December 25, 2007

「この悲しみの意味を知ることができるなら 世田谷事件・喪失と再生の物語」------スティグマを背負って 

Setagaya


理不尽なとしか言いようのない犯罪、世田谷一家殺人事件に巻き込まれた家族の、隣の敷地に暮らしていた姉が、匿名で書いた「この悲しみの意味を知ることができるなら」は、あの日、凄まじい暴力に殺された家族は、宮澤みきおさん一家以外に、もうひとつあったのだということを知らせてくれる。そしてそれは、犯人によってのみならず、メディア、そして我々によってもなされたと言えるのだ。

ここには、今までほとんどメディアに登場してこなかった、みきおさんの妻泰子さんの姉(仮名:入江杏さん)が生きてきた軌跡がいかに厳しいものであったかが、あの日の事件現場の迫真の状況とともに、書き込まれている。

あの事件と自分との微かな関わりについては、「「世田谷一家殺人事件」と、あの時代の「深い浅ましさ」について」で書いた。宮澤さんは、私が一時籍を置いた企画会社の契約社員として、その名刺を持って動いていた時期があったのであり、捜査の対象範囲の中に当時の同僚達がいた。現場の風呂場には私たちの会社の幾人かの名刺も他に混じって投げ込まれていたという。

今回この本を手に取ったのも、何かほんの些細なことであっても、何かその中に見えるものがないかと思ったのがきっかけだった。他の全ての人たちが見落としても、自分の目に引っかかる何かがあればと。残念ながら、そうしたことには遭遇しなかったが、それでも読んでよかったと思う。

入江さんは、降りかかった事件の悲しみを冒頭でこのような比喩で表現する。

「私というミクロコスモスを照らしていた大きな星がいきなり4つも消えてしまったとき、私をとりまく星空はすっかり姿を変えてしまった。星ひとつが消えたことで、その星をとりまく幾多の星雲もまた離れ、光を放たなくなってしまった。美しかったタペストリーはずたずたにされてしまった。金糸も銀糸も鮮やかな糸は断たれ、布は裂かれ、織り出されていた模様も定かではない。どんな物語が織り込まれていたのか、これからどんな美しい絢を織り成すつもりでいたのか、断ち切られてしまった布からは読み取れないのだ。」

入江さんが口を開いたことにより、おそらく社会が初めて臨場感を持って知ることのできた事実が満載されているはずだ。宮澤さん一家と、入江さん一家は、開発が進む近隣で孤立し、周囲に家もなくなってしまった状況に治安の悪化を懸念し、まさに転居する直前だったことがわかる。また不明にして私は知らなかったが、宮澤さんの長男、礼君が発達障害を持ち、それを悩みつつ奮闘した宮澤さん一家のの娘への慈しみ、さらにはそれも、一家の転居が遅れたと一因になっていたこともまた知らされる。

事件は、さまざまな要因が噛み合って、この一家に降りかかったのであろうが、それが見えない。入江さん達が脅かされたのは、妹一家を全滅させた悪意の正体が全く見えないこと、そしてそれがあるいは本来は自分達の上に降りかかったかもしれない悪意であったという観念によってである。つまり妹一家は、誤って自分達の身代わりになったのかもしれない。当然のことだが、その可能性を捨てることができず、そのことによってまた苦しむ。

「警察には、いつも身辺に気をつけるように言われてきた。「もしかしたら、宮澤さんたちはご主人と間違われたのかもしれません。」誰でも、そんなことを言われれば、たまらなく心配になるだろう。でも、ただ「身辺に気をつけるように」というばかりで、具体的にどうしたらよいかの指示はない。私たちの身辺にとりわけ気を配ってくれている様子もなかった。いたずらに恐怖をかきたてられるばかりだった。」

すさまじいメディアスクラムに一家がどれほど悩まされたかということも詳しく書かれている。道行く人がみな自分達を指して不幸が降りかかった「忌むべき者」として眺めているような気がするという節も。心無い言葉も多く浴びせかけられた。

次のような心に響く一節がある。

「私もそうだったように、多くの人々は、人間は幸福であるべきであり、不幸はよくないことだ、という価値観にしばられている。幸福であるときは、不幸になることを恐れ、忌み嫌う。でも不幸、あるいは不幸に伴う苦悩は、人生に不可避なものだ。もし、こうした価値観に囚われていると、不幸であること自体がいっそう不幸を助長させる。不幸を、苦悩を、意味あるものと受け止める勇気さえ捨てて、不幸であることを恥ずかしく思ってしまう。」

あるいは次の箇所

「スティグマ」という言葉がある。他者やその社会集団によって押し付けられた負の表象であり、社会的な汚名のことで、もともとは奴隷や犯罪者であることを示す。刺青などの肉体的な烙印をさす言葉だ。犯罪者として十字架に架けられたキリストの掌にある傷も、スティグマータと言うそうだ。」

過酷な負の汚名を負った人であれば一つ一つが心に響くだろう。

突然の災害や事件に巻き込まれた人たちを目にするたびに、「なぜ今回は彼らであったのだろう。なぜ自分ではなかったのだろう」という思いに駆られる。ほんの数センチ、数ミリ、あるいは数秒の時間のずれがあったなら、彼らは自分であったろうし、自分は彼らであったろう。それなのに、ひとたび「不幸になった者」が決定してしまうと、社会は自分達と、その者達との間に、厳然とした境界線を引き、「スティグマ」を課すのだ。

どんなに同情的な言葉を投げかけたとしても、彼らは彼らであり、自分達ではないのだ。入江さん達が苦しんだのは、この厳然として容赦のない見えない境界線であり表象=スティグマであった。単に「偏見」とか「差別」とかまとめて終わりにするには、与えられた運命と同時に、このスティグマは余りに苛烈だったことがわかる。

入江さんは、そうした絶望と悲しみの深い淵から、立ち上がってくる。かねてより行っていた子供達への童話の読み聞かせや、童話の執筆、そして犯罪被害者の遺族としての経験を、他の人々と語り合うことによって。

本書後半には、その入江さんの自己再生の過程が、穏やかな文章で綴られており、このような凶悪な事件の記憶の中にあっても、人が必ず回復して行けるのだという希望へと繋げる内容になっている。どん底に落ちたときにも、人は這い上がっていけるのだ。

「この本を書くことで私は、自分自身と和解することができました。やっと自分に対しても他の人に対しても心を開くことができたのです。それまでは心のそこで自分を責めていました。あんなに辛い思いをして亡くなった妹たちを思うと、私が生きる喜びに向こう事が許されるのだろうか、とずっと自分に負い目を感じていたからです。」

入江さんが絶望の淵からここまで這い上がってくるのには、決して短くない時間を必要とした。その過酷な時間については、本書でも描ききれまい。

しかも事件は解決していない。未解決のまま、間もなく2007年の12月31日で7年目を迎えるのである。



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September 26, 2007

セカンドライフのベースとなった小説「スノウ・クラッシュ」に描かれた未来は最高にクールだ

Snow

1992年に書かれたニール・スティーブンソンの大傑作。奇書とさえ言っても過言ではないだろう。米国ではベストセラーになっているが、日本国内でそれほど話題になったという記憶はない。アスキーが単行本を出した後、早川SF文庫より上下巻出版されているが、在庫が尽きたか、(現在書店ではまず手に入れることはできない。マーケットプレイスなどに頼るしかないが・・何てこった!理由は後で。)

物語の時代。既に米国はなく、世界は「フランチャイズ国家」によって細分化され、軍閥のような国家群が覇を競っている。リアルの世界と巨大なコンピューターネットワークで構築されたバーチャル世界を自在に行き来して、コンピュータウィルス「スノウクラッシュ」の謎に迫るのは、凄腕のハッカーにして剣士、そして未来社会では限りなくクールなピザ配達人であるという奇想天外な英雄、ヒロ・プロタゴニスト、そして「特急便屋」の少女Y.Tは15才。2人は謎の解明を求めて遠い過去と未来を繋ぎながら、「二つの世界」を疾走する。彼と彼女ののスピード、凄まじい未来社会のコンピュータイメージ。サイバーパンク小説の迫力を読者に十二分に伝えてくれる。いや、この小説は米国では「ポストサイバーパンク小説」の代表作として称えられた。

