January 04, 2009
【新年のご挨拶---イカルスになる前に】
新年おめでとうございます。
長らくブログを放置していますけれど、生きています。(笑)
新年のご挨拶くらいはしなければいけないと思うのですが、取り急ぎ今年の冒険的年賀状の公開をもって、新年のご挨拶に代えさせていただければと思います。
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【新年のご挨拶---イカルスになる前に】
子供の頃、SF映画やアニメを見ると、ほとんどの車は空を飛んでいました。天の彼方までそびえる、超高層のビルとビルの間には幾筋もの「空中フリーウェ
イ」が幾重にも重なり、その中を超高速で飛び交う未来の車、車。鉄腕アトムでも車は空を飛んでいましたし、(但し電話は黒電話のまま笑)映画「ブレードラ
ンナー」でも飛んでいました。
かなうか、かなわないかわからない多くの未来の夢。その夢の中でもそれほど突飛でも、実現不可能とも思えない夢が、「空を飛ぶ車」だったように思います。
果たして2009年を迎えた今、言うまでなく車はまだ空を飛んでいません。交通渋滞の解消のための強力なウルトラ施策の一つが、「空飛ぶ車」のはずだった
ようにも思えるのですが、それを阻んでいる理由は様々でしょう。安全性の問題、法規の問題、ガソリンに代わる未来の代替エネルギーの問題、飛行全般に関わ
る技術の問題、そもそもそうしたニーズが現実的であるかという問題。
飛ばなかった車のことをいくら論じても仕方がありませんが、問題は車が空を飛ばなかったかどうかではなく、今、自動車業界あるいは車そのものが空前の危機に瀕しているということでしょう。
思えば、いつの日からか、車は憧れの存在ではなくなりました。若者は車を欲しがらず、ゲームや携帯電話、プロフなどでの他人とのサイバーなつながりを求 め、通信費などのコストを優先するようになりました。自動車業界だけではなく、広告業界にとっても最大のイベントであったモーターショーは、近年では急速 に注目を浴びなくなりました。
車が空を飛ぶかどうかなどという夢よりも、ガソリンという有限の化石燃料から、いかにしてクリーンな次世代エネルギーに移行するか、省エネ、環境問題とい
かに向き合っていくかという、現実的な課題が優先して語られるようにもなりました。新車のデザインが急速に近年「保守化」してきていると思われるのも、こ
うした市場意識の変化とは無関係ではないでしょう。
思えば随分前から、皆が気がついていたのではなかったでしょうか。車は最近何かがおかしい。何かが、ちぐはぐになっている。それでも、産業におけるポジション自体、その圧倒的に巨大な地位にまで危惧の念が持たれるところまではいきませんでした。
しかし今、車をめぐる夢自体が終わりつつあります。昨年末に向けて、アメリカのビッグ3がここまで追い込まれることになるとは、1年前に誰が想像したでしょうか。
「空を飛ぶ車」の夢が果されるどころか、より現実的で切実な問題が問われ、世界的な大企業の存続の可否が問われるところまで来ています。車は空を飛ぶどころか失速し、マーケットという仮想の空で、地面に叩きつけられる寸前に来ているように思えます。
もちろん私たちにとって今も尚、車がない社会は想像できません。車がなくなることはあり得ないでしょうが、10年、20年後の世界を走っている車や、それ を支える自動車産業の姿は、私たちが今まで想像していたものとは、まったく違う様相を見せることになるでしょう。「人と車の関係」を考えていくというの は、今まで自動車会社がPRのために使う言葉上のキャッチフレーズでしかなかったように思うのですが、ここからは、本当に全力で「人と車の関係」を考え、 それを変化させていくことが必要になってくるのだと思います。
ギリシア神話に登場するイカルスは、鳥の羽を蝋で固めて翼を作り、それで空を飛びましたが、調子に乗って太陽に近づきすぎ、蝋が溶けて翼が分解したため墜 落死しました。米国議会の猛反発を受けたCEO達の自家用ジェット機も、かつてはイカルスのように大空を舞っていましたが、既にその翼の蝋は溶け始めてい たのかもしれません。もしもイカルスと何か違う点があるとすれば、その翼には、何十万人、何百万人という人々の命や夢が委ねられていることでしょう。墜落 すれば全てが無に帰します。
いつの時代も、私たちは「モノを売る」ことに、単に金銭を生み出すこと以上の情熱を傾け、「モノを買う」ことに対して、物欲を満たす以上の思い入れや夢を 描いてきました。多くのモノが売れるほど、それを生み出す人たちの暮らしは豊かになり、多くのモノを買えば買うほど、それを所有する人たちの生活は、そし て人生はより豊かで実りの大きなものになるはずでした。この単純な仕組みを支えていた大きな枠組みが揺らいでいると思われる今、私達は、ここからは、新し い夢の姿を探さなければならないのではないかと、ぼんやりと考えています。その姿は、まだ霧の中にあり、この両手でしっかりと掴むことは愚か、どんな形を しているのか想像することすら今はできないのですが。
まずこの年。
車は空を飛びませんでしたが、私たちは、超えなければならないハードルを多く飛び越えていかなければならない年になりそうです。私たち全てがイカルスになる前に。
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昨年は大変お世話になりました。
本年もよろしくお願いいたします。
どうか今年は、私たちの差し出す無数の手が、それを求めるさらに無数の人々の手に届き、しっかりと繋がりますように。
(いつもながら新年より長文のメールで失礼いたしました。ご容赦ください。)
IT's Big Bang! -- ITビジネスの宇宙的観察誌(CNETJapan)
http://japan.cnet.com/blog/it_bigbang/
※本文は上記に掲載した記事を改編加筆いたしました。
2009 01 04 [日記・コラム・つぶやき] | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック
August 13, 2008
巨人の足跡花火はCGだった---- 「あんたの誠意とは一体何だね?」
(唐突に始まりますが)
表題は、あの「北の国から」で、あの吉岡君つまり純君が若気の至りでなにをなにしてしまい、妊娠させてしまった裕木奈江演じるタマコ(すごい名前)のところに、五郎さんと一緒に謝りに行き、タマコの叔父(菅原文太)から浴びせられる言葉。
「あんたの誠意とは一体何だね?」
で、結局五郎さんの見せた誠意は、丸太を全部売って300万円の金を工面するという、大変にベタなものだった。
時々この言葉を思い出すのは、菅原のとーちゃんの言っていた誠意は、本当に金のことだったのか、どうかということ。ドラマでは確かそれは明確には明かされていなくて、ただただ五郎さんの愚直なまでの親バカぶりが美化されていた。ここのエピソードは、正直あんまり好きな話ではない。
何年も前のこんな話を何で持ち出したのか、自分でもわからないが、北京オリンピックのこのニュースを聞いたときになぜか、この台詞が思い出されたのだ。
【ロンドン、北京12日共同】北京五輪の開会式の際に、全世界にテレビ放映された花火で描いた“巨人”の足形の映像は、コンピューターグラフィックスによ る合成映像だったと、英デーリー・テレグラフ紙などが12日までに伝えた。五輪映像効果担当者が、合成と認めた。約1年の時間をかけて制作したという。
何しろ世界的なイベント、中国の威信をかけた大プロジェクト。万一に備えてあらかじめCGを作っておいて何が悪い?と言われればそれはそうかもしれない。そうかもしれないが、記憶の限りで、オリンピックの開会式の中継にあらかじめ作っておいたCGを仕込んで放映した国は、記憶の限り中国だけである。そういう危険性(一発勝負で後がない)は予想できても、これまでの開催国はそれをやらなかった。
そんなふざけた話が、あるか。と理屈を言うなとかいきんで見ても、この話にはどこか突っ込みどころがない。そもそもライブでやれば価値があり、あらかじめ仕込んだ映像では価値が劣るなどという理屈は、正面切ってつけにくい。突っ込みどころがない点においては、純君を責める文太オヤジほどの堂々たる態度で彼の国には望めないわけであるが、もう一度書く。
「あんたの誠意とは一体何だね?」
それが、このニュースを聞いたときの素直な感想である。
2008 08 13 [日記・コラム・つぶやき] | 固定リンク | コメント (2) | トラックバック
May 13, 2008
ビルマ、中国、そしてノアの方舟と暗黒について
初めてノアの方舟の話を聞いた時、神は何と理不尽なのかと思った。
ヤハウェ・エロヒム[1]は地上に増えた人々やネフィリムが悪を行っているのを見て、これを洪水で滅ぼすと「神に従う無垢な人」であったノア(当時600歳)に天使アルスヤラルユル(ウリエル)を通じて告げ、ノアに箱舟の建設を命じた。ノアとその家族8人は一所懸命働いた。その間、ノアは伝道して、大洪水が来ることを前もって人々に知らせたが、耳を傾ける者はいなかった。
箱舟はゴフェルの木でつくられ、三階建てで内部に小部屋が多く設けられていた。ノアは箱舟を完成させると、家族とその妻子、すべての動物のつがいを箱舟に乗せた。洪水は40日40夜続き、地上に生きていたものを滅ぼしつくした。水は150日の間、地上で勢いを失わなかった。その後、箱舟はアララト山の上にとまった。(Wikipediaより)
選ばれなかった人間や動物は、皆無慈悲に、神の起こした大洪水によって殺されていくのである。一説に旧約の神は怒れる神であるという。神は人に対して常に怒りの形相で接し、ふとしたきっかけでその感情を爆発させる。神は差し詰め、不動明王の如くなのである。この神には、説得や部分的な修正などといったものはなく、いったん機嫌を損ねれば直ちに事態はオールリセットされる。ゲームと人の生の命の峻別をつけず、時に人の命に対して、リセットボタンを連打する現代の短気な子供のようなものだ。
再読しようとしてなかなか果たせず、記憶が朧げでしかないのだが、カラマーゾフの兄弟における「大審問官」の章。「糾弾される神」は、まさにこの、神とは思えぬ「未完成」の罪、寛容のない心の未熟を糺されていたようにも思えるのだが、相違ないだろうか。
1週間ほどの間に、サイクロン、そして大地震。100年に数回とも言える大天災が降りかかったのは、ビルマ、そして中国の2つの国である。もちろん不慮の死に見舞われた数万あるいは数十万の人たちの多くは、誰かの罪を代わりに背負って神に糾弾される謂われはない。ないはずではあるが、偶然と呼ぶにはあまりにもこの災禍には、何か空恐ろしいものさえ感じるのである。
中国の状況がビルマに比べて、まだましであると感じるのもある種の錯覚であろう。真の暗黒に比べれば夜はまだ明るく見える。ビルマの状況は、まさに暗黒なのである。せめてそれが夜明け前の最後の暗闇であればよいのだけれど。
2008 05 13 [日記・コラム・つぶやき] | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック
February 25, 2008
三浦和義氏拘束----疑惑の銃弾から27年
27年前にロスで起きた、いわゆる「疑惑の銃弾」と呼ばれる保険金殺人疑惑で、三浦和義氏が、サイパンで拘束されたと聞き、非常に驚いている。この事件にはロス市警はかねてからこだわりを持ち、日本での無罪確定に相当の苛立ちを持っていたというから、おそらくは入手しているだろう、新しい証拠とともに機会を狙っていたのだろうが、それにしても、被告人の母国で最高裁で最終的に無罪確定している事件を、あえて今更摘発に至ったというのは、きわめて異例の前例のない事態であるという。何がロス市警をここまで突き動かしているのだろうか。
それにしてもどこにでも、いつでも不用意なことを言う人はいるもので、黒鉄ヒロシがテレビ番組の中で、これは沖縄の米兵不良行為問題から日本の人々の目をそらすための、米国のデモンストレーションだなどと、真顔で語っているのにはあきれてしまった。黒鉄ヒロシの漫画は大好きであるが、この人はどうもワイドショーのコメンテーターになってから、しばしばこうした、苦笑してしまうような軽率なトンデモ発言をする。さすがに、他の出演者からたしなめられていたが。
あらためて久しぶりに昔の映像を見ていると、三浦氏の27年の風貌の変化にしても、一美さんの狙撃現場となった元駐車場にしても、荒れ果てていて、あらためて時の流れを感じるわけだが、再婚相手となった女性は美人であったし、(この人とは離婚後、また再婚したと聞いたが)2人で、ショルダーバッグを肩から下げて、空港の通路を闊歩する長身の三浦氏の映像は、今見てもスタイリッシュな印象を受け、あの当時彼の個人的な性癖と合わせてこの事件が異様なほど注目を集めたのもわかるような気がする。
おどろおどろした、闇と謎を感じさせる彼の性格や生き方に加えて、この事件がロスで起きたということに、今とはだいぶ違う、どこかファッショナブルで、人を惹きつける要素があった。怖いものみたさに、トレンドがかぶった感じというのだろうか。一美さんの殺害された駐車場の写真には、確かロスではおなじみのPalm Treeが写っていて、あのころのロスは今よりも遥かにある種のステータスの匂いをかもし出していたような気がする。つまり、おかしな言い方なのだが、今思えば、何だか非常に「ファッショナブルな」事件だったのである。そうした部分も、今はすっかり色あせた印象があるが、あれもあの時代こそがなしたことではあるだろう。思えば三浦事件はバブルまっ盛りの日本の80年代の傍らで進行していたのだと、今になって知る。
それにしても、まさに国境をまたいだ、劇場型犯罪の極致でもあったわけだが、のちに元女優に依頼した殴打事件では最終的に有罪となっている三浦氏の最終的なありようも、どこか落ち着かない不可思議な状態にはなっていた。
黒鉄ヒロシの陰謀論には到底同意しないけれど、これほど昔の容疑で、最高裁で無罪確定した日本国民を拘束するのに、日本の司法当局に事前に何の連絡も打診もなかったというのも、妙な話ではあるし、こうしたことが、今後一般化された場合には、自国民を守るという日本外務省の海外機関の立場上も、決して喜ばしいことではないだろう。そうした意味で、27年の時を経て、報道の切っ先が今後どちらの方向に向かうかも、改めて問われるように思う。
2008 02 25 [日記・コラム・つぶやき] | 固定リンク | コメント (6) | トラックバック
February 03, 2008
100年の孤独
その人がいなければ、おそらく今の自分はなかったし、今の自分のありようとは大きく異なっていただろう。
苛烈という言葉が、これほど似合う人もいなかった。妥協だとか、弱気だとか、まず無縁な人であったし、過去を後悔するということもなかった。実際この人の元を離れて社会に出たとき、世の人たちはこんなにも気が弱いものなのかと驚いた。それほどに、強い心の人の元に自分はいたのかと知り、驚いたものだ。社会は厳しいなどというが、ある意味ではこの人の世界のほうが、遥かに過酷で厳しく、そして混乱もしていた。
物心ついてからは、この人に対して、「社会の理(ことわり)」を説くのは僕の役割になっていた。なぜ遥かに年少の自分が、そして世の経験の少ない自分が逆の立場にならなければならないのかと、不思議だったものだ。
もしも世界が焼け野になることと、理不尽を受容することとの2つを選択せざるを得ないとすれば、迷わず彼女は、世が全て焼け滅ぶことを選んだだろう。全ての人が自分の前から立ち去ったとしても、それを彼女に迷わせるものはなかっただろう。息子である父が死んだときも、娘である伯母が死んだときも、その精神は微動だにしなかった。
おそらく父も伯母も、常にこの人を恐れていただろう。
他の全員が賛成しても、自分が納得できないなら、たった1人でも立ち向かえと繰り返し繰り返し教えていたのもこの人だった。その心が培われたのは、全てが狂ったように破綻に向かって突き進んでいった、先の戦争の経験だったとは、ずっと後で知った。およそ卑怯であることなど、彼女の前では許される余地もなかった。
理知的とはお世辞にも言えず、蒙昧といえば蒙昧であったが、周囲の状況を見抜くこと、人の心の狡猾さを見抜くことに関しては、天性の勘を持っていた。この世の人たちは、暴力よりも権力よりも、こういう人間を恐れるのだ。決して相手を恐れない人間を恐れるのだ。過ちを犯すことを恐れず、相手の反撃を恐れず、ただ、ただ主張を続ける人間にこそ怯えるのだ、と僕はこの人に学んだ。もちろんそれがまた、新たな理不尽を生んだのだけれど。厄介といえば実に厄介な人だった。
おそらく強さは限りない孤独を生むのだろう。自分にも周囲にも。そしてそれは美しい孤独であるとは限らない。強さと孤独は背中合わせの関係なのだということも、この2度の大戦と限りない死者を超えてきたこの人に学んだ。あなたのような生き方を肯定するのか否定するのか、僕は今でもそれに関して言いよどむ。そこには何か、大きな道筋が隠れていたようにも思うが、今はまだ定かではない。
昨夜、祖母の心臓は、あらかじめ止まる時が、ずっと前から決まっていたかのように、今まであれほど長い長い時間、鼓動を刻んできたのが嘘のように、あっさりと止まった。病室に入り、直線になって反応しなくなった心電図を見ながら、ああ、この人の命もこうやって尽きる時があったんだなあ、それは今日だったんだと今更のように思った。何かがあらかじめ今日のこの時間に向けて全てがセットされていたのではないかという、不思議な感慨を持ったのだ。それほど永遠に、彼女はこの世界にこの先永遠に生きているのではと思っていたのだ。ついこの前まで。
十分に長い人生だったと思う。
涙は、不思議とまだ出ていない。
あるいはこの人を送るにふさわしい強さをもってなそうと、僕は無理な努力をしているのかもしれないのだが。
2008 02 03 [日記・コラム・つぶやき] | 固定リンク | コメント (9) | トラックバック
January 06, 2008
「人間の価値を賃金の多少で差別したがるのは誰か」を読んで。
「人間の価値を賃金の多少で差別したがるのは誰か?(404 Blog Not Found)」
その後、私は合州国に留学する。そこでも目にしたのは、むしろ「下層」の人々ほどより「下層」を差別していた現実だった。人種差別意識は、低所得、低教育な人々ほど強かった。私がいた北カリフォルニアでは、露骨な人種差別は滅多にお目にかかれなかったが、それでもあるところにはあった。
昭和の頃に留学した米国社会の人種差別エピソードが、現代日本社会の「格差社会」を語るに参考になるかは別として、ここに続くレストランでのエピソードに反証するには、たった1人の「人間をその財布でしか見ることのできない差別意識の強い日本人の金満家」の例を上げれば問題なく、それはきわめて容易な作業である。低所得、低教育な人々のほうが差別的であるというのは、論拠の甘い推論でしかない。
また
さらに月日は流れて、私は成金になった。他の金持ちとの交遊も増えた。やっていることも言っていることもてんでばらばらで、強いて共通点を探せば金 持ちであるということぐらいしかない彼らなのだが、もう一つの共通点は、金持ちをより強く自覚している人ほど(残念ながら実際に持っている金の量に比例す るわけではない)、人の価値を多面的に推し量ろうとしていることだ。それも当然かも知れない。なぜなら彼らにとって人を見抜くのは、商売以上に死活問題な のだから。
仮に「金」に全てを換えて見ているのだとしても、彼らは「賃金」という氷山の一角だけではなく、まだ現金化されていない海面下まで見ようとしているのは確かだ。
ここに引かれている弾さんのお友達は、等しく事業に成功した優秀な方たちなので、人間の価値を「現在のカネの価値」でのみ判断せず、相手を「未来に(自分の事業のために)生むかもしれないカネの価値」まで見通して賢明に判断しているだけ。つまり、ことの是非は別として事業家として、相手が自分にもたらすかもしれない、中長期的な経済価値で判断しているのだろう。「商売以上に死活問題」とあるが、結局は商売上の死活問題ではないのか。それ以外の意味があるのかもしれないが、これでは読み取れない。もちろん商売的な観点で判断するのは当然でありそのことを批判する気はない。ないが、ただそれはそれだけの「凡庸な」ことであり、そのこと自体に過剰な評価は与えられないということである。「まだ現金化されていない海面下」に眠る金塊に注目しているだけであろう。
もちろん私は人間の価値を経済的にではなく、「多面的に判断する」徳の高いIT事業家が、世界に皆無であると言っているのではないから誤解なきよう。
構造的な貧富の固定構造は、本人の努力や姿勢でどうにかなるというのは、ユニークな例を数件あげたところで救いにはならない。弾さん自体が優秀でユニークであったとしても、それは弾さんの固有の状況である。皆が優秀でユニークであれば問題ないとするなら、おおよそ全ての社会的な問題がそれで肩がつくだろう。優秀でもなくユニークでもない集団の処していく道を探るのが公的な発想であると思う。そういう意味ではfinalvent氏の言説に賛同する。
弾さんみたいに社会的な成功者、というか内心は違うだろうし、その内心の部分で私なんかと共通的な世界観や人間観はあるだろうと思う、そういうスタンスからは、それは、なんというか身内的な近さのある人への言動としては有効かもしれない。
でも、公的な場への言動としてはほぼ無効なのではないか。
そしてそうした無効さが、反面では歪んだかたちで成功のノウハウのようなものに固まりつつある。
人はたぶん凡庸だ。100人1人くらい物を考えるために本を読む。また、10000人に1人くらいが社会的成功につながる能力を示す。
大半は凡庸だし。それが社会というものだ。
堀江氏については何度も論評したから繰り返さないが、彼の唱えていた「出自や家柄は不平等であるが金は稼ぐチャンスが誰にでも与えられているから平等だ」というような物言いは、出自や家柄、そして教育水準が金によって構築され、金によって固定化されていくという現実を見ない、レトリックでしかないと思う。
個々人の評論は自由であるべきだが、現状の問題解決には寄与しない考え方であると思う。
2008 01 06 [日記・コラム・つぶやき] | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック
謹賀新年----ツラツラと年末年始を
遅ればせながら新年おめでとうございます。
今年もよろしくお願い致します。
脈略もなく年末年始の様子をツラツラと。
今年は昨年末から東北の某地方都市、親類の家で過ごしていたが、当然ながら空の色が東京とはまるで違う。特に今年の年末年始は荒れ模様の天候。鈍色の空から舞う雪は、本当に絵に描いたような綺麗な六角形をしていた。きっと空気が澄んでいるのだろう。肌を刺すような寒さとまではいかなかったが、空を繰り返し仰いでも、重い雲は切れず、切れず。
考えてみれば、正月を東京以外で過ごすのは初めて。この時期の東京の空は青く、どこまでも青く澄み渡っていることが普通なので、こうした新年も新鮮でもある。
身内の決して軽くない問題に気を乱されながら、予定していたビルマ関連の原稿を仕上げ、取材先にチェックをお願いしたのがやっと大晦日。大幅遅れ。相手先にお詫びをする。年賀状も結局東京で書き切れず、プリンタ含めて滞在先まで持ち込み。どちらも年を跨いでがちゃがちゃやっていた。それが終わると、恒例の年賀メールの方の原稿書き。このあたりまでやったら3日になっていた。ましょうがないか。
ストックを持つのが面倒くさいのでここ何年も専らショートスキー。一時スキーとスノボに混じって、この中途半端なツールもゲレンデに相当数見かけたように思ったが、今年はほとんどお目にかからない。1日しか滑らなかったので、調子が戻ってきたころに終わり。この前滑ったのはいつだったかな。去年か、一昨年か。例によってあまり記憶無し。しかしスピード出ないんだよね。
商店街は軒並みシャッターが降りている。それも正月だから一時的にという風情でもなく、何ヶ月も営業していないような店がほとんど。東北地方の景気は相当に悪いとも聞く。もっとも他の地方も似たりよったりかな。
紅白は長すぎてだらだら。もういいんじゃないか。合間に雪片付け。ざっくりと重い。
戻ってきて今日は恒例の高校時代の有志による同窓会。昨年行かなかったので2年ぶり。いつも集合場所になるHの家にまたまた犬が増えていて驚いた。チワワの子犬が可愛すぎる。最初はモルモットかと思った。踏みつぶしそう。気をつけないと。
お開きの頃。10人でワインのボトルを11本も空けたとわかってこれも驚いた。ミュージックビデオがかかっていたが、昔のコブクロを見てあまりの今との違いにもびっくり。話題は毎年変わり映えがしないよ。いや、緩やかに爺臭く、婆臭くなってるか。やれやれ。
2008 01 06 [日記・コラム・つぶやき] | 固定リンク | コメント (5) | トラックバック
December 16, 2007
王様の耳がロバの耳であるなら
はてな界隈で話題になっているなら、最近は、かえってなるべくコメントしないようにしているのだけれど。
ドリコム退職にあたり-宮崎謙介⇒加藤謙介(@ドリコム)の誰にも見せないつもりの日記
と
「王様の耳はロバの耳」とブログで言うなかれ(404 Blog Not Found)
と
ちょっとへえな話。(finalventの日記)
退職後に自分の所属している会社のことを悪く言わないのは不文律であり、ましてやブログで言うべきことか、自分は何をしてきたのかと問うのが弾さんのエントリー。立派に普通に仕事をしてきた、年相応の人間であれば誰でも思うことであり、それについては異議はないが、この件で思ったことが3つばかり。気になるから書いておく。
まず申し訳ないが、弾さんのエントリーを読んで、どうしてもライブドアの件が重なって頭をよぎってしまったことがひとつ。いや、批判じゃないですよ。批判じゃないですが、そうか、そうした「仁義」をおそらく弾さんはあの時も守り通したのかと私は思った。これが1つ。
もう1つは、最初のから続く話なのだけど、ここでヤクザと比べてしまっちゃダメでしょということ(苦笑)。何も「礼儀正しいヤクザ」である必要はないのだし、ヤクザの仁義と比べるなら、通常の企業の退社後の守秘義務の遵守などをベースに語れば済むだろう。
という流れで考えても、件の加藤氏は、何も守秘義務違反に触れるような、重大な情報の暴露を行ったわけではない。単にもとの会社の経営者への愚痴を、抽象的ないい口で書いただけ。この行為は確かに幼いかもしれないが、関八州にお触れが飛び交うような話ではないし、これも駄目だというなら、内部告発はそもそもされなくなる。
3つ目はつまらない話で、急速に成長を果たし上場を行った企業であれば、ごろごろしている話をたまたまブログに書いた人が1人いただけの話と思えること。この後、finalvent氏がほのめかすようなところにつながる話が出てくれば別だけれど、そうした重大性が加藤氏のブログから今後出てくる気配もない。
個人的にはドリコムという会社自体にあまり関心がないので、これ以上は言及しないけど。
要は大人として加藤氏が責任をとればいい話で、粉骨砕身尽くした会社のトップに関して、ここまで言うからには、ある程度の覚悟をもってしたことだろう。その結果生じるすべてを自分で引き受けて、これから生きていけばいいのだろう。
自分の所属する、あるいは所属した組織を悪く言わないというのは、時と場合による。同属意識で際限のない隠蔽がされるよりは、まだ救いかもしれないし、おそらくこうした精神をこそ求める組織も、まだあるだろうと思いたい。
2007 12 16 [日記・コラム・つぶやき] | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック
December 02, 2007
スポーツジムとネルソン・マンデラとMTV
MTVを見ながら、しばしばジムで、だらだらマシンをやったりしているんだけれど、今日のMTVはいつもと様子が違っていた。
どうも↓これをやっていたらしく
[字]Staying Alive: Meeting N.マンデラ◇<MTV THINK LOUD:HIV/AIDS 2007 世界 エイズデー 24時間SP>南アフリカ共和国全大統領ネルソン・マンデラとビヨンセがホストを務めHIV/AIDSの正しい知識を伝える特別番組。 1日 (土)16:00~17:00<初回放送> 12/1はHIV/AIDS問題への意識向上を目指して全世界的にキャンペーンが展開される、世界エイズ デー。今年もMTVでは、世界中のMTVでこれまでに制作されたHIV/AIDS問題に関する番組を集め、1日午前6時~翌2日午前6時迄、24時間にわ たる世界エイズデー・SPを放送。 MTV Mobile & PC >>> http://mtvjapan.com
僕が見ていたときには、世界で「悩みを抱える」4人の若者が、ネルソン・マンデラに教えを請いに行くというようなコーナーをやっていて、その内容に引き込まれてしまった。
4人の若者というのは、1人はウガンダでエイズ救援のボランティアをしている。貧しい中でボランティアどころか、自分の食べるものも怪しいというか、そんな状態で医療も教育も、資金のないない尽くしでやっていて、エイズ患者はどんどん死んでいく。明日が見えないというか、希望が見えない。自分も実はエイズ検査では陽性が出ている。もう彼はやめたいと思っている。
もう1人は、ビルマの民主化運動に関わり、タイで亡命生活を送りながら祖国の活動を支援している若者。親類や友人が捕まって拷問にかけられたり、収容されたりしている。それも自分の活動のせいで。その迷いで自分を責めている。
後の2人はイスラエルに住む青年と、パレスティナ人の若い女性。2人も肉親を「相手に」殺された経験を持っている。双方の和解に絶望的な気分になっており、また恨みの気持ちから自分を解放することができない。
マンデラは、彼らそれぞれに、自分の体験を基にしたアドバイスを与えるんですが、これが結構重みがありました。このあたりでぐっと引き込まれてしまったんだけれど、民主化運動とか、平和運動、あるいはエイズ撲滅もそうなんだけれど、「絶対的に正しい」はずの行為においても、というかそういう行為ならではというか、「サタン」が至るところにいるわけですね。つまり肉親との確執とか、友情や恋人との板ばさみとか、ただただ現実が過酷で無力感や挫折感、時には罪の意識に苛まれるとか。
思うに、そうした部分は人間の弱みであるし、そうした活動のためにはマイナスになると一般的には思われるから、当事者も出さないし、そうした悩みに答えられる人も、またあまりいない。
そういう意味で、この番組が得がたいものであったのは、そこをしっかり出していること。少々世界が拡散気味ではあったけれど、マンデラの一言一句は説得力があり、そうした「サタン」を乗り越えてきた人間だけが発することのできる重みがあった。つまり、言葉が上滑りしていない。4人が4人とも明らかに力をもらっていく様子が見て取れたし、人が絶望の中から、ほんの僅かな言葉で救われていく様子に、少しぐっときてしまった。
で、僕は知らなかったのだが、マンデラが大統領になった後、南アフリカでは、全国いたるところで市民の集会を行い、そこでかつての被害者と加害者、たとえば黒人を牢獄でひどく痛めつけた収容所の職員と被害者とか、その家族とかの対面と対話を行った。何百箇所となくやったらしい。そこで、当然被害者は加害者を罵り、恨みを吐く、加害者は時に泣いて詫び、あるいは当時のどうしようもない事情を訴える。
驚きなのは、こうした集会のほとんどで、加害者と被害者とが和解というか互いを理解し許すことになったとマンデラが言っていたこと。実際、南アの人種差別政策=アパルトヘイトからマンデラの黒人政権樹立という激変の中で、ほとんど血が流れていない。これは奇跡であったと彼自身も言っている。27年の獄中生活の末に、そうした奇跡に辿り着く。南アを「奇跡を起こした国だ」と言っていたけれど、それは確かに奇跡というか稀有なことだったと思うし、現在逆境にある人に対して希望を与える。
そして、この加害者=白人、被害者=黒人というのが我々の定式だけど、その逆も行ったこと。つまり被害者としての白人が黒人を追及するというような図式もあったということ。いわく、彼のやったことは「すべての黒人支配と白人支配に反対することだった」と。うーむ。
細かいところはきりがないけれど、いい番組でした。
後から番組表を見たら、ビヨンセも登場していたのか、それは見たかった。それにしても、ジムで運動している皆様。いつもは2人に1人くらい、MTVを至るところでつけているのに、今回の番組は音楽も流れないし地味だったのか、番組が始まると、軒並浦和レッズかバラエティ番組に逃亡?(笑)し、室内を見渡す限りこの時間にMTVを見ているのが、僕しかいなかったのが、残念というか複雑な気分でした。
まあジムで運動をしながら見るにふさわしい番組じゃなかったか。僕が変なのかもね。
2007 12 02 [日記・コラム・つぶやき] | 固定リンク | コメント (4) | トラックバック
November 10, 2007
メメント・モリ
僕はなぜいつも、渋谷のスクランブル交差点まで差し掛かると死について考えるのだろうか。
その源は何なのだろうと不思議に思うのだけれど、自分でもその理由がわからない。あるいはこの交差点が、深い谷の中でもいちばん低いところ、かつて水底の街であったからなのだろうか。
それとも原色に飛び交う光の中、これでもかとばかりに年々数だけ増えていく大型モニターのどぎつい光の照らす中をを歩いていく男女の群れが、死後の世界の霊魂にみえるからなのだろうか。あるいは自分はもうどこか、この空間の時相とずれ始めているのだろうか。
そう考えると死に近いのはどちらのほうかわからなくなる。(いや自分なのだ。それはわかっている)
この土地に行きかう若い命の群れが、その若さの醜さが、かえって僕に死を思わせるのかもしれない。むき出しの若さ、みっともない若さ、無残な若さ、未熟の命、ただ、ただ己が生きることしか考えていない若い命の冷酷。思い上がり。無知。醜悪。
いつか仮想の命が、仮想の空間を行きかうときに、その仮想の地にも、むき出しの命が(それはもう偽装の命なのだけれど)行きかうこんな世界が生まれるのかと、ぼんやりと考える。その時代のCPUはどれほどのものなのだろうか。
いやいや、そういう話ではない。
メメント・モリ(死を想え)。
メメント・モリ(死を忘れるな)。
昔、そう言った作家がいた。
きっとそういう話なのだ。
2007 11 10 [日記・コラム・つぶやき] | 固定リンク | コメント (3) | トラックバック
October 29, 2007
雨と名画座と歌姫
風の強い日には傘を壊す。それならいっそささなければいいのに、人はそれでも傘をさし、強い風にあおられて、これも予想通りに傘を壊す。
飯田橋の名画座に行ったのは台風が近づく風の強い日だったのだけれど、学生時代に確か何度か来ているはずの、その外観のたたずまいは、すっかり記憶の中で薄れていた。ただ、こんなに入口は狭かっただろうかと思っただけだ。どんな映画をここで見たのか、それも忘れてしまった。実際飯田橋の界隈の変わり方といったらどうだろうか。表通りにあったもうひとつの名画座は、とうの昔になくなってしまった。
仕事できたはずなのに、そこの名画座の社長の話が多岐に渡り、いつか話は映画と戦後文化とかそういうところにまで広がっていき、次第に時間を忘れていった。
で、社長がふいにこの秋始まったドラマの題名を口にした。
「歌姫」----。
長瀬智也と相武紗季が出演するそのドラマは、昭和30年代の土佐清水を舞台にしている。記憶喪失になって流れ着いた長瀬智也演じる主人公は、土佐のオリオン座という高田純次が経営する古い映画館で面倒を見てもらい、映画技師として働いているが、とにかく破天荒にトラブルを起こし、土佐の街で暴れまくる。相武紗季演じる映画館の娘が、彼に思いを寄せると、そういうドラマだ。『花より男子』の脚本家として知られるサタケミキオの台本。
題名にそぐわず全編乱暴な土佐弁が飛び交い、元々が演劇の本のためか、出演者はいつも怒鳴りまくっていて、とにかく落ち着かない。タイトルもどこでどう効いてくるのか今のところ、さっぱりわからない。三丁目の夕日のような物語の展開を期待すると見事に裏切られる。そのためか、評判もあまりかんばしくないようだ。もっとも第三話で佐藤隆太の「クロワッサンの松」に異様な可笑しさが出てきていたので、ここのところだけは少しだけ期待している。
で、なぜ社長がこのドラマの話をしたかというと、劇中の「土佐のオリオン座」の映写室におかれている映写機は、この社長の名画座にあったものをテレビ局から請われて貸したと、そういう縁があったからだ。そうか、あの映写室かと、訪ねた日の前日に見た情景が浮かんだ。
年代物の高価な映写機とあって、最初は社長は固辞したそうだが、スタッフの「熱意」に押されて貸した。素人に乱暴に扱われては困るので、映写技師も毎回収録に立ち合わせ、毎回収録時に組み立て、その後分解して箱にしまう。その繰り返しは、毎回数時間に及び、簡単なことではないとか。
「それなのにあれだよ」
と社長が言う。やはりドラマの出来には相当不満な様子だった。昭和30年代のレトロな映画館の雰囲気をどこまで再現してくれるか、それに期待していたらしい。映画館の独特の雰囲気と空間、そこにやってくるお客と映写技師との触れ合い。うむ、「ニューシネマパラダイスと三丁目の夕日を足したような?」と口を挟むと、そうそうとうなずく。
「いや、夕べあたりからいい味も出てきていますよ」
などとわけのわからぬフォローをするが、クロワッサンの松の話はしなかった。もう観てないよ俺は。と社長が笑う。「名画座」という言葉の意味がわかる世代も、どんどん少なくなっていくのだろうな、と思う。
ほかにもここに書きたいような話をたくさんしたのだが、ようやく彼にお暇を告げて外に出る。飯田橋の街に雨風が一層激しくなっていた。
2007 10 29 [日記・コラム・つぶやき] | 固定リンク | コメント (2) | トラックバック
June 25, 2007
水の呪縛-----渋谷シエスパの爆発事故
円山町の「ユーロスペース」のカフェに、映画上演前の時間、しばらく座っていたことがあった。カウンターに、パンフレットがいくつか置いてあって、その一つを手に取ると、「シエスパ」というスパのものだった。「渋谷にスパか。へー」と興味を持って見始めた。パンフレットの写真がそれなりに豪華であり、なかなか興味深いものだったからだ。が、女性専用だという。「なんだ。」それを知った途端に興味がなくなり、それっきりそのことは忘れていた。
今回の事件で、最初てっきりユーロスペースも爆風を受けたのではないかと思った。ユーロスペースとシエスパが至近距離なのを記憶していたからだ。実際、後で調べたところでは、シエスパの本館とユーロスペースとは100mくらいの距離だった。もっとも今回悲劇が起きたのは、従業員用の別館だったので、実際の距離はもう少し離れている。住所もシエスパは円山町ではなく、松濤だった。自分と微かにニアミスした事故現場・・ということだけだったら、それもよくある話だったのだろうが、私の心に引っかかるものがもう一つあった。
ここで話はいささか飛躍するが、1997年に起きた猟奇的と言ってもいいあの事件、「東電OL殺人事件」と呼ばれた殺人事件に飛ぶ。事件のルポであるノンフィクション、佐野眞一「東電OL殺人事件」には渋谷の円山町に関して次のような記述がある。いま手元に本がないので、ネットの情報参照と記憶に頼るが、それは次のような話である。
渋谷の花町、円山町を興したのは 岐阜県荘川村に昭和35年に完成した御母衣ダム工事に伴って水没した村の人たち、通称「岐阜グループ」とい呼ばれる人々であった。彼らは莫大な補償金を手に円山町にやってきて、経営が傾きかけていた料亭などからこの辺りの土地を買占め、連れ込み旅館やラブホテル次々と建設していった。岐阜グループは春秋会という組織を作って、年中集まりを持つなど、結束が固い。この辺りのホテルに「白川」など川の名前が多いのは水没した村のことを忘れないように、という彼らの気持ちの表れであるとか。 ここからは因縁話めくのだが、御母衣ダムの建設主体は東京電力。そしてその東電に勤めていたのが殺された女性であり、直接、御母衣ダムの建設にはタッチしなかったが、彼女の父親もまた、東電に勤めていた。
佐野は、彼女が円山町に通ったのは、「彼女を吸引する強い磁力のようなもの」がこの街にあったとし、
「そして彼女は、湖に沈んだ奥飛騨の村のように、この街の底に水没していった。」
と結んでいる。
佐野の話は、「水」と「円山町」そして東京電力の因縁を軸にこの事件を総括していこうというところがあり、正直強引さにどうなんだろうという気もした。この事件のミステリアスな部分を、言うに言えない因縁の話としても処理しようとしているのではないか。だが確かに、そうでもしなければ理解のできない暗闇が被害者の女性の奇異な行動に感じられたのではあるが。
さらにここで渋谷という町の歴史と由来にも通じてくるものがある。
渋谷は元々入江であり、また渋谷川は今では渋谷駅付近で暗渠になっているが、以前は神宮内苑の池や新宿御苑の池、代々木上原や参宮橋など、いくつもの支流や泉の水を集めて流れていた。
渋谷という地名は、江戸時代に作成された文献により二説に分かれる。ひとつは、『新編武蔵風土記稿』によるもので、昔、この辺りを「塩谷の里」と呼称したことに由来するという説である。その根拠は、土中を掘ると青い砂や、貝が出土するなど、昔この辺りが海辺であったことである。そこから塩谷の名が生まれ、その後塩谷が渋谷に変わったとされている。
もうひとつは、『金王八満神社社記』にみえる河崎重家の改姓に由来する伝承である。桓武天皇の孫高望王の子孫で秩父党の一人である河崎冠者基家は、永承6 (1051)年、前九年の役に源頼義に従って功をたて武蔵国豊島郡谷盛庄を与えられた。基家の子重家が源義家に従って京都にいたときのある夜、宮中に盗賊が入り、これを生け捕りにした。賊の名を聞くと、渋谷権介盛国と答えたので、堀川天皇は重家の武勇をほめて、姓を渋谷と改めたため、重家の領地「谷盛庄」のなかに「渋谷」という村が出来たといわれる。
実際、佐野の本を読んでから、道玄坂を上りきったところに立って、109前のスクランブル交差点の方向を見下ろすたびに、交差点を行きかう若者の群れが僕には、イメージの谷底を泳ぎわたる小さな魚の群れに見えることがある。実際、あのスクランブル交差点のあたりは渋谷の谷の中でも低くなっているところ。宮増坂、道玄坂、そして桜ヶ丘のいずれの方向からも見下ろせる低い窪みにあたる。
話を戻す。
今回のシエスパ事件の原因は、関東ガス田と呼ばれる広大なメタンガス層からのガスの流出を、リスクとして配慮しなかった関連企業の人為的なミスであると、今のところ報じられている。「東電OL事件」で、渋谷という町と水との関わりを、過度に水を軸とした物語に昇華させて衝撃的な事件に重ねたのが佐野眞一であるとすれば、ここでもう一度シエスパの事件を引き出して因縁に重ねるに類した私の行為もまた、遙かにこじつけめいているかもしれないが、佐野の本に描かれた渋谷の伝奇的な描写がどうしても頭の中で重なってくるのである。それはあるイメージの連携のようなものであり、それ以上説明は難しい。
そもそも、1500mも掘ればいたるところで温泉と、それに伴うメタンガス層にぶちあたるのが、東京においても通常のことであるという。であれば、ここで何もことさら渋谷と水の因縁を持ち出すことも無理があるだろう。
だが、目に見えぬ地中の暗渠に広がる、メタンガスの巨大なリスクを見過ごした「ユニマットビューティーアンドスパ」の経営者は、そしてユニマットグループは、渋谷という街の地下に広がる暗のような水の空間と水にとりつかれた過去について、思いをしたことは、おそらくなかったのではないか。街の因縁を知ることが、そこで営む人の行動様式に影響を与えることは容易に想像しうる。渋谷の「水」について、そして「地下の水」にとりつくように、まとわりついている「メタンガス」を無視したことが惨事につながった、と考えていくことは、あながち意味のない行為にも思えないのである。
2007 06 25 [日記・コラム・つぶやき] | 固定リンク | コメント (1) | トラックバック
May 19, 2007
世界の再構築を「3番目のもの」に関して考える
綴っていく立場、語っていく立場というものがある。語らなければならない立場というものもある。ここで、なぜ「なければならない」のかについて考えると、そこに至った内的な、あるいは外的な要因は必ずある。批判に対する反論、攻撃に対する防衛、反撃。釈明。あるいは外的なことではなく、自らの内的な要請に基づく他。
対して、この者に対して、継続して批判していく立場もある。
これらは両輪である。論は批判を経てこそ昇華される。論は批判されてこそ、その先を目指す。一方、批判は起点となる言論があってこそ成立する。声をあげるものがなければ、批判という行為は存在しない。そういう意味で批判は批判対象に依存し、論者も批判者に依存している。一方批判は批判として流通されたその段階から、今度は「言論」としての責務を負うことになる。新たな批判者の登場を招く。役割はダイナミックに変動し、スタティックではない。
このサーキュレーションをひとたび頭に描けば、1つの論を論じることも、批判を行うことも、同じくらいに意味があり、同じくらいに無意味である。世界のサーキュレーションの一部として消費されるという諦念がないのであれば、だ。それはSLで雲の高さまで舞い上がり、地上のアバターたちの銃撃戦をつぶやいて批判する、「私の孤独」と同じくらいに、意味がない。
どうやっても、あなたに神の視線は与えられないのだ。当たり前のことなのだが、そういうことだ。
つまり、反する側は反すればよいし、語るべき側は、粛々と語っていけばいい。世界はそれで「なるように」なっていく。こう言うと、いかにも日和見な印象だが、全体世界の構成はそれによってこそ再構築されていくのであり、その蓄積にしかない。そのことに今更気がつかないわけもない。
そういえば。昔の偉い人の言葉だと、「止揚(アウフヘーベン)」というのがあった。
渦中にあれば、「敵」と自らの言説に血をたぎらせながらも、つまりアタマに血が昇りながらも、どこかでこの世界の再構築の作業の一部になっていることを意識すべきだろう。
鈴木宗男事件に連座した佐藤優は、「獄中記」でそれを「愛」と表現した。敵に対する「愛」と彼が読み込んだのは、彼のキリスト教への神学者としてのアプローチである。彼はもちろん、ヘーゲルも隅々まで読み込んでいるのだが、「止揚」と「愛」に関する解釈を聞いてみたい気がする。
それはともかく、凡夫たる私はここで、「3番目のものたち」を意識せざるを得ない。それは、あたかも私の大嫌いな納豆が、歯の間に挟まって腐臭を放っているかのごとき、存在である。「3番目のものたち」は、世界の再構築に、参加しない。というより、一見、益よりも害を及ぼすことしか頭にないと思われる者たちのことである。
彼らの興味は「オンリー破壊」であり「オンリー荒らし」であり、「オンリートラブル」であり、「オンリー自己愛」である。それら、歯の間に挟まっていることに人生を、存在をかけているような立場は、確かにある。稚拙で半端なロジックであなたをかく乱する。
私はそれでも考える。遠景から見れば、それらもまたこの世界を再構築していく過程に、何らかの寄与をしているのだろうか。それとも元々「本当に必要のない」ものなのだろうか、と。それらはおそらくゴルゴダの丘でイエスを挽きたてた兵士の中にはなく、もちろんイエス自体の中にもなかった。イエスから最後まで離れなかったのは、そして彼の悲惨な最期をどこまでも見届けたのは、ほとんどが女性だったそうだが、それらの女性の中にいるというわけでもない。
ではその時、それら「3番目の者たち」はどこに佇んでいたのだろうか。
類似の妄想は、映像でしか見たことのない、アウシュビッツに続く長い鉄路の風景にも思う。鉄路は延々と収容所に続く、ユダヤ人にとっては「死へのロード」だったわけだが、あの究極の世界の中で、「3番目の者たち」はどこに佇んでいたのだろうか。鉄路を取り巻く群衆の中にいたのだろうか、それともいなかったのだろうか。
こうして彼らの存在の不要を言いながら、一方でその存在に意味を見出そうとする私は、あるいはそうすることで、そこに自ら、何かの救いを求めようとしているのだろうか。その精神のマッピングがなかなか自分でも整理できない。
心を離れて一般化すれば、「止揚」される(であろう)世界の中で、あなたと私の立っている場所。彼と彼女の立っている場所。そして、それをとりまく「3番目のものたち」の場所に、何らかの意味づけをすることは可能なのだろうか。あるいは無意味なのだろうかと。
論者と批判者との間の、拭い去れない相互依存の関係を超えるものを、あるいはこの「非道な」3番目の者たちによって提示できるとすれば、彼らにも一定の「意味」がある。だが、そうでなければ、それは本当に意味のないものなのだ。
いったいどちらなのか、私には未だわからないでいる。
2007 05 19 [日記・コラム・つぶやき] | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック
March 15, 2007
桜開花予想で気象庁計算ミス。野暮な話ではある。
桜開花予想で見込み違い--原因は入力計算ミスだとか。桜の開花予想も、「電子的に」なされていたのだと、あらためて感心するとともに何とも妙な気分ではある。
気象庁は14日、桜(ソメイヨシノ)の第1回開花予想(7日)で、全国で最も早い開花を予想していた静岡市のほか、東京、高松市、松山市の計4地点について、計算ミスから、本来より3~9日早い予想日を発表してしまったとして謝罪し、訂正した。
そのうえで第2回開花予想を発表、56地点のうち40地点で第1回予想よりも1~6日遅れるとした。
第2回予想で、最も早く咲くと見られるのは静岡市、福岡市の21日で、平年よりそれぞれ7、5日早い。横浜市が22日、東京と名古屋市が23日と続き、平年より5~6日早いとしている。
(Yahooニュース 桜開花予想、気象庁が謝罪・訂正…静岡市は21日に)
それから、これは昨年の記事だけれど、ウェザーニュースと気象庁の開花予想の出し方の違い。熾烈な戦いが繰り広げられているそうだ。
桜の開花予想は55年間気象庁だけが行っていたのだけれど、2002年からウェザーニューズが参入。以来、熾烈な予想合戦が繰り広げられているのだ。東京 の開花予想では、一昨年、ウェザーニューズが実際の開花日と比べて4日差で2日差の気象庁に軍配が上がり、昨年は同じ日を予想(開花日と1日差)。しかし 全国的に見ると、ウェザーニューズの的中率のほうが高かったそう。
気象庁の開花宣言は、東京では靖國神社にあることで有名な「標準木」を基準としている。「標準木」は各気象台の敷地内やその付近に全国で89カ所あり、開 花予想もこの「標準木」を対象としているのだ。一方、ウェザーニューズは各都道府県で1カ所ずつ選んだ桜の名所を対象に予想。これに加え、全国約1000 地点のデータを組み合わせて精度を高めているのだとか。(narinari.com)
ふーん。標準木のところだけ読むと、ずいぶん風流なやり方で決めているように見えるんだけれど、要は89ケ所の標準木の開花状況をコンピュータに入力し、計算して開花時期を予想すると。その標準木関連のデータが入力ミスになったのだろう。
開花予想が狂って、商売に影響している人達もだいぶいるようだけれど、本来咲くべき時期がいつかなどということは、それこそ「桜の勝手。」待っていればい つか咲くものを、あらかじめ予想して当たった外れたと。いやこれもよく考えてみると、せわしいというか「風流でない」話である。
ところでウェザーニュースと言えば、ピンポイント予報で、イベント屋時代によくお世話になった。急に降ってきた雨で台無しになる大道具とか、セットとかあ るから、人間が濡れるというだけでは済まない大惨事になることがあるので、保険をかけるわけだ。ピンポイント予報は結構高いんだけれど、確度も非常に高いのでよく利用した。一度、確かつく ばで大太鼓の引き回しのイベントをやっていて、ウェザーニュースから1時間後に雨が降ると「速報」が入って、あわてて中止。ぴったり1時間後に降り始めて 驚いたことがあった。高いだけのことはあると感激したものだ。
どうも桜の開花予想も、このところウェザーニュースが押し気味の様子。
2007 03 15 [日記・コラム・つぶやき] | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック
March 10, 2007
更新
更新しました。
「携帯電話の番号登録機能が使える銀行員は50%」という怪説は本当か。トンデモか。(CNET Japan IT's Big Bang!!)
