September 30, 2007
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インターネットを遮断したミャンマー軍事政権とブロガーの戦い(CNET Japan IT'sBig Bang!)
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September 27, 2007
乱数表で死刑を執行したらどうかと言った鳩山法相
新聞等の見出しでは「署名なしで死刑を」となっていたが、「署名なしで、乱数表か何かで死刑を」ということだったらしい。
死刑を受けるべき人間は執行されないといけないが、(法相は)誰だって判子をついて死刑を執行したいと思わない」と発言。執行の順番について「ベルトコンベヤーって言ってはいけないが、乱数表か分からないが、客観性のある何かで事柄が自動的に進んでいけば、次は誰かという議論にならない(鳩山法相)
俺は執行したくないというのであれば、執行書に署名をしなければいい。杉浦正健元法相は在任中には、ついに死刑執行命令書にサインしなかったらしいが、記憶が朧だが他にもそのような「粘った」法相が過去に何人かいたはずだ。死刑に対する言論的な批判は当然あるべきであろうと思うし、法相になったことにより、直ちに例外なく死刑執行書への署名を拒めない、つまり無条件の法順守しかないとまでは私は思えない。死刑反対論であれば、堂々とその主張を立法の場で展開すればいいだろう。その上で国務大臣の執行義務との関係も議論すればいい。あるいは辞することになることも当然あろう。
ところが、彼がここで言っているのは死刑執行廃止論ではない。死刑執行の最後のボタンを自分が押すのは嫌だと言っているのであり、またその行為を最後の一人に委託するのは酷だと言っているようだ。では、一体誰が一人の人間の命を奪うことの最終責任をとるのか。それを乱数表に委ねるというのは悪質な責任放棄であろう。
そもそも鳩山氏に誰かがその役割を強制したわけではない。その役務がつらいというなら、彼は法相を引き受けるべきではないし、その自由がある。
「とてもあんなもの署名はできないなあ、寝覚めが悪くてなあ」
「うん、そうだなあ、くじか抽選で決めてくれれば楽だよなあ」
などという次元の会話は、庶民には許されようが、国政の重要な一端を担うもの、それも政府内の、法務大臣としては許されないお粗末な発言であ る。報道ではあまり追及されていないようであるが、私はこの発言一つをとっただけで、鳩山氏は法務大臣として不適格であると思う。さすがに後から乱数云々 は不適切だったとして取り消したが、取り消せばいいという問題ではない。一時的にしろこの程度の認識を公に吐露した鳩山氏は猛省すべきだ。
先日辞任した安倍前総理の例をまた引くわけではないが、そもそも何を思って彼らは重職を引き受けるのか。その覚悟が感じられない。私はある意味で、閣僚で なくても、政治家は1人の人間であることすら、一端は超越しなければならない局面があると思っている。政治には元来人を人として見詰めた末に、そこから離 れなければより大きな非道を招く恐れのある事態に対して、自分の人間としての苦しみを棚に上げても執行しなければならない局面があるはずである。その苛酷 を引き受けてくれるがゆえに、国民は彼らに社会的敬意を払い、待遇を保証する。政治家になろうとするものなら常識的な覚悟であると思えるが、それすらも危 うい政治家が多すぎると思う。これを「苦労知らずの坊ちゃん」と呼ぶのは易いが、安倍氏や鳩山氏のような「出自の卑しくない」政治家だけに限られたことで はないように思う。果たして政治家の苦しみを引き受けずに、特権だけを享受しようと言う傾向があまりにも強すぎるのではないか。
その観点からMr_Rancelotが言われた
よろしいか。大臣は国家を背負っているのだ。その意味が鳩山法相にはお分かりでないようだ。機能としての自分を掲げることが出来ぬならば、政府になど入るべきではなかろう。(「死刑」/green)
には全く同意である。
誰もあなたに、あなたの意に染まない行為を強制しているわけではない。責任を負いたくなければその場所に立つべきではない。立ち去ればよい。あなたにはその自由があるはずだ。
2007 09 27 [経済・政治・国際] | 固定リンク | コメント (1) | トラックバック
September 20, 2007
麻生氏はやはり情報を開示すべきだった。----密室禅譲の時代の終わり
麻生氏が、いち早く安倍総理の辞任の意志を聞いていたにも関わらず、自分の胸に2日も秘したことがどうとか言われているけれど、そしてどうも本当に知っていたのが彼だけなのかどうかも疑わしいというようなことが言われているけれど、このことを国家のコンプライアンスと言うか、危機における情報開示という観点から考えると、やはり問題があったように思う。
現状として、そのことが総裁選における、彼の失点のひとつとして利用されていることは事実であるし、実際安倍首相が麻生氏に打ち明けたときの状況を思えば、相当切羽詰った局面であると思わざるを得ない。であれば、麻生氏としてはまず国家的な観点からも、次には自民党的観点からも、一刻の猶予もおかず、まずは政権の中枢にいる官房長官、あるいは自民党の幹部、そして派閥の領袖にも報告をすべきではなかったか。
というのも、一般の企業ですら危機管理の観点、社会的責務の観点からネガティブなポイントについては一刻も早く情報開示することが厳しく求められる時勢にあって、いわんや国政の重大問題に関してをや、と思うからである。現実的な話で考えても、もしも麻生氏が「然るべく」動いていれば、今日の総裁選における状況は変わっていた可能性もあったと思うからであり、ここでの重大な判断ミスはやはり無視できないと思うからである。
もっとも、わかる部分、あるいは想像できる部分もあって、あるいは密室において総理から辞意を告げられたとき、麻生氏の頭の中にはあるいはその密室性そのものが、次期政権を託された証であるという思い込みはなかったか。特権的に示された情報が、あるいは次期の政権の奪取を保障する印籠のように思ってしまうところはなかったか。
ここで小渕恵三元首相の突然の死去に際しての後継森政権の「禅譲」における不透明さが世論から批判された記憶を思い出したが、ともあれ森氏は「密室における」あったかなかったか不明な小渕元首相からの「禅譲」を周囲に納得させて一度は政権に就いた。
ただその時代から年月は流れているわけであり、民間においての企業の危機管理がこれほど厳しく言われている現状を見れば、麻生氏の処し方も、違っていても良かったのではなかったと、私は思うし、つまりは政権を取れる、取れないという境目は実に微妙なものだなあとも思う。
2007 09 20 [経済・政治・国際] | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック
September 13, 2007
安倍首相辞任を表明----凄惨を知らぬ「美しい国」は弱かった
テロ対策特別措置法の継続がならなかった場合、実質的に辞任を示唆した「職を賭して」発言の時には、これは民主党を相手にした、ぎりぎりのブラフかと思った。民主党が「国際公約」に反して、再三の米国からの働きかけにも関わらず、同法の延長に反対するなら、安倍は首相を辞める。当然ながら政治には空白ができるし、対米国においても、日本は苦境に追い込まれる。それでもよければ反対してみろという、賭けかと思えたのである。
ところが、今日の急な辞任を受けて関係者の発言を聞いていると、すでに参院選の敗北以後、首相の心身は限界に達しており、どうも先の発言も深い思惑からではなく、既に政治的な決断能力を失っていたからであるという見方が強いという。
民主党の小沢代表と会談できなかったことを、最後まで首相は言及し、あたかも民主党の非妥協的な姿勢が、辞任に繋がったが如くであったが、小沢代表によれば、民主党への申し入れは腹を据えた勝負を挑むものではなく、「ご挨拶をしたい」などという曖昧なものであり、代表質問の前に何を悠長なと、小沢代表は会談を断ったという。
要は、諸所で安倍氏の判断力は破綻しており、正常な判断ができなかったというのが実際のところであったようだ。このタイミングでの辞任発表は政治的責任からすれば最悪であろうが、松岡元農相の例もある。実に無責任な軽挙ではあるが、あるいは在任中に最悪の事態になる恐れすらあったかもしれない。自ら職を辞するぎりぎりの力がまだこの人に残っていたことをもって、我らは次善の事態とすべきかもしれない。