間違いなく傑作として米国で評価されながらも、そのあまりもの奇想天外、突飛過ぎるイメージのせいか、日本では話題にならなかった(と思う)この小説だが、今一部で注目が集まっているのは、あの「セカンドライフ」のリンデンラボ創業者、フィリップロズデールが、セカンドライフの主たるイメージはこの小説の中にあると、発言しているからである。「メタバース」という言葉も、この小説によって初めて使われ、具現化された。

【参考記事】
リンデン・ラボ訪問記
社内にはビリヤード場、「週に1度はセカンドライフ」が社則

ここで若干、説明を加えておく。ローズデール氏の仮想空間への構想のもとには『スノウ・クラッシュ』(ニール・スティーヴンスン著)というSF小説がある。ローズデール氏は同社設立の数年前に、妻に薦められて読んだこの小説に触発され、リアルとリンクした形で繰り広げられる仮想世界の立ち上げを考えるようになったと聞く。


そう思って読んでみると、確かに近未来のリンデンラボの目指す世界、セカンドライフの未来の萌芽を、到る所で感じることができる。ひとたびゴーグルを装着すれば、その瞬間から主人公はアバターになって、メタバースに飛び込む。ピザ配達はともかく、「剣士」に格別の尊敬が集まる「気風」は現在のセカンドライフでもそのままであろう。主人公ヒロは黒人を父に、韓国系日本人を母にもつ設定であるが、おそらく作者の頭の中に、日本の剣、サムライのイメージに加えて、現代日本のSFやアニメ文化の潮流があることは間違いないだろう。日本人は「ニッポニーズ」として、醜くも恐るべき物語上の確固とした地位を与えられている。

もっともセカンドライフで具現化されたイメージとかなり異なっているところも、多くある。中でも意外なのは、「スノウクラッシュ」には「インターネット」という言葉が全く出てこないこと。ニール・スティーブンソンは、メタバースの巨大なネットワークを、光ファイバーと衛星によって構築された巨大な世界規模のLANとして描いたが、1992年という状況がそうしたのか、それに「インターネット」という明確な言葉を与えていない。ネットワークはあるいはフランチャイズ国家が張り巡らした、マスメディアの行きつく究極の世界とも読めるのであり、彼をもってしても、インターネットのここまでの興隆は読み切れなかったか。

さらに、ディテールはセカンドライフユーザーであれば実に楽しめるものばかりだろう。例えばヒロ達はすでにキーボードからは解放され、装着型のウェアラブルコンピュータ=ゴーグルによってインワールドに「イン」するが、セカンドライフのようにテレポートはせずに、メタバース内でもモノレールや車に乗って何万キロメートルも疾走する。現実世界において富を持つ者は、豊かな解像度を誇るアバターを所持するが、貧しき者はモノクロの貧弱なアバターを使う。既に現実世界のインフラは、ブレードランナーの世界のように頽廃にまみれており、メタバース世界の英雄であるヒロもリアル世界では裏町の貧弱な家に住む。そしてY.Tの愛犬の心を持って生まれ変わった「ネズミモドキ」の、アバターたちを脅かす、凄まじい破壊力。

あるいは我々にとってそう遠くない未来の世界の姿は、過剰なまでの圧倒的な存在感をもってこの小説に描かれている。そのメタバース時代への入り口を、未だ未熟な姿ではあるが、リンデンラボ他の数社が既に実現しつつあるという今日の状況を見ると、如何にニール・スティーブンソンの描いた世界が、とてつもなく「リアル」であり、予言性があったかがわかる。いや、むしろこの優れた小説イメージが、IT経営者たちの心に火をつけたのだ。

ここに描かれる未来は、あるいは耐えられないものかもしれない。既に世界はイカレテイル。壊れている。しかしそのぞっとするはずの我らの未来は、決して暗いイメージではなく、それどころか、この上なく「クール」なのだ。

是非一読を薦めたい。僕はもう3回も買ってその都度人に配ってしまった。


※あれ、マーケットプレイスの商品に軒並みプレミアム価格がついてるぞ!

2007 09 26 [書籍・雑誌] | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック

March 25, 2007

「猫の神様」----失われていく命と性と「美しい文章」

Nekono_1


彼が死んだのは、暖かい春の陽射しが差し込む、穏やかな朝だった。10年と8ケ月一緒に暮らしたというのに、それはとてもあっけないお別れだった。

という一節から始まる東良美季の「猫の神様」は、アダルトビデオのライターをしながら一人で暮らす著者が、雨の夜に道に捨てられていたのを連れ帰り、10数年を共に暮らした「ぎじゅ太」と「みャ太」の2匹の猫の命、そして彼らの命が失われていくのをどうすることもできずに、ただ見つめる日々を、美しい文章でしたためた1冊である。

2匹のうちの1匹、ぎじゅ太が失われたとき、悲しみの中で筆者はこう書く。

神様からの預かりもの----。
神戸からの帰り、新幹線の窓を眺めてその言葉を思い出していた。
僕は神も仏も信じないけれど、猫の神様ならこの空のどこかにいるかもしれない。何となくそう思った。ぎじゅ太は独り寂しく暮らす僕に、猫の神様が一時期だ け預けてくださったものだった。だからあの雨の日に、まるで山から転がり落ちてきた子熊のように公園のゴミ箱の下にいたのだ。
新幹線の窓から見える空に向かい、心の中でそう呟いてみると、僕の身体を包んでいた薄い膜が少しだけ破れたような気がした。この空の果てで、ぎじゅは猫の神様に優しく抱かれて「ウーン」と言い、喉をごろごろと気持ちよさそうに鳴らしている。そんな光景が眼に浮かんだ。

この本を猫好きの孤独な男による単なる述懐や感傷と読むのは、おそらく正しくない。ここに描かれているのは、失われていく命に対峙する私たちの普遍的な心のようなものであり、その喪失を人はどうすることもできないという、やりどころのない不可解な悲しみである。

物語の後半、残ったもう1匹の猫「みャ太」を10ヶ月以上に渡って1人看病する筆者の孤独と不安、そして苦しみながら死んでいく「みャ太」が、表現のしようのない波となって気持ちを揺さぶる。そして、そういう悲しみをシャワーのように浴びせられている、「あなた」の心が見ているものは、きっと単なる「猫」ではない。もっと、奥の深いところ。1人で生まれてきて、そして去っていく一瞬の邂逅。この世界で生きていくことの不条理と、そこにある「あなた」自身の孤独が浮かび上がってくるはずである。

猫の命が失われていく傍らで、筆者はアダルトビデオを幾本も見て、その評論を書く。失われていく猫の命を見つめながら、片方で男と女の営みを見ながら原稿を書く。その違和感について苦痛をともなって告白している。

「ごめんな。俺が悪かったな」と言い、みャ太をベッドに寝かせ、飼い主はアダルトビデオを観てそのレビュー原稿を書く。正直、こんな時に男と女が絡まりあう画面を見るのはしんどい。でも、それが僕の仕事なのだ。AVを観て原稿を書き、また原稿を書く。こんな時でもしっかりと腹は減る。俺は本当に、バカのように健康だ。この食欲の十分の一でもみャ太にわけてやりたい。

生きていくことと死んでいくこと。その間に挟まった軋みのようなものを感じる。
共通するのは、単に「命」というものであって、それが「誰のものであるか」ということは別の話であるのだろう。人であるとか。猫であるとか。

実際、筆者の部屋には、何人かの女友達が現れては去っていくが、この2匹の猫の生と死の圧倒的な存在感の前には、その映像はおぼろげである。しかし、この本が不思議なのは、そうしたおぼろげな「彼女達」の存在すら、短くはあるがどこか生き生きと描き出していることである。

おそらく2匹の猫の向こうに数え切れないほどの命がある。その命の気配を感じる時間を、この薄い本1冊は、「あなた」に確実に与えてくれるだろう

「美しい文章」

そんな言葉が頭に浮かんで去らなかったが、筆者の友人であり、最近僕が注目しているブロガー、藩金蓮さんの「アダルトビデオ調教日記」(凄いタイトル)にこんな一節があった。

・・・・・「猫の神様」改めて読んで、しみじみと美しい文章だなぁと思いましたの。

 「巧い文章」というヤツは、ある程度の経験や努力で何とかなると思うんだけど、その技術に溺れてしまうと「どうだ!巧いだろ!感動しろ!」と上から読者を見下してしまうと思うんです。そうやって、読み手を馬鹿にして(書き手が無自覚にしろ)傲慢になってしまうと、それが文章からどうしてもにじみ出ると思うのよ。それは文章だけの話じゃないか。だから「昔は面白かったけれども、段々面白くなくなる」書き手とか、作り手というのが数多く存在するということは、そういうことだと思う。技術が磨かれれば磨かれるほど「面白くなくなる」とという怖い現象が存在するということは。

