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May 02, 2019

紙の本が残るための条件と悲しいDAYS JAPAN



連休は相変わらず大量の「紙の本」との格闘が不本意にも続いている。とりあえず処分するのは1000冊目安だけど残余の山がまだまだ手強い。
こうして片付けながら考えていると紙の本として残っていくものの条件が幾つか見えてくる。逆に言えばこれらの条件外のものは電子書籍で良いと思える。むしろ電子書籍がよい。

こうして見るとレイヤーは違うが古書の存在意義と(当たり前だが)重なってくる。(が、微妙にそれと違う要素もある)あと、最近は雑誌をほとんど買わなくなっているので勢いあるものは古い雑誌ばかりだな。特集本位で残している。

(紙でありながら笑 残すもの)
●大判を必要とする美術本、画集、図録
●古い時代に出版され今後デジタル化される見込みのない本
●存在自体が稀少である本、印刷装丁含めて全体が作品となっている本
●個人の思い入れ?(誰かにもらったとかメッセージ入っているとか)


それとは別の話だけどDAYS JAPANなんか全部捨ててやると思っていたがよい特集も多くあり手を止めてしまう。悲しい話だ。

April 29, 2019

蔵書の大整理-脳内のスキャン

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何十年ぶりかの引越しを控え、蔵書の大整理をしている。目標は2/3の処分。古書店にまとめて送ってしまい、買い取ってもらうことにする。

滅多にできない断捨離のチャンス。自分の大量の積ん読も、伯母から引き継いだ大量の本も、今後読む可能性がないもの、読み返すこともないもの、資料としての価値もないものなど、このまたとない機会に大整理することにした。

自分が判定していく基準を見ているとなかなか興味深い。作家によっては全滅の作家と(特定するとナニだから名前は書かないが)、作品によって残す作家、全て残す作家、ほぼ全滅の半端に古いIT関連本、資料として残したいのは古いコンピュータ本やサイバーパンク、宗教テロ関連、風俗関連にサブカル系などなど。思い切り古典になってしまうと意外となかなか捨てられない。初読では大して面白くなかったが、読み返しのために置いておきたい本などなど。もちろん東日本大震災や原発関連は全て残す。

自分がいま何にこだわって生きていて、何についてこだわっていないかよくわかる。脳がスキャンされる。

 

基本的にコレクターではありたくない。今後買う本は出来うる限り電子書籍として、自分がいなくなると同時に消えて構わない。そう思っている自分にとってそれでも今残したい紙の本とは何なのか。諸々思う。考える。

March 03, 2019

「グリーンブック」-地獄のような60年代の南部をエンターテイメントにしている



よくこんな難しいテーマを映画にできたなと思う。白人と黒人のロードムービーということでお決まりのラインかなと思ったけれど、細かなひねりが各所に効いている。その上ここでこれまで被せてくるのかとか。何よりこんな見ようによっては救いのないシリアスなテーマをエンターテインメントにして楽しさまで演出しているのが凄い。

人は必ず誰かに救われるものであり、一方的な依存関係はないんだというところの表現もいいです。ヒリヒリするようなドクの孤独とか。

しかし60年代の南部の人種差別の凄まじさに背筋が凍る。我らには人種問題に時として敏感すぎるのではないかと思われるハリウッドだけれど、むべなるかな。ここをくぐり抜けてきて彼らは今の場所に立っている。

イタリア系運転手トニーの奥さんがとてもいい。

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February 23, 2019

仕事の場で人をちゃん呼ばわりするのはやめよう

モーニングショーで、羽鳥さんがテレビが安心させるためのもので何が悪いのか的なことを言って話題になっていたが、その時テレビ報道への疑問を口にした宇賀アナウンサーのことを皆で「宇賀ちゃん」「宇賀ちゃん」と呼ぶのはもうやめないか。そもそもなぜ女子だと公の場でちゃん呼ばわりする。