それにしても、安倍氏の精神が、あるいは首相の激務には向かなかっただけではなく、その信条である「美しい国」も今となっては空しい理念に思える。「美しい国」どころか、自ら実に美しくない去り際を安倍氏は見せていったわけであるが、その言葉と裏腹に「テロとの断固とした対決」など、おおよそ、彼には土台無理だったろう。
先日、インド洋で給油活動に協力する自衛隊員の取材VTRを見た。どんなときに一番喜びを感じるかと聞かれて、給油した他国の船舶に感謝されるときと述べたときの、若い隊員たちの表情は確かに純粋であり、「美しかった」かもしれない。だが、テロとの対決とは、油を差しただけで終わるわけではないのだ。給油した船は、やがて洋上で敵にまみえるかもしれない。戦闘状態の中で相手を殺傷する場合も当然あるだろう。自衛隊員の給油した燃料は、殺傷のための環境を「友軍」に提供する、きわめて戦闘性の高い行為である。
洋上の夕日に輝く隊員たちの汗は確かに美しかろうが、美しさはそこで美しさとして完結されるわけではないのである。つまり表面的な「美しさ」はこの世界の「醜悪」や「凄惨」と表裏の関係にある。
もちろん、内政でも同様であり、先の小泉前首相が「痛みを伴った改革」と言ったときほどにも、この甘いマスクの首相に「痛み」の意味がわかっていたか。美しさの向こうにある凄惨が見えていたか。
決して米国の為政者を賛美するわけではないが、少なくとも彼の国には、この凄惨から目を逸らして空虚な「美」を唱える大統領はいないだろう。そこが、我々の国に欠けている決定的な覚悟であり、最後に涙目になって小沢氏の非情に恨み言を言いながらこの場を去った安倍首相は、まさにその「甘さ」を体現していたかもしれない。
真に凄惨を見つめて、なお美を唱えることが出来るなら。せめて今はそうした次の傑を望むのみである。
2007 09 13 [経済・政治・国際] | 固定リンク | コメント (6) | トラックバック
July 09, 2007
赤城農相の問題に安倍首相の空を思う----真に「美しくない」者ほど、虚な「美しさ」を唱えるのか。
赤城農相の政治団体「赤城徳彦後援会」が事務所として届けていた、農相の両親が住む実家の実態について、赤城農相の両親が行ったコメントは迷走を重ね、実に苦しい、それでいて苦笑ばかりもできないものであった。誰もが思うように、メディアの取材を受けた時に母親が漏らした言葉が、おそらく実態にもっとも近いものであり、両親の実感に近いものであったろう。それがおそらく真実に近い形であり、安倍首相が言うような、「うちも祖父の代からの政治家であり、自宅を事務所として使うことは自然なことである」というようなことでもないのは一目瞭然である。
最初の両親の反応や、近隣の人々の証言通り、赤城農相の自宅は、昔はともかくここ何年も政治的活動の機能は持っていなかったのだろう。それでも、ことここに至っては親は息子を庇わざるを得ない。が、おそらく善人なのだろう。メディアの取材突っ込まれると絶句する母親の姿は時の大臣の親御さんにそぐわず、痛々しい。
それにしても、松岡元農相のあれほどの事件があったのに、「ナントカ還元水」のときとほとんど変わらない口先の擁護を繰り返す安倍首相の姿こそ、実に寒々しい。この人の頭の中には、反省であるとか、あるいは成長だとか、そういう言葉はないのだろうか。宰相に就いた時から感じていたのは、この人物の言葉の恐ろしいほどの寒々しさと不誠実な言語である。
「人生いろいろ会社もいろいろ」と言ってのけた小泉前首相も相当なものだったが、それでもやれやれと苦笑させる「人間的」要素も現れていたと思う。人々は敏感にそれを感じ、それでもこの人を支持した。安倍首相が、任命権者としてぎりぎりまで大臣を庇うのはいいとしても、ベタに同じ言葉を繰り返す表面的擁護ではなく、「批判的に庇う」政治戦略もこの世界にはあるはずである。
赤城農相の陥った蹉跌は、実は政治家だけのものではない。自宅に会社をおいて、諸経費を経費処理している経営者も沢山あるだろう。家族と食事してそれを原価に算入している社長も星の数ほどあるだろう。これらはもちろん望ましくない。だが、企業経営者は少なくとも領収書は公開しなければならないし、企業業績で株主の裁断を受けねばならない。
巨額の政党助成金をはじめ、国民の税金を基本的財源として政治活動を行わなければならない政治家には、中小企業経営者に遙かに優る公開責任があるはずである。ところが首相の態度は、それを報告することを推奨する、あるいは不適切な法規は改正することを志向する方向に行かず、政治活動の秘匿性のような、前時代の遺物がそれに先立って優先される政治家の体質を、ただ盲目的に庇うだけである。首相は最高権力を付託された一個の人間として、はっきりとこの問題と向き合う必要があるだろう。
ところが彼の言葉には、一昔前の役場の窓口にふんぞり返った小役人にも劣る、紋切の建前論しか感じられないのである。
大事な近しい者をできるだけ庇おうとする気持ちも、それだけならば、それはそれで「美しさ」だとは思う。
それを貶めてしまう「状況」を作り出した農相のなんと親不孝なことかとも思う。
安倍総理の「擁護」が「そのようなこと」をご両親に強いる結果になることを安倍総理自身はどう感じるのだろう。
今の日本で「美しさ」が失われつつある状況というのはあるのかもしれない。
しかし、それはまさに安倍首相自身が「当然」と思っていること、「しかたがない」と思っていることの中にある。(美しい日本の難しさ(NairFessメモ帳))
FairNess氏の言うように、「美しい国」を唱えたのは安倍首相である。人が係累を庇う当たり前の人情を、正直にモノを言えない苦しい状況との板挟みに追い込んでいるこの国の政治の「醜さ」、そして実際にそれが幾多の政治家自身をも追い込み、滅ぼしてきたという非人間的な過酷と現実を、この人の眼は果たしてとらえているのだろうか。
「美しくない」者ほど、空虚な「美しさ」を中身のない言葉で過剰に言いたてるのかもしれない。この人物を見ているとつくづくそう思う。
2007 07 09 [経済・政治・国際] | 固定リンク | コメント (7) | トラックバック
June 30, 2007
朝鮮総連問題---緒方元長官逮捕への疑問
緒方元長官が、詐欺容疑で逮捕というのは実に意外である。てっきり朝鮮総連が結託して競売逃れのための偽装売買を行ったという方向に行くかと思っていたら、緒方元長官が「代金を払う気がないのに」ありもしない投資話をもちかけて、総連から建物を騙し取ろうとしたという。また緒方長官に投資話を持ちかけたという投資家も、投資を確約したわけではないという。
実に不可解である。そもそも緒方元長官のような法律の専門家が、支払いもできない不動産取引を行って、建物を搾取することができるなどと、本気で思うだろうか。また、緒方氏は取引直後に、代金決済ができない場合には登記を抹消するという誓約書を差し入れている。つまり、登記移転後に代金が決済できなければ、当然のごとく登記が現状復帰されることを熟知していたし、事実その手続を行っている。
また、逮捕も実に性急な印象がある。果たして当初緒方元長官に資金の提供を申し出たとされた投資家の男性の発言の裏を、どこまで検察はとっているのだろうか。資金提供を明言したとまでいかなくても、巧みにほのめかしたとすれば、むしろ詐欺を働いたのはこの男性で、緒方氏は被害者になるはずだが。
緒方元長官、詐欺容疑で逮捕…朝鮮総連建物売買で(中央日報)
検察はまた朝鮮総連の依頼で取引を仲介した不動産会社の元社長(73)ら2人に対しても同じ容疑で逮捕した。朝鮮総連中央本部会館売却件と関連して検察に逮捕されたのは今回が初めてだ。これによって取引を主導した朝鮮総連許宗萬(ホ・ジョンマン)副議長が検察の刃を避けることができるかどうかに関心が集まっている。
さらに言えば、検察が朝鮮総連から建物は奪い取るが、責任者・許宗萬氏の身柄を押さえることは見送ったという、総連を含めた出来レースの匂いを感じてしまうのは自然な流れではないだろうか。万一そういう謀略があるとすれば、緒方氏はスケープゴートにされたことになるのだが。
この件、注視していたい。
2007 06 30 [経済・政治・国際] | 固定リンク | コメント (1) | トラックバック
June 17, 2007
年金不備データ5000万件はどうやって生まれたか。怪しい計算でこじつける。
一般的にデータベースで、そのレコードが同一人物のものであることをどこで峻別するか。最良なのは、もちろんkeyとしてのIDを全人物に振ることであるが、それが難しければ、生年月日や電話番号、姓名ふりがな、あるいは住所や電子メールアドレス等の複合だろうか。レコードの量が、数百、数千、あるいは数万程度であれば、keyとしての統一IDがなくても、ある程度はこれで管理することができる。ところが、年金の支払受給記録のような、全国民を対象にするような巨大なデータベースの場合、どういうことが起きるか。戯れにモデルとして単純化して試算してみよう。