 だから「巧い文章」には私はあんまり魅力を感じない。へー、ふーん、上手どすなぁーと、感心はするけど、それだけ。それ以上のものは無い。

 でも「美しい文章」というのは、感心じゃなくって感動するものだと思うんです。じゃあ「美しい文章」というのは、どういうものなのかと具体的に述べよと言われたら上手く言えませんが、、、結局「魂」の入れ方なのかなぁとも思います。だからAVでも本でもそうなんですが、私的な恋愛が描かれたものに人々感動させる「名作」が生まれるのは「魂」が籠めやすいからなんでしょうね。 (「私の好きなあの人は、いい男です。」(同ブログ))

「巧い」文章は経験や努力で何とかなるが、「美しい」文章はそういうことではないというのは、ほんとにそうだなあと思う。

藩金蓮さん自身もまた、すさまじい毒をもちながらも、この上なく「美しい」文章を書く方である。上記の一節に至るまでの毒の書き散らし方と言ったら!でもそういう人が、あるいは彼女特有のはにかみを交えながらも、東良さんの文章の稀代の美しさを愛でるように大切にしていることがじんわりと伝わってくる。

それにしても「性」に関わる仕事やテーマに携わっていく方に、「美しい」書き手が多いのは、何か理由があるのだろうか、などと以前からぼんやりと考えているのだけれど、「魂を籠める」ということが、端的にもっとも発揮されやすいのが「恋愛」や「性」なのだろうか、と、これもまたぼんやりと考えている。
そしておそらく「死」を語ることもそうなのだと思うけれど、「死」はそれらの裏側に語らずとも隠れていたりする。


桜が咲くにはまだ数日。 

今日の東京は、雨が冷たい。


【参考リンク】

●毎日jogjob日誌 by東良美季

●追想特急~lostbound express(東良美季)

2007 03 25 [書籍・雑誌] | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック

February 27, 2007

「失われた町」(三崎亜記)---澄み切った不条理な悲しみ

Lost

町が消えていく。というよりも町に住んでいる人物が全て消えていく。不可思議な設定のこの世界が、どこであるのかわからない。過去なのか、あるいは未来なのか。国も人種も定かでない中で生きていく、あるいは「失われていく」人物の造形だけは、はっきりと我らの世界を転写している。

消えていく住民たちのことを、あるいは消えた町のことを悲しむことは、この世界では許されない。そうした思いをもつことは、この世界では「穢れ」とされる。また、消滅の時間、たまたま消滅を免れた人間も、「特別汚染対象」として、一生「管理局」の監視のもとに暮らすのだ。その「管理局」の人間たちもまた「汚染対象」を見続けることで、「汚染」されていく。

やるせない、どこにも持って行きようのない、深い「悲しみ」が物語を深く覆う。消滅の原因も、そしてその対策も全く解き明かされることもなく、最後まで人々は悲しみの中で消えていった人々を思うことも自由にかなわず、いつか身が滅んでいく。

三崎亜記が、この物語に込めた寓意は何だろうか。時空によらず、人の世界に起きる、ありとあらゆる理不尽で理解不能な不幸を、消えていく町にただ重ねたともいえよう。また、そうした不幸に遭遇した人々が、ただ遭遇したというだけの理由で疎んじられ、穢された者として扱われる、我らが幽閉された、永遠のこの世の理不尽を描いたともいえよう。

しかし人の消えうせた「町」はどこか、澄み切った静謐な美しさにも満ちており、今という時代の中では、このどこか現実感のない設定が、心や感情と別の次元での、奇妙な美意識に満ちていることも否めない。どこか夢の中でみたような景色だと思ったら、それは、つい昨日あのバーチャルな異空間で一人夕闇を眺めていた、自分の分身が見つめていた町の空気に、どこか似ていることに気づく。

喪失に出会った人の、理解しがたい悲しみと、命の存在感が満ちた不条理な小説であるが、小説の情景はあくまでも隅々まで澄み切っているのだ。

人はそれでも呼吸しているのだが。

2007 02 27 [書籍・雑誌] | 固定リンク | コメント (2) | トラックバック

January 24, 2007

「名もなき毒」を読んだ-----恐れるべき毒は我等の内に

Namonaki_1

「誰か」の続編となる宮部みゆきの作。巨大コンツェルン総帥の娘婿になり、グループの広報誌編集部に所属した元編集者杉村三郎を主人公にした第二作である。

読み進めば読み進むほど、幾度もカバーを眺め「名もなき毒」というタイトルを確認する。それほどに、この小説を的確に表現している秀逸な表題である。経済的安定に恵まれ、平凡日常な毎日をおくる主人公の孤独、空虚感だとか、喪失感は一作にも増してこの小説に彩を与えているが、だからこそ起きる事件の生々しさ、この世俗の毒々しさが鮮やかに浮かび上がってくる。

富と愛情、堅牢な地位。表面的には全てを持っている主人公、というおよそ小説にはまったく似つかわしくない「困難な」キャスティングを敢えて行い、にも関わらずドラマティック極まりなく人間群像を描いていく作者の手腕には、相変わらず舌を巻く。「理由」や「火車」で描いたような、特殊なプロットであれば、いかにも「小説になりそうな」のだが、そんな舞台仕立てを、敢えて全て捨てて、ある「くびき」のようなものを、自分に課して「挑戦的」に書かれた、という風に思える。   

ストーリーのセッティングは、それら個性的な作品に比べ、遥かに「凡庸」にシフトしているのだが、並々ならぬ「力」でこのフラットな物語世界が後半、鮮やかに「揺れる」感覚を味わうことが出来る。読書の醍醐味といえるだろう。

異常な舞台仕立てで書くならば、どんな「まずい」書き手でも、素材に助けられて。ある一定の段階までは読者の関心を引っ張ることが出来ようが、この連作に用いられている舞台は、どこまでも飄々たる杉村三郎の性格そのもの通りに、平々としており、下手な書き手が迷い込んだなら、とんでもなく退屈な凡作になるはずである。

それを、まったく先を読みきれない、しかも雰囲気のある、一級の推理小説に仕上げる力は、並みの「小説家志望者」を打ちのめすだろう。本当のプロとはこういうものである。などと嫉妬する段階はもちろんとうに過ぎた距離感である。当たり前。

「毒」という言葉は、この小説ではダブルにもトリプルにも、多重な意を込めていられているが、一番恐れるべき「毒」は我らに内在する心の奥であろうし、その毒は、毒が撒かれる前の生活や人生が凡庸であればあるほど、その刃をもって、鋭利に襲い掛かってくるのである

文句無く第1級のストーリーテラーの技に酔いしれた後、そんなことを思ったのである。

2007 01 24 [書籍・雑誌] | 固定リンク | コメント (2) | トラックバック

December 31, 2006

「黄泉の犬」(藤原新也)を読んでいく(4)--麻原・水俣病説への疑問

このエントリーに滝本太郎弁護士からコメントをいただいた。「黄泉の犬」に関する見解が氏のブログに書かれているというご案内だったので、行ってみた。
麻原は「水俣病」を患って目を悪くしていたのではないかという、この書の中でも愁眉の部分に関しての見解である。

●「備忘録-黄泉の犬」(同上)

●「再び「黄泉の犬」について。」 (同上)

●「「黄泉の犬について-3」」(『日常生活を愛する人は?』-某弁護士日記)

滝本氏は麻原の「在日朝鮮人説」「被差別部落出身説」と並べて、藤原新也の「水俣病説」に強い疑問を提示されている。その根拠としては、麻原の長兄の証言全般に関する疑念である。

●藤原は、麻原の「水俣病説」を、一番上の長兄への取材によってのみ書いている。他の兄弟に対して全く裏づけをとっていない。

●この兄は「教祖になってくれ」と麻原さんから言われた、などとも言っているが、他の麻原といつも行動していた旧い信者の誰もそういったことは言っておらず、カルトの特性からしてもあり得ない。