男を公で「ちゃん呼ばわり」する例はなくはない。とくにテレビ関係だとよくある表現なのは知っているが、それなら「羽鳥ちゃん」「玉川ちゃん」と揃えるべきだ。「宇賀さん」と呼ぼうよと。ちゃん呼ばわりは親しみと交換にやはり本人への目線を下げる。そして女子ならちゃんでいい風潮は確かにある。

自分も気が緩むとやりかねないことではあるので、余計に戒めようと思う。飲み会だとか親しい間柄なら別かもしれないが、少なくとも仕事の場で人のことをちゃん呼ばわりするのはやめるべきだと思う。特に女子に対して多い。業界であってもテレビの中とかね。やめようよと。

宇賀さんは、報道をやりたいと思ってこの世界に来たと話していた。そして報道をするということは思うようにはいかないんだなと思っていると。そうした思いを抱えている、1人の若い有能な人を「ちゃん」などと気安く呼ぶのはもうやめよう。これは出演者もわれわれも。そういうところからじゃないのかな。ひとつひとつ。

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性の隣に

性に関わる仕事をしている人たちの中に、めちゃめちゃ文章巧者が多いということに、自分は前から気がついているのだけれど、(その人たちの性の表現がいいということではないです。それはある意味仕事柄当たり前なので)なかなかその理由がわからない。

凡な言い方になるけれど、性の隣に生と死があるその厳粛なエネルギーが、知らず知らずその人に宿るのかなとも思うのだけれど、少しこじつけめいているような気もする。

そうであれば、政治の隣には生も死もないのでありましょうか。ということになる。もっとも言葉を必要とする世界のはずなのに、荒涼たる砂漠どころか、砂にたとえるすらもったいない状況がある。


9/2。死ぬのめっちゃ怖い 戸田真琴

「わたしは死にたくないし、きみにも死んでほしくない。みんな、200年くらい、そう、生きることに本当にくたびれて、ぐだぐだに煮込み尽くされて茶色くなったおでんのはんぺんみたいになって、あと体験していない重要なことはたぶん死ぬっていうことくらいだな。とピュアな気持ちで思うことができるようになるくらいまで、いやになるほど生きて欲しい。200年生きようね、なんて一歩間違えたら怪しい宗教みたいに聞こえる言葉を、ファンのみなさんに対して言いながらちょっと泣きそうになったりする。

変なんだ、すべてのやさしい生き物、おもしろい生き物、かわいい生き物、どうしようもない生き物も、200年くらい生きてくれよ。ぜんぶしゃぶり尽くして嫌になるまで、もう顔も見たくなくなるくらいまで、そばにいようよ。そう思うことがあるんです。ほとんど、いつも。

なので、私、死ぬのがめちゃくちゃ怖いです。きみが死ぬのもめちゃくちゃ怖い、自分が死ぬのと同じくらい怖い。」

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February 17, 2019

沖縄のビートルズ

「今かかっていたのは沖縄の音楽?」とカフェにいた年配の客が出がけのレジ前でいきなり聞いた。
「?!いえ?!ビートルズですよ」とマスターが答える。

そう。誰が聴いてもアルバム「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」だよ。

「A day in the Life」でちょうど高校時代のことを思い出していた時だったから、僕もその質問には驚いた。

(皆が知っているように)インド音楽のようではあるけれど、まさかの沖縄音楽かと聞かれたマスターも驚いている。でもすぐに「確かにそんな風にも聞こえますね。考えたことなかったけど(笑)」と続けた。この人はこういうところがいい。

客の方は「ビートルズなの?!こんなビートルズ聴いたことがなかった」と照れている。

沖縄音楽かあ。。ちょっと考えてみたけれどシタールが三線の音色に重なったのかな?

