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January 19, 2017

沖縄タイムスに与那覇大智展の展評を書いたのだけれど。








画家の 与那覇 大智 (Taichi Yonaha)さんから、こともあろうに沖縄タイムスに掲載される展覧会評(展評)のご依頼を受け、一昨日入稿させていただきました。

通常は自分のような門外漢が新聞への美術展評の依頼など受けた場合には、「何をご冗談を」と断るのが儀礼でありデフォルトであると思うのですが、馬鹿な私はお引き受けしてしまい、頼んだそのご本人をも驚かせたようであります。

引き受けてしまった後で「どれどれ新聞の展評というのは、みんなどんなものを書くのだろうか」と沖縄タイムスの過去紙面をネットで読み、再度脂汗をかくことになりました。

もとより美術評論家の質など要求されていることはあり得ないので、それならそれで私らしくと開き直って仕上げましたが、「ブログを書くような軽い気持ちで」とはよく言うよ与那覇さん。いくら図々しい私でもそんなわけにいくかと。笑。

運が良ければ、明日20日の沖縄タイムスに掲載されるようですので、掲載後にまた展評含めご紹介できるチャンスもあるかと思います。まあ私の駄文はどうでもいいのですが、与那覇展は22日(日)まですので先だってご案内させていただきます。

1人でも多くの方に。
 

PS. このブログでは与那覇さんの個展に初めてお訊ねした時のことを書いた記事があります。読み返してみると、邪念のない分、今回の展評より良い気がします。

「失われた町」が導いてくれた場所---与那覇大智さんの個展に行ってきた


 与那覇大智展―影を放さない―

会期:2017年1月16日(月)-22日(日)
12:00-20:00(日曜日11:00-16:00)

会場:Oギャラリー
〒106-0061 東京都中央区銀座1-4-9 第一田村ビル3F
℡&fax:03-3567-7772

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January 12, 2017

トランプ会見すら場を取り繕う共同通信とそれをコピペするこの国のメデイアについて


違いを超えて報道の自由を守る~トランプ氏に非難されたCNNをFOXが擁護

江川さんはこう書かれているが、もうこのことだけじゃない。何から何まで違います。日本のメディアとは。こんな私も日本人だな。恥ずかしかったなと思ったのは、少なくとも夕べは米国メデイアも無難に場を作るかと思ったこと。こんな私に誰がしたんですか。日本のメディアの方達ですよ。あなた方ですよ。あなた達のお行儀に毒されたんですよ。

トランプ陣営はいきなりの暴言からのスタートだったけれど、仮に日本の新首相会見でああいうスタートがあったら、日本メディアは「場をつくろわないで」戦えますか。

そんな最中にも飛び交う共同通信の、他国の首長にすら場をつくろう「速報」の数々。

「トランプ次期大統領、雇用確保を約束」

とかあなた、それ速報ですか。それって報道なんですか。目の前で繰り広げられている彼の国のメデイアとトランプの戦いを見てそれって何なんですか。

心からがっかりした。その共同の速報をコピペで流しているメデイアの方達。配信じゃないんだよ。それを今はコピペと言うんだ。コピペならメディアなんていらないんだよ。ツイッターがあればいい。

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October 27, 2016

物忘れ または 前の前の人生について

自分は、長く生きていると途中で何度か記憶喪失になる。それまでの人生を一回忘れる。忘れてもいいやと思ってるから余計に忘れるのか。何か忘れたいことがあるのかよくわからない。そんなことが何回かあった。

忘れたまま生きているその後の日常の中で、こんなことをなぜ自分はできるんだろうとか、こんなことどこかで覚えたっけとか、意味もなく不安感が押し寄せ、そうなってから初めて「ひとつ前の人生」や「ふたつ前の人生」を稲妻のように思い出す。いやリンネ生まれ変わりじゃないですよ。全て今生なのですがね。

忘れようとしたきっかけは前向きの時もあるし、きつくて忘れたかった時も(おそらく)ある。(単なる物忘れの時もね)