●麻原は生まれつき片目が見えない。もう一方の目は進行性で見えなくなってきていた。たとえ八千代でシャコを食べていたとしても、出産後に水俣病になった可能性はほとんどない。

●胎児性水俣病に関しても、麻原にはその他の水俣病に特徴的な症状は一切ない。シビレ云々なども、あったと言っているのは長兄だけ。そもそも麻原の目は、神経性の視覚障害ではなかった筈。

さらに、麻原が実際には被差別部落の出身でもないのに、それを偽装して部落出身の信徒を出家させたことがあるなどを挙げ、あるいは水俣病も偽装してもおかしくないことを示唆している。他にも、藤原新也氏の取材がそこかしこで雑であることにより、本自体を信頼することができないと語っておられる。(後半のインド放浪に関する部分は評価しておられるが、メメント・モリなどはお読みになっておられないようだ。)

僕には、俄かにいずれとも判断しがたいが、昔からの藤原新也の読者の立場から言わせてもらえば、藤原新也という人は、取材した事実の積み重ねから演繹的に事実を追求していくというよりも、典型的に帰納法の取材方法をとる人であると言っていい。
つまり、強烈な精神的なインスピレーションをもとに、自らの感性が打ち立てた仮説を、結論とすべく、取材を重ねていくタイプであり、その結果、著作は非常にスピリチュアルな迫力には満ちているが、反面、客観的な合理性に欠ける部分がある。ということである。
その面では、確かに滝本さんの言われる諸点を見れば、取材が足りない、あるいは思い込みが先行して極端な結論を導き出している可能性もあるかもしれない。

麻原がもしも水俣病であったとすれば、そこに多くの人は何らかの「意味」を見出そうとするであろう。(もちろんこれは「被差別部落」でも「在日朝鮮人」でも同じである。)それがわかっていながら書かれた藤原の文章は、一種独特のスピリチュアルな雰囲気を醸し出す技術が高いだけに、本人からの再反論と合理的な追加取材がないと、俄かに内容を信じるのは危険であると今は考えている。

その見方をとる人は多いようで、いまひとつこの衝撃的な内容が込められた本が評価されていないように感じるが、藤原自身は、タブーを扱ったことにより、社会から忌避されているように感じているようである。


【参考リンク】


【書評】麻原彰晃の誕生 / 高山 文彦(London bridge)
によれば、田口ランディ氏や瀬戸内寂聴氏は、藤原新也の視点を絶賛しているそうであるが、このあたりにはまだ目を通していない。

2006 12 31 [書籍・雑誌] | 固定リンク | コメント (2) | トラックバック

December 22, 2006

「黄泉の犬」(藤原新也)を読んでいく(3)--あの年の記憶

地下鉄サリン事件(ちかてつサリンじけん)は、1995年3月20日に東京都の地下鉄でカルト新興宗教のオウム真理教が起こした無差別テロ事件である。毒ガスのサリンが散布されて死者を含む多数の被害者を出し、日本の社会に大きな衝撃を与えた。(Wikipedia)

あの年の記憶ははっきりしない。その年までの狂乱のバブルの記憶が思いのほかはっきりしているのに、1995年の記憶は、元旦の読売新聞のスクープ、燃える神戸、そしてカナリア。それから・・・それから?それから?

なぜか記憶がすっぽりと抜けている。

ようやく意識に上がってくるのは、気がつけばテレビの映像の中に、見慣れた大学時代の同級生の女性がいつの間にか座っていたことである。彼女が卒業後、メディアの冷淡に、そして世間の冷淡にまみれていた頃、僕はやはり拭いようの無い冷淡の海の中でもがいていた。ようやく海面から頭を出した頃、目を疑う光景。通いなれた東銀座の駅の惨状。そして19歳の頃から大学で席を並べた女(ひと)の顔が、そこにあった。そしてその顔は、僕の知っているその人の表情ではなかった。別の心がそこに降りていた。

人はどうやって、欠損を埋めていくのだろう。人はどうやって、生まれながらに決められた運命のようなものを超えていくのだろう。あるいは超えていけないのだろう。そして神(のようなもの)はなぜ、ある人にある場所に立たせるのだろう。人の死は、死をもってまでして、その人を「その場所」に立たせる。それは、本当になぜなのだろうか。

次に気がついたときには、テレビの中の麻原は埃だらけの紫のクルタのまま、穴倉から引きずり出され、車に乗せられていた。報道は東銀座から程近い、喫茶店で馴染みの代理店の営業と一緒に見つめていた。

代理店の彼は間抜けのように「あ・・・」と言ったまま、テレビを見つめてそのまま長い間立とうともしなかった。彼のコップを持った手は微かに震えていた。僕はそのとき思い出した。サリンが撒かれたあの駅を、わずか2日前に僕は通ったこと。そしてそれは彼の会社に打ち合わせに出向くためであったことを。しかし僕たちはそのことを語り合うことはその後もなかった。ずっとだ。

東銀座の駅の前に大量に横たわっていた人々は?人々は?

あるとき。ある瞬間。人をその場所に立たせること。ある時間に特定の場所に立たせること。それは誰が何のために、どのような力でなし得るのだろうか。あなたはなぜその場所にいたのか。あなたはなぜその場所にいなかったか。答は出ない。永遠に。それはわかっているが尚、それを考え続けないではいられない。それがはたから見ればどんなに馬鹿げた所為だとしても、だ。

「率直に言わせてもらいます。よろしいでしょうか」
「なんや」
「弟の智津夫さんの目の疾病は水俣の水銀のせいじゃないのかって。そんな風に想像してしまったんです。実を申しますと僕が満弘さんのところをお訪ねしましたのは、その1点をお伺いしたかったからです」

満広はその言葉を聞くと止まったまま手に持つコップをちゃぶ台の上にそっと置く。閉じた瞼が震えるように微動している。

瞼の裏の闇の彼方の何かに思いを馳せるように。
沈黙が時を刻む。
不意に満弘は息子の名を呼ぶ。
息子が現れると「ちょっと1時間ばかり外に行っとれ」と威圧的な声で言う。
息子が出て行き、通りの木戸を閉める音が聞こえる。
それから少し間をおいて後、満弘は重い口を開く。

「・・・・・フジワラさん」
満弘の閉じた瞼の裏の視線が正面の私に向かっている。
「はい」
「よう、そこにお気づきになったなあ」
満弘は穏やかな小さな声で言う。

(黄泉の犬 静かな朝の証言)

水俣。

その「秘密」の暴露が一体何になるというのだろう。

いやそれ以前に我々は、我々の受けた衝撃を正しく受け止めているだろうか。我々が受けた衝撃は、直接空気中に散布された、あのサリンという名を冠された薬物の、その中にのみあったのだろうか。それともそれを浄化すると称して、同じ組織が道路1本隔てたところで作っていたというコスモクリーナーの、あの物々しき形状の中に、あるのだろうか。あるいはあの張子のシバ神の・・・。

否。否。

思うものは思い続け、迷うものは迷い続ける。そして藤原新也もまた、松本満弘の作り出した長い長い沈黙と、それに続く言葉、そして自らの印度放浪の記憶の中に、1995年を思っていたはずである。それはわかるが、一体その記憶が何を生むというのだろう。仮に松本智津夫、否麻原の眼が水俣の害毒に侵されていたとして、それによって何が変わるのだろうか。変わらないのだろうか。

藤原新也は、インドを放浪していたとき、その頃さまよっていた欧米の若者と明確に線を引いていたことがあるという。それは、インドにあってなお、インドに飲み込まれないことであり、道端の祭にすら「帰依」しないことである。頑なまでに。

これは今では笑い話として語ることができるのだが、この青年がいかに宗教的なものに1人で抵抗していたかを物語る他愛のない話がある。(黄泉の犬 そこから世界がはじまる)

藤原新也は、インドのここかしこで繰り広げられる「ホーリーの祭」(色のついた水や絵の具を誰彼と無くかけ合う)にすらひたすら頑なに背を向け、どんなことをしても絵の具を掛けられまいと「毎年警戒を怠らなかった」

他愛のない話である。
しかし、この出来事は青年がそういった種類の変わった情熱を持って旅をしていたことを理解するにはかっこうの出来事であるように思う。その情熱とは信じられるものしか信じないといういたってシンプルな情熱であり、そういった熱い気持ちが、世界に対する冷たく醒めたまなざしと妙なかたちで私の中に同居していた。(同上)

