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April 21, 2017

マストドン-破壊できない世界

いつの頃からか鳥では普段着でジャージとかでごろっとできないようになった。ていうかそのことにすら気がついてなかった。自覚していなかった。マストドンに来てからようやくそれに気がついた。

おまけに鍵を人に預けている部屋に住む居心地悪さがない。確かに今は人のインスタンスに住んでるが、その気があれば家も建てられるし引越しもできる。それでいてご近所とその後もおつきあいできる。

あまり言う人を見ないけど、これで国家が場を破壊できなくなったなてのも感じる。ツイッターは米政府に干渉されて噛みついていたけど、いつまで抗しきれるか不安を感じていた。

マストドンはそう簡単に壊せない。外圧で壊すのは限りなく不可能。インターネットの最もインターネットな世界。分散していて破壊できない世界だ。

それを破壊する者があるとすればそれは俺ら住民だ。内部から瓦解するのはある。過疎るも含めてね。けれど外からは壊せない。

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April 14, 2017

最後には空を仰いで

現実に世界がおかしくなってしまい、真綿で首を絞めるように理由と正義と怒りが手を組んで包囲して戦いを迫ってきた時。

自分は好戦的でもなんでもないのに、どうすることもできないままに必然と必然が手を絡ませて動けなくなり戦いに巻き込まれ、そしてとうとう空から火の玉が降ってきた時。

そうなってしまったら、自分にできることなんてほとんど何もないのだと言うことを思い知らされる。そうした局面の事態になる前に、日常の中で小さなパズルを右から左にせめて動かしたり、無気力というあなたのところにも時々訪れるそいつと戦ったり。

そして結局は最後には空を仰いで祈るしかない。父祖もきっとそうだったのだろうと思う。しかし今ではこの国には祈るべき神すらもほとんど存在しないのだった。

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April 08, 2017

プーちゃん?オレオレ。

「もしもし?プーチン?プーちゃん?オレオレ。トランプ。あのさちょっとさ。ほんのすこーしだけシリアにドカンとトマホーク撃つからさ。危ないから逃げてて。

え?ちょっと話聞けって。オレもさ。いろいろ辛いのよいま。オバマケア潰せないしさ、大統領令通んないしさ。支持者もうるさくてさ。その上プーちゃんとつるんでるって言われてさ。

え?だから話聞けって。

ドカンと撃ってすぐ終わるから。ほとんど砂漠よ砂漠。砂漠に50発くらい撃つからさ。あとちょこちょこっと空港に撃ってすぐ終わるから、あぶねーから逃げてて。いま言うよ?空港の名前。

それとさ、アサドにちょっとガツンと言っといてよ。やりすぎんなって。習近平と違ってさプーちゃん話わかるから好きよ。北朝鮮もこんな感じで行けばいいんだけどな。

じゃあね。これからもまあ大変だけどお互いガンバろうね。じゃあねー。トランプでしたっ」

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April 02, 2017

幼稚化

軟式なんとかとか言っていた人間が言うのもなんなのだけれど、企業の遊びがますます、幼稚化しているような気がする。エイプリルフール遊びへのあなたの苛立ちもその辺りにあるのではないか。

社会と企業、金儲けと理念、利益と最大多数の幸福の狭間。肩肘張って大声で張り上げなくても響くような絶妙なギリギリのところに技とセンスを込めたメッセージの球を投げて欲しいと思う。無い物ねだりか。いや難しいだろ。お前できたかと言われればそれはそうなのだけれど。

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March 22, 2017

寛容



#philippines #mactancebu 海外で宗教を聞かれて、いつからか日本人は「無宗教」と答えることのハードルの高さとリスクを知って「Buddhist」と言って切り抜けるようになったと思う。いや別に違ってはいないですよ。多くの場合ね。でもその何だかな感は日本に住んでいればわかっている。神仏習合だの葬式仏教だのクリスマスだの正月だの「日本人は寛容で何でもアリなんでしょ。いい国」とガイドさんが言う。いやあ。知ってるよ。同胞は心の中で頭を掻いている。臆面もなく寛容に生きてきました。父祖の代から。もっともっとずっと前から。

じっと手を見る。寛容な手を。

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March 21, 2017

フィリピンの地域犬




#mactancebu #philippines ホテル近くのスパニッシュ。美味しかった。フィリピンは色濃く今でもスペインなんだけれど、車に乗せられて路地とか走るとわかってはいても今でも凄い。暗がりにいる犬たちは地域犬みたいな感じで人と共存していて、ああいう犬とのつきあい方を日本人は忘れてしまって久しい。日本にいる犬たちとフィリピンにいる犬たちとの距離は幾光年。でも鶏と犬が幸福そうに見える。人は。。わからない。安易には言わない。

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February 26, 2017

騎士団長殺し




「ジャズ喫茶をやりながらなんか小説書いてる村上なんとかというのが、売れてるらしいよ。風の歌をなんとかってやつ」
「へー面白いの?」
から幾年月。作家はみるみる売れて日本はおろか世界中で有名になった。

なんというのかな。地下アイドルを応援してたらいつの間にかAKBの1000倍くらいになったみたいなそんな感じか。その間ずっと彼の作品を読んできた。ただそれだけのことなのだけれど、最近は買うのも妙に面映ゆい。

