだけれど、面白かったのは彼らが開いたライブ。

1回目は全員因島の小学生。2回目は全員因島の高校生。

因島の小学生がオールスタンディングでポルノグラフィティの曲に合わせて、ジャンピングする光景は、なんだか心ざわめくほどに新鮮で、何だこの光景は・・という感じで驚いてしまった。バラード「愛が呼ぶほうへ」では(どうも事前に歌詞を覚えてきてくれとポルノがメッセージしていたらしく)会場の小学生のみで、「愛が呼ぶほうへ」の大コーラス。目に涙を溜めている子がたくさん。わーすげえ。
因島の小学生にはもう「愛」が見えているのかな。見えているのかもしれない。何しろ因島だもの。と訳のわからないことを考えてしまった。それほどの光景でした。

高校生の方では、地元の高校生バンドがポルノグラフィティと共演。これも緊張しまくっている姿が最高にカワユかったよ。いいじゃん、因島の高校生もハルイチもアキヒトも。
でも子供たちを巻き込んでこうも素晴らしくなってくると、バンド名はもう少し考えたほうが良かったんじゃないかなあなどとつまらないことを考えてしまった僕でした。

ライブというのはアーティストと聴衆の共作だけれど、この場合明らかに「主」は子供たちのほうで、まあ、この路線に走ってしまうと大抵のアーティストは食われてしまうんだけれどね。

で、因島の小学生が涙で合唱していたバラードがこれ。
ケっとかへっとか言わず謹んで聴くべし。

(陰謀なんて巡らしている場合じゃない。)

   「愛が呼ぶほうへ」

作詞:新藤晴一
作曲:ak.homma
編曲:ak.homma ポルノグラフィティ

償う人の背に降り続く雨
綺麗な水をあげよう 望むまま
戸惑う人の目に吹きつける風
見えぬなら閉じればいい 手をとってあげよう

僕を知っているだろうか いつも傍にいるのだけど
My name is love ほら何度でも僕たちは出逢っているでしょう?
そう 遠くから近くから君のこと見ている

幼い恋の瀬に一緒に泣いてくれた
友の隣で微笑んでいた
旅立つ君をただ黙って送った
父の背中の涙を受けとめていた

君は知っているだろうか 悲しみも喜びも
My name is love 僕が持つたくさんの名前のひとつだから
そう 永遠で一瞬で君にとってのすべてだ

花が空に伸びゆくように 海を越える旅人のように
いつも導かれているのでしょう 愛が呼ぶほうへ

僕を知っているだろうか いつも傍にいるのだけど
My name is love ほら何度でも僕たちは出逢っているでしょう?
そう 永遠で一瞬で君にとってのすべてだ
遠くから近くから君のこと見ている


岡野昭仁(AKIHITO OKANO) Vocal
新藤晴一(HARUICHI SHINDO) Guitar

2006 04 03 [映画・テレビ] | 固定リンク | コメント (2) | トラックバック

February 14, 2006

遠い路----私たちの心の上に降る雪

韓国ドラマと言うと、橋田須賀子のドラマのように台詞の間がなく、かまびすしい印象がある。やたらと出演者がわーわー言っている感じがあって、「なわけねーだろ」なんてノリで冷やかしながら観るなら結構楽しいんだけれど、少し心が疲れているときや沈んでいるとき、静かにストーリーに浸りたいときには不向きである。冬ソナはもちろん、「天国の階段」や、あの大涙ドラマ「私の頭の中の消しゴム」もその例外ではなかった。泣けー笑えーっと画面全般から来る全力の念波が、それでなくても不安定な心には苦しいときがある。

そんな韓国ドラマのイメージを変えてくれたのが、「深夜のNews」でも紹介されている『遠い路』だ。

この作品を最初に見た時の印象は、自然の風景の美しさだった。この作品を見て、韓国の雪景色の美しさに驚いてしまったのである。そうだよな、韓国でも雪は降るよなと思ったのだ。そりゃあ当然、韓国でも雪は降るだろ、バカかオマエと言われると思うが、正直に白状してそう感じてしまった。
(中略)
例えば、雪が降っているとする。その雪を見て、京都や大阪にも雪は降るということと同じように、ソウルにも雪が降ることを思い、その降る雪の下で毎日を暮らしている人々のことを思う。ようするに、国際性とは、国際社会や異文化の知識をどれだけもっているかではなく、こうした人としてのあたりまえの感覚を持っているかどうかなのであろう。(
深夜のNews 韓国ドラマ『遠い路』より)

そうなのだ。美しい雪景色。映像は都市からすーっと韓国の雪の田園地帯に入り込んでいく。そのとき不思議な既視感が生まれる。日本と同じようでどこか違う風景。大切な思い出に結びついているような雪の韓国の自然と、2人の孤独な心がこのドラマでは、重ね合わせるようにじっくりと描かれていた。確か深夜のテレビで見たと思うけれど、非常に心に残るドラマだった。真魚さんとこの感覚を共有できているようでうれしく思う。

韓国ドラマには珍しく、台詞と台詞の間に、沈黙がある。まずこれが新鮮である。静かな雪景色の中、それぞれの思いを持ちつつもそれを抑えながら故郷へ向かう2人。恋人に捨てられたソンジュと、父を安心させるために俄か恋人を押しつけられたウシク。ウシクは家族を知らずに孤児院で育った天涯孤独の青年である。金目当てでソンジュの願いを聞き入れて気の進まない旅に同行したウシクが、次第にソンジュの父に心を開くようになっていく。