さらに藤原新也は、インドの山中で遭遇したフランス人青年の「空中浮遊」について筆を進めている。

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December 14, 2006

「黄泉の犬」(藤原新也)を読んでいく(2)--腐臭の隣に多くの死があった

Hujiwara2


藤原新也が「東京漂流」を書き溜めていた80年代後半・バブルの時代。彼が、凄まじい勢いでバブル経済の狂乱状態へと生き急いでいく東京の裏側に、ぽっかりと口を開けた不気味を撮影して歩いている頃、僕は東京で広告プロダクションにあり、折からの博覧会ブームの中で、血走った生活を送っていた。

1985年の「つくば博覧会」はそうしたバブルの喧騒の序曲として幕を揚げたような博覧会だった。入場者数は大阪万国博の6422万人には及ばなかったものの、実に2205万人を記録した。

毎週、金曜の夜には、僕は深夜の常磐道を同僚と一緒に筑波へと走る車中にいた。会社が某企業のパビリオンの運営を丸ごと請け負い、会社は沸きに沸いていた。金曜夕方になると僕たちは経理から1人50万くらいの札束を適当な名目で受け取り、各々がポケットに詰め込んだ。20代の若造がポケットにねじ込んだ大金を、きれいに1週間もしないうちに使って帰ってくる。それでも何億という仕事を受けているのである。会社もうるさくは言わなかった。使いすぎたときは次の給与を全部差し出して清算し、その代わりに次の仮払をもらった。都内の移動は全てタクシー。仕事では何ヶ月も電車にすら乗らないことがあった。

では、僕たちは豊かであったのかと言えば、断じてそれは違ったと思う。残業代もろくに払われない安給料の職場。待遇は最悪だったし、精神はいつもぎりぎりの緊張に晒されていた。だが、金はあった。というか「出た」。もしも金に色が、そして匂いがあったとすれば、おそらくあの頃僕らが手にしていた金は腐臭を放っていたはずだ。常磐道を疾走する深夜の車の中では、耳をつんざくような音楽がいつも鳴っていた。あの狂乱の時代の記憶を思い起こすたびに、それは僕の耳に蘇り、その「匂い」を思い出すような気がする。

そして、人の死はそのすぐそばにあった。

とにかく、多くの人が死んでいった。僕たちが仕事をもらっていた、大手広告代理店のファッション関連のクライアントを持つ社員は、日曜日に出社した上で、会社の中庭に飛び降りて死んだ。月曜の朝、社長からそれを聞かされた僕たちは騒然となったが、仕事を止める事は誰もしなかった。というかできなかった。緘口令が敷かれ、おそらくだれも葬儀にも行かなかったと思う。止める事のできない圧倒的な量の仕事の前には、それが当たり前だった。彼はおそらく何かを伝えたかったのだろうが、それを考えることは皆が自ら封印した。

あるいは九州の巨大テーマパークの準備期に、2名が自殺で立て続けに死んだ。その知らせを聞いた時も、陽が落ちた頃、地平線まで延々と繋がる膨大な工事車両と人の列を見ていると、遠い昔、王墓を作る奴隷の群れが彼方まで繋がっている風景を見ているかのように思えた。人が自ら死を選んでも、その日の夕暮れの空は、変わらず美しかったのである。そんな感想しか持てなかった。

この頃の死は、経済的苦境によるものであることは少なかったように思う。では何が原因かといえば、疾走する経済の速度、そして地獄のように襲い掛かってくる激務の前に、力尽きて死んでいったという感の人が多かった。過労死であったり、ノイローゼであったり。自殺者の数は、今でも年間3万人以上と言われるが、この頃の死と、現在のそれとは、ずいぶんと位相が異なっていたのではないか。

そして、そうした死を僕たちはじっくりと見つめることはなかった。死に足を止め、死の匂いを嗅ごうとしても、その周りには無数の「黄金の腐臭」が立ち込めており、死の前に花を手向け、瞑想する僅かな時間さえも許されなかったように思う。

経済は確かに僕たちから死を隠蔽していたが、死だけではなく、おそらく多くのものを隠蔽したのだろう。もしも藤原新也が「東京漂流」で、80年代後半の東京で「何かを探そうとしていた」側であるとすれば、確実に僕は「何かを隠そうとする側」に立っていたのだろう、それに「加担した」と思う。だが、それがわかるまでには、さらに時間を必要とした。

やがて経済は、僕たちに確実な「終わり」を告げた。1989年12月29日大納会に38,915円の水準を記録した日経平均株価は90年10月1日に20,221円に暴落した。わずか9ヶ月の期間に48%の株価下落が生じたという、世界でも例を見ない大崩落が始まったことになる。仕事は瞬く間に消えうせた。僕の勤めていた会社もいつか潰れたと聞く。

そうやって僕は、いや日本人は、あの年・1995年へと向かっていったのだと思う。

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December 12, 2006

「黄泉の犬」(藤原新也)を読んでいく(1)--心を屠られるということ

Yomid

午後、偏頭痛が酷くなって、たまらずオフィスを抜け出した。いろいろ書籍チェックもしなければという口実を自分に与えて、まず薬局で頭痛薬を買い、スターバックスが売り場の一隅にある新宿の本屋でしばらく気絶することにする。いろいろ頑張ったので、気絶するくらいはいいだろうと気絶を始めると、目に留まった本がある。

「黄泉の犬」

藤原新也が、「黄泉の犬」の読者からの手紙に対して、オウム真理教を擁護し、オウム真理教事件を「小市民が起こした犯罪」とまでの表現で日記に掲載したという話を耳にして以来、麻原の兄を取り上げたというこの本が、ずっと気になっていた。

いわゆる私たちが認識しているオウム真理教とその犯罪は麻原とその信者が起こした事件であるとともに、小市民が起こした事件でもあると私は認識しております。つまり小市民も迂遠して殺人を犯しているということ。ジム・ジョーンズ率いる人民寺院の信者たちが起こしたガイアナでの集団自殺もそうですが、世界の宗教集団がカルト化し、攻撃的に変容するか自傷化するかの過程には必ずこの小市民による根拠のない迫害がその芽を作っております。オウム真理教の場合もその例外ではありませんでした。(Shinya talk 新興宗教と市民

今の自分にとって、確実に読まなければならぬ本であるとは知りながらも、この気絶から覚めたか覚めないかわからぬ精神状態で読むのもきついとは思った。が結局思い切って読み始める。久しぶりの藤原新也の「世界」が、体調かんばしくない身には、冬の朝飲む熱いレモネードのような、しかし甘くはない液体のように注がれていく。いつしか頭痛は忘れるが、それとは違う想念が、記憶が蘇ってくる。

それは「黄泉の犬」を論じる前に、避けては通れない思念と言ってもよく、我々の世代にはある一時期カリスマであったと言っても過言ではない、この写真家の「死の概念」を知るための思念だ。その思念を辿らないことには、この本は読めないと思った。少々遠回りだとしても。

従って、「黄泉の犬」を評する前に、藤原新也に関する記憶をなぞってみることにする。それはおそらく自分の中のある時代の糸をほぐすことにもなるはずだ。

「黄泉の犬」のカバーに使われているのは、忘れようとしてもおそらく生涯忘れることのできないあの写真である。

写真週刊誌FOCUSが創刊された頃、サントリーとのタイアップ頁で掲載された、ガンジス川のほとりで人を食らう犬。そこには藤原の文があって「人喰えば鐘が鳴るなり法隆寺」と記載されていた。当然ながらサントリーが強烈なクレームを入れ新潮社は説得出来なかったのか始まったばかりの連載は終わった。あの時代のサントリーの勢いを思えば、確信犯としても、藤原にも、藤原を取り巻いていた広告・出版関係者にも、ある強烈なイディアがあったとしか思えない。それが商業主義社会にあっての仕組まれた「狂気」だったといえばその通りであろうが。

1990年に発行された彼の「メメント・モリ」に再びこの写真は掲載された。さらにその写真にはこう付された。

「ニンゲンは犬に食われるほど自由だ」

 ある日の夕刻、彼はガンジス川の中州に立ち、遠くに犬の群がるのを見ていた。望遠レンズで覗くとそれは砂州の淵に流れ着いた水葬死体を犬の群が食べている光景だった。無人の砂州の中で彼は自分も襲われるのではないかと殺気を感じた。しかし写 真を撮ってのち近づき光景をじっと見つづける。しばらくして彼は自分の心の状態が変化しはじめるのに気づく。経験したことのないような安らかな気分が彼を包み込んだのだ。(藤原新也オフィシャルサイトより)