2007 03 10 [日記・コラム・つぶやき] | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック
デジタルカメラへの長い道のりをぐだぐだと。
今日はあまり書かなかったカメラの話。
大学を出て最初に就いた職種がスタジオマンという僕は、スタジオでアシスタントをしながら、ブツ撮りの技術を徹底して教え込まれた。当時のスタジオマン、それも新米の仕事はどんなことかというと、まずは掃除とブツ(撮影物)の運び込み、セッティングと磨き。セットの解体と組み立て。後片付けと掃除。となっていて、ライティングや露出、フィルムの詰め替えなどという「高等技術」に手を出させてもらうには、ざっと1年近くはかかる。それまでは、カメラの近くに寄ることも許されない。
数々のドジを乗り超えてようやく、カメラマンの視線で、カメラの横から被写体を見ることを許される。この時点までで、僕のいたスタジオはブツ撮りが多かったけれど、たまには広告写真でヌードなどというのもある。そうした場合にはチーフ以外は外に出るのが決まりなのだが、「血気盛ん」な年頃でも不思議と、それでどうこういうことはない。もはや連日の疲労と寝不足で、浮ついた気持ちになる余裕もないのである。淡々と本番時には外に出て、撮影が終わるのを待つ。終わった合図が来ると、粛々と中に入って後片付けをする。
こうやって書くと淡々としているが、朝入社して午前中スリッパ磨きをさせられた新人が昼休みにそのまま逃げ出したり、昼飯はいつも歩きながら食べたり、毎日1足の「軍足」を履きつぶして、経費で落ちないことを愚痴ったり。まあ、一言で言えば最悪の職場環境。
だが、さすがにそうした生活を1年近くもすると、ポラを見ただけで(ああこの懐かしい響き!)絞り1/4くらいの精度で適正露出からの差がわかるようになる。職人の卵の出来上がりである。ポラを黙ってカメラマンから渡されて、「プラス1/2です」などと答え、そのまま採用してもらえるようになれば、「スタジオマンとして」1人前である。
もちろん、それが一流のカメラマンに少しでも近づいたということではない。言うまでもないことだが、いい写真ということと、露出が適正に判断できるということとは違う。
その後、独立して何台もカメラを持った。小学校の頃に買ってもらったOLYMPUS PEN、初めての一眼レフであるPENTAX SP、PENTAX67、そしてCONTAXの何台か。MAMIYAの大判カメラ・・・しかし、カメラマンをやめてから何年かの間に次々と手放したり、金が無くて売ってしまったり、流してしまったり。CONTAXもいつか生産中止となった。
この時点では、写真を撮ること自体が何か精神的な負担になっていたこともある。やがてカメラを持たなくなった。(経緯は今は略。)
カメラがデジタル時代になったとき、あの苦労は何だったのかと、様々な分野で多くの人が味わうのと同じ思いを持った。コンパクトカメラはさすがにデジタルを使ったが、どうしてもデジタル一眼を使う気にはなれなかった。
パソコンはすんなり乗っかったくせに、どうしてもデジタルカメラには、アイデンティティが重ねられない。JPEGがどうとか、PCでは当たり前の用語が、カメラで使われると、途端に嫌になる。
その「呪縛」が今年、ふとしたきっかけで、すとんと落ちた。久しぶりにカメラを見に行き、カタログを読みあさったのだが、デジタルも悪くないとようやく思えるようになってきた。良く見ればすごいじゃないか。最近のデジタルカメラ。1000万画素で10万以下で買えるんだね?この境地にたどり着くまでに何年だろう。
ただ、詳しい知人に聞くと、レンズの個性が銀塩カメラよりも出にくいのだという。切れ味はあるけれど、難すぎるニッコール、甘いけれどボケ味があるプラナー、そして何と言っても憧れのズミクロンなどなど。レンズのブランドで好き嫌いを言い争った時代は終わったようだ。むしろ、手ぶれ防止機能や、連続撮影機能など、別の観点の価値評価が主流なのだそうだ。
ライカもデジタルを出していると聞いて、調べたら、松下へののOEMだった。sそもそもパナソニックのライカカメラってどうよ。
新顔としては、SONYなどがデジタルカメラを出しているわけであるが、世界のSONYといえども、何だかSONYのカメラというのはいただけない。ぴんと来ない。本来はビデオカメラだろ。1コマ撮に機能を落として、カメラでございとやられているようだ。
そういうわけで、久々にデジタルの一眼を持ってみたいと思っているのだが、やはりこう書いてみるとこの長い長い逡巡は全く表現できていない。できていないのだが、これ以上書いても他人には退屈なだけなので、このあたりにすることにする。
2007 03 10 [日記・コラム・つぶやき] | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック
March 03, 2007
僕が「意志を持った悲観主義者」でありたいと思う理由。
■悲観主義とオプティミズム(My Life Between Silicon Valley and Japan)
アランの「定義集」には少々関心を持ったが。
間違いなく僕は悲観主義者・ペシミストであるだろうと思う。物事の未来を、楽観的には考えない。まず最悪の状態を思い描き、心のレベルをずんと落とす。落とすところまで落とした薄暗い井戸の底に降りて、密かに心の中で線を引き、時には陽光の差す上方を見上げる。
自分が落とすところまで落としてしまったその線よりも、多くの場合、現実はほんの少し浮上した場所を流れていく。少しましであることが多いと言ってもいい。心象よりもほんの少し浮上した現実を流れていく未来を、僕は線の場所から眺めて、「予想よりも遥かに良かった」展開に安堵し、散々嘆いて絶望を口にする周囲に向かって、言う。
「ほら。大したことはなかったではないか。」と。
あるいは、またしても僕の過去が、この線を引かざるを得ない人格を育てたかも知れず、そうして時を過ごしてきたのかもしれないし、そうすることで心のバランスを保ってきたとも言えるだろうし、それは不可避であったとも思える。
それに対して、手の届かないような眩い上方に線を引き、楽観的な未来に目を眩ませながらも歩いていくような人を、僕は「オプティミスト」と呼ぶのだが、僕はこういう人たちを羨むことはあったけれど、その危うさもどうしても見過ごすことはできない。
彼らは手の届かないような「楽観的な」未来を描いたかと思うと、姿を現し始めた未来が、いささかでもそれに足りないと、身も世も終わりであるかのように嘆いてみせる。いわく、自分が馬鹿だ、いわく、周囲が馬鹿だ。それでもその呪詛や愚痴すら、どこか無用心に明るい場合が多く、時には笑ってしまうようなこともあるのだが、座り込んでひとしきり大声で愚痴を言い終わったかと思うと、いつの間にか立ち上がって、また新しい場所に向かって歩き始めている。
それが僕にとっての「オプティミスト」のイメージである。
オプティミズムとは、まったくもって「意志」の問題なのである。死や病を免れ得ない人間にとって、悲観主義こそ「自然」で「生来」なものなのであって、オプティミズムとはそれを超えていく意志のことなのである。「これから直面する難題を創造的に解決する」ためには、我々一人ひとりがオプティミズムという「意志」を持つことがどうしても必要不可欠なのだ、ということを、僕はいまも相変わらず言い続けたいのである。(同上)
いや、そうではなく。僕にとっては、ペシミズムこそが「意志」なのである。僕が遥か下方に引いた線は、僕自身の「意志」であり、上方に対して視線を保持するための、言わば兵站のようなものであるからだ。僕の視線からは、ふらふらと太陽に向かって無用心な歩を進めていく、あなた方のほうが、遥かに本能的であるかのように思えるのだ。その本能的な、そして迂闊な(僕にとっての)歩みは、僕には生来備わっていないものである。
「経営者はオプティミストでなければならない」というのは、ここ十年(あるいはもっと昔から)小賢しいベンチャーキャピタリストの常套句ではあり、この性格のために、ずいぶんと肩身が狭い思いもしたように思うが、それもどこか違うと今は確信的に思っている。シリコンバレーのリッチマン達が描いた底抜けな未来のビジョンの傍らで、ブッシュはイラクに進んだのだから。ブッシュはその文脈の中で、徹底的に「馬鹿なオプティミスト」ではなかったか。
そそもそ、何といわれても、この年になれば、生来の性質はせいぜいサブルーチンを一つか二つ追加するくらいしかできないのである。メインルーチンを書き直す時間的な余裕もないのである。ならば生来の「ペシミスト」たる僕は、オプティミストの無謀で滑稽な楽観主義に、やれやれと肩をすくめながらも、彼らの歩む道の危うさには勤めて自覚的であろうと思う。自分は「意志を持ったペシミスト」でありたいと願うのである。(最近の出来事に接してもまさしく自分はこの原則で動いているなあと今思った)
しかし、梅田さんのこのエントリーに大量についているぶくまの殆どが、彼の
「死や病を免れ得ない人間にとって、悲観主義こそ「自然」で「生来」なものなのであって、オプティミズムとはそれを超えていく意志のことなのである」
という一節に感じ入って、揃って右に倣えとリピートしているのを見ると、みんなシンプルに若くて、オプティミスティックでいいねえと素直に思う。いや、これは皮肉ではない。(多分)
2007 03 03 [日記・コラム・つぶやき] | 固定リンク | コメント (6) | トラックバック
February 15, 2007
サプライズのチョコレート
バレンタインデーから日が変わってしまったけれど、「サプライズなチョコレート」ってもらったことがない。いや、チョコレートをもらったことがないと言っているんじゃないよ。誤解するな。曲解するな。「サプライズなチョコレート」だ。
義理チョコであれ、本命チョコであれ、友チョコであれ、昨今流行のの自分チョコであれ、あれ殆ど「予定調和のチョコレート」でしょ。
ほとんどのの義理チョコは、然るべき人から来る。
ほとんどの本命チョコも、然るべき人から来る。
他は略。
そうじゃなくて。思いもかけない人からチョコレートが来る。こちらも驚く。相手もガチガチに緊張している。こちらも持つ手が震える・・・・なーんていうの を「サプライズのチョコレート」という。(BigBang用語)幸福なごく一部の人が遭遇することが出来る至福のチョコレートであり、その永劫の魅力の前 には、そのチョコレートが手作りであるか、モロゾフであるかなどということはどうでもいいことである。・・・こうしたチョコレートに出会うことが出来るの は、ごく一部の幸福な男だけであり、ごく一部の勇気ある女子だけである。違いますか?違う?そうですか?自分らのわけー時には、あんまりメジャーじゃな かったからなあ。バレンタインなんて。へっ。
こういう「サプライズのチョコレート」が渡されている場面。ドラマや映画ではよく見るけれど、実際にはついぞいただいたことがない。またそういうものをもらっている友人も見たことが無い。
彼女からもらうとか言うのは駄目だぞ。その人が彼女である時点で、次のバレンタインには、おそらくその人からチョコレートが来るであろうというのが、予測 されている。これは予定調和のチョコレートであって、サプライズのチョコレートではない。(来ないサプライズがある?それはいまは置いておく)
たぶんあの子から来るぞなんて言うのも駄目だぞ。予想がついた時点で、その子のチョコは、予定調和のチョコレートへと変貌している。もう取り返しがつかないのだ。飛び出すな。チョコは元へは戻らない。人生はつらく過酷である。
どうですか。サプライズのチョコレート、もらったことありますか?皆さん。
もしもチョコレートをもらうとすれば、気配も見せず、前振りも見せず、まだ見ぬ人から唐突に人生の時間の平穏を打ち破って、降りてくるチョコレートがい
い。
そうしたサプライズのチョコレートには恵まれなかったけれど、何だかんだ言いながら僕はチョコレートが嫌いではな
い。
バレンタインデーの前にこういう記事を書くと、このブログを読んでいるリアルの知人に対して、いかにも催促をしているように思われるので、バレンタインが過ぎた夜中にそっとこういうことを書く。嗚呼手遅れの美学。これが奥ゆかしさというものである。である。
聖バレンタインデー。
あなたにはサプライズのチョコレートが来ましたか? いや、この際それが、正しくチョコレートであるかどうかすら、どうでもいいことなのだけれど。もっと大事なことがあるというお話。
2007 02 15 [日記・コラム・つぶやき] | 固定リンク | コメント (8) | トラックバック
February 08, 2007
3人の物語
1日忙しくてパソコンを見ることも出来なかった。夕方になって、ようやく車を止めて、携帯でブログを読んでいた。夕べから今日にかけて、ずいぶんなことになっているなあと溜息をついたときに、電話が入った。
見慣れない番号。出てみると、か細い声の女性の声。
「あの・・・・XXX社長さんでしょうか?」
「はい?・・そうですが」
「私、Eの母親です」
E。
3年ほど前に、僕の会社で働いていた。プログラマーになるべく、頑張っていたが、ちょっとしたことで人間関係に問題が起き、退職した。胸騒ぎがする。
「こういうことをお聞きするのは心苦しいんですが、Eと親しかった・・Sさんの連絡先をご存じないでしょうか?」
Sも、僕の会社で働いていた。Eを僕の会社に連れてきたプログラマーだ。Eは彼の親友だった。というか、親友以上で、彼らは僕の会社に来る前から、もう1人の友人と3人で小さな会社を作っていた。会社を作ったときには、3人ともまだ学生だった。会社と言っても3人のサークルのようなものだ。売上はほとんどなかったが、売り上げよりも夢というか、得体の知れない「明日」みたいなものに引かれて集まっている3人だった。金銭的な成功を夢見ていたという月並みなものではなく、もっと文学サークルがITをたまたまやっているという様子の集団だった。
2人が僕の会社に来てからも、この小さな集団はそのまま存続していた。プログラマーとして優秀だったSは、早くに結婚して幼い子供がいたが、EはSの子を自分の子供のように可愛がっていた。九州の実家に帰っても、Sの子供に会いたくてすぐに東京へ戻ってくるほどだった。
だが、ちょっとしたことで、彼らの関係は崩れた。SとEの間に亀裂が生まれたのだ。プログラマーとして先行していたSは、友人ではあるがアシスタントをしていたEの飲み込みの悪さに、時に激しくEを面前で罵った。Eは笑って流していたのだが、蓄積したのだろう。我が強く、自意識が激しく攻撃的だったSは、他の2名の前に絶対君主のように君臨していた。それでいてそのエネルギーは、商売の方に向かうのではなかった。言わばそれは、行き先不明のエネルギーだった。Eはある時、突然退社してSとの連絡を一切絶った。Sは怒り狂ったが、どうにもならなかった。
Eが去ってからしばらくしてSも僕の会社を去り、僕と3人との縁は切れた。だから現在の連絡先といわれても、当時のメールアドレスくらいしか知らない。
「会社におられたのはずいぶん前のことですし・・・」
「どうしても、Sさんと連絡をつけたいんです・・勝手を申し上げて申し訳ないのですが」
「あの・・Eさんは・・」
もしかして、と言葉を詰まらせる僕に、母親は言った。
「Eは亡くなりました」
「え・・・・あの・・失礼ですが、ご病気か何かですか?」
「はい・・」
そのとき、僕の頭に「自殺」という2文字が突然ことんと降りた。
Eは、実際僕のところを去るときには、かなり精神が不安定になっていた。プログラマーが行方不明になったりすることは、この世界珍しいことではないが、Eは正確にはプログラマーではない。時に難解な数学を解くのが唯一の趣味といった具合で、親しい友人は、あの小集団の2人以外には僕は知らない。ただ、そんなEも、会社を退社してからしばらくして、女性と暮らし始めたという話を聞いたことがあった。あの女性の名前は・・・何だったろうか。
いや、自殺と決め付けるのはまだ早い。そんなことを考えていると、母親が続けた。
「荷物も、1週間くらい前に返ってきたばかりでして・・お友達にどんな人がいるかまるでっわかりませんで・・ただ、御社の名前と、SさんとXさん(と母親は3人組の最後の1人の名前を告げた)しか、わからなくて。」
でも、どちらにも連絡がつかないのだという。荷物・・・。あるいは孤独に部屋の中で死んだか。
「S君のメールアドレスくらいしかわかりません・・それももう変わっているかもしれないし」
「・・・そうですか」
メールアドレスにはあまり母親は反応を示さない。メールで連絡をつけることに思いが及ばないのだろう。僕は、件の女性のことは、伏せておくことにした。実際、伝えようと思っても、彼女の名前も出てこないのだ。それにしても・・・と僕は、引っかかる点を口にした。
「あの・・S君たちに連絡をつけたいとおっしゃるのは・・E君が亡くなったことを連絡されようとしているのですよね?」
馬鹿みたいな質問だったが、母親が一瞬言葉を詰まらせる気配が伝わった。
「ええ・・そうですが・・Sさんにはお聞きしたいこともあって・・」
「・・わかりました。調べてみて、何かわかることがあったら、ご連絡します。お役に立てないかもしれませんが」
「・・・・・はい」
「あの・・何と言っていいのかわかりませんが、どうか・・どうか、お力を落とされませんよう・・」
「・・・ありがとうございます」
礼を言って、母親が電話を切った後、僕はすぐに昔の彼らの会社のサイトに、ノートパソコンからアクセスした。サイトは表示されている。ということは、彼らのドメインもWebサーバも生きているということだから、ドメインのメールも生きている可能性が高い。Sの携帯電話の番号ももうわからなくなっているのだ。
僕は、S宛に、Eが亡くなったこと、母親がSに連絡をとりたがっているから、電話してほしいという短いメールを書いて、パソコンから顔をあげた。車の窓からコンビニが見える。若いカップルが袋を抱えて出て行く。彼らを照らす青白い光の中で、Sと訪ねたEの部屋を思い出す。
部屋には誰もいなくて、ずいぶんと散らかっていた。Eが帰ってきている様子はあったが、生活感というのとは遠い、荒廃した雰囲気が立ち込めていた。
彼らの小集団の物語が終わったんだと思った。僕に比べてずいぶん年の若い3人だった。いや、小集団どころか、Eという一人の人物の命も終わってしまった。母親の電話があった瞬間に、僕はEが亡くなったのではないかと思ったのだ。なぜかそう思わせるような、命のか細さが、Eにはあった。
「死ぬと終わるんだな」
と思った。人の物語は死ぬと終わる。つまり、人が生きている限りは物語は続く、終わらないということだ。昨日から今日にかけて見ていたネットの風景に重ねて僕はそんなことを思った。そんなに簡単に終わりはやってこないんだよ。
無駄かもしれないとわかっていても、それが本当に無駄なことかどうかは、そもそもいつわかるんだろうか。おそらく、人が、そして自分が生きている限りはあらゆるその人の物語が続くんだろう。それに結論が出るとすれば、その命が途絶えたときだ。命が途絶えたときに初めて人の物語は終わる。途中で何かの結論が出たように見えても、あるいは頓挫したように見えても、それは言わば途中でしかない。だから、無駄であるとわかっても、生きている限りは、足を前に出すんだろうな、とぼんやりと思った。無駄であっても、足は前に出すしかない。あきらめるのは、もう足が動かせなくなった時でいいではないか、とも思う。引きずるように重くても、それでも足は前に出していかなければならない。いつかその足は止まるのだから。あなたも、僕も。
Sからはまだメールの返事がない。
【2/11 追記】
この記事を書いた翌日、Sからメールに返事があった。とても驚いたこと、知らせてもらってありがたかったこと、お母さんにも連絡が取れたということが短めに記されていた。とても参っていることも。
2007 02 08 [日記・コラム・つぶやき] | 固定リンク | コメント (13) | トラックバック
February 03, 2007
はてながメンテだと
影響大きいねえ。ココログメンテなんかよりも、応える。ほとんどの御馴染みのブログが見られないというのは、すがすがしいほどだ。(?) コメントもぶくまも読めないし。僕はmixiもあまりやらないし、結構はてな依存率の高い生活だなあ。とこういうときにわかりますね。
なーんて言う「戯言」を、ぽそっと書くのはやっぱり「はてな」なんだよね。ココログじゃなくて。
2007 02 03 [日記・コラム・つぶやき] | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック
January 29, 2007
新宿シティハーフマラソンに出たぞ
新宿区民の皆さんの交通に多大なる影響を与えてすみません。横断歩道至るところで止めちゃったけど何か?やくざさんも怒ってました・・よ。知りません。
・・・の新宿シティハーフマラソンに、何と実は私も出場しました。
4,000名余りの出場者の中、スポンサーのうちの1社である、丸正さんの店前を通過すること3回。四谷三丁目と通い親しんだ国立競技場との距離って、こういう感じなのかと感慨を持つこと3回。給水所に来るたびに足を止めて水を飲みまくる素人は誰だよの視線にさらされること、およそ6回。
1時間くらいしか走ったことのない私にとっては、生まれて初めての長い長い道のりであったのですが、10Km近くまでは大変に好調。ところが14-15Kmあたりで、膝の痛みに襲われて、運命の東京国際・高橋尚子並の(嘘)大ペースダウン。いやもちろん遥かにひでー。
何とか競技場までたどり着きましたが、20.5Km付近で惜しくも制限時間に・・(以下略)あと500mじゃん、ゴールさせてくれよ、ケチ!
このままじゃあ引き下がれねーよなあ。
という「年何とかの何とか」な一日でした。
「ブロガーの皆さんも、パソコンの前ばかりにかじりついていないで、たまには外に出て遊ぶんだぞ!」(偉そう)
あーあ。じぐじょう。
2007 01 29 [日記・コラム・つぶやき] | 固定リンク | コメント (2) | トラックバック
January 18, 2007
不二家の「ペコちゃん焼」についての、ちょっと風変わりな話
その頃のガールフレンドとは、よく高田馬場から新宿まで歩いた。ビッグボックスの横を通って、線路の下をくぐり、山手線の線路と付かず離れず、ずんずんと歩く。今だったら考えられないが、時間もあったし、体力もあった。何より、ずんずんと大学の帰りに歩くのが気に入っていたのだ。僕が、というより彼女がね。
で、ある日のこと。
いつものように山手線の下をくぐると、僕たちの前から歩いてきた、見知らぬ男。どちらかというと立派な身なりとは言えない彼が、「これあげる」と言うなり、すれ違いざまに茶色の紙袋を僕に押しつけた。
驚いて振り返ると、もう男はどんどん歩いていってしまっていた。
恐る恐る彼女と2人でその温かい茶色の紙袋を覗き込んだ。
「・・・・・・・・ペコちゃん?」
と彼女が言った。紙袋の中には、ほかほかのペコちゃん焼が3つばかり入っていた。ぺこちゃん焼きというものがあることを、僕たちは2人とも知らず、初めて実物を見たのだ。つまり見たこともない、ペコちゃんの顔が象られたお菓子としか見えない。
「なに?これ?・・・・・・」
「くれたんじゃない?」と僕。
「・・・・・どうしよう?」
その頃、確か道端に置いてあったコーラを飲んだ若者が死んだだか、病院に担ぎ込まれただかという事件が報道されたばかりで、僕たちはすぐにそれを思い出した。
「食べるわけにはいかないよね・・・やっぱり、これ。」
「そうだよね。怖いよなあ。」
で、僕たちはしばらく迷った挙句、勿体無いけれど、そのペコちゃん焼きを捨てることにした。そもそも、なぜ通りすがりの学生カップルに、ペコちゃん焼をあげなければならない?余ったのか?なぜ??自分が買って食べるつもりが、飽きたか多すぎた?3つも?
つまり総合的に考えてかなり怪しいペコちゃん焼きであったので(しかも見るのが始めてのペコちゃん焼はそのまま結構不気味であった)僕たちがそのまま、「いただきます」を避けたのは当然だったと思う。
僕たちは、そのペコちゃん焼をそっと路上に置いて・・・(いや、もうちょっとましな処理の方法もあったと思うけれど、とにかく逃げたかったんだな。この厄介なものから)立ち去ってしまった。
それでも、その後、そのペコちゃん焼を拾った誰かが食べてしまい、新聞に載るような「惨事」が起きなかったか、あるいは気の毒な犬がそれを食べて・・。僕たちはその日と翌日の新聞を隅から隅まで読んだ。どきどきしていたわけだ。自分たちのせいで、誰かがひどいことになったらどうしようとか思ったわけだが、何も起きなかった。
もしかしたら、あの男は純粋な親切心で、ちょっとばかり買いすぎたペコちゃん焼を、貧乏そうな学生男女にくれただけだったかもしれないと、今になったら思うけれど、まあそれでも食べるのは無理な状況だった。
あのとき食べ損なったペコちゃん焼を、もう一度食べるチャンスは来なかったのだが、この菓子が、不二家の神楽坂店でのみ売られていることを、今回初めて知った。
不二家の食品工場で作られているものではないため、この店ではしばらく販売を続けていたらしいが、ついに中止のやむなきに至ったらしい。
不二家飯田橋神楽坂店オリジナル商品のペコちゃん焼の販売を一時中止します
当店で製造販売している「ペコちゃん焼」は、飯田橋神楽坂店のオリジナル商品として、本社の原材料は一切使用せず、店内で製造販売してまいりましたが、不二家本体が社会的問題を引き起こした上は、不二家傘下のわたしたちの「ペコちゃん焼」も、製造販売を本日2007年1月15日より自粛することに決定しました。
何だか気の毒な気はする。
そういえば、僕は雪印の仕事を担当していたことがあって、あの雪印の惨事があったときに、こういうエントリーを書いたことがあった。ある種の「禍々しさ」についての、とりとめもない話であるが、ここでもペコちゃん焼にその禍々しさがあったなどと、因縁めいたことは言わない。言わないけれど、僕にとってはちょっと風変わりな思い出で、そして、何だかいろんな意味で、ちょっと印象深い菓子なのである。
それだけの話。
【加筆 1/26】
ここで作ったペコちゃん焼の画像追加。
2007 01 18 [日記・コラム・つぶやき] | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック
January 02, 2007
新年おめでとうございます
あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。
#今年最初のエントリーは「AnotherB」で書きました。
■ジャーナリストとブロガーは、本当に対極にあるのか
2007 01 02 [日記・コラム・つぶやき] | 固定リンク | コメント (8) | トラックバック
December 31, 2006
年末にあたって----また矮小な時を積み重ねて
(このエントリーは年末ということで異例ですが、「BigBang」「AnotherB」両ブログにアップします)
正真正銘の年末である。にも関わらず、何か総括的なエントリーを書く気分になれないでいた。あまりにもいろんなことを解決しないで、来年に持ち越してしまいそうな気がする。私的な面でも、仕事の面でも。
こういうときには、日々は淡々と粛々と、テンションを変えずに続いていって欲しい。年の終わりだとか始まりだとか「メリハリ」もつけず、「ハレ」も挟まず、ただ粛々と昨日と同じ日々が流れるだけでいい。その流れの中で解決していきたいこと、けりをつけていきたいことが多すぎる。などと述懐するといかにもワタシらしい暗い展開であるが。
そんな中にあって、フセイン大統領が電撃的に死刑執行されたというニュースが、大晦日の朝刊を大きく飾った。最後には死刑は免れないだろうと思って見ていたが、これほど早いとは思わなかった。まだ裁判に数年要するだろう、聞き出すべき情報もまだあるのだろうと漠然と思っていた。
数々の未決事項の中で、1982年にイラク中部ドジャイルでイスラム教シーア派住民を虐殺した人道に対する罪のみが問われ、死刑判決から4日間でのスピード執行である。
銃殺刑を主張した本人の意に反して実行された絞首刑の模様は、全世界に送られ、インターネットには彼の体が執行台の奈落に落ちていく瞬間の映像までが配信されている。
しかし「人道に対する罪」とはなんだろうか。国際法から、米国主導で都合のいい部分を切り貼りして維持された裁判であったと言われたが、一体どこからが「人道に対する行為」で、どこまでが「人道的」なのだろうか。何人以上殺したら人道に対する罪なのだろうか?それとも殺し方が残虐であるかどうかで区別するのだろうか?敗者に人道が問われるのに、なぜ勝者には人道が問われないのだろうか?
問いかけてもその答が今の世界にはないことを僕たちは知っている。いや本当は世界はその答を知っているのかもしれないが、あなたや私の前で口にすることはないと言ったほうがいいだろうか。
奈落に落ちていくサダム・フセインの最後の姿を見送り、ただ彼が、とてつもない極悪人であったのだ、これでよかったのだと思い込むことで、たった今目の前に届けられた残虐行為をスルーして、世界の大半は納得してそれでも新しい年へと向かおうとしている。
おそらく「普通の人生」をおくる私たちの大半には、彼のような絶頂と栄枯と転落、絶望を渾然としたような激しい運命は永久に訪れないのだろう。日々は鬱々と延々と続いていく。嫌というほどのエンドレスな繰り返し。
その中で生きる私たちは互いに、手を伸ばせば理解できるはずの、微妙な距離にありながらも、その微妙さに苛立ち、怒り、誤解し、攻撃してそれでも卑近な日常をまた生きていくのだろう。
しかし、それはきっとどこかで繋がっているのだと思う。無数の矮小な日常の中で起きるひとつひとつの些細な事象が、いつか互いに繋がって、互いにどこかで呼応しあって、とてつもない残虐ととてつもない慈愛の両方にいつか繋がっていくのだと。だから、ひとつひとつの日常のディテールを、しっかり大事にして行こうと。そこから生きていくしかない、それを自分のエネルギーにしていくしかないのではないか。
この小さく頼りない窓から見える風景を、見逃さないで目を逸らさずに、矮小に、また時を積み重ねて生きていくしかないのではないか、と。
#2007年には「グアンタナモ、僕たちが見た真実」という映画が公開される。ぜひ観に行きたいと思っている。
--------------------------------------------------------------------
最後に。
これで今年の「BigBang」「AnotherB」の両サイトの最終エントリーにしたいと思います。ブログを始めて2年半余。今年は「ブロガーとしての僕」(そういう言い方は好きではないが)にとっては、非常に大きな変化と、激震に遭遇した年でした。どこへ突き進んでいってしまうかわからない船のような、右へ左へ揺れ動く不安定な状態の中、読んでいる人を和ませることもおそらくほとんど出来なかったと思う。おそらく2つのブログの周りには、人を倦ませるような空気が満ちていたのではないかと思う。ネットの深さと恐ろしさも改めて知ることになった年でもあった。今年1年、こんなワタシに呆れながらも最後までつき合ってくれた皆様、どうもありがとう。来年は今年の厳しかった状況からのギフトを忘れないようにしながら、少しずつでも歩いていきたいと思います。
今年関わった全ての人たちが、幸福な年を迎えられることを。
そして今年通じ合えなかった人たちとは、通じ合える年になれることを。
来年もよろしくお願いします。
2006 12 31 [日記・コラム・つぶやき] | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック
November 23, 2006
赤いアルファロメオ
どかっとテーブルに置かれたド派手な大型の青いヴィトンの手帳を見たら、わっと思って、おーさすが業界だと思ったが、すぐに反射的に赤い車の映像が頭をよぎった。アルファロメオだ。
渋谷の桜丘の裏の裏のほう。昔一緒に仕事をしていた知り合いが転職した。しかも「その方面」の業界だというので、遊びに行った今日の夕方のことだ。「その手」というのは、・・・・・「その手」と言ってもわからないか。つまり「柔らかいビデオ」方面だ。「柔らかいほう」わかった?笑
業界独特の香りのようなものが会社中に立ちこめている。机の上には独身の男の子がお母さんに見つかったら大変なことになってしまいそうなDVDが乱雑に置かれているが、オフィス全体は妙な清涼感に包まれていて、地味とはいえない若い女の子も沢山働いている。香水の匂いがきつい。
この空気を「懐かしい」と思ったのは、20代の一時期、カメラマンの真似事をしていた時代に、自分がほんの少しだけその業界の空気を吸ったことがあるからだ。もちろんネットもない遠い昔だから、媒体は紙だった。当然ながら食えていなかったので、朝起きるとなんとなくその事務所に行って、一日仕事がなくてもそこのボスが食事だけは奢ってくれたので、暮らしていられた。
写真の仕事は「柔らかめのホテル」(笑)とか、撮ってくるもので、もちろん、ちゃんと事前に許可をとるんだが、客の手前があるので、ライターの女の子とペアを組んで、普通のカップルのようにしていくのだから、ちょっとドキドキしたものだ。とかじゃなくて凄くドキドキした。僕とよく組んでいた女の子のライターは、この間まで高校の国語教師をしていたと言っていた。最初の仕事は雪の日で、二人ともガチガチに緊張して押し黙って、写真を撮っていた。
それでも何件もそうした仕事をこなしているうちに、毒々しいラベルの写真に何があろうと、撮影した部屋のビデオにどんな映像が飛び出してこようと、驚かなくなった。粛々たる普通の仕事になっていったんだ。
不思議だったのは、その事務所のほとんどの社員が揃って赤の「アルファロメオ」に乗っていたことだ。それ以来僕にとってアルファロメオのイメージは「そうした業界のクルマ」になった。今目の前にどかっと置かれた青のヴィトンの手帳には、そのアルファロメオを久しぶりに思い出させる力があったのだ。なにか通じるものがあるのだろう。
知り合いは、4年ぶりに再会した僕を歓迎してくれて、まるでエイベックスみたいな別室へ通し、システム担当者を紹介してくれて、(彼が持ってきたのがヴィトン手帳だったんだが)その人と、しばらく最近のネット事情とか、彼らの仕事のこととか話をしたが、これは凄く面白かった。
その手の事務所としては、まあ「ちゃんとしている」というか大手である。刺激的ではあるが、目を背けるような抵抗感もない自分というのがいて、懐かしく思っている。そして何といってもネットの最先端は彼らの業界のものなのだ。Windowsサーバで展開しているライブチャットの苦労話とか、そして彼らの独自のビジネスモデル(これは書いちゃうと社名がわかっちゃうから書けない)の構築の話とか、そしてエンジニアがやはり不足している話、SQLサーバの話、まもなく登場するVISTAの話とか、はたまた女の子のマネージメントの苦労話など。
話の性格が性格だから、詳しく書けないのが残念だけれど、ああやっぱり今でもこの業界は、毎日がおもちゃ箱を引っくり返したみたいだ、変わらないなあと思った。蠢いている出演者達は、極彩色の孔雀のように、みんな派手で毒々しくとことんアヤシイのだけれど、とにかく途方もなくエネルギーに満ちていて、世の中のトレンドラインをゼロとすれば、常にそのラインから上のほうを見て、つんのめって仕事をしている。
一般のビジネスをしていると、そのゼロのラインの近辺で背伸びすると、「尖がりすぎている」などと言われて、知らず知らずに、そこよりもマイナス5ポイントか時には10ポイント差し引いたところで仕事をしてしまうことが多い。下がってしまうのね。
で、そのあまり気持ちの良くない状態に長い間のうちに慣らされてしまっている自分がいるわけだ。ところが、その手の業界だと、これはもうフルスロットルだ。
一歩でも他社に遅れることは死を意味する・・・という、ここのすさまじさというのは、ある意味IT業界以上であり、合法と非合法の際の部分で勝負している命知らずも沢山いる世界だから、その中で「安定して合法に勝っていく」ための、冷静な計算と知恵も必要になる。まあこのへんは、あまり肩入れしすぎるわけじゃないけれど、おおよそビジネスの基本が、ぐしゃっと変形されてはいるけれど、全部がおせち料理のように詰まっている世界なのだ。で、それは時にたまらなく魅力的である。
もちろん人間の欲望をナマで相手にする商売であるし、しかもその対象は多感な年頃の男女(苦笑)であるから、近い視点で見ればもちろんうざい部分は沢山あるのだが。
一緒に同行したS君が、たまたま転職先を探してる最中だったので、「あそこいいじゃん、入っちゃえば?」とけしかけたが、「来春結婚するんですよ僕。あそこに入ったなんて知れたら、ダメになっちゃいますよ」とオジけていた。いまどきそうかねえ?そうか?やっぱり?
僕は結局あの20代のころ、「その業界」を選ばなかった。それは体面とかそういうことではなく、何か「大事にしたい」(という言い方も変だが)人間にとって一番ディープな生理というか感応というか官能というか、そこを日常のビジネスとしてこなしていく自分の姿というのは、ちょっと詰まらないのではないか、きついなと思ったのが最大の原因である。
しかし21世紀の今、Web2.0なんぞと小ざかしい言葉が飛び交っている中で、彼らの作ろうとしているものは確実に、とっくの昔からその先を見ているわけでWeb3.0とかWeb4.0くらいぶっとばすぞみたいな勢いでやらないと、それこそ、はみ出してしまう。自分がその加速の中でどこかへ飛ばされてしまう。今あの業界に身を置いていたら、どんな人生が広がっていただろうか。今頃自分は何をしていただろうか。
そんなことを考えながら帰り道。
桜ヶ丘の坂道を降りながら、街灯を見上げたら、僕がついに選ばなかった赤のアルファロメオが、頭の中を全速力で駆け抜けていったのが見えたような気がしたのである。
2006 11 23 [日記・コラム・つぶやき] | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック
November 18, 2006
ジュンク堂で「アルファブロガー」をいつものように散策する
前から言おう言おうと思っていたんですが、僕はfinalvent氏のことを「おじき」と呼んだ記憶はありません。たしか「爺」とはどこかで言ったかもしれない。だがこれも変な話であって、ほとんど同世代なので(笑)ある意味とんでもない失礼な言い方である。ま、いいか知能年齢も精神年齢も負けているし、僕のほうが全般的に幼稚(?)だし。
#もうひとつ前から絶対に公共の場で訂正したいと思っている点があるのだが、これはエレニさんにそんなことをしたら軽蔑すると固く止められているので、公表しない。
が、年齢は別としてどこのクラスにも一人はいるでしょう。妙に老けたことを言うやつが。例えば19歳のときから「爺」などと呼ばれる。氏がそういう範疇の方だとは言わないが、電磁的に綴られる文字から焦点を結ぶ映像は、やはり「爺」的ではある。
新宿のジュンク堂で、原爆の写真集のコーナーの横に、なぜか「最近のちゃらちゃらしているやつら」=ブロガーの書籍コーナーができていて、原爆写真集でそぞろ涙を流した後でそちらに移動すると、もう季節はずれのディズニーランドに迷い込んだようなのだが、ほとんどの書籍は既に買ったり、立ち読みしたりしたものばかりで新鮮味がないのだが、馴染みの方にお会いしに来る気分。
「お、湯川さんだ。その後お元気ですか?健康ですか?」
「お、佐々木さんだ。その後いかがですか?オーマイは」
「高田さん、ロンドンの空気にはなじみましたか?」
「わださん!稼いでますか?」
そしてちゃらちゃら中のちゃらちゃら「アルファブロガー」(翔泳社)を久しぶりに手に取る。もう何度も開いているはずの本だが、残念ながらお金を出して買う気にはならず、書いてあることも今となっては読む気もせず、巡回路のように同じようなページを、同じように辿っていき、結局買わずに時間が経っているのだが、まずダンディな「爺」ことfinalvent氏の尊影を拝む。ありがたや、ありがたや。(手は合わせなかった。)
#話はそれるがこの「ジュンク堂」という本屋は僕の世代にはなじみが薄い。待ち合わせというと三省堂とか、紀伊国屋、旭屋の定番。掴みはOKの渋谷大盛堂の地下軍事コーナー(!)(本店は閉店したらしい)、背伸びしてブックファーストetcetc。ジュンク堂のような新興勢力は、大人になってから出会った本屋であって、僕が若かったころのことを知らない。そのせいなのか、どことなく心を開くことができないのであるが、この生意気な本屋がなかなかできる奴だということは知っている。
次にR30氏へ。R30氏はいつもR30で死ぬまでR30。言ってることも全身R30。腐っても弾んでもR30。いや悪口ではありません。でもこの写真は何で後ろからなんだなどといつも同じことを考え、で、切り込み隊長は何度も写真を見ているのに、僕の中ではデブ恰幅のよい秋葉原系の男性像が刻み込まれており、痩身な姿に何度も驚く。何度も同じところで、同じことを忘れていて驚いている僕はやはりバカかもしれない。何でこんなに痩せているんだろう。何食ってるんだ。余計なお世話だ。
それからお約束のように松永さんを探しに行くが、実は松永さんはこの11名の中にはいっていなくて、絵文禄ことのはは、小さく画像で紹介されているだけである。これも何度も見てわかっていることであるが、毎回毎回探しに行っては「いないぞ」と驚く。やはりバカかもしれない。
よく「アルファブロガー」の仲間入りをしたかったBigBangなどと書かれるけれど、「アルファブロガー」になると何がどういいのかわからないというか回路が繋がらない。こういう本で紹介してもらえるのか、それはちっとかっこええかもしれんな、飲み屋の女の子にさらっと出したりできるのか?それはオヤジの発想だ。きっとここに紹介された皆さんはそんな下品なことはしないんだろう。名刺代わりに出すと場の空気が変わるのか?そんならええな。でも空気が変わっただけではメシ食えんなあ。(なんであやしい関西弁。他意はないねん)
こういうところで紹介されているブログのアクセス数というのが半端じゃないので、その桁外れの数に驚いた記憶はあるけれど、言葉としての「アルファブロガー」が消費されて消えていく言葉であることは、さすがにこれだけ生きてくると骨身に染みてわかっているので、いいとこ、この言葉も2年かななあどと思っていた。
言葉としての「アルファブロガー」が軽薄だとか意味がないとかディズニーランドであるとかそういうことではなく、おおよそ言葉というものは急速に消費されて消えていくものである。その言葉が、あたかも永遠に続く価値のようにこの身を寄り添えば、いつか自分も言葉とともに消費されて消えていく。おそらく僕も何度かいろんな言葉に寄り添っては消され、戻ってきては消され、その繰り返しの中で今の場所にたどり着いた。その根源的な不信感かもしれず。へそまがりなだけかもしれず。
この本が出版されたのは2005年の10月である。
まだ1年ほどしか経っていない。
どうですか皆さん。人生変わりましたか?
街はもうすっかりクリスマスの装いである。
2006 11 18 [日記・コラム・つぶやき] | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック
November 15, 2006
公衆無線LANと携帯GPS
だいぶ前から公衆無線LANの愛用者であり、YahooBBの公衆無線LANが無料だった頃には、そのためだけにスターバックスに延々と粘ったりしていた。だって無料なんだからお金の払いようがないんだから仕方ないじゃん。とホクホク使っていたら、いつの間にか有料サービスに移行してしまった。
だから使わなくなったという訳でもないんだが、手続きが面倒でつい足が(手が?)遠のき、最近はもっぱら別の会社の公衆無線LANサービス(詳細略 笑)
そもそも携帯つないでパケット通信しても、ずいぶん最近は速いんだけれど、やはり公衆無線LANの快適さには及ばないし、携帯電話の電池切れも気にしないで、何時間か使っていられる。ただ問題は、出先でアクセスポイントを探そうとすると、なかなか見当たらないこと。
これに関しては、私の知り合い(女性)が1人でやっていた極めてディープでクールなサイトがあって、よくお世話になっていたのだ。
東京ホットスポット情報館
体験記なんかも出ていて、草創期にはほんとに便利だったのですが、外で急につなぎたくなったとき、このサイトにアクセスして調べる・・・うん?そら無理だろみたいな感じで、悩みの種。そのうちアクセスポイントが幾何級数的に増えたこともあり、最近はあまり更新されていないみたい。
それに代わって、もしも同じようなことで悩んでいる人がいるとお勧めしたいのがauのEZナビウォークのGPS機能。アクセスポイントをサービス名で検索して、GPSで現在地知らせてフィルタリングすると、現在地からもっとも近いアクセスポイントの名称と方向、距離を知らせてくれる。ああ、あと200m行けば、「XXXXX」(お店の名前)があるな、そこまで行けばネットが使えるとか、そこの地下鉄の駅にポイントがあるぞ。とかすぐにわかる。非常に便利。
(おそらくドコモにも似たようなサービスがあるんでしょう?よくわからんが)
予断だけれど、世の中には無線LANのポイントとその受信状況を簡単に調べてくれるWiFiファインダーという類のものがあって、英国のKensingtonのそれが(下写真)良さげでデザインもカッコイイということで、ネット通販で手に入れてしばらく使っていたこともあるんだけれど、そのうち受信しなくなってしまって、割とだめだった。今携帯GPSなんかが出ちゃうと、これもいかにもアナクロな感じがする。
↓
やっぱ今は携帯GPSが一番。で、どこの会社の無線LANを使っているかだって?