個人識別の手段としてもっとも使われやすい生年月日で考えてみる。対象は、この80年間に生まれたすべての国民とする。生年月日の組み合わせは幾通りあるか。(ここではうるう年はモデルから除く。また昨年生まれたばかりの乳幼児が自分で年金を支払うわけがないが、成人後にはその乳幼児のデータも問題になる可能性があるということで数値に含ませる。)1年間の生年月日は365通りであるから、80年間ではこれに年数をかければよいので、365X80=29200通りである。この80年間に生まれた国民が仮に1億人いるとすれば、1億人のすべてがこのどれかの誕生日に属していることになる。同一の誕生日に平均何人の国民が集中しているかというと1億÷29200≒3425人となる。
※以下怪しい計算が延々と続く。数字が超苦手な人と超得意な人はどちらも読まないように。。。
さて、この3425人の中に、同姓同名がどのくらいいるだろうか。簡単には試算できないけれども、敢えて強引に論を展開しよう。通常200名程度の1学年の生徒の中に同姓同名が1組いるかいないかだが、400名いれば1組はいるのではないかといういい加減な「生活実感」に基づくと、およそ同姓同名率は0.1%強。で、ここでも0.1%としてしまおう(笑)。3425名に対して3.4人。それを29200通りの誕生日に配分すると、29200X3.4=99280人。っていうか、これなら最初から1億人の0.1%で計算する10万人という結果とほぼ変わらないことになるか。まあ、そもそも「生活実感」から算出するための回り道だったということでご勘弁。
#あるべき場所にいけば、同姓同名率なんて簡単に導き出せるんだろうねっていうか、本当に導き出せるんだろうか。
面倒くさいが先を続けよう。この10万人に対しては、生年月日と姓名というフィルターでは、レコードの固有性が証明できないことになるので、次のフィルター、つまり電話番号や住所で同一性を見つけなければならないことになる。
#姓名というのも曲者で、特に女性の場合、旧姓と新姓のひもづけが正しくなされていないと、別人格として年金記録が照合される危険性があり、実際既に指摘されているわけであるが、これも話を単純化させるためにひとまずおく。
当然移転していたり、電話番号が複数あったり、という事情が出てくるので、この10万人に対して同一人物であるか、異なる人物であるかを判断する手間はここで急に煩雑になってくる。ともあれ、同一人物を他人と判断したり、その逆を行う危険性の最大値が、このモデルでは10万人あるということだ。これはこのままにしよう。
さらに、これは姓名の読みが正しくなされていて、入力の際のミスが皆無であるということを前提としている。先ごろ行われた社保庁のサンプリング調査では、3090件に対して入力ミスが5件、誤入力が20数件あったという。併せて25件がミスとして、出現率は約1%弱。先の10万人に重ならないように、この誤入力が、レコードの同一性の確認に何らかの影響を与えるとすれば、1億X1%=100万人。お、急に大きな数字が出てきた。しかし、誤入力が必ず年金の受給記録に影響を与えるとは言い難いので・・・・・。うーん。この100万人をそのまま危険数値とするのは違うだろうな・・・。だが面倒くさいので、そのままさっきの同姓同名リスクと単純に足してしまうと、110万人。
ここまで考えてきても、現在問題となっている5000万件といわれるデータ不備の現状に迫ることはなかなかできない。
そうか、この110万人からの「危険予備軍」を長年放置し続けたと考えるとどうだろうか。仮に30年間こうした現状が繰り返されてきたとする。1年間に生まれてくる子どもの数は1970年代前半には、およそ200万人だったのが、最近では110万人程度に減少しているということなので、間をとって(乱暴だ!)毎年150万人が生まれ、そのうちのえーと(疲れてきた)1%がミス入力の予備軍、0.1%が同姓同名の予備軍として1万6000人の「新危険データ」これが30年間続いて・・でも亡くなっていく方もいるなあ・・まいいや。ここでも乱暴に単純に足していく。(いいのか?いいことにしよう。)
それでも48万人。先の数字に足してしまっても158万人。
そうだ、考えてみれば5000万件のデータは5000万人のものではなく重複があるのだろう。転職を繰り返すたびに、1人につき新たな不備データが生まれる可能性もあったわけだから、そうだ、1人につき5件程度の不良データが「量産」されたことにしよう。すると158万人X5で790万件。うーん。だいぶ大きくすることができたけれど、これでも5000万件には程遠い。
引っ越しさせるか。そうだ。転職だけではなく、移転のたんびにわかんなくなっちゃったことにしよう。(いったい何をやっているんだか)これらの「危険予備軍」が平均6回引っ越して住所が変わり、それがすべて名寄せできない不備データになってしまえばいいんだ(いいんだって何よ)。これで大幅に稼げるぞ。790万件X6=4740万件!!
やった!これで5000万件の不備データ数にかなり近づけた!めでたい(か?)
で、何だっけ、これを1年間で再調査して解決するんだっけ?えーと1日に・・・
(疲れたので以下略)
※いやあ、これは「はてな」の方でやればよかったかな・・・
2007 06 17 [経済・政治・国際] | 固定リンク | コメント (9) | トラックバック
April 12, 2007
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ダルフール紛争をGoogle Earthで見る----Googleの苦いプレゼンテーションは有効だ。(CNET Japan IT's Big Bang!)
2007 04 12 [経済・政治・国際] | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック
April 07, 2007
都知事選で選管が映像削除要求---ではYouTubeに公平に投稿したらどうなる
選挙になれば、YouTubeの存在が波紋となるであろうことは前から予想されていたわけであるが、東京都知事選で「ある候補者」の政見放送(ご存じの方はご存じの通り)が「爆発的ヒット」となり、ついに選管を動かす事態となっている。
東京都知事選に立候補したある候補者の政見放送が、3月末にYouTubeに投稿された。当選の可能性が薄い“泡沫候補”だったが、特徴的な外見や話し方、過激な内容がネット上で話題になり、再生回数は、削除されるまでの約1週間で50万回以上に上った。削除後も同じ動画がさまざまな動画投稿サイトにアップされ、それぞれ数万回~10万回ほど再生されている。
で、ついに削除依頼がされた。
都選管は5日夜、AmebaVisionとYouTubeに投稿された政見放送動画計65件を削除するよう申し入れた。AmebaVisionを運営するサイバーエージェントは6日、「特定の候補者の政見放送だけが自由に閲覧できる状況は不公平」などとし、該当の動画を削除した。
東京都選挙管理委員会(都選管)は4月5日夜、動画投稿サイト「YouTube」「AmebaVision」に対して、両サイトに投稿されている都知事選候補者の政見放送を削除するよう申し入れた。AmebaVisionを運営するサイバーエージェントは6日、「特定の候補者の政見放送だけが自由に閲覧できる状況は不公平」などとし、該当の動画を削除した。
AmebaVisionで政見放送削除 都選管が依頼、YouTubeも(ITmedia)
「特定の候補者の政見放送」だけが自由に見られることが問題になるのであれば、全候補者の政見放送をアップしてしまえば、問題は消えるのだろうか。と考えたのは私だけではないはずであるが、そういう問題だけではないらしい。
法規的に問題となると考えられるのは、公職選挙法の2つの条文(146条、151条)。前者は、ネット選挙自由化の観点から、かねてから改正が唱えられているが、昨年の異様な盛り上がりが覚めたのか、参院選までの隠し玉なのか、結局実施されずに今日に至っているおなじみの条項。
(文書図画の頒布又は掲示につき禁止を免れる行為の制限)
第146条 何人も、選挙運動の期間中は、著述、演芸等の広告その他いかなる名義をもつてするを問わず、第142条(文書図画の頒布)又は第143条(文書図画の掲示)の禁止を免れる行為として、公職の候補者の氏名若しくはシンボル・マーク、政党その他の政治団体の名称又は公職の候補者を推薦し、支持し若しくは反対する者の名を表示する文書図画を頒布し又は掲示することができない。