この写真を最初に見たとき、体の奥底から吐き気のするような衝動がこみ上げてきたが、その衝動を当時の自分は是とすることができなかった。是ともできず、非ともできず、その自分の身の置き所がないような、不愉快で捉えがたい気持ち、それを自覚している自分への嫌悪感。それは死者への冒涜だとか、タブーだとか、そういう言葉を思いつく自分の卑俗さへの、抗しがたい嫌悪感だった。つまり写真の映像ではなく。

生きていくこと、そして死んでいくこと。土にのたれていくこと、朽ちていくこと、その極彩色の鮮やかさとどぎつさ、そして胸が悪くなるような現実を盛り込んだこの写真集の中で、命と命の一瞬の交錯としてガンジス河畔の夕刻をに捉えたこの写真は、僕の胸の中で、言うならば硬質の結晶のように凝固した。そしてそれは、そのまま今でも溶けないで胸に留まっている。この「凝固したもの」を僕は何と呼べばいいのか、あるいはどのようにして溶かすべきなのか、溶かさぬべきなのか、その言葉がいつか自分に降りて来るのか来ないのかも何もわからなかった。はっきりとは見えない薄暗がりで、確実に人を屠る犬の写真は、そんな自分の根源的な不安をかき立てた。

あの夕暮れの、一瞬の生と死の邂逅の映像。

心を屠られるような不安はどこへ繋がっていくのか。

  • メメント・モリ(Memento mori)は、ラテン語で「自分が(いつか)必ず死ぬことを忘れるな」という意味の警句である。日本語では「死を想え」「死を忘れるな」などと訳される事が普通。芸術作品のモチーフとして広く使われ、「自分が死すべきものである」ということを人々に思い起こさせるために使われた。(Wikipediaより)

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August 12, 2006

「世田谷一家殺人事件」と11日の朝日報道の真意

【前記事】
「世田谷一家殺人事件」と、あの時代の「深い浅ましさ」について(BigBang)

11日の朝日新聞で「警視庁、異例の論評・世田谷一家殺人事件描いた本」とし、警視庁が7月19日に、警視庁が当該書の記述に関して異例のコメントをしたという記事が出たので、再度触れる。

問題を指摘したのは(1)侵入方法(2)殺害方法 (3)被害者の致命傷 (4)けがを負った被疑者の治療方法 (5)パソコン操作(6)残された指紋 (7)遺留品 (8)逃走方法 (9)被害者らの当日の行動 (10)被害者の親族 ----の計10点に関する記述。
本には、犯人が一家を殺害後、室内のパソコンを使って仲間とメールをやりとりした/侵入したのは男3人---などのくだりがある。これに対し、捜査一課は、犯人が「劇団四季」などのウェブサイトに接続した形跡はあるが、メールをやりとりした跡はなく、現場の状況から侵入は男1人と断定している。(2006年8月11日 朝日新聞)

ちなみにメールとネットの箇所は「世田谷一家殺人事件」書中ではこのように記されている。

Hは、そのパソコンからいくつかのサイトにアクセスした。ある研究所(埼玉県内)、ある化学工場(宮崎県内)、ある研修施設(被害者宅近く)、まずこの三ヶ所にアクセスした。
(中略)
カシャカシャカシャ・・・軽やかにキーボードを叩く音が続く。Hは報告と追求を交えてメールを打ち込んでいた。
(中略)
2人のどちらかが見つけ出してきたバニラのアイスクリームを、犬のように貪った。報告を済ますと、そのメールをアドレスごと削除した(BigBang注:おそらく匿名アドレスのアカウントを削除したという意味か)。・・・・・・・・そして面白半分にいくつかのサイトをサーフした。
(世田谷一家殺人事件)

また以下はWikipedia。

# 2階の浴室では、浴槽の中に書類などが散乱しており、このことから犯人が家の中を物色して不必要な物を浴槽に捨てたことが考えられる(浴室の中で仕分けしていた可能性もある)。また、2000年正月分の年賀状だけなくなっていた。
# 2階の居間では、ソファーにカード類、その近辺には手帳や運転免許証など生年月日の分かる書類などが仕分けされていた。
# 犯人が1階にある被害者のパソコンを操作した可能性がある。通信記録を解析した結果、犯行時刻以降から翌朝午前10時過ぎまで数回に渡りインターネットに接続されていたことが判明した。一方で、パソコンの電源ケーブルは発見時には抜け落ちており、マウスは被害者以外の人物によって触れられたような形跡があった。

 * 犯人がパソコンを操作していたことが事実だとすると、犯行時刻の午後11時30分ごろから、義母が一家4人の遺体を発見する数十分前に当たる午前10時過ぎまで、犯人は半日近くもの間、被害者宅に潜んでいたことになる。
    * 接続先は被害者の会社のサイトから、大学の研究室のサイトや科学技術庁のサイトなど専門色の強いサイトまで含まれていた。また、犯人は劇団四季(被害者があらかじめパソコンに登録していた)の舞台チケットを予約しようとして失敗した可能性がある。
    * 当初はこれらの通信記録が犯人によるものではなく、インターネットのサイト情報を自動的に拾ってくる「巡回ソフト」によるものという見方もあった。(世田谷一家殺害事件(Wikipedia))

*前記事で私が触れた「書類」とは、この2階に捨てられていた書類である。

それはともかく、少々不可解なのは、今になって警視庁の見解を記事にした朝日新聞の意図である。

既に7月19日にこうした記事も出ている。(朝日新聞の当時の記事は確認していない)

世田谷一家殺人事件本に警視庁がコメント
 東京都世田谷区の会社員宮沢みきおさん(当時44)ら一家4人が殺害された事件を題材にして、6月に出版された「世田谷一家殺人事件 侵入者たちの告白」(斉藤寅著、草思社)に対し、警視庁捜査1課は19日、「内容は全般にわたり根本的に事実と異なる」との異例のコメントを発表した。

 同書は侵入や殺害方法、被害者の致命傷のほか、犯人が自分で行った治療行為やパソコン操作などを具体的に記述。遺留指紋や遺留品、逃走方法、被害者の当日の行動などについて「新事実」として記している。

 捜査1課によると、同書に書かれた侵入から逃走に至る各場面はことごとく事実と異なり、誤解を生じさせる恐れが極めて高く、今後の捜査に悪影響を及ぼすことが懸念されるため、あえてコメントしたとしている。

 草思社と斉藤氏は「本書は著者が取材の過程で知り得た情報をありのまままとめたもので、あくまで事件解決の一助となることを願って出版したものだ。捜査を妨げる意図はまったくない」とコメントした。(7月19日・日刊スポーツ)

今朝になって、なぜ朝日新聞が7月19日の発表に関して再度触れたのかは、記事を読む限りはっきりしない。

記事後半では、著者の斉藤寅さんが、以前は週刊新潮の記者をしており、草思社以前に雷韻出版に原稿を持ち込んでいたが、同社山田社長によれば報道内容と異なる点を指摘しているうち、連絡がとれなくなったとしている。山田社長は出版する約束を破られたので、斉藤氏を相手に民事訴訟の準備中だとか。また斉藤氏は朝日新聞の取材依頼に対しては「ノーコメント」を貫いているなどの情報が掲載されている。

あるいはこのあたりが新しい材料なのかとも思うが、この時期に再度後追いするほどの材料があるとも思えず、ちょっとこのあたり桜田門からのプッシュが再度あったのかなあ、とも思わせられるのであるが。

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August 10, 2006

「世田谷一家殺人事件」と、あの時代の「深い浅ましさ」について

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「世田谷一家殺人事件 侵入者たちの告白」が出版されてから3ケ月ばかりがたったが、読了したのはつい最近のことである。この本のことがひどく気になっていたのは、事件があまりに有名で、凄惨過ぎるからだけではない。

殺された経営コンサルタントの宮澤みきおさんとは面識はなかったが、ある仕事の関連で自分に近い線に繋がるものがあったからであり、そのことは、事件後の一時、僕とその頃の仕事仲間にちょっとした騒ぎを引き起こした。その「つながり」については、おそらくここで具体的に書くことができない種類のことであり、詳細は避けるが、事件後犯人が宮澤さんの自宅の風呂場で撒き散らした大量の書類により、僕たちはそのことを知ることになり、一部の仲間が警察に聴取されるに及んで、僕たちの間の騒擾は極まった。