おそらくウシクは自分に欠けているものを意識しながらも、それを認めず、せいいっぱい虚勢を張って1人生きてきたのだろう。一見軽薄で計算高く見えるが、肩肘をはった裏に秘められた孤独と、それでも人を、家族を求める押さえ切れずあふれる慕情が、ソンジュの父に会うことで雪解け水のように彼の心の奥から滲み出てくるのがわかる。そんなウシクの姿に驚きながら、次第にウシクに惹かれていくソンジュの戸惑いも、韓国の雪の田園の風景の中でじっくりと描かれていた。

おそらく雪は、1人で父の元に帰れないソンジュの寂しさであろうし、ウシクの孤独であろう。その雪を溶かしていくソンジュの父の笑顔がいい。両親のことを思える人はおそらく両親を思い出すだろう。

去年初めてソウルに行ってから、なじみの薄かったハングルが身近な言葉になり、とっつきが悪かった韓国料理が懐かしい味のように感じられるようになった。若者で溢れるミョンドンで人の波に流されながら、我らと彼らの上に降る雪に変わりがないこと。そのことを本当に知らされたのは、実は僕もつい最近のことだったのだ。

日本に紹介されている中では異色の韓国ドラマであると思う。

2006 02 14 [映画・テレビ] | 固定リンク | コメント (3) | トラックバック

February 07, 2006

ミュンヘン----国家の絶対的物語と3人の女

munich

1972年9月5日にミュンヘンオリンピック会場で発生したテロ事件、いわゆる「ミュンヘンオリンピック事件」を題材にした作品。ミュンヘンオリンピック開催中にイスラエル選手団を襲ったパレスチナの武装組織「黒い九月」は、イスラエル代表チーム人質11名を全員殺害した。
オリンピック開催中の出来事というショックもさることながら、その後のイスラエルの情報機関モサドと「黒い九月」の報復合戦は世界中を舞台に多くの死者を出した。
原作は、今は本名を変えて米国に住む、元暗殺隊長の告白に基く凄絶な復讐の記録「標的(ターゲット)は11人―モサド暗殺チームの記録」。スティーブン・スピルバーグが映画化したもの。
全編、復讐を進行するモサドの暗殺部隊リーダー、アフナーの視点を中心に果てしない殺戮と終わりのない報復の泥沼に手を染めていく人間たちのドラマが描かれる。苦しく長い164分。

1972年、世界はテロの連鎖で騒然としていた。5月8日、パレスチナ人がベルギーの旅客機をハイジャック、イスラエル政府に対し服役中のゲリラ317人を釈放するよう要求。5月30日には「日本赤軍」の3人の武装ゲリラが、イスラエルの表玄関であるテルアビブのロッド空港で無差別乱射事件を起こし、27人を殺害する。

そして9月のこの事件。当時幼かった自分もショッキングな出来事として記憶に留めているが、その後イスラエルという国家がその首謀者たちを世界中を舞台に追い詰め、消していった過程は詳しくは知らなかった。この非情の使命を担うアフナーは凶暴でも屈強でもなく妊娠した妻の出産を気遣う、普通の男として描かれる。彼が殺人を重ねるにつれて次々と仲間を報復で殺され、おそらくその「普通さ」の故に、次第に精神的に追い詰められていく過程が息苦しい映像で描かれ、テロとその報復の連鎖の空しさが描かれている。強烈な暴力シーンが連続し、息が苦しくなる。

この映画で彼を追い詰めていくのは、忠誠を誓う国家イスラエルはもちろんのこと、実は3名の女性であったことが印象的だった。
1人目は、当時のイスラエルの首相、ゴルダ・メイヤ。アフナーの忠誠に親愛を示しつつも無慈悲な任務を有無を言わさず命じる。
2人目はホロコーストを生き延びた彼の母親。母は絶対的に息子アフナーを信じつつも、苦しむ彼の「任務の中身」には耳を貸さない。ただ彼を「信じ」彼を「愛し」そして祖国イスラエルの悲願に忠実であれと諭す。
そして3人目は彼の妻である。彼女もやはり絶対的に夫を信じ、国のために、家族のために明らかに危険な任務に彼の背中を押すように、送り出す。それも家族の平和を願うからこそであり、夫を信じるからこそである。
自らの忠誠を3人の女性から信頼され、ひたすら任務の成就に向かい、しかしアフナーの両手はおびただしい血にまみれ、精神は荒廃していく。
悲劇の歴史を刻んだイスラエルと言う国家の、絶対的物語に絡め取られた女性の愛そして自分への信頼を、アフナーは崩すことが出来ないのである。国家の怨念を、善良であるべき市民の一人ひとりの「忠節」や「使命感」へと変え、善意の人々が同じく「よき父」を最悪の殺戮へと結果的に追い込んでいく---あらゆる国家や民族の戦いに普遍の恐ろしさをアフナーを囲む人間たちにこそ感じた。
スピルバーグは、悪戯にエンターティメントに走らず、抑えた調子でこの長いつらい物語を撮っている。スピルバーグ作品には珍しいと言われるセックス描写にも、アフナーの悲劇が効果的に描かれている。