都知事選に見られるように、選挙期間内にマニフェストはくるくる変えることができても、ホームページを更新することが実質上できないという馬鹿げた事態が続いているくらいだからね。しかしウェブサイトは「文書図画の配布」にあたるという解釈が苦しいながらも流通していたわけだが、YouTubeが「文書図画」であるという解釈は難しかろう。
そこで、むしろ151条が問題になろう。
(選挙運動放送の制限)
第151条の5 何人も、この法律に規定する場合を除く外、放送設備(広告放送設備、共同聴取用放送設備その他の有線電気通信設備を含む。)を使用して、選挙運動のために放送をし又は放送をさせることができない
しかしここでも問題がある。では、YouTubeのような動画サイトは放送設備なのか?投稿された動画を誰にでも閲覧できるような状態にはしているが、これは「放送設備を利用して放送する」という概念には馴染まないように思われる。そもそもYouTubeを「放送設備」を備えた放送局であると断じれば、放送法の兼ね合いが出てくるから、ややこしいことになってくる。公職選挙法以前に放送法に違反してるじゃんとね。
そこで選管が持ち出してきたのが
「特定の候補者の政見放送だけが自由に閲覧できる状況は不公平」
というクレーム。教育的指導みたいなもんか。まあ、やめておいてくださいよというような感じ。ただ、これも先に述べたように「公平性が実現」されてしまえば、突っ込みどころがなくなる。ニヤニヤして眺めてばかりいてもしょうがないのだが。
本日現在、YouTubeを見る限り、「問題の候補」の政見放送が84件も依然としてアップされている状況である。(AmebaVisionではすべて削除されているようである)
夏の参院選の前に、はっきりとした法的整備が求められていると思う。
【参考リンク】
●世耕vs鈴木vsひろゆきネット選挙座談会---茨の道でも進むしかないのだ(BigBang)
2007 04 07 [経済・政治・国際] | 固定リンク | コメント (6) | トラックバック
March 17, 2007
堀江被告に懲役2年6ケ月の実刑判決---「無反省」と「脅迫」
執行猶予なしの実刑判決は、最近の日興コーディアルの例などから見ても、重すぎるという声が多いようであるが、判決要旨からまとめてみた。
(1)ライブドアの自社株売却益の利益計上・架空売上計上について
→投資事業組合は脱法目的に結成されたものであり、売上計上の許されない自社株売却益を記載した虚偽の有価証券報告書を提出、架空売上を前提とした連結経常利益が記載された虚偽の有価証券報告書を提出することを認識、認容し、宮内被告との間に共謀が成立する。
(2)ライブドアマーケティング(LDM)における虚偽事実の公表について
→LDMがマネーライフ社との株式交換に関して行った04年10月25日の公表の一部に虚偽。11月9日の公表も虚偽。堀江被告は虚偽事実に基づく業績状況を公表することを認識、認容し宮内被告との間で共謀が成立する。
(3)宮内被告と検察との「黙契」が成立しているという弁護側の主張を退ける
→検察官と宮内被告らとの間で、別件を公訴提起しない代わりに検察官の主張に沿った供述をする約束が成立しているという弁護側の主張を、第三者による宮内被告供述の裏づけにより、退けられるとして否定する。
(4)意図の悪質さ
→粉飾額自体はそれほど大きくないが、証券市場の公正性を害する極めて悪質な行為として認定。投資事業組合を介在させるという手口の巧妙さなど、企業利益のみを追求し一般投資家を犠牲にする犯罪として悪質である。
(5)堀江被告の権限
→堀江は、ライブドアの創業者であり、唯一代表権を有する代表取締役であり、トップとして絶大な権限を有していた。いずれの犯行も被告の指示・了承無しには実行はあり得なかった。
(6)無反省な被告
→被告は公判廷でも不自然な。不合理的な弁解に終始し、株主や一般投資家に対して謝罪の弁も述べない。反省の情が全く感じられない。
(7)各犯行を主導とまでは認められないが、実刑に値する
→いずれの犯行も宮内が中心となって計画したものであり、検察の言うように被告が最高責任者として犯行を主導したとまでは認められないが、そうした斟酌の事情を最大限に考慮しても実刑をもって望まざるを得ない。
目に付くところとしては、まず(1)において、投資事業組合を脱法目的であるとして断定し、自社株売上計上を違法と断定したところがみられる。かつて堀江は保釈後に「サンデープロジェクト」に出演してこのように語っていた。
堀江:(投資事業組合の金の流れについて)いや、それはこんなのを粉飾だということ自体がまずおかしいよという話です。そもそも我々、投資事業組合、僕が知ってる知らないは別として、客観的事実を前提にしても、これはファンドにまず実態があってダミーなんていうものじゃないよと。(検察がダミーといっているのは)彼らの定義であって、我々は実態があると思っている。検察はライブドアのダミーだと言っているが、そうじゃなくて独立した存在であってライブドアが支配しているわけではない。まったく別個の存在であると。だから連結する必要ないでしょうと。連結をしてない会社からの分配金なんだからそれは売り上げに計上していいでしょうと。客観的事実についてもこれは粉飾ではないと言っているわけですよ。(「堀江貴文の「サンデープロジェクト」出演について(BigBang)」)
本来ライブドア連結の対象ではない投資事業組合の活動を質すること自体がおかしいとする堀江側の主張は取り入れられなかった。また、投資事業組合によるライブドア株取引を、売上に計上するという手法が、当時の法規に照らして本当に違法であるかどうかは、議論が分かれた箇所である。
田原:で、公認会計士たちも違法じゃないって言ってるわけですね。
堀江:ものすごく難しい仕組みなんですから、本当は。要は難しくって会計士だってこれが100%正しいっていう風に言えないんですよ。検察の言い分が100%正しいって言う事が出来ないくらい会計的な専門的なことなのに、しかも会計士が大丈夫って言ってるのに我々会計の素人が違法だ合法だの判断が出来るわけないじゃないですか、そもそも。 (同上)
当時の公認会計士が大丈夫と言っていたとあるが、港陽監査法人で、当時ライブドアを担当していた田中慎一氏の「ライブドア監査人の告白」を読むとだいぶ様子が違う。
著者は、1999年から今年1月にライブドア事件が起きるまで、同社の監査を任されていた港陽監査法人の公認会計士である。同監査法人からは在宅起訴された者も出たが、著者は同社の犯した偽計取引や風説の流布、あるいは粉飾決算の疑いに直接手を貸した人間とは見なされず、訴追を免れた。しかしながら自らの意思で公認会計士の資格を返上し、今後は会計関連の職には関わらないと宣言した。同社の犯罪行為を見抜けなかったことへの“けじめ”だと言う。
本書を執筆したのもけじめの1つであろう。ライブドアの内幕を知る人間として、子細な具体例を示しつつ容赦なく糾弾していく。堀江貴文被告を含む旧経営陣に対しても同様に厳しい評価を加える。架空取引による粉飾会計については、事件の前から「何かがおかしい」と感じ取っていたにもかかわらず正せなかったと猛省しつつも、「シロかクロかはっきりせず、どこまでいってもグレーのまま。当局の捜査とは違って会計士の監査手続きでは限界がある」と弁明する。(Amazon書評から)
この本の帯には「投資事業組合を解散しなければ監査を降ります」と印刷されているが、事実筆者はそうした「脅迫」を何度も駆使して宮内を揺さぶらざるを得なかった。監査人が降りることは、それほどライブドアにとって大きな圧力となり得たのである。
つまり田中氏は、存在する「らしい」投資事業組合の存在を、極めて疑義の深い監査上問題のある存在であるとして、繰り返し内情報告を求めていたのであるが、宮内らによって、別組織であり連結対象外の組合の実態を明らかにするいわれはないとして、突っぱねられている。
問題は、こうした「突っぱね」に対抗する有効な手段を監査人が持ち得なかったことは事実であるということであり、こうした意味で当時の法制度の中での真空地帯であったという見方もできる。果たして投資事業組合は、「実質的にライブドアに支配されて」おり、「自社株売却による利益操作組織」として完全にライブドアに従属していたといえるのか。現在までの経緯を見ると、僕は、この点に関して堀江の認識はかなり曖昧であったような印象があり、組合は専ら宮内の「私的利益のための操作装置」として稼動していたのではないかという印象がある。この点に関する法解釈や認識が今回の判決で厳密にされたとは言い難い。ここは残念に思うが、おそらく掘江側の弁護団は控訴審において、この法的不整備の問題を突いてくると思われるので、引き続き注視したいと思う。