秘密。
2006 11 15 [日記・コラム・つぶやき] | 固定リンク | コメント (3) | トラックバック
November 10, 2006
ブログ構成変更のお知らせ
今までこのブログ「BigBang」と、はてなの「月も見えない夜に」の二部構成でやってきました。「BigBang」ではどっちかというと、社会や政治や、まあある程度ちゃんと書こうと。「月も・・」は散文とかネタとかネタとかネタとかになっていましたが、ここでちょっと構成コンセプトを変更します。
「BigBang」は基本的には今まで通りですが、変更点が1点あります。
今後このブログでは
「ことのは問題」「ことのはその後問題(?)」に関するコメントは一切受け付けません。
理由は、ご存知の方もおられるでしょうが、この問題に関連して私に対して、悪質な嫌がらせが横行していますので、それに対する対応措置とさせていただくということです。意見の立場がどうであれ、この問題に関連するコメントは全て削除させていただきますが、当然ながらコメント欄には格別の物理的制約は設けません。
そして、「月も見えない夜に」は、タイトルを変更して「AnotherB」としました。この「BigBang」の裏ブログ(ここで扱えないテーマを扱う)としての性格をもっと明確にもたせるようにしようと思います。結局はまたネタとかネタとかネタとかになってしまう可能性もありますけれどね。
で、「AnotherB」ではあらゆるテーマのコメントを歓迎します。好意的なものだけではなく批判的なコメントも歓迎しますから、p●さんや、御●さんもどうぞ投稿してください。もちろん「ことのは」関連もOKです。ウェルカム。私に一言、言ってやろうという方あればどうぞ。「AnotherB」でやってください。私も今後特別な事情ないときには、この問題は「AnotherB」でのみエントリーします。関連ブログあればそちらにも積極的に伺います。
ここも、コメント欄には制約は設けません。ただし、当然ながら目に余るような個人への誹謗中傷や、不要な実名記載、連続投稿など、その他こちらの判断で行き過ぎたものについては削除します。また、それが警告後もおさまらない場合には、投稿規制をさせていただくこともあります。
これは臨時的な措置で、動向を見まして、また変更する可能性がありますが、当面お知らせします。
それに加えて付加事項が2つほどあります。
●私に対してコメント欄を閉鎖しておられるにも関わらず、批判的な、あるいは事実に反する憶測のみを、連続してブログに書いておられる方がおられますが、それでは反論の機会も、対話の機会もありません。理解に苦しむ状況です。直ちにコメント欄を開放されるか、そうした憶測記事を停止するかどちらかにしていただきたいと希望します。サイトの名前を具体的にあげることはここでは差し控えますが、当該の方はおわかりになると思います。
●掲示板等に書かれた質問や意見については、私が仮にそれを目にしていても、ブログやコメントで、ご返事することは基本的にはありません。前述しましたように「AnotherB」を開放しますので、どうかそこにお書きください。
繰り返しますが、こうした運営方法は一時的な措置であり、早い将来にまた本来の形に復帰させたいと考えていますので、どうかご協力をお願いします。
2006 11 10 [日記・コラム・つぶやき] | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック
October 05, 2006
三島VS東大全共闘の映像を見て---一夜の記憶は夢だったのか
あるいはこういう経験を与えてくれるのが今の時代の奥底に隠された力なのかも知れない。YouTubeをあてもなくザッピングしていて出会った、「三島 vs 東大全共闘」の映像。1969年5月13日。動く三島、話す三島がそこにいた。
どぎもを抜かれた。
もとより三島には間に合わなかった。気がつけばこの作家は市谷の自衛隊駐屯地で茶褐色の楯の会の軍服に身を包んで声を張り上げていたのであり、訳がわからないうちに割腹自殺を遂げていた。とりたてて小説を読み込んでいたわけでもなかったが、ただその日の衝撃は子供なりにも重く記憶に残っている。
1970年11月25日午前11時過ぎ、陸上自衛隊東部方面総監部(市ヶ谷駐屯地)の総監室を「楯の会」メンバー4人と共に訪問。名目は「優秀な隊員の表 彰」であった。益田総監と談話中、自慢の名刀「関の孫六」を益田兼利総監に見せた後、総監が刀を鞘に納めた瞬間を合図に総監に飛び掛って縛り、人質に取っ て籠城。様子を見に行った幕僚8名に対し、日本刀などで応戦、追い出した。その中には、手首に一生障害が残るほどの重傷を負わされた者もいた。
三島自身が自衛官と報道陣に向けて30分間演説することを要求してそれを認めさせた後、バルコニーで自衛隊決起を促す演説をしたが、自衛官たちからは総監を騙し討ちして人質に取った卑劣さへの反撥が強く、「三島ーっ、頭を冷やせー!!!」「なに考えてんだバカヤローっ!!!」といった野次や報道ヘリコプターの音にかき消されてわずか7分で切り上げる。そして森田必勝らと共に『天皇陛下万歳』を三唱したのち三島は総監室で割腹自殺した。
(Wikipediaより)
森田必勝は早大教育学部の学生にして、楯の会の学生長であった。三島と同行して市谷に向かった森田は、三島の切腹に際して介錯をするが果たせず、剣道居合の経験者であった古賀が介錯、続いて森田が切腹して果てた。25才4ケ月であったという。
早大に入った時、驚いた。楯の会は未だ健在であり、森田必勝忌なる催しが行われるときには、学内をあの楯の会の茶褐色の制服に身を包んだ学生たちが歩いた。70年代最後の数年は、未だそういう時代だったのである。
だが、もっと驚いたのは、三島の死にあたって、その死体が保管されていたという市谷の駐屯地周辺を、あてどなくさまよったという級友が同じクラスにいたことだった。その話は、だいぶたってから僕が創刊したミニコミ誌に彼が寄せた一文で知った。三島と同じく、同性への執着、愛情にに止めようのない思いを抱いていた彼は、確かに早熟な学生であった。僕は自分では到底想像できないその彼の熱情に、ある種の畏怖すら抱いた。
しかし、果たしてその話は本当だったのだろうか。あるいは彼の心の中で繰り広げられた夢ではなかったか。僕は彼の暗い自叙伝的なその文を狂おしく読んだけれど、そのことを彼に伝える機会もなく、20数年が経過している。
しかし僕の心の中には未だ、割腹自殺の夜、まだ中学生の彼がその目を暗く輝かせながら、市谷駐屯地をさまようその夢のような光景が、まるで自分が目撃したかのように焼きついているのだが、事実は果たしてどうであったか。割腹自殺後の三島の遺骸が、駐屯地にしばらく置かれていたという事実はあるのだろうか。
そう思ってネットをあさっていると、このような記述に出会った。そこには、「川端康成氏が、事件後すぐに現場に駆けつけて三島氏の遺骸と出会った」と報じられたことが誤報である旨、編集者の伊吹和子氏が著しておられた。
「中央公論」十二月号が発売になった十一月十日から旬日を経て、正月号の校了が迫った二十五日、三島由紀夫氏が自衛隊本部で劇的な自決をとげられた。私にはその意味がよく理解出来ず、殊に石川淳氏との対談の直後のことで、驚愕と悲しみが大きいばかりであったが、川端先生はすぐに市ケ谷の現場に赴き、その足で三島邸に行かれたようであった。一部の新聞に、現場で三島氏の遺骸と対面されたと報じられ、やがてそれは誤報だと判ったが、先生なら動じることなく、冷静に見詰められたとしてもありうることだと思った。私が三島邸に駆けつけた時は、門前に報道陣が渦巻いていたが、邸内には、親族の他には川端先生だけが、傷心の瑶子夫人に付き添っておられるということであった。
三島氏の葬儀は、翌四十六年一月二十四日、築地本願寺で行われ、川端先生が葬儀委員長を勤められた。その日、文学者としての三島氏を送る葬儀であったのを不満とする過激な人達がいる、という噂が、何日か前から流れていた。三島氏を右翼的な思想家として崇拝するグループが、自分たちへの挨拶なしに、葬儀を行うのはけしからぬと憤慨し、最中に乱入して遺骨を奪う計画でいるらしい、と、噂は無責任にエスカレートしていたのである。『三島由紀夫葬儀あいさつ』は、先生の全集に活字化されているが、その日の先生の声は、亡き人の静謐(せいひつ)を乱すいかなる無礼も、自分が許しはしない、という気概にみちていた。
(伊吹 和子 川端康成 瞳の伝説)
しかし三島の葬儀では川端氏は葬儀委員長を務めたという。遺骨を巡っては、それを奪おうという思想的な計画もあったようで三島由紀夫の葬儀がただならぬ雰囲気の中で行われたことがわかる。確かに当時の文学者だけではなく、あらゆる知識人にただならぬ衝撃を与えたのだろう。その言いようのない夜、そして葬儀については、もはや僕は追体験する術もかすかにしか持たないが、真偽はともかく、友人が著した断章は今後も頭を去ることはあるまい。あるいはこうした時代の異様な雰囲気が彼に憑依して見させた一夜の夢であったか。
いつか彼に、その記述が真実であったのが聞いてみたいとも思うが、もはやそれは遠い昔、どちらでも構わないようにも思っている。
幾たびかの命日を経て、今YouTubeに全共闘の学生とともに蘇った三島は、割腹して果てるまで後5年。行動することができなかった多くの知識人の中にあって、果たして三島は5年後の自分の最期をすでに思っていたのであろうか。あるいは思っていなかったか。
思いばかり先走る全共闘の学生たちが三島に緊張しながらも挑みかかる様は、愛おしくも痛々しくさえあるが、それに時に冗談や笑顔さえ挟みながらも真摯に答えようとするこの作家の姿が、刻み込まれているこの映像を見て、あなたは何を思うだろうか。
残念ながら市谷で行った彼の演説の全映像がないかと思ったが、探し当てることが出来なかった。
三島が逝ってから、今年は36年目になる。
そういえば父はあの日どこにいたのだろうか。
【参考】
a case of Yukio Mishima(YouTube)
2006 10 05 [日記・コラム・つぶやき] | 固定リンク | コメント (2) | トラックバック
September 18, 2006
葵上とブログ世界と闇を巡る断章
能を多く見てきたことは以前にも書いたが、能「葵上」の鑑賞は数え切れないほどの数に及ぶ。能でも屈指の人気曲であるため、それは各所で繰り返し繰り返し演じられるのだが、この演目は、一方での大衆的人気曲「羽衣」の清清しさに比べて、何とも陰湿な人の業の深さを表現している。
六条御息所は、教養豊かで理知的、かつては源氏と交わす和歌やもてなしにも典雅な気品が匂い立ち、源氏の心をとらえた女性である一方で、源氏より七歳年上であることなどから、いつかは源氏が自分のもとから去っていくだろうと不安を抱え、若く美しい正妻・葵上に対する嫉妬がつのる。それでも高貴な身の上、はしたない行動には出られず、じっと耐えている。そんな六条御息所を打ちのめしたのは、賀茂の斎院の御禊(ごけい)の折、都大路を行列する斎院と光源氏らの姿を一目見ようと出立した六条御息所の車が、後から来た葵上の車に押しやられ、打ち払われた事件。散々の恥ずかしめを受け、その上源氏の晴れ姿を見ることも出来なかった。この屈辱の経験が深い恨みとなって、生霊(前ジテ)となって葵上に取りつき苦しめることになる。その行為は自分では押しとどめることができないが、恥ずかしく悲しく感じている。
薬石効なく、ついに修験者が呼ばれ祈祷が始まると、生霊は怒り、鬼の姿(後ジテ)で現われるが、最後は般若の姿のまま、法力によって浄化される場面で終わる。
狂言「月見座頭」が、人の静かなる秘めたる邪悪を描いているとすれば、(参照:「月見座頭」-------青く冷たい空間と人の二面性)「葵上」に描かれているのは、人間が他の人間存在に対して持つ永遠の執着、押さえきれない呪詛を、陰的に描いたものであるだろう。人が人を恨むその心は、死して霊となってなって生者に執するならまだわかるが、生きていながら他者に恐ろしくも執着し、呪いの言葉を吐きかける、わが身の醜さがわかる故の醜さ、おぞましさは、幾度舞台を見ても、心の奥底を寒くさせる。
ある意味で美しくもおぞましいこの演目に、我等が時代を超えて惹かれ続けてきた理由はどこにあるのだろうか。その想像は、私やあなたの自我を超えて、自ずと到達するところに到する。つまり他者への執着と悪意であり、他者への止めようの無い嫉妬と呪詛であるが、もはやそれらを語るに聖域はなく、色恋の領域ではなくても、これに類した心根を生涯一度も抱いたことの無い者は、この世に皆無であろうと私は想像する。
時勢が移り今日、電磁的に打たれた「怨念」がブログ世界を縦横に飛び交う時代になっても、人の心の根本の性に変化は起こり得るべくもなく、また人間性の進歩は、ムーアの法則のように革新されるべくもなく、Web2.0とは何のことはない。無数の葵上や六条にその表現の場を広げさせたのみとも言えるのではないか。
それほどに時を重ねれば重ねるほど、我等のこのキーボードを打つ手は穢れに穢れていると言えるのではないか。
一体なぜ、我等はこれほどまでに他者の思念の宇宙に焦れ、苦しみ互いの欠損に不毛の呪詛を描き、それをしかもこのように醜く投げつけあうのであろうか。夜更けに考え巡らしてくれば、六条を終には追い払う法力を持つ修験者のスーパーパワーすらもまた我等の時代には与えられていないことの悲しみに気づき、これも彼も、生きてこその辛苦であるとはわかりながらも、空しく、馬鹿馬鹿しく、そしてあの苛烈な「葵上」の舞台の鬼気とした美しさが思われてならない。
おのが前にある漆黒の闇は、一瞬両手に触れると見えたところから、さらに一層深くなっていくのである。
2006 09 18 [日記・コラム・つぶやき] | 固定リンク | コメント (2) | トラックバック
September 15, 2006
Wでは破廉恥も陰謀論として語られる
植草元W大教授が、また痴漢でつかまってしまったわけだけれど、以前にW大の教授であったころに起こした手鏡事件も、Wの内部では、大真面目に陰謀論として語られていた。大学当局に嵌められただとか、小泉政権・竹中平蔵の陰謀だとか、植草教授の人脈と結びつけて大真面目に語られた。
僕は当時、その陰謀論のあまりの「トンデモぶりぶり」に、唖然としていたが、語る側は大真面目であり、都の西北は一時植草教授を救えという悲憤に満ち満ちて、鳥泣き魚の目に涙であったのである。(局所的にね)
実際、大学では権力闘争とセクハラがなぜか結び付けられることが多い。つい先日も学生には人気が高いが、大学当局に面白く思われていなかった某教授が、院の女子学生にセクハラを働いたとして免職になったという話があった。
元々密室が多い大学構内では、そうしたトラブルや噂、そして時にはでっちあげが後を絶たないことから、植草氏の件でも、まず最初にそうした陰謀論を頭に描いた人たちが、相当数いたらしい。裁判も妙に白黒はっきりしない展開であったから、余計にその論は勢いづいた。
しかしながら今日入った植草氏の2度目の事件の知らせ。
陰謀論を唱えていた人たちは、どう考えるのだろうか。
2006 09 15 [日記・コラム・つぶやき] | 固定リンク | コメント (3) | トラックバック
Wに棲まう革命的な人々のこととオーマイニュース
この間教授の研究室に行った時にPCを見て、これではあまりに無防備であるからウィルス対策ソフトのパターンファイルの更新位してやろうとあれこれやっていたら、ふと彼が変なことを言う。
「俺のパソコンは時々誰かが覗いてるんだよな」
は?何を言っているんだろうこの人はと思ったら
「夜中に時々誰かが研究室に入ってきてさ、物の場所が変わっていることがあるし、ちょっと前だけれど。で合鍵を作られちゃってるらしいんだよな」
先生、ぼそぼそと恐ろしいことを言う。オカルトのような話だが、これはWに棲まう、あの革命的な人たちの仕業だという。何年か前、教授はちょっとしたことで彼らとの交渉の窓口にならなければならない羽目になり、徹底的に目をつけられた。何人かのプロメンバーが卒業したくないとへばりついていたのを、無理やり卒業させてしまったこともあるらしい。これが10年も前の話ではない。つい1-2年前のことである。
オーマイニュースがWからシンポジウムの実況中継に失敗したと聞いて、まず僕はこの話を思い出したのだ。ここに棲まう「革命的な人たち」のことは、誰でも知っている。だがそれは遠い過去の話だと思っていないか。
・・・は、長年にわたり早稲田大学を中心的な拠点校としてきたが、大学側は同派の影響力を排除するため、1995年7月に商学部自治会の公認を取り消し、2005年3月には社会科学部自治会の公認を取り消した。また、・・・派が主導する早稲田祭実行委員会が、長年にわたって早稲田祭の収入を同派系の偽装サークルに横流しするなどの行為を行っていたことから、大学側は1997年から2001年まで早稲田祭の開催を中止し、同派系の偽装サークルの公認も取り消した。このため、・・・派が教職員の自宅を盗聴する事件を起こすなど、大学側と・・・派との対立が激しくなっている。(Wikipediaより。一部自粛で伏字)
Wikipediaにもこのように記載されている。教職員の自宅を盗聴するくらいだから、教授の研究室の合鍵を作り、夜中に侵入するくらいは朝飯前。それをこともなげに僕に語る教授も一時は精神的にぎりぎぎりのところまで追い詰められたという。
大学には無数の教室があり無数のLANの取り口がある。それらは学内ネットワークにつながり、さらにインターネットへと出て行くのだが、オーマイニュースのシンポジウム運営班は、牧歌的にもそれらの差込口にケーブルさえ挿せば、インターネットに動画中継が可能だと思ったらしい。おそらく事前にテストもしなかったのだろう。
それは甘い。ここはW。泣く子も黙る革命的な人々の棲まう場所である。もしもそんなことがアドリブで可能なら、学内にあらゆるところに、外への盗聴カメラが仕掛けられるだろうし、おそらく教授の研究室も外部にこっそり実況中継されることだろう。夜中にあちこちのPCにカメラを仕掛けて歩けば、巨大な盗聴ネットワークの出来上がりであり、当然ながらWはそんなに甘い場所ではないのである。誰しもそのことに思い当たらなかったのだろうか。
Wの正門が常に開放されているのは有名な話で、あの広末涼子すら入ることが出来た・・・いやそうじゃなくて、開放されているかのように見える巨大な門は24時間カメラで中継されていて、「不審者」が近づけばすぐに警備員が飛んでくるのだが、この中継カメラですら外部には実況されていないのである。で、その解像度は・・(以下自粛)
僕が学生であった頃、革命的な人たちは当時、各門の横に恐ろしげな闘争の武器を積み上げながら、大学祭の前の夜に大学中を封鎖した。で、当日は幼い子供や赤ん坊の分まで、高いパンフレットを入場料代わりに売りつけて、巨万の利益を得ていた。お前らは恥ずかしくないか、愚劣なことをやるな、親はきっと泣いているぞと匿名で(さすがに怖いので)ミニコミ誌に書いたら(いいねこの響き)、どこから聞きつけたか、僕を探り当て、語学の授業のたびに出口で怖いお兄さんが待っているようになった。
記事を書いた理由を説明しろと。(いやー昔から同じ様なことをやってるな僕も)
さすがにまいってしまい、しばらく語学の授業に行かなくなって、その勢いでほかの授業にも行くのが面倒になり・・・って別に革命的な人たちのせいにするわけでもないが、後半2年はほとんど授業に出席しなくなってしまったのだった。
つまり革命的な人たちは、将来有望だった、僕の勉学のチャンスを部分的にではあるが奪うという重大な犯罪行為を行ったのである。
(いやそういう問題ではないという声もある)
実況中継に失敗したオーマイニュース編集部は、この際、当時から今に至るWの流れをよーく調べて見ると、結構面白い記事になったのになあ。70年代後半に学生をやっていて今尚このあたりをうろうろとしている私は思うのであった。
ころんでもただで起きちゃだめだめ。
2006 09 15 [日記・コラム・つぶやき] | 固定リンク | コメント (7) | トラックバック
August 26, 2006
仔猫殺しに思う----自らの両手を血に染めて得られるものなどない
既にあらゆる場所で話題になっているところに、そう新たな視点は入れ難いが、この記事を読んで最初に思ったことは、「命に対する恣意」は、果たしてこの世に存在しうるのか、私たちはそれを「許されているのか」ということ。これは宗教でも何でもない。
問題の記事はこれ。
こんなことを書いたら、どんなに糾弾されるかわかっている。
世の動物愛護家には、鬼畜のように罵倒されるだろう。
動物愛護管理法に反するといわれるかもしれない。
そんなこと承知で打ち明けるが、私は子猫を殺している。
家の隣の崖の下がちょうど空地になっているので、生れ落ちるや、
そこに放り投げるのである。
タヒチ島の私の住んでいるあたりは、人家はまばらだ。
草ぼうぼうの空地や山林が広がり、そこでは野良猫、野良犬、
野鼠などの死骸がころころしている。
子猫の死骸が増えたとて、人間の生活環境に被害は及ぼさない。
自然に還るだけだ。
子猫殺しを犯すに至ったのは、いろいろと考えた結果だ。
仔猫が可哀相だと言われればその通りだけれど、坂東眞砂子氏の論理はそれ以前に何箇所も論理破綻している。このあたりの破綻のほとんどはあちこちで指摘されているから触れないが、最大の論理破綻は、「命に対するコントロールは、一定基準の下では許容される」という彼女の思想にあるのではないだろうか。
平たく言うなら、ある一定の条件がそろえば、それが仔猫であれ、成犬であれ、人であれ、その命をコントロール=消滅させることが我らに許されるのかということ。で、僕はそれはできないと思っている。
では、なぜできないのか。
命を恣意的にコントロールすることが許されない理由を問うことは、だいぶ前に論じられた「なぜ人を殺してはいけないのか」に通じることだと思っている。で、この場合人と猫は、等しく「命」という次元に括られ、本質的な差はないと思う。
生き物が他の生をなぜ絶ってはいけないのか。その本当の理由は、おそらく生態系の必然にある。つまり、捕食を除いて、他の生き物の生をコントロールすることは、元来この世界は許されていない。この「許されていない行為」を強行すれば、かならずその反作用を引き受けなければならない。自分に帰ってくる。精神的、あるいは肉体的に、その本人を痛めつける。その痛みを選択するなら、それはマゾ的快感でしかない。
あるいは報復を受ける。その精神に対して内面的に。
あるいは権力によって暴力的に。
坂東眞砂子氏は、あたかも「あらゆる痛み」を引き受けるようなことを言っているが、そうしたことを口にすること自体が、氏の病を、氏自身の救いのために露悪していることであり、そうした追い詰められた心理(=公共のメディアで不要なことを敢えて発言し、その報いを引き受ける(ように振舞う)こと自体が既にある種の彼女の無残であり、破綻である。表現者としての奥のほうでの敗北でもあると思う。
こうした破綻=痛みを引き受けるなどと軽々しく言うが、元来彼女が猫を飼わなければ済む程度のことを、何かそこに人類にとって普遍の深い真実があるかのように思い込み、あるいは信じ込み、あるいは信じた風を装う。なぜこうしたことをご本人はしなければならないか。そもそも仔猫を殺す「くらい」のことを引き受けて一体この世の何が変わるのか、人心の何が変わるのか。自らが救われるか。
最初に戻れば、恣意的に、自分の勝手な判断で他の生命を絶つ自由は、その自らの生を、危うくするという意味において、あるいは簡潔に言えば、その生が幸福に生きるという至極自然な使命を全うする上で、障害以外の何者でもない。繰り返すが他の生命を絶つ理由は、この世のあらゆる生き物にとって(捕食以外)存在し得ないと思っている。
その猫を「飼うこと」が、=その命の生死与奪の全権を握ることではない。
にもかかわらず、その痛みを引き受けた、あるいは引き受けた(と称する)全ての試みは欺瞞であり、そもそもこの世に必要のないものである。不要なものの度合いとしては、かつてのオウム真理教の「ポア」と同じであるとも思う。
その大原則から出発するのが議論の筋であり、その大原則の前では、猫の避妊に関しても、無辜の仔猫の殺戮に何がしの正当性もない。
誰も自らの両手を血に染めて得られるものなどないのである。
2006 08 26 [日記・コラム・つぶやき] | 固定リンク | コメント (15) | トラックバック
August 04, 2006
クソガキの覗き込んだ奈落-----亀田戦に想う
明らかにいつもと違った目つきになっていた。ラウンドを重ねるごとに、あのビッグマウスの面影は薄れ、自分のコーナーに戻ってくる目つきはうつろ。あるいは恐怖さえ浮かんでいた。今までの試合と決定的に何かが違う。
ファン・ランダエタの老練なテクニック。ガードしてもしてもその間を潜り抜けてくる確実なヒット。固めても固めても叩かれるボディ。一方で自分が時折繰り出すワンツーは、ことごとく相手にガードされて届かない。
亀田の目には明らかに恐怖が浮かんでいた。
とにかくビッグマウスでここまで注目を浴びてきたクソガキである。ボクシング素人の父親が、ヤンキーな子供たちに施した独自のトレーニングにマスコミが飛びついた。それに一家そろってのビッグマウスぶりが、話題を煽った。
どこかで皆、亀田の真の実力に不安を覚えていたのだが、それを言うのにはばかられる雰囲気があった。
それに、何といわれようと、あの一家は底抜けに自由に生きていたのである。
そう、このタイトルマッチに気持ちよく負けてしまえば、クソガキ一家の精神の自由は保たれた。いやそのはずだった。
ところが。
クソガキは世界チャンプの称号と引き換えに、汚い商業主義の奈落に堕ちた。
亀田一家のクソガキ伝説は終わったのだ。
クソガキが、クソガキとして社会に凛として立っていられるのは、社会に対する徹底した反逆と虚勢にある。人間が生きていく以上収入が必要であり、あるいはスポンサーが必要であり、吸い込む空気が必要であり、飲み下す水が必要だ。
それらがあたかも存在しないかのように振舞うこと。
つまり底抜けの、究極の虚勢と無責任だけが、人をクソガキとして世界に立たせてくれるのである。
畢竟、人は本来、社会の経済体制にどっぷり飲み込まれながら生きるのであり、それ以外の選択肢はないのだから。
どんなクソガキにも、終わりは来るのだ。
問題になるとすれば、その終わり方であろう。亀田は悲劇的なスキームでクソガキ伝説に終止符を打たされた。
自らの意思というよりも、周りを取り囲む汚い奴らが、二重三重に包囲して、亀田のクソガキ伝説を終焉に向かわせたのである。
ここでクソガキとしての命は終わろうと、亀田の前にはいよいよ、人間としての厳しい未来が開けている。疑惑の汚いチャンプで終わるか、真の英雄になるか。
少なくともはっきりしていることは、今までのような上っ面のタコツッパリで乗り切れるほどの甘い世界ではないということであり、その奈落に若干19歳の少年は確実に否応なく片足を突っ込んだということである。
亀田はそれを受けて立たなければならない。そこはおそらく虚勢が通用しない世界である。
で、我らは我らの仕事をしよう。
仕事とは何か。
当たり前のことが、当たり前に評価される世界を構築することである。
クソガキがクソガキのままで、いつか幸福な大人の時間を迎えることができる社会を作ることである。
あなたが少しでも、かつてのクソガキの記憶を持っているなら、その意味はわかるであろう。
【参考リンク】
19歳の亀田興毅さんが、その人生を賭けて、私たちに教えてくれたこと(切込隊長Blog)
2006 08 04 [日記・コラム・つぶやき] | 固定リンク | コメント (7) | トラックバック
July 16, 2006
「みたままつり」とお化け屋敷と蛇女
ココログのメンテナンスもどうにか無事に終わり、投稿がまたスムーズにできるようになった。何のかんの言っていてもほっとした気分なのは確かである。
システムの人、とりあえずGJ! お疲れ様でした。
それはともかく靖国神社の「みたままつり」に来ているお化け屋敷の写真を撮ってきてくれ、などと妙なことを僕に頼んだ人間がいる(謎)。で、正直気が進まなかったが、一昨日、行ってきた。(思想信条宗教と一切関係ないからね。)
「みたままつり」は、靖国神社がお盆にちなんで戦歿者246万6千余柱の「みたま」を慰めるため、戦後の昭和22年から始めたもので、今年で60回目。神社境内に飾られた29.000灯個を超す「懸雪洞(かけぼんぼり)」や大・小提灯の「献灯」は、東京九段の夜空を美しく彩り、今では東京はもとより、日本の゛夏の風物詩゛として、多くの人々に親しまれ、毎年30万人の人出で賑わっている。(靖国神社サイトより)
だそうである。
鳥居に向かってずらりと夜店が並ぶ。物すごい数で驚いた。
暑い日。ビールとカキ氷に目が行く。
靖国神社と言えば、軍服と怖いお兄さん・・というようなことは今日に関しては全くなし。ごらんの通り。
あ、テーマはお化け屋敷ね。お化け屋敷。
これ。
呼び込みのオバサン。口上は叩き売りのように「伝統芸」でしたが、結構やかましい。
入り口横のコワイ装飾。お化け屋敷はやっぱり和風ですね。
キャー!逃げ惑う観客とそれを脅すアルバイトのお兄さん・・はお約束。やっぱり脅かすなら浴衣ギャルが一番。というわけじゃないけれど、ヘタレな私は入場せず。外から写真専門。これも外から撮りました。
子供の頃からどうも「お化け屋敷」は生理的に好かん。ホラーハウスのほうなら入れるんだが・・(言い訳)
中に入ると
↑
こんな人や
↑
こんなものや(???)
↑
こんな人がいるらしい。
しかしそれにしても凄い夜店の数。今までに見たお祭りの中で一番多かったのではないだろうか。いったいいくらくらいの上がりになるんだろうと下世話なことを考えてしまう。ここが靖国神社であると思わなければ、普通の田舎の縁日のでっかいやつみたいなもん。
当該のお化け屋敷は、毎度恒例らしいが、その横にあった見世物小屋には「蛇(食い)女」なるもの(方)が出演していて、何ともアヤシイ雰囲気。外から舞台裏が見えるようなつくりになっていて、出演者のオネエサン方が、ストリップのように軽く着替えなどしてしまったりしている。昔のストリップ小屋の(知らんけど)雰囲気。エロチカ昭和のすたるじーという感じ。男性客が足を止める止める。でも誰も入ろうとしない。(苦笑)
じーっとオネエサンの怪しい振る舞いを見守っている。
※写真は気が弱くて撮れませんでした。この見世物小屋も有名なようでこんなところを見ると記事があります。
http://blogs.dion.ne.jp/zatugei/archives/1485400.html
ほんとに「くねくね」・・・・・・・・・・。汗
こんなのいーのかよ、靖国神社。
死してからも慰問されてしまうのか英霊。
冗談はともかく、アジアにおける壮大な国際ポリテックスの国家間の意地と意地のぶつかり合い、日本の戦後の一大問題ポイント・・などという言葉とはまるで関連性の見えない、お祭りでありました。
まあ、こんなもんか。
【追記】
見世物小屋くらい入ってみればよかったか・・しかし蛇食いはねえ・・・ちょっと・・。
2006 07 16 [日記・コラム・つぶやき] | 固定リンク | コメント (4) | トラックバック
July 06, 2006
天にノドンの唾を
彼の狂人が花火で遊ぶ深い夜。
あまりに恐ろしいと、へらへら笑ってしまうことがある。夢の中で廃墟と化したどこかの都市を見ながら、それでも薄ら笑いを浮かべている男に、ふざけるなこっちを向けと殴りかかったら、それは自分の顔であり、涙を流しながらうすら笑っていた。
かつてノストラダムスという男は、天から恐怖の大王が降ってくると言ったが、果たして7人同時に降ってくるとは思いつきもしなかっただろう。人はかくのごとく生きているぞ。汚泥の中でへらへらと呼吸しながら。ノストラダムスよ、何を思う。
「アンダーグラウンド」には62通りの恐怖が描かれているのだけれど、へらへら笑うとまでは行かなくても、サリンを吸った後で、いつもの習慣だからと一生懸命コンビニで牛乳を買おうとする人の話が出てくる。牛乳を買った後で入院ですよ笑 などとその方は頭をかいていたようである。被害を受ければ加害を恨む。それが当然と思い込んで暮らしているが、加害を恨んでいない人が、かくも多くいたことか。人は弱く善良だというのは間違いとは限らない。あなたに見えていないものはあるのである。それを何もかも見えているかのように、あなたは語り、私は応じ。かくて日々は狂騒の中に、疲弊を交えて。あなたの乗る車輪には、とうの昔に火炎が移っているのかもしれない。
訳もわからず死んでいく。
おそらく恐怖とは、不安とは、深刻な死神の顔をしてやってくるのではなく、お笑い番組の「次長課長」のような、とぼけた顔をしてやってくるのではないか、そして「アンガールズ」のように、士気のない、へなちょこな顔をした栄養不良の悪魔が、ふらふらと目の前に立ち、あの~などとあなたに声をかけるのか。そしてあなたは応じようとして振り返り、そこに自分の顔を見るのである。
あるいは、あるいは。暗いPuttyのターミナルの中に、刻み込まれるlogの、行間に舌を出して紛れ込む、薄汚い生意気な小僧の顔をして現れるのか。お前は何を知っているのか。何をそんなに怯えているのか。お前の知っている世界とは何か。終末とは何か。お前の目指した救いとは何であったのか。深夜に自分の打つタイプの音に紛れて、遠い世界の雷鳴のように、お前にはまだ救いが見えているのか。彼の国の、この国の慟哭に対して言う言葉はあるか。言う言葉は持っているか。
ある、ある。あるある。ある。
そんな地獄があるのである。
地獄は進化し、生態系に粘ったガムのようにへばりつき、鏡のようにあなたの顔を映し、轟音と共に天を駆ける。
何ができるのか。
神? いやお前には頼まない。
それよりも
狂人よ。お前に伝えることがある。
天を仰げ。
天を仰げ。
天を仰げ。
天を仰げ。
天にノドンの唾を吐け。
2006 07 06 [日記・コラム・つぶやき] | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック
June 29, 2006
手塚治虫と時刻表
ここでは、無理して「手塚治虫」などとと書いたが、僕にとっては「手塚治虫」と呼ぶのは今でも抵抗がある。僕にとっては、あくまでも手塚先生である。手塚先生とは、20代のころに何年間か断続的に仕事をご一緒させていただいた。「ご一緒させていただいた」などというのは、ご推察の通り、背伸びもいいところで事実と異なる。
ある文化イベントの催事で僕が手塚先生の担当ディレクターになったのをきっかけに、それ以来いくつかの講演会で担当を勤め、日本各地に何度かご一緒させていただいた。いや、「下働きをさせていただいた」。イベント会社に勤めていた若いころのことである。
手塚プロの社長ともその関係で何度かご一緒したが、こんなことがあった。
初めての担当のときである。
ある地方で手塚先生の講演があり、先に現地入りしていた僕のところに、慌てた調子で手塚プロの社長から電話がきた。いつになくあせった口調である。聞けば、手塚先生と同行するつもりが一緒に来れなくなり、手塚さんが先に一人で来ることになったということ、そして東京を出る時間が遅くなったので、予定よりも遅い電車で着くが、駅まで出迎えに行ってくれないかとのことである。
手塚先生は言うまでもなく大家でVIPである。出迎えて間違いなくホテルまで案内するのも僕の仕事であり、それはいいのだが、何を慌てているのかと思えばおかしなことを言う。
「BBさん。手塚はめったに一人で動きません。。。というより動けませんから。くれぐれも宜しくお願いしますね。」
などと言う。・・・・・動けない?
????
何を言っているのかそのときは意味がわからなかったが、聞いた時間に駅で緊張しながら先生を待つ。あっさりと予定時間に、にこにこしながら手塚先生はあらわれた。ご機嫌な様子。なんだ、案じることはなかったと思い安堵しながらも、緊張してタクシーに乗り込む。
すると手塚さんは、後ろの席でおかしなことを言い始めた。一冊のポケットサイズの時刻表をひょいと掲げながら、僕にこんなことを言う。
「BBさん、ちょっといいですか?」
「はい?何でしょうか」
「僕はね、今日始めて時刻表というやつを見たんですけどね、」
「え?」
「この、教えて欲しいんですけどね。このたくさん並んでいる数字は何ですかね?・・・これって・・やっぱり電車の時間ですか?」
「&%$&%'(()=)=)'(&'&%'(???]
「どうやって見るんですか。これ」
「あの、これが駅の名前ですね。で、列車の名前がこれ。到着時間と・・・出発時間がこれです」
「うん、うん・・・ああ!だからこれを見れば乗換えが出来るんですね!!」
「はい・・・」
まるでからかわれているようである。そんな僕をよそに先生は大事なことを聞くことが出来たかのように喜んでいる。
「そうかあ、僕ね、一人で電車ってほとんど乗らないのでね、時刻・・・ああだから時刻表って言うのかあ。面白い本ですねえ。これ・・どうもありがとう。」
新米ディレクターは相槌を打つ言葉もない。
僕はそれ以来、自分が何かとんでもない勘違いをしたり、当然知っているべきことを知らなくて恥をかいたときなど、意図的にこの話をする。天才手塚治虫ですら、時刻表を知らなかったという話である。そういうものなのだ、人間というのは。特に何かに集中している人間というのは、どこか抜けるところもあるのだよ、と。
でもいつも、相手からは必ず言われる。それは手塚治虫であり、天才だからこそ許されることであり、あなたが無知なのは単にあなたが無知なことでしかない。一緒にして語るなと。
確かにその通りだ。天才・手塚治虫であるからこそ許される話であり、その「無知」の対極にすさまじいまでの作品への執念と集中力があった。その現場も何度となく見せ付けられた。そのことを抜きにしてこの時刻表の話だけを語っては間違いになるだろう。
しかし、最近この話を思い出すたびに、果たしてそんなことが本当にあったのだろうかと、自分の記憶ながら、疑わしい気持ちに駆られる。いくら手塚先生でも、時刻表を知らなかったなどということが、あるものだろうか。
もしかしたら、手塚先生は僕をからかったのではないだろうか。
有名人の担当になり、全身でガチガチに緊張していた若造を、ちょっとリラックスさせようとして、からかったのではないだろうか。そう考えたほうがおさまりのいい話のようでもあり、安心できる話のようでもあり。
一方、あのときの手塚プロの社長の慌てようを考えるとやはり記憶の通りであったようにも思える。
手塚先生、本当のところどうだったのですか?
2006 06 29 [日記・コラム・つぶやき] | 固定リンク | コメント (9) | トラックバック
June 24, 2006
「人間のくず」とルービックキューブ
ルービックキューブをくるくるーっと回しても、青が赤に変わるわけではない。
赤は赤。青は青。
裏に行こうと側面に来ようと、それぞれのパーツの色は変わらない。「人間のくずの色」(というものがもしあれば)それはどこまで行っても「人間のくずの色」である。
裏に回しても、横に回しても。
はっきり言って、僕は小飼弾氏という人物を尊敬している。それは、その人物の持っている並外れた才能と知性に素直に尊敬の念を持っているからであり、それはどうしても否めない。で、たとえばそれはルービックキューブで言うなら「尊敬している部分の色」である。いくらルービックキューブをくるくる回しても、その色も消えることはない。
どこでどんな形の「弾キューブ」を見ても、僕はその部分を取り出してやはり尊敬の念を表すことができる。
これは件の松永さんに対しても同様であり、どんなくだらないことを彼がやろうとも、彼に対する「尊敬している部分の色」が穢れることはない。R30氏にも同様。
僕は元来そういう人間であり、相手を四方八方の小さなキューブに分けて、色を峻別して、自分の中で尊敬と「罵倒」を共存させていると思う。よほどのことがなければ、全人格に対して失望することはないし、その逆もない。
その割り切った覚醒は、自分でそう嫌いな部分でもないが、それだけに「尊敬していない部分」での言及はあるいは行き過ぎの場合があるかもしれない。
その前提の下に考えても、下記の記述は余りにもいただけない。
弾さんに「私もくずですか?」と聞かれれば、限定付ではあるが、「あなたもくずです」と言わざるを得ないし、その共犯関係に同意を求められても、私は簡単に付き合うわけにはいかない。
404 Blog Not Found:最低のおれたち
だとしたら、私も人間のくずかも知れない。少なくとも、四半世紀前の私は。
(中略)ある朝目覚めてみると、どうも「おとなりさん」が息をしていないようだった。私は彼を放置してその場を去った。警察に通報しようものなら、私は間違いなく留置場行き。そんな私がこのことを警察に通報して何かいいことがあったのだろうか?
なぜ、通報すると留置場行きになる羽目になるのかが、そもそもわからないが、たとえ留置場に行くことになったからとて何であろうか。隣の人が息をしていなければ、何度生まれ変わっても僕は(その人物の命を奪ったのが自分であるというような特殊な状況でもない限り)迷わず通報すると思う。というか通報する。
ことほどさように、人の死というものは、ほとんどあらゆることに優先して対応されなければならないと、少なくとも僕は幼いころから何度も言われて育ってきたし、基本的な考えは今でも変わりない。
この「彼」も本当に息をしていなかったのか。もしかしたら通報すれば助かったかもしれないのであり、「不作為の殺人」であったかもしれぬではないか。
それをこう続ける心。
「なにかいいことがあったのだろうか?」
という言い方は、心底傷つけられる。さらに
しかし当時の私と今の私と、そしてあなたと私と一体何が違うというのだろう。
見知らぬところで誰にも救われずに傷ついたり死んだりしている事実を放置している、という点に関して、何が変わっているというのだろう。そう。あなたがこれを読んでいる瞬間にも、こうして我々に放置されて死んでいく人は後をたたない。
世界には80億人分の糧食があるのに、飢餓がなくならないのはなんでだろう?
少子高齢化といいながら、年間30万件も中絶があるのはなんでだろう?
我々は、どこまで隣人の心配をすれば「人間のくず」でなくなるのだろう?
「例の騒動」のとき、弾さんは、「オウム真理教」と「キリスト教」を同列に論じ、キリスト教も大量殺戮を繰り返してきたではないかと「遠景の評価」を行った。またオウムの信者ごとき少数を、社会は融合できるはずだというようなことも言った。
弾さんはそう論じる一方で、私達の「近景の戦い」に関しては見事なまでに「沈黙」を守ったわけで、こじつけではないが、やはり僕も松永さんも、あなたの横で「息が止まりそうになっている」「お隣さん」にしか過ぎなかったからかとさえ、思えてくる。
いわく
「なにかいいことがあったのだろうか?」
そういうことだったのか?
この話はここに留まらず、「人間のくず」の色と「尊敬できる俊才」の色と混ざり合い、他の色も混沌としており、近くに行けばいろいろあるのが人間であり、目を凝らして一つ一つを解きほぐしていかなければならないのが人間であるはずなのに、遠くにそのキューブを放り投げて、「なんとなく赤いでしょう。これが人間だよ」などと一般化と陳腐化を繰り返しているジャーナリストの一団と、通じるものを弾さんのこの言葉に感じ、非常に残念である。
「となりで息をしていないかもしれない」人には、あなたは手を伸ばせば届くのである。ほんの少しのあなたのやる気と勇気があれば、である。
80億人や、30万件もの飢餓や中絶の問題に昇華して、一体なんの話だったっけ?と首を傾げさせてしまう、その論法は、ここ数ヶ月そこかしこで散々見せ付けられてきた「向こう側の」論理であり、弾さんの「人間のくずではない」部分の色が、そのことの危うさに、くるりと気がついてくれないかと、せめてもの期待をかける。
なお、元ネタの記事における山田太一の話だが
あんなこと、こんなこと。どんなこと?:最低の男
この本の中で彼はホテルの一室で助監督4人と真上の部屋で女性が複数の男に襲われ暴行される物音を聞き、外に飛び出たが、そのまま戻ったという話を書いている。1人でいたのじゃない。4人だ。しかも最初に真上の部屋だと現場を特定してある。
それはそれで衝撃的であり、ちょうどこの記事を携帯電話で読んだのが、新宿を歩いている途中であることもあり、早速本屋で山田太一の「原書」(「町への挨拶」 山田太一 中公文庫)にあたろうと思ったのだが、紀伊国屋でも南口のブックファーストでも見つけることができなかった。アマゾンで調べる限り、絶版になっている匂いがあり、マーケットプレイスで見つけるしかなさそうである。あるいは「絶版」(わからんが)になった理由がこのあたりの記述にあるのかどうか。それは憶測であり、確認はとれていない。いずれにしても、早くその部分を実際に読んでみたいと思っている。その記述が確認できない限り、この件への態度表明は保留。
【追記】
ほぼ同意見かとお見受けした。
正義感を大事に!というお話。(つらつらつづる~書きたいことだけ書いてます)
2006 06 24 [日記・コラム・つぶやき] | 固定リンク | コメント (4) | トラックバック
June 20, 2006
お帰りなさい。
お帰りなさい。
天才を以ってしても、ひらがなだけというのは表現として早晩行き詰るのは必至。
漢字の大切さを思い出していただければまた吉。既知。貴地。
お帰りなさい。
天才を以ってしても、散らせる範囲には限界がある。
誰があなたに最後に付くか。考えていただければまた吉。機智。基地。
お帰りなさい。
天才を以ってしても、周囲には匹敵する天才も多々。
本当の力は大事なことにお使い下さい。大事とは何か。それはとっくに既知。吉。窺知。
一。二。三。四。ひがしむらやま。
一。二。三。四。一丁目。
そう、まず一丁目から。始めるのはあなたのほう。
【加筆 6/20】
さいこたんから東村山音頭について突っ込みが入った。
むしろ突っ込むなら「お帰りなさい」のタイトルのほうだと思うんだけれど、その件は何もなし。きっとドリフに思い入れがあるんだね。さいこたんは。
で、歌の順番については、確かにそう言われればそうかなと思ったのだ。年をとると物覚えが悪くなってね。それはともかく
間違ったと思ったらすぐ謝る。
思わなかったら絶対謝らない。
訂正すべきだと思ったらすぐ訂正する。
思わなかったら、絶対訂正しない。
のがこのサイトのポリシーだから早速調べてみた。
ちゃんとWikipediaに出ていたよ。
東村山音頭(ひがしむらやまおんど)は、1964年に東村山町農協が発売した、東京都東村山町(現在の東京都東村山市)制定の音頭である。
のちに、歌手の平田満(俳優の平田満とは別人)がカバーした。また東村山市出身の志村けんが1976年にリメイクし、「8時だョ!全員集合」での少年少女合唱隊で披露した。志村けんの出世作でもある。現在でもオリジナル版のカセットテープが市内のJA東京みらい東村山支店で入手できる。
志村けんバージョンが有名だが、志村けんバージョンはオリジナルとは歌詞が若干異なる。特に3丁目と1丁目はオリジナルには無い。3丁目はいかりや長介、1 丁目は志村けんが作詞・作曲を担当している(丁目が若い数字になるほど歌詞がいい加減になる。3丁目は一部歌詞をオリジナルから拝借)。ちなみに志村けんバージョンの歌詞にある「東村山○丁目」という地名は実在しない。1976年頃、当時の小学生の多くは東村山まで訪れ、地元のお巡りさんに東村山1丁目から4丁目の場所を尋ねるといった社会現象が起こった。
歌の順番はさいこたんの言うとおりみたいだけれど、丁目が若くなるほど歌詞がいい加減になるらしいから、さいこたんも気をつけてね。知ってると思うけど。
さいこたんも歌い込みすぎていい加減にならないように。
余計なことはともかく、訂正してくれてありがとう。謹んでお礼とお詫びを申し上げます。
【加筆2 6/20】
いや、素で知らんわけはないっしょ。(ムキ)
2006 06 20 [日記・コラム・つぶやき] | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック
June 18, 2006
後部座席(終章)
今まで一度も僕は、あの車に少年以外の誰かが乗っていた可能性については考えたことがなかった。実際、警察でも、叔父からも、一度もそういった話は聞いたこともない。
彼はおそらく1人であったろうし、そもそも同乗者があったとしても、その存在を僕たちは知らされる必要もなかっただろう。誰かが仮に乗っていたとしても、いなかったとしても、それによってあの事故に影響がないのであれば、どちらでもいいことだとも思えるし、必要のないことは知らされなくて然るべきだったろう。
では、いったい僕は、なぜこんな奇妙な考えに取りつかれるようになったのだろうか。しかもそれだけではなく、久しぶりにあの時間のあの場所------伯母が少年の車に轢き殺されたあの瞬間の映像を、僕は再び心の中でリピートするようになったのである。
その風景はこれまでに何度も見てきたはずだった。ところが僕の視野は、以前とは全く異なっていたのである。
僕は今まで一度も味わったことの無い風変わりな場所から、事故を見ていた。
それは、少年の車の後部座席からの映像である。夢のように妄想のように、僕はあの日の車の後部座席に座って少年の肩越しに風景を見ていた。
少年はやがて、反対車線に飛び出し、対向車に直面する。車は絶望的に逆にハンドルを切り、あのバス停に突っ込んでいく。今まで何度も見て何度もうなされたあの風景を、今僕は少年の車の後部座席から見ていた。今まで見たことの無い風景が繰り広げられていた。僕は、事故を起こした少年の視線にもっとも近いところから、少年が伯母の殺戮の場所に突っ込んでいくその場面を共に見るようになった。
さらには、警察署でうなだれて、少年と一緒に被害者である伯父と「僕」に対面までしているところまでを思い描いた。
それは奇妙な風景である。少年の後部座席に乗っていた僕は、「被害者」でもなく、かといって純粋な「加害者」でもなく、おぼろげで曖昧な存在のままで、「被害者である僕」の前に立っているのだった。跪いた少年の後ろに、ただ所在無く首を垂れて、うなだれて立っているのである。
僕は、気がついた。あれ以来初めて、僕はこの事故を加害者の目線から見るようになったのだと。それも少年その人ではなく、後部座席の同乗者と言う、何とも中途半端な存在として。
そして思ったのだ。もしもあのとき。
僕があの車の後部座席に乗り合わせていたら。もしも自分が後部座席に乗っていて事故を経験していたら、どうだったろうか。もちろん運転者ではないのだから、法的な責任はない。僕は何かの事情で、少年の後部座席に乗り込んだだけだからだ。僕はあらかじめ、起きた惨事を予想できたわけはない。ましてやそんな惨事を引き起こそうとして、少年の車に乗ったわけではない。そんな「僕」に誰も責任など問うことはできないだろう。
だが、それで終わりだろうか。その話はそれで終わりなんだろうか。
この20年、仮に僕が後部座席の同乗者であったとすれば、こんな悪夢に悩まされることもなかっただろうか。あの日の少年の嘆き、恐ろしさ、絶望。そして被害者の怒り。掴みかかった伯父。そして脇に立っておろおろしていた、自分よりも少し年上の「被害者としての僕」。
そんな全ての場面から、記憶から、いくら法的な責任がないからといって、逃れることができただろうか。
いやそれはできなかったろう。もしも自分がその立場であったら、あの時、なぜ暴走を止めることができなかったか、自分にできることはなかったか。本当になかったか。対向車線に無理な追い抜きを少年がかけたとき。後ろの座席から少年の肩を掴んででも、首を引っつかんででも、止めることはできなかったか。
例え、それが無理だったとしてもおそらく、あの日から何度もその思いに悩まされ、何度も被害者の顔を思い出し、何度も自分を責め、何度も加害者の姿を思い出し、苦しんで生きていたのではないだろうか。たとえ法的な責任が自分になかったとしても、道徳的な責任すらなかったとしても。だからといって、自分に全く関係のない出来事として、どうやって涼しく生きてこられただろうか。
何か出来なかったか。何か出来たことはなかったのか。つらい体験の恢復過程で、おそらくそれを何十回も何百回も自分に問うたと思う。あるいは自分を責めたと思う。
後部座席にいた「不作為の者」として。
オウム事件では、暴走する一部の信者の操る車に、たまたま乗り合わせ、なすべくもなくあの大惨事に共に突っ込んでいかざるを得なかった、多くの一般の信者たちがいた。彼らの多くに法的に責任はないだろう。道徳的な責任すら問うことは難しいかもしれない。だが、それで終わりだろうか。本当にそれだけで割り切れるだろうか。
彼らに出来たことはなかったのだろうか。本当にどうしようもなかったのだろうか。そしてその後、彼らは何に苦しみ、何を苦しまずに生きてこれたのだろうか。わからない。もしかしたらそこには何もなかったのかもしれない。「後部座席」などというものは元々僕の妄想であり、「事件の被害者でもない者」が、別のきつい体験をたまたま経験していたからと言って、こうして彼らのことを問うこと自体が、ことのはの人の言うように、「理解できない」ことなのかもしれない。納得のできないことなのかもしれない。
「後部座席の人たち」には、法的にも道徳的にも明確な責任はないのかもしれない。
しかし、苦しまないだろうか。きつくないだろうか。あの惨事の風景は、あなた方を苦しめないのだろうか。乗り合わせた車が地獄の惨事へ突き進む死の車だったことが、あなたがたのせいではなかったにしても、できなかっただろうか。何かが。
そしてその後できることはなかったのだろうか。ただのひとつも。
宗教というのは、あの日の僕と伯父、そして加害者の少年、そしてもう1人。いたかもしれない「後部座席」の同乗者のためにこそ必要だったのではないかとも思う。法や、道徳では割り切れない、どうにもならない苦しさに押し込まれた、巻き込まれた全ての人のために、あるいは宗教だけが救いをもたらしてくれる可能性があったのではないかと思う。
人を呪うことからも、人を憎むことからも、救ってくれるものがあるとすれば、あの日あの場面では逆説的には、宗教しかなかったのではないかと、今でも思う。
しかし、宗教が必要とされていたからといって、信じるものが必要だったからと言って、後部座席にいた「あなた方」は、少なくともいったん、そこから降りなければならないはずだ。「あなた」が今でもそこにいて、そのままその席に座り続けながら、今でも事故を起こしたその車の後部座席に座り続けて、窓を開け、首を出して、およそささやき声すら、この世に発すことは許されないのではないだろうか。そのまま生きていくことが、あなた方にとって本当に生きることなんだろうか。
つまるところ、僕はあなた方全てに、いったん降りてほしいと今でも思っているのだ。
あなた方の乗っていた車の後部座席から。せめて、あの固い床の上に。
あなた方の運転者が跪いた、あの固く冷たい床の上に。
伯母の事故の記憶が、今でも僕に伝えようとしていることがあるとすれば、もうその言葉くらいしかないのである。
僕はそう思っている。こんな妄想の中で。
2006 06 18 [日記・コラム・つぶやき] | 固定リンク | コメント (26) | トラックバック
June 15, 2006
後部座席(その3)
あれから20年以上の年月が経った。
あの日警察で固い床に跪いた彼は今頃どうしているのだろうか。
少年と書いたが、実はよく考えれば僕とそう年は変わらない。1人を死に追いやり、1人を生涯回復できない重症に追い込んだ彼のその後の人生は厳しかったであろうと想像する。
現場には事故の数週間後くらいに、行ってみた。車がスリップした後はまだ生々しく残っていた。バス停の近くで対向車線に追い抜きのためにはみ出した彼は、対向車にパニクッて逆に急ハンドルを切り、歩道に乗り上げた。にも関わらずさらに混乱し、信じられないことだがアクセルとブレーキを踏み間違えたのだ。車は歩道の敷石に上がったところでさらに加速し、バス停に突っ込んだ。
事故を見た人の話も聞きに言った。どんな細かいことも知りたいと思った。伯母が亡くなる時の様子をできるだけ細かく聞くこと。あれは仕方がない事故だったのだと納得をすることを求めていた。
今覚えば、事故の不可避性を自分に納得させることで、あの日跪いた少年を許すための道を探していたような気がする。
そしてこの20年間、伯母が亡くなった日のことを、何度も何度も頭の中で追体験してきた。夢にも何度も見た。夢の中で、あの日の事故を何度も何度も体験した。
少年の車は、僕の頭の中で幾度も幾度も同じように登場し、あの場所で加速し追い抜きをかけ、幾度も幾度も歩道を乗り越えて、同じようにバス停へと突っ込んでいく。目を覚ますと、汗をびっしょりかいていることもあった。
ある日見た夢は、伯母がまさにバス停の方へ歩いていく場面であり、僕が必死にそっちに行ってはいけないと呼びかける。そして伯母がその声に応じて「わかった」と笑顔で、事故の起きたバス停ではない方角へ向かう。ああよかった、これで事故は避けられたと思ってそこで目が覚めたこともあった。
でもさすがに長い時間がたった。1人残された伯父も数年前にこの世を去った。伯母の事故を思い出すことも、稀になっていた。夢も最近は見なくなった。
ところが今回の一連の出来事があってから、不思議なことに、僕はまたあの時の事故のことを思い出すようになった。
オウム事件は、僕の経験したこととは比べようもない、大事件であり、多くの人が亡くなり、多くの人がきっと僕よりも遥かに厳しい思いをした。比較してはならないだろう。
にも関わらず、僕は自分の人生の中で、多少とも「被害者」としての経験をしたこと、そして「加害者」に対する思いを味わったこと、周囲の人たちへの「被害者の立場」からの理不尽な憎しみを持った経験を、つまり伯母の事件の経験をオウムの事件に重ねようととしたのか。それで事故のことを思い出したのか。
でも、単にそれだけでは済まなかった。僕はもっと奇妙なことを考えるようになった。それはあれ以来、これほど何度も事故のことを繰り返し考えてきたのに、今までただの一度も考えて見なかったことを、である。
あの少年の車には同乗者がいなかったのだろうか。
(この項続く)
2006 06 15 [日記・コラム・つぶやき] | 固定リンク | コメント (5) | トラックバック
June 14, 2006
後部座席(その2)
衝立一つ隔てた場所で、同時に調書をとられているのが、伯母を轢き殺した少年なのだ。何ということだろう。僕の心臓は高鳴り始めたが、もちろん伯父はそんなものではすまなかった。
先に調書が終わったのは、少年の方だった。彼が立ち上がった途端に、伯父の大声が響いた。
「ちょっと待て!!」
衝立はいつの間にか吹っ飛んでいた。怒鳴られた瞬間、少年は両膝を床について、何かを言おうとした。詫びの言葉だったのだろうが、言葉にならなかった。両手にかけられていた手錠の黒光りのする色と、比較的がっちりとした体格、ジーンズの色を今でも思い出す。
伯父は
「お前に、お前みたいなやつになあ、お前みたいなやつになあ、うちの女房はなあ」
と続けたが後は言葉にならなかった。警察官はただ立ちすくんでおり、僕もおろおろと無様に泣きながら、ただ必死に伯父を座らせようとするばかりで、馬鹿みたいに伯父さん、伯父さんと繰り返した。修羅場としか言い様がなかった。
結局何も言えず少年は警察官に促されて立ち上がって部屋を出て行った。
「すまなかったな、取り乱して」
と言うと伯父は黙りこくった。その日は警察を出てから、あちこちの役所を回って手続きをした。人が死ぬとこんなにいろんな手続きが必要なんだと、知ったのもあのときだ。
太陽がぎらぎらと照りつける中を、ただ2人で役所から役所へと、黙って歩いた。
夕方になって、僕は、その日サークルの集まりがあって、大学の友人の家に行く予定だったことを思い出した。
「行かれなくなった。伯母が亡くなって」
と電話をすると、電話の向こうの友人は、ただ快活に
「そうか。わかった、わかった」
とまるで気にしていないような声で答えた。電話の向こうではもう友人達が集まっている賑やかな雰囲気が伝わってきた。おそらく電話に出た友人は、とっさのことでよく事態が飲み込めなかったのだろう。誰か僕の遠い親戚にでも不幸があり、その葬式かなんかで来れなくなったのだろうと。よくあることだと。その程度の認識だったのだろう。電話のこちらで僕と伯父がどんな思いをしているか、彼に察しろというのは無理だった。
それは無理だ。それはよくわかる。
よくわかるが、僕はその瞬間その友人を心の底から憎んだ。あのときの強い憎しみは今でもはっきりと思い出すことができる。それは、普通の生活から遮断された者が、通常の生活を送る者に向けた理不尽な憎しみだ。
あの憎しみを言葉にしたことはこれが初めてだが、
あの憎しみの強さを、そして理不尽に人を憎む自分に対する、吐き気のするような自己嫌悪を、僕はこれからも決して忘れることはないだろう。
今ならはっきりとわかる。暴走して伯母を轢き殺し、命を奪ったあの少年よりも、僕は電話の向こうで快活な受け答えをした友人を憎んだのである。
何ということだろうか。
(この項続く)
2006 06 14 [日記・コラム・つぶやき] | 固定リンク | コメント (3) | トラックバック
June 13, 2006
後部座席(その1)
この騒ぎが起きてから、いつか書こうとずっと思っていたことがある。伯母の話である。
大学2年のとき、交通事故で伯母が死んだ。
伯父と伯母(父の姉)には子供がいなかった。で、僕はこんな状況だったので、伯母はずいぶん僕のことを可愛がってくれていたのだが。伯母を轢き殺したのは19才の専門学校生だった。朝、学校に遅刻しそうだった彼は、反対車線に飛び出して対向車にぶつかりそうになり、慌ててハンドルを切り、バス停に突っ込んだ。
伯母はそこに立っていた。
その日の朝に限って、いつも利用するバス停を避けて、ひとつ先のバス停でバスを待っていたのである。いつも一緒に通勤する伯父は、一足先に出た後だった。体調が悪く、いつもより遅く家を出た伯母は時間を気にして、ひとつ駅よりのバス停を選んだ。いつもどこへ行くにも一緒だった夫婦が、稀に離れ離れになった瞬間だった。
それが永遠になった。
運命である。
伯母は即死し、他に2人が重症を負った。1人は高校の教師だったが両足を切断してようやく命をとりとめた。後のもうお一人は、どうなったかわからない。長い間夫婦だけで暮らしてきたのである。誰もがもう伯父は駄目だと思った。
同時に僕の祖父母は、娘を一瞬で失ったのである。
知らせを受けたとき、家には僕しかいなかった。伯母の会社の人から電話を受けたとき、すでに伯母は亡くなったという知らせだった。屋上で珍しく2人揃って植木を眺めていた祖父母の話し声が夢の中のように遠くに聞こえた。悲報を知らせに行った時、2人とも「え!!」と言ってそのまま立ち尽くした。
夏の暑い日だった。蝉が鳴いていたような気がする。
放心状態の伯父について警察に行ったのは、その日だったのか、次の日だったのかも覚えていない。誰かが一緒にいないと伯父は危なかった。僕しかいなかったのである。
警察で硬い粗末な椅子に座らされて、「被害者」としての調書を取られ、伯父がぽつりぽつりと答えているとき、ずっと僕は横に黙って座っていた。こういう立場でも取られるのは「調書」なのだと、初めて知った。
少し時間が経ったとき、伯父と僕は信じられないことに気づいた。
衝立をはさんで、やはり隣で調書を取られている若者。それが伯母を轢き殺した専門学校生だった。今考えても信じられない警察の杜撰な行為である。加害者と被害者を、同じ部屋で、衝立1枚はさんで同時に事情を聞いたのである。
警察官の質問に答えながらも、伯父の顔色は次第に変わった。
(この項続ける)
2006 06 13 [日記・コラム・つぶやき] | 固定リンク | コメント (1) | トラックバック
June 07, 2006
50万アクセス超えました
こんな最中で何だけど(最近いつも「何かの最中」)、開設以来通算で、さっき50万アクセスを超えたみたいです。だから何だという感じもありますが、2004年の春開設だから、およそ2年が経過。
もはや最近の状況を見ていると、続いているだけでもう獣。
アクセスがどうとかいう段階じゃなくなってきていますけれど、とりあえずは、こんなブログを読みに来てくれている皆様に、感謝と、よろしくと。
いつか真人間に戻りたいと思います。
ではでは。
2006 06 07 [日記・コラム・つぶやき] | 固定リンク | コメント (3) | トラックバック
June 01, 2006
優しさと微笑と厳格----関嘉彦先生を悼む
恩師・関嘉彦先生が亡くなられたのは、少し前のこと。
今年の5月4日のことだった。
関 嘉彦(せき よしひこ、1912年11月19日 - 2006年5月4日)は、昭和・平成期の社会思想史家。東京都立大学名誉教授。法学博士(京都大学)。元参議院議員。イギリス労働党の日本における紹介者として知られる。(Wikipedia)
1936年大学卒業後、日本生命を経て、恩師である河合の推薦により1940年太平洋協会に勤務。河合が2・26事件から来る弾圧にもリベラリストとしての節を曲げずにファシズム批判を続け、出版法違反で起訴されたためその法廷闘争の応援活動を続けた。戦時期には陸軍軍属として太平洋協会より南方占領地調査に派遣され、北ボルネオで司政官(調査部員)として勤務した。(同上)
1955年、日本社会党に属するが日常活動の低調なことに失望。1959年、右派の脱党に際してはこれと行動を共にする。民主社会党綱領を起草すると共に、党のイデオロギー的重鎮となる。1970年から1983年まで民主社会主義研究会議議長。早大退職後、1983年、民社党から比例区で参議院議員に当選。1989年まで一期務める。
(同上)
都立大学の名誉教授という地位におられながら、私の大学でも教鞭をとっておられ、私は2年間にわたってゼミでお世話になった怠惰な学生であったが、温和な好々爺といった表情の中にも、非常に厳しい視線を持っておられた。先生の思想は民主社会主義と解されるものであるが、実際には防衛等に関する考え方は、自民党よりも右と言われた当時の民社党にその思想が反映されており、Wikipediaにあるように民主社会党綱領の起草も勤められている。
俗に言う西欧型の「修正社会主義」であるが、「修正」というどちらかという半煮えの用語では一まとめにできないと思っている。都立大学を退職されたきっかけが、教授会の自衛官入学拒否と大学立法への反対であったことは、不明ながら今になって知った。
政治学など社会では元々何の役にも立たぬのであるが、やはりマスメディアに就職する学生には、国際関係論やメディア論が人気があり、政治思想をやる学生など当時もそれほど多くなかったのである。
それでも生意気盛りが揃った政治思想ゼミの我々を、論破するなどは、先生には朝飯前であったろう。声を荒げず、微笑を絶やさずに、それでいて絶妙のタイミングで学生の論理の甘さを見逃さず衝く。先生を相手にしては、遥かに余裕のある剣の高段者を相手にしているようなものであり、鋭い舌鋒の間合いから1歩も中に入ることすら、我々「若輩者」になど、到底及びもつかなかった。
クリスチャンで絶対非戦論(というより忌避論)を頑なに唱えるある学生を、「宗教的良心で戦いを忌避する考え方は、宗教的には合理性があるが、それは政治思想ではない。僕のゼミで通用する議論を行いなさい」と、きっぱり諭したシーンを思い出す。心優しくも、しかし独善的な平和論を唱えた学生の非合理性を、先生は見逃さなかった。
おそらく若き日には理想主義の旗を掲げておられた先生が、風雪を経て専守防衛の論に辿り着かれたのであろうことは、その経歴を眺めるに自然と理解される。かみ締めるように語られる論説には重い迫力があり、決して表面的偽善を許さないものがあったが、孫のような、我々学生を相手に、理屈で1歩も押し込まれることのない明晰な頭脳は、今更ながら敬服するとしか評せない。このような迫力のある大学教授が、失礼ながら今何人おられるだろうか。
しかも始終穏やかに笑みを絶やさずに、佇んでおられたのである。
あの厳格ながらも優しい表情が思い出される。
そして、思想に対峙する時の厳しさというものもおそらく最初に教えていただいたはずだ。
「お別れの会」は6月19日に東京グランドホテルで開催されるとのことである。関係者の方からご招待状を頂いた。几帳面な先生のことである。こんな私もしっかりと、名簿の一隅に加えておいていただいたのであろう。
先生。
どうかゆっくりお休みになられますことを。
非学にして不肖の弟子は、教えに遠く至らぬ場所で、飛んだり跳ねたりの日々をおくるばかりで、先生の厳格にも微笑にも、遠く及びもしない不明の汚泥にまみれて日々を送っていますが、本当にありがとうございました。
2006 06 01 [日記・コラム・つぶやき] | 固定リンク | コメント (6) | トラックバック
May 24, 2006
佐々木氏への批判は
ここではやらず、こっちに持っていくことにした。ここでやるほどのことはないと思ったのと、今忙しい。
2006 05 24 [日記・コラム・つぶやき] | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック
May 16, 2006
すさまじく消費されていくこと------永遠に?