見続けるのがつらくなる映画である。

彼の「彼らしさ」は、それでも随所に見えるユーモアに。そしてニューヨークで復讐に脅えて暮らすアフナーが歩くラストシーンの彼方の空に、無限の報復の空しさを象徴させるかのように、今は亡き世界貿易センタービルの2本のビルを、合成で再現したところだろうか。

もちろん1972年当時、あの時、確かにあの建物はあの場所に建っていたのだけれど。
印象的なラストシーンだった。

【2/7追記】
世界貿易センターが竣工したのは1973年。ラストシーンの時代背景も事件の翌年の1973年だったことを後から知った。スピルバーグは竣工されたばかりの世界貿易センタービルをあえて遠景でラストに配したのである。

【参考リンク】
特別暗殺チーム「黒い九月」が起こした「ミュンヘン五輪虐殺事件」

2006 02 07 [映画・テレビ] | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック

January 20, 2006

「ホテル・ルワンダ」---守ったのは職業倫理ではないだろう。

story_simg06

ルワンダでなぜあのようなことが起き、そしてなぜ世界や自分が沈黙していたか、あるいは沈黙していて何がいけなかったのか、国連はなぜルワンダを「助けなければ」いけなかったのか、助ける「必要がなかったのか」という、こういう一つ一つを大事に、大事に考えていかないと、人権という名の(それもひどく浅薄な)ヒステリーになる。あるいは平和主義というヒステリーになる。
起きたことの構造や背景を知ることは日本でもある程度はできる。情報も入る。

だが、その対極に「現場感覚」というものがある。リアリティだ。生だ。
窓が、扉が夜中に叩かれる。兵士が踏み込んでくる。
銃声が轟く、横で愛するものが殺されようとしている。恐ろしくて子供ががたがた震えている。火薬の匂いがする。怒声が響く。隣人がなたで頭を割られて殺される。

もちろんあのとき、あの場所にいたものでないと体験できない。だが、いたとすれば現場で、どういう追い詰められ方をしていたか、他の国にどんなに助けてほしかったか。どんなに彼らが、どうしようもない追い詰められた状況だったか。その何十分の一かを人に伝えるために、この映画があると思う。映画通りだったのか、違うのか、それは今の僕たちにはわからない。

しかし、その「恐怖」の前に、つまり1分単位で身が削られていく恐怖の前に、世界の政治や経済の構造を考えることすら空しく、理屈を言うなという声が聞こえる。

1994年の春、大虐殺。
ルワンダは死体の山になっていた。

あのとき僕はどこで何をしていたのかと思う。
わかっている。どうせろくなことはしていなかった。何をしていなかったとしても、していたとしても、どうせ自分には彼らに何もできなかったろう。

正気を取り戻すと僕はパンフレットを読み、もう一度ルワンダが何だったのか、世界の「構造」について考え始める。世界はどうしてこうも自分が知らないうちに、自分が知らない理由で、いつも人が死んでいくのだろうと。
そして、なぜいろいろな理由で自分たちはそれを助けることも止めることもできず、人が死に絶えた後でそれを知り、ああだった、こうだったと日本の隅でぶつぶつ言っているのだろう。

空しい。空しい中で何ができるか考えて、そしてやっぱりたいしたことができないと思い、僕は絶望して眠り、朝起きてまた少し元気になると何かができるはずだとまた思う。人が書いたブログを読んで元気になったり嘆いたり。そうだ。もっと客観的にならなければいけない。暗闇の中で泣いているだけだったら、誰でもできる、と気を奮い立てる。安いヒューマニズムなど犬にくれてやれと少しだけ前を見る。

その繰り返しで生きて飯を食って、僕はきっと、いつか下らなく死んでいくのだろうかと思う。
誰も、この世のすべてに介入できるわけでもない。
誰もすべてを助けられるわけでもないのだ。
国連がなぜ助けてくれなかったかなんて、何一つもわからないまま、1994年にルワンダで100万人もが死んでいった。

彼らに国際情勢は関係ない。

「ホテル・ルワンダ」を上映したあの劇場の狭さを思い出して、また絶望的な気分になる。

なぜなら僕はもう十分に大人であり、なぜこの映画があんな狭いところでないと上映できなかったかも知っているからだ。(ここ、昔のユーロスペースだ)

で、この記事

>孤立無援のポールさんが守り通したモラルは愛国心でもキリスト教の教えでもなく、ホテルマンとしての、接客業としての職業倫理だった。つまり「どんな客も差別しない」ということ。接客業では、店内に入ってきた人を、たとえ客でなくても、どんな服装をしていようと、どんな人種だろうと、基本的にお客様として取り扱うよう教育される。もちろん「他のお客様のご迷惑になる」時は出て行ってもらうこともあるが、「追い出す」のではなく「お帰りいただく」わけだ。

>ポールさんは職業の倫理だけに従うことで、多数派から独立した判断を貫いた。

ポール・ルセサバギナにあったのは「職業の倫理」なんかじゃない。エゴイスティックな防衛本能だ。死にたくない、殺されたくないというね。

>ポールさんも、なぜ自分の命もかえりみずに1200人を救うことができたのか? と問われたら「私はホテルマンだから」と答えただろう。仕事をまっとうする、どんな状況でもそれを貫くことがどれだけ難しいことか。(ベイエリア在住町山智浩アメリカ日記)