もっとも、田中氏はこの本の中でで監査人としての力不足も同時に痛感したと告白しており、最高経営者としての責任すらも、裁判に影響があるからと明確にしない堀江被告の姿勢とは遠いのも印象的であり、「反省」の表面的な表明すらしない堀江の態度を正直ととるか、傲慢と取るか。ここでの世間の評価は、容易に予想されてしかるべきものである。
思うに、形式的反省であっても、それは反省の表明には変わらないのであり、その裏における哲学や人生観などは、所詮形式では表明できないものなのだ。その人間を人間として許せるか、許せないかは法を超えたもっと深い部分に繋がっていると思われ、その暗がりへの訴求が困難である以上、人は所詮形式による表明の次元にしか、合理的批判を集中できないのではないかと思われるからである。
その次元で戦う堀江を支持する動きもあるのは理解するが、彼の今後の人生を考えれば、徒労感は否めない。もちろん合理的な部分では事実関係をしっかりと争えばいいのであり、そうした姿勢と反省謝罪の姿勢は、両立するし、またさせていかなければならないものではないかと思う。
2007 03 17 [経済・政治・国際] | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック
February 15, 2007
ブログ性善説とマーケティングへの信頼
まあ、そりゃそうだろな。考えてみれば大変に常識的な受け止め方。
企業がブロガーに宣伝のための報酬を支払う行為を反対しているのは44.5%--ビルコム調査(Web担当者フォーラム)
調査の結果、企業がブロガーにプレスリリースなどで積極的に情報開示することについて72.0%が「賛成」と回答。その理由として、79.5%が 「企業の最新情報を知ることができる」と答える一方、反対派の74.1%が「よい情報しか開示しないことが多く、信用できないから」と答えた。また、企業 のプレスリリースを見たことが「ある」と回答したのは、40.8%だった。
企業がブロガーに、宣伝のために金銭を支払う行為について44.5%が「反対」、55.5%が「賛成」と回答。「反対」の理由として「お金をもらっ てブログを書いたのか、本当に書き手がよいと思ったのかがわからず読者の混乱を招くから」(79.8%)、「賛成」の理由として「企業のために書いた記事 の報酬を受け取るのは当然だから」(68.0%)を挙げた。
こっそり企業から金銭をもらっていたことで、炎上した女子大生のブログもあったようだけれど、「ブログプロモーション」がこれからは有効だともてはやされたのが、ここ1年であったわけだが、それはそういうことではなくて、ベタで金銭を書き手に上げちゃうってのは、もlともこもないでしょ。やはり違うかなあと思う。
実際、それが白日の下に晒されれば、相当の反発が予想されるし、場合によっては見事なアンチプロモーションになる。かといって、最初から正直にそれをことわって書いていれば信頼されるというものでもない。そのへんは何ともかんとも。
また、「自社商品(サービス)のオススメを書いてもらうため、企業がブロガーにお金を払う場合があります。そのことを知っていましたか?」という問 いに対し、41.3%が「知っている」と回答。そのうち「企業からお金をもらって書いている友人・知人のオススメ商品(サービス)を信用しますか?」とい う問いに対し、63.0%が「信用しない」と回答した。
そりゃしないよねって。
しかし、口コミマーケティングというジャンルは、ブログの登場よりだいぶ前からあって、ちょっと前だと、女子高校生マーケティングとか言って、原宿かどっかの裏通りのマンションに女子高生とか集めて、あーでもねーこーでもねーと語らせて、じゃあ商品作っちゃうから宣伝してねみたいなのがあった。あれはあれでアリだったよね。今からすれば。
それに対して、ブログで金銭を媒介にして行われていることの何がうさんくさいかというと、こういう商品の生成みたいなところに関わっているようでその実関わっていなくて、結果的に最終成果物たる商品をぽんと渡されて、さあ書いてくれ。宣伝してくれたらいくらですみたいなやり方をするからではないだろうか。
女子高生マーケティングのほうも、もちろんある種の「半成果物」は渡されるんだけれど、一種のモニター性と合わせて、勘違いかもしれないけど参加型クリエーター性みたいなのが彼女たちによって演出されていたと思う。(うん、あれはもちろん演出なんだけれど)で、帰りにいくらかお金渡されて、それで友達に宣伝にこれ努めたところで、ブログのケースほど胡散臭くないっていうか、敢えて言ってしまえば、信頼され得ていたように思う。
その点、アフィリエィターというジャンルで、自分で商品を選び使い、その感想を書いていくようなスタイルで稼いでいるような人は結構いるけれど、これは、まだましなような気がするんだよね。少なくとも商品のチョイスを自分で行うことで参加している主体性が、まだある。
こう考えてくると、その商品のできるだけ原初的なところから主体的に関わってきていれば、例えお金をもらって宣伝を書いても共感できるし、そうではなくて、商品選択性も薄く、一方通行な宣伝依頼を受けて書いたベタなブログによるマーケティングは信頼が薄いとそういうことかなあ。
でも、これも考えてみれば不思議な話で、すべからく広告のプロは、もちろん企業からお金をもらい、商品を渡されてポスターだのCMなどつくる。そうした宣伝広報行為は、当然の「プロの仕事」として評価され、それで結構商品も売れ、非プロのブロガーのささやかな報酬によって支えられる、ささやかな宣伝文が信頼されないのであれば、このあたりにも何か好意的なブログマーケティングを切り開くキーがありそうだ。プロとアマチュアの違いと言えばそれまでなのだけれど、ブログという媒体の特殊性のようなものも、ちらと見えるな。
ブログ生善説。ブロガー嘘つかない。みたいな信仰もどこかあるのかなあ。
などと色々考える。
2007 02 15 [経済・政治・国際] | 固定リンク | コメント (3) | トラックバック
January 08, 2007
オーマイニュース----内部通報にあたって実名を推奨するのは時代の趨勢に反する
既にこのサイトでは何度か触れたが、オーマイニュースの鳥越編集長が、下記の発言をしておられる。
●僕らではわからない専門的な記事もありますから、そういう人が来てくれればしめたものかなぁと。中央官庁の役人が、実名で内部の腐敗を書いてもらえると活気付くと思いますね。(鳥越俊太郎に聞く(2) ネットでも実名文化がいい)
内部腐敗を告発する「実名」の公務員が出てくれると活気付くという氏独特の信条の吐露であるが、前のエントリーで指摘した、公務員の守秘義務との関連以外にも、内部告発の投稿を「実名」で行うように薦める流れは、明らかに時代の趨勢に反している非現実的な発言である。
それは「公益通報者保護法」との関連である。
参照:公益通報者保護制度ウェブサイト
公益通報者保護法(平成18年4月1日に施行)は「公益通報(内部告発)が一定の要件を満たして行われた場合、その通報者に解雇等の不利益な扱いが生じないように法律で保護をして、事業者の法令遵守を促進させるための法律」である。
つまり、「企業等が法令で定める義務に違反している場合、行政機関やマスコミ等へ公益通報(内部告発)されやすい仕組みであるが、企業だけではなく、行政機関等に従事する職員からの内部通報も対象にしている。
さらに、「公益通報者保護法」では、国の行政機関の内部通報のガイドラインとして匿名の通報者に関して明文化されている。
通報の受付にあたっては、
「通報者の秘密保持に配慮しつつ、通報者の氏名及び連絡先並びに通報の内容となる事実を把握するとともに、通報者に対する不利益扱いのないこと及び通報者の秘密は保持されることを、通報者に対して説明する。」
とされている。通報の中身の真偽を検証するためには、通報を受けた機関が通報者の所在を確認することは当然であるが、その秘密は細心の注意をもって扱われるとされている。
また通報を調査するプロセスにおいては
「利害関係人の秘密、信用、名誉及びプライバシー等に配慮し」て進めることが明記されている。
こうしたことが明文化されている理由は、言うまでも無く、通報したことにより通報者が当該所属機関から不利益な扱いをされることを防ぐ目的があるからである。通報をしようと思っても、その後で左遷や解雇、あるいは対抗訴訟といった、「報復」を恐れて通報者が尻込みをしないように配慮されたガイドラインである。
同サイト内のQ&Aでは
Q1 匿名の通報でも保護の対象になりますか?