このブログを初めてからそろそろ2年だろうか。最初のころは何を書いたらいいかわからなくて、2週間に1回ほど、街で思ったこととか、とりとめのないことを書いていた。もちろん、アクセスなんてほとんどない。自分が自分のブログの一番熱心な読者だった。
そのうち、少しずつ読んでくれる人が増えて、記事も頻繁にあげるようになった。アクセスが増えていくことが嬉しかった。
いわゆる「ウケのいい」記事を書くと、とたんにアクセスが増える。毎日のように覗いてくれる人が増えてきたことも励みになった。余計頻繁に記事を書き始める。
はてなのブックマークを覚えた。関心の高い話題に突っ込むと見る見るうちにブックマークが増えて行く。気持ちが高ぶる。
だがそれも一瞬のこと。数時間が過ぎれば、はてぶの波は、何事もなかったように、新たな記事に移って行く。例えどんなに関心を集めたとしても、ブロゴスフィアは、すさまじい勢いであなたと、あなたの記事を「消費」していく。
消費されてなるものかと、次の記事を書く。読者の波が戻ってくる。なぜこんな記事がと思うものにアクセスがつく。これはと思うものが無視される。読み違えたバカモノが、見当違いの批判を残す。かと思えば、泣かずには読めないようなコメントを残す人がいる。
好意であっても、悪意でも、この間もブロゴスフィアは、僕と、僕の記事を。
あなたとあなたの記事を消費し続けるのだ。その速度には誰も勝てない。
やがて何人かのブロガーが疲れ果てて、あるいは書く意味を見失って、ブログを閉じて去って行く。
何のために書いているのか。1円にもならないのに。
何のために書いているのか。名誉にもならないのに。
この空間に消費され尽くし、体中に傷を受け、留まっていられるのは、いったい何年が限界なのだろうか。そして何本の記事が限界なのだろうか。そんな御託を並べている間にも、僕はこうして記事を書き、あるいは人のブログに、無謀なコメントを残す。
彼方で、誰かが傷つき頭を抱える。
彼方で誰かが涙して、そしてそれでも消費は止まらない。
記事を送信した途端に、今日も凄まじい消費が始まり、あなたを、そして僕を吸い尽くしていく。
これが死ぬまで続くのだ。
ブログ上で死を迎えるまで。永遠に。
2006 05 16 [日記・コラム・つぶやき] | 固定リンク | コメント (11) | トラックバック
May 02, 2006
交通博物館と鰻とスピッツと1%に関する話
今日はこれである。
秋葉原のランドマーク万世橋のたもとにある「交通博物館」が、2006年5月14日(日曜)をもって閉館する。子供の遠足だけでなく大人の“おさぼりスポット”として、多くの人に愛されてきたが、館内施設の老朽化やバリアフリー対策の不備などを理由に1921年(大正 10年)から続く歴史に幕を引く。(デジタルARENA アキハバラ最前線 さようなら! 交通博物館…「旧万世橋駅遺構特別公開」フォトレポート【大人の秋葉原 第1回】)
収蔵・展示品目の増加によって手狭になり、また建物の老朽化が進んでいることもあって、JR東日本は、神田にある交通博物館を2006年5月14日限りで閉館し、「交通博物館」と改称して2007年10月14日にさいたま市大宮区大成町、北区大成町に移転・再オープンする計画を2004年2月16日に発表した。 新・交通博物館の建設と運営は財団法人東日本鉄道文化財団に委託。その為本稿では継承館として同館についても著述する。(Wikipediaより)
交通博物館は、60年代の子供にとっては憧れの場所だった。ただの「鉄道」が、あのころの子供にとって、なぜあんなにもキラキラ輝いていたのか、今となってはどうしても謎である。線路も、車輪も、駅も駅弁も、今とは明らかに違う光を放っていたのである。
隣の夫婦には子供がいなかった。
その代わりに、スピッツを飼っていた。あのころの日本の家庭では、犬といえばスピッツだったのである。トイプードルでもチワワでもなかった。僕の生まれた同じ年に、そのスピッツは生まれて、一緒に大きくなった。というか、犬なので大きくなったというよりも急速に年老いていったのである。隣夫婦の旦那さんのほうは、確か聚楽に勤めていた。板前である。聚楽は、「国鉄」の出入り食堂業者であり、その関係からか、隣の旦那は、国鉄の大ファンだった。で、数ヶ月に一度は、隣に住む小学生の男の子を誘って、神田にある交通博物館を訪ねることになったのである。
交通博物館に、それほど明確な思い出はない。微かに覚えているのは、大きな、大きな鉄輪と、赤レンガ、そして蒸気機関車である。夫婦は、一日神田で過ごすと、(確か)聚楽亭で食事をご馳走してくれた。
一途な板前さんだった。しばらくしてから、郊外に鰻屋を開いた。子供心にも腕は良かったと思っているのだが、何分にも繊細過ぎた。鰻重のために作ったタレを無視して、客が醤油を頼むと、それだけで店に出られなくなった。途方にくれていた奥さんを思い出す。それでも鰻が好きな僕は、その郊外の店まで何度か遊びにいっては、鰻をご馳走になった。目を細めてその小学生を眺めていた顔が忘れられない。
しかし、2年も続いたろうか。その夫婦の店は駄目になった。子供だったからわからないけれど、おそらく気難しかったせいだと思う。その店のために作った大量のマッチだけが残った。悪いことにそれから間もなく、スピッツが死んだ。寿命である。確か15年生きた。
夫婦の運命は次第に暗転した。旦那さんは、昼間から酒におぼれるようになった。元々酒が好きだったが、それに拍車がかかった。犬が死んで寂しかったのだろう。悪いことに(おそらく)隣に住む小学生も成長した。交通博物館に誘っても、理由をつけては断るようになった。旦那さんの酒量は増え、次第に幻覚に悩まされるようになった。妻の浮気の幻影を見るようになった。留守の間に、妻が外出すると、血眼になって探した。「黒人と一緒にあいつが逃げた」などと、訳のわからぬ事を言っては、うちの玄関に立つようになった。エスカレートして、そのうち夜中にドアを狂ったように叩いた。困った僕と祖母は、近くの交番に相談に行ったが、何も事件を起こさないとどうすることもできないといわれた。錯乱が激しくなると救急車を呼んだ。でも酒が醒めると帰ってくる。酒さえ醒めてしまえば、気の小さい繊細な男であった。
そのうち奥さんはたまりかねて、帰ってこなくなった。旦那の錯乱は激しくなり、一人酒に溺れた。何日か姿を見ないことが続き、祖母は心配して住宅の管理人から鍵を借りて隣に様子を見に行った。旦那さんは一人で台所に座ったまま、死んでいた。
明治生まれの底力を知ったのはその時である。祖母は顔色も変えずに帰ってくると、まるで天気の話をするような調子で、彼の死を告げた。で、あろうことか布団に寝かせたいので手伝えという。冗談じゃない。僕は家の中で震えていた。「しょうがないねえ。弱虫」と言うと、祖母は取って返し、1時間ほどかかって、隣の「後始末」をして、警察を呼んだ。
世間的には「変死」である。なぜ動かしたのかと、祖母は警官に散々小言を言われたが、涼しい顔をしていた。はなから役者が違う。「死体なんか戦争で散々見ている」!!!!!警官は引き下がった。
交通博物館の閉館。僕が思い出したのは、鰻とスピッツだ。変な連想だが、鉄の車輪の匂いと一緒に鰻とスピッツを思い出す人間は、世界広しと言えども僕だけだろう。
で、それはそれだけの話である。それだけの話であるが、こうして書き起こすことで、ひとつの謎が解けたような気がする。人生における孤独に関する、全体のほんの1%ほどの謎ではあるが。
2006 05 02 [日記・コラム・つぶやき] | 固定リンク | コメント (3) | トラックバック
April 15, 2006
土曜日なので遊園地の話をします。
彗星のようなひらがな童話作家が出てきたので、これからは「大人の童話」の時代かなあと思って期待していたのですが(変な意味じゃないですよ)突然閉鎖されてしまったようです。何かあったのでしょうか。とても心配です。
で、今日は土曜日なので遊園地の話。
先日、遊園地の前で言い争いをしている親子を見た。何でも入場券のことで揉めているらしい。父親が息子(らしい)に入場券を買ったかどうか確認しているが、息子の返事がどうも意味不明。
ちなみにこの息子、「決して嘘を言わない」らしい。(そんなことどこから聞いたかって?くもの巣の上にメモが置いてあったんだ。それ以上は聞かないように。)とにかく絶対に嘘はつかない、頭のいい子なんだ。それをよく覚えておいて。
「で、お前入場券は買ったのか?」
「買ったかどうかを確認する前に、すでに買ってないと決め付けている、人には答えたくない」
「お前ねえ。ずいぶん大人びた返事をするな。(親子だって設定だぞ、少しは場面を考えろ) じゃあ、買ったということか?」
「買ったと決めつけるならそう思っていればいいだろう。」
「じゃあ買ってないのか?」
「買ったといってもそれを証明しろととーちゃんは言うだろう」
「当たり前だろ。遊園地に入れないじゃないか」
「買ったと僕が言っても遊園地の職員がそれを嘘の入場券だと言ったらどうする」
「じゃあ、買ったということか?まず買えよ」
「買ったとか買ってないとかいうことではなく、それ自体に意味がないということだ。遊園地の玄関に入場券の金額は出ているが、入場券がないと絶対に入れないとも書いてない」
「じゃあ買ってないんだな?なぜ買わない。すぐ買ってこい」
「その命令口調が気に入らない。そんな命令口調で言う人のいうことは聞けない。」
「じゃあいいよ。しばらく考えろ」
「とーちゃん」
「何だよ」
「腹が減った」
「レストランは遊園地の中だ」
「じゃあこうしよう。入場券の話はいったんおいておいて、まずレストランで昼食にしようよ」
「勝手を言うな。それなら入場券を買って来い」
「何をどう進めるのか順番について指図しないで欲しい。僕はまずレストランで食事したい。入場券の話はその後だ」
「お前ってやつは・・」
確かにこの息子は一度も嘘を言っていないんだから大したもんだ。でもなぜそんなに入場券についてはっきり答えないんだろうか。そんなにこの話がいやなら遊園地になんか入らなければいいのに。遊園地だからといってそんなに楽しいことばかりじゃないかもしれないし。遊園地に入りたいなら入場券をさっさと買えばいいのに・・・あ、すでに買っている可能性もあるんだね。
うーん、難しい子供ですね。どうしたらいいんでしょうか。
え?お節介?そら失礼。
【加筆】
お節介ついでにリンクをひとつ。ここでも似たような話をしていましたので。
2006 04 15 [日記・コラム・つぶやき] | 固定リンク | コメント (7) | トラックバック
April 14, 2006
今夜は才人よりも鯨の安否を心配することにします。
わあ、何てタイトルのエントリーだと思った。鯨よりも怪我をした人のことを心配しろとかそんなことは言う気になりません。5号館さんは確か生物学者さん(そうですよね?)なので、こういう感想も一際だと思う。
それにしても、最近どうして鯨と船の衝突が増えているんだろうか。子供のころなんてこんな話聞いたこともなかったよね。上のエントリーでテーマになった事件については、船がぶつかったのは「鯨ではない」説があるそうだが、それもはっきりしない。(ここでも陰謀論ですか)乗客はぶつかった直後に海が茶褐色になるのを見ているという話もある。やはり生体なんだろうか。でも鯨以外の生き物という考えもありますよね。ネッシーとか。(あ、ごめんなさい。)
やっぱり「平成狸合戦ぽんぽこ」みたいな話なのかな。人間が鯨の生育領域をじわじわと脅かしているのだろうか。この他にも引用したサイトのコメント欄では、海底ケーブルに絡まって死ぬ鯨の話だとか、鯨の個体数が増えているのではないかとかいう話が紹介されていました。
今頃海の底では大問題になっていて、鯨たちが額を寄せ合っているかもしれないね。
2006 04 14 [日記・コラム・つぶやき] | 固定リンク | コメント (5) | トラックバック
April 11, 2006
遺書もなく去る人を止めなければならない法はないが。---過剰なのか、鈍感なのか。
別に月曜日を越えたから書くわけではないが、そして当然のように今日は火曜日だし明日は水曜日であり、当然のように時間は過ぎていくのだから、だから今書くというわけでもないが
こういうトラックバックもいただいていたので、少し触れる。(しかしこれは引用先の筆者にのみ問うエントリーではない。念のために)
一言で言うと、ついてゆけない。
どうして、そこまで熱くなれるのだろうか?
私も問おう。
どうして、そこまで醒めていられるのだろうか?
ある朝、新聞の片隅が黒く塗りつぶされて配達されてきたらどうするか。紙面には何の説明もない。噂ではその新聞社で何かがあったらしい。何かがあったらしいが、その「黒く塗りつぶされた部分」を読めなくても、その理由を知らなくても、うちの朝御飯に影響はない。きっとお父さんの給料にも子供の成績にも、あなたの住宅ローンにも影響はあるまい。
さて、大騒ぎして新聞社に電話する人間は過剰か。適切か。
例が大袈裟か?では変えよう。
テレビ番組のバラエティで、次長課長の台詞が5秒間にわたって削除されたまま放映された。おそらく放送不適切用語だろうと見当はつく。見当はつくのだが、その番組の終りには何のテロップも流れなかった。さて、どうなる?その理由を知らなくても、うちの朝御飯に影響はない。きっとお父さんの給料にも子供の成績にも、あなたの住宅ローンにも影響はあるまい。
さて、大騒ぎしてテレビ局に電話する人間は過剰か。適切か。
過剰と鈍感の差に個人差があることは認める。黒塗りどころか、新聞なんてとってねーよって?あるいは新聞が1日くらい来なくたってテレビガイドがあるからいーじゃねーかって?
是。是。
それはあなたの人生だ。好きにされるがよかろう。人生にはもっと楽しむべきことが沢山あろう。健康で美しい人生が。(あなたにとって)重箱の隅と思われるようなことに、何を苛ついて日をおくる?
あるいは世界には「もっと大切な」問題がある?それならあなたがその「もっと大切な」問題に拘ればいい。
OK。あなたの人生だ。あなたの人生はあなたのものだ。
だが「公共」はあなた1人のものではない。それは等しく私のものでもあるのだ。
公共にいるあなたは、聞かれれば答えなければならない。あなたの給料を聞いているのではないのだ。あなたの夫婦関係の不和を聞かれているわけではない。
あなたの出席した公党との会合に非合法者が悪意で紛れたと聞けばあなたはそれについて答えなければならない。そうだったのか?果たして違うのか。
あなたが受けたインタビューが、理由もわからず削除された。あなたの回答にあるいは、インタビュアーに問題があったのか?なかったのか。
あなたが書いたブログの原稿が「何者かの意図で」削除された。あなたに問題があったのか?なかったのか。
1つ1つに答えていくことを苦痛だと考えるなら、それらに関わるのがそれほど苦痛なら、答は簡単だ。公的空間に出ないことだ。
美しくつつましく(揶揄しているのではない)生きる方法はいくらでもある。よく考えて欲しい。公的空間に出てきたことは「あなたの意志」だ。誰かに強制されたわけでもあるまい。為すべきことが苦痛なら、為すべきことが重荷ならあなたの意志で、あなたの空間に戻ればいい。
それでも自らが去るときには遺書くらい書いていくのが当然であり、残された者への礼儀であろうと「私は」思うが、もちろん遺書もなく去っていく人たちも大勢いる。それならそれ以上言うべき言葉はない。
それも「あなたの」自由である。だが私は「そうしない」というだけである。
【参考記事】
湯川氏と時事通信社は一刻も早い説明を。------泉インタビューの削除に関して(Bigbang)
【参照】
渦中の時期に上がったことには何の意味もないのだろうか。意味があるのだろうか。先日絶妙かつ外した煽りで強烈に揺さぶっていただいた、その同じ人の筆によるとは信じられない。謹んで拝読しかつ共感した。
「自分は要らない存在じゃないか」と悩んだ人と考えるトピック(切込隊長BLOG(ブログ)~俺様キングダム~)
2006 04 11 [日記・コラム・つぶやき] | 固定リンク | コメント (25) | トラックバック
April 07, 2006
6,281万4,000人は今月1度もここには来ない
1人。
自分以外誰も読む人がいないブログ。
寂しいけれど、本来の日記だね。時々誰かが「間違って」やってくるかもしれないだけ、どきどきする。最初に来るのは誰だろう?
悪くないよね。
2人。
自分以外に読む人が「1人」いるブログ。
それは誰だろう?恋人?友人?夫婦?交換日記のようなものか。
悪くないよね。
5人。
仲間のブログ。5人いれば結構話題が続く。順番にふられた話でもすれば朝までもつかもしれない。5人揃って朝の光の中で目をこする。
悪くないよね。
10人。
ブログが燃えちゃうとか言っても、別に本当に燃えるわけではないのだが。
コメント欄に管理人に対して「反感を持つ」10人くらい張り付いちゃうとそういう状態になるのだそうだ。
でもいきなり「反感」を持った人が10人来るのは考えづらい。やくざだっていきなり殴らないだろ?だからまだ燃えない。
悪くないよね。
100人。
賑わってきた。管理人を外してコメントの応酬もあるけれど、揉め事もありそうだ。このうちの10人が「貼りつくと」ブログが燃えちゃう。いや、本当に燃えるわけではない。(もう書いた)
悪くないよね?
1,000人。
今BigBangに1日に訪れる人がだいたいこの前後。だからこういう状態。200人に1人くらいが毎日コメントを書き、1000人に1人くらいがメールをくれる。燃える寸前だと(苦笑)50人に1人が毎日コメントを書く。喧嘩、揉め事。日常。毎日2ちゃんからお客様が来る。いつも誰かが落ち込んでいる。いつも誰かが怒っている。めったにトラバを飛ばさなくなる。そのくせぶくまする。
管理人はしばらくネットから離れるかなどと言い出す。寝不足が続く。
で、結局離れられない。
悪く・・悪くなってきた?
30,000人。
1ケ月に最低1回はここを読んでくれる人。そろそろ逃避癖が強くなりブログを分けようかと考え始め、はてなに手が伸びる。
またブログかよ。
そっちでぐだぐだする。
自分のブログでは落ち着かなくなってくる。ここまで来るまでに、何回かは半分ブログは燃えている。あ、本当に燃えるわけでは・・(しつこい)
2ちゃんを見るのはやめようと思う。
でも見ちゃう。
日本のインターネット人口は6,284万4,000人(2004年)
つまり6,281万4,000人は今月1度もここには来ないということだ。
30,000人が僕を死ぬほど嫌いだとすれば6,278万4,000人が僕を愛している(と思う)。
コメント欄に10人貼りついても、6,278万4,000人が一斉に水をかけてくれる(と思う)。
もしも100万人が貼りついてしまったら、どうしよう。
その時は6,200万・・・・水を
いや、その時はブログを閉めよう。
消えていこう。
悪くないよね?
2006 04 07 [日記・コラム・つぶやき] | 固定リンク | コメント (10) | トラックバック
April 03, 2006
Maid in JCB----嘘だと言ってくれ。
4月3日22:06現在。真偽わからず。
(エイプリルフール終了後26時間経過)
嘘だと言ってくれ
↓
怪しいドメインだと思ったけど、これを見るとマジっぽいよね。
#スルーしようと思いましたがタイトルを思いついたらアップせざるを得なくなりました。
2006 04 03 [日記・コラム・つぶやき] | 固定リンク | コメント (3) | トラックバック
ウィットの効いたエイプリルフールコメント----あなたは誰を選ぶか。
■爆笑 12:13
http://hatena.g.hatena.ne.jp/hatenabookmark/20060401
# dasm 『「はてなお気に入り」は「オウムお気に入り」の間違いです。』
# naoya 『ウィットの効いたエイプリルフールコメントですね!』
●最初にコメントした者。
●それに対して「ウィットの効いたエイプリルフールコメント」と返した才の者。
●そのやりとりを「爆笑」と評した者。
あなたに問う。
無人島であなたとたった2人きりになるとしたら、この3人のうち誰を選ぶか。
2006 04 03 [日記・コラム・つぶやき] | 固定リンク | コメント (8) | トラックバック
April 01, 2006
2ちゃんねるのエイプリルフール中止宣言って。。。
*エイプリルフール中止のお知らせ*
本年度、ITバブル崩壊の余波、またライブドア事件の混迷、楽天ゴールデンイーグルスぶっちぎり最下位など、悪条件の重なりによる株価低迷が2ちゃんねる運営費にも多大なる影響を与え、火の車である今の財務状況を鑑みるに、エイプリルフールの全面中止もやむなしという判断にあいなりました。
ご期待されていた皆様には大変申し訳ありませんが、どうぞよろしくご理解いただければ幸いです。
また、妄言民族と呼ばれ、近隣アジア諸国に多大なる苦痛を与えている日本国民としてこれを良い機会と考え、例えエイプリルフールだとしても嘘を無くし、世界平和に貢献できる公明正大な言論の場を標榜すべく襟を正しつつ、2ちゃんねるはエイプリルフールの根絶に今後とも邁進していく所存でございます。http://www.2ch.net/
って、これ自体が・・・・・なんでしょ。どう見ても。お洒落ね。
【加筆 4/1】
引っかかった大物ブロガー発見!?
↑
違うか。乗っかったのか。
【加筆2 4/1】
(2ちゃんねるの歴史 Wikipediaより)
2000年
* 1月3日 - モナー誕生
* 4月1日 - 2ちゃんねるのトップに、「2ちゃんねる、株式会社光通信に買収される」というエイプリルフールの冗談記事が掲載される
2005年
*4月1日 -
エイプリルフールのためか、トップページが「大日本第弐局地本部」または「地球市民平和第2掲示板」に変更される(ランダムでindex-
left.html
とindex-right.htmlに転送され、どっちのトップページが開かれるかは分からない仕掛け)。また、大半の掲示板で日付が西暦から皇紀に変更
される。多くの板では、皇紀ではなくその板特有の「暦」に変わった。例えば携帯・PHS板では「ボーダフォン撤退2007年」という表示になった(これは
vodafoneファンとauファンとの間に波風を立てる結果になった)。他には、801板では「腐女子暦801/04/01(金)」、ハングル板では
「檀君紀年4338/04/01(金)」、考古学板では「太陰太陽暦2005/04/01(金)」などである。
↑
光通信って・・歴史を感じさせるねー。で関係ないけどモナーってまだ5年目なの?
へーX5くらい。
【加筆3 4/1】
※コメント欄から
>2chの全板の日付が3/32になっているというオチなんですが。。。
>投稿者: 2ch (Apr 1, 2006 2:07:29 PM)
わ。ほんとだ。やられた。(←「自称大物ブロガー」の叫び)
2006 04 01 [日記・コラム・つぶやき] | 固定リンク | コメント (5) | トラックバック
桜の樹と天空
月並みな感慨だけれど、時が過ぎるのは早い。1年間など光陰矢の如し。昨年このエントリーを書いたときにそばにいた人で、今そばにいない人は何人いるだろう。
あの人も、そしてあの人も去っていった。それは誰の人生にもあること。
きっとこうして、人の時間は巡り、巡っていくのだろう。
ユニークなことではない。それにしても。
桜の満開宣言は確か東京で出たのだけれど、それにしても何と寒い夕べであることよ。
寒い夕べと言えば星である。(?)
僕は道に迷わない。なぜなら星を読めるからだ。
四季の星座を知っているからだ。
行くべき方角は天にある。
もしも道に迷ったなら、僕は天を仰いで方角を知る。
ずっと昔から。
それが生きていくときのある種の「手がかり」になっている。
ではこの世ではどうなのか。
人の世ではどうなのか。
そこには星座はない。標はない。
どちらを見ても、どの方角を仰いでも星座はないのだ。
深い夜。
僕はこの世界の星座について考える。
この世界の標について考える。
そして気がつく。
そんなものはないことに。
この世界には標も、星座もないのだ。
そんなことは当たり前のことだった。
そうでしょう?
2006 04 01 [日記・コラム・つぶやき] | 固定リンク | コメント (8) | トラックバック
March 25, 2006
「私たちは平等に価値がない」ことを噛み締める
それで結局私は思うのです。「人間は平等に価値がないのだなあ」と。支配階級が被支配階級に向ける視線、差別するものが差別を受ける側に向ける視線というものは、結局自分に還ってきます。差別してなんとも思わない人間というのは、やっぱりその程度の人間にしか見えないのですよ。
だからといって差別される側が偉いということもなく。ただ、人間はどこまでいっても人間である。同じ一つの秤に載せられた運命共同体である、そんな境地にまで達してしまいました。
そしてとても愉快にこの小説を読みました。(「家畜人ヤプー」:私たちは平等に価値がない -tracker's burrow)
最近、よく電車やバスの中で人のブログを読む。この記事も夕方、バスの中で小さな携帯電話の画面の中で読んだ。
「平等に価値がある」のではなく、「平等に価値がない」という否定話法に少し驚いて記事の小さな文字に見入った後、しばらく窓の外に流れる雨の街を見ていた。
しかし思えば「平等に」価値を否定されたほうがまだ幾分肩の力が抜けるというか、少し楽になるような気もする。あるかないかわからない、何かの「我らの中の価値」を具現化しようと、無理をして頑張るよりも、「平等に価値がない」と言われたほうが、よっぽど楽というものではないか。
「差別する人間はその程度の人間にしか見えない」が、「だからといって差別される側が偉いということも」ない。tracker's burrowさんのベースに流れているのはいつも乾いたニヒリズムのように思えるのだけれど、他方で希望に続く言葉にも読める。
元来あちらのコメント欄で書いたほうがよかったのかもしれないけれど、ここに集う我らで共有することがふさわしいようにも思えて。
長い1週間だったなあ。今週も。
2006 03 25 [日記・コラム・つぶやき] | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック
March 23, 2006
キッズは、そばに来なくていいぞ
え?なに、なに。
最近キッズgooで検索してみるのって、流行っているんですか?
というわけで「BigBang」で検索してみたけれど、一覧は表示されても中身は軒並み表示されず。ひとつも記事の本文までたどり着かん。(精神的に)若いのにっ。残念。
検索結果
有害サイトですか。そうですか。
キッズはそばに来なくていいぞ。大人になったらまた会おう。
2006 03 23 [日記・コラム・つぶやき] | 固定リンク | コメント (5) | トラックバック
March 20, 2006
あの起き上がり小法師で検証----前原代表の不運は1/50の確率で発生した?
休みを利用して会津に来ているので、せっかくだから今話題になっている例の「起きあがらなかった」起き上がり小法師を、買いにいってみた。
渡部恒三代議士が持ち込んだのはいいけれど、前原代表のものだけが起き上がらなかったアレ。
七転び八起きのはずが…前原代表の小法師、転んだまま(読売新聞)
俗に「小法師」と言われて会津では広く知られているもので市などがたった時中心に、縁起物として売られるのだそうだ。
全国的に有名になった「小法師」。全国から注文や問い合わせが殺到しているそうで
売り切れではないかと心配しましたがそんなことは全然ありませんでした。
で、調べたかったこと。
民主党の運の悪さを検証する。
起き上がらない起き上がり小法師は、どのくらいの確率で存在するのか?
台の上に置いてあるのはおよそ50くらいの、まさにあの「小法師」。
で、手でばーっと倒しては実験。引っかかって起き上がらないだけの物は除外ね。
で、結果。
約50の「小法師」のうち(大雑把)、起き上がらなかったのは1つだけ。
で、証拠写真。
中央の黄色いやつね。(奥に映っている赤いのは、単に他のこぼしにひっかかっているだけ。)
おー意外とみんな起き上がるじゃん。
つまり確率1/50(大雑把)。でも、この黄色いやつも2回に1回くらいは起き上がる。
うーん。そうなると前原代表のところには1/50-1/100の不運がたまたま訪れたというわけか。どうも最近何十分の一とか、何百分の一みたいな確率に相次いで引っかかりますね。民主党。
記念に買った。(1つ105円)
お店の人の話では、時々起き上がらないものもあるので、ころがして確かめてから買っていくのが一般的なんだって。そりゃそうだ。縁起物だからね。起き上がらなかったらいかにもまずい。渡部代議士は支援者からいただいたと言われていたが、
→支援者の人ダメじゃん。
(付録情報)
(袋に入っていてわかりにくいが)
大きなものもあった。(210円)
おわり。
2006 03 20 [日記・コラム・つぶやき] | 固定リンク | コメント (3) | トラックバック
March 17, 2006
境界の人
おそらく異界と「こちら側」との境界線は、人が思うほど明確ではないのだろう。
異界にいる人には「こちら側」が異界であろうし、境界線上にいる人にはいずれの世界もが異界なのかもしれない。
「こちら側」の人間の居心地としては、こうした曖昧茫漠な領域が、私たちの住む世界のすぐ隣にあることは、あまり気持ちの安らぐことではないことだけは確かである。しかも、ひとたび「異界」であると認識されてしまえば、そこから境界を越えて「こちら側」に戻るのは容易ではない。「境界に立つ」人にとっては、はなからどこが「異界」であり、どこからが「こちら側」なのかさえ、わからなくなってしまっているのかもしれない。あなたは自分の立っている場所の位置がもはやつかめないでいるのではないか。
境界にいるあなたが、「こちら側」にいるのだ、あなたと同じ世界にいるのだと英知を尽くして説得しようとすればするほど、益々その「異界ぶり」が浮き彫りになるのはどういうことだろうか。
部分の説明ができても全体が説明できない。
全体を説明しようとすると部分がずれる。
あるいは誰の心にも異界というものがあるのかもしれないのであり、我と彼との違いは、その異界が牙を剥いた過去があるのか、ないのか、それだけの差異なのだろうか。
それだけの差異--その差異がなした至上の残虐に比べて、その差異はほんのささいなことなのかもしれないとは確かに思う。
とすればあなたと私たちは、ここからどこへ向かって歩けばいいのだろうか?
どこへ向かって進むことが私たちやあなたの「救い」になるのだろうか。
一番わからないのは、そのことについてなぜ自分がいつまでもこだわり、考え続けているのかということである。
少々疲れてもいる。
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【理由】
特定の個人に関する根拠なき誹謗中傷と判断するため。なおこの件に関する議論はいたしません。
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March 08, 2006
頭の中がぐるぐる-----今週の世界は陰謀だらけである。
実は今週の週末に、某所で某党の再建戦略について(某党・・笑)パネルディスカッションに出ろという、お話をいただいている。こんな私が、この時期に某党についてとりあえず公共で語ること自体が、かなりあれこれ考えてしまうわけだが、追い討ちをかけるように今週になってからいろいろな、何と言うのかな・・その周辺で予想外の事態やリークが続いていて、その精神的負担に追い討ちをかけている。
世界や歴史が陰謀で出来上がっているというのは、多くの場合、人間の壮大な被害妄想の産物だと思ってきたけれど、少なくとも私にとって、「今週の」世界は、陰謀だらけである。
こんなときに人前で、何を語るのか。
頭の中がぐるぐるである。
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March 06, 2006
スケート靴
スケート靴を履かなくなるまでがスケート人生(荒川静香)
なんて言葉に感動している場合じゃないだろ。>自分
勇気をもって、気概をもって、次のエントリーに臨む。
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March 04, 2006
ホテル・ルワンダ---喧嘩両成敗?それは防衛のための幻想であろう。
そろそろこの問題もクロージングしたいと思っており、その旨知人にも伝えているところであるが、
■「喧嘩両成敗」的議論に潜む危険…町山氏のパンフ所収の文章に問題はあったのか?
ここで引用されている発言は明らかに私のブログのものであり、また上記事中で
「ホテル・ルワンダ」関連の議論で、うまく問題が整理できないのだが、今のタイミングで提起することに意味があるので、某所のコメント欄で書いた事を抜粋してそのまま掲載する。」
の「コメント欄」とは私のところのコメントであるので、エントリーでは(おそらく)
煙さんに向けてもう一度だけ触れておく。
「僕にとっては離れた問題であると思える震災の話題を差し挟むことによって巻き起こった議論の数々を、彼自身があるいは周りがどう評価するのかというところが、一番大事なように思う。」という発言は、問題の発生を町山氏に負わせるのに等しい発言で、それは今の雰囲気の中では受け入れやすい意見かも知れないけど、きちんとした事実関係の確認なしにされているのだとしたら、そういう「喧嘩両成敗」的な発言は相当危険だと思いますよ。」
この「僕」も私であるが、「喧嘩両成敗」は私ではなくあなた=煙氏の視点である。私の発言は、「件の彼女」に対しての反論ではなく、状況へのコメントを町山氏にいただければと思うと町山氏への希望を言ったものであり、それを「喧嘩両成敗」と解釈して批判するのはあなたの恣意的な見方である。ここの議論を見ている人であればわかるであろうが、中途から入った人が、私が何か今回の件を「喧嘩両成敗」ではないかなどという下らないオピニオンを立てているように思われたら非常に迷惑である。ここに厳として明言しておくが、ブログスフィアで他に今回の件について、批判的な立場であれ「喧嘩両成敗」という観点を出された方は私の知る限りあなた以外にいない。(もしも過ちであればご指摘いただきたい。)「喧嘩両成敗」はあなたの内なる防衛心が生み出した幻影ではないのか。
既にこのブログのコメント欄でもそれを表明したはずである。そして私の町山氏への「希望」を表明することは、私の絶対的な内面の自由でありそしてこれを拒絶するのも、無視するのも町山氏のみが対応できることであり、あなたがコメントできることではない。もしもコメントできるとお考えであればその論拠は何であろうか。
次に、「映画を見ていない」「パンフレットを読んでいない」にも関わらず提示された、町山氏への「違和感」に対してあなたは一貫して批判を重ねてこられた。そして町山氏の許可を得て、パンフレットの全文掲載をされた。この行動には私は敬服する。パンフレットを持っている私は読んだ時点でこれが掲載されれば、双方の誤解が歩み寄るかもしれないと思ったが、町山氏に連絡をとることまで思いつかなかった。その意味で、あなたの行動には感服する。
しかし、ここからである。
私は「映画を2回見」「パンフレットの文章を読み」その上で、文末に短く記載された関東大震災のコメントに違和感を持った。違和感の理由も表明した。パンフレットを全部読んだ今でもそれを撤回することはできない。
さて、お答え願いたい。ここまで行った私の「違和感を表明する自由」は、あなたの基準では許可されるのか許可されないのか。いずれか。
「喧嘩両成敗」は繰り返すがあなたが持ち出した概念であり、私はその論点には興味がない。むしろ私にとって問題となるのは、一つの言論を擁護しようと過剰になる余り、周辺の多くの言論を抑えることにもなるかもしれない、一つの事象について、である。
その多くのニュアンスをはらんだ言論は、それぞれがそれぞれの人生や世界に関する見方の中で出されてきた提示である。極論に走った1ブログが原因で、他の多くの批判の声が一からげにされて、同レベルで批判されることに対して、私は拭い去れない不快感を禁じえない。
それを表明しておきます。
【関連リンク】
内的絶対性は絶対的に不可侵であること(愛に史観を)
ホテル・ルワンダのパンフレット(人生とんぼ返り)
いや、そうではないと思うのだ
それほど関心ないんで言うのもなんだが
【追加リンク】
決定稿だと思われる。そろそろこの記事あたりでお開きにしたい。
ルワンダ虐殺と関東大震災の朝鮮人虐殺とは異なる(finalventの日記)
2006 03 04 [日記・コラム・つぶやき] | 固定リンク | コメント (6) | トラックバック
February 28, 2006
「気の小さい大人たち」を読んで、あのことを思い出した。
これを読んで思い出した。
検閲というのとはちょっと違うかもしれないけれど、遠い昔、中学二年生のときの、ある朝が思い出される。その日は、文化祭の初日だった。前日の夜遅くまで、僕たちは教室の飾り付けをしていた。その中でもメインは、各教科の教師の特大の似顔絵のモザイク。班毎に教師の顔を書いて組み合わせたので、モンタージュみたいな間抜けさと、それでも各教師の特徴を大げさに捉えた、いわばパロディみたいな大型の似顔絵が、教室の壁一面に出来上がって、前日満足して家路についたのだった。
ところがその日の朝。
登校した僕たちは驚いた。前日飾りつけた全ての似顔絵が外され、教室の真ん中では、担任の女性教師が1人憔悴しきって涙を浮かべていた。気の強い中年の女性教師であり、そんな姿は見たことはなかった。登校する生徒の数が増えるに従って、大騒ぎになり始め、いったいどうしたことかと、幾人かが担任に詰め寄った。
僕は気持ちが引いていた。見たこともない表情の教師の様子から、何か自分たちに窺い知れない大変なことが起きたのではないかと察知していたからだった。教師たちの似顔絵には悪意は込められていなかったかもしれないけれど、調子に乗りすぎたのだろうか。僕は心の中で考えた。担任に詰め寄ろうとする幾人かの級友を止めさえした。
結局担任は、僕たちに何も明かさなかった。飾り付けを全て撤去した理由は言えない、申し訳ない、どうにもならないことなのだと繰り返した。いつか話せる時がきたら、きちんと説明すると約束したけれど、その日はとうとう永遠に来なかった。
あれから何十年もたち、その後の人生の経験とかいろんなことから、あの飾り付けが学校側の何者かを刺激し、撤去されたのだということは、自然にわかるようになった。それでも今でもあの日の朝の絶望感のようなものは忘れられない。
大人の社会の理不尽と言うか、壁と言うか、子供には得体の知れない闇のようなものがあり、その力は恐ろしく大きいのだということ、僕たちには絶対だと思われていた1人の教師の力ではどうにもならないことがあるのだということ。あの日の経験は僕にいろんなことを教えてくれたような気がする。
あれも一種の「検閲」だったと思って構わないだろう。
しかし、「検閲」は意味がない。意味がないどころかこうして何十年にもわたって、「検閲された」側に決して消えない不信感を残し、傷を残す。こんな結果を何十人もの生徒に、何十年も残すくらいだったら、いっそあの不謹慎な作品をそのまま掲示した後で、こっぴどく注意でもしたほうが遥かにましだった。それならこれは中学時代の懐かしい思い出となって残っただろう。おそらく「彼らの側」にとっても、もっとましな結果が生まれていたはずだ。実際には不気味で不愉快な何とも言えない記憶を僕ら全てに残したのだ。
あの担任の教師もおそらく必死に抵抗しても、終に生徒の側に立つことはかなえられなかったのだろう。あれは紛れもなく、悔し涙だった。彼女よりもおそらく年上になった今、自分があの教師の立場になったら、どうしただろうと時々考えることがある。
答は出ているはずだけれど。
そういえばあの時撤去された作品も、どこへ消えてしまったのか。二度と僕たちのもとへは戻ってこなかった。
遠い、遠い昔の思い出である。
2006 02 28 [日記・コラム・つぶやき] | 固定リンク | コメント (6) | トラックバック
February 23, 2006
奴隷になるなら1人で行け----僕らは「人力検索はてな」ではない。
議論になったときの戦い方と言うのは、その人それぞれで特徴があり、鋭いとか鋭くないとかいう以前に、意表をついたような論法で向かってきてくれると、これはこれで趣があって楽しいものだけれど、品がないだけではなく、退屈極まりないのがこれ。実に楽でずるい戦い方である。
「どこに書いてあるんですか。早くリンクを示してください」
これが使われる心理の裏には、相手がそう簡単にそのリンクを示せるわけではないという思い込みがある。で、万一不幸にも相手が見つけてしまったらどうするか。そうすると今度は
「それは、あなたの記事の内容と違います。不満足です」
などとやる。で、自分も一緒に探すふりをして、「ないない」などといいながら時間が流れるのを待つ。これも論法の一つとして悦に入るのかもしれないが、僕たち は人力検索はてなではない。しかもいつも同じパターンで展開されると心底うんざりだろう。こうした論でしかこの人物は戦えないのかと思うと、急速に心は冷え骨の底まで退屈になってく る。
アフィリエイト乞食という言葉はあるようだが、こういうのは「リンク乞食」とでもいうのだろうか。冷静に考えれば、本人にしてみれば、大真面目なのかもしれなくて、そうであれば尚始末が悪いが、これもインターネットの急速な大衆化がもたらしたある種の病理なのかもしれない。
物事へ対峙する基本姿勢として、その論拠の源がはっきりしていること、客観的な事実があることはもちろん重要である。捏造や偽造が溢れているこの時代、根拠もないデマを思い込みだけでネットに流すことは厳に慎まなければならない。だが、これはあくまでも客観的な事実に関しては、ということであり、物事の見方へのスタンス、思想、考え方が関わる問題を論じる場合にこれのみで言い張るのは、実に不適当かつ滑稽な態度である。思想はリンクによって構築されるものではない。
同じリンクを見ても全く違う立場や発言になることもあることは、自明だし、また共通のリンクを参照したところで、そのリンク先自体に錯誤や虚偽が含まれている場合もある。のみならず、我らは全てをネット上のデータで思考しているわけではない。
(ないと書いた後で不安になる。あるいは全てをネット上のソースのみで思考するような人間が最近は大量発生しているのだろうか)
成長期における教育がきっちりとされていたのか、あるいは成長の過程で自分の言葉で物事を真剣に考えてきたのか。自分の頭で考えてきたかどうかがはっきりわかるのがこうした場面であり、今まで新聞に書いてあることを鵜呑みに無批判に受け入れてきた人間が、今度はネットをその位置に祭って崇めているだけでは無残なこと極まりない。そのようなな人間に限って、いやなタイミングで(彼にとって)運悪くGoogleなどに出会ってしまい、自分の思考をストップして広大なネットの情報源の奴隷となってしまう。さすれば本人は楽であろうが後はネットの奴隷となってひたすらGoogleの手足となって、人力検索のお先棒を担ぐだけである。
趣味として心地の良い枠内で思考するのは自由であるが、世界がネットのリンクだけで出来ているなどという幻想に人を巻き込んではならない。承知の上で悪意で行っているなら尚始末が悪い。
僕たちは「人力検索はてな」でもなければGoogleの奴隷でもない。なぜあなたの屁理屈への反論のために労力を費やし、情報を探してきてあげなければならないか。
奴隷になるなら1人で行けばいい。永遠にネットの中で自分に都合のいい情報だけを探し続ければいいだろう。
【参考記事】
愛・蔵太さんに謝罪と賠償を要求します(人生とんぼ返り)
「無能な働き者」は足を引っ張る(ARTIFACT@ハテナ系)
2006 02 23 [日記・コラム・つぶやき] | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック
February 19, 2006
一生メールします。-----本条かおりの深すぎる愛情
From: 本条 かおり
Date: ??/??(??)??:??