そんなこと言わないと思うよ。どこで誰が「改変」しているんだ?そういう風に。

あの映画のどこをどう見れば、ポール・ルセサバギナをここまで読み違えるのか、まったく理解できない。彼はフツだが、ツチの妻と娘の命を、親族の命を守りたかっただけだ。そで賄賂を振りまいてなりふりかまわず周囲を利用した。ホテルの支配人の立場を利用した。それ以上でも以下でもない。そうとしか僕には読めない。誰が職業倫理の話にしたんだろうか。彼の動機は、俗っぽい「防衛本能」から、家族と親戚と隣人だけ助ければいいというところから始まったかもしれない。
しかし、そんな安っぽい彼の同情心、防衛本能も、結果的に1200人あまりの命を救うことになることがあるというのが、家族も恋人も殺されたことのない場所からはわからないのかもしれない。残念ながら根本から読み違えた記事を端緒に、議論が発展したことは「瓢箪から駒」ではあるけどね。

もっと大勢の人がこの映画を観ることができれば良かったと思う。

彼はツチの妻と家族、そして隣人を守ったが決して「ホテル・ルワンダ」を守ったりはしていないのである。

【1/21加筆】
1日経ったところで加筆する。映画で描かれたポール・ルセサバギナと、実在のポール・ルセサバギナ氏を僕は峻別して書いていると思う。ここで触れているのはあくまでも「映画の中のポール・ルセサバギナ」である。実在の方である以上、インタビューでどうお答えになったか、その仔細は存じ上げない。映画ではなくリアルのポール・ルセサバギナ氏の意志が、どうであったか、それについては僕にはこの段階ではわからない。ホテルマンとしての誇りではなかったと、僕が断言できるポジションにはいないのである。それは不可知だ。言うまでもないけれど加筆しておきます。思うところあればあとはコメントで・・

【参考リンク】
■職業倫理の範囲(愛に史観を)

2006 01 20 [映画・テレビ] | 固定リンク | コメント (4) | トラックバック

January 06, 2006

東京タワーがないんじゃモスラも繭を作れない。-----「Always 三丁目の夕日」

3ch

まるでブレードランナーのようなと言ったら見当違いかもしれないが、土台だけの東京タワーが背景にある昭和33年の東京は異空間である。東京タワーはまるで大昔からそこにあのままの形で立っていた様に思い込んでいたけれど(なわけないだろ)考えて見ればあれは人工の建造物であり、下から人が建てていったのである。知ってた?(当たり前)
冷静に考えると、ビッグコミックに連載されていた、西岸良平の漫画「三丁目の夕日」のストーリーを、思いのほか忠実に再現している。鈴木オートにやってくる六ちゃんや、売れない作家で駄菓子屋の茶川竜之介、そこにやってくる身寄りのない少年古行淳之介と、基本的な設定は漫画と同じ。といっても観始めてから、漫画のストーリーを思い出したんだけれど。

茶川竜之介(ちゃがわ りゅうのすけ) - 東京大学(当時の呼称は東京帝国大学)文学部卒、芥川賞に何度も落選し、今は駄菓子屋主人。子供向け小説を連載中(電人少年、銀河少年ミノル)。ペンネーム「人形砂吉」で、カストリ雑誌に官能小説を書き好評を得ている。名前は「芥川龍之介」に因むと思われる。原作では50代となっているが、映画版では32歳。(Wikipediaより)

ちなみに「六ちゃん」は漫画でも女の子だと思っていたらこれは勘違いだった。掘北真希は天才かもしれない。

星野六郎(ほしの ろくろう) - 鈴木オート従業員、東北から集団就職した。20歳前後、ニックネームは「六さん」。髪の毛をあげると実はハンサム。但し映画版では「六子ちゃん」という少女に変更されている。(同上)

吉岡秀隆の茶川は、漫画よりも遥かに若い設定なのだが、このだらしのない、ぼやいているばかりのダメ作家を「大好演」していた。内田有紀と別れることになっても芸に集中した吉岡君の役者ハーツに心より乾杯。

3ch2

街はセットだけではなく、21世紀のCG技術であの時代を驚くほどのリアルさで再現している。思わず目を見張る。
かつてあった東京、そこには金魚売りが行きかい、氷屋で買った氷で冷やす「氷冷蔵庫」、とてつもない高級品のテレビ、力道山、集団就職。僕の生まれる遥か昔の(ウソだよ)東京の原風景は懐かしすぎる。過去を悪戯に美化するんじゃねーよ・・などと心の中で悪態をついていたのに、この両目から流れる水は何だ。(恥)

とにかく泣かせる、泣かせる。泣かせの最強王である。
前に「私の頭の中の消しゴム」を渋谷で見たときも、場内の茶髪の兄ちゃんや姉ちゃんが嗚咽していて驚いたけれど、この映画では嗚咽などという生易しいものではない。後ろの席の女の子などはまさに声を出してわーわー号泣しっぱなし。引く寸前。
なんてこっちも言っていられない。気がつくと溢れる涙で服の襟まで濡れていた。(!!)何てこった。
映画館中でわーわー泣きまくって、入れ替えで外に並んでいる観客に悟られないように、涙を拭いて一生懸命「まーあんなもんでしょ」みたいな平静な顔に戻して、みんなでロビーに出てくる。上映1回単位の妙な共犯意識。人間も捨てたもんじゃないと思わされる・・って見事に映画に嵌められているじゃないか。