匿名の通報であれば、通常は通報者本人が特定されず、不利益取扱いを受けないため保護する必要が生じません。
ただし、通報時には匿名でも、何らかの事情により、通報者本人が特定され、解雇その他の不利益取扱いを受けた場合には、保護の対象になります。
とされている。つまり、保護対象にするためには、通報者の身元が特定されていなければならない。しかしこれは当然のことであり、通報者の身分が不明確なところでは関係機関が保護処置をとることができないための但書であり、決して公共に対しての実名通報を推奨しているわけではない。事実、匿名の通報であっても「通報者が特定され不利益を受けた場合」には保護の対象になるとされている。
ガイドラインでは、この他にも「通報者の保護」に関して細かな規定を設けているので関心のある方はご覧になるといいと思う。
鳥越編集長や、一部の実名主義をとっておられる方は、内部通報が実名で投稿されることを、あたかも推奨するような論を張っておられるが、元来「公益通報者保護法」は、組織内からの匿名の通報をしやすくするために、整備された法律である。不正の検証や調査には、通報者の実在の確認を必要とするし、身分を明らかにする必要があるが、これは鳥越氏の言う「実名で内部の腐敗を書いてもらえると活気付くと思いますね。」という認識とは180度異なる。
むしろ、通報者に不利益が生じないように、実名で通報がなされた場合にも、通報者の機密が守られるよう、あらゆる努力を払うようにすべきであるとされているのである。要は実名匿名は、通報の内部的な処理のプロセスにおける
問題であり、「実名でメディアに投稿する」などという行為が推奨されているという理解は著しく現実に反する。
おそらくこのあたりは、旧メディア人独特の「スクープ感」を重視しての発言だと思われるが、個人情報の保護に関してあまりに鈍感であり無責任であると思う。
オーマイニュースのようなメディアの長が、この流れを無視して実名主義を持ち上げ、不特定多数が閲覧する場所へ「実名投稿」することを推奨し、匿名の通報者があたかも実名通報者に比べて、信頼性が薄いかのような印象を与えることは、厳に慎まなければならないと言えるだろう。通報者の保護に関して配慮が足りないと考えるが、反論があれば伺いたいところである。
2007 01 08 [経済・政治・国際] | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック
January 04, 2007
オーマイニュースを巡る匿名性の問題について(2)---小倉弁護士に答える/ 心苦しいが鳥越編集長には勇退をお奨めする。
この件に関して、小倉弁護士から再度の反対エントリーをいただいた。
オーマイニュースに2ちゃんねるの亜流になることを望んでどうなるのか。(la_causette)
誰もそんなことは言っていないし、望んでもいないわけで。
そういう意味では、「市民記者が望むならば対読者匿名性を保障すべきだ」という批判は、安易に取材源を秘匿する既存の日本のマスメディアの無責任さをオーマイニュースにも押し付けようとしているにすぎないものだということができます。ファクト系の記事に関していえば、「実名が重んじられ、匿名が軽んじられる」ことは、当然のことなのです。
対読者匿名性を保障する意味は、自己の安全性を保障しながらも、匿名で社会的に異議のある「ファクト」を提示しようという言論を保護するためのものである。なぜそれが自動的に「既存マスメディアの無責任さをオーマイに押し付けることになり」「実名が重んじられるのは当然のこと」となるのか。
氏は「安易に」と作為的に語を補足しておられるが、「安易な」措置に関する批判は両論に成立するのであって、「安易でない=熟考された匿名(実名)主義が相互の議論の基本となる。(それにも関わらず鳥越編集長の実名主義は「安易」であり、それは後に触れる)
このあたりは小倉弁護士の個人的立場が実名主義であるから、そこから導き出された意図的な論理であり、これを応用して私が「匿名保護」の反対言説を張った場合「水掛け論」になると思う。
「取材源を秘匿する」という約束は、そのような約束をしてでもその情報を報道する価値があるという例外的な場合以外にはすべきではないし、そのような約束をした場合にはこれによる不利益は記者や報道機関が負うというのが、アメリカン・スタンダードです。)。オーマイニュースは、韓国版からスタートし、英語版が日本語版に先行していますから、日本語版においてもこの「市民記者の実名原則」が採用されることは、鳥越編集長の意向にかかわらず、既定路線だったと思われます
「アメリカン・スタンダードがそうである」とか、「先行する韓国版がそうであるからとかいう理屈は、議論の本質を不明確にするだけであり、意味がないと考えられる。私は何も、韓国や米国のオーマイニュースの運営方針を日本では適用するべきではないと言っているのではない。この件に関する、乱雑で感情的な編集部の説明に関して批判している。
米国や韓国がそうであるから、ではなく、
・なぜオーマイニュースは実名を推奨するに至ったか
・実名の内部告発者や通報者がいた場合、どのように保護されるか
・善意の匿名の言論に対する考え方
について説明を明確にした上で、悪意の言論者への対抗措置をすればいいのであり、それを冷静に合理的に説くこともなく、「卑怯な匿名の2ちゃんねらー」などという発言で、オーマイニュースを「アンチ2ちゃんねらーの巣窟」レベルに堕したのは、他ならぬオーマイニュース編集部の責任である。
今になって、それも全く部外者の小倉弁護士がいくらオーマイニュースの立場を擁護しようとも、ナンバー2と目される平野日出木さんがようやく
OhmyNews:【極私的2006年回顧】 言われたら、言い返そうぜ Web2.0
言いたいことは言っていこうと元旦に決心された段階。このレベルでは、オーマイニュースの「匿名保護」の決意の真摯度を信じろというほうが無理である。
また
「見解の分かれる政治的な問題を論評した」からといって罵倒を浴びたり人格攻撃を受けたりすること甘受しなければならない理由はないわけです。また、揚げ足を取られる余地が全くないとまではない記事を書いたからといって罵倒を浴びたり人格攻撃を受けたりすること甘受しなければならない理由はないわけです。
「甘受しなければならない」のではなく、対応すべきは対応し、ひどいものはスルーするなり、削除なりすればいい話。ひどいものにはアクセス禁止や名誉毀損による対抗訴訟もありうるだろう。そういう「試練」の元に、論壇系ブロガーは皆日々発言を行っている。小倉さんもそうしているだろう。なぜ言論組織(この場合はオーマイニュース)に属した途端に保護されなければならないか。
そもそも、市民記者は「ジャーナリスト」ではなかったのか?薄謝とは言え、報酬を受けるプロであろう。「ジャーナリスト」であれば取材の過程でそうした「攻撃」をされることへの、技術的・かつ精神的な修練と、対応能力を持つことは要求されるのではないか。「市民記者」だから、あるいは「アマチュアのようなものだから」過剰に攻撃するのはおかしいというのであれば、公的空間で論議を呼ぶ記事を投稿することを最初から編集部は市民記者に求めず、記者も身辺雑記にとどめればよい。
匿名の発言者を封じて、こうした「攻撃」を封じ込められたとして、そのような安全な水槽の中で発言を続けることにどれほどの意味があるのか。それを感受する「ネットジャーナリズム」とは何なのか。ネットで発信することへの覚悟が足りないのではないか。
※Wikiについては別次元の議論になるのでここでは割愛する。
つまるところ(小倉弁護士のサイトのコメント欄で触れてくれている方がいるが、)私の立場は、前回のエントリーで書いた
問題は記事やコメントの質であり、実名・匿名の問題ではない。匿名で口汚い投稿が増えるリスクを唱えるなら、それに対峙して実名では思い切った発言や記事が寄せられにくくなるという、市民メディアの理念の根本に関わる問題、そして記者や投稿者の立場保全の問題が同時に語られなければバランスを欠くが、これまでのところ鳥越編集長にはその姿勢が感じられないと思う。
に尽きるのである。一方的な匿名論に立っているわけではない。実名のメリットとデメリット、匿名のメリットとデメリットには、それぞれネット上でも行われた膨大な議論がある。
実名とハンドル名の狭間における確執纏め(適宜覚書はてな異本)
おそらくネット上の議論の流れなど全く追っていないと思われる、鳥越編集長が匿名言論に対して、不用心で配慮を欠く一方的な感情的不快感を表明した。それが問題の出発点であり、オーマイニュースに対して、匿名主義をとれなどと言うつもりもないし、それは無意味なことである。
そうではなく、実名主義をとるに至った思考の基盤を明らかにするべきであるということである。先行する韓国や米国の状況を事例として並べても、それは論理基盤とはなりえない。
小倉弁護士は、整然とした(少なくとも鳥越さんに比して、であるが)明らかな実名主義の言論を張っておられるが、これはこれでわかる。わかるが、これも一般的実名主義の言論の一隅でしかないのであり、オーマイニュースの編集部の主張ではない。小倉弁護士は、オーマイニュース側の考え方を代弁する当事者の立場にはないからである。