Subject: 一生メールします。
このまま連絡してくれないと私は一生貴方にメールしないといけなくなります。そんな迷惑は掛けたくありません。だから一回だけ、一度だけでもいいから私に連絡して下さい。いらないフリーアドレスでもいいですし、電話なら非通知でもいです。連絡くれるなら何でもいいです。
私もうどうしたらいいのか解りません。こんなに何回も言ってるのに信じてくれないなんて…一体どうしたら連絡してくれるの?
http:/XXXX.XXXXXX.XXXXここから連絡して下さい。一回だけでもいいから…どうしても連絡が取りたいんです。
私約束します。一回連絡してくれたらもう2度と連絡はしません。【もう一生メールするな】って言われたらもう絶対にしません。
だから一回だけ…一度だけでもいいから私にチャンスをくれませんか?一回だけでもいいから私に連絡してくれませんか?お願いします。
yahoo・MSN・goo等のフリーアドレスで試しにやってくれてもいいですから。とにかく一度私に連絡して下さい。http:/XXXX.XXXXXX.XXXXここから連絡して下さい。直ぐに携帯から連絡しますから。
これでも信じてもらえなかったら私どうしたらいいのか…
来てくれなったらまたメールしますね。このままずっとメールし続けてもいいですよね。
・・・・・・
・・・・
嫌です。やめてください。
2006 02 19 [日記・コラム・つぶやき] | 固定リンク | コメント (2) | トラックバック
February 15, 2006
囲まれているのはそっちだろう。-----今井ブログの出来事を見て。
唐突な話から入る。
今年は雪がひどかったが、そのひときわ激しいときに、スキーに行った。スキー場にある、セミビュッフェ形式のレストランは食事を待つスキー客で、ごったがえしていた。そのうち異変に気がついた。いくらなんでも遅すぎる。いつまで待っても列が進まない。不思議に思って前のほうを見ると、スタッフがほとんどいない。アルバイトも当日ゲレンデまで上ってくることが出来なかったのかもしれない。100人近くいる客への食事の対応を、ほとんど1人の女の子がやっている。さばききれないのは明らかだ。かなり大変なことになってきている。彼女は熟練者のようだが、それでも追いつくものではない。動きの悪い新人風の男の子に苛立たしげに指示を飛ばすが、不慣れなようで彼はあまり役に立たない。客の列がざわつき始めた。これではいつになったら食べられるかわからない。
これは誰かがそのうち文句を言うかと思ったが、意外なことに、誰も文句を言うものはいない。みな、ただ気の毒そうに1人で奮闘する女の子を眺めて、じっと進まない列に並んでいる。
見たところは気の短そうなあんちゃんも多く、すぐにキレる最近の若者というイメージとはちょっと違う。へーと思った。
若年層の正社員採用がほとんどない世の中である。もしかしたら、同じような経験をしたことがあるのかもしれない。じっとトレイを持ったまま辛抱強く待っている若者の集団に「みんな意外に優しいなあ」などと思ってしまった。
日本人は優しいのではないか、と思うことがよくある。それに辛抱強い。大したものだと思うのは、ハプニングがあったときにも、そう簡単に声を荒げることはない。もちろん例外はいるが。多くの場合、辛抱強く待ち、時にはそのトラブルの主に何とか手を貸せないものかと思案していたりする。外国人がみな優しくないなどと言う気は毛頭ないが、老若問わず、耐えて方向を探る国民性なのだろうなあと思う。もちろんこれも良し悪しなのだが。
さて、しかし。しかしである。話は甘いままでは終わらない。
互いに顔が見え、年がわかり、互いの困難が見える範囲で優しい国民性も、匿名になったとき優しいままでいるとは限らないようだ。以前に狂言の「月見座頭」について書いたことがあるが、昨日まで優しかった良識ある人々も、匿名の暗闇の前では姿を一変させるのだろうか。
イラク人質事件の人質の1人で、日本中を「騒がせた」今井紀明君のブログ「今井紀明の日常と考え事」がひどいことになっていると聞いた。人質事件の際に彼に寄せられたほとんどが匿名の、ほとんどが誹謗中傷に属す手紙を、彼がブログで公開したことが発端である。たちまち名前のない数千人が(と見える)押し寄せて、またぞろあの時の話を蒸し返して彼をこっぴどくなじり倒した。
中傷の手紙は当時のものだが、それに刺激されて押し寄せている者たちの言っていることは、ほとんどあの時と変わらない。いわく「自作自演」。いわく「目が気持ち悪い」。いわく「税金泥棒。金を返せ」。いわく「政府と小泉首相に謝れ」。さらには、無名とは言え手紙の持ち主にことわらずに公開したことは著作権侵害ではないかとか、死ねとか出て行けとか、まあ云々云々。
彼らの行動が軽率であったことには、ほとんどの人は賛成するだろう。混乱したとは言え、あの状況で早期に家族が自衛隊撤退要求をしたことも、まずかった。特定の党派と結びつけられ、よくもまあこれだけ人をなじれるものだというくらい、今井君たちはリンチ状態にあった。公開された手紙は十数通であり、あの当時を知るものには目新しい内容はないが、それにしても、こうした手紙やハガキが、おびただしい数来るのだろう。当事者になった者の恐怖はいかばかりかと思う。
はっきり言って、これらの者たちは、もしも中国に生まれていれば街頭で日本大使館に石をなげていたであろうし、イラクに生まれていれば星条旗を焼いて踏みにじっていただろう。しかし日常は心優しき父であり、息子であり娘かもしれないのであって、その者たちが匿名の暗闇の中でここまで下劣に変身することは、やれやれこの世と言うものはと思う。思うが、真っ向から批判をする気にもならないような馬鹿手紙が多く、ちょっと普通なものが混ざっていると、必要以上にまともに見えるから不思議だ。
こんなレベルの低い汚物のような手紙をよこす連中とはなからまともに話そうというのは、中年に言わせれば時間の無駄。微笑してうまいものでも食べに行ったほうがいい。それなのに今井君は、BigBangよりはまだ若くて真っ直ぐなので、おそらくこれらの者たちをも「捨てて」いないのだろう。見ていて痛々しいものを、感じる。
いくつか触れる。
匿名の手紙を公開したこと。確かに作者がわからないからといって、著作権は発生していないわけではないだろう。しかし、作者を特定できないということは、今井君の行為でいささかの「損害」を蒙ったとしても、その人間を特定することもできないということである。誰かがこの公開によって名誉を傷つけられたと(ちゃんちゃらおかしいんだけどね、そんな言い分も)訴えでても、それが正しく彼の手紙であることを立証する責任が生じるであろう。
あれほどひどい手紙をよこした段階で、厳密には脅迫罪の疑いがあるわけで、もしも作者の特定が出来るのならば、著作権侵害はそっちでやりなさい。その代わりこちらはあなたを脅迫罪で告訴しますよという対抗手段があるだろう。もっとも実際には多くがクソのような手紙だ。私が書きましたなどと名乗り出る者にも、恥にこそなれ、何の実益もないであろうから、この「著作権侵害」は法廷に持ち込めるような代物ではない。それが侵害ですよといわれればそうであろうが、じゃあ両方の罪を比較考量しましょうかね。やりますか?というのが、こずるい私の考えることである。
彼らの主張の多くに書かれているのが「税金泥棒。金払え」である。そういう文句を言う奴に限って大して税金を払っていないことが多いのだが(笑)まあそれは別として。海外で危険に巻き込まれた日本人に、多少のあるいはある程度の落ち度があったとしても、彼を救うために政府が動くのは当然のことである。第一、その政府が動いたコストを負担しろと言うけれど、それを税金で普段から払っているわけである。保険会社から保険金を受け取った契約者が、他の契約者から、その分を補填しろなどと言われるか。国民が「落度」を露呈するたびに行政府がその国民に、税金に関わる「コスト」をいったいどういう論理で請求できるというのか。仮に今井君が「わかったよ。それなら1千万も払うことにするよ。」と言えば、彼の者たちは満足か。(君らには1円も入らんよ。わかっていると思うけれど)もっと言えばそんな金の受け取り口もシステムもこの国にはない。歳入として受け取れるルートも合理性もない。世界最大級の財政規模を抱えるこの国の国民として、大きな気持ちになるのは結構だけれど、それはあなたの金ではない。公共の金を損害補填しなければならないのは、悪意の犯罪者だけである。今井君たちには当てはまらない。真面目に書いていても馬鹿馬鹿しいが、もしかしたら本気で税金返せなどと思っているのか。こんなことがわからない人達にはほとほと絶望感すら感じる。
もう一つの彼らのポイントは、「多数」を装うことである。一人がいくつもの名前を使い分けたりすることは当たり前。2言目には「日本人はみんなそう思っている」「みんなそう言ってる」である。この世界には正義の立証に関して「多くの人がそう思っているから正しい」と思いたい人々が存在し、自分は多数であると根拠もなく宣言して相手に圧力をかける。実は多数であることなどは、正義の立証に関して、何の圧力にもならないわけであって、今井君に言いたいことがあるなら、ひとりの人間として言いたいことを言えばいいのである。政府に対して、あるいは日本国民に対して謝罪していないと言うけれど(僕は、彼らは何度も謝罪はしたと記憶しているが、小泉首相ごめんなさいと土下座でもすれば満足か)謝り方が悪いの何のというなら、それは価値観の問題であるとしか言えない話である。
同じ理屈で我らは、近隣より謝り方が悪いと戦後何十年も言われ続けているわけであり、そこでは言いがかりだのふざけるなだのと、聞く耳も持たず軽率にわめくほとんど同じ層が(推定)、今度は人には謝り方が足りないなどと説教するのはいかがなものか。謝ろうと謝らなかろうと、それは今井君たちの人生観であり、価値観だ。あなたと違うだけである。そういう今井君に(そうだったとして、である)絶望するなら立ち去るもよし、諭すのもよし。少なくとも彼にその耳が開かれていないようには見えないのだから、議論すれば良いではないか。もしも議論になるなら、であるが。
ただ、一つ彼に言いたいことは、畢竟この世界に生きて身を通すのは、こうした者どもとの闘いなのであり、目新しいことではない。脅迫ハガキやメールなど邪魔になるなら、来る側から火にでも投げ込んで燃やしてやればいいのである。人生はどんな暴虐にも懇切に対応していけるほど長くはない。一方で耳を貸すべき批判もたくさんあるだろう。願わくば彼にはそうした批判に耳を傾けて欲しいのであり、石を投げる意味も相手も理由も見えない者どもに、あなたが誠実に対応する義務はない。そういう取捨選択もこの世を生きる闘いのプログラムには、あらかじめ組み込まれていると思うし、それを淡々とこなしていかなければ、あなたの負った大いなる蹉跌も十分に生きないであろう。粛々と闘えばいい。それだけのことである。そして、闘いは慎重にね。準備万端整えて。幸いあなたにはまだまだ長い時間があるのだから。
今は取り囲まれているように思うかもしれないが、彼らの周囲には彼らを遥かに超える数の目がある。黙って、しかし彼らの無残を厳しく見つめて立っている人々は決して少なくない。
感じ取る者は感じ取っている。
見つめられているのは彼らの愚かさであり、囲まれているのは彼らのほうなのである。
【参考記事】
「月見座頭」-------青く冷たい空間と人の二面性
最後に詫びて死んだ青年---香田証生さんの死は軽くない
【参考リンク】
今井紀明氏のこと(たゆたえど沈まず)
今井紀明氏の手紙公開について(人生とんぼ返り)
今井紀明氏のブログ炎上についての一考察~「村八分的な言論封印は健全ではない(木走日記)
2006 02 15 [日記・コラム・つぶやき] | 固定リンク | コメント (5) | トラックバック
February 09, 2006
天皇制がわからないことについての、短いぼやき
僕は天皇制がわからない。
女系?男系?
女系だと父方から万世一系に辿れない?
その意味がわからない。
命をかけて守るべきものを守る?
それは男系天皇制のこと?
発言の意味がわからない。
そもそも
万世一系?
その意味がわからない。
まだまだ。
象徴?
その言葉の意味もわからない。
皇室典範?
この法律の意味がわからない。
でも今一番わからないのは、
1つの命の誕生が告げられただけで
1つの命が降り立つだけで
全ての論議がリセットされる
その摩訶不思議。
僕は天皇制がわからない。
わからないから天皇制か。
わからないから大和の国か。
わからないままでいいのか。
それもわからない。
2006 02 09 [日記・コラム・つぶやき] | 固定リンク | コメント (7) | トラックバック
February 08, 2006
言葉がころんと
言葉がころんと転がると
悲しい気持ちがころんと転がる
悲しい気持ちがころんと転がると
言葉がやはり、ころんと転がる。
ころん。ころん。
こうしているうちに
こうしているうちに
何か他のものが出てくるといいのにね。
君を元気づける、何か別のものが。
2006 02 08 [日記・コラム・つぶやき] | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック
February 03, 2006
この世界には2種類の人間がいる(番外編)---東横イン宿泊キャンペーン
この世界には2種類の馬鹿がいる。
東横インの社長と、東横インの社長である。
東横インでは、新規オープンホテルのオープン記念キャンペーンとして『サンキュー!ゴメンネ!キャンペーン』(開業後おおよそ1ヵ月間、シングル \3,950、ツイン・ダブル \5,390、ただし期間を通してお一人様2泊まで、また実施期間はその都度異なりますのでご確認ください)をおこなっていますが、このキャンペーンでご 宿泊の際にも金券のご利用がOKとなっています。ご家庭の中で死蔵されている金券等がありましたら、ぜひご利用ください。
詳しくはこちらまで。
馬鹿でゴメンネ!・・・
もう終りにします。
2006 02 03 [日記・コラム・つぶやき] | 固定リンク | コメント (2) | トラックバック
この世界には2種類の人間がいる2---バリエーションで遊んでみた
好評につき(どこがだよ)
バリエーションで遊んでみた。
●この世界には2種類の人間がいる。
ホリエモンでしか世界を見ることが出来ない人間と、それ以外の人間である。
#今、いっぱい。
●この世界には2種類の人間がいる。
朝日新聞でしか世界を見ることが出来ない人間と、それ以外の人間である。
#いやな奴だ
●この世界には2種類の人間がいる。
給与明細でしか世界を見ることが出来ない人間と、それ以外の人間である。
#ふつーだよ
●この世界には2種類の人間がいる。
ライブドア株を売った人間と、それを買った人間である。
#うそだ。そんなことはない。
●この世界には2種類の人間がいる。
東京拘置所に入ったことがある人間と、まだ入っていない人間である。
#僕はまだ行っていない・・・・・うん?何か違う?
●この世界には2種類の人間がいる。
SEXでしか世界を見ることが出来ない人間と、それ以外の人間である。
#いかん、そっちへ行っては。
●この世界には2種類の人間がいる。
真性引き篭もりでしか世界を見ることが出来ない人間と、それ以外の人間である。
#それは本人か。
●この世界には2種類の人間がいる。
R30でしか世界を見ることが出来ない人間と、それ以外の人間である。
#・・・ノーコメント
●この世界には2種類の人間がいる。
極道ブログ極東ブログでしか世界を見ることが出来ない人間と、それ以外の人間である。
#間違えた。失礼
●この世界には2種類の人間がいる。
ペンギンでしか世界を見ることが出来ない人間と、それ以外の人間である。
#可愛いけど意味不明
●この世界には2種類の人間がいる。
小泉でしか世界を見ることが出来ない人間と、それ以外の人間である。
#小泉チルドレン・・
●この世界には2種類の人間がいる。
馬でしか世界を見ることが出来ない鹿と、それ以外の馬鹿である。
#おかしくなってきた・・
●この世界には2種類の株がある。
ライブドアと、ライブドアマーケティングである。
#地獄だ・・
●この世界には2種類のテレビ局がある。
NHKと、テレビ東京である。
#地獄だ2・・
●この世界には2種類の馬鹿がいる。
世界を見ることが出来ない馬鹿と、それ以外の馬鹿である。
#深いような、デタラメなような。
●この世界には2種類のほにゃららがいる。
怖いほにゃららと、ただのほにゃららである。
#きっこ・・
●この世界には2種類の馬鹿がいる。
僕と、そして、あなたである。
#ラブレターの冒頭にいかが?だめ?
●この世界には2種類の馬鹿がいる。
こんな記事を書いている僕と、それ以外の馬鹿である。
#悪かったな。
●この世界には2種類のBigBangがいる。
馬鹿なBigBangと、鬱なBigBangである。
#両方いらんよね。
●この世界には2種類の馬鹿がいる。
馬鹿な記事を書いている馬鹿と、それを読んでいる馬鹿である。
#踊る阿呆に・・・ごめん。本当にごめん。
(これじゃ2chのスレッドだ・・)
2006 02 03 [日記・コラム・つぶやき] | 固定リンク | コメント (2) | トラックバック
この世界には2種類の人間がいる
この世界には2種類の人間がいる。
株価でしか世界を見ることが出来ない人間と、それ以外の人間である。
2006 02 03 [日記・コラム・つぶやき] | 固定リンク | コメント (3) | トラックバック
訴訟と自殺----引き篭もりよ。君は塔を見ないのか
親愛なる真性引き篭もり氏のエントリー。
「やります!」と言っておいてやらないという、普通は人間の評価というものに対してマイナスに働く振る舞いが(少なくとも本人の脳の中では)プラスに働く極めて珍しいフレーズこそが「自殺」と「訴訟」の2つなのである。(ブログにおいて、訴訟の二文字と自殺の二文字は同質である/真性引き篭もり)
いや、今回のエントリーはどうだろう。訴訟も自殺も、出来もしないでいるくせに、そんなネガティブワードを口に出して、ポジティブになろうとしている厨房のことなんざ、天才であるところのあなたは、相手にしないでもいいだろう。
第一、訴訟も自殺もタブーでもなんでもなく、やる奴はやるって。普通にやってるでしょ。
訴えるって書いて訴える奴はいるし、死ぬぞって書いて本当に死んじゃう奴もいる。書いただけで、怪しいネガティブ(ポジティブ)パワーが溢れてるなんていうのは、観念的な厨房で、「天才ではない」無限数の「真性引き篭もり」達であれば、日常的に繰り返していることなのかもしれないが、訴訟や死をも普通に組み込んでいる世界はやはりその外にある。
12月以来我らのリアルで繰り広げられている出来事は、まさにそういう世界ではないのか。訴訟も死もブログで一旦死なずとも満ち溢れているぞ。あの天を頂く塔の周辺で。君は塔を見ないのか。
どうして人は訴訟の二文字をちらつかせるのか。
それは、ブログにおいて敗れ去ったからである。
・・・・・
どうして人は自殺の二文字をちらつかせるのか。
それは、ブログにおいて敗れ去ったからである。
君の如く、ブログスフィアで才を欲しいままにできる者ばかりが、世界の空気を吸っているわけではない。ブログは完全にバーチャルとは言い切れないが、それでも完全なリアルでもない。従ってブログ上の「敗北」があるとすれば、それはバーチャルではないけれど、リアルでもないのであり、実際凡才にとっては、それは敗北ですらなく、敗北の域にも永遠に達することすらできず、その遥か手前で猫の小便のように、くすぶっているだけである。
だが、あなたの言う「訴訟や自殺」はリアルである。猫の小便でも夢精でもない。
引き篭もる天才に死角があるとすれば、その世界が(おそらく)君の体の核付近数十センチの空間で閉じ、観念の世界のみが過大に広がっている、まさにその身体性のアンバランスにある。
君の実在の周辺では君は王であり神であるが、その世界よりひとたび旅立つ者の世界に寄せる「王の眼差し」は、昼の光の中で、あるいは悲しく鈍るのかもしれないのであり、君の実在を、君の観念を遥かに離れて朽ちるかもしれない。
なぜなら君を君の実在に繋ぎ止めているのは君自身であり、
君の観念が君の重い鎖になっているからだ。
その重い鎖を僕は愛するけれど許しもしないだろう。
2006 02 03 [日記・コラム・つぶやき] | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック
February 01, 2006
杉村太蔵君。今君の事どころではないんだけれど。
あのぽかん顔を右に45度回転させても苛々する。
左に45度回転させても苛々する。
上下さかさまにして見ても苛々する。
裏から見ても苛々する。
こうやっていじっているうちに、何か別の生き物に変わってしまえば
いいのに。
杉村太蔵君。
今は君の事どころではないんだけれど、
寒い夜には君の顔を思い出す。
無人島で2人だけになるとしたら残念ながら僕は
堀江君を選ぶ。君ではなく。
【参考リンク】
杉村太蔵ブログ
2006 02 01 [日記・コラム・つぶやき] | 固定リンク | コメント (4) | トラックバック
January 09, 2006
サイト内全文検索
今更なんだけど、自分も過去の記事を探すのが大変になってきたので、Googleの検索窓を利用してサイト内の全文検索機能を付加した。(右のフレーム参照→)
#但しGoogleにインデックスされている記事だけ。当然だけど。
2006 01 09 [日記・コラム・つぶやき] | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック
暗空の弧
僕ならともかく、「彼」ならきっとそれを許さないと思う、と口走ることがある。
「彼」は僕であって僕でなく、このサイトに散りばめられた三百数十のエントリー=観念の総合体であり、サイバー空間のみに生きる思念のシナプスのようなものである。実在であるようで実在はなく、虚像であるようで虚像ではない。
それは僕であって僕ではなく、僕の抱える肉体的な実存や、人間的な共有関係の多くを持たない。あるいは省みない。「彼」は呼吸もしないし眠りもしない。泣くことも愛することも彼にとっては大したことではない。
「彼」にとっては、この三百数十のエントリーで構成された思念のみがその存在証明であって、そこで表現されていないことは「彼」にとっては存在しな いのと同じなのである。そこで起きていないことは、彼にとっては起きていないのである。つまり世界は限定されて、そして断固として諸々の事柄から孤立し て、佇立しているのである。君からも僕からも、この世界からさえも。
その命はしばしば、電磁の不作為な煌きのように、この深い夜に青白い光を放ち、さらには、いつか夢に見た夜の虹のように、この暗空に弧を描く。
だから「彼」は、しばしば無慈悲なほどぶれないのだ。僕とは違う。
BigBangとはそういう者である。
2006 01 09 [日記・コラム・つぶやき] | 固定リンク | コメント (1) | トラックバック
January 04, 2006
謹賀新年---冒険的年賀状で修行する
謹賀新年。今年もよろしくお願いいたします。
ちょうどおよそ1年前にもエントリーにしたんだけれど、何年か前から「冒険的年賀状」と勝手に称して、仕事相手や親しい友達に「実名で」面倒くさい長文の年賀メールを送っている。これは相当に恥ずかしく勇気の要る行為で、何度もやめようと思いながらもう4-5年目になるかな。
で、毎年12月も終わりになると、その年のメールをどうしようかと死ぬほど(ほんとに)悩む。匿名で書くブログの記事とは段違いの念の入れよう。
今年はその「何か」を探すのがいつになく大変で、あまりに何度も書き直し、あまりに何度も読む人間の顔が浮かびすぎて、本当にやめようかもうと思いながら書いていたら、根を詰めすぎて肩がこりすぎて、今日は首が痛くて回らない。年なんだからしょうがねーなあなどと思いながら、肝心の「冒険的年賀状」は今年も僕の恥を満載して、3日の朝方、数百通が世に飛んでいった。ぎゃあと騒ごうと、わーとわめこうと、ぶきゃおとぶちきれようと、もう後の祭りである。
さあ今年も原則は例年通り。次の項を守ること。
●政治や思想・生死など、年賀状にふさわしくないテーマを選ぶ。
(今年は景気回復と自殺(!))
●特定の思想や政党、宗教の主張に偏らない
●実名で出す(当たり前。でもこれが結構大変)
●相手によって出す内容を編集したり改竄したりしない。
●仕事相手にも友人にも同じ文章で出す。
毎年こんな迷惑なものをもらっている、大半の知人は今年も読まずに捨てるか、あるいは苦笑してひょいと捨てるかだろうけれど、初めてもらう人の困惑を考えると心が痛む。自分なら、「正月早々うぜー」と思うだろうか?思うよね?思わないとき。思わば。思え。
自分的には、もはや1年に1回恥を晒すことで、修行をしているようなノリであり、例えば新入社員を、ほら駅前でゴミ拾いさせたりとか、でっかい声で叫ばせたりするような、どこぞの会社があるでしょう?あんな感じである。(あんな感じ?どんな感じだ?)
正月から暗いメールをもらった皆さん、本当にごめんなさい。
#本当は、出した内容について後からごちゃごちゃ言わないというのもルール・・・である。のにこれはここでひっそりと(?)破っている。
ぽつぽつ返事が来はじめていて、これがまた身のすくむ思いではあるのだ。
何やってるのかね。全く。
2006 01 04 [日記・コラム・つぶやき] | 固定リンク | コメント (2) | トラックバック
December 31, 2005
ばらばらにされた1人1人---大晦日に
そろそろ今年最後のエントリーになる。
なぜブログを書くのか、なぜブログを続けるのか。
こんな単純な問いにも答えることができないまま続けたこのブログも、304本の記事を持つ場所になった。
そして気がつけば今年も大晦日である
昨日、高田さんの「ニュースの現場で考えること」を読んでいた。そこに書かれた、ご友人からのメールの心打つ内容に、のめりながら読み進んでいたら、なぜか私の2本の記事へのリンクが、あまり説明もされずに掲載されていた。
そして、何の脈絡もなく、BigBangさんが少し前に書かれたエントリ「僕はいつ『ブロガー』」などという謎の生き物になったのだろう。」を読んだ。「僕らは静かに消えていく」も読んだ。(「そして、年がまた重なる」--ニュースの現場で考えること)
驚いた後、このどちらかというと地味な記事に触れて下さった意味を、記事を読み返しながら少しの間、考えて見た。少々手前味噌であるいは見当はずれかもしれないけれど、おつき合い願えるとありがたい。
ブログブームだの何だのと言ったって、ほとんどの人間はブログのことなど考えて生きていない。(中略)しかし、そもそもブログをする人がもっと増えてくれば、社会はブロガーだらけになるのであり、ブロガーだらけの社会では属性としての「ブロガー」は逆説的に言えば、消えていくのである。属性としての存在理由を失うからである。過去にも多くのものがそうやって消えて行った。(中略)属性としての「ブロガー」は消えていく運命にあるのだ。
(僕らは静かに消えていく)
明日僕はブログをやめるかもしれないし、筆をいやキーボードを折る(!)かもしれない。それでも僕はこの国で生きていくだろうし、何らかの手段で発言を続けるだろう。呼吸もするだろう。飯も食うだろう。相変わらず君にも振り回されるだろう。
ここで死について書くだろうし、詩についても書くだろう。混乱し錯乱し冷静になればまた、板門店や(ああ板門店のことを早く書きたい)、犬や政治のことを書くだろう。「ブロガー」は僕の呼び名ではない。僕はBigBanである。(それも永遠ではないけれど)。
(僕はいつ「ブロガー」などという謎の生き物になったのだろう。)
そして、高田さんの書いた記事と自分の書いた記事を読み合わせて、僕はブログを書いてきたこの1年間の時間を思い、去っていった人のことを思い、新たに知った人のことを考え、出来る限り全ての僕の周りの人のことを考えた。
そして、さらに僕たちがブログを書くことに、いや違う。生きていることに、そこにもしも「意味」があるとすれば、その「意味」に外形があるとすれば、それはどんな顔をしているのだろうとぼんやりと考えた。
いや。僕は本当は知っているのだ。「意味」には明確な姿などないことを。
僕たちは生きていることの意味も、その意味の意味も知らないまま漂って、いつか消えていく。もしも意味に何らかの形があるとすれば、それは思い出す有限の人々の顔と、その人たちが自分に残していく言葉にのみあるのではないか。たとえ故人であっても。
書くことの意味を考えることは、大袈裟に言うと、生きていくことの意味に直結しているのだと思う。
友人はメールの最後に「ありきたりですが、ばらばらにされた一人一人を結ぶ大きな仕事を君の力でぜひ実現してください。期待しています」と書いていた。その言葉を聞くことが、いまは苦しいくもる。けれども、私も他の誰も、進むことを止めるわけにはいかないのだと思う。進んでいる方角が分からなくても、足を前に出すことは止められない。。。いつの間にか、私や私のような世代は、そういう年齢に達しているのだ。「そして、年がまた重なる」(「そして、年がまた重なる」--ニュースの現場で考えること)
「ばらばらにされた1人1人」を結ぶことのほんの一端が、この僕にもできるのだろうか。できないかもしれない。できないかもしれないが、もしその1人1人が苦しんでいるとすれば、救うことは出来なくても、せめて「ばらばらに苦しむのはやめよう」と呼びかけることくらいは、自分にもできるかもしれない。不安に1人で震えていれば、せめて「ばらばらに不安になるのはやめよう」と呼びかけることもできるかもしれない。
そんなことを考えさせてくれた人達、今年出会い時間を過ごした全ての人達に感謝します。多くの幸いがその全ての人達にありますことを。
今年1年間ありがとうございました。来年もよろしくお願いします。
2005 12 31 [日記・コラム・つぶやき] | 固定リンク | コメント (2) | トラックバック
December 26, 2005
サンタクロースを信じていたことは一度も無かった
労せずして、苦しまずして、
働かずして、何も成せずして、
豊かなる国に生まれて、父母に抱かれて
飢えずして、与えずして、
物の意味に辿り着かずして、
人への言葉に思い至らずして、
事への思いを凝らさずして、
目の前にある生ける物を見ずして、
1片のパンがこの世にあることの意味を知らずして、
1億人に背を向けられた夜にも、
1人が振り返る幸を知らずして、
あらゆる涙を知らずして、
降りかかる災いを知らずして、
得体の知れぬ不安を知らずして、
眠れない夜を知らずして、
親しき人の裏切りを知らずして、
1人この世界に立つことの、
全ての恐ろしさを知らずして、
幼いという理由だけで
たったそれだけの理由で
恵みを受け取るというような理不尽は無い。
そう思っていた。
だが、今では少し違う風に思っている。
サンタクロースはもちろん信じていない。
今でも神の言葉は聴こえない。
でも今では、少し違う風に思っているのだ。
うまく表現できるまではまだ時間がかかるけれど。
でも少しだけ。
少しだけ違う風に思っているんだよ。
2005 12 26 [日記・コラム・つぶやき] | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック
December 22, 2005
去っていく人
親しくしていたり、あるいは論敵だったりしたとしても、ある日相手に、ブログを突然閉められてしまったときの、何ともいえない気分は、ブログをやるものでないとわからないと思う。もちろん、誰でも(僕でも)そういう日が来るときは、あると考えたほうが自然なわけで、このブログも今までに何回か閉めようと思ったときがあった。
何日か前に、予告をいただいたり、納得のいく理由を聞かせてくれるとまだ諦めもつくんだけど(また戻ってくる人もいるし 笑)、あるとき突然そのブログが消失していたときのあの、感じ。
もう読んでおられないのかもしれないけれど、今年ふとしたことからいわゆる「炎上状態」になり疲弊してブログを閉めていかれた、親しかったあの人のことが思い出される。
あのときもショックだったな。突然ブログが消えていたとき。
もしもいつか、自分がそういうことになったとき、せめてそうした気分を人に味わせないですむようにしたいと思うけれど、どうだろう。
どうかなあ。
【追記】
件の人は、言い残すために戻ってきたようだ。その誠実さには素直に頭が下がるけれど、しかし言い残されても、じゃあそれでいいというものでもないような気がする。その言い残しが単にお詫びのみであったとすれば、肝心なところは全くわからない。この場合聞きたいのは「お詫び」ではないんだよな。(だいたいのことは言い残しからでも察せられるけれど)そういえば、あのときもそうだったと思う。(意味わからない文でごめんなさい)
2005 12 22 [日記・コラム・つぶやき] | 固定リンク | コメント (2) | トラックバック
December 08, 2005
砂糖水の話
この話は長くなるからまた今度・・と向こうでコメントしてしまったけれど、そしてJobs(こいつもJだな)を擁護する気はさらさらないんだけれど、「砂糖水ごとき云々・・」はちょっと違うと思うので、ここでコメントしておきます。
あの時代の空気としては、新興勢力としての西海岸のJobsやGatesやその他、むさい若者が今のライブドアみたいに、にゅきにゅきと台等してきた時期なわけでしょ。新興勢力であるが故のつっぱりやコンプレックスを、当時の西海岸の奴らはすっごく持っていたわけ。で、「砂糖水」を売っていたスカリーは、ジョブスにとっては「東海岸のエスタブリッシュ」の代表だったわけです。(このあたりの空気は、もう誰も読まないスカリーの自伝「スカリー―世界を動かす経営哲学」にも詳しいです。)東の企業文化と西の企業文化にはものすごい精神的な差があった。西のコンピュータカルチャーはヒッピーで反体制で長髪でジーパンで、Appleはその総本山だったんだけど、東への反発というかコンプレックスというかすっごくあって、東は東で新興勢力を不気味な目で眺めていた。スカリーなんてもう、すっごい決心で人生捨てるみたいなノリでAppleに来るわけです。
その延長で理解しないと、「砂糖水」は読み違えると思います。あれは誇大妄想とコンプレックスに裏打ちされたJobsのタコ突っ張りであって、現代の感覚での「砂糖水ごとき・・」ではないんです。
まあそういう読み違いがされるくらい、コンピュータカルチャーはこの四半世紀で成熟したとも言えると思うのだが。
まあ、ライブドアがフジテレビに対してとった態度とか、最近経団連に入りたいとか、ぼけたことを言っているのを見れば、あの当時の空気に多少は近いものがあると思うんですよね。フジやTBSが砂糖水を売っているのかどうかは知らないが。
【関連記事】
●ブロガーという属性(愛に史観を)
●僕らは静かに消えていく
2005 12 08 [日記・コラム・つぶやき] | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック
December 06, 2005
Time is on my side(4)-----Jの死から25年
その人が銃弾に倒れてから間もなく25年が経つ。それまでこの国では、「真珠湾攻撃の日」として認知されていた日の意味を変えた衝撃の事件が起きたのは1980年12月8日。今年も間もなくその日がやってくる。
25年前。
僕はそのニュースを、確か所属していた音楽サークルの、ラウンジで聞いたような記憶がある。誰かがテレビかラジオのニュースでそれを聞き込んできて、薄汚い長椅子でその日も時を無為に過ごしていた僕たちに伝え、大騒ぎになった、と思う。思うというのは、どうにもその瞬間の記憶はおぼろげなのである。
それを聴いた瞬間は確実にショックを受けたのだが、その記憶は苛烈であるのに、今となると不思議とぼんやりとしていて、心の奥の、古ぼけて淡い器に溶け込んでしまったような感じなのだ。だがその後、やはり毎日のように通っていた薄暗いあの喫茶店の2階に行き、友人に興奮してそのニュースを伝えた時のことは、はっきりと覚えている。
「Jが撃ち殺された」という言葉の響き。
それを聞く1分前まで予想も出来なかった、世界の未だ見ぬ獰猛な姿。想像もできない挙動に走った、チャップマンという男への恐怖が強烈にあった。
会ったこともなければ、人生が実際にクロスすることもない、雲の上のカリスマの胸にめり込んだ鉛の銃弾のイメージが、匂いが、自分の胸に血の色と一緒に突き刺さったように感じた。あれ以後、いろんな有名人や芸能人が亡くなったけれど、バーチャルな銃弾が胸に突き刺さったような、あの重苦しさと痛み、そして「焦げ臭さ」を感じた経験は、それ以後ない。
ところが、興奮している僕に比べて、喫茶店で会った友人たちは押しなべて平静だった。彼らには音楽をやっている者は少なかったし、中には「S&Gが殺されたっていうならショックだけれど」とか、エルビスが死んだときのほうがショックだったと言う者もいた。
僕はどちらかというと、興奮する気持ちの行き場を失ったような状態のまま、ふらふらとその日は電車に乗って帰って、家で深夜まで、「ダブル・ファンタジー」を、ラジオで繰り返し聞いていた。世界中のラジオがあの夜はJの曲しかかけていなかった、と思う。暗闇の中で。
その後しばらくしてから、当時自分で主催していたミニコミ誌(この言葉の響きと言ったら!!)に、Jの有名な曲と同じタイトルの、今思うと(今でも時々甘ったるいが
)相当に甘ったるい短編を書いた。思い出すととんでもない話だ。
やはりJの死を受け止められずに、ふらふらと歩く主人公が、Jの音楽を自分に教えてくれた大切な女の子に電話でその悲報を伝える。Jの大ファンで、彼の話になると、一晩中でも酔った様に語り続けた彼女が、今この時間にどんなにショックを受け、打ちひしがれているかを気遣った彼の思いをよそに、やっとつかまえた彼女は「眠いから」と、迷惑げに冷たく電話を切る。
1人で放り出され、一体どうしたことかと混乱する彼の元に、その日の深夜遅く無言の電話がかかる。(彼女と思われる)無言の電話の向こうではJの音楽だけが静かに聞こえ、いつもは多弁な彼女が何も言わず、何も言葉では嘆かず、ただ無言で音楽のみでJを追悼していることを知り、その悲しみのとてつもない深さを、彼が知るという、今覚えば相当に恥ずかしく「くさい」恋愛短編である。
若かりしころの勇み足(今でも同じようなことばかりやっているが)の代表のようなその短編は、それでも狭い範囲の人たちにずいぶんと受けが良かった。この短編を読んで感動したと言って、一緒にミニコミをやりたいと言ってくる女の子も多く、また、たまたま家に来た父に見せたとき、ずいぶんとその文章を褒めたのがくすぐったかった。(父は文学部出身で新聞記者の経験を持っていた)しかし、その甘ったるい短編を書いたその同じ号に、僕が別のペンネームで書いた全く雰囲気の違うもう一つの短文には、眉をひそめた。そして
「こっちはだめだ」
芯から読むのが苦痛なように、ただそう言った。
そこには、仮想のロックスターに恋するうちに、次第に現実と仮想の区別がつかなくなり、正気を失っていく女の子の断片が書かれていた。人の「名前」というものに異常に違和感を持ち、自分の名前を呼ばれることをかたくなに拒絶するあまり、恋人との関係が崩壊していく女の子の狂気が、行き詰った、暗く狂った構成の文章で書かれていた。
今思えば、メディアの中で偶像視され、スターとして持ち上げられる者への甘美な依存と、それへの疑問や違和感あるいは不快感のようなものの、両方を僕は書きたかったのだろう。そして、それがそのまま、あの当時のJへの僕の心理だったのだろうと思う。
そして、あのころは全く気がつかなかったのだけれど、Jとの距離を見失って狂気に突き進んだ犯人、ホノルル出身の精神疾患を患ったマーク・チャップマンにすら、どこか深層の中で寄り添っていたのかもしれない。
チャップマンが、ロックスターに憧れながらも、世界と自分の位置がつかめないでもがいていたとすれば、僕の立っている場所も今にも崩れ落ちそうだったのである。それは、あれから数年たってからようやく僕は知ることになるのだ。この社会に出るときに。
さらに。
平和や飢餓に対して若者らしい甘美な夢を見ると同時に、崩れ落ちるように瓦解していった、一つ前の世代の敗北もしっかりと僕は記憶していた。Jとその思想に憧れながらも、無条件に彼を称えることも、無条件に拒むこともできなかった。自分が抱えていた、あのときの矛盾は、その後25年経っても基本的なところはほとんど変わっていないような気がしている。
Jの死から25年。
矛盾だらけだったのはJも世界も同じだった。もしもああいう形で最期を遂げなければ、Jは一体どんな姿で我々の前にいただろうか。
彼が生きていれば世界の何かが変わったと言う人もいるが、あの有名な曲で歌われた世界を、今でもあの時代のまま、本気で信じているとすれば、それはとんでもない大馬鹿であろう。だが世界は本当に何も変わらなかっただろうか。それもまた、わからない。果たして大馬鹿であり続けることが絶望であるのかどうか。それも僕にはわからない。
この25年で何かが動いたのか。進んだのか。変わったのか。変わらなかったのか。
街に輝くクリスマスツリーを見ながら、彼のあの曲を聴いて、今夜そんなことを考えた。
【参考記事】
●Time is on my side(1)-----時は今でも味方しているのか
●Time is on my side(2)-----光は今でも味方しているのか
●Time is on my side(3)-----どちらが孤独なのか
2005 12 06 [日記・コラム・つぶやき] | 固定リンク | コメント (4) | トラックバック
December 04, 2005
寒夜
寒夜。
心が揺れたとき、揺れは
近いところから、遠いところへ
順に伝わるのではないのだろう。
心が痛みを覚えたとき、痛みは
見える場所から、見えない場所へ
順に伝わるのではないのだろう。
心が嘆くとき、嘆きは
理由を知る人から、知らない人へ
順に伝わるのではないのだろう。
おそらく心は
それを受け止めようとする者から
受け止めようとする場所から
順に伝わっていくのだ。
今宵も、空は寒として、闇に包まれているのだが、
もしもそこに、耳を澄ましているあなたがいれば
受け止めようとする、あなたさえいれば。
受け止めようとする、私さえいれば。
遠くても。
2005 12 04 [日記・コラム・つぶやき] | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック
December 01, 2005
夕刻の頃。ぐっと。
夕刻の頃、あなたのエントリーを目にして、
実は、ちょっとかなり「ぐっと」きてしまいました。
あなた流のあなたの言葉の力。 胸に染みました。
直接言われたくもないでしょうから、TBもコメントもしませんが、
ここには小さく書いておきます。
ありがとう。
2005 12 01 [日記・コラム・つぶやき] | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック
November 30, 2005
なぜ僕は未だ誰も殺していないのか(2)---「暗闇」を「暗闇」から覗き込むということ。
異彩を放つような犯罪を起こす若者が出るたびに、「幼少時の親の愛情」に問題があったように言う人がいる。
つまり、どんな人にも幼児期というものがあり、その時期に愛情を受けることは人の心を強くするための重大な条件の一つではないか、ということです。
家族の愛を経験したその子どもがその後どんな人生を送ることになろうが、(たとえ、犯罪や戦争に巻き込まれて悲惨な経験をしようが、あるいは、自分自身が犯罪を犯してしまうことになろうが)、絶望から這い上がる力を育むのは、自己の土台を作ってくれた「愛」ではないのか、ということです。そして、その「愛」が育まれる場は、多くの場合、家庭であろうと思うわけです。・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・
人類は全員がまっすぐに育つ必要はなく、何かが起こった時に、再び立ち上がる力を持っているかどうか、子ども時代にその根っこが形成されているかどうか、それが問題なのだと私は思うのですが、間違っているでしょうか。
(「愛は絶望から這い上がる」--幸か不幸か専業主婦)
自分の話を何度も繰り返すのももう嫌になったから、前から読んでいる人だけわかってくれればいいけれど、こういう言説に対して僕はどう対峙したらいいのか、いつも困惑して佇むのである。もしも「絶望から這い上がる力を育む」のが、「自己の土台を作ってくれた」家族であるとするならば、極端な猟奇的な犯罪を犯す子供には、この「土台」がなかったのではないかと人は誘導される。
所詮、闇を覗き込む時には自分のいる小さな場所から覗き込むしかないのではないかと真魚さんに言ったのは、まさにこういうことであり、「自己の土台」を欠損している多くの人々の眼差しは、こういう出来事が起きるたびに、恐る恐る暗闇を暗闇から覗き込んでいるのである。
だからといって、「愛情が人間形成に関係ない」などという論は、合理的に考えれば同意できるものではない。となれば、先に引用した言説に、根本的な過ちなど、はなからないのである。しかし、「僕たち」がこの言説を肯定するところから、いったいどんな希望が生まれるというのか。どんな未来が生まれるというのか。
犯罪をなした若者の周囲に、親の愛が無かったのではないかと考えることは不自然な言説ではないのは重々承知だが、その立場に立つところに「僕たち」の未来はない。人は、これを生まれながら欠いたままでも、生を送ることもあるのである。
思えば僕が「なぜ僕は未だ誰も殺していないのか」と先に問うたのは、おそらく社会の、この種の無言の力を感じるからであり、その「圧力」(「圧力」に思えるのだよ。)に素直に従えば自己の生の否定に繋がる。かといってその「圧力」を否めば、内的・先天的な要素から隔絶して、人間不思議の事件を説明しなければならないという、極めて困難な立場に追いやられる。
結果、顔を伏せ、目をそらし、誰も見えないという暗闇に向かって、密かに自分の抱える暗闇から、誰にもわからない記憶をまぶして、そっと息を吹きかけるだけである。
「暗闇」から「暗闇」を覗き込むように。
思えば、「保守的」な立場や思想に馴染まずに年齢を重ねているのは、「保守的な人々」が、しばしば人間形成の原点に「健全な家庭」を不可欠なものとして置くからであり、「親子の情愛」を置くからであり、それを発展させて家族的結束に包まれた国民国家を描くからである。ジグゾーパズルのように組みあがったその論理は、一見して欠損はないように見えようが、不可逆のカルマに出発点を持つものへの眼差しはない。遅れてくる者、常を踏み外すことを強いられたものへの理解はないのである。パズルの襞に挟まれて苦悩する者の存在を忘れてはいないか。
彼あるいは彼女は言う。
もしも仮に「失敗した人生」があれば、それは「失敗しなければ良かったのだ」と。
もしも「殺した者」がいれば「殺さなければ良かったのだ」。
そしてもしも「崩壊した家庭」があればこう言うだろう。
「崩壊しない家庭を作れば良かったのだ」と。
「僕たち」はそれを「僕たちの暗闇」から息を潜めて聞くだけである。
何度も聞かされてきた台詞だ。
あの雪の日にも。あの夕景の日にも。あの秋暮の日にも。
おそらく、「あなたたち」には一度も聞こえたことの無い声だ。
いま一度言う。
僕は、いや「僕たち」は未だ誰も殺していない。しかし。
彼女との差異は、いや無数の「彼女たち」との差異は、たったそれだけのことのように思えてならない。宇宙の時間の中では、瞬きのような差異でしかないように思えてならないのだ。
そう思うところから「僕たち」は時を紡ぐ。「あなたたち」は「あなたたち」の道を行けばいい。だが「僕たち」はここから始めるのだ。今立っているこの場所から。「僕たち」は、この世界でそうすることしかできないのだから。
ここから。
【参考記事】
●なぜ僕は未だ誰も殺していないのか---少女の立っている場所
●「親でもないくせに」へのオマージュ-----不可逆の悪魔
2005 11 30 [日記・コラム・つぶやき] | 固定リンク | コメント (8) | トラックバック
November 23, 2005
なぜ僕は未だ誰も殺していないのか---少女の立っている場所
なぜ僕は未だ誰も殺していないのか。
記憶を辿っても、人に対する殺意を持ったことはない。暴力の衝動ならこれは何度もあり、人を殴りたくなったことはある。いや実際に何人かを殴ってもいる。あるいは怪我もさせたかもしれない。しかし、いくら考えても一時も誰かを殺そうと思ったことはないし、それによって何か自分が救われるのではないかとも思ったことはない。だから、彼女の殺すプロセスのディテールを想像することもついぞできないでいる。
だが、たまたま殺意が、その衝動がなかったという理由で、幸いにも、たまたま誰をも「殺すことのなかった」自分が、そのことをもってして、「たまたま母を冷酷に殺した」この少女よりも明らかに許されるのかと自問すると、それも俄かには肯定できないように思うのである。
つまり僕には偶然に殺人の欲求がないという、たったそれだけの差異なのではないか。これを自分と彼女との決定的な差異と呼べる自信がない。
自分の母親が目の前で苦しんで死んでいく、その原因を作った自分の行為が、命をこの世界に生み出してくれた母への、世間並みの愛情を遥かに超える「好奇心」であるという驚愕。それが全て、彼女の歪んだ「化学的関心」から生まれたとするなら、確かにこの行為をどのように理解したらいいのか、いや理解しようという試みそのものさえも、既に何かを踏み外しているのではないかと空しささえ覚えるのはわかる。
そうした彼女の、到底常人に理解できない殺意を(そもそも、あれは殺意だったのだろうか?)、仮に「人の闇」と呼び、認識するなら、明るい光を浴びて生きる多くの人の目には、やはり彼女の行為は「猟奇」としてしか像を結ばないのかもしれない。
まるで、洞窟をのぞき込むと、そこに、どこまでも続いているような深い暗闇だけが見えるようである。その暗闇の前で、僕はたたずむしかない。しかし、その闇がそこにあるということは忘れないでいたい。(深夜のNEWS「なぜこのようなことになったのか」より)
しかし。
思えば世界を最初に認識したときに、僕の世界もまた深い暗闇で満たされていた。人は暗闇で生まれ、暗闇で育ち、その中で少しづつ灯りを灯していくものだと思っていた。この時点で確かに僕の心象はむしろ闇に近かったのである。モノトーンは時間軸の方向に向けて微かにその色をグレーに変えていくような予感はあったが、それでもその出発が闇からであったことは否定のしようがない。
仮に漆黒の闇でこの世に生を受けるのが人であると、そういう実存が人であるのだと、この少女が世界に足を踏み入れた最初のところで思い込み、そこから出発したとすれば、果たしてどうであったか。終に自力で闇から抜け出ることができなかった彼女に私たちは何ができたのか。
生を受けてより、闇から世界に関わりを持ち始めた、つまりそういう「生き始めかた」を選ばざるを得なかった、何らかの内的なあるいは外的な要因がこの少女にあったとすれば、我らの眼差しも、不可解な闇を覗き込むという感覚とは微妙にずれるのではないか。
彼女は闇に陥ったのではなく、生まれ出でた原初の彼女の暗闇から、終に出ることが出来なかったのではないか。
というよりも
この少女が闇に沈んだのではなく、元来、人こそ闇に沈んでいる存在なのではないか。
溢れるばかりの闇の深遠を思わせる事件であることは承知しながらも、闇の一片を自分の肉体のどこか奥のほうで、まだ少女と共有しているのではないかとさえ思う自分は、どこかまだ闇に足を取られ続けているのであろうか。
「そんな事は在りえないけれども、もし、一度だけ生まれ変われるとしたら、僕は植物になりたい。大きな喜びは無いけれど、代わりに深い悲しみも無い。」
生きていることへの、生まれてきたことへの、絶望的な絶望、そして不可逆の命への悔恨がこの結果を招いたのなら、起きたことの全ての冷酷を、この少女の罪として断罪するには、あまりに彼女の心はひどく不可知であるし、闇から歩みを始めざるを得なかった者の不可解も絶望も、結局は我らには理解できないでいるように思う。
現に、あの「懐かしい」闇を思う我は、「幸いにも偶然に」未だ誰も殺してはいないのだけれど、かといって我と彼女の差異だけを理由に、少女が僕の場所から、億万光年の彼方に立っているとも、どうしても思えないでいるのである。事件とそのプロセスを、おぞましいと感じる日常感覚は彼方にあるとまで言うものではないが、だからといって自分に無縁の深遠であるとも思えない。
僕は未だ誰も殺していない。
差異は、たったそれだけのことのように思えてならない。宇宙の時間の中では、瞬きのような差異でしかないように思えてならないのだ。
2005 11 23 [日記・コラム・つぶやき] | 固定リンク | コメント (3) | トラックバック
November 21, 2005
まさに言葉の劣化ウラン弾----君は凄いよ。hankakueisu。
さすがだよ。やっぱり君は凄い。hankakueisu。
東京ブロガーズに突然撃ち込まれたのは
誰1人として俺が真性引き篭もりhankakueisuuだって事に気がついていないのには笑った。(真性引き篭もり/東京ブロガーオフレポ)
まさアに言葉の劣化ウラン弾。
え?嘘だろ?ほんと?え?・・・・誰?
たった2行足らずの言葉で、名だたる東京のブロガー達も今頃、パニックになっているかもしれない。(そんなことないか) まさかhankakueisuはDAN氏じゃないよな。(笑)ああ、僕も行けばよかった。こけにされたかった。
好きだなあ。この人。残念ながら。
2005 11 21 [日記・コラム・つぶやき] | 固定リンク | コメント (4) | トラックバック
October 31, 2005
ブログの値段---よし売った!

My blog is worth $220,735.14.
How much is your blog worth?
2005 10 31 [日記・コラム・つぶやき] | 固定リンク | コメント (2) | トラックバック
僕はいつ「ブロガー」などという謎の生き物になったのだろう。
よく考えればテーマがあったではないか。民主党のブロガー懇談会。
>以前より、与党が出している憲法改正の国民投票案のどこに問題があるのか野党第一党の前原代表にインタビューしたいと、民主党へお願いをしておりました。(GripBlog)
以前行われた自民党のブロガー懇親会が、どちらかというと「幅広く意見を聞く」みたいなものだったので、それと混同していた。これは大変と、俄か勉強である。やれやれ。
この状態で参加するなどと言ってしまう自分は何者だ。ブロガーだ。
うん?
ブロガー?
この皮膚にまとわりつく違和感は何だ。
一体いつ自分は「ブロガー」などという謎の生物になったのだろう。確かに僕はブログを書いている。そして、僕はBigBanだ(gはあってもなくても可というゆるい取り決めだ。サイトはBigBangね。)BigBanになった覚えはあっても、「ブロガー」などという謎の生き物になった覚えはない。そしておそらく政治的には「一市民」というヤツに属する生き物だ。
となれば、民主党の懇談会はブログをしている一市民として参加するのだろう。でもそういう僕の性質は「ブロガー」という名前で括られる。「ブロガー」そんな生き物がこの世にいるのだろうか。ブログを書く「ブロガー」。ブログを書かねばただの人か。書いてもただの人かい?あっそ。
「ブロガー」の意見を聞きたい政党。「ブロガー」が政党代表と懇談と報じるネットのニュース。それは真実ではあるけれど真実ではない。なぜなら僕は24時間ブログを書いている生き物ではないし、自分の思想が、生活が、全てブログに乗っているわけではない。ブログを書いているというのは単なる偶然であり、行きがかりであり、勢いであり、気まぐれだ。ブログなどは絶対でもなければ天国でも地獄でもないのだ。
本当は人と話したいのだろう?ならば僕は人だ。
市民と話したいなら、僕は市民だ。
有権者と話したいなら、僕は有権者だ。
だが、ブロガーと話したいなら僕は「ブロガー」か?