当時僕たちの前に現れた刑事が追っていた線は、この本に書かれていることとは全く別方向の調査であり、つまり彼の仕事上のトラブルが、この事件の原因となった可能性についての調べ。その延長方向に我々の存在があった。
宮澤さんの関わっていた、一部の大きな仕事の利権に関する疑義がその背景にあり、おそらく警察にしてみれば、何千、何万のつぶしていったルートの1つであったに過ぎなかったかも知れず、一般市民であるこちらの衝撃に比べれば、プロが平常心で触れていった約束事の可能性のチェックにしか過ぎなかったのであろう。この件はその後、際立った流れに繋がったという話は一切出ていない。おそらく、というか、見当はずれであったことを祈る。

しかしながら、しばらくの間、凄惨な現場の風呂場に自分の関わった書類が散乱しているイメージは、僕の心の一隅に確かに場所を占めていたことがあり、親しい仲間や知人が深く関わっていることがなければよいが、と祈ったことを思い出す。

それだけにこの書籍を、隅から隅まで読んだのもむべなるかな、というところであるが、著者は事件の主犯を日本に巣を張りつつある外国人シンジケートの犯行であることの決定的な証拠をつかんだとして、その解明の足跡を綴っている。最終的には彼らの写真と氏名までたどり着いているが、本人たちの現在の所在にタッチするところまではいっていない。取材の過程は非常にリアルで説得力があり、警察組織がどんな情報を、どのように割愛し、あるいは闇に埋もれさせていくかという描写は、スリリングで興味深い。警察機構の非合理的な理不尽さについて深く思いを沈殿させられるのである。

犯人が犯行後に長く宮澤さんの家に留まり、インターネットを使い、アイスクリームを食うという奇行に走ったことにも、おぼろげながらその理由が推測されている。インターネットを駆使し、大変な数の人間が闇の中で互いに名も知らぬまま、結びつき、凶悪な犯罪に手を染めるケースは、おそらく真実存在しているものであろうし、いきずりの金目当ての犯行であると断じる姿勢にも難はつけがたい。

だが、冒頭に書いたような、宮澤さんのあの頃抱えていた仕事の中に、死をも招きかねない可能性のある活動が、一方で存在していたこともまた事実であり、それがたとえ犯行の原因に実際には寄与していなかったとしても、彼の人生と死の裏にまつわる「背景」の一部であったことは間違いない。具体的なことを書けないので、一般的に言えば、日本における80年代から90年代の狂乱の時代と言うのは、心底日本人は皆狂っていたのであり、ひとかどの仕事をしようともがいていた人間であれば、みな金と死の傍らに生きていることから、逃れることは出来なかったということだ。この本にはその観点からの分析は少ない。

我々のちょっとしたパニックも、裏を返せばそうしたあの頃の仕事のやり方や、人と人の関わりの周辺に、こうしたひどい事件が起きた「かもしれない」ことの可能性を、頭から否定する者は誰もいなかったからである。つまり「もしかしたらありうる」と皆が思ったから、余計に皆の間に驚愕が走ったのである。

実際に自らの命を絶つ形では、何人も身近に死んでいったし、疲れて倒れていった。そうした「死」と「金」の匂いの側で踊る緊張感は邪悪極まりないとは言え、それが確実にあの頃の社会の様相の一つだったのであり、興奮の一環であった。浅ましかったといえばそれまでであるが、その「浅ましさの深さ」を知っている者はその後の人生でそれを長い時間かかって自覚していって、その延長に今日があるように思う。

思えば、外国人シンジケートも、狂おしいほどに金だけを根拠にする人間たちの悲しいつながりであることを思えば、事件の核が、仮に著者の言う通りの真実にあったとしても、僕たちの吸っていた空気から何千億光年も離れた世界の話ではない。

それはあの時代を生き抜いた僕の仲間であれば、皆口には出さないけれど心の奥で知っている世界であり、実に我々がボーダーを歩いていたことであると、思えてならない。

今でも、現場付近を通ると、夏でも冷え冷えとした感覚を味わうが、その感覚を僕やあなたが早く忘れることが出来るために、そして宮澤さん一家の魂が真に休まることができるために、事件の一日も早い解明を祈る。

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July 26, 2006

「空中ブランコ」-----伊良部が救う患者たち

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同じ著者の「イン・ザ・プール」で、「驚異の精神科医・伊良部」にガツンと来てしまって読み進む。これが伊良部シリーズ2作目。伊良部ますます絶好調である。伊良部は、伊良部総合病院の薄汚い地下の精神科に勤務する。
僕的には「喪黒福造」をどーんと明るくしたような、しかしひどく人間離れした存在。この病院の跡取りとの噂もあるが勘当状態だとも。とにかく金はどんと持っているらしい。この伊良部の元に訪ねて来る様々な形で精神のバランスを崩した人物と、奇想天外な伊良部の対応が筋となる連作だが、表題の「空中ブランコ」はサーカスで空中ブランコが飛べなくなる男の話。これも良いが、尖端恐怖症になってしまったヤクザの話「ハリネズミ」も泣ける。

伊良部のところに来る人物は誰も、「昨日までできたこと」が突然出来なくなる。それぞれの社会的立場や職業は異なっても、出来ない理由はみなどこか「無理をしてしまっている」点が共通。真の自分を押し殺して、何かに囚われ、何かの強迫観念に囚われて、それぞれ何でもないことができなくなってしまっている。

おそらく現代の社会というのがそういう辛さを、人に強いる社会なのであり、いつの間にかどうにもこうにも、にっちもさっちもいかないところに人を追い込み、脅迫概念で固め尽くしてしまう。それはヤクザでも、作家でも、スポーツ選手でも。

通常の精神科医であれば、その患者の悩みにじっくりと向き合い、カウンセリングを長期間にわたって施していくのだろうが、この伊良部という男は一体何者なのか。とんでもない男である。

患者の話を聴くどころか、アドバイスはどれも破天荒でどうしようもない。法を犯すことも命の危険も平気。へらへらへらと一線を越える。

それなのになぜか患者たちが、伊良部に救われていくというところがとても面白いわけであるが、実は「どこにもいない伊良部」のような人間を、皆心の中で探しているのではないかとも思う。何しろ伊良部は何も悩まない。思ったことはすぐに実行する。人の評判どころか、ヤクザも命の危険も伊良部は恐れない。見かけはデブの醜い「喪黒」であるが、実態は現実離れしたスーパーマンなのである。

現実の世界の中で、私たちは決して「伊良部」に出会うことはないだろうが、その像を追いかけ、その「どこにもいない人間像」の中に、自分の「病」の解決への微かな「希望のあり方」のようなものを投影することは出来る。恐らく作者の奥田英朗自身が、自分の「病」をも投影し、普遍的に人が追い求めている、あるべき人のかたちを、このとんでもない精神科医に造形したのだろう。


「バカやってんじゃねーよ、イラブー!」
などと読んでいる間に何度も笑える小説だから苦しいときお奨め。

BBさんにも読ませたい。

(あオレか)

新作の「町長選挙」も早く読んでみたい。

2006 07 26 [書籍・雑誌] | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック

May 10, 2006

中村屋のボース----恋とインド革命とアジア主義と謎の青い球

Boos

新宿中村屋にインドカリーを持ち込んだのは、インド独立運動で名をはせたラース・ビハリー・ボース(R.B.ボース)である。(同じくインド革命の英雄チャンドラ・ボースとは友人だが別人)インド総督ハーディングに爆弾を投げつけた「テロリスト」ボースは日本に亡命し、当時の新宿中村パン屋の当主、相馬愛蔵と妻の黒光の保護を受け、やがて彼らの娘、相馬俊子と結婚する。中村屋は、ボースを記念して長く中村屋のインドカリー(インドカレーではない。カリーである)にこだわり、その伝統を守り続けた。

そのあたりまでの知識はおぼろげながらあったのだが、戦前戦後の日本のアジア主義の系譜の中で「思想家R.B.ボース」がいかなる存在であったのかを、当初大学生でありながら、著者中島岳志がボースの娘樋口哲子氏の資料提供等、全面支援を受けながら、ボース研究の執念の結晶として書き綴ったのが本書である。第5回大佛次郎論壇賞(朝日新聞社主催)を受賞している。