でも僕にとって、ちょっとそれはないなあ。確かに世界は繋がってはいるけれど。沖縄の魂とは違う。

それにしても世界にはビートルズと言えば「イエスタデイ」や「Let it be」だと思ってる人もいるんだろうなあ。そういう人にとっては試行錯誤を繰り返した禍々しいビートルズは存在していないのかもしれない。それもこの世界の不可思議だ。

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February 11, 2019

Youtubeプレミアム「ORIGIN」が凄い——こんなクリエイターたちの時代に添いたかった。

YoutubeプレミアムのSFホラー「ORIGIN」
最初はエイリアンとブレードランナー足して2で割る的な程度の印象だったのだけれど、ストーリーもしっかりしていて人間描写も丁寧でかなり深い。何より同時代進行ののサイバークリエイターがどんな未来を考えているかがリアルにわかる。VRやAIの絡ませ方も上手いなあ。いいなあと感心。

こんなものが作られる時代のクリエイターにもっと添いたかった。



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「子供は親のそばで育つのが一番」ではない- 最優先されるのは個人の人権か家族の呪縛か


詰まる所「子供は親の元で育つのが一番」「家族が一緒にいることが何より大切」という宗教に近い日本文化の思い込みが社会からも関係者すべてからも消えないのだと思う。旧民法の家族制度の概念が色濃く残っているので、子供を親から家族から引き離すためにはそれを超えるだけの正当事由を積み重ねなければならないため、親権の制限が容易ではない。そのリスクを負うくらいなら不作為が一番となっても無理はない。児相が格闘している相手は、事なかれ主義に加えてこの日本社会の呪縛ではないだろうか。





西欧では「個人の尊厳、人権が何より優先される」という最優先の価値からの距離感で判断するので親からも引き離せるのだと思うし、圧倒的な個人の人権という価値の前には親権の制限が可能なのではないか。





旧民法の家族制度を復活させようとする試み、そうした勢力のために何が崩れるのか、こう考えてくるとよく見えてくる。





※てかそんな復古主義推進政党に何とかして復帰して潜り込もうとしている御仁がこういう記事を書くとは。何とも表現し難い。










「子どもは親の持ち物ではないはずだ。2016年、わが国の親権停止は、わずかに83件に過ぎない。ドイツでは毎年1万以上、英国では毎年5万以上の親の親権が停止され、ほとんどの子どもは、新しい親と共に生活している。




親とは何か。家族とは血のつながりを言うのか。私は違うと思う。育てられない親、育てる資格のない親が現実にいる。そのようなケースでは、乳児を含めて子どもたちに、それ以外の選択肢を示すのが、社会の責任だと私は思う。多様な家族のかたちを積極的に認めるべきだ」

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January 22, 2019

1人ひとりの顔-「ヒューマン・フロー 大地漂流」



アイウェイウェイの 「ヒューマン・フロー 大地漂流」 を観てきた。

ボートから降りてくる一人ひとりの、疲弊し果てた難民の顔。一人ひとりの顔をこんなにじっと見たことはなかった。ポタポタと落ちる水滴。めくれ上がった子供の背中。尊厳という言葉。

一度難民になると世界平均でそこを脱するには26年の年月がかかるという。迫害と弾圧が荒れ狂う中で、世界の各所で必死に彼らを助けている人々もいる。もしも自分がそこにいて、一度彼らの世界を覗き込んだらこちらの世界には二度と戻ってこられない気がする。

第二次世界大戦以来の大規模民族移動。人間の生物としての大転換期であり大移動の時期なのかもしれない。その中で倒れる大量の人たち。

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December 28, 2018

家へ帰ろう-現在進行形の責任について




たまたま時間があったので銀座で観たけれどめちゃくちゃいい映画でした。ナチス迫害の時代を生き延びたユダヤ人の老人が、助けてくれた恩人の友人をアルゼンチンからポーランドまで訪ねるロードムービー。道中出会う人々との会話から70年前の出来事が次第に明らかになってくる。

ネタバレできないからこういうの語れなくて困るのだけど、中でもドイツ人の若い女性との出会いの物語が涙腺崩壊でした。この世には想像を絶する地獄というのがかつてあった。ユダヤの受難と安易に比較してはいけないかもしれないけれど、自分も含め皆が時代を背負っている。

沖縄で起きていることへの現在進行形の責任とか考えました。お奨め。お正月に是非。

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