今笑ったな。僕を笑うなら、あなたも映画館に行くべし。
泣かずに出てこれたら、あなたに100万カノッサ!(古っ)


2006 01 06 [映画・テレビ] | 固定リンク | コメント (7) | トラックバック

September 24, 2005

「ヒトラー最期の12日間」---広く見開くべし。私も。そしてあなたも。

hitler 

「ヒトラー最期の12日間」を先日ようやく見てきた。

1942年、数人の候補の中からヒトラー総統の個人秘書に抜擢されたトラウドゥル・ユンゲの手記を元に制作され、ヒトラーとナチス幹部の「最期の日々」を類まれな迫力と迫真の表現で描いている映画である。

ベルリンに迫るソ連軍の猛攻の中、次第に追い詰められ破綻の淵に瀕していくヒトラーとゲッベルスやヒムラーなどのナチス幹部、ヒトラーの愛人のエバブラウンなどがこの時間をどのように過ごしたかが迫真のリアリティで描かれている。

ブルーノ・ガンツ演じるヒトラーは、まさにヒトラー以外の何者でもない。その圧倒的な存在感は、あたかもガンツにヒトラーの霊が憑依したかのようであり、他の何者としても私たちはガンツを見得ない。スクリーンを見つめる全ての人にとって、そこに立っているのは役者ではなくヒトラーその人にしか見えないのである。卓越した演技は驚異そのものである。

ここで描かれるヒトラーは、「意思の勝利」で演壇で声を張り上げてドイツ民族の再興を叫ぶ、あのヒトラーではなく、とうに壊滅した部隊の救援を信じて幹部を困惑させ、あるいは錯乱して大声を上げ、とうに正気を失った哀れな人物として描かれている。
彼の後ろに組まれた両手は絶えず神経質に小刻みに痙攣し、破綻への呪詛と怨念を撒き散らし、錯乱して幹部に怒号を張り上げたかと思うと、ユンゲら配下の女性には常に優しく、細やかな心配りを見せる。その二面性の恐ろしさ。
彼がなしえなかった、夢見ていた世界への執着が強いがゆえに、部下の進言に耳を貸さず、降伏もせず、ベルリンを最期まで撤退することもせずに、ついに自殺へと至るのである。

ゲッベルス夫妻のナチズムへの狂信ぶりは異様であり、特にゲッベルス夫人の存在感は異彩を放つ。「ナチズムが滅んだ世界に子供たちを生きさせたくない」として、次々と自分の子供たちを殺害していくシーンは圧巻であり、その狂気とむごたらしさには息を呑む。
「戦争は常に男が起こすものである」とは、よく言われることであるが、このゲッベルス夫人や、映画に登場する従軍の女性兵士などはその例外であろう。ナチズムに心酔したその目の狂気は時として女性ならではの有無を言わさぬ不気味な「確信」があり、たじろぐまでに狂おしい。

ヒトラーが総裁官邸の地下に籠り、撤退も降伏もしないために、ベルリン市民は市街戦と化した街の中で地獄の苦しみを味わうが、「国民のためにも一時撤退を」と必死に進言する幹部に対して、ヒトラーとゲッベルスは全く同じ言葉を張り上げるのである。

「国民がどうしたっていうんだ?!やつらが選択してこの事態を招いたんだ。自業自得だ。知ったことか!」

あっけにとられて沈黙する幹部たち。

これはフィクションではなく、ユンゲの証言が正しいとすれば、ナチス政権最後の断末魔を、その空間のレイアウトや空気、個々の言葉までがある程度正確に再現されていると思っていいだろう。そのことをあわせて考えれば、ヒトラーやゲッベルスが、自分たちの権力の基盤が

「国民が自ら選択し、自ら進んだ道である」

と最期まで確信していたことがわかるのであり、彼らの「責任意識」がどんなものであったかが窺い知れる。それはおそらく破綻に瀕した彼らのぎりぎりの自己防衛であり、そしてそれはおそらく恥知らずな自己欺瞞であったかもしれない。が、同時にそれは「彼らにとっては」真実でもあったのかもしれないのである。

とにかくそのリアリティゆえにヘビーな映画である。破滅に瀕したヒトラーの哀れさ、敗北の無残さ、狂気の深さに途中涙が止まらなかった。特に幼い子供にも刃を向ける、ゲッベルス一家の最期は直視することができず、幾度も映画館を出たくなった。精神的に耐えられないぎりぎりのラインを味わった。

ヒトラーの自殺後も、降伏を選択して「生きる」ことを選ぶ者、そしてゲッベルスのようにナチズムと共に滅びることを選ぶSS隊員らの人間像が描かれる。「もう生きてはいられない」と死を選ぶその背景に、その犯した「甚大な罪」への無意識の視線が、あるいはあったかもしれない。

僕なら。

僕ならやはり迷わず死を選ぶと思う。自らが全霊で関わった世界が崩壊した後、敗北後の世界で生を見出すことはできないだろうと思う。ここでは銃口をこめかみに当てるSS将校に同調する。

