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July 08, 2018

死刑囚にバラの花を貼ってはならない

死刑囚写真に次々「執行」シール TV演出に疑問の声も


こういうことをしてはいけないのだという人としての基本の違和感、危機感がない。おそらく選挙の投票結果とか、街角アンケートとかと同じ発想で悪意なくやったのだろう。人の死とか死刑とか、そしてサリン事件の重さ、深刻さに対する厳粛の意識を説く人がメディアにいなくなってきているのではないかと思う。あるいは若いスタッフの浅慮であるなら、こういう時こそリアルを知っている世代が頑張るべきだと思う。きっとさらに前にはあさま山荘とか、戦争体験とか、沖縄戦だとかに繋がるリアリティの劣化なのだろうなと思う。

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June 27, 2018

渋谷を毎日通るおっさんによる渋谷駅攻略ポイント











●ヒカリエとマークシティの区別がつくか
●何度も無駄な上がり下がりをさせられた時騙されているのではと疑わないで確信を持って迷いなく進めるか
●昨日までの記憶を毎日忘れられるか
●東横線までJRからまさかこんなに歩くわけはないと途中で引き返したりしないでいられるか
●まさかあの渋谷駅ともあろうものがこんな細い迷路に客を通すわけがないと思い込まないか
●外に出ればなんとかなるだろうなどと安易な考えを捨てられるか
●誰かに道を聞けば教えてもらえるなどと言う甘い考えを捨てられるか
●今日覚えた知識は明日はゴミになると割り切れるか

#毎日が意識のコペ転

#書いているうち人生のことのように

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June 09, 2018

村野ミロ読み返しプロジェクト




村野ミロシリーズ読み返しプロジェクト。第2作は1994年「天使に見捨てられた夜」日活で映画化されてたのか。この頃インターネットがあったら謎の大半は秒殺で解決するな。

それにしてもこの頃の桐野夏生は筆が走っている。降りてきた物語に書かされている感じ。

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May 27, 2018

久しぶりに村野ミロに会う



何年振りかで桐野夏生の村野ミロシリーズを無性に読み直したくなった。前には図書館で読んだらしくいくら探しても家に一冊もない。仕方なくAmazonで文庫本を買って一作目から読んでいる。こんな深夜に読むと変な夢を見そうだが構わない。

ストーリーはほとんど忘れていたが、懐かしい知り合いに再会したよう。暗く孤独で荒々しくて不安定で時に暴力的でエキセントリックな女。ミロ。久しぶり。

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May 23, 2018

桜となってはいけない

事実を淡々と述べながらも決して人を責めず自らの責任を語る若者に多くの人が共感した。自分もその例外ではないが、その姿に旧日本軍の兵士のような危うい美意識を感じたのも事実。

私たちはこういった日本人の「美徳」と一度は決別したのではなかったろうか。不正な圧力には決して屈しない態度、凛とした態度が尊敬される国になろうとしたのではなかったのか。責任を自ら引き受け滅んでいく桜ばかりを美しく思ってはならないはずだ。

なぜこの国の隅々でパワハラが横行するかと言えば、そうして耐えて責任を引き受ける姿の幾ばくかを私たちが美しいと思ってしまい、戦う者たちに対しては、和を乱すものとして眉をひそめる性向があるからだ。それが続く限り、社会の隅々の人達まで抵抗しない限り、蜂起しない限り、そうした人達こそが尊敬されるようにならない限り、この国からパワハラはなくならない。

また桜が散っていくだけだ。

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May 01, 2018

軍政の闇を抜けてきた国-映画「タクシードライバー」と光州事件





今日新宿で観てきた。

「タクシードライバー」というタイトルの軽さと、前半のコミカルなトーンに騙されると、後半で途轍もなく、凄まじく打ちのめされる映画。

南北会談が話題の韓国だけれど、自分たちが大学生の時は、岩波の「韓国からの手紙」が作者不詳で話題になり、とにかく軍政の「暗い国」であり、圧政国家であり、中の様子が今のように伝わってこなかった。光州事件はそんな最中の1980年。中国の天安門事件とも重なる、自国軍による民衆の大虐殺である。韓国はそんな時代を経て、今に至っており、戦いの地獄を日本より遥かに知っている。