ところで、モーガンフリーマンのこの上なく現実離れした番組が好きで深夜によく見ている。「自己とは何か」「時間とは何か」「自我とは何か」「死とは何か」「記憶とは何か」「生命とは何か」

子供の頃に当然と思っていたことが、最新の科学で根元から覆されつつある。そんな身震いするような衝撃が好きだ。人間はいまそういうテーマに必死で向かい合わざるを得ない段階に差し掛かっていると思っている。

遥か彼方にある夢物語と見下していたAIだとかロボットだとかアンドロイドだとか。それらに現実的に対さなければならない時が近づいている。改めて人間の定義や命の定義をし直さなければ、彼らに向かい合えない段階になっていると思うからだ。

「苦しみ」とか「悲しみ」とか。それらは一体何なのだろう。何なのだろうと考える自分はいったい何なのだろう。

自分はこの世から逃避したいわけではなくて、この「何なのだろう」の領域の中でいっぱいに現実的でありたいとは思っているのだが、それでもその自分とはいったい何なのだろう。この世に何をしに来たというのだろうと思う。

いやこれも「前の前の前あたりの人生」でも考えたことのような気もする。リンネ生まれ変わりではない人生で。これも単なる物忘れなのかもしれない。

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October 23, 2016

この世に悪魔はいたのか

この世に悪魔というようなもの、おそらく日本では鬼ともいう。能の世界では鬼は数々あれど、例えば般若は人の心の中の鬼であるとする。しかし中ではなく外に敵対する鬼を想定することで人は白の世界にいようとするものではないか。暗黒面は光の世界を想定しなければ成り立たない。逆もそうである。

60年代の高度経済成長、70年代後半から80年代のバブル期、その後の氷の世界、2000年代のITバブル期を駆け抜けた広告の悪魔性についてよく考える。人ごとではなく加担してきたひとりとして。自分の中の一部にあの時悪魔はいたか。あるいは悪魔に心を売っていたか。

あの戦争を引き起こした人たちの中に一定の懺悔と怨念があるのであれば、スケールは段違いとは言え、80年代から2000年にかけて、そして現在に連なる日々の中で我らの世代にも一定の懺悔と怨念はあって然るべきだろう。この世は眠っている間に出来上がったわけではないのだから。

時代の懺悔と怨念はどの世代にもあるのだろうが、我らの時代は先の戦争の如き大量殺人を起こしていないからか、まとまった懺悔や後悔の言葉を聞いていない。(オウムの時代は隣接して捉えられるべきだろうが)西武セゾンの全盛を頂点とするバブル広告文化の焼け跡の中で、糸井氏も何も語らない

現代にあってまだその周辺を彷徨っている自分にとってあの時代への加担について、自分如きにあっては、まとまった言葉など出てくるわけもないのは当然かもしれない。しかし今日のような日はぼんやりと考える。自分は果たして小童として悪魔に手を貸していたのだろうかと。

「彼ら」が悪魔であった証拠を見ていたはずだ。と1人の自分は言い、他の自分はそれを頑として否定する。鬼はそれぞれの心の中にあり。彼らを鬼と呼んでそこに何があるのか。世代も変わり社会のストラクチャーが激変する中で、それでも鬼の子供達を鬼と呼び続けるのか。自分は何様だと。

何を言っているのか、わからない人にはそれでいいのだろうが、今でも僕はぼんやりと杉山登志のことを思い出しまた先行する時代を駆け抜けた父親のことを思い、巨大なグループを一夜で廃墟にして逝った総帥のことを思う。彼らが悪魔だったと自分に言えるのか。言えるわけもない。商業主義の何が悪い 。

おそらくそこには人の幸福と商業主義との間の相克があり、暗闇と断層があるのだろう。豊かさと商業主義の幸福な並走はあるいは終わったのかもしれないとも、いま始まったところなのかもしれないとも思う。「個々の人に個々の悪魔が宿った。別々の方向を見ている悪魔が」とするべきなのか。