時間とか歳月とか。不思議なものだと益々思う。

#なるべくAmazonを使いたくないが本当に近所に本屋がなくなった。

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January 19, 2017

沖縄タイムスに与那覇大智展の展評を書いたのだけれど。








画家の 与那覇 大智 (Taichi Yonaha)さんから、こともあろうに沖縄タイムスに掲載される展覧会評(展評)のご依頼を受け、一昨日入稿させていただきました。

通常は自分のような門外漢が新聞への美術展評の依頼など受けた場合には、「何をご冗談を」と断るのが儀礼でありデフォルトであると思うのですが、馬鹿な私はお引き受けしてしまい、頼んだそのご本人をも驚かせたようであります。

引き受けてしまった後で「どれどれ新聞の展評というのは、みんなどんなものを書くのだろうか」と沖縄タイムスの過去紙面をネットで読み、再度脂汗をかくことになりました。

もとより美術評論家の質など要求されていることはあり得ないので、それならそれで私らしくと開き直って仕上げましたが、「ブログを書くような軽い気持ちで」とはよく言うよ与那覇さん。いくら図々しい私でもそんなわけにいくかと。笑。

運が良ければ、明日20日の沖縄タイムスに掲載されるようですので、掲載後にまた展評含めご紹介できるチャンスもあるかと思います。まあ私の駄文はどうでもいいのですが、与那覇展は22日(日)まですので先だってご案内させていただきます。

1人でも多くの方に。
 

PS. このブログでは与那覇さんの個展に初めてお訊ねした時のことを書いた記事があります。読み返してみると、邪念のない分、今回の展評より良い気がします。

「失われた町」が導いてくれた場所---与那覇大智さんの個展に行ってきた


 与那覇大智展―影を放さない―

会期:2017年1月16日(月)-22日(日)
12:00-20:00(日曜日11:00-16:00)

会場:Oギャラリー
〒106-0061 東京都中央区銀座1-4-9 第一田村ビル3F
℡&fax:03-3567-7772

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January 12, 2017

トランプ会見すら場を取り繕う共同通信とそれをコピペするこの国のメデイアについて


違いを超えて報道の自由を守る~トランプ氏に非難されたCNNをFOXが擁護

江川さんはこう書かれているが、もうこのことだけじゃない。何から何まで違います。日本のメディアとは。こんな私も日本人だな。恥ずかしかったなと思ったのは、少なくとも夕べは米国メデイアも無難に場を作るかと思ったこと。こんな私に誰がしたんですか。日本のメディアの方達ですよ。あなた方ですよ。あなた達のお行儀に毒されたんですよ。

トランプ陣営はいきなりの暴言からのスタートだったけれど、仮に日本の新首相会見でああいうスタートがあったら、日本メディアは「場をつくろわないで」戦えますか。

そんな最中にも飛び交う共同通信の、他国の首長にすら場をつくろう「速報」の数々。

「トランプ次期大統領、雇用確保を約束」

とかあなた、それ速報ですか。それって報道なんですか。目の前で繰り広げられている彼の国のメデイアとトランプの戦いを見てそれって何なんですか。

心からがっかりした。その共同の速報をコピペで流しているメデイアの方達。配信じゃないんだよ。それを今はコピペと言うんだ。コピペならメディアなんていらないんだよ。ツイッターがあればいい。

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October 27, 2016

物忘れ または 前の前の人生について

自分は、長く生きていると途中で何度か記憶喪失になる。それまでの人生を一回忘れる。忘れてもいいやと思ってるから余計に忘れるのか。何か忘れたいことがあるのかよくわからない。そんなことが何回かあった。

忘れたまま生きているその後の日常の中で、こんなことをなぜ自分はできるんだろうとか、こんなことどこかで覚えたっけとか、意味もなく不安感が押し寄せ、そうなってから初めて「ひとつ前の人生」や「ふたつ前の人生」を稲妻のように思い出す。いやリンネ生まれ変わりじゃないですよ。全て今生なのですがね。

忘れようとしたきっかけは前向きの時もあるし、きつくて忘れたかった時も(おそらく)ある。(単なる物忘れの時もね)

ところで、モーガンフリーマンのこの上なく現実離れした番組が好きで深夜によく見ている。「自己とは何か」「時間とは何か」「自我とは何か」「死とは何か」「記憶とは何か」「生命とは何か」

子供の頃に当然と思っていたことが、最新の科学で根元から覆されつつある。そんな身震いするような衝撃が好きだ。人間はいまそういうテーマに必死で向かい合わざるを得ない段階に差し掛かっていると思っている。

遥か彼方にある夢物語と見下していたAIだとかロボットだとかアンドロイドだとか。それらに現実的に対さなければならない時が近づいている。改めて人間の定義や命の定義をし直さなければ、彼らに向かい合えない段階になっていると思うからだ。

「苦しみ」とか「悲しみ」とか。それらは一体何なのだろう。何なのだろうと考える自分はいったい何なのだろう。

自分はこの世から逃避したいわけではなくて、この「何なのだろう」の領域の中でいっぱいに現実的でありたいとは思っているのだが、それでもその自分とはいったい何なのだろう。この世に何をしに来たというのだろうと思う。

いやこれも「前の前の前あたりの人生」でも考えたことのような気もする。リンネ生まれ変わりではない人生で。これも単なる物忘れなのかもしれない。

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