ところで、この映画論の末尾で言及することが適当であるかどうかはわからないが、少し現実の話をする。

小泉=ヒトラー論は暴論であるという指摘、あるいはここにおいて、再三にわたってヒトラーになぞらえて小泉批判をすることへの疑問をいただいた。私のエントリーで直接小泉をヒトラーであるなどと断言したりしたことはないが、時代背景の中で、国民の間に、行き詰った状況を、「全力で何かをなしてくれる」カリスマ待望の心を生み、必ずしも合理的であるとはいえない政策を、情念的期待で支持し、それが小選挙区制という制度下で、地すべり的な自民党の大勝利をもたらしたことは事実。それを考えると、ヒトラーを生み出した時代の全てが、現代と全く共通性がない遠い過去のことであると、断言することも、またできない。

元来、民衆が理性を保った上で、冷静な政治的選択を行い続けることが「できる」というのが、議会制民主主義の最低条件であり、必須条件である。その選択自体に感情的・情緒的な色彩が濃くなり、当の民衆一人ひとりですらコントロールできないような状態の萌芽がいささかでも見られるならば、それは何度でもチェックされ、相互の批判にさらされなければならない。

ワイマール体制でのヒトラーの誕生とその後の禍々しい歴史と今とを比較して、当時とはこことここが違う、小泉はこんなことはしなかった、第一小泉は、大量殺戮などしなかったのではないかと相違点を探すことは容易である。だがそれにも関わらず過去の事象にいささかでも未来への予測や警鐘が含まれていることは、曲げられないし、多くの人々がそれを感じ取っている。私たちはそれに敏感すぎるほど、敏感になるべきだろうと思う。

さらにこうも思う。

自由民主党が主導した戦後のこの時代。今日まで国民に一滴の血も流れていないではないか、それが小泉政権に至るこの国の保守政治の成果であるというかもしれないが、そのことがそのまま、我らの無謬性を示すことにはならない。

我らはこの間、他国の軍事力に国土を守らせ、他国の多くの若者が死地に向かい、そこでまた貧しい他国の女性や子供、無辜の市民を大量に殺戮することから、目をそらした。少なくともそこに正面から向かい合おうとしなかった。そして毎日100名が自らの意志で命を絶つ類まれな「先進国家」を作った。

この状況の中で唱える靖国とは何か。

イラク派兵とは何か。

戦争放棄の理念とは何か。

そして平和論とは何か。

憲法九条とは何か。

自ら600万人の人間の命を直接奪うことがなくても、私たちはそうした世界観を持つ国家や指導者を支えることで、間接的に、毎日、毎日、大量の無名の「ユダヤの民」を「殺し続けて」いるのである。そうした意味であなたも私も、いわば「不作為の殺人者」であり続けていると思う。私たちは困難であってもこの「不作為の殺人者」から逃れるべく不断の葛藤を行うべきであり、それこそが私たちに課せられている、「生きる意味」の一つであろう。

民主主義が「最善の政治体制である」ということには、今でも懐疑的であるが、現在のところそれは人類がたどり着いた、ある一定水準の「知の体制」であり成果であることは疑い得ない。そしてそれは「民主主義」という概念自体の中でも、未だ確とした完成形を獲得しえていないのであり、今後も無限の検証と改善の努力にさらされ続けなければならない。

そうした中で選択された、国家の最高責任者の「責任の範囲」は、今日一国日本の狭い国土の中で繰り広げられていることのみに及ぶのではない。それは文字通り「最高責任」であり、この国が関わるあらゆる「世界の事象」に及ぶ。内政と外交にまたがる総合的なこの国の未来を私たちに提示し、私たちがそれを情念的ではなく理性的な判断で選択するのが、真っ当な民主主義のあり方であり、その環境を用意するのが、為政者の義務である。短期的に受けのいい部分だけを切り取ってプレゼンテーションすることで一時的な選挙の勝利を得たとしても、それは決して真の勝利とは言えない。それを考えるのが「政治的思想」の本来の姿である。

ナチズムですら、一部の異常な人間によって起こされた異常現象だったわけではない。また、ある朝起きたら、突然ヒトラーが演壇に立っていたわけでもない。人々はある日突然ガス室に送られていたわけでもない。毎日を生き、食べ、働き、愛し合い、眠る。そしてまた昨日と「同じはずの」明日が来る。
通常の社会に生きる通常の人間たちが、当たり前の日々の繰り返しの中で生み出した政治的・社会的体制であり、その結果がいかに悲惨なものであっても、まさにナチスの幹部たちが叫んだように、「国民が選択」した結果の積み重ねによってこそ生み出されたものである。正しくナチズムはドイツ国民が「選択して」生み出したのである。ヒロシマが私たち日本人の「選択」によって生み出されたように。

私たちはいつでも「明日のナチス」になり得るのだ。

発言する全ての知性にとって重要なのは、「過去との違い」を見つけて過度に安穏することではなく、いささかでも過去に近似の情景を認識したときに、いち早く警鐘を発する「カナリア」たるべきことではないか。

映画の証言者、秘書ユンゲはいまも存命であり、映画の最後で本人がコメントをしている。23歳で家族の反対を押し切ってヒトラーの秘書になり、幸運にも戦後を生き延びた彼女は、ユダヤ人の大量殺害などの狂気がヒトラーによってなされていたことには戦後になるまで、全く気がつかなかったという。