ここには、日本の「アジア主義者」あるいは単に「国粋右翼」として括られる頭山満、大川周明、そしてチャンドラ・ボースらの実像が、ビビッドに魅力的に描写されている。
インドの独立運動をひたすら願いつつ、心ならずも日本に亡命して、中村屋のアトリエで潜伏し、後にとりあえずの自由を得たボースは、その後も長くイギリスの機関に命を狙われ続ける。果敢に彼を支えた俊子の急逝、男気とはこういうものだと思わせる相馬愛蔵、頭山満らの群像は、現代日本の姑息な日常に生きる者にはまぶしい。

やがてボースは大東亜共栄圏の理想を支持しつつも、それを利用してインド独立を果たそうとする夢に破れ、絶望しつつ生涯を終える。アジアの欧米からの独立を実現するために、日本の台頭に期待しながらも、自国の誇りとの間に板ばさみになっていた、当時のアジアの知識人の思いがどんなものであったか。画一的な戦前アジア思想への批判では描ききれない世界が、ここにある。推奨できる貴重なルポルタージュである。

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そんなボースにどっぷり浸っていた僕は、打ち合わせ先で、あのタヌキ関連の歴史好きの友人に、この本を見せて、ぜひ読むべきだと薦めた。すると、さすがタヌキの森の守護者は凄いことを言い出した。

「ちょっと待って」

さっきまでGoogle Earthが動いていた彼のパソコンに、目まぐるしい勢いでたくさんの画像が表示されていく。

「まさかボースの写真もパソコンにあるとか言わないでよ・・・・・・って・・・おい!何だ、それは!」

彼のパソコンには、中村屋のアトリエやボースの顔写真、相馬夫妻の写真などが次々と表示されたではないか。

「それって・・・ローカルだよね?今ネットから持ってきたんじゃないよね?」

タヌキの守護者が説明してくれたことには、なんと1週間ほど前に偶然彼は、ボースが身を潜めていた中村屋のアトリエ(このアトリエは、荻原禄山が作ったものである)の前住人、画家の中村彝(ツネ)の下落合のアトリエを訪ねて、写真を多く撮ってきたばかりだという。なんという偶然!

Tsune

身を乗り出すと、1枚不思議な写真がある。アトリエの廊下を写した一角の暗闇に、青い鮮やかな球が宙に浮いている。

「何?これ?ハレーション?」

「いや・・・これを見てよ。これなんだと思う? 俺が撮った写真なんだけど」

彼が青い球を拡大した。すると表面に無数の網目模様が入っている。毛糸で編んだ青い球のようであるが模様は意外と規則的。長く写真をやっていた僕には、これが明らかにハレーションでないことはわかる。

「何?これ?」

繰り返しながら息を呑む。薄暗い中村彝のアトリエの廊下に浮かぶ青い球。
彼によれば、その場所の写真を撮ったときには、何も見えなかったという。しばらく僕たちはその不思議な青い球を眺めて黙っていた。

何かボースに呼ばれたといえば、因縁話になる。なるが、そういうこともある。この球が何だかわからないが、希代の革命家の周辺とその後世に、そういうことがあっても不思議ではない。

というわけで不思議な青い球を見ながら、読了したばかりの「中村屋のボース」とR.B.ボースの生涯を、もう一度思い出していた。

果たして友人と一緒に、タヌキの森のぽんぽこに騙されたか??あるいは何かに呼ばれているのでしょうか。

#またインドですか。やばいです。

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May 05, 2006

「六本木ヒルズ×篠山紀信」と九龍城----イメージの不思議と支離滅裂

米国に住む知人に送る日本土産を探すことになったんだけれど、西海岸のIT通信企業に勤めておられるということから、今の日本を、そして東京を知ってもらうにあたって、やはりこの写真集が最適ではないかと思った訳である。

「六本木ヒルズ×篠山紀信」(篠山紀信)

6hills

8X10の大判カメラで、篠山紀信が正面から六本木ヒルズの空間をとらえた作品集。
今更言うまでもないことだが、篠山紀信という写真家の目を通した被写体は、本来その被写体が持っている以上の光を放ち始める。それは平らに言うと、「時代を切る目」だとか、そういう言葉になってしまうのだろうけれど、六本木ヒルズほどの「大物」を相手にして、いささかも力負けしない写真家ということでは、篠山紀信以外には、そう何人もいるものではない。

楽天の朝礼風景、広場での盆踊り、大集合しての太極拳、住民の田植えの風景、モダンな空間に佇む花嫁の情景など、ここで描かれる六本木ヒルズは、どこか21世紀のトンデモな日本の風景を切り取った映像群にも見え、本来ならこの写真集に欠かせなかった被写体であったろう、先日退場した「あの男」の残影のようなものまでも感じとれて、その上、これほどにポピュラーな対象を、あたかも異国人の目で切り取ったような作品に仕上がっている。さすがである。
もしも六本木ヒルズが、日本の富の集約と成功の碑としてそこに建っていると我らが思い込んでいても、ここに登場しているヒルズの空間は、非現実でリアリティのない、現代都市東京の楼閣のような、ざらつきを心に感じさせるのである。

果たして西海岸に住むIT関係者に、このトンデモな異色の空間を感じ取ってもらえるかどうかは未知数ではあるが。

いいじゃないか。これを贈ろうと思った。

ところがこの写真集を手に取った売り場で、もう1冊目についたのは、類を見ないもうひとつの20世紀の「楼閣」を撮影したもう1冊の写真集であった。今はなき香港の九龍城を題材にした

「九龍城探訪 魔窟で暮らす人々 -City of Darkness-  」

9ron

1898年、イギリスが清朝から香港島や九龍に隣接する新界及び香港周辺200余りの島嶼部を99年間租借。九龍城砦は新界地区に所在していたが、例外として租借地から除外され清の飛び地となる。後にイギリスの圧力で清軍・官史等が排除されてしまい、以後事実上どこの国の法も及ばない不管理地帯となる。また1941年から1945年の旧日本軍による香港占領期間中に近隣の啓徳空港(Kai Tak Airport:現在の旧香港国際空港、1998年に移転のため廃止)拡張工事の材料とするため城壁が取り壊された。1940年代の中国内戦及び共産政権の樹立により、香港政庁の力が及ばないこの場所に中国大陸からの不法流民がなだれ込みバラックを建設、その後スラム街として肥大化する。

1960年代から70年代には高層RC構造建築に建て替わるものの、無計画な増築による複雑な建築構造と、どの国の主権も及ばずに半ば放置された暗澹たる環境から「アジアン・カオス」の象徴的存在となっていた。しかし1984年の英中共同声明により香港が1997年に中国に返還されることが確定すると1987年には香港政庁が九龍城砦を取り壊し、住民を強制移住させる方針を発表。
1993年から1994年にかけて取り壊し工事が行なわれ、再開発後に九龍寨城公(Kowloon Walled City Park)が造成された。(Wikipediaより)


九龍城の魔窟が消滅したのは1994年。配線と区画が無秩序に乱雑に入り組んだ、悪夢の中に出てくるようにも思える迷宮の中で暮らす人々の日々の生活を描いた写真集である。圧倒的な存在感とたぎるようなエネルギーがどの写真にもみなぎっていて、この空間が10年以上前にこの地上から消え失せてしまったことすら、信じられないほどである。いつかここを訪れて見たいと思っていたがそれはかなわなかった。

20世紀に消えていった九龍城と21世紀の六本木ヒルズ。似ても似つかぬこの2つのアジアの楼閣がクロスした時代が今とも言えるのか。そんな感覚が身をよぎる。

それにしても、六本木ヒルズほどの大規模都市開発の未来は、行く末はどのような姿を辿るのであろうか。いつかは老朽化し、スラム化するようなことが全くないとは言えないであろう。他の多くの建築物が辿った運命と同様にだ。
そのとき100年後の人々は、100年前にこのヒルズに覇を唱えた伝説上の人々の命について、ここを訪れて考えることがあるのだろうか。それともないのだろうか。

妄想するのである。100年後の六本木ヒルズの姿を。

そしてその姿に、九龍城の魔窟のイメージが重なる不思議と支離滅裂がどこから来るのか、自分でも正確には説明できないのであるが。

2006 05 05 [書籍・雑誌] | 固定リンク | コメント (4) | トラックバック