違う。それは違う。
明日僕はブログをやめるかもしれないし、筆をいやキーボードを折る(!)かもしれない。それでも僕はこの国で生きていくだろうし、何らかの手段で発言を続けるだろう。呼吸もするだろう。飯も食うだろう。相変わらず君にも振り回されるだろう。
ここで死について書くだろうし、詩についても書くだろう。混乱し錯乱し冷静になればまた、板門店や(ああ板門店のことを早く書きたい)、犬や政治のことを書くだろう。
「ブロガー」は僕の呼び名ではない。
僕はBigBanである。(それも永遠ではないけれど)。
僕はBigBanとしてそこに立つつもりである。
いつでも、これからも。
2005 10 31 [日記・コラム・つぶやき] | 固定リンク | コメント (1) | トラックバック
October 24, 2005
恢復する力----中越地震と小千谷の花火
昨日、八王子の祖母の家へ往復する車の中でこの番組を車内のテレビでずっと見ていた。泣かせ番組と知りながら、つい嵌ってしまったという話。
「江口洋介が追い続けた1年 中越地震の町に咲いた超特大花火~花火の数だけ涙があった~」
新潟県の小千谷市には世界一の特大花火「四尺玉」を打ち上げる「片貝まつり」というものがある。この「片貝まつり」の花火は、スポンサーのほとんどが個人であり、それぞれのメッセージを花火の打ち上げ前に場内に流し、夜空にその思いをこめた花火を打ち上げるというものである。
通常の花火大会とはかなり異なり、生きて呼吸している、その地に暮らす人々からのメッセージが花火によってプレゼンテーションされるという形式の祭である。
俳優の江口洋介がこの祭に訪れる様子を中心に、成人式を迎える町の若者たちの様子や、復興への思い、大切な肉親を病で失った人たちの回復への道程を取材する形式で描いていて、この番組自体、見事なドキュメンタリーになっていたのだ。
思わず車を止めて、車内で見入ってしまった。
地域のコミュニティが、元来内在しているある種の恢復の機能について考えた。大切な部分の喪失を余儀なくされ、命のぎりぎりのラインまで傷ついた人々を、地域の祭とか、人と人との関係とかそういう、土地に宿っている磁場のようなものが癒していく、古来の力のようなものが、あらためて思い起こされた。
自分は比較的都市に属する地域に生まれ育ち、こうした経験、地域が全体として癒しあい、かばい合い、喪失から恢復する人々の背中を押していくというか、互いに支えていく、良い意味での日本的共同体の力をもらう機会に恵まれなかった。というより、もっと根本的なところでいろいろな力に恵まれなかったのだけれど、成人の儀式に臨む小千谷の若者たちを見ていて、ああ今でもこういう若い日々をおくっている若者たちがいるのだなあと、ある種の感慨を味わった。
Blogsphereの中で苦しんでいる多くの人達のことも心によぎったのだけれど、こうした人々に、あるいは自分自身に欠けているのは、こうした大きな空間とか自然とか、ある種「非合理」で「不可知」な癒しの恩恵を受けることができないでいることではないかと思うのである。
ブログという先端のツールによるコミュニティにも、無論こうした伝統的な地域の「恢復力」に近い、あるいはその新しい形の発露のようなものは十分宿っていると思うのだけれど、現実の地域で数百年かかって作られた「魂」のようなもの--その地域の地縁、血縁の託ち出す、土地の、あるいは空間の持つ力を外に引き出し、人の心に強い癒しとして与える仕組みのようなもの---それらを全てこの未来型のサイバー空間の中で補完するまでには、至っていないのだよなあ。
都市化とか、災害後のコミュニティの崩壊とか、今進行している地域の市町村の統廃合とか、そうした事柄との関連が浮かんでくる。
「優しさをなくした政治」という表現は、今では小泉の「小さい(苛烈な)政府」を批判する場合の野党の決まり文句となっている感があるのだけれど、厄介なのは現実の政治社会の中で簡単に「抵抗勢力」とか「守旧派」などとレッテルを貼られてしまう、日本の古い隠微な性質もまた、この癒しの地域空間に隣接して支えられているということだ。
何かを破壊することで、期せずして、その隣接する場所の価値も破壊してしまうことはよくあることだけれど、物事は広く見なければ、弱者切り捨て御免の社会体制の、負の部分がなかなか見えてこない。それらは得てして、現代国家に対峙する不合理や情念の領域に内在しているからだ。
そして思えば、あの中越地震が起きたとき、1年前の今頃僕は、この「地が揺れる深い夜に--みんな生き延びよう」を書いたのだった。いつにも増して、あの夜も僕は生き難く、人と自分の「生きる力」を信じたかったのだけれど、あの夜の僕の傍らには、しっかりと信じ合える魂が寄り添ってくれていた。
今となればその奇跡に感謝すべきだろうと思う。
小千谷の花火を見ながらそんなことを思ったよ。
#番組の花火を見て?ああ散々泣いたさ。
まんまと制作者の意図に乗って。悪かったね。
【参考リンク】
●にいがた夜物語 -片貝まつり迎賓館-
2005 10 24 [日記・コラム・つぶやき] | 固定リンク | コメント (3) | トラックバック
October 22, 2005
心を削れ。さもなければ砕けてしまえ。
生み出し続けていくことは、辛く厳しいことなのだ。
身を切るという言葉があるけれど、どんな言葉も、どんな思いも
どんな思想も、そしてどんな愛情も。恋愛も。
あなたのところに真っ直ぐには降りてこない。
鋭角に降り注ぎ、鋭角に空気を裂き、あなたの言葉があなたの心に切りつける。
続けるということはそういうことなのだと、思う。
終わりを意識することは、あってもいい。いやむしろ。
全ては終わるために営まれているといってもいいのだから。
にも関わらず、続けていくことにも、相応の敬意が払われてもいい。
ブログが日記だなどと誰が言ったのだろう。
いや、その言い方は違うか。
日記こそが実は命の営みを過酷に記録する、死ぬほどつらく厳しい作業だったことを。
およそ日記こそが、私とあなたの命を記録してくれる、それこそ血を吐くような、ぎりぎりの営みであったのではないか。
命を削らないなら、ここに立つべきではない。
心を削らないなら、ここで呼吸をすべきではない。。
幾千億の、心を削らない営みは断罪されるべきではないが、
さりとてあなたの心にもまた届かない、彼方の花火でしかないだろう。
花火を凡庸と呼ぶことに、もしも心がざわつくのであれば、私は全ての花火を
貫徹しつくす視線を持ちたい。眼差しを備えたい。
だから私は心を削って、心を見据えて、まだしばらくは続けていこうと思う。
何かが終わるその日まで。
代償として心など砕けてもいい。それが私の心なら。
砕けてしまえ。
2005 10 22 [日記・コラム・つぶやき] | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック
October 18, 2005
孤であることを、個であることを。
たとえばこんな夜。
雨の音を聴くとき、君は一体何を思うのだろう。
夜が水の音で満たされるとき、君は一体何を思うのだろう。
僕?僕はね、世界の全てが静止してしまったような
深い深い闇を思う。心地の良い死を思う。
雨の音を聴くとき、君は一体何を思うのだろう。
夜が水の音で満たされるとき、君は一体何を思うのだろう。
僕?僕はね、全ての登場人物が去った後のような
長い長い物語の終わりを思う。心地の良い終わりを思う。
僕たちがしてはいけないことは、どこから来たかを自分に問うことだ。
そして、どこへ行くのかを自分に問うことだ。
問わず、思わず、疑わず、愛せず。
こうして流れにまかせていつか泡のように消えていく。
孤であることを、個であることを、むしろ誇りながら。
泡のように消えていく。
僕はそんな風でありたい。
雨の音を聴くとき、君は一体何を思うのだろう。
夜が水の音で満たされるとき、君は一体何を思うのだろう。
僕?僕はね、世界の全てが死に絶えた
深い深い闇を思う。心地の良い静寂を思う。
愚かだろう?
2005 10 18 [日記・コラム・つぶやき] | 固定リンク | コメント (5) | トラックバック
全ての愛情を
全ての愛情を。
自分の存在全てに関わる全ての愛情を。
全てが幻だとして。
全てが無だとして。
捨て去りたくなる夜がある。
全て。全て。この身そのものさえも。
この身の周囲にあった
「それらしきもの」が全て消え失せたとて
一体何の不自由があるだろう。
無であるものを追い求めるより
最初からなかったものを追い求めるより
いっそすがすがしくはならないか。
失うものなどなにもない。
これは
諦念なのか。
非情なのか。
甘えなのか。
我心なのか。
怒りなのか。
違う。
最初から僕は何も必要なかったのだ。
なぜなら何も与えられなかったのだから。
最初からあなたも何も必要なかったのだ。
なぜならあなたは全てが与えられているのだから。
生まれたときから、どす黒い真空の中でやっと呼吸している。
それが僕だ。
救いなどいらない。
それは誰か他の人に向ければいい。
全てが満ち足りたあなたから
全てを失った人たちに
向ければいいと、僕は思う。
こうやって呪う夜こそが呪わしい!
許して欲しい。
僕は自分を愛せない。
2005 10 18 [日記・コラム・つぶやき] | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック
October 12, 2005
だって神は死んだのだもの。
14歳になったとき、神を探しに出かけた。混乱して情けなくて苦しくてぼろぼろで惨めで、人生は早くもショートし始めていた。どうも僕の世界は作り違えられてしまったに違いない。あるいは僕が何もわかっていないだけなのか。ガキだしさ。
で、責任者よ出て来いみたいなノリでカトリックの教会へ行ったんだよ。とことこと。
責任者よ出て来い。
でもそこにはステンドグラスと賛美歌はあったけれど、神はいなかった。
責任者はいなかったんです。
16歳になったとき、もう一度神を探しに出かけた。今度は彼女と一緒。彼女が招いてくれたのはプロテスタントの教会だった。僕はそこで優しい彼女と、神の歌を一緒に合奏した。彼女の愛する人は、信仰のある人の中から神が選ぶ。彼女はそう言った。僕は彼女の横顔にさようならを言った。
責任者よ、出て来い。
そこには音楽と魂(ソウル)はあったけれど、神はいなかった。
責任者はいなかったんです。
17歳になったとき、また神を探しに出かけた。今度は立川の中央線沿線にある民家が教会だった。この頃、ひとりで、孤独で、さびしくて、一人でひとりだった。民家で「神の存在を証明します」と言われ、「世界の第一原理」というものを何時間も聞かされた。美しい女の人たちが、笑顔で迎えてくれた。美味しい飯も食べさせてくれた。
責任者よ出て来い。
そこには、誘惑と原理(のようなもの)と癒しはあったけれど、神はいなかった。
責任者はいなかったんです。
18歳になったとき、「神は死んだ」と叫ぶ哲学者を知った。実習生の割には態度の大きい鋭い目をした顔色の悪い女子大生が、煙草をふかしながら教えてくれた。毎日放課後になると彼女のところに行き、「死んだ神」についての話を聞いた。
責任者よ出て来い。
そこには哲学者と不良はいたけれど、神はいなかった。
責任者はいなかったんです。
僕はそのとき、僕の人生に責任者などいないことが、やっとわかった。
で、神を探すことをやめることにした。
で、それからもう何十年も探していないし、これから先もきっと探さないだろう。
だって神は死んだのだもの。
だって神は死んだのだもの。
僕とあなたの人生に責任者はいない。
いないんだよ。
2005 10 12 [日記・コラム・つぶやき] | 固定リンク | コメント (2) | トラックバック
October 07, 2005
一瞬の夕暮----1点を、ただその1点を。
突然な話かもしれませんが、たとえば、午後から急に降り出した雨が、ようやく止んだばかりの夕暮の街を思い描いてください。
まだどことなくしっとりとした、この日の空気に包まれて、郊外の駅に降り立ったあなた自身を思い描いてください。
止んだ雨の一瞬の安堵から、それぞれ家に閉じこもっていた人々が姿を見せ、街はいつもの賑わいをとり戻しつつある、そうした一瞬の夕暮に立っている、あなた自身の姿を想像してみてください。
次にあなたの胸に、あなたのその右手を添えて、茜色に染まり始めた西の空を見ながら、ゆっくりとゆっくりと息を吸い込んでみてください。あなたの体がこの空気を心ゆくまで吸い込んだら、次にゆっくりと、ゆっくりとそれを吐き出してみてください。
もしも何かの音が聞こえたら、その音がどこから来ているのか、じっと耳を澄まして欲しい。
もしも誰かの声が聞こえたら、その声を発する者たちのことを、じっくりと考えて欲しい。
喧騒の中に生きている私やあなたには、なかなかできないことです。
だからこそ、この時間。華やいだ空の色が沈み、程なく墨のような闇に沈んでいく一瞬前の、淡い夢のようなこの時間。
あなたの体中に、この大気を満たして欲しい。
私はそうやって今日を何とか生きています。
そしておそらく多くの人たちが。
こんな言葉もおそらく、あなたにとっては儚く、儚くしかなく。
私も、あなたの傍にいるその人のように、少しもあなたを救わないかもしれないけれど。
病んだあなたのその身体の絶望が、悲しみが、苦しさが、記憶が、そして混乱がせめて少しでも軽くなるように。少しでも軽くなるように。
無力の深い淵から、私はその1点を、ただその1点をひたすら祈る。
私だって、希望は未だ探せていないけれど
祈ります。
2005 10 07 [日記・コラム・つぶやき] | 固定リンク | コメント (4) | トラックバック
September 16, 2005
生きていく理由
生きていく理由。
こう書いて、しばらく眺めている。
生きていく理由。
おかしなことに気づく。
まず一点目。
「この問いに何か意味がある?」
次。
「理由」がなくても生きていける。
最後。
今後「生きていく」とは限らない。
2005 09 16 [日記・コラム・つぶやき] | 固定リンク | コメント (6) | トラックバック
September 07, 2005
親というカルマ?
「親というカルマ」あ?
昼間、正気の時に読むと、何気に凄いこと書いてるな・・・
http://ultrabigban.cocolog-nifty.com/ultra/2005/09/post_95d3.html
毒だ・・
【参考:はてなダイアリー】
karma。本人が作り出したとされる、宿命。業。
2005 09 07 [日記・コラム・つぶやき] | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック
青い世界で
ある朝。
目が覚めたら、1人で青い世界を歩いていた。
空も、水も、地も、全てが透き通るような青に染まっている。
青い世界には、自分以外誰もいない。
深い水の底のように、しんと静まり返っている。
音が、ない。
気がつけば、僕の体も、青く青く染まっている。
こんなに青い体では、この世界に溶けてしまうじゃないかと、ぼんやり考える。
空気が、ひんやりと冷たい。
青い世界を、あてもなく歩いていたら、深い海の底を泳ぐ魚になったような気がしてきた。
名前もわからない深海魚のような、なにかに。
それにしてもなぜ、誰もいないんだろうか。
生きているものの姿が見えないんだろうか。
血の色の世界に生まれるよりはましだったのではないか、と
誰かの声がささやく。
そうだろうかと苦笑する。本当にそうだろうか。
考えてみたけれど、わからない。
よく考えたら、僕は、目が覚める前から、眠りにつく前から
この青い世界にいたような気がする。
ずっとずっと遠い昔から、もしかしたら生まれる前から
この青い世界にいたような気がするんだよ。
いつかまた、この青い世界で眠るんだろうか。
そして、その世界に君はいるんだろうか。
そんなことを、青い体のままでぼんやりと考えた。
もう一度、耳を澄ました。
やはり、青い音が微かに聴こえるだけだ。
2005 09 07 [日記・コラム・つぶやき] | 固定リンク | コメント (1) | トラックバック
September 03, 2005
その者は僕ではないので。
君の心の中に、君を苦しめる卑しい顔をした者が立っていたら
それは僕ではない。
君の心の中に、君を苦しめて平気な顔をしている恥知らずがいたら
それは僕ではない。
その者は僕ではないので、君が首を絞めて殺してしまってください。
その者は僕ではないので。
2005 09 03 [日記・コラム・つぶやき] | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック
「親でもないくせに」へのオマージュ-----不可逆の悪魔
親であることを超えることはできないのだろうか。親という絶対肯定を保障されなかった自分も、いつのまにか、すでに正しく「人の親」になった。それでも思う。人は「親」というカルマを超えることはできないのだろうか。
おまえのためを思っている、と大人は気軽に口にし過ぎる。それは生きている限り同伴者たる覚悟がなければ口にしてはならない言葉だ。
おまえのためを思って言っていると言いながら敢えて人を殴ることをするのであれば、その覚悟によってより先鋭的に自分が試されているのだという畏れを抱き、それを乗り越えなければならない。
人のためを思って殴るのであれば、彼は絶対に、失職しようとも、逮捕されようとも、裁かれようとも、世間から糾弾されようとも、それがために誰からも見放されても、絶対に謝ってはならないのだ。
誰かがそれを口にするたび、私は内心、哂う。親でもないくせに、と
彼の言うことは、おそらく正しかろう。並々ならぬ決心を持つこと無しに、覚悟無しに、他人の生に関わろうとする大馬鹿者への警鐘という意味において。
それにしてもなぜ、
なぜ人は生きることの出発点に、先天的に「自己への絶対肯定者」が必要なのか。
必要と定めたこの世界のメカニズムは、何か。神に意図などあったのか。
あらためて知る。
自分と他者との間には、他者にとって、その人にとって、いつも自分を遠く凌駕する「絶対肯定者」としての「その人の親」が立ちはだかっているのだということを。
「親」はあるいは広く「肉親」と言い換えてもいいかもしれない。人と人との関係は、互いの存在の絶対肯定者がいる---「ここにいるあなたではない誰か」が互いの背後にいるという、暗黙の前提に従って運営されているのかもしれない。
親は死してもその甘美な記憶をもって、その人との交歓に干渉するのである。
後天的な「努力」ではなく、世界に最初から保証されている、親や肉親のア・プリオリに添うことができなければ、どうすればいいのだろうか。
後天的に、他の方法で、それを避けて通るあらゆる方法で、同等の保障を得なければならない。それは自分で行わなければならないのだ。断固として!
これはお世辞にも君の夢見る「光のどけき春の道」ではないかもしれないが。
後天的に愛した者が嘆くのを見たくない。いや、この場合後天的に・・は意味がないだろう。ア・プリオリを保障されなかった者の見る景色は、すべてが後天的な景色なのである。アダムもなければイブもない。いや、それはいらない。いや、いらなくはなかった。いなかった。
僕の世界に、僕自身が「意図して」アダムとイブを招かなかったのだ。選び取ったのだ。そう思い込む強気と妄想。こうして垂れ流す深夜の狂気の交錯すらも、僕が選び取ったのだ。違うか?違うか?
話がそれた。戻ろう。
愛するものが嘆いたとき。
おそらく僕は狂乱するのだろう。なぜなら僕の世界は、すべてが後天的に獲得されたものなのだから、相手もこの目の前に立つ自分の嘆きの共感を、悲しみの共感を、共振するこの魂のあり方を理解してくれるに違いないと、狂乱して錯覚するのである。全ての不実を忘れて。僕は世界に相手と自分だけしかいないと錯誤する。無様な話だとしても。君の嘲笑を浴びたとしても。
僕はおそらく後天の世界で君と寄り添えると思っているのである。
「親でもないくせに!」
そうだ、そのとおり、この言葉は私にも向けられているのかもしれない。
皮肉な話だ。本当に皮肉な話だ。
人は後天的な努力で、ほとんどあらゆるものを獲得できる。いや、元来「先天的な努力」などないのだから、生きようという試みのすべては後天的であるといってもいい。後天的な努力などという言葉もおかしいのである。
教養がなければ教養を身につければいい。
冷薄であるといわれれば情を持つようにすればいい。
貧しければ富を得るように心がければいい。
愛するものがほしければ、愛するものを探せばいい。
世界は広い。
世界はあらゆる(後天的に得られる)可能性に満ちている。
満ちているのである。
手を伸ばせ!
手を伸ばせ!
だが、「満ちている」けれど、そこに全てがあるわけではない。
決して回復できない、後戻りのできない事柄もそこにはある。
不可逆の悪魔。
例えば人種を変えることはできない。たとえ肌や目の色を変えても。
例えば先天的に失われた身体機能があれば、それは回復できない。たとえ義手や義足をつけても。
そして厄介なもの。「親というカルマ」!
それは絶望ではない。誤解されては困る。それは決して絶望ではないのだが、無視して生きていくことは困難である。よほどの鈍感者でない限り!無視して生きればこの身が裂かれる。(誰によって?!)
「親でもないくせに」他人の心にずかずかと分け入る。
「親でもないくせに」自分が相手を一番愛していると思う。
「親でもないくせに」君の涙に自分の涙を安易に重ねる。
親でもないのに!
その通り。
僕にも
多くのおせっかい者が、
多くの勘違い者が、
多くの心優しき人々が
多くの愛情あふれる人々が
多くの仕事敵が
多くの自称友人が
多くの恋敵が
一世一代の愛情を振りまいては去っていった。
彼らのトンデモ振りに僕は苦笑し、彼らの情の深さに涙したこともあった。
ただおそらく、
君とは違うのは、彼らのただ1人も僕の親であった試しはなかったということだ。
僕はその記憶のフォーマットで粛々と生きているつもりである。
その記憶のフォーマットしか選べないのなら、そのフォーマットで生きる。
OSを聞かれれば答える。MS-DOSですよ、とかWindowsですよという風にね。
誇ってはいないが涙はいらない。
もしも僕がこのことに酔いしれているように見えるとすればそれも違う。
悲しいフォーマットなどというものはこの世に存在しない。
悲しいOSやおどけたOSがこの世にないように、自分のフォーマットに酔いしれるフォーマットもまた存在しない。
そう思って生きることが男子の、いや女子も。
生きることのすがすがしさというものではないか。
時として僕は狂乱して、君の親の存在を忘れるだけである。
そして自分の家族のことも。
そう。
「君の親でもないくせに」!
皮肉というのであればこれが最大の皮肉であろう。
お笑いである。
2005 09 03 [日記・コラム・つぶやき] | 固定リンク | コメント (4) | トラックバック
September 02, 2005
横軸の方向へ
僕の心は、時の流れに沿って延ばしてはならない。
僕の心は、過去から未来に向けて延ばしてはならない。
未来から過去へ向けても延ばしてはならない。
心が時に寄り添っている限り、誰も救えない。
自分も救われない。
もしも時間の流れが縦軸の方向であるとすれば
僕はおそらく横軸の方向へ、心を広げるべきなのだ。
なぜなら、
今あなたが立っているのは僕の横であり
世界が広がっているのは僕の横であるからだ。
縦の方向にあるのは虚だけなのだから。
わかっているはずだろう?
僕は逃げるのではなく、忘れるのではなく
横軸に生きる者になるのだ。
だがそれでも、人が今という時間だけで生きるのが
横軸だけで生きるのが困難だとすれば、
そのときは、
そうだな・・
そのときは、どこにもつながらない未来の時間だけを考えて生きればいい。
しかし、そんなことができるのだろうか?
2005 09 02 [日記・コラム・つぶやき] | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック
August 17, 2005
BBと10回も書かれては・・・---笑
●たゆたえど沈まずー考察(1)に「引きずり出された」感じ。(笑)
多くの人にとって、「内面」と「外面」には、あるいは「主観」と「客観」にはそれほど確固とした(あなたほどの)堅牢な壁はないのではないだろうか。
意見の表明、的外れな(と本人も後から気づくような)反論、感情に走った「飛躍」、怒りに任せた「断定」、勘違いに引きずられた「脇道」。
実際の世界の住民はこうした混沌の汚泥の中で左右に惑ううちに、(もちろん呪われまくった末に)いつしか言葉は「落ち着くべきところに落ち着いていく」のだと思う。
無駄といえば無駄なのだけれど、そんな場合にも「言葉の赴くべき場所」が、あらかじめ予測され尽くしているのではないのだから、こうした「無駄」も時間と精神力が許せば、やってみてもいいのではないかというのが、僕の基本的考え方である。そういう意味では「苛烈な寛容」でいいと思っている。
だが、整然とした決め打ちの苛烈と揺らぎのなさは、SP氏の強力な個性であり、おそらく氏にはこれらの混沌のプロセスに付き合うこと自体が苦痛を伴うのではないだろうか。
先のエントリー「「ガメラ3」から「亡国のイージス」までの6年----「暗喩」としての戦いの終わり」などのような「飛躍のミーイズム」を偏重している自分としては、誰も達することのできない混沌を抱えている自覚があり、そうした場合の客観性はゼロに近いと思っている。ではここで誰かが「ガメラ3」と「亡国のイージス」との間には何の関係も読み取れないぞという「意見」を寄せてきたらそうですか、というのみ。どう関係があるのか議論にしたいと言われれば、もうエントリー以上の「説明」の意図を持たない。
「あれで終わり。ごめんね」
と微笑むのみ。(たとえば・・ですよ。あれはあれで終わりじゃないかもしれない)
自分の言説の周囲に「公共」が作られることこそ苦痛な面もある。変わり者志向か。
ただね、テーマによるな。政治的なテーマの場合には、それが「公共を動かす」可能性がゼロであれば提示されることすら意味がないと思う。だから「非人道的・・」のような場合には勤めて「公共に昇華されうる」だけの客観性は装備しようとしているつもりである。努力してね。
「NEETをどう見るか」が「問題」になり得るとすれば、賢明なるSP氏はお気づきのように、経済的・税制的な角度以外に、「精神的な」あるいは「人道的な」あるいは「哲学的な」側道からのゲートを「NEET問題」自体が多く持っているため。そしてその1つ1つに思い入れが持たれやすいため。その側道はあなたのエントリーの主旋律とは明らかに噛み合わないのだけれど、反者は、その個々のゲートの持つ吸引力に抗しきれないのだと思う。逆に言えば、このテーマが深いからこそ。
まあ、「NEET」への精神的距離のようなものが、色濃く反映することは否めない。主旋律がなんであったとしても。副旋律の部分でね。
「NEET」に悪戯っぽくからめば、まだ誰もここで提示していない突拍子もない論点から反駁することも可能。節操のないBBとしては、そんな誘惑にも駆られるテーマなのだ。
それがあなた方2人を「呪いはじめた」(笑)
さて、BB的には自己を、いささか勝手に「差別されてきた少数者である」と自分を位置づけており、同時に「いつか誰かを差別するかもしれない」危険も内在していると思っている。デフォルト自分の提示する価値は常に「差別者」によって潰されるという被害妄想を持っているために、常に公共に警戒心を持った「主観」の提示しかできないとも言える。そうしなければ「潰される」「丸め込まれる」という余裕のない危機意識がぬぐえない。勢い、提示の仕方は時として暴力的であるし、挑戦的かもしれない危うさがあるのは周知のとおり。BBはそうした「手法」でしか「自己を提示」できないのである。まあ、私のことはいいとして、SP氏にもどこかそうした切羽詰った姿勢を感じるときがあるのだけれども、どうだろうか。(で、BF氏には感じないんだ。こういう部分を。)
精神文化の情景は、生まれてから何十年もの時間を経て養われる。SP氏には絶対と相対を峻別しつつも、強烈な主観がどっかりとその心象の中心に鎮座しているように思う。だが、BBはそれをもってして、「あなたの言論も客観的ではないではないか」などとは言わない。そもそも客観への信頼が薄いからである。事由は先に書いたとおり。
BF氏は前のエントリーでも触れたけれども、整合性のプロセスにこだわる。それに特有のバランス感覚も持っている。言葉が主観と客観の狭間で揺らぐという面は見てとれるけれど、それも論者BFの特徴。BF氏の「個性」であり、僕はそれを批判する観点を持たないし、それがそれほど重要なこととも思わない。「なるほど」と思うのみ。氏の「状況」も見つつそう思う。
もう一つ言えば「誰を評価する」「評価しない」というのもあまりない。もちろんいいエントリーには感動するし、それを連発する人には敬服する。不味いもの(笑)にはあらあらと思う。僕の時間はこの無限の「あらあら」で成り立っているのだ。これも前に書いたように自分も含めて「人格の連続性」を信じていない。だから寂しいのかもね。苦笑。
BUN氏の件の轍が深いというのは、まだ多くの人たちがこのことを、それぞれの立場で反芻しているからですね。
SP氏と僕はあのとき、たまたま「同じ側」に立ったが、その心象はだいぶ違っていたと思う。僕はブログ運営という「精神的自由」や「管理者としての自由」という問題にはあまり興味がなかった。喧嘩の内容にも介入もしないし、どちらにもつかないがあの「喧嘩のやり方」に激したのだ(それも自分でも驚くほどに!)。BUN氏にさっさと「詫びて」というのも、いわば「喧嘩の戦略」の示唆。急に「飛躍」するが、そうした自己のあり方の延長に、戦後の日本を見ているし、小泉政権を見ている。ここは「やり方」を見ているのだね。SP氏がこの「やり方」にそれほど執着せず、エンドの価値を見つめて小泉政権を「評価する」というのは、それはそれでよくわかるのだ。というかBF氏との論戦を通じてあらためてこのことがよくわかってきたように思う。
ああ、あなたの「挑発」に応えて、また思い切り「反芻」してしまった。嘆。
引きずられるように出てきた事由のもう一つ。ああまで書かれては言及しないわけにいかないじゃん。もう。(笑)
●リンクのこと(笑)
巡回するサイトは、ここでリンクしたものの数倍ある。それらはRSSで読んでいるだけのこと。リンクを貼る基準は、やはり相手のサイトに貼っていただいている場合、あるいは頻繁に訪れてコメントしていただいているといつか名前を覚え、「貼ろう」とこれも唐突に思い、一気に時々貼る。そういうことである。でも実はあんまり基準はない。だから貼ったからどうとか貼っていないからどうとか言及されるのは一番困る。(BF氏にだけではない。SP氏にもだよ!)
じゃあ、貼っていない人はどうとか言われてもこれも見当はずれで、RSSのほうで「徹底マーク」(笑)しているけれど、表でリンクしていない場合もあるし。悪かったね。大人の世界はいろいろあるんだよ、なんてね。まあ、あんまり気にしないほうがいいね。
そう言いつつ僕も「なんでこの人リンクしてくれないかねえ!」と思う人いるよ。あなただよ、そこのあなた!。(笑)わかるでしょ。(僕もリンクしていないけど!)
今日はちゃんと記事にリンクしよう。少しでも「公共」に対峙するために。
【参考記事】
●たゆたえど沈まず--NEETをどう見るか
●たゆたえど沈まず--断定と飛躍
●ペーパーライセンスボクサーの司法試験日記
2005 08 17 [日記・コラム・つぶやき] | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック
August 13, 2005
YES-----人は通じ合えないけれど
YES。
人は通じ合えない。
YES。
あなたと僕の「文脈」も通じていないかもしれない。
だがこうも思う。
通じ合えない箇所を数えるのではなく、
せめて闇の中で通じた箇所を数えようと。
もしもこの世界がデフォルト暗闇であったとしても
無数の「文脈」のすれ違いであったとしても
ほんの時々、刹那の時間に誰かがあなたの「文脈」を読む。
ほんの時々、刹那の時間に誰かが僕の「文脈」を読む。
その瞬間に、瞬きの間に光るあの花火に未練があって
いろいろなことを諦めないで、まだ生きている。
人生が仮に70年であったとして
「惜しいなあ、短いなあ」と思うのは、
この花火を見ることのできる確率を
もう少し
ほんの少しだけ
上げたいと思うときなんだ。
もう少しだけでいいから。
この花火を見る時間を、あなたと僕に。
2005 08 13 [日記・コラム・つぶやき] | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック
呪文のような暑中いやもう残暑見舞。敬愛するブロガーズへ。
ここのところエントリーよりも人のブログを読むのが忙しく、TGさんのところで繰り広げられている展開や、SPさんとBFさんの高次な論争などを、しっかり見守っているわけだが(イニシャルでごめん。みなさん。大して意味はないが、なんだかそういう風に表現したい気分なので。そしてきっとみんなこれを読んでくれると思うので)
僕はもともと言語の役割、論理の構成要素として持つと期待されている役割(あるいは持っていると一般に思われている)にも、その意味的普遍性にも信頼を寄せられないし、おまけに人の「思想」なるものや人格の時間的継続性にも、そして心にも懐疑的であるという、きわめて「お寒い心象風景」を持つ寂しい人間なので、ここのレイヤーでは、ピュアに議論に参加できない。
言ってることをくるっと変えるのは、その鮮やかさにおいて自分にとって決してネガティブなことではなく、変節の瞬間芸には見とれてしまうことすらある。
過去にこだわらずに状況判断でくるっと変える。かっこいいじゃん。よく聞いておけ、森元首相。
こうしたところで、実は、元来人と議論をする基本的資格を欠いているのではないかと思う。
そのお寒い心象風景は、これも孤高の罵倒芸ブロガーHI氏に近いと言えば近いのだろうが、あれほどの罵倒の至芸もまたないのは本当に残念。
具体的な政策論や世情、思想についての批評めいたものを人と交わすことは辛うじてできても、その政策論や思想を構成している、より基礎的な概念や原理論、言語の定義に関わる議論になると、元来気が長くない性格だし、上に書いたような特殊な心象風景のせいもあり、ちょっと入っていけないなあと思ってしまう。
できれば僕以外のあまたある鋭敏なる知性が、一通り定義してくれればそれを「開発ツール」として借用しようかというずるい考えすらある。ごめん。
だからBFさん、全然迷惑なんてことはないんだよ。
つまり、こういうこと。
それが家屋であるとすれば、
「釘を貸してくれ」
と声をかけて
「釘と言ってもいろいろある。お前が定義する釘とはおれの定義する釘と同じなのか」
などといわれると
「面倒くせえなあ。釘って言ったら釘だよ。どれでもいいよ。」
と返してしまいそうであり、その結果
「どれでもいいというのはどういうことか。それでは最初に「釘をよこせ」と言った君の言動に対してあまりに矛盾のある行為ではないか」
なんて返されると
「俺は早くこの家作ってKー1を見るか、屋根で昼寝するかどっちかにしたいんだよ、いいから釘貸せ!」
なんてまた言ってしまいそうなわけだ。
で、その発言がまた
「ちょっと待て。釘の問題を先送りにしてK-1や昼寝の話にすりかえる君の変節は一体どういうわけなのか?まず釘のことを軽視した姿勢をわびてほしい」
なんて言われた日には、もう面倒くさくなってもうガチンコも放り出して、
「うるせー。俺は釘のことなんてもううんざりなんだよ!」
と町のスポーツバーかインターネットカフェに出かけてしまいそうだ。
実はあんまり気が長くない。
釘の取り違えについては、SPさんが「言葉と呪い」で的確に書かれていることでもあり(ホントか)、SP氏のこのあたりの無常観というか、色即是空なところは夏の光の中では神々しいほど切れ渡っていて一貫性の美があり、ああ、やはりこういうところは戻って見えても、変わらないなあなどと感心したりする。
BF氏の持ち味は、こうしたSP氏の孤高の神々しさに対して非常にヒューマンな、そしてプロセスをむしろ重視していくところじゃないかな。
SP氏の志向しているように見える「絶対的自由」に対してあなたは常に「プロセス」を重んじるように思う。それがあなたの言論の芯というか魅力でもあるわけだが、そうした意味でBF氏が小泉のプロセス破壊への嫌悪感を隠さないところは、とても理解できる。
実現する価値評価を最終的な成果物に対して絶対的に行うか、それともそのプロセスを相対評価するかの違いは、物事を考える上での流儀の違いとしては、よく見られるところ。テーマ以外にそこも見せてくれているという意味で、もっかの論争は十分価値があるし成果はあがっていると思う。SP氏は意外とイジラレて力を出す人だし。(笑)おっと失礼。
FA氏がこれを注目して見ていたのはよくわかる。FA氏の澄み切った言葉は独特で、その運用について驚くほど誠実だからだと思う。FA氏ほどその名にふさわしい人はいない。みんなそう思うでしょ。
対極で僕はやはりHI氏を思い出してしまう。
誠実に突き詰められた言葉が美しいのは当然としても、手毬のように無責任に宙に連射される罵倒の言葉もまた美しく見えることがある。罵倒が美しく見えるのはやはり才か。
「それしか言えないってのはどうなの?自分」とも思うけど。
何だっけ。
そう、言葉をめぐる話だ。。
最後になったけどTGさん。あなたの漂う言葉はいつも内省の途にある心を吐露しているように思う。思想ではなくてね。
今回見ていてもすごくわかるんだけど、親しい間でもそれがいつも通じるわけではないんだね。内省の特徴のひとつは論理的ではないこと。時空の矛盾をつかれてもね。これは内省ですよと言って、それが外に出ても僕はかまわないと思うよ。少なくとも僕はあなたのエントリーを、そういう読み方しているし。
人の漏らした一言に対峙するに、攻撃的かつ論理的にのみなすならばそれは昔は「総括」と言った。いつか人に接するに総括三昧になってしまうのは、左右いずれにも通じる悪しき慣習か心のあり方か。はなから内省の途にある人に向かって総括を迫るなら、これもまた噛み合わない話。少なくともあなたは総括を相手に求めていないのだし。
議論は必要。総括は不要。呪われたほうがましさ。
もって他山の石とすべし。私の場合はね。そして私たちも。
しかしBUN氏の残した轍は意外と深いなあ。
まだ書ききれなかった人がたくさん。たくさん。また書きます。
残暑お見舞い申し上げます。
さっきまで雷がすごかったよ。
#あえてどの記事にもリンクしません(笑)。しかも内容が粗々。訳わからない人いたらごめんなさい。っていうか誰にとっても全体的に訳わからんかな?
2005 08 13 [日記・コラム・つぶやき] | 固定リンク | コメント (4) | トラックバック
August 03, 2005
8月の鬱-----ひとまずは夏を。
ここ数年、毎年8月になると精神が不安定になる。
じめじめした梅雨や、心も体も凍える大寒の候ならともかく、世間が夏休みだの、盆休みで帰省だので、どことなく浮き足立っており、太陽もぎらぎらと「順調な」この季節に、なぜ決まって気持ちが沈んでくるのか、理由がわからない。
原因は何か。
原因は何か。
数千メートル奥まで掘り下げないと答は見つからないか。
●北朝鮮への男女サッカーの連敗が原因か。
●灼熱の原爆投下が、終戦記念日が、近づいていることが原因か。
●いつまでも性質の悪いチンピラ国家に取り囲まれて絡まれているような、6ケ国協議が原因か。
●最近手にしたiPod shuffleが、精神衛生上良くないBGMを次々と耳元で奏でることが原因か。
●世田谷で聴く沖縄民謡の三線が原因か。
●シャトルの耐熱板の落下が、相変わらず続くことが原因か。
●例によって子供時代の夏休みの記憶が原因か。
●通う事務所の隣にできた免税店に連日たむろする大量のChineseの皆様が、狭い日本で一向に僕の通り道を空けないことが原因か。
●今日の新聞の改憲草案。新九条を殆ど受け入れている、自分の中の荒ぶる脈動が原因か。
●つくる会の歴史教科書に、具体的なけちをつけるのが相当難しいことにいつしか気がついてしまったことが原因か。
●解散するのかしないのかわからない、僕の心のように不安定なタコ国会とタコ首相が原因か。
●間近に迫ったプレゼンの準備が遅々として進まないことが原因か。
●いつまで経っても、タコなソースしか書けない、自分のプログラミング能力が原因か。
●「キレタ松下由樹」しか見るべきものがない、愚にもつかぬテレビのバラエティ番組が原因か。
●時として、見たい肌ではなく、見たくも無い肌まで、鼻先まで晒すこの国の婦女子の軽挙が原因か。
●ああ、これでは「親愛なる仇敵」である真性引き篭もり氏のサイトのようになってしまう、と気にする自分を気にして、その状態をご丁寧にもう一度気にする器の小ささが原因か。
原因は何か。
誰でも夏くらいは、暑苦しい奴のぐだぐだは聞きたくないと思う。
太陽の下で、眩しい東宝映画のような青春を送りたい青少年よ、申し訳ない。
1分1秒が、貴腐のように輝いている恋人達よ、申し訳ない。
世界は、必ずしも順調な日々ばかりではないのである。
僕におきている
「このこと」の深刻さは、
「このこと」の滑稽さは、
正しい温度で
あなたに伝わるだろうか。
密かにあの人が垂らしてくれた蜘蛛の糸は、
きらきらと確かに
きらきらと確かに
確かに輝いているのだけれど。
夏を乗り切ろう。
ひとまずは夏を。だ。
生きる。
2005 08 03 [日記・コラム・つぶやき] | 固定リンク | コメント (4) | トラックバック
August 02, 2005
弓張月
背中を丸めて、1人で歩く人の背中を見て、考える。
なぜ、あなたは、1人で歩いているのか?
寄り添って、2人で歩く人の背中を見て、考える。
なぜ、あなたたちは、2人で歩いているのか?
微笑み、3人で歩く人の背中を見て、考える。
なぜ、あなたたちは、3人で歩いているのか?
そして
世界に、これほど多くの人が歩いているのに、
なぜ今夜、僕はまた、光と、素粒子と、
そしてあなたののことについて、考えながら歩いているのか。
あなたは今、誰と一緒に
何を考えて歩いていますか?
月は見えないけれど、ブログによれば弓張月。
一杯に、一杯に、張り詰めた弓張月。
2005 08 02 [日記・コラム・つぶやき] | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック
July 27, 2005
何歳までが夭折?-----僕はもう「夭折」できないのか
気になった人もいるのではないか?
前記事「夭折という言葉を噛み締めた-----杉浦日向子さん逝く」を書いたときから実は自分自身でどうなんだろう・・と思っていた。
46歳で逝った杉浦さんにこの言葉が当てはまるのであろうか。
書いた後もどうも違和感が去らない。脇道だが調べてみた。
まずこのサイトを見つけた。
● 「夭折の基準」( Shuffle++ )
→ 毎日新聞夕刊に「復活クイーン欧州ツアー」という記事が掲載された。
ロンドンで行ったクイーン+ポール・ロジャースのコンサートの模様を伝えているのだが、読み進むうちに「91年に45歳で夭折したフレディ・マーキュリーの妖艶とも言える声と……」で躓いた。
で、
尾崎豊(26歳) →その才能も含めて夭折の言葉がぴったりときたものだ。
田宮二郎(43歳)→だれも夭折とは言わなかった。フレディ・マーキュリーより2歳も年下なのに。
山田かまち(17歳)→これは文句なしに夭折だろう。
アイルトン・セナ(34歳)→当時夭折といっていたのか記憶にない。
と例を挙げて
「何となく、30を超えると使いにくいものがある。 」とまとめている。
うーん、そうか。
次はWikipedia。
夭折(ようせつ)とは、人が若くして死亡する事を言う。夭逝(ようせい)、若死に(わかじに)とも言う。成人前に死亡、もしくは成人の場合は、子を為さずに死亡する場合などがある。但し、具体的な年齢上の規定が設けられている訳ではない。主な要因としては、病気や不慮の事故、または自殺などで死亡するケースがある。また、医療技術が進歩していなかった時代には夭折の事例も多くなってしまう傾向にある。
なるほど。これによれば年齢の制限はないということだ。「若死に」であるという印象があればいいということか。あ。こうも書かれている。
また、なぜか「天才は夭折する」といわれている。
これは説得力があるな・・・つまり「夭折」の条件は「天才」であること。なのかもしれない。
さらに「夭折した有名人」のリストが・・
●芸術家・文学者
- エゴン・シーレ オーストリアの画家。当時どの表現主義にも属さず独特の芸術を表現し、画家としての道を歩み出そうとした矢先にヨーロッパに蔓延したスペインかぜによって28歳で死んだ。
- フレデリック・ショパン ポーランドの作曲家、ピアニスト。故国ポーランドを憂いながら38歳で病死した。彼の作曲した曲は現代でも不朽の名作である。
- シャルル・ボードレール フランスの詩人、評論家。ポール・ヴェルレーヌ、ランボーに影響を与えた詩の天才。生前は詩の内容から評価されず、失意のうちに亡くなった。
- フェリックス・メンデルスゾーン 作曲家。「結婚行進曲」や「ヴァイオリン協奏曲ホ短調」などの名曲を多く残したが、姉の訃報に接したときの悲嘆が激しく、その半年後に38歳で死去。(遺伝的に脳卒中を起こしやすい家系だったという説もある)
- ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト 世界的作曲家。5歳から作曲を始めるなど「神童」と呼ばれ、数々の不朽の名曲を残したが、35歳で急死。
- ギ・ド・モーパッサン 小説家、詩人、劇作家。
- レイモン・ラディゲ フランスの小説家、詩人。早熟の天才。わずか20歳で病死した。夭折の天才と言われる。
- アルチュール・ランボー フランスの詩人。早熟の天才と言われた。骨肉腫による癌で亡くなった。
- 石川啄木 『一握の砂』などで有名な日本の代表的歌人・詩人。27歳で結核により病死。
- 滝廉太郎 『荒城の月』や『花』などで知られる作曲家。23歳で結核により死去。
- ※太宰治 『人間失格』や『走れメロス』などを書いた日本の代表的作家。39歳で愛人とともに自殺。
- 樋口一葉 小説家・詩人・歌人。『たけくらべ』などで知られる。24歳の時に結核により病死。
- 宮沢賢治 『銀河鉄道の夜』や『風の又三郎』などで知られる童話作家・詩人。37歳で死去。
ほかにもたくさん。最高齢は太宰治の39才か。。。
しかし、しかし。BigBangブログでは是非とも「天才説」を採用したい。
「天才は夭折する」といわれている。
↓
夭折とは、若くして惜しまれつつ逝った天才の死・・のことである。
再合掌。
2005 07 27 [日記・コラム・つぶやき] | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック
July 26, 2005
夭折という言葉を噛み締めた-----杉浦日向子さん逝く
天才に限って若くして逝くという、良く言われる言葉がここまで真実だと思わされるのはどうしてなんだろうか。
杉浦日向子氏の早すぎる突然の死を悼むブログが多くアップされている。
いつも着物をきりっと美しく着こなしておられた、背筋を伸ばした姿が目に浮かぶ。
「コメディー お江戸でござる」は見ることができなかったが、江戸風俗を、信じられないくらいの考証力で、宝石のように散りばめて書かれた、漫画の一際の美しさにも魅了されていた。
なんとあの荒俣宏氏と結婚されたときには、余りの組み合わせの「妙」に本当に驚いたものだったけれど、そして離婚したときには、そりゃそうだよなーと思ったけれど、今思えば大変な「出会い」だったのだろうなあ、と思う。
全く異なるキャラクターだけれど、自分としては、サルトルとボーボワールのカップルに、二人を何となく勝手に重ねていたような気がする。
いろいろなブログの追悼記事を読んだけれど、「深夜のNews」の真魚さんの書かれた、一節が染み渡った。
(真魚さん、勝手ながら引用させてください。僕はあなたが書かれた以上の追悼は書けない。)
「あまりにも早すぎる訃報だった。できることならば、年老いた杉浦さんが書く江戸時代が読みたかった。しかし、もうそれもかなわぬ話になってしまった。もしかしたらこの人は、江戸時代から現代の日本に、ひょっことやってきて、数々の作品を書き、そしてまた江戸時代にひょっこと帰っていったのかもしれない。
杉浦日向子さん、ありがとうございました。これからは、いつでも江戸の街をぶらつくことができますね。そちらも、さぞや蒸し暑い季節になったと思います。風鈴の短冊が舞い、辺りが暗くなると、さっと夕立が来て。そして、しばらくすると、遠くでカナカナとセミが鳴き始め、通りが明るくなる。少しは、涼しくなりましたでしょうか。お好きだったという永代橋から眺める江戸の夕暮れは、どのように見えるでしょうか。」
(杉浦日向子は江戸に帰ったのだと思う---深夜のNEWSより)
杉浦さん、ありがとう。
安らかに。安らかに。
2005 07 26 [日記・コラム・つぶやき] | 固定リンク | コメント (7) | トラックバック
July 21, 2005
アポロが月に行ったことを含め、確かなことは何一つない。
今から36年前。1969年7月20日。アポロ11号が月面に着陸した年だ。
あの騒然たる1969年。月面の「静かの海」にアームストロングが降り立ったのだ。この日ばかりは、全ての日常生活を、とりあえず停止することが許された記憶がある。おそらく日本中の小学校で、職場で、この世離れした宇宙飛行士がスローモーションのように月面にふわりと降り立ち、星条旗を立てた映像を食い入るように見つめていたはずだ。その瞬間だけは、この世界の喧騒は暫しの間凍りつき、全ての動きを止めた。
月面に立てられた星条旗は、なびかなくて滑稽な気がした。風が無いのだから、空気がないのだから当たり前だ。
アポロ11号は、人類が初めて、月に足跡を残したときに利用した宇宙船である。アポロ計画で8番目(有人では5番目)に打ち上げられた。地球から打ち上げるために利用したロケットはサターンV型、月着陸船をイーグル、月の軌道を周回する司令船をコロンビアと呼ぶ。
船長のニール・アームストロング、司令船パイロットのマイケル・コリンズ、着陸船パイロットのエドウィン・"バズ"・オルドリンの3名が乗り込んだこの宇宙船は、1969年7月16日9時32分(現地時間、以下同)、アメリカ合衆国のケネディ宇宙センターにて打ち上げられ、7月20日4時17分40秒に月の静かの海に着陸した。
7月20日22時56分15秒、船長のニール・アームストロングが、人類で初めて月面に足跡を残した栄誉を手に入れる。そのときの第一声は「これは一人の人間には小さな一歩だが、人類にとっては大きな飛躍だ。」であった。
その後、2時間30分あまりの月面活動を経て、7月21日13時54分に月面を出発。7月24日12時50分に無事に地球に帰還した。なお、帰還の際、アポロ11号は月面に立てた星条旗を噴射によって吹き飛ばした。 (以上Wikipediaより)
と思っていたら、星条旗が確かになびいていたという証言をしている人もいる。これがいわゆる「アポロ計画捏造説」の一つの根拠にされているらしい。僕の記憶の中の星条旗は確かに針金を通した、まやかしもののように、動かず水平に静止していたと思うのだが、何しろ遠い遠い過去の記憶だ。定かではない。
アポロはその後17号まで打ち上げられ、飛行中に事故が起こった13号を除く全てが月面着陸に成功している。
だが、1969年の喧騒は、アポロ計画すらかすめさせてしまうようなものだった。
●東大安田講堂陥落
70年安保を目前にして大学紛争のクライマックスを迎えた年。全共闘が占拠していた東大安田講堂に、機動隊8500人と警備車700台が突入。立てこもった500人の学生が火炎瓶や投石で激しく抵抗し、374人が逮捕された。数年に渡って続いた学生運動の気運はこれを機に失速していく。
●新宿フォークゲリラ
毎週土曜日に新宿西口広場で開かれる「反戦フォーク演奏会」(いわゆる「新宿フォークゲリラ」)が、若者たちを中心に大いに盛り上がったが、交通の邪魔になるとして警察から禁止を言い渡された。抗議には7000人もの若者が集まったが、機動隊によって鎮圧され、フォークゲリラは新宿西口から排除された。
そして、僕は東京の小学校で日教組教育にどっぷりとつかり、後に共産党に入党する若い女性の教師から、革命寸前の熱気をまともに授業で受けていたのである。女性教師は、僕たちをいくつかのグループにわけ、班単位で競わせた。班は絶対であり、班の中に落ちこぼれた子供が出れば、それは班全体の責任とされた。
僕達は毎日、毎日、夕方遅くまで、なぜその子が授業を理解できないのか、自分達に彼を救うために何ができるのかを、徹底的に考えて書面で提出することを求められた。
教室には、各教科の成績が班毎に掲示され、棒グラフになっていた。北朝鮮の金日成は、アジアの生んだもっとも優れた政治家であり、北朝鮮は世界でもユニークで希望にあふれた国家を建設していると、授業で教わった。
実際、つい最近まで僕は、この時に受けた北朝鮮への羨望にも似た何ともいえない眩しいような思いから逃れられないでいたのだ。
無残な話である。
あの遠い、遠い記憶。
1970年、日本万国博覧会(大阪万博)開催。そしてその年の6月23日、日米安保条約は自動延長された。
確かなこと。確かなことは何一つ無い。
安保が自動延長されたことの、意味。
アポロが月に行ったことの意味。あるいは行かなかったかもしれないことの意味。
僕が日教組教育を受けていたことの意味。
6422万人を集めた大阪万博の意味。
北朝鮮が理想の国家ではなかったということの意味。
いや、確かなことが一つある。
「僕らが生まれてくるずっとずっと前にはもう、アポロ11号は月に行ったんだってね。」(ポルノグラフィティ)
は、少なくとも僕の世代の歌ではないということだ。
僕は7月19日に生まれた。年は違うが、アポロが月に行く前日だ。
【関連記事】
アポロ11号から36年、今度はGoogleが月に進出~「Google Moon」開始
月面で何が起こったか? ~アポロは本当に月に行ったのか?~
2005 07 21 [日記・コラム・つぶやき] | 固定リンク | コメント (11) | トラックバック
July 08, 2005
七夕の夜に-------あなたと私のリアル
七夕の夜に怒れる者が人を傷つけたニュースを聴く。
この世界には怒れる者がいる。
私達にその怒りを届ける術は、こうしたことのほかないのか。
それは確かな現実。
思えば現実に一時の中断もない。
それも確かな現実。
リアルであれば目に見えるというものではない。
目に見えないからといってリアルではないわけではない。
だからこうして、
よりによってこういう夜に限って
その血なまぐさい姿を見せ付ける。
ベガとアルタイルの間の距離は15光年。
怒れる者と、傷つけられた者との間の距離は
何光年あるのだろうか
あなたと私は人が人を殺す惑星に住んでいる。
それがあなたと私のリアルだ。
2005 07 08 [日記・コラム・つぶやき] | 固定リンク | コメント (4) | トラックバック
June 28, 2005
深夜のJ-Waveにやられたが-----「宇宙戦争」よりも怖いもの
宇宙関連のエントリーが続くが、6/27(月)の深夜2時過ぎのJ-Waveの生放送には参った。やられた。
東京湾に巨大な隕石が落下したという強烈なひっかけ放送。やるよなーJ-Wave!!