#しかしそんなことがあるものだろうか?映画を見れば見るほどこの発言は疑問である。何しろ彼女はヒトラーやゲッベルスの遺書までタイプしているのである。ある種の防衛的な発言ではないかという疑念は残るが、それはともかく・・

彼女のこの言葉で映画は終わっている。

「若すぎて何も気がつかなったというのは、言い訳にならないと思います。(私があのとき)よく目を見開いてさえいれば、気がついたはずなのです。」

今このときも広く見開くべし。私も。そしてあなたも。

【9/27加筆】
「さわやか革命」さんから指摘をいただいた。ユンゲは、この映画の取材撮影時には生きていたようだが、現在はもう亡くなっているとのこと。調べてみたところ、

1920年、ミュンヘン生まれ。1942年末から45年までアドルフ・ヒトラーの秘書を務める。戦後、一時ソ連の収容所に送られたのちは、『クイック』誌の編集長付秘書などの仕事を経てフリー・ジャーナリストとなる。2002年2月11日、ガンのため死去

とのことである。著書に「私はヒトラーの秘書だった」がある。

【参考リンク】
●「ヒトラー最期の12日間」オフィシャルサイト

2005 09 24 [映画・テレビ] | 固定リンク | コメント (3) | トラックバック

July 04, 2005

「意志の勝利」が残した記憶----久しぶりにレニ・リーフェンシュタールを思い出した。

triumpfdeswillens

菊地成孔という人のことをあまり知らなかったのだけれど、今夜の「情熱大陸」で見て、へー。才がほとばしる人はうらやましい。などと平凡な感想を持ちながらぼーっと眺めていたのだけれど、その中で、彼がちょっと音楽と平和に関しておもしろいことを言っていた。

質問は、「音楽に平和をもたらす力があると思うか」とかそんなものだったのだけれど、彼はそんなものは全然ないですよ、と否定してその根拠として、第二次世界大戦で米国が勝った理由の一つはスウィングジャズだったと言っているのだ。
二次大戦の時に、スウィングジャズの絶大な戦意高揚効果があったのに対して、ベトナム戦争の時はそうしたものがなかったどころか、音楽を反戦の方向に走らせてしまった。ベトナム戦争の敗因の一つは、音楽を味方につけられなかったことにもあるのではないか。つまり、音楽があれば平和になるとか、幸せになるなどという考えは間違いで、そんなことを言うのは、お金があれば幸せになりますというのと同じくらいに、実に頼りのないものである。音楽というのはどう利用するかというところが肝心なのであり、所詮そんなものではないのか、というようなものだった。

僕は第二次世界大戦にスウィングジャズが果たした役割について詳細に解説する知識はないけれど、それなりに説得力のある面もあった。

音楽だけではなく、芸術と戦争や平和との関係に関して、あるいはイデオロギーに関して言えば、忘れられない映画がある。それは1934年にレニ・リーフェンシュタール監督によって製作されたナチ党の全国党大会記録映画「意志の勝利」である。

「リーフェンシュタール監督はこの映画の監督をヒトラー自身から直接依頼された。主演・監督を務めた映画『青の光』に感動してのことという。リーフェンシュタールの自伝によると、宣伝相ゲッベルスの嫉妬を買いたくなかったし、ヒトラーの提示した「意思の勝利」というタイトルが大仰で芸術性のないことに嫌悪を感じたこともあって、最初は断ったという。しかし結局はヒトラーの非常な熱意と、題名以外は自由に製作させるという約束に動かされて監督を引き受けることになった。」(Wikipediaより)

「意志の勝利」を見る機会があったのは、もうずいぶんと昔。まだ大学生の頃だった。そのころある小ホールの支配人をしていた火宅の父が、珍しく招待をしてくれて、友人達を誘って出かけたのである。

「意志の勝利」に描かれたのは、ナチズムの強烈な存在感と、貫かれた徹底した様式美である。ナチズムの善悪について考える余裕もなく、観客はレニの卓越した、しかも隙のない演出手法に息を飲む。

「リーフェンシュタール監督は撮影・編集にあたっていくつもの独創的な技法を考案した。たとえばヒトラーの演説のシーンでは半円形に敷いたレールの上に置いたカメラでヒトラーを追い、様々なアングルから同じ被写体を捉えながらも見る者を飽きさせずに高揚させることに成功している。他にも大胆なクローズアップによって群衆の中の一人を切り取って見せ、それによって見る者もまたその全体の中の個であるかのような臨場感を抱かせたり、ヒトラーの飛行機によるニュルンベルク到着を冒頭に置くことによって雲の中から降臨する神・絶対者のイメージを想起させるなど、様々な手法で党大会の高揚感を伝え、また新たに作り出すことにも成功している。」(Wikipediaより)

圧倒的迫力を持つヒットラーの演説場面。ふと気がつくとすすり泣きが聞こえる。隣を見ると、友人達に混じってその日一緒に来た女の子が、ハンカチで目を押さえていた。後から聞くと、ヒットラーの演説にすっかり「やられて」しまい、訳がわからないままに感動して涙が出てきたということだった。音楽やデザイン、言葉に非常に鋭敏な感性を持つ人だった。
そして彼女は当時の僕の恋人でもあった。僕は、そのストレートな感性にたじろぎ、戸惑った。