自国の軍が銃を国民に対して水平乱射してくる地獄を中国もロシアも韓国も知っているが、幸いにして日本は知らない。もちろん自分も知らない。その甘さが、今日の政権の跋扈を許す甘さにもつながっているのだろうなと思う。

秀作。

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April 29, 2018

久しぶりに国立能楽堂に行ってきた








実に久しぶりに国立能楽堂に能を観に行った。このブログには何度か書いたと思うけれど、自分の社会人としての出発点は、写真と薪能だったのです。原点に帰るような気持ち。

30代の頃に見た当時の金剛流の宗家は既に亡く息子さんの代になっている。と言ってもその人が60代。謡のテキストが前席の背面にはめ込まれた液晶に表示されるなど、能楽堂は現代化されているけれど、能世界の空間は少しも変わらない。歌舞伎と違って観客をそう簡単には寄せつけない閉じた世界の凛。

演目は夢幻能の典型とも思える「江口」。難解だった。

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April 28, 2018

板門店の戻ってこないかもしれない空気

今後の板門店はどうなるんだろう。今日はまた体の半分しか「敵」に見せないあの屈強の韓国軍兵士が復活しているんだろうか。
たとえそうであっても、昨日までの板門店と今日からのそれは全く意味が違うだろう。

かつて(2005年だった)ガチガチに緊張している板門店を自分の目で見に行っておいて、今は良かったなと思う。あの時の板門店の空気はおそらく今後は帰ってこない可能性があるからだ。

あの青い境界線の建物も統一記念館も平和の家も、大成洞も、そしてあの幅15cm程度の軍事境界線も、間近で見た北朝鮮兵士も記憶の中に、その時の空気の匂いと共にあって、その場所で今回のことが繰り広げられたということが、今回の出来事を、より自分の側に引き寄せている。

世界全体を自分の側に引き寄せるなんて到底無理なのだけれど、自分の根源にあるのは表現し難いそうした「引き寄せたい」気持ちなのだと思う。で、それは何なのかきっと最後までわからないまま死ぬのだろうな。

書くことや、写真を撮ることの意味に似ていると言ったら、この時代だと少しは共感できる人もいるのかな。形を変えたライフログのようなもの。と言ってしまえば。

【板門店へ行った】
http://app.m-cocolog.jp/t/typecast/26615/28156/category/4822002

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April 27, 2018

板門店の信じられない光景とヒトの世界の悲しさ





流石にちょっとウルっときた。板門店にこんな光景を見ることになるとは。

一度金正恩が単独で軍事境界線を越えてから、文在寅大統領を誘って2人で北側へ。改めて北から2人で一緒に境界を超えた。

‪今日の笑顔にまでたどり着くのにあれだけ狂気のミサイル弾道弾発射を繰り返さなければならなかったのか。そのことの愚かさと悲しさを含めてヒトの世界に泣けてくる。‬

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April 21, 2018

完全なる性の不完全

「完全な男性性」というものがあるのかどうかは知らないし、「完全なる女性性」についてはもっとわからない。わからない上でいうと、その「完全なる男性性」(を設定すると)は女性のことなどわからない。理解できない。共感もない。その上こうした「完全なる男性性」は現在の日本社会では、批判されるどころか権力機構のなかで守られ正当化され、むしろ崇められている。男は完全なる男になれと言われ、女性も同様。大相撲もセクハラもその発露の一例。

つまり単一の性に極度に依存することは、「国粋的性主義者」のようなものを、(男の側だけではなく)両性に作り上げる危険がある。これがトランスジェンダーの人達がポジションをとらなければ社会が是正されない根拠の一つだと思っているし、知的であるとかないとかの基準の一つはあらゆるものに対してトランス的な立場を取れるかどうかではないかな。性だけではない。国籍も民族も。貧富もだ。

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