余りのリアルさに、途中まで信じてしまった。
最初に
「今入りました臨時ニュースです。先ほど都内各地で目撃された光ですが、東京湾に何か飛行物体が落下したそうです。これは航空機ではないようです」
から始まって
「今確認されました。東京湾に落下したのは巨大隕石の模様です。今現場に取材が向かっています。」
に続く一連の放送。さすがに、
「落ちたのは隕石ではなく、人工の丸い飛行物体の模様です。世界各地でも同様の目撃が・・」
あたりで「やられた」と気がついたけれど、深夜にテレビをつけてNHKをチェックしたり、あちこちネットで情報を得られないかと、さ迷ってしまったよ。
くやしい。まんまとやられてしまった。深夜におきているのは1人。確認しあう相手もいない。情報といえばネットとメディアくらいしかない状況でで迫真の演技で電波芝居をされると、僕のような冷静で知的な(?)人物でも、一瞬で催眠状態に陥らせることができるのだ。メディア恐るべし。
冷静に考えてみれば時節柄、映画「宇宙戦争」のプロモーションもかぶっていたのではないか。
「宇宙戦争」は1898年に発表されたH・G・ウェルズのSF小説『The War of the Worlds』(邦題『宇宙戦争』)を、現代へ置き換えて製作。第2次世界大戦が始まる3年前の1938年10月30日の夜、ラジオドラマ化されて、アメリカ全土をパニックに陥れた、いわくつきのシロモノ。実際に全米をパニックに陥れた様を克明に描いた傑作TVムービー「アメリカを震撼させた夜」も知られている。(僕は見たこと無いけどね。)
インターネットもテレビ放送もない時代。当時の人々がパニックになったのは、昨夜の僕をしてみれば非常に良くわかる。うーむ。何しろこの冷静な・・・・しつこいな。
そんな話は良く知っていながら、まんまと騙される。「天文少年」が聞いて呆れる。
直径100mくらいの小惑星は数百年に一度くらい。1.5kmくらいのものは100万年に一度くらい衝突しているというが、まさに、「天文学的確率」。千年間に直径1Km以上の小天体が地球に衝突する確率は0.5%と見積もられているそうだ。巨大隕石が地球に衝突した場合に引き起こされる全地球規模での環境破壊については、まじめに検討している学者もいるそうだが、たとえば6千5百万年前にメキシコのユカタン半島付近に落下して、恐竜などを絶滅させたと考えられている巨大隕石は直径約10kmと推定されているそうである。
要は、
要はそう簡単に東京湾に巨大隕石は落ちてこないということである。
他にも騙された奴がいないかと必死に探したら、意外といないんだね。みんな冷静で結構だね!と思っていたが、今日になって、2ちゃんの「実況板」と「ラジオ番組板」ではやっぱりパニクっていた若干名を発見。ようやく「肩の荷がおりた」(??)
そんな「天文学的」話よりも、最初に東京湾に「飛行機以外の何かが落下した」という触りで、ぞっとしてしまった面もある。その原因は、お察しの通り。宇宙戦争よりも遥かに夢の無いおぞましき想像だ。とにかく人が人為的に引き起こす災禍の危険度は、自然災害よりも遥かに確率が高いということだけは言えそうだ。
宇宙戦争よりも怖いリアルには遭遇したくないものだ。
【6/28加筆】
●信じてしまった人たちの結構笑える記録(若干名でもないじゃん)
→笑っていていいのか、J-Waveにマジで抗議すべきなのか、どうでもいいような次元のような看過できない次元なような・・・判断に迷う。(というコメントすらどうでもいいような気もする)それにしても、このニュースの間中、番組のホームページまで故意に落として臨場感を盛り上げていたらしい。何だこの粘着騙しは!
深夜にJ-Waveを聞いている人間は法治国家の市民として扱われていないのか!(怒)
2005 06 28 [日記・コラム・つぶやき] | 固定リンク | コメント (7) | トラックバック
June 23, 2005
今とは違うどこか別の世界の空----ベネット彗星のことなど。
今夜は、もう少し別のことを書こうと思っていたのだけれど、ブログを巡回していて「札幌から ニュースの現場で考えること」の高田さんの記事を読んだら、星空のことを思い出した。僕も天文少年だったからね。
※そのころの自慢話は、「しし座流星群」の時にここにも書いた。
高田さんはウエスト彗星のことを書いているけれど、僕が覚えているのはベネット彗星だ。(これも相当古いぞ。みんな調べるな!)確か生まれて初めて見た彗星だったように記憶している。明け方の空に長い尾を引いて現れた姿は今でも心の中に残っている
その頃暮らしていた八王子の、都営住宅の屋上に、天体望遠鏡を持ち出しては星を見るのがあの頃の日課だった。花火の夏の夜も、凍えて寒い冬の夜も。
うちは狭かったので、望遠鏡は毎回畳まないと置いておけず(苦笑)、従って毎回望遠鏡を組み立てて星を見るという、ずいぶんご苦労なことをしていたのだ。
あの頃は祖母も元気で、夜中でも明け方でも望遠鏡を覗いている僕の横で、所在無げに時間をつぶしていたものだった。時々、「見える?」などと適当な声をかけ、それでもその僕の見ている対象にはそれほど興味が無い様子で、屋上の片隅で座っていた。
たまに、都営住宅に住んでいるほかの家族や、子供が興味を持って寄って来ることがあった。そういう時には照れながら望遠鏡を貸したりしていた。もうウン十年も(笑)昔の話だ。
今はもっと都心に住んでいて空も明るく、星を眺める機会はほとんどない。驚異の小型プラネタリウム、メガスターの記事に胸を躍らせたり、「everynight」という素晴らしいブログを時々眺めたり、「Newton」の相対性理論の特集は買いそびれたのでぜひ買いたいとか、思ってしまったりしているのは、あの頃の名残だけれど(そう言えばこのブログのタイトルも多分そうだな。)、夜の空と空気はやはり今とは、どこかが確実に違っていたように思う。
冬の夜に「昴」を見つめて、溜息のように吐いたあの息の白さは、やはり戻ってはこない「今とは違う白」だったし、暗黒から次第に白んでいく空の「曙」は、今とは違うどこか別の世界の空だったとさえ思う。今となっては遠い遠い夜空である。
祖母は90を超えてまだ健在だが、星どころか、僕の顔も良く見えなくなった。あの時、望遠鏡を据えた都営住宅に、僕はもう住んでいないが、老朽化のため、まもなくとり壊され、その後は七階建ての高層マンションに生まれ変わる予定だ。
星を眺めたり、カメラに興味を持って天体写真を撮ったりするのは中学まで続いたが結局は趣味で終わり、僕は結局天文学者にも、カメラマンにもならなかった。
子供の頃になりたいと思った職業に就ける人は、初恋の人と結婚できる人と同じくらいに幸せで稀有なことなのかもしれないが、これもまた初恋の人と同じく、思い出にしておいたほうがいい場合もありそうだ。
少なくともそう思うことにしている。
また叙情に走った。だめだ。だめだ。
2005 06 23 [日記・コラム・つぶやき] | 固定リンク | コメント (6) | トラックバック
June 18, 2005
終わらせるというよりも、もう終わっているのでしょう。
畢竟、人と人との完全な理解は困難というより、始原的に不可能でありましょう。これはリアルであれ、サイバーであれ、同じこと。男女間であれ、同性間であれ、同じこと。互いに誤解が残ったとしても、そこまで辛抱強い「誤解」があるならば、一定の程度までそれは「誤解」でなく真実であったのかもしれない。
そしてもう一つ。100%の善意も100%の悪意も存在はしないということ。
僕の顔が鬼に見えたとすれば、ある一瞬鬼だったのでしょう。あなたの顔が一瞬鬼に見えたとすれば、あなたもその時鬼だったのでしょう。
鬼であった時間が瞬きの間であったか、ある程度長い時間であったかは別として、その刹那をもしも切り取る目が頭上にあったとすれば、互いに叫んだことは、その瞬間は真実だったとも言える。それは認めてもいいでしょう。
鬼であったすればこれは互いのこと。互いに認めましょう。
鬼同士が口角泡を飛ばして言い合ったとすれば、傍から見て何ともみっともないとも言えるが、時には渦中で戦うこともそう捨てたものではないのではないかと思います。
黙って相手を上目遣いで睨み、背中で小声でつぶやくよりも、こうした「戦い」はある種至高のコミュニケーションであったとも言えるのではないか?
実際人は喉元に切っ先を突きつけられないと、本当に真剣には物事を考えない。究極は恐怖によってのみ「宿題」をこなす、困った生き物であることもまた事実。
今日会った人は、過剰な「自意識」の醜さを言っておられた。それもわからなくはない。
ですが僕は、抑えた「自意識」ならば、むしろ、刹那醜くても、発露することをむしろ良しとする。実際、1年や2年で何ほどの実像も見えるものではない。能楽の記事でも書いたけれど、現世もまた同じ。5年経ち、10年経ち、15年経ちしたときに、「発露されなかった自意識」を内に抱えて、もしも綿々と悔いるに比べれば、一夜の自意識のぶつかり合いが、大立ち回りが、いったい何ほどの恥であろうか、と思います。
おっしゃる通り、終わりに美しさも取り繕いも求めるのは無為とも言えましょう。確実なのは、こうして言葉を紡ぐ間にも時間が過ぎていくということ。
それに抗するは私の本懐ではありませんし、かと言って過度の反省もまた本懐ではありません。互いにある種の割り切れなさは残ろうが、こうして時間が過ぎていく。それだけが、リアルな現実の姿なのだろうと思います。
終わらせるというよりも、もう終わっているのでしょう。
忘れたいことは忘れて、覚えていたいことだけ覚えていたいと思います。
2005 06 18 [日記・コラム・つぶやき] | 固定リンク | コメント (2) | トラックバック
June 12, 2005
「ひめゆり学徒証言は退屈」------不謹慎と表現力の微妙な関係
うーん。こういうのはどうなんだろうなあ。と考えてしまった。
この記事。
「ひめゆり学徒証言は退屈」=青山学院、入試英語で出題
青山学院高等部が2月に実施した入学試験の英語科目で、太平洋戦争末期の沖縄戦に動員された元ひめゆり学徒の証言について、沖縄を訪れた生徒が「退屈で飽きてしまった」と語る内容の英文が出題されていたことが9日、分かった。
元ひめゆり学徒の1人は「体験を話しているのは若い世代に伝えたいから。こうした文章が入試で出るのはつらいし、許せない」と指摘している。
設問は長文を読んで質問に答える形式で、試験用に同校の教諭が書き下ろした。3種類の入試のうち一般入試で出題され、1057人が受験した。 (時事通信) - 6月9日21時1分更新
この英文の全体を読んでいないので、何とも論評できないし、「元ひめゆり学徒」という人が不快を表明するのもわかる。確かに、入学試験の問題としては不適当といわれてもしょうがなかったかもしれない。
だが・・だがである。
「大切な話」や「重要な話」が、「退屈である」ことはこの世の中、よくある話。おそらくこの英文の原文を書いた(教師だと聞いているが)人が、ひめゆり学徒の体験談を「退屈だ」と感じてしまったのは紛れも無い事実。
「退屈だ」と感じるのがいくら不謹慎だと言ったところで、そう感じてしまった事実を覆すわけにはいかない。
思えば、こうした「不謹慎」と「退屈」の軋轢のような話は、私達の社会には少なくない。例えば葬儀の席とかで、不謹慎とは知りつつ、あるいはその故人への思いは決して軽くないにも関わらず、あまりに冗長な挨拶に退屈を感じてしまったことが、あなたにはありませんか?
思うにその話の「重要さ」とか「深刻さ」とは別の次元に「表現の力」という問題があって、全く内容のない話なのに、「表現」が絶妙なので聞き入ってしまうこともあれば、今回のひめゆり学徒の話のように、「重要」で「深刻」なのに「表現」が未熟で(おそらく)退屈と言われてしまう話もある。
これはブログなんかもそうだ。大事なテーマだと言うのはわかるんだけど、あまりに退屈で読めない記事なんて山ほどある。
まあ、そう思ってもその「退屈さ」を率直に出してしまうところが「不謹慎」と言われる所以なのだけれども、それを不謹慎とばかり言っていても始まらない、もう少し深い考察も、あるように思うのだ。少なくとも文学はそうした微妙な人の気持ちの絢のようなものを無視しては成り立ち得ないし、心を動かそうと思えば、ことの実態の力に甘えず、「表現方法」に貪欲になってもいいはずだ。
つまり、どんなに重要な話であって、限界まで「表現」を尽くせというミッションからは逃れられないのは例外ではないということか。
深いような、当たり前のような、何とも表現のし難い話である。
【同日加筆】
今、夢幻の如さんと児童小銃さんのサイトで問題となっている原文を読んできた。確かに多くの方が言われている通り、報道と実際の問題文とはだいぶイメージが違う。ここで表現されているもの=つまり英文の問題自体の表現しようとしているものは決してそう低い内容のものではない。
これもまた、仮に「退屈なひめゆりの体験記」というものがあったとして、私達が如何にして「そのこと」に向かい合うべきかというテーマを、期せずして提示しているように思える。
だが、入試問題のミッションとして妥当かどうか。その疑問が最後まで残るのも事実なのであり、そこまで考えるとそもそも、「入試で出題される文章」のミッションは何なのか、というところまで考えてしまった。未整理だけれど。
2005 06 12 [日記・コラム・つぶやき] | 固定リンク | コメント (9) | トラックバック
June 11, 2005
「月見座頭」-------青く冷たい空間と人の二面性
ここでは余り書いたことがないが、実は20代の時から、数知れないほどの能の演目を見ている。ほとんどが薪能だ。その頃、薪能のプロデュースをするという不思議なコンセプトの会社に籍を置き、全国の薪能を観歩いていた。
能のことなど何もわからなかった自分を、導いてくれた人がいた。その人との縁は儚く消え失せたが、観能の趣味はその人から自分への、貴重な置き土産である。
薪能のことは、書き出すときりがない。今年も芝・増上寺の薪能を見に行ってつくづく思わされたのだが、能あるいは狂言とは不思議なもので、その時の自分の年代によって同じ演目でも、見え方や感じ方が変わってきていることに気づく。
今まで聞き取れなかった難解な「謡」が急に耳にすんなりと入ってくることがある。物語の細部の気がつかなかった真実が、急にすとんと見える時がある。
単に深くなってきたとか、浅いとかそういうことではない。六条御息所の生霊の怨念を描いた「葵上」にしても、誰もが知っている「羽衣」にしても、海上で平家の亡霊と大立ち回りを演じる「船弁慶」にしても、見るたびに違う趣や、感慨を持ってきてくれる。10年前に見た同じ演目を、また10年後にも見てみたいと思うのである。そうした経験は他に得がたい。
そんな中、かつて大谷の石切り場、地下奥深くで青い光と固い石で切り取られた硬質の空間で演じられた、ある狂言の演目を時折思い出す。
「月見座頭」である。
中秋の名月の夜。一人の座頭が野辺へ出、さまざまな虫の声に耳を傾け楽しんでいる。そこへ都から月見にやってきた男が声をかける。二人は互いにうちとけ、男が持参した酒でささやかな宴が始まる。男は座頭を労わり、優しい声をかける。
歌を詠み、謡い、舞い、存分に楽しんだ後、二人はそれぞれの帰途につく。座頭も気持ちよく家路につこうとする。
ところが、ところが、一体どうしたことであろう。
男はふと気が変わり、表情が変わる。今別れたばかりの座頭に向かって急に踵を返す。
そして、無言のまま別人をよそおって、座頭を小突きなぶってその場に打ち倒し、杖も奪って遠くに放り投げ、逃げていくのである。さっきまで優しかった男が豹変する。その不可解さに観客は圧倒される。
野辺にはひとり座頭が残され「先ほどの人と違い、なんと酷いことをする奴がいるものだなぁ」とつぶやく。後半のこの意外な展開は、人間の不条理と不可解さ、掴み切れない魔性と残酷が込められている。
この演目は、盲人をなぶることがテーマになっていることもあってか、微妙なところがあり、めったに演じられることがない。狂言は元来能と能との幕間に演じられる滑稽な出し物であるが、この「月見座頭」は最後まで笑える場面はない。狂言には時折こうした演目もあるのである。
打ちひしがれた座頭が、ゆっくりと嘆きつつ退場していった後、客席はそれぞれの思いにしんと静まり返っていたことを今でも思い出す。
言うまでもなく、「月見座頭」が描いているのは人間の二面性である。自分はこの座頭を打ち倒した男のようなことをしたことが全くないかと考えると、否定する自信はない。あまり思い出したくない幾ばくかの記憶がよみがえるような気がして、あわててそれを振り払う。
この演目を思い出すたびに、今でもあの大谷の石切り場の深く冷たい天井の高い空間と、青い照明。そしてひんやりとした空気を思い出すのである。
二面の邪性からどうして自分だけが逃れられようか。
2005 06 11 [日記・コラム・つぶやき] | 固定リンク | コメント (4) | トラックバック
June 08, 2005
報復連鎖の地獄
(1)こんなひどい目にあったのだから、私も相手にこのくらいのことをすることは、許されるのではないかと考える。
↓
(2)相手も多少は痛いかもしれないけれど、自分はもっと痛かった(に違いない)ので、こんな痛みは相手に与えて然るべきだと考える。
それでも少し心が痛いので、今度は正当化が始まる。
(3)よく考えれば、私は相手を思うからこそ、こんなことをしている。
相手は今、多少は痛いかもしれないけれど、きっと後になったら私に感謝するに決まっている。
↓
(4)そうだ。これは相手のためになる行為なのだ。邪魔をするな!黙れ!消えろ!
「ためになるはずの行為を」を与えられた相手は怒りに燃え、(1)に戻って、被害者は今度は加害者になる。無限連鎖。
あなたは忘れている。
あの朝、東京の地下鉄で大殺戮を行った宗教集団も、同様の論理を主張した。法は、こうした循環に終止符を打たせるためにこそ機能する。不法行為は不法行為であり、それ一つとりあげて不法であれば、前後に関係なく不法となる。酌量の幅はあっても。
不法は、この社会では許されない。なぜならこの連鎖を止めるためだ。抗えば今度は、法によってあなたは「報復」されることになる。それでも、あなたが報復論の地獄に陥るというなら、話は別だ。
法とも徹底的に戦うがいいだろう。
自らが傷ついたという、あなたの言う「深い心の傷」を声高に示し、この残虐な行為に正義があると全力で訴えればよかろう。自分も相手もぼろぼろになっても訴えればいいだろう。
そこまで行けばすがすがしくさえなるかもしれない。そこまでいけばね。
2005 06 08 [日記・コラム・つぶやき] | 固定リンク | コメント (1) | トラックバック
May 31, 2005
もちつけ。真性引き篭もり氏。(3)------ちゃっかりRSSリンク集
真性引き篭もり氏が、今のところ住み慣れたゲームの世界に戻った(ように見える)こともあり、この話題関連のリンク集をつくる余裕が生まれてきたダイナマイト "THE JASRAC" ビッグバングであった。
※カタカナ表記の時は、「ビッグバン」でいいと思うぞ。引き篭もり氏。
転んでもただでは起きずに、このことから物事を発展的に・・見苦しいか?悪かったよ。
ともかく以下を参照のこと
↓
●驚いちゃったよ---ちゃっかりRSS(BigBan)
→言わずと知れた発端記事。いまや初動の間抜け振りを晒して存続している。あ。俺か。
●[blogmap] Re:「驚いちゃったよ----ちゃっかりRSS」 (01:22) - tdiary.ishinao.net (2005-05-27)
→ishinaoさんの対応記事。blogmapに関してまとまった論評をするのは珍しいらしい。敏速対応感謝。
●JASRACブロガーBigBangは足を痙って改名しろ。(真性引き篭もり)
→孤高の天才ブロガー真性引き篭り氏(hankakueisuu )の第一弾スカッド。はてな陰謀説=はてなに雇われて1470をつぶそうとする悪のブロガー=BigBanという「電波」を巧みに散りばめて、このテーマをバーストしてくれた。変なあだ名をいただいた。
●もちつけ。真性引き篭もり氏。(BigBan)
→まあ、落ち着けよとhankakueisuに説得記事。今読み直すと甘ったるくてやだね。記事の甘さに反して実は裏では非常事態宣言?
●「JASRACブロガーBigBangは足を痙って改名しろ。」とは何か。(真性引き篭もり)
→余りにも電波と、練りに練ったテクニックを散りばめすぎた前作にコメントせざるを得なくなったか。自分で自分の電波の波及効果を畏怖したか。前作に続き徳保隆夫氏にスカッドを打ち込むことで戦線拡大。
●もちつけ。真性引き篭もり氏。(2)-------ダイナマイト "THE JASRAC" ビッグバングの反論 (BigBan)
→ようやく反論の体制が整ったBigBanの第2弾。「原状回復への協力」を拒絶。ハッカーには愛を、には賛同。
●趣味のWebデザイン ツッコミ屋の有為転変(徳保隆夫)
→スカッドを打ち込まれた徳保隆夫氏のサイト。何だか文末が悲しい。
各方面へ怒りをぶつけ続けて2年半、これは一般人にはお勧めできない、とはつくづく思った。で、いつの間にか 2ch の徳保スレもなくなり私は「過去の人」に。今回も現役とロートルの差
を実感。勝ち目なし。爺の繰言を書けば、現役のツッコミ屋に対しては、濁さんやアルヲさんのように勝ち逃げしてほしい痛切な希望と、みんな地獄へ落ちろという気持ちがある。私は俗物だから(中略)希望を書いても嘘に見えようが、それはそれでホントの気持ちなんだな。
●ARTIFACT-人工事実-RSSを収集しているサービスは個別のブログに何かを還元できないか?
→混沌の状態の中でも必ずこうした知性が現れる。ブログ界捨てたもんじゃない。
blogmap内だと、ishinaoさんのアソシエイトIDがつくけど、そのデータを利用してブログ管理人にもメリットがあるようにすれば、サイト情報のところに、ishinaoさんのアソシエイトIDがついても、不満は減らせるんじゃないかと。
大賛成である。ぜひishinaoさんの英知を。
で、以下はARTIFACTさんのところでまとめてくれたリンクを大いに利用。
●はてなブックマーク - BigBang: 驚いちゃったよ----ちゃっかりRSS
→今回はじめてじっくりと、はてなのブックマークとコメント機能を見たよ。面白いねえ。「やっぱこいつはJASRACだ」などとはき捨てられると腹立つ。(笑)「バカ」とかね。
●『[パソコン・インターネット] 驚いちゃったよ----ちゃっかりRSS』のネットでの評判 - blogmap
→「お父さん、自分でいちゃもんつけたくせに、blogmapをリンク集で使っている人がいます」
「気に入ったんだよ、きっと。そっとしておきなさい」
●CAXの日記 - まだ微熱気味…… 驚いちゃったよ----ちゃっかりRSS(CAX)
話は変わってしまいますがこれって、何度か話題になったことがある「ニュースサイトの情報元を表記するか?しないのか?」の問題に近いような気がします。
つまり、情報元として〔アソシエイトID〕がキチンと付記してあれば、(データが抽出されているので、気持ち悪いかもしれないが)「ちゃっかりRSS」とタイトルを付けてまでは言われなかっただろう(笑)。
この問題の場合、「(情報元を記載されなかった為)アクセス数を掠め取られた」という印象を与えていたのが大きかった、と個人的に思っている。
ふむ。なるほど。ニュースサイトの情報元というのはユニークな例えですね。
●audiofan.net: ちゃっかりRSSって面白い表現だ
→piano.jpというRSSリーダーを紹介してくれている。RSSを整形して読めるようにしたページそのものが検索エンジンにも引っかかるということだ。
●smashmedia: ちゃっかりサイト
「インターネット上に公開されているリソースは無断で使われてもしょがない」という前提と、「その中でのマナーやルールを作っていきましょう」という理想論はいつも同時に語られなきゃいけないと思う。
引き篭もり氏もそうだけど、特にプログラマーやハッカーはアフィリエイトIDを「公開されたインターネットの資源の一部」と考える傾向がある。IDは「ソース」でも「リソース」でもあるまい。例えて言うなら個人の電話番号のようなものだと僕は思うが。
●はてなダイアリー---ちゃっかりRSSとは
→うわっ。はてなにキーワード登録されてる!
(番外)
●スレ違いがなおのこと面白い -はてな陰謀論 第二章- (渋谷系@はてな)
→ここも面白そうなんだけど、何が言いたいのか文章読みにくい。そもそもアフィリエイトなんかすんなよ!ってことかな・・あ、ごめん。批判しちゃった・・
●真性引き篭もり 俺ルール徳保隆夫の卑怯系
→徳保隆夫氏へのスカッド第2弾。
当ブログはコメメント欄もトラックバック欄もフル解放である。トップページからのリンクが消えてしまったらアンフェアだと思い、表示数も5→10→20と拡大しまくってきた。物凄いノーガードである。
へー。「アンフェア」なんて市民的な言葉を持っているんだね。(感心)
2005 05 31 [日記・コラム・つぶやき] | 固定リンク | コメント (10) | トラックバック
May 29, 2005
もちつけ。真性引き篭もり氏。(2)-------ダイナマイト "THE JASRAC" ビッグバングの反論
うーん。セカンドエントリーがあがったようである。
「JASRACブロガーBigBangは足を痙って改名しろ。」とは何か。
#電波系を意識的に装いながら前記事にも、マジレスも求むという姿勢のようだから、少しマジレス度のレベルを上げるよ。
この中で真性引き篭もり氏は前回のエントリーの趣旨を解説し、それは次の3つであるとしている。
>・優先度1。「個人→大衆」(僕→ハッカー)
無料のインターネットを構築している人間へ敬意を示す事。
>・優先度2。「大衆→大衆」(無料に感謝→無料に当然)
インターネットは無料が当たり前だと考えている人達への嘲笑。
>・優先度3。「個人→個人」(僕→BigBang)
対象者(BigBang)へメッセージを伝える事。
さらに、これに加え
>・優先度0。「大衆→個人」(読者→僕)
著者(真性引き篭もりhankakueisuu)は毒電波だ。
を前記事に「非常に強く被せ」ることにより、「読み流せば、これのみが伝わるように書いた」のだという。
毒電波のテクニックを使いながらも、優先度1~3の主張はマジだぜ。ということなので、最初に書いたように、こちらも少しはマジ度を上げてお答えしようと思う。
まあ、はてな陰謀説は面白い人には面白いんだろうけれど、僕はあまり関心がないし、僕が答える理由も必然もないのでスルーする。
また、優先度1-2は真性引き篭もり氏の記事内容に基本的に異議がない。本人もこのあたりは異議の入りようはないだろうという基本姿勢であろうから、それを追認してもしょうがない。もっと言えば、これはごく当たり前の内容なので、よって、これも認めつつスルーする。
BigBanは、限り有る自分の時間と資源を有効に使いたいタイプなので、上記のうち
>・優先度3。「個人→個人」(僕→BigBang)
対象者(BigBang)へメッセージを伝える事。
に該当する内容について、特に今回経緯と、特に140に対してとった自分の発言とそれに対するコメント、そして今回の真性引き篭もり氏の、自分へのメッセージに対して限定して答えることにしたい。
もっとも、限定するとは言っても、今回僕がこの件でとった態度が優先度1~2に抵触するとは全く思わない。
そうした「低い」(とあえていう)次元の問題でもなければ、「古い」問題でもない。
ナーバスな、RSSフィードで収集された記事とアフィリエイト広告表示の権利の問題であり新しくナーバスな問題である。
真性引き篭もり氏は、ご自分の論旨のまとめ方のテクニックの解説にあまりに多くの言辞を費やしているためか、この問題の本質について、(理解していないわけは無いと思うが)殆ど触れずに、問題を再度私とishinao氏、あるいはハッカーへの敬意という感情論に振り替えているように思える。
ことは、そう単純ではない。
【経緯の再確認】
最初の僕の記事はこうだ。
「驚いちゃったよ----ちゃっかりRSS」
RSSリーダーがそもそもなんなのかは、わかっているつもりだし、自分も使っているから文句は言えないんだけれど、それにしても
http://1470.net/bm/siteinfo/54438
↑
ここを見たら驚いちゃったよ。こんな風にインデックス化されて、アマゾンのブックリストも・・それプラスサイト管理者側の広告も挿入表示されていて・・なんだかすごいねー。ちゃっかりRSSと言ったら言い過ぎかもしれないけれど。
#アフィリエイトなんて、かすめとりっぽくない?ありかあ・・?こういうの。
この記事について僕自身が認める問題点は以下の2点。
(1)1470のblogmapのサイト趣旨や利用の実態について十分確認する前に、タイトルに「ちゃっかりRSS」という、受け狙いの安直なタイトルをつけてしまったこと。
(2)同じく、諸確認を欠いた状態で、RSSフィードされてインデックス化された記事から自動抽出されて、siteinfoの下部に一覧表示されているAmazonアフィリエイトのIDが、ishinao氏のものに上書きされている状態を「かすめとりっぽい」という下品な表現で評したこと。
↓
●この2点を指摘した記事が何らかの経緯でishinaoさんの耳に入り、結果的に議論をする前にishinao氏は、この抽出したアフィリエイトにご自分のIDを上書きすることを停止することを、自分のブログで記事として敏速にアップし、それを知らせてこられた。その主要部分は以下
あと、確かにサイト情報のところの「紹介したメディア」で、うちのアソシエイトIDを使ってリンクを張るのは、いかにもかすめとりっぽさ度が高い気がしたんで(実際には「サイト情報」ページを見る人はほとんどいないけど)、ひとまずそこからはうちのアソシエイトIDは外してみました(blogmapではISBN/ASINしかデータベースに持っていないので、元サイトのアソシエイトIDはつけられません)。
↓
●BigBangはそれに対して元記事で、こちらの言葉使いが軽率だったことを謝罪し、上記のID機能が停止されたことに感謝をする旨、知らせた。
一件落着だと誰もが思った頃・・
↓
●真性引き篭もり氏から、「はてなの陰謀説」などという電波記事の装いを色濃く込めた記事
「JASRACブロガーBigBangは足を痙って改名しろ。」
がアップされた。
※これには以前僕がガ島さんの件で
「もしもこれが私に向けられたものであれば、私は一時的にはショックは受けるかもしれないが、中期的にはこの執筆者に感謝すると思う。」
などと述べていたことも、やはり関係があるらしい。 余計なこと言わなきゃよかった。(笑)
↓
●BigBanは真性引き篭もり氏の記事の電波性にとまどいながらも(笑)初期の反応が軽率だったことを再度認め、既に決着のついている問題を蒸し返す意図について、下記記事で尋ねた。
↓
●そして今回の引き篭もり氏の記事
「JASRACブロガーBigBangは足を痙って改名しろ。」とは何か。
となる。
さて今回引き篭もり氏は、結果的に1470がアフィリエイトIDの上書きを停止したことについて
>もしも、その働きかけ自体がおかしいものであったとBigBangが認識していたのならば、働きかけによって修正されたものを、「いちゃもんであったから元に戻しても」という提案を成すのが当然であると僕は考える。
そして
>では、何を目的とし、どのような結果を期待したのか。
それは、1470への再修正の提案がBigBangから成される事である。
「働きかけ」→「修正」→「了解」の、働きかけに誤りがあったと認識したのならば、その時点でその働きかけによって修正されたものを取り消すように動くのが人として当然であると考える。
とも指摘している。つまり「原状回復」の主体となりえないとしても、最初のアクションが間違いなら、「原状回復をすべく」ishinaoさんに対して動くべきであるということである。
これに対してお答えするのが順当であろう。
答はNOである。
私がお詫びしたのは、初期の判断を欠いた段階で、あたかも1470が意図的に人のIDを乗っ取って自らの利得にすることを目的にサイトを構築しているような印象を与える言語表現に対してのみなされたものであるからだ。
最初に疑問に感じた、RSSからインデックス化された記事についての、アフィリエイトID抽出/書き換え行為への違和感は、撤回できない。
この話を蒸し返したくなかったのは、すでにishinaoさんが同意していただいたからであり、引き篭もり氏の言う、すでに過去になった「状態」が現在表示されていない以上、その議論を継続することに意味を見出せないと思ったからである。
しかし、引き篭もり氏は、私の「軽率な発言」からそれが生じた結果であるなら、僕のほうからishinao氏に働きかけ「原状回復」に努めろという。
実際に僕が「原状回復」すべきであると考えているなら、いくらでも協力するが、勘違いしないでほしいのだが、僕は「回復すべきでない」と考えているのだ。
引き篭もり氏はここがわかっていないようだ。
以前の記事にも書いたが、どんな商品をセレクトし、どんな記事のどんな箇所で紹介するかは、アフィリエイト広告をサイトに掲示している側の、記事編集の創意工夫に含まれるものであり、著作権に隣接する重要な知的所有権ではないかと僕は考える。だからこそ、ここが優れているサイトは多くのアフィリエイト収入を得ることができるのである。
RSSフィードで記事をインデックス化している1470は、読者にとって使いやすい便利なネット上の仕組みとして機能させるために、これら記事を収集し、インデックス化やメモ機能の追加などを行って、読者に貢献している。これには何等問題はない。またそのインデックス表示に、1470側の広告を独自に挿入することも、問題はないと思う。これを否定すれば、引き篭もり氏が言うように、gooやyahooを含め大半のネットポータルは同罪になる。
しかし、この機能を読者に提供するに当たって、個々の記事の作者のアフィリエイトIDを書き換える、いかなる必要性があるのか引き篭もり氏に何か考えがあるならお聞きしたい。僕にはこれは、読者への提供機能上はまったく必要のない行為に見える。
しかも、
siteindfoの下部には以下の断り書きがある。
※blogmapが収集したURL/ASINランキング、被リンク集のデータベース情報は、自由に二次利用してかまいません。ただし、データソースについては明記するようにお願いします(Creative Commonsのby-sa相当のつもりです)。なお、リンク先の各Webサイトの内容については、それぞれの著作者が権利を持ちます。二次利用可能なのは、データベースとしての情報のみとなります。
powered by Apache, PHP, Estraier, ...
この文言にある「二次利用可能なデータベースとしての情報」には、明らかに、このIDを上書きしたアフィリエイト広告=記事にぶらさがっている個々のアフィリエイト広告の表示形式やその方法も含まれると見るのが順当であると思う。
とすれば、原著作者は、1470に対して先のアフィリエイトの広告抽出とID書き換えを承諾した上に、さらなる二次利用者に対してもそれを許諾しなければならなくなる危惧がある。
これは非合理的であり、また明らかに1470のサイト趣旨とは異なる次元の話だと考える。これが前例となり1470以外の悪意あるサイトが現れたとき、原著作者の権利を担保できない可能性がある。
1470のユーザーからは主として次の3点から擁護論が出された。
(1)1470そしてishinaoさんはは優れてユーザーに貢献している。
(2)ボランティアで運営しているサイトであるから、このプログラムを開発し、苦労して運用しているishinaoさんに何か報酬があってもいいではないか。
(3)そもそもsiteinfoのページ自体、記事の本人以外には見ることはほとんどない。
これについては
(1)は同意する。完全に調査できるわけも無いが、現在までのサイトの評判を聞く限り、認めて然るべきであろう。
(2)についても同意する。但し、それは原著作者とishinaoさんの双方で合意をする必要があると僕は考える。理由は前述した。また、もしもこの合意が難しかったとしても、ishinaoさんへのフィードバックが何らかの意味で必要であれば、他の方法を検討すべきである。
(3)については、現在は確かに見る機会は少ないが、リンクを辿れば不可能ではない。現にishinaoさんの修正記事以後、僕は自分の箇所だけではなく、他の著作者のsiteinfomのアフィリエイト広告も表示確認している。また、今後siteindfoや抽出されたアフィリエイトの表示箇所や方法、手順が変更されないという保証はないので、この次元で議論しておくべきである。
と考える。
だが、これは私的意見である。この考え方に異論があり、再度議論の場所を設置しようという積極的な提案が引き篭もり氏、ishinao氏あるいは他の方にあるなら、私は喜んで継続協議に応じる。そして、そこで出た結論が、仮に私と意見が合わなければ、私は自分の記事についてはこのindexから除外してもらいさえすればいい。
引き篭もり氏がそう考えるなら、議論を続行しよう。
また、君は最初の「電波風」記事で
>手動ちゃっかりも全部片っ端から攻撃して行くべきである。
我が国の2005年のインターネットには、アフィリエイトとアソシエイトと企業からのバックマージンで年収6000万円にも達したかとゆーを筆頭に、数百数千の手動ちゃっかりウェブサイトが犇めいている。それらも全て片っ端からきちんと攻撃してこそ統合性とういものである。
と言っているが、このような大量に蓄積された記事からの、アフィリ広告のID自動抽出→置き換えという「優れた」システムは、僕の知る限り他に無いので(これはシステムとして敬服する)他に類例を求めるのは無理があると思う。異論があれば受け付ける。
さらに
>BigBangが1470を事実上半壊させた事により、我が国のインターネットの発展は10年遅れたと言っても過言ではないだろう。もはや滅んだに等しい。正しくその罪は非常に重い。
という表現は、「電波領域」か「マジ領域」かよくわからんが、アフィリエイトのIDを上書きする機能を外したところで、なぜ1470が「事実上半壊」などという状態になるのか。そんなことはありえないことは、当のishinaoさんが一番ご存知であろう。
以上
と。。。。
書いてきたんですが、(ふう)ここでちょっとトーンを崩す。
BigBanには2側面がある。
BigBanは非常に優しい。(爆)
BigBanは非常に攻撃的である。
引き篭もり氏は、多くが認める当代急成長中のブロガーであり、たとえ電波系のいじりすぎの過剰な自己満足気味の自己演出が目に余るとしても、大変に楽しみに記事を読ませてもらっているブロガーである。
そのブロガーに対しても、また、blogmapのような優れたシステムを開発されたidhinaoさんに対しても、当方は現在「敵」として攻撃をする意志が全く無い。
仮想敵国が全く無いところで、こうして過去に遡って、あたかも闘争的にこの問題を協議することは、「優しいBigBan」にとっては苦痛である。かといって「攻撃すべき」何者も今回存在しないので、「攻撃的」にもなりえない。大いにインセンティブが落ちる。
アフィリエイト広告のデータベース化に関して、有意義な議論ができそうであれば継続の意志は十分にあるが、楽屋オチ的な「はてな陰謀説」や(面白いけどさ)、何よりも当のishinaoさんにこれ以上負担をかける形での継続は好んではいない。
と最後に書いておくよ。
2005 05 29 [日記・コラム・つぶやき] | 固定リンク | コメント (9) | トラックバック
May 28, 2005
もちつけ。真性引き篭もり氏。
JASRACブロガーBigBangは足を痙って改名しろ。だって?
この記事に驚いちゃったよ。
真性引き篭もり氏。
言ったよ。確かに言った。
君がガ島さんに関する歴史的な大批判を展開しているときに、ガ島さんは幸せだって。
もしも自分が槍玉にあげられたら、しばらくは落ち込むけれどきっと君に感謝するだろうって。
確かに言った。
でも、君みたいに才気ほとばしるブロガーが、まさか僕のために本当にこんな長文を書いてくれるとは思わなかった。これじゃあ、当分アクセスが増えちゃって、せっかくしみじみとした自分史でも書こうかと思っていたのが台無しじゃないか。
え?「自分史ブロガー」も死ねって?
大丈夫だよ。
僕は君よりも先に死ぬ。保証する。
ただし君がもう少し体を大事にして栄養をとり、ゲームは1日5時間以内にして、
たまにはジョギングでもすればの話だ
とにかく、君の才気については今朝もある著名ブロガーと、しみじみとため息をついて互いに称えたくらいだ。
だから君とは、やりたくない。やりたくないといっても変なことじゃない。論争したくない。
とにかく落ちついてくれ。
どっちかって言うと。ガ島を読み飽きた君が、今度はこっちに向かってきて、僕のブログをすべてダウンロードしてエディタでずたずたにしている想像は、僕をあまり元気にしない。改名くらいならいくらでもするけどね。
相変わらず面白いし。
だって最後なんかこうだぜ。
>我が国のインターネットはBigBangがダイナマイト "THE JASRAC" ビッグバングに改名した今日をもって終焉したという事であり、これはもう正しく「インターネットの終焉」と呼ぶに等しい絶望の世紀末である。
ダイナマイト "THE JASRAC" ビッグバングう??
どかん!
#まだ改名してないって。面白いけど。
おちゃらけてばかりいてもいけない。
本題に入る。
>まったくもって驚いちゃったよ。
>ブログを収集して公開ブックマークしてアフィったらかすめとりか。ちゃっかりか。
>よくもまあのけのけぬうぬうとそういう思考が出来たもんだ。
あのさ、確かに「ちゃっかり」というタイトルはよくなかった。掠め取りという表現もよくなかった。認めるよ。だからすぐコメントしたでしょう?
僕としては、何もクレームつける気はなかったんだよ。
それも書いたけど。大きな声なんかぜんぜん出してないだろう?
1470さんに連絡をつけて、聞いてみたいと。そう書いただけだ。
その趣旨はこうだ。
RSSフィードは別におかしなことでもなんでもない。ぼくは1470は利用していないが、
後からコメントもらったところでは、それがユーザーの役に立っているということだから
利点があるんだろう。そこに広告を入れるのもかまわないと思う。
君ほどの人がこんなに大きな声で(そっちだよ)抗議してくるくらいだから
いいサイトなんだろうと思う。ユーザーからもそれは聞いた。
ただ、僕が個人的に「どうなんだろう」と思ったのは、自分の記事で論評する中でとりあげたアマゾンのアフィリエイトが、君いわく「自動ちゃっかり」で抽出されて、下に全部並べられ、
そのID部分だけが自動的にishinaoさんのものに書き換わっていたことだ。
僕ははっきりいって1470.netのお世話には直接にはなっていない。というかこのサイトを知らなかった。それで驚いた。
アフィリエイトにどんな商品をどう選び、どのように紹介するかは、そのサイトの作者の独自な創意の所産だと思う。記事のRSSフィードといっしょにやるなら、元のIDを残すべきだし、それができない、あるいはしたくない事由があれば、少なくとも、それは連絡して許可をとるべきだというのが僕の考えだ。
いろいろ異論もあるだろう。
それも即座に外せなんて言ってない。
1470さんにサイト趣旨を聞いてそれから判断しようと思った。
#ダイナマイト "THE JASRAC" ビッグバングは本来冷静なんだ。
そしたら、BigBanはメジャーブログだったので(嘘だよ)反応が早かった。
すぐにishinaoさんから丁重な趣旨のアップと、アフィリエイトIDは誤解を生むので書き換えたいとこういうTBをもらった。
議論をする暇はなかった。もちろん抗議もしていない。
僕もすぐ、「掠め取り」という失礼な表現を謝った。
やれやれというところで、今日君のこの記事だ。
>敬意が足りない。
>まったくもって敬意が足りない。
>というか、完全に抜け落ちている
ishinaoさんの所作については、敬意を持っている。
それは最初から書いている。
>日本のインターネッターのかなりの多くは、水と空気と安全と、ウェブサービスとプログラムとJPEG画像は全部無料が当然だと考えている。
>酷いのになると、ゲームもエロ動画もエロゲームまでも全部無料で当然だと考えている。
>それを誰が作ったかだとか、どのように作ったかだとか、そういう事は考えもせずに「インターネットは無料なのだ」と思いこんでいる。
そうだ!そのとおり。でもそれは僕じゃない。
>それをせずに、どころかそれらハッカー的生産物の恩恵を思う存分被っておきながら、ちょっと自分が主対象より外れた気に入らないものがあると無責任に攻撃をする。
まったくもって貧相れくあつである。
>それはまるでJASRACそれである。それだJASRACだ。
>自分は何もせず恩恵を被っているままでありながら、自分が気に入らないものに対して片っ端からいちゃもんをつけ滅ぼしに
かかる。
>たとえば、インターネット上でユーザーが手動で丹念に時間をかけて打ち込んだMIDIファイルを片っ端から刈って行ったり、
>マッキントッシュのI Transの日本上陸を全力で阻止したりといった、傲慢で横暴で自己中心な行いを行う。まんまJASRACである。
そうだ!そのとおり。でもそれも僕じゃない。
http://www.block.jp/)に対しても
>同様の圧力をかけて閉鎖に追い込んだという話も伝わってきており、今回の件についても非常に信憑性が高いというか、真実であると断言してもよいだろう。>株式会社はてなが競合する1470を潰そうと躍起になって各方面からの圧力を加えてい>るというのは事情通の間では既に周知の事実であり、その一端として株式会社はてなが>リスクコンサルタントを通じてダイナマイト "THE JASRAC" ビッグバングに「1470にいち>ゃもんをつけてくれ」と大金を握らせ頼んだという情報を入手した。
>これだけであれば「本当かな?」と疑ってしまう所であるが、
>はてなは以前に応用通信電業株式会社が運営していたソーシャルブックマークサービスの「ブロック!」(
また才気あふれる面白すぎる冗談はやめてくれ。(笑)
面白ければ何でもいいと思ってるだろ?
本気にする本物の馬鹿が押し寄せてきたら困る。
とにかく、今回の僕のミスは、初期の段階でよく調べもしないで、「ちゃっかりRSS 」などというあまりに受けるタイトルをつけすぎたことだ。
そのタイトルが一人歩きし、いつの間にか、僕が1470に猛抗議をしてアフィリエイトのIDをやめさせたような話になってしまった。
違うからな。違うからな。
違うからな。違うからな。
違うからな。違うからな。
違うからな。違うからな。
>BigBangが1470を事実上半壊させた事により、我が国のインターネットの発展は10年遅れたと言っても過言ではないだろう。もはや滅んだに等しい。正しくその罪は非常に重い。>インターネットは全部無料だと思っている糞ブロガーBigBangは今すぐ足を痙って死ね。その上で、改名しろ。
>「ダイナマイト "THE JASRAC" ビッグバング」に改名しろ。
細木数子じゃないんだから。改名しろ改名しろばかり言うな。
アフィリエイトIDに関して議論を復活させたいなら、作者のishinaoさんが納得している話を
どのように再燃させるのか、部屋から出てきてマネージメントしてくれ。
>平成の世に舞い降りたその人それこそ、JASRACブロガーBigBangである。
なんだか凄い人になったみたいだ。少しうれしい。困った。
#ishinaoさん。もう一回蒸し返しになったらごめん。半分は僕も悪いが、ガ島後、暇をしているらしい真性引き篭もり氏も悪い。何かあったらコメント請う。
2005 05 28 [日記・コラム・つぶやき] | 固定リンク | コメント (5) | トラックバック
May 26, 2005
終焉を言う者から順に終焉が訪れる2-----あさっての方向へ5段飛び
ネットで反響を呼んだ記事「ブログの終焉」を書いたものの、「やはり終わらない」ガ島さんが、こう述べて日経BPへ誘導しておられる。
詳細は日経BPの「ブログの終わりと始まり ブログはオルタナティブなマスメディアになり得るのか」をご覧ください。このところ盛り上がっていた実名、匿名論争にも少し触れています。キーワードは「リアル」です。
ちょうど日経BPの原稿を書き終えたときに、Japan Media Reviewの記者から「日本のブログは数が増えているのに、なぜ政治やマスコミに対して影響力がないのか」「日本のブロガーは社会に対してどのような役割を果たせるのか」という質問がメールで届きました。日経BPの原稿はこの質問に対するひとつの回答であり、議論の出発点になるのではないかと考えています。
そして・・
日経BPの「このような質問に対する一つの回答であり、議論の出発点になるのではないか」とまで書かれている原稿は、これ。
正直言って失望以外何も感じられません。書き出しからして
「ブログの終焉」というエントリーをガ島通信でアップしたところ、いくつかの反響を頂きました。もちろん、ブログが本当に終わったのではありません。黎明期が終わり、ユーザーが飛躍的に増え、誰でもブログを知っている普及期が始まろうとしているという意味です。今後、ブログが定着し、社会の中での存在感を増していくのかどうかは、リアルなコミュニケーション・ツールとしてブログが成長するかどうかにかかっていると考えています。
反響の中の1つには私のこの記事もあるだろう。
でもガ島さん、上記の程度の話であれば、あなたは最初に書いた記事「ブログの終焉」で、しっかりと書くべきだったのではないか。言い訳で始まる記事が全て悪いとは言わないけれど、いつものように軽くスルーしてニュアンスを操作し、やっと「本題」に移行するかと思えば、
話の展開は、
・サイバーなコミュニティで、言葉遊びや知の共有を行っていた
↓
・メジャー化して「分かっていない」人たちが押し寄せてくる
↓
・コミュニティが崩壊(場が荒れる)
↓
・抜け殻に。そして「昔は良かった…」
となります。、
とここ最近あなたのブログが陥っている「ガ島的状況」について、あたかも全体的な状況のように、そして人事のように語り、その後の
初期ブログ界は、サロン的な雰囲気で行われている仮面舞踏会のようなものです。仮面をつけて別のペルソナで楽しいひと時をすごす「場」です。仮面は、真の匿名ではありません(なので、実名であってもそう変わらない)。ブロガーはダンスをする参加者、コメント欄への書き込みは見物人です。見物人は「ダンス(文章)が下手だ」などと注文をつけますが、楽しい雰囲気を維持するためのギリギリのラインは認識しています。しかし、舞踏会の面白さが徐々に知れ渡り、参加者が増えてくると「お約束」が共有されなくなっていきます。
新しくやってきた人は、「仮面をつけていること」が普通であると認識します。「正体が分からないのだから、面白ければ何をやってもいい」と、参加者同士の非難(炎上)や素顔暴き(晒し)が行われ、だんだんと場が荒れていきます。「要は面白ければいいのだ!」と。
ここで重要なことは、舞踏会への参加者は誰もが自分がつけている仮面がはずされる可能性があるのに、大半の人が忘れているということです。個人的には、インターネットはシステムとその特性から、実名と匿名の区分はあまり意味がないと考えています。実名、匿名、固定ハンドルネーム、匿名ハンドルネーム(捨てハン、@名無しさん)などの分け方をしても、例えばどこかのコメント欄に私ではない人が「藤代裕之」と書き込むかもしれません。藤代裕之を名乗ったブロガーがブログを開設するかもしれません。成りすましは非常に容易です。
(太字修飾はBigBanが付与)
に至っては、悲惨な論旨展開だ。
ガ島さん、本当に書きたいことを書いているかな?言いたいことを書いているかな?自分の鼻で、しっかりと息をしているかな?