実名主義をとるならとるで、その理由をオーマイニュースはもっと明確に、しかもスマートに明らかにすべきであった。どうしても編集長の個人的資質に(ネットでの情報発信に関するリテラシーの致命的な欠如)因を求めてしまうが、時系列でざっとこの問題に関する鳥越編集長の発言を追ってみても、それは明確である。
●2chはネガティブ情報の方がどちらかというと多い。2ch見ていると罵詈雑言が多い。それはそれ で、人間の負の部分のはけ口だから、ごみためとしてそういう部分があっても仕方ない。ぼくらはごみためでは困るので、日本の社会を良くしたい、変えたい。 変えるための1つの場にしたいという気持ちがあると思う。(Itmedia岡田記者の起こした鳥越氏への取材テープから)
●「あそこまでヒステリックな対応があるとは思っていなかった。ゴミ溜めというのは・・・ここにITmediaの人いる・・・?いない?・・・僕は確か全部じゃなくて一部のって言ったと思うんだけどなあ。」
「人間が本来持っているネガティブなパッションが、匿名になったとたんに出てしまう。2ちゃんの女子アナサイトを見たら(スレのことか)ひどかった。レイプ寸前のことが書いてある。で、これは人間のゴミで捨てなければならない場所になっていると。決して全体をそう言ったわけではない。」(早大におけるブロガーとの対話シンポジウムでの発言(ITmediaはその後反論))
●匿名の書き込み掲示板「2ちゃんねる」のいわゆる「2ちゃんねらー」と称する輩に敢然と正面か ら論戦を挑んだ音羽記者の「死ぬ死ぬ詐欺・まとめサイトの卑劣さを考える」が出色ですね。この記事のいいところは、感情的にならずに自分が分からないとこ ろは「分からない」と言いつつ、「2ちゃんねらー」の言い分の最大の卑劣さを「君たちは心臓病の恐怖を一度でも味わったことはあるのか?」というかたち で、間違いなく今病気に冒されている患者のことを推測と憶測だけで攻撃する「2ちゃんねらー」と称する連中の弱点をずばっと切っている点ですね。(10月の月間市民記者賞に音羽記者を選出した時の発言)
●---編集長が自ら匿名の掲示板を批判する発言も反感を買いました。
「あそこに書かれていることは本当にひどい。彼らが反発してくるのは想定内で、僕の挑発に乗ったな、という感じだ」(12月17日朝日新聞)
果たしてこれが「バランスのとれた」発言といえるだろうか。いずれも匿名=悪であり無責任、実名=責任のとれる発言という先入観、自説のリピートでしかない。
「実名」で堂々とモノが言える時代は確かに素晴らしい。そうした社会がやってくれば、確かに理想的に「フラット化された世界」が実現されるのかもしれない。しかし、現状は違う。誰もが特権的に言説に伴うリスクを担保されるわけではない。その過渡的(かもしれない)社会において、リスクを背負えと人に言うなら、それを呼び掛ける側も然るべき体制を整えてから、あるいは少なくともその方向性を示してから、それを言うべきである。そうでなければ、それこそ「言いっぱなし」の既存メディアと変わらない。
直近のJ-CASTニュースのインタビューでは、鳥越編集長はこのように発言している。
●僕らではわからない専門的な記事もありますから、そういう人が来てくれればしめたものかなぁと。中央官庁の役人が、実名で内部の腐敗を書いてもらえると活気付くと思いますね。(鳥越俊太郎に聞く(2) ネットでも実名文化がいい)
中央官庁の役人は言うまでも無く、国家公務員である。国家公務員が実名でそのような行動に出た場合、おそらく公務員の守秘義務違反で国家から訴訟を受ける恐れがある。その場合、オーマイニュースは、どのような対処をとる覚悟があるのか。仮に裁判で負け、50万円を超える膨大な損害賠償請求をされた場合どうするのか。金銭の問題以外にも、メディアとしての姿勢が社会から厳しく問われることになろうが、そうした点についてはどう考えているのか。この部分については鳥越編集長は「実名」でと言っている。「ペンネームでもいいから」とも「場合によっては匿名でもいいから」とも言っていない。
鳥越俊太郎氏という一人の人間に特化して発言を批判的に追いすぎると、あるいは小倉さんは言うかもしれない。しかし、彼はオーマイニュースの編集長である。あなたは部外者である。また、オーマイニュース編集部でこの点に関して有効な言論を提出しているのは、「コンサルタント」の佐々木俊尚さん以外には見当たらない。
僕は「旧メディア」における鳥越俊太郎という「ジャーナリスト」の過去の功績には敬意を持っている。氏自身も誇りにしておられるようであるが、桶川ストーカー事件における、「ザ・スクープ」での鳥越さんの粘りは見事だったし、喝采を送ったほどである。
しかしながら、はっきり申し上げるが、過去のご薫陶にも関わらず、私は鳥越俊太郎氏には、一刻も早くオーマイニュースから勇退されるのが、ご本人のためにも、オーマイニュースのためにも有益であると思う。鳥越さんが病の中から、使命感を持って、参加型ジャーナリズムの未来に、あのご年齢からエネルギーを注がれようとされている姿勢は、後塵を拝す者としては最大限の敬意を感じるが、何しろネットリテラシーがなさすぎる。
ネットリテラシーがないということの意味は、単にぶくまのやり方がわからないとか、「たまたま」JanJanを見たことが無かったというだけにはとどまらない。つまりそれは、ここ数年ネット界において繰り広げられた主たるトピックや言論の流れ(例えば実名匿名論は専らネット内で展開されている)に、ほとんど無知のまま、ネット言論の中心的媒体となることが期待されている(いた)オーマイニュースの総司令を委ねられたということである。初期のトンデモ発言の数々は、鳥越さんのジャーナリストとしての全体的な資質から来たものではなく、ひとえにネットリテラシーの欠如と、それによって引き起こされている「無知」によるものである。
編集長はメディアの顔である。編集長が発言した内容は、個人的な意味を超えてそのメディアによるメッセージであるという受け止め方をされる。
どうか、後続の有能な人材に編集長の座を禅譲されて、経験豊かなアドバイザーか論説委員という立場から、ネットジャーナリズムの発展に尽力をされることを望む次第である。
【参考リンク】
●鳥越氏の無責任な「責任ある参加」論(木走日記)
●書評 - 怪文書(404 Blog Not Found)
2007 01 04 [経済・政治・国際] | 固定リンク | コメント (3) | トラックバック
December 30, 2006
オーマイニュースを巡る匿名性の問題について---小倉弁護士に答える
私の記事「朝日に報じられたオーマイニュース苦戦の深刻----問題はアクセス数激減だけではない」に小倉秀夫弁護士からコメントをいただき、さらにエントリーも立てていただいたので、それについて触れようと思う。
しかし、オーマイニュース日本版のオピニオン会員によるコメントには、内部告発や危険水域からの匿名での発言なんてものはなかったわけです。むしろ、匿名性の高いコメントを可能とすることによって、自分とは相容れない思想傾向の記事を掲載する市民記者に対して執拗にネガティブな言葉を投げつけることによってその種の市民記者がさらなる記事を投稿する意欲を奪おうという一種の言論封じのためにコメント欄が活用されたとすらいいうる(bigbanさんの言い回しを借用するならば「最初から匿名が許容されることによって封じられる記事がありますが、言論機関の長であるが故にその点を斟酌せざるを得なくなったということでしょう。)。さらにいえば、オピニオン会員は、少なくとも編集部との関係で「どこの誰であるのか」が明らかにされていなければ、コメントにより市民記者または第三者との間に訴訟問題が起きた場合のリスクを負わなくて済むわけです。 (コメント欄もwikipediaも内部告発の場ではない(la_causette))
問題はオピニオン会員のコメント権を実名化したことにあるのではない。オーマイニュースは、創刊当時から、「匿名投稿」を排除し、「実名投稿」を推奨する姿勢を持っていた。それが、鳥越氏の一連の2ちゃんねる批判に繋がったし、その延長に、コメント欄の炎上があり、オピニオン会員制度の見直しがある。汚いコメントが飛び交ったので、実名推奨したのではない。順序が違うと思う。このメディアはスタート当初から実名を重んじ匿名を嫌う立場のメディアなのである。理由は「信頼できないから」「無責任だから」「悪意の投稿があるから」としているが、その発想のベースには「2ちゃんねらー」への敵意がある。これは鳥越氏の経験的実感から形成されたものであり、創刊当時、あるいは創刊前にまで遡ると思う。
小倉弁護士は、「オーマイニュース日本版のオピニオン会員によるコメントには、内部告発や危険水域からの匿名での発言なんてものはなかったわけです。」と言われるが、これは「オピニオン会員」によるコメント欄の方向転換当時から限定して考えるべきものではなく、むしろ市民記者を募集した当時から、オーマイニュースが匿名投稿に対して極めてネガティブであったことまで遡らなければならない。