だがわかる部分もある。論理とか正義とか、人間とか言う前に、レニの映画に描かれたヒトラーの演説は確かに悪魔的な魅力があった。論理はそれこそ空っぽなのだが、打ちひしがれたゲルマン民族の誇りを取り戻せと繰り返し繰り返し、単純な短い言葉を繰り返す彼の演説いや絶叫は、確かに聴く者を奈落に引きずり込むような迫力に満ちていた。それは認めざるを得なかった。

父は、映画の終了後、近くの喫茶店に友人達を招待し、「この世でもっとも邪悪なものが、もっとも美しいものを生み出すことがある。つまり美しいものが正義であるということはないのである」というような話をしてくれた。父にしては珍しく芯の通った、ある種ジャーナリストらしい発言だった。

後から帰りすがら、彼女に父の印象を聞くと、ただ一言「手があなたに似ていた」とだけ言ったので、思わず自分の手を眺めたことを覚えている。
菊地成孔のスウィングジャズの話を聞いた時に、このヒトラーの演説場面とそれを撮影したレニのことを久しぶりに思い出したのは、少々唐突と言えば唐突だが、父との数少ない思い出の1場面でもある。


美しいものが時にもっとも邪悪なものに味方することがある。--------

音楽や映像、芸術に限らずイデオロギーの美や一貫性を過度に求める姿勢に対しても、その危険は秘められているような気がしているのだが、それはまた別の機会に。

●レニ・リーフェンシュタールは、「意志の勝利」の他、ベルリンオリンピックの記録映画「民族の祭典」などの撮影により、ナチスに協力したという烙印を押され、戦後は長く冷遇された。米軍、続いて仏軍に逮捕され収容所で尋問、拘禁、精神病院に収容され、非ナチ審査機関で「ナチの政治責任なし」とされるも「ナチの同格者」と格付けされる。1970年代以降、アフリカ、ヌバの人びとを撮影した写真集と、71歳のとき、年齢を51歳と偽ってダイビングのライセンスを取得し撮影した水中写真集の作品で、戦前の映画作品も含めて再評価されたが、2003年9月8日に101歳で没している。



●ご存知の方もあろうが、この7月9日より東京地区で封切られる「ヒトラー最期の12日間」にも注目している。

2005 07 04 [映画・テレビ] | 固定リンク | コメント (3) | トラックバック

April 06, 2005

誰も知らない-----次第にすさんでいく美しい瞳

whoknows

救いの無い話である。YOUの演じる母親は無邪気に、そして不気味に無責任。柳楽優弥演じる長男を頭とする子供達を放棄して男の元へ走る。1988年に東京で実際に起きた「子ども置き去り事件」をモチーフにしている。
残された子供達が、長男を中心に生きていくが4人の子供達は次第にすさみ荒廃していく。
カンヌ映画祭で最優秀男優賞を史上最年少で受賞した柳楽優弥の演技が何といっても引き込まれる。物語の初頭で美しく気高ささえ漂わせている少年が、責任の重さと出口のない精神状況の中で追い詰められ、苛立ち、その瞳が次第に暗く荒れていく。その見事な表現力に、圧倒された。

子供達を助けてくれる「大人」は見事なまでに誰もいない。ぎりぎりの状況になっている4人をよそに社会は、そして季節は淡々と日々を綴っていく。子供達に手を差し伸べるのは、コンビニで働く若い男女や、いじめに会った登校拒否の中学生など、これも社会の隅で、おどおどしながら生きているような人間ばかりである。

子供に限らず、地域で孤立している人たちに目を配ることの大切さを思わされる。
救いも助けも、もっとあまねく足元に満ちていなければならない。

テーマが自分には、自分史的に重なってしんどい。わかったうえでDVDを借りてきたのはいいが、幾度か途中で中断せざるを得なかった。がんばって最後まで見られたのは一重に柳楽優弥の素晴らしさ。

2005 04 06 [映画・テレビ] | 固定リンク | コメント (15) | トラックバック

August 09, 2004

やっぱり「キングアーサーは7人の侍」

渋谷で鑑賞。ほとんど人は入っていなかった。

これって絶対そうだよな、と思って

「キングアーサー 黒澤」

で検索してみたら


「キング・アーサー」のお手本は「七人の侍」。

だとのこと。

神話に近い物語をリアルに表現するときに、やはり黒澤へのオマージュで
表現するしかない、と思えば改めて黒澤の偉大さがわかる。
騎士道を今にリアルに伝えているのは黒澤映画と、日本の武士道か。

円卓の騎士が7人の時点で、あるいは燃える民家、どことなく三船に近い
主演のクライブ・オーウェン。泥まみれの合戦シーン。で気がつく。

あえて黒澤映画になかったものはグウィネヴィアのセクシーな
肢体。でももう少し「伝説の王妃」の魅力を描くことはできなかったかなあ。

アーサー王の物語自体、復習してから見に行ったほうがいいと思う。
物語複雑で、前半乗り切れるまでに時間がかかる。

スプラッターが凄くて、子供にはどうかな。
氷の上の戦いは秀逸か。

ローマの支配形態。もしかしたらこうであったかと
思わせる要素あり。現代の米帝国のあり方に結び付けて
観るのは私だけか。

でも「冬ソナ」を見て感動するくらいなら、むしろこの映画を見て
心奮わせる男の子でありたい。


2004 08 09 [映画・テレビ] | 固定リンク | コメント (13) | トラックバック