何もいない空間に向かって念仏を唱え、誰もいないところに自分は問いかけているだけかもしれないが。ネットがその空間として、願わくば寛容であることを。

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October 19, 2016

生きたとて

首根っこを押さえて叱ってくれる先輩も今では少なくなった。この先どうしますかと問われる眼を見る。俺もわからないんだよ。ああこれがエイジなことなのだなと思う。人はできることであれば生涯やんちゃでいたいものだと思うのだが。それに生きたとて、そのうち何かがわかってくるわけでもないのだよ。

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October 09, 2016

過労死自殺の件に触れて

広告関連で一番働いていた時代。一晩に〆切が3本。最後の打ち合わせが夜中前に終わって翌朝までに直せは日常。会議室の固い机の上で寝た。ホームでベンチに座ると意識を失い気がついたら3時間後。コーヒーカップを水平に置けなくなった時点でまずいと思いペースダウン。あのまま行っていたらどうなったか。実際同僚が何人か過労死した。今生きているのはただの幸運だ。

一番多かった時で残業時間はどれくらいだったのか。それすら覚えていないのは、その会社が残業時間の記録すら求めなかったからだ。残業代を払わないからだと思い当たる。考えてみれば酷いところにいた。

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October 08, 2016

エンドレスボアリング

久しぶりにノートパソコンを買おうかと思ってあれこれ見てるんだけど、見事なまでに欲しいものがない。

MacであれWindowsであれ、自分の中でのコモディティ化がハンパなく、かつてのワクワク感がこれほどまでに色褪せてしまうとは想像すらしなかった。気のせいかパソコン売場も今では何だか安い既製服の安売り会場みたいだ。参るなと思うのはそれがスマホにも忍び寄っていること。そんなもんさと割り切るには、この世を生きるのに、ときめくことのできるギアが皆無で良いよと言い切れるキャラではない。

いつかあの箱型の機械たちが総退場してロボットがサイボーグがこの空気を変えてくれるだろうか。AIすらコモディティ化されていつか安い既製服売場のような空間がまた生まれるだけなのだろうか。

エンドレスボアリング。

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September 30, 2016

拡散などという薄い言葉ではなく

優れた文章を読むといつも思うことがある。それはつまり、僕がそれを読んで何を感じたのかなんて、二の次だということだ。自分の感想がどうであるかなんてことよりも、1人でも多くの人に読んでもらえればそれでいい。自分の感想なんてそれに比べれば大した話ではないと。こういう時SNSがあって良かったと思う。拡散などという薄い言葉ではない何かがそこにあるような気がしている。



RT @miura_hideyuki
朝日新聞アフリカ特派員

①極めて個人的なことを少し書く。東北のブロック紙・河北新報の伝説のカメラマン・渡辺龍が今日死んだ。享年43歳。大腸ガンだった。震災発生時、宮城県南三陸町で押し寄せてくる大津波に向かってシャッターを切り続けた、伝説のカメラマンだった

②当時、彼は南三陸支局の記者だった。あるいは妻子がいなければ、彼は津波で死んでいた。震災当日、町の職員と共に町議会の議事堂にいた。職員の多くはその後、防災対策庁舎(今、骨組みで残っているあの建物だ)の屋上に避難し、高さ13メートルを超える津波にのみ込まれて亡くなった

③あの日、龍の妻は偶然仙台に出掛けていた。彼は代わりに息子を迎えに行こうと会議場を抜け出して幼稚園に向かい、助かった。それがなければ彼は間違いなく、あの骨組みの建物の屋上にいた、そういう記者だった

④もしあなたの人生で最大の出来事は何ですか、と聞かれれば、私は迷わず「東日本大震災です」と答える。海外の現場で幾度も遺体や惨状を見たが、あの日沿岸部で見た光景の衝撃を私は今も忘れることができない。私の足元で、子どもが自転車にのったまま、泥に埋まっていた

⑤私は破壊され、混濁し、結局何も書けなかった。だから翌月、志願して南三陸町に駐在記者として赴任した。混乱の中で役所取材のすべてを放棄し、1年間、被災者と呼ばれた普通の人々の暮らしを追い続けた。一人称で、深く、長く、「誠実さ」を掲げて。そしてそこにはいつも龍がいた