また、「内部告発や危険水域からの発言」が無かった理由は明快であり、オーマイニュースが表面的にはそうした「スクープ」を口では志向、推奨しつつも、これらの投稿が市民記者からされるための、あるいはコメンターに対しての環境を整えたり、彼らを防衛したりする意志が全くと言っていいほど、なかったからであることの当然の帰結ともいえる。そして今後も、そうした記事やコメントは、ほとんど望めないであろう。
問題は記事やコメントの質であり、実名・匿名の問題ではない。匿名で口汚い投稿が増えるリスクを唱えるなら、それに対峙して実名では思い切った発言や記事が寄せられにくくなるという、市民メディアの理念の根本に関わる問題、そして記者や投稿者の立場保全の問題が同時に語られなければバランスを欠くが、これまでのところ鳥越編集長にはその姿勢が感じられないと思う。
さらにいえば、全てのCGMが内部告発や危険水域からの匿名での発言を行う場である必要はないわけです。オーマイニュース日本版のコメント欄(正確にいえば「この記事にひと言」欄)についていえば、市民記者による個別具体的な「記事」に対する「感想や意見交換、質問など」を行うための場であって、内部告発や危険水域からの匿名での発言を行う場として用意されているものではそもそもありません。市民記者に対する「感想や意見交換、質問など」を正常に行うにあたって匿名である必要はないし、むしろ、市民記者に対する「感想や意見交換、質問など」は理性を保った状態でなされた方が建設的で有益であるといえます。
※匿名が許されないのは、「コメント欄」に限定された問題だけではない。※1本編の市民記者の記事に関しても、実質上匿名でのエントリーは書けないのであり、それに加えてオピニオン会員への措置があるのである。つまり論者も評者も実名を晒す勇気がないとオーマイニュースには関わることができない。その問題も、上記の考察からはすっぽりと抜けているように思う。(加筆参照)
これは発言者の「勇気の問題」ではない。もとより、弁護士であるとか、あるいは大メディアの記者であるとかいう場合なら、組織や法的立場の強さ、あるいは成熟した対抗の精神やテクニックを持っているのであり、一般市民よりは遥かに悪意から保護されやすい環境にある。自営業者(私もそうであるが)も自分の責任である程度の発言をすることができる。
しかし、これが一般的な職場の勤め人であれば、どうか。実名で、自分の職場や関連する官公庁などの問題を扱うことができるか。それでなくても人の実名をネット晒して言論に圧力をかけることに異様なエネルギーを持つ人たちが横行している昨今である。それを押し切って実名で発言しろと主張すること自体が最初から無理がある。
やはりオーマイニュースにも、小倉弁護士にも、このあたりの水域から発言する人たちの微妙な立場への理解は少ないように思えてならない。現状、告発の発言が少ないことをもってそれらのウォンツが少ないと早々に諦めるなら、それこそ何のための市民ジャーナリズムなのかと思う。
記事にしろコメントにしろ、問題は「質」なのである。それを実名匿名の問題に一元的に落とし込んで、表面的な見え方を一時的に整えても、何の解決にもならないと思う。
自分とは相容れない思想傾向の記事を掲載する市民記者に対して執拗にネガティブな言葉を投げつけることによってその種の市民記者がさらなる記事を投稿する意欲を奪おうという一種の言論封じのためにコメント欄が活用されたとすらいいうる。
「コメント欄の罵倒によって投稿意欲がなくなった」という市民記者の「悲鳴」は私も何度か耳にしたが、それではこうした記者に伺いたいのは、一体何を期待してオーマイニュースに登録して記事を「目立つところで」書かれたのかということである。こうしたメディアで、見解の分かれる政治的な問題を論評したり、甘い論理の記事を投稿したりすれば、攻撃の言葉を浴びるのはあらかじめ覚悟を決めてかかるべきなのであり、それによって「やる気がなくなる」なら、その記者の発信のモチベーションが、元々その程度のものであった、それなら無理に発信するほどのものではあるまい。と言えば言い過ぎだろうか。
口汚く荒れるコメント欄への対応ということなら、オピニオン会員制度の改革などという、制度的かつ小手先の対応ではなく、これらに対応する技術や精神的面での向上、記事を書くということがどういうことなのかという、市民記者の意識向上、そしてネット上での議論スキル、適切なスルー力といった、これまでネットで語られてきた基本が、粛々と再確認されるべきであったのではないだろうか。
加えてWikipediaの問題。
「wikipedia」もまた、内部告発や危険水域からの匿名での発言などというものを掲載する場ではありません。むしろ「『内部告発された事実』という編集者等が容易に検証することが不可能な記述をwikipediaに持ち込まれてもそれは困りものだとすらいえます。そういう意味では、wikipediaにおいて匿名性を維持する必要はないし、むしろ、匿名性が保たれた環境ではその党派性を剥き出しにする人が少なくない我が国においては、wikipediaにおいて匿名性を維持する限り、イデオロギー闘争の場として編集合戦が行われるという悲劇が発生する虞が高度にさえあります。
これも少々論理がおかしいと思う。「編集者等が容易に検証することが不可能な記述」は匿名によってのみなされるわけではない。Wikipedia編集においても、歴史的な事象はともかく、現実的なテーマに関するディープな情報提供は、むしろ事象に関わる利益を持つ、あらかじめ推定可能な人物によってなされる場合が多いのであり、それらの利害対立から問題がゆがめられることはあるが、匿名だからといって提供される情報が「検証しづらい」わけではない。ここでも実名性と情報の質との相関関係はそれほど単純ではないのである。つまり情報の「検証しやすさ」と投稿者の「実名性」の関連を必然化するには考察が足りないと思う。
いずれのケースにおいても実名の人物は信頼できて匿名は信頼できないという先入観が先行し、「情報の質を検証する」という、より重要なプロセスへの考察が後回しにされているところが気になるのであり、「悪意の匿名の2ちゃんねらーたち」はその理論構築ためのツールに使われているように思えてならない。
【12/31加筆】
※1 この部分に関して、投稿に際しては「ペンネーム」は認めているので、「匿名でエントリーは全く書けない」というのは事実誤認であるというご指摘が市民記者に登録されている方からあった。確かに「場合によっては実名以外で投稿することもできます。」とは、既に早大のシンポジウムでオーマイ側から説明があったように記憶しているが、それが実際に運用されているかどうかについて認識が無かった。加筆訂正させていただきます。オーマイの編集部に実名を重んじ、匿名を排除しようとする姿勢があることは変わりがないので、全体的な記事のトーンは修正しない。
2006 12 30 [経済・政治・国際] | 固定リンク | コメント (5) | トラックバック
December 17, 2006
朝日に報じられたオーマイニュース苦戦の深刻----問題はアクセス数激減だけではない
12月17日の朝日新聞に「オーマイニュース苦戦」という記事が掲載さされた。
詳細は、文中の引用を見てもらいたいが、鳥越編集長の「僕の挑発に・・」発言。この方は骨の髄から「匿名」が気に入らないのだろうなと思う。「匿名」からも様々なオピニオンが寄せられているという、正当な「峻別」がない。つまり「卑怯な発言」「低俗な発言」「誹謗中傷」は、実名でもなされる場合があり、「匿名」であっても、考慮に値する「批判」があるという、その場所まで降りてから、批判は緻密化されるべきであろう・・あるいは発言者の安全担保などということは今更言うまでもなく当然のことだと思われるのだが、気がつく限りその視点を包含した発言が何一つ見当たらない。このあたりは見事な程である。
---サイトへのアクセスが伸び悩んでます。
「広告収入にもつながらない。1年で結果を出さないといけない」
「匿名だったらもっと増えたが、責任ある実名文化を築くためにやっているのだから、それは選ばない。ただ、量的な拡大は必要だ。」
---寄せられる記事の質はどう評価しますか。
「初めて取材するのだから、身の回りのことから書き始めるのは仕方がないが、少し『意見』が多すぎる。やはり事実を示すのがニュース」
「記者クラブにこもっている記者が書けない独自の記事が出てきている。後はスクープが必要」
---記事が偏っているなどの理由でコメント欄の「炎上」が続きました。
「韓国発祥のサイトということで反感もあるようだが、日本と韓国の間の問題について議論することは大事だと思う。ただ、あしざまな中傷は論外。記者は実名で書いているのにコメント欄は匿名で中傷を書く。後ろから切りつけるようなものだ」
---編集長が自ら匿名の掲示板を批判する発言も反感を買いました。
「あそこに書かれていることは本当にひどい。彼らが反発してくるのは想定内で、僕の挑発に乗ったな、という感じだ」(朝日新聞12月17日朝刊「オーマイニュース苦戦」鳥越編集長へのインタビューより)
彼は、ただひたすらに「匿名」からの「卑怯な発言」の巣窟としての「2ちゃんねる」を謗るばかりである。それどころか余計な挑発発言までしてしまっている。(やれやれ。こんなこと