⑥鈍くさい記者だった。質問もせず、ただずっと側にいて、最後に数枚写真を撮った。ただただ被災者と一緒に泣いていた。だから愛された。彼には人を惹き付ける、弱くて静かな「優しさ」があった

⑦僕らは「ライバル」であり「家族」でもあった。がれきで覆われた町を駆け回り、秋以降はできたばかりの仮設住宅で鍋を囲んだ。震災報道とかジャーナリズムとか、そんなアホ臭い話はしなかった。「○○さんの奥さんの遺体、やっと見つかったみたいだ」。僕らの周囲には生と死しかなかった

⑧かなり傲慢なことを言えば、私と龍ほど被災地に溶けこんで日々を見つめた記者はほかにいなかったと思う。書籍『南三陸日記』を読んで欲しい。本が出たとき、龍は「いい本だ。これは俺たちの記録だ」と言ってくれた。嬉しくて涙が出たよ

⑨だから毎年3月はどこにいても南三陸に帰った。昨年3月には龍はもう末期で、仙台で入院中だった。最後だと思ったんだろう。だからわざわざ南三陸に会いに来てくれた。「まだ生きてるな」と私が言うと、「そっちこそ。三浦より先には死なないよ」と冗談を言って、無理に笑った

⑩今年3月は記者仲間みんなで温泉に行った。何枚も写真を撮った。私は言った。「また2人で震災報道やろう。つまらない、作ったような『作文』じゃなくて、ここで暮らす人が『いいな』と思ってくれるような、そんな記事を2人で書こう」。龍は言った。「三浦は戻ってくるな、外で頑張れ」


⑪実を明かすと、私は11年9月と12年3月に2度、彼に「朝日新聞で一緒に働かないか」と転職を持ちかけている。当時、私は災害報道に人生を捧げたいと考えていて、津波を目撃し、その後も人々と共に泣き暮らした記者やカメラマンが絶対に必要だと信じ込んでいた

⑫龍は数日留保した上で「やっぱり河北でがんばるよ」と笑いながら言った。「それが津波を撮った人間のつとめだ」。奥さんも笑ってた。「あまり主人を惑わせないでくださいね」。龍は12年3月に言った。「ありがとう。三浦さんの誘いを一生胸にここで頑張ってみるよ」

⑬河北新報のみなさん。どうか良い紙面を作ってください。私はあなたたちが作っている紙面が好きです。記事や紙面は武骨だけれど、人間の匂いがする、伝えていくべき喜怒哀楽がある。龍のためにも。あの不条理にのみ込まれ、未だ立ち上がれない、彼が愛した人たちのためにも(終)

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September 22, 2016

東京都写真美術館-杉本博司展 「嘘をついている者が」




世界が終わる33のかたち。様々な職業の33人の証言者が世界が終わった理由を綴り、その個々の世界を表現している。

なぜかこの中に嘘をついている者がいると感じた。その人数によって何かが少し変わるかなと考えたところで、ここに繰り広げられているのは33通りの未来であり、パラレルワールドでなければ、嘘つきは32人ということになるとたどり着く。

世界がその時まだ続いているなら全員が嘘をついている。あまり意味がない妄想だとは思う。

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September 11, 2016

想像力と希望





知というのは知識量でも、ましてや学歴でも階層でもなく、想像力のことではないかと最近強く思う。想像力があれば自分の見えない世界で起きている非道を想像できる。自分と違う立場の人々の苦境を想像できる。自分に何が足りなくて、何が満ちていて、何に対して傲慢なのか、何が人を傷つけるのか、何に対してどう貢献できるのか想像できる。
知識や技術が足りなければ、それをどうやって身につけるか想像できる。そのあとの世界も。

世界報道写真展の会場ではいつもどこかで誰かがすすり泣いている。悲しみだけれど、想像力と希望の音でもある。

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