このあたりのあなたの、何が言いたいのかわからない内容の文章に、稚拙な「仮面舞踏会」などというギミックをつけさらに混乱した論説を、日経BPというメディア上で聞かされるのは、正直つらい。
初期の頃にサロン的に行われていた仮面舞踏会が、どうしたって?その後やってきた新しい人でそのサロンはどうなった?で・・匿名実名論がどうなった?
一つ一つ追っていくと、あなたに最近ネット上でなされている批判が、そのまま当てはまるとしか思えなくて悲しい気持ちになる。
このような川に並んだ石を、あさってのほうに五段飛びしていくような論説は、間違っても、今の状況の中で人前に出すべきものではない。
このへんはあなたにもわかっていると思う。
結局最後には、
新しい「お約束」探しが始まったとも言えます。そして、そのキーワードが「リアル」であるような気がしています。「ブログなんて2ちゃんと同じだ」と思っているネットワーカーにとっては、このような議論は無意味かもしれませんが…。
論点が十分にまとまっているとは言いがたいかもしれません。議論の出発点になればいいと思っていますので、ご意見やTBよろしくお願いいたします。
と放り出す始末。
申し訳ないが、これでは「議論の出発点」以前の問題である。あなたは、忙しい自分の時間の中で、幾何級数的な批判や圧力と自意識にはさまれて、混乱状態にあるのかもしれないが、しばらく他のブログでなされている、あなた自身への論説を、じっくり目を通し、何があなたに欠けているか、自問して欲しい。
その上で、また新しいガ島さん、いや藤代 裕之さんとして、私達の前に現れて欲しい。そういう意味では、あなたがブログでおっしゃった「ブログへの関心」の衰退という、自分自身に聞こえた「声」に、むしろ素直に従ってしばらく執筆はお休みをされたらいかがか。
最後に、もうお読みになったかどうかわからないが、そして大変に厳しい内容だが、あなたへの壮絶な批判が1人のブロガーによって掲載されている。執筆者自身にもコメントしたが、もしもこれが私に向けられたものであれば、私は一時的にはショックは受けるかもしれないが、中期的にはこの執筆者に感謝すると思う。
もしこの批判が的外れであれば、今、あなたは全力でこれに反論すべきだと僕は思う。
なぜなら彼は、あなたのように、あさっての方向へ5段飛びしていないからだ。
なぜなら彼は、真っ直ぐに、ガ島さん。
あなたの存在に対して真っ直ぐに向き合おうとしているからだ。
この記事へも形式的なTBはいらないから、少し耳を傾けて、休まれることを切に希望する。
【前記事】
終焉を言う者から順に終焉が訪れる----「ガ島通信」のタイトルに思う。
2005 05 26 [日記・コラム・つぶやき] | 固定リンク | コメント (3) | トラックバック
May 24, 2005
驟雨の中で
すさまじい雨と風。
「驟雨」という言葉を思い出す。どんな字だったろう。
いや、そんな場合ではない。
ああ、もう少し早くバスに乗っていればよかった、
などと思いながらずぶぬれになって走る。
なんていじましく、つまらないことを考えているんだろう。
雨ぐらいで。
やっとたどり着いた店の軒先で、空を仰ぐ。
気がつけばそこかしこで、不安そうに人が
急に暗く荒れ狂い始めた空を見上げている。
今頃どこに、どうしているんだろう。
この雨でずぶ濡れになっていないだろうか。と泣き顔がよぎる。
電話をするけれど、出ない。
何をしているんだろう、と自分に苦笑する。
それは、
雨に閉じ込められている自分なのか
しなくていい心配をしている自分なのか
あるいは
何かに痛めつけられている自分なのか
わからなくなる。
雨はいつか、必ず上がるのだけれど。
今、遠くで稲妻が光った。見た?
2005 05 24 [日記・コラム・つぶやき] | 固定リンク | コメント (4) | トラックバック
May 21, 2005
終焉を言う者から順に終焉が訪れる----「ガ島通信」のタイトルに思う。
「ガ島通信」さんは、その生き様(古いね。表現が)が魅力的であったことと、そのブログの語り口が、メディアの中に生きるものとして、ある種の「誠実さと率直さ」が溢れるもものであったということで、多くの人の関心を集め支持された。と僕は考えている。
ガ島さんが、会社を退職され、日経BPに執筆されるようになってから、ある種の「客離れ」が起き、こうした批判も見受けられるようになった。コメント欄にも、彼の才能の枯渇を言い立てる発言も増えた。皮肉にもガ島さんの社会的認知度が上がるにつれて、こうした批判的な状況はネットではむしろ増えていった。 これも有名税。大変だね・・ などと「遠景から」見ていたが、今回のこの「ブログの終焉」という記事の表題を見て、この言葉が頭にぽんと降りてきてしまった。
終焉を言う者から順に終焉が訪れる
以下は敬愛してきたブログからこそ言う。少々厳しいかもしれないが、そう思って読んで欲しい。
ブログへの情熱が醒めてきたことを、批判する気持ちはもちろんない。僕もいつかそうしたことを言い出して、突然ここを閉めるかもしれない。今までにも、敬愛するブロガーが何人もそう宣言して、(表面上)ネット界から一時的にあるいは悠久に去っていった。だが、ガ島さんはその記事に「ブログの終焉」という言葉を、安易に使っている。
その記事の内容は、むしろ、コメントへの対応が大変になったとか、仕事が忙しいとかいう個人的な状況の説明であり、いわば「ガ島通信の終焉」を予測させる内容にしかなっていない。いや、それもそれでよい。
率直に自分のブログへの情熱が醒めてきていることを語っているガ島さんが、少し大仰な「ブログの終焉」などという「ミスリードした」タイトルをつけてしまったことは、理解できなくもない。
しかし、しかしである。
その文章には、ブログの草創期から活躍してきた自意識が垣間見え、同時にブログから「次のステージに進みつつある」自分への自負と魑魅魍魎のコメンターへの、軽侮が垣間見える。
私達の社会にも、こうした発言は歴史上頻繁に見られてきた。
少々流行に疎い人間が「109に行ってきたよ!」というと「もう109は終わってるでしょ」
インターネットブームを耳にし、ようやくパソコンを恐る恐る買ってきた人の話を聞くと「もうインターネットは終わったでしょ」
ホリエが騒ぐと「新聞は終わったでしょ」
一般紙にブログの記事がのると「もうブログは終わったでしょ」
こうしたことを言う人はいつの時代にも、どんなテーマにも存在する。そうした人の共通点は、強い自意識と、自分の後塵を拝していると思われる人間への、不遜な思い上がりである。いや、ガ島さんがそうだというわけではない。だが、そのソフトな語り口の諸処に、ブログの草創期をリードしてきたという自負が見え隠れしていることは事実。
でも、ガ島さん。あなたは単に、「ブログへの情熱が醒めた」あるいは「ガ島通信の終焉」を言えばいいのだ。
「ブログの終焉」などというタイトルは、記事の内容にも沿ぐわないし適切ではない。あなたはおそらく勤めておられた会社を去るときにも、そうした言葉「マスコミは終わった」的な整理の仕方をされて、環境を変えられたのだと思う。それは僕にはすごく理解できるし、そうした決心の仕方は、ある決断をするときにエネルギーとして必要なのもわかる。自分も経験してきたからね。今まで何度も。
でも繰り返す。
去るときには、自分の終わりの物語のみを語って、そこから去ればいい。解釈は後の人間がする。
「109にはもう興味が無い」
「インターネットにはもう興味が無い」
「ブログは飽きた」
などと言って去ればいい。
少し話題を変える。
パーソナルコンピュータを誰が作ったかといえば、様々な人間の名前が挙がると思うけれど最初に「ダイナブック」という概念を提唱し、パロアルト研究所でAltoをつくり、後のMacintoshの登場に貢献したアラン・ケイは「パーソナルコンピュータの父」とされ、疑いもなく、その中の1人に数えられる人物だろう。そのアラン・ケイの講演に行った時、彼が発した印象的な一言があった。
「コンピュータはまだ始まっていない」
彼はその根拠として
・活版印刷が人類に根付くまでに400年を費やした。コンピュータは登場してまだ数十年しか経過していない。私達はその使い方をまだ試行錯誤している状態である。
・自転車が発明される前の夜に、自転車のことを説明しても理解できる人は誰もいなかっただろう。今のコンピュータは、その自転車が発明された日の朝の状況を思い浮かべればいい。
・(<あなたの取り組むプログラム言語Squeakに関して>それはOSなのか、アプリなのか?という会場の質問に」
コンピュータを動かすソフトウェアがOSとアプリケーションに分かれているという概念は、誰があなたに植え付けたのか?あなた自身か?違うだろう。私はその人物の名前を知っている。パソコンは、この20年この人物のその率いる会社の製品のおかげで不幸な幼少時期をおくった。
・(「インターネットの登場は大きな事件だったが、どのようにとらえるか?」に対してインターネットはネットワークでしょう?それがなにか?(会場爆笑)
パソコンをいじりはじめて、およそ18年が経つ。インターネットに触れてからもおよそ11年だ。そうした日々の中にあって「もうパソコンは終わりだ」「もうインターネットは終わった」・・・
言いたくなった時が何度あったかわからない。でも、僕はそうした自分の半端な自意識を感じるたびに、この時のアランケイの言葉を思い出すことにしている。
人間は限界がある。1人の人間の中で、情熱や関心はめまぐるしく動いていく。疲れるときもある。飽きるときもある。それが人間だ。ただ、考えよう。
メディアは終わったと言う前に。
新聞が死んだという前に。
そしてブログが終わったという前に。
たかがタイトル。されどタイトルだ。それはあなたの頭の中の写し鏡なのだ。そこから誰も逃げることはできない。
2005 05 21 [日記・コラム・つぶやき] | 固定リンク | コメント (14) | トラックバック
May 05, 2005
昨夜見た夢---はかなく、はかなく。
昨夜の夢は、ゴールデンウィークにふさわしくない夢だった。
私の大学時代の友人(女性)が、夢の中で何かの事故に会い、私はその横でおろおろしている。どうも、回復不能な障害が彼女に残ると医師に聞き、私は狼狽して泣いている。
そんな私の横で、彼女の母親が、妙に落ち着き払った顔で、「リハビリをすれば大丈夫です」などと言いながら、のんびりと、彼女の横で家事などをしている。
車椅子のようなものに乗った彼女は、後姿で庭を見ているようだが、何もしゃべらない。顔は、庭から差し込む光で逆光になっているのか、よく見えない。
私は繰り返し、その事故(何だったのかわからない)を呪い、その母親を相手に嘆き切っているのだが、醒めて静かなその親子は、何をそんなに嘆いているのかと不思議そうに私を眺めている。
何とかならないのか、助けられないのかと、嘆き泣きつくしているうちに目が覚めた。
夢に出てきた友人は、かつて大学時代につきあっていた人とその母に似ていたが、それもおぼろげで確かではない。あるいは別の人かもしれない。起きた直後には、心臓の鼓動が早くなるような、とてもリアルな夢だと思ったのに、数時間経つと夢の全体の輪郭さえはっきりしなくなって心の中から消えていきそうだ。
はかなく、はかなく。
尼崎の事故のせいなのだろうか。こんな夢を見たのは。
そんなことを思った。
2005 05 05 [日記・コラム・つぶやき] | 固定リンク | コメント (2) | トラックバック
April 21, 2005
種明かし
ねえ。
この世界の全てには、本当は種明かしがあるのではないだろうか。
おどろおどろしい、極彩色の手品師の舞台のように、僕達が、その衣装の揺れる怪しさにばかり気をとられているうちに、どこかで誰かが、そんな僕達の純なマヌケぶりを、手を叩いて面白がっているんじゃないか。
そのまま、あと100年やってろ!そのままだ!ってね。
桜の花のことはわかったつもりでも、風や海の匂いがわかっても、僕達には、この、人の世界の種明かしが、わからない。
そもそも、種があるのかどうかさえ不明な手品を誰かに見せられているような気がする。
僕はそんな気がしてならない。
2005 04 21 [日記・コラム・つぶやき] | 固定リンク | コメント (2) | トラックバック
April 11, 2005
桜の木の下で-----人と永遠に別れるということ。
東京の桜は、この暖かさで昨日から一気に満開になった。今日はあちこちでお花見が行われたことだろう。
桜を見るたびに、ああ、この1年も生きてこれたという思いにかられる。
今はそれほどでもないが、一時、いろんな事由から、精神状態がかなり厳しいときがあって、その頃には桜を見ると、これが最後ではないか、来年の桜は見られないのではないかと思っていたことが本当にあったのだ。
それでなくても桜は、その美しさの反面、別れと死のイメージも漂っている。あまりにも過剰に咲き乱れる満開の花々は、何か狂おしく、見てはいけないものを見てしまったような不安な気分になることがある。
梶井基次郎という作家は、その著「櫻の木の下には」で、
「桜の木の下には死体が埋まっているに違いない」と書いた。その禍々しさもわかるような気がするのだ。
先週は、ニューヨークに単身赴任する、大学時代の同級の友人の送別会を都内で行った。といっても、メーリングリストで頻繁に交流している仲間でもあり、アメリカへ行くということ自体、昔ほど大仰に構えたものでもない。いつでもメールが交わせるという安心感もあり、別れの会はあっさりとしていた。気がつけばいつもの飲み会の終わりのように、彼は手を振って街に消えていった。
この彼との別れは、能天気な僕たちにふさわしく、ちょっとした別れでしかなかったが、この1年、このコミュニティには死別が多かった。
春には、アマチュアオーケストラの演奏者をしていた友人の奥さんが、2人の女の子と彼を残して逝った。
秋には役者をしていた友人が酒で体を侵され、治療もほとんど拒否して、壮絶に死んでいった。この時には葬儀で棺に横たわっている彼を見て涙が止まらなかった。
そして今年になってから、これもテレビの仕事をしている友人の父が逝った。
つくづくこの1年は死に染められていた。
その他に今、癌で闘病している友人が1人。
さらに奥さんが末期の癌で闘病中の友人もいる。
桜を見ながら思う。人と人とが最終的に別れるとはどういうことなのだろうと。
幼い頃、一度出会った人はずっと自分の近くにいてくれるものと信じていた。だがあんなに親しかったのに、いつしか自分の周りから消えていった、今はアルバムで出会うことしかない、多くの友人を思うとき、人と人の邂逅のはかなさを知った。
友情も恋愛も終わるときはある。
あんなに好きだったのに、今は自分の側にいない人の顔を思う。壊れた恋の痛みや友情のはかなさも、この年になれば十分知っているけれど、いつか再びわかりあえるときがあることも知っている。
恋人としては終わった相手でも何十年も友人としてつきあっている人もいる。恋が終わったときには、もちろん苦しくてその人の顔も見たくなかった。その人とのすべてが終わってしまったと思い、世界も終わってしまったような絶望感にかられていた。それでも、僕は彼女との全ての繋がりをを失ったわけではなかった。それがわかったのは彼女と別れてから10年以上も経ったときだったのだ。それだけの時間が必要だったけれど、少なくとも別れではなかった。
人と人とが最終的に別れるのは、やはりどちらかが、この世界を去ったときだろう。僕達のコミュニティは、その別れを、思い知らされた1年だったのだ。
もちろん、死が永遠の別離なのかどうかさえ謎だ。その先の深い世界までは僕にもわからないけれど、とにかく生きてさえいれば、生きていればこそ、僕達はいろんな人間関係の奇跡にも、回復の奇跡にも出会うことができる。
邂逅のはかなさも知っているけれど、切れていた糸が再び、違う色で繋がる人の不思議さにも出会うことができる。
年齢を重ねていくことは何かに絶望していく過程かもしれないけれど、こうした意味では希望の物語=回復の奇跡を一つでも多く体験していく道程でもあると思う。
とにかく、人はどんなことをしても生き繋いでいかなければだめなのだ。この平和な国にあっても戦乱の国にあっても、生き延びた人々によってこそ、失われたものは回復される。いや回復以上のものを、その後も脈々と生み出す絶え間ない連鎖が何万年、何十万年とあって、こうして世界は続いている。
(そういえば以前こんな記事も書いた。「地が揺れる深い夜に---みんな生き延びよう」)
桜は今年も満開を迎え、そして短く狂おしく咲いて、今日の強風で、早くも散っていこうとしている。生きることと死ぬことばかり考えて生きることは重く苦しいけれど、桜の季節にはこうして邂逅の不思議と別れの不思議とを同時に思うこともいいのではないかと思う。
そして、今ここにいる自分の不思議も。あなたの不思議も。
【4/11加筆】
「徒然なるままに時間のあるときにPCに向かひて」のぶんだばさんからご指摘を受けた。梶井基次郎の書名は「桜の樹の下には」。そして文中正しくは「桜の樹の下には屍体が埋まっている」だそうである。謹んで訂正させていただきます。
しかし、「埋まっているに違いない」という言い回しはずいぶん前からそう思い込んでいたがどういうことかな。(#実際にはこの本は直接読んでいません。)
2005 04 11 [日記・コラム・つぶやき] | 固定リンク | コメント (7) | トラックバック
April 10, 2005
いまこのときに
いまこのときに
僕とのことは、君の心の中で、どのくらい深く痛みになっているのだろうか。
それが気にかかる。
仰いだ夕暮れの風景は、光を失う一瞬前の美しさに馴染んでいる。
それほどの悲しみになっていなければいいと願う自分が、
確かにこの時間、ここにいる。
そうだ、きっと君にはいつもの、ちょっとした恋愛にしか過ぎない。
そうに決まっている。
君はそれほど弱くもない。全ては、僕の思い過ごしだろう。
僕は自分の中で、このことの意味を考えるべきなのだ。
そう思い込もうとしている自分も、確かにここにいる。
もう一度顔を上げると、夕空はさっきよりも幾分光を失い、
今日の桜を散らした風が、ずっと向こうまで吹いて枝を揺らす。
最近見ていない君の笑顔が、心の中にふいに浮かび上がり
悲しく心を揺らす。
木々の間に見える夕空の闇はいっそう深くなっていく。
2005 04 10 [日記・コラム・つぶやき] | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック
March 10, 2005
柔らかな言葉
夕暮れの街を、いつものように歩いていたら、柔らかな言葉が、急に恋しくなった。
というのも、おそらく、いつも硬い砂のような言葉ばかり、食べているからだろう。
こんなに柔らかな言葉が恋しくなるなんて、もしかしたら、
どこか体の奥で勇気が失われているのではないか。
そう疑って、深く、深く。
自分の心臓の鼓動に耳を澄ます。
深く、深く。
ついでに大きく深呼吸もしてみた。
いや、違う。
勇気は、いつも硬い言葉や、硬い気持ちに宿るとは、限らないのだ。
柔らかな言葉や、柔らかな気持ちに宿る勇気も、きっとあるのだ。
きっとあるはずだ。
だから、疲れている時に、無理して、
ガリガリ硬い言葉をかじる必要は、ないんだよ。
2005 03 10 [日記・コラム・つぶやき] | 固定リンク | コメント (2) | トラックバック
たった一人の一から-----受け継ぐ偉大なるブログの遺伝子
ここのところ、いろいろなことがあったせいか、時間がずいぶんと密度が高いような気がする。まあ、誰の人生でもきっとそんなに平穏無事などということはなくて、沢山のことが起きているのだろうから、特に自分だけがと思ってはいけないけれどね。そのせいか、なかなか眠れない。これはいつものことだが。
ブログでも、何でもそうだけれど、プロであれ、アマチュアであれ、言論を張るのであれば「たった一人の一」より始めたいといつも思ってきた。
人種、家族、会社、職業、学歴、派閥・・そうした属性から逃れることは、僕もあなたももちろんできないのだけれど、せめてものを申すのであれば、その属性を全部払ったところで、大仰に言うと「たった一人で宇宙に立つ」つもりで全ての束縛から自由にもの申したいと、子供の頃から思ってきたのだ。
もっとも、僕の場合、両親という多大なる束縛が存在せず、出発点の「一」から始めるということは、比較的しやすい環境に生まれたので、「このまま何も守りたくない。一重に全てを「一」から見ていきたい」と思っていた。他にはできない、それこそが自分の「生きる道」だと思っていたのだよ。
そう。確かにその段階では、ずっと1人で生きていこうと思っていたのである。
ところが大人になり、期せずしてしがらみもでき、新しい家族ができてみると、この思いを貫くのは決して簡単ではないというのは、もちろん身にしみてわかってきている。むしろ僕の場合、この「出発点が一であること」を言わないと、何も言えないような、ある種逆プレッシャーのようなものがかかり、必要以上に自分の事情の説明から始めてしまう癖があるのは、このサイトの読者おわかりの通り。最近それで痛い目にもあった。
いやいや、そんな話は実は前振りであって、ここで触れたいのは、残念なことに一つのブログが更新を停止した話である。残されている記事も今月一杯で読めなくなるという。尊敬するstandpoint1989さんの「小さな目で見る大きな世界」である。
最初は「世界史オタク」の何だか小難しいブログだなあ程度にしか思わなかった(失礼!)のだけれど、いつしかその独特の語り口と、超絶の博識に圧倒され、ブログ界にあっての僕の精神的思想的な支えの大事な一つであっただけに、そのあまりにも潔いというか、鮮やかな幕引きに、再度驚かされている。
前段の話がどうつながるかというと、standpoint1989さんこそ、まさに「たった一人の一」で、この世界に毅然と立っておられる風の方だったからだ。広大な知識や趣味、関心を背景に論じていても、博識の者にありがちな「解説自慢」はなく、いつも感性と論理を鮮やかに配合して独自の見解を披露し、そして論争の時には決して引かない骨っぽさもしっかり見せていただいた。
コメントしようと思っても、BigBanの浅学では、よほどのテーマでないと口もはさめなかったけれど、知的で元気づけられる背筋の伸びたブログだった。
自分ごときとは違って、決して私的な弱みや背景も掴ませない方だった。まあ、いまのような「私的には弱み出しまくりの、それでいて攻撃的なスタイル」というのは、僕には合っているので、何もstandpoint1989さんの真似はできないし、する必要もないのだが、ある種の硬派の美意識の漂っているブログだったので、1年間を節目にぱっと止めてしまわれる上に、サイトも全面的に閉じてしまうということを聞いたときには、本当にがっかりした。
「在庫処分」と称してここのところ、未公開の記事も、どっと出してこられた。想像を超える遙かなる余力をもっていることを、最後にあらためて見せていただいた。
しかも、全ての記事の著作権も放棄し、自由に使ってくれとまで言われる。なんということだ。最後まですがすがしいほどに毅然として、過去を振り返らず去っていく人である。
#結構生きにくい人かもしれないなあなどと無礼にも心配したりもする。余計なお世話ですね。
ただ、「これほどの想念を持つ人が沈黙できるのだろうか」という僕の下種な予想の通り、ご本人的には、いつか別のブログを再開する可能性も言っておられるので、そのことだけをせめてもの希望として、楽しみに待ちたいと思う。
今月が終わると、「小さな目で見る大きな世界」は消滅する。何かあったときに、このブログを頼ることはできなくなる。いつかstandpoint1989さんが帰ってくるまで、(こういう言い方はとてもおこがましくて、荒唐無稽なのは百も承知だが)微力であっても、その何百分の一の遺伝子だけはここでも受け継いでいきたいと思う。
僕なりに解釈した、「その受け継ぐ遺伝子」とはもちろん、最初に書いた「たった一人の一」から始まる格闘の覚悟である。
standpoint1989さん、本当にありがとう。お疲れ様でした。
2005 03 10 [日記・コラム・つぶやき] | 固定リンク | コメント (2) | トラックバック
February 27, 2005
刹那の1秒だったとしても
さて、どうやって自分を大事にしよう。
これが大事なことなんだけれど
こんな私の場合、
まず自分を大事にするのはなぜなのか。
なぜに生きていかなければならないのか。
それを確認する必要がある。
一番シンプルで効果的なのは
自分に何かがあったとき、悲しんでくれる人の顔を思い浮かべることだ。
そう、もしも自分がいなくなったとき、もしも自分の体が血を流したとき、
悲しんでくれる人の顔を思い浮かべることだ。
あなたにも、そして、こんな私にも
1人くらいはいるでしょう?
1人くらいはいるでしょう?
さて、ようやく思いついたとしよう。
こんな私はそれでも次に考えるのだ。
その1人は、悲しむは悲しむだろうけれど、どのくらいの期間悲しんでくれるだろう。
どのくらいの間、涙を流してくれるだろう。
1日?
1週間?
1年?
それとも?
いや、やめよう。永遠を求めるのは。
それがたった1人だったとしても、
それがたった刹那の1秒だったとしても、
私はそれで生きていけるのではないか。
生きていかなければいけないのではないか。
私の去った後、宇宙に何事も起きないにしても。
私はそれでも、生きていかなければならないのではないか。
生きていけるのではないか。
たとえそれが、刹那の1秒だったとしても。
2005 02 27 [日記・コラム・つぶやき] | 固定リンク | コメント (2) | トラックバック
February 23, 2005
ロバートキャパのこと---- キャパ・イン・カラー図録
「キャパ・イン・カラー」展のことを書いたけれど、図録に裏焼きがあるという、大変な事態が初日に判明し、僕の行った最終日には当然図録は販売されていなかった。
マグナムフォト東京支社に問い合わせとのことだったので、メールを出したところ、さっそく以下のメールをいただいた。対応敏速。
それにしても、あのマグナムフォトが監修しながら、キャパの「裏焼き」だよ?キャパの!
関係者の震撼、どれほどだったろうか。
世の中、ゆめゆめ、なめるべからず。何が起きるかわかりません。
(マグナム東京支社から来たメール)
==========================================================
ご連絡いただきありがとうございます。
図録は一部逆版になっていましたため、
現在、あらたに制作をしております。
完成は3月上旬になる予定です。
図録は1冊2300円で代金引換でお届けする予定です。
送料は関東圏内ですと1冊350円(手数料弊社負担)で
1冊の場合、合計2650円です。
図録の内容はカラー130点(展示作品)/131ページです。
展示されていたモノクロの作品は含まれません。
また、ジョン・G・モリス、リチャード・ウェーランの文章が掲載されております。
完成後に改めてこちらからご連絡申し上げます。
その際、希望冊数などをお知らせ下さい。
ご迷惑をお掛けしておりますが、宜しくお願いいたします。
マグナム・フォト東京支社
2005 02 23 [日記・コラム・つぶやき] | 固定リンク | コメント (2) | トラックバック
February 20, 2005
ロバートキャパのこと---キャパ・イン・カラー

「キャパ・イン・カラー」の最終日に日本橋三越まで風邪を押して行って来た。
会場に着いて驚いた。いくら最終日とは言え、こんなに沢山の人たちが押し寄せていて、100メートル以上の行列ができてており、入場制限をしていたのですよ。信じられます?
カラーで撮影された写真は、白黒で撮影された彼の代表作に比べれば、インパクトは少ないけれど、最近プリントされただけあって非常に美しく、あの世界大戦の風景を昨日の事のように蘇らせてくれていた。
そういう意味で「キャパ、良く撮ってくれていた!」と言いたい気分だった。戦闘機や護衛船団の油の匂いまで感じられるような鮮明さ。モノクロのキャパの世界とはまた違った世界がそこにはあった。
特に1954年に撮影されたかつての日本の風景は、極めて興味深く、多くの人がその写真群の前で足を止めていた。
キャパの年譜もいまさらながらじっくりと眺めるのは初めてで、ブダペスト→ベルリン→パリ→インドシナと放浪したキャパの人生に、ほんの少しであったが改めて向き合った。
「ロバート・キャパ」とは元々恋人のゲルダ・タローと、エンドレ・フリードマン(キャパの本名)とが、「売り込むため」に生み出した架空のカメラマンだったということを初めて知った。キャパが本名ではないのは知っていたけれどね。このゲルダ・タローの名前が、あの岡本太郎からとられていることは周知の通り。当時のパリは世界中から才能が集っていたのだ。
ゲルダは、キャパに先んじて、スペイン内戦の最中、撤退中の共和国軍の戦車に轢かれ死去。
最愛の人を失ったキャパの嘆き、そしてその後の人生をも綴ったDVD「CAPA in Love & War」(前から見たかったDVDだ)が会場の出口のところで上映されており、そのあまりの迫力(素晴らしいドキュメンタリーだと思います)に、多くの人が立ち去ることもせず、見入っていた。
「CAPA in Love & War」を見てぼろぼろ泣いているなんて恥ずかしいことこの上ない。周りにはいない。

私的な思いはともかく、これほど多くの人が、身じろぎもせずに、50年も前の出来事に見入っている。その事実に(自分もそこにいるにも関わらず)驚くとともに、一筋の希望を感じた。
世界にも、そして自分にもだ。
みんな、頑張ろう。
2005 02 20 [日記・コラム・つぶやき] | 固定リンク | コメント (7) | トラックバック
February 08, 2005
想像力---大声で言ったほうがいい。
想像力を持とう。
僕たちにとって最後にできることは、実はそれしかないのかもしれない。
どんなにあなたが優秀でも、想像力がないなら、
闇の中で一人で立っているようなものだ。
言うまでもなく、僕もあなたも、
全てを見ることはできないし、全てを感じることもできない。
なぜなら人の一生には限りがあるのだし、あなたや僕のできることも
厳しく有限なのだから。
僕たちは明日の食事にも怯える子供たちの気持ちなど、
永遠にわからないのかもしれない。
カラシニコフで理由もなく殺された無辜の人の嘆きなど
永遠にわかるはずがないのかもしれない。
だが想像することはできる。その痛みを。
それすらできないなら生きていてもしょうがないじゃないか。
そして、人に想像力を持ってもらうためには
時には痛いときは痛いと、大声で言ったほうがいい。
言わないよりも遥かにいい。
どこかで誰かの想像力が動き始めるかもしれないじゃないか。
あなたの、その声によって。
2005 02 08 [日記・コラム・つぶやき] | 固定リンク | コメント (9) | トラックバック
February 02, 2005
ロバートキャパのこと---倒れたものと変わったもの
Deep Breathさんの記事がきっかけで、久しぶりにロバートキャパのことを思い出した。調べたところ、ロバート・キャパ写真展 『キャパ・イン・カラー』が日本橋三越本店で2月15日から開かれるらしい。
写真集団マグナムを最初に教えてくれたのは、水道橋で小さな出版社を経営していた伯母だった。高校生の時、僕はよく気ままなアルバイト先として伯母の会社を選んでいたのだけれど、ある時、伯母に急に日本橋まで来てくれと言われ、てっきり仕事の届け物でも頼まれるのかと思って急いで高島屋まで出かけた。
高島屋の前には伯母が待っていたが、実は伯母は、仕事の用事を装い、僕にこの写真展を見せるために呼び出したのだ。そういうことが、日常的にできる人だった。
高島屋では、マグナムの写真展が開かれていて、ここで僕は初めてマグナムの活動とそこに集っていた写真家達、中でもロバートキャパを知った。
戦場写真家のヒロイズムは、少年だった僕を捉えるには十分で、僕はその写真展がきっかけになって、いつかキャパのように戦場に出かける写真家になりたいと思うようになった。戦場に命も惜しまず出かけていき、一枚の写真が決定的な名声をもたらす。その光の部分が、まだ世界を知らない子供を捉えたのである。戦場に赴く自分の姿に心の中で酔いしれた。
しかし年を経るにつれて、戦場写真家を英雄視する気持は薄れ、不安定な身分のフリージャーナリストとして、大マスコミに属するものに比べ格段に劣悪な環境で危険な地域に出かけなければならない、この職業の現実を知るようになった。何千人も何万人もいるカメラマンの多くは、注目される写真も撮れず、名前も知られず消えていく。
誰もがキャパになれるわけではないのだ。当たり前だけれど。
栄光の陰には、一枚の写真で一攫千金を狙う、あまり心根の宜しいとは言えない自称カメラマンたちが多く存在することを知るに至ったし、あのキャパですら、その初期の頃は、功名心に燃えたただの若者だったのである。
(「CAPA in Love & War」はこのキャパの生涯を追ったドキュメンタリーであるが、残念ながらまだ見る機会に恵まれないでいる。)
以前、香田証生さんの事件があったときに、僕はキャパを引用して彼の無鉄砲さをこの上なく侮辱する人への反論に用いた。
キャパですら、最初は好奇心だけをエネルギーにして対象に立ち向かっていった無名の若者でしかなかった。
結果が必ずしも得られなかったからといって若者の向こう見ずを頭から否定できるのかという思いがあった。
しかし、それに反論する人もいた。キャパは有名になり多くの作品を残した。では香田さんは何を残したか。何も残さなかったではないかと。しかしそれも結果論でしかない。
僕は世界への姿勢について書いているのである。結果ではないのだ。
報われるものは最後に神(のようなもの)がくれるかもしれない。くれないかもしれない。だからといってそれを目指し倒れたものを笑うお前は誰だ?何者なのだ?
僕はそう言いたかった。
マグナムの写真家たちが栄光を博した時代は既に終わった。
湾岸戦争のCNN以来、報道の中心は臨場感あふれる、動く映像に移った。アルジャジーラは特ダネであっても一枚の静止画像を世界に配信するようなことはない。
世界は複雑化し、混沌とし、ヒロイックな戦争写真家が一瞬の現実を切り取り、その写真がきっかけで世界が動くようなことは少なくなりつつあるのかもしれない。
一瞬の功名心や冒険心は時として人からさげすまれる場合すら多くなった。自己責任というあたかも道徳の時間かと思われる用語を用いて。
不思議なことにきまって、人はこれらの人たちに安全圏から石を投げるのであり、それが新しい現代の病巣となっていると思う。
ロバート・キャパは41歳で死んでいる。最後にカメラを向けていたのは、ハノイ南方のジープの上だったという。ベトコン討伐のフランス軍のジープであったらしい。しかし、ついに地雷が爆裂し、キャパはライカを持ったまま死んだ。
紆余曲折あり、結局僕は戦場写真家にもジャーナリストにもならなかったけれど、キャパやマグナムの名前を聞くたびに、その後交通事故で若くして夭折した伯母の表情やあの時の心遣いを思い出す。
倒れたものも変わったものもあるけれど、変わらないものもある。
あのとき伯母の伝えた気概は僕の中で失われていないはずだ。
きっと。
2005 02 02 [日記・コラム・つぶやき] | 固定リンク | コメント (1) | トラックバック
January 28, 2005
世界の全てから、見捨てられてしまったとあなたが思っている夜
世界の全てから、見捨てられてしまったとあなたが思っている夜。
おそらくあなたの声はたどたどしく、その言葉は途切れ途切れで、
その苦しい思いの半分も、自分のカプセルから外に出すことも
できないでいるかもしれない。
おそらくあなたから見れば、人には帰っていく場所があり
あなたにだけないように思うかもしれない。
あなたがその瞬間、そう思ってしまっても無理はない。
でもおそらくあなたは、まだ気がついていないのだと思う。
僕の後ろは真白で、僕の背中の向こうは空白で、
僕がここに、この世界に生まれてきたという僕の意地だけで
ようやく、不確かな像を結んでいるのだということを。
僕が少し、ほんの少しうつむいただけで、
世界の全ては、僕から消え失せる。
何もなかったかのように。さっぱりと。
元々、何の証拠もないのだから。
全てご破算になったところで
それはそれで、そんなに悪いことでもないかもしれない。
最初から何もなかったと思うことは、なかったことにしてしまうのは
それほど悲劇ではないのかもしれない。
少し穏やかで星の美しい夜にはそう思う。
宇宙の時間を感じながら。本当にそう思うことがある。
でもそうしてしまえば、あなたの声が聞けなくなる。
あなたの、そのたどたどしい声すら聞こえなくなる。
僕はそう思って、ようやくここに、この世界に立っている。
心騒がぬひとたちよ。
心寂しくないひとたちよ。
心より命を祝福されたひとたちよ。
覚醒して欲しい。
あなたが自分の暮らしを喜んでいる同じ時間に
そんな風にこの世界に立っている者もいるのだ。
世界の全てから、見捨てられてしまったとあなたが思っている夜。
僕はあなたを見捨てない。
誰もあなたの側にいないなら、僕があなたを祝福する。
なぜならあなたは、僕自身だからだ。
2005 01 28 [日記・コラム・つぶやき] | 固定リンク | コメント (1) | トラックバック
January 13, 2005
安らげる場所に。
深夜の小田急線。
一斉に携帯電話が掲げられている。
にょきにょき。
祖母よ。あなたはかつて言った。
深夜の高速。
「この人たちはみんな、一体どこに行くの?」
お婆ちゃん。
今なら僕は、答がわかる。
あなたの問いに答えられる。
みんな帰ろうとしているんだよ。
安らげる場所に。自分の場所に。
2005 01 13 [日記・コラム・つぶやき] | 固定リンク | コメント (2) | トラックバック
January 12, 2005
生きていこうと今は思う。
新年のカウントダウンを始めたころ、バグダードでも花火があった。 2005年になる10分ぐらい前に、家からほど近いところで大きな爆発が 3回起き、家が揺れた。よりによってこの時にと、ちょっと驚いた。いとこ の娘たち二人は最初おびえたが、その後はくすくす笑いが止まらなくなった。 E.は手を打ち合わせて叫んだ。「ワオー花火だ!!グッバイ2004年!!」。 それに続いて子どもたちがでたらめなダンスを踊りだした。 (バグダードバーニング by リバーベンド)
なぜだろう。この記事を読んで村上春樹の「ダンス・ダンス・ダンス」を思い出した。
なぜって・・理由も関連性もない。(じゃあ言うな)
僕の言いたかったことはこうだ。
人は生きていく。続いていく。
街はどんなに荒れようと破壊されようと、人が生きていく限り大丈夫。再建される。
では、街はなぜ再建されなければいけないのか。
人はなぜ続いていかなければならないのか。
人はなぜ、こうも苦しい詩篇を綴らなければならないのだろうか。
そう、そしてあなたと僕にとっての最大の謎。
-----人はなぜ生きていかなければならないのか
僕たちにとってのバグダッドは、サイゴンになるのだろうか。
そしてファルージャはソンミ村になるのだろうか。
それならそれでよい。
現実を見つめよう。全てはそこから---見つめることから始まる。
考えてもみよ。
東の世界と西の世界が覇を競った時代が終わってみれば、西の帝国が世界を支配する時代となった。
西の帝国の軍は、他のすべての国々の軍を合わせたよりも「下手をすれば」強大である。
彼らの神は、彼らを選んだごとく、彼らは語る。
それが、彼らの常套手段なのだ。
我が東の日出づる国の果たすべき役割は、この西の帝国に、言葉の正しい意味で注を
唱えることなのか。
かの壮大なる「指輪物語」(The Lord of the Rings)では、中つ国の統合までに推定数万年を費やした。
だが、私たちにそんな時間はない。エルフやホビットのような生の時間は持ち合わせないのだ。
-----人はなぜ生きていかなければならないのか
中つ国の統合を、概念としての平和な世界を実現するために、私たちは、あと
何回の転生を。輪廻転生を繰り返せねばならないのだろうか。
確信する。
私達の子供たちは、この西の帝国の覇に抗せねばならない。
大義の前に、人が人を切り刻む。毒の爆弾でゆっくりと、残酷な、緩慢な死をもたらす・・・・
小さな照準の過ちで、祝賀の席が血にまみえる。
それが当たり前の世界であっては断じてならない。
断じて。
私は、足元の生活すら、理想すら、日常すらコントロールできない一個の生き物にしか
過ぎないが、子供たち、忘れないでほしい。
できなかったことはできないかもしれないが、それは、
君たちの世代でも永遠にできないことでは断じてないのだ。
もちろん、私達も、あなたも、まだあきらめてはいない。
後30年。生きていく。
生きていこうと今は思う。
2005 01 12 [日記・コラム・つぶやき] | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック
January 07, 2005
幸福と不幸をめぐるもう一つの話
![]()
もう結構前の話になるんだけれど村上春樹が「海辺のカフカ」に寄せられた読者の手紙をまとめて、全てに(!)コメントをつけている「少年カフカ」という劇画雑誌のような表紙の分厚い本があるんだけれど、その中に僕がよく引く村上春樹のフレーズがあるので紹介したい。
-----------------------------------------------------------
「人はみんな病んでいる」というのが、僕の基本的な世界観です。
僕らはみんなその治癒を求めて生きているのです。
あなたが誰かに治癒を求めようとすれば、あなたもまた誰かを
治癒しなくてはなりません。僕らは、その交換行為の中で、
「生きている」という実感を得るのです。わかっていただけますでしょうか?
------------------------------------------------------------
ふむ・・なるほど。という感じですね。
普通の人たちの普通の暮らしというものが、どんなものなのか
同じ小説を読みながら何を考えているのか、知る機会がなかなかない
のと、100人の人間がいれば、100通りの不具合や不幸や、勘違
いや(笑)奇妙さが混ざっているのがわかり、結構これが面白かった。
村上春樹の、そういう一人びとりへの対応も、興味深く読んだ。
「幸せの形は1通りしかないけれど、不幸の種類は不幸な人の数だけあ
る」と誰かが言っていたような気がするけれど、本当にそうだなあと
思う。なんていうのかな、それぞれの人の人生みたいなものが伝わるし、
「懸命さ」のようなものも伝わる。
この本によれば、村上春樹も「結構リスクの高い生活」をしているのだ
そうだ。この場合のリスクとは、僕の日々のリスクとも、あなたのリス
クとも違う種類のものなのだろうとは思うが、リスクの高い生活は
そう不幸せなものではないのではないか、とも言っている。
言葉で軽くそう言われても、それぞれの「リスク」で悩んでいる自分達
にはそう簡単にいかないよね。そうでしょう?(笑)
2005 01 07 [日記・コラム・つぶやき] | 固定リンク | コメント (2) | トラックバック
January 05, 2005
ヒトの社会
年が変わり、動き出したのはヒトの社会だ。
ヒトの街の空気や喧騒は、
ほんの少しの間、改まった口調であなたに新年の挨拶をすると、
次の瞬間、くるりとキビスを返し、
いつものあの表情…幸福か不幸かわからないあの表情に戻って、
さっさと足早に遠ざかって行く。
で、自分なのだけれど、僕はもう一度、凛としてこのヒトの街を歩きたいと誓う。
あらゆる淀みを抱えても尚。
2005 01 05 [日記・コラム・つぶやき] | 固定リンク | コメント (2) | トラックバック
January 03, 2005
謹賀新年--大災害に接して。
もはや小規模の地殻変動であったと言ってもいい、スマトラ沖地震の現地情報
は、年末年始のお気楽テレビ番組の洪水にあって、少しも入ってこない。
こういう時には、ブログのリンクがそれこそ情報源として貴重なものに思える。
いくら考えても答を出せないとわかっていながら、大きな災禍を目のあ
たりにすると、「なぜその場所だったか」という思いにかられる。
といっても、科学的な説明や合理的な説明を求めているのではない。
そのことの「意味」ーそれが、その場所に起きたことの意味はないのか。
そんなつかみ所のない思いにかられるのだ。
今回のスマトラ沖地震はなぜ、インド洋の素朴で美しい島々とそこに暮
らす人々を、そして、たまたま冬の休暇にその地を訪れた無辜の人たち
を、突然海の奈落に引きずり込んだのか。
どうしてほかでなく、そこだったのか。
私の住む場所でも、あなたの暮らす街でもなく。
なぜ?
自明である。この問いの答はない。
失われた多くの命に思いをめぐらすすとき、無慈悲で不条理な過酷さ
に身がすくむ。
思えばこの星は、幾万回も幾億回も、そうした命への一見無意味な、そ
して暴虐な気まぐれとも見える試練を与えてきたのだろう。
母であるはずの地球の残虐な仕打ちの前に、創世以来、滅んでいった生
き物たちの怨嗟が心をよぎる。
そして、過酷な運命に見舞われた命に解を求めることができないのと同
じように、私達がそこにいなかった理由もまた、永遠に求めることはで
きない。
いた理由もいない理由も。同じくらいに茫漠たる理不尽の中に埋もれる。
天災だけではない。
ここ数十年、人の営みの世界に目を移せば、さらに不可思議は深まる。
●ヒロシマ・ナガサキへの原爆の投下は「なぜその場所だったのか」
●アウシュビッツの大虐殺は「なぜその場所だったのか」
●北朝鮮による拉致は「なぜその場所だったのか」
●地下鉄サリン事件は「なぜその場所だったのか」
●9.11テロは「なぜその場所だったのか」
●大量の市民の犠牲をともなったイラク戦争は「なぜその場所だったのか」
●香田証生さんの死は「なぜその場所だったのか」
なぜ私は、そしてあなたは、その場所にいなかったのか。
数ミリ径の針の穴ほど運命が狂えば--
悪魔の照準がほんの少し左右にずれていれば---
私達がその場所に立っていたかもしれないと思えば、いまここにこうし
て新年を迎えることができた幸運は、生き延びている私達に、果たすべ
きミッションを知らせるために贈られた、億分の一の「重いギフト」で
はないかと、今あらためて思う。
思えばこの星はいつも、生き延びたものに何かを伝えるためにこそ、こ
の試練を与えてきたのだから。理由のない試練にするか、意味あるものに
するかは、命を残された側にかかっている。
=========================================================
新年おめでとうございます。願わくば、ギフトを分かち、共に災禍に立ち向かう力となりますように。
そして、間違っても。
間違っても人が人を傷つけ、人の世界に災禍を与える愚挙に、断じて組することのなきことを。
「その場所にいなかった」私達の誓いとして、それを共有させていただけれれば幸いです。本年もBigBanブログをよろしくお願いいたします。
=========================================================
●インドネシア・スマトラ沖地震情報
●スマトラ沖地震義援金情報(Yahoo!)
2005 01 03 [日記・コラム・つぶやき] | 固定リンク | コメント (4) | トラックバック
December 31, 2004
2004年の終末に---冒険的年賀状のススメ
4年ほど前から、主要な知己や取引先等への年賀状を、メールに切り替えている。
親戚や友人に出す、家族単位の郵送年賀状が、それこそ当たり障りのない
お気楽なものになってしまっていることに、どこかバランスをとる必要があった。
そこで、別に年賀メールを出すことにしたのだけれど、新年にふさわしいかどうかの
微妙なところをテーマにすることにした。
微妙なところ?つまりこのブログに書いているようなことです。(笑)
ただし、これがとても難しい。
素直に簡素に、
あけましておめでとう。今年も頑張りましょう。
なーんてやっておけばいいところを、くだくだ重いテーマについて長い文章を
連ねるから、というのもあるし、何といってもブログと違うのは実名で書くと
いうことである。
匿名ならかなり思い切って書けるテーマも、自分の名前を出し、日頃仕事しか
接点がないような人たちの顔を1人1人思い浮かべながら、ガチンコの
(真剣なというほどの意味ね)
メールを書くのはかなり、恥ずかしく、また抵抗がある作業です。
#嘘だと思う人、新年早々緊張感を味わいたいと思う人はやってごらんなさい。
(少しえらそう)
なーに。普段ブログにあなたが書いているようなことに署名して、商売の話し
かしたことのない人に送ればいいんです。簡単でしょ?(笑)
自分の名前を書くと照れもある。配慮もする。
何しろ相手とは、価値観がからむような話は面と向ってしたことがない。
いい気になって格好つけてるとも思われたくない。
押し付けがましい姿勢も避けたい。
特に、年賀ではタブー(?)とされている、死のからむ話、
政治や宗教の話を盛り込むわけだから相手と主義や主張が異なる場合も十分にありうる。
少なくとも正月から、勝手な自己満足のメールを送って
不愉快な思いはされたくない。
・・・
・・
云々云々。
自己防衛本能の浅ましさとも戦いつつ、推敲すること幾十度・・(よくやる)
1年間でもっとも難しい作文の時間になるのである。
結構鍛えられますよ。腕に自信のある方やってみて。
それでも、捨てたものではない。
日頃、真面目な話などしたこともない。もっと言えば名刺交換しただけで
およそ話もしたこともないような方から、非常に深いご返事のメールをい
ただく場合がある。
2年ほど前に、アフガニスタンについて書いたら、一度もまともにしゃべったことのない、
それこそ挨拶だけの仕事上の知り合い(というか顧客筋)から、
アフガンに散った女性写真家、南條直子さんへの学生時代からの憧憬を深く書いた
感銘を受けるメールをいただき、すぐに図書館から南条直子さんの写真集を借りてきて、ようやくこの人の生涯について知り得たことがあった。
思いもかけない人から、こうして思いもかけない反応をいただけるとうれしく、
毎年この「困難な」試みを続けている。
ただ、日常のビジネス本位の人間関係に政治や宗教の話を持ち込まないというのは
日本だけの習慣なのか、欧米の実生活の中ではどうなのか、旅行しかしたことがない
僕にはわからないのだが、1年に1回くらいは、もう知り尽くしていると思われる
日常的関係の中に、ぽんといささか冒険的なテーマを持ち込んでみるのも、そう
無意味なことではないのではないか、と思う。
もっとも、少しシリアスなテーマで盛り上がったからといって、次に会うときから
その人と継続してそのテーマについて語り合う・・などという風にはなかなかいかない。
何となく照れてしまって、その話題を避けたり(笑)。
でも、そうしたやりとりをする前と後では、その人との関係が
どこか微妙に変わったような、不思議な空気がどこかに残っているのだ。
というわけでこれが今年最後のエントリーになりました。
今年の夏ごろからブログを始めて、毎日200人くらいの人に
来ていただけるようになるとは思わなかった。感謝。
ここまで読み継いでいただいた方々、ありがとうございました。
来年もよろしく。
2004 12 31 [日記・コラム・つぶやき] | 固定リンク | コメント (2) | トラックバック
December 30, 2004
戦うことの嫌いなあなたへ。
戦うことがいやだと、あなたが思ったとき、
すでにあなたの戦いは始まっている。
傷つけることがいやだと、あなたが思ったとき、
すでにあなたのどこかは傷ついている。
別れることがいやだと、あなたが思ったとき、
すでにあなたのどこかは、別れようとしている。
いつも、いつも。
あなたは、あなた自身に、
僕は僕自身に、置いていかれる。
夜空を見上げる時間さえ、与えられずに。
2004 12 30 [日記・コラム・つぶやき] | 固定リンク | コメント (9) | トラックバック
December 22, 2004
どんな人が羨ましい?

逃げない人
心の柔らかい人
季節の変化を知っている人
日沈と日の出を愛せる人
草花の名前をたくさん知っている人
怒るべきときしっかり怒れる人
自分だけ不幸だと思わない人
自分だけ幸せだと思わない人
貧し過ぎない人
豊か過ぎない人
人を心から好きになれる人
健康なのに病を知っている人
勝ち気だけれど妬まない人
平和を愛しているが戦うこともできる人
変化を嫌わない人
まだ終わりじゃないと思える人
嵐の夜も穏やかな気持ちでいられる人
感謝できる人
孤独と寂しさを知っている人
短気を起こさない人
目上に敬意は払っても媚びない人
美しいものを見つけるのがうまい人
窮地の友人を見捨てない人
不安な夜。闇の夜に一緒にいたい人
そして----
そういう人になりたいと一度でも願ったことがある、全ての人
2004 12 22 [日記・コラム・つぶやき] | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック
December 15, 2004
流星群-歩道橋の上から

ふたご座流星群は見逃してしまったが
何年か前、しし座流星群を見るために、1人で朝早く起きて
近所の歩道橋の上から、空を睨みつけていたことがあった。
その時も雲が空一面に広がっていて、それでも雲の隙間から沢山の
流星が飛び交うのを見ることができた。
しし座流星群はかなり話題になっていたので、歩道橋には何人か
人が集まってきて、みんな雲間の空を、僕と同じように一心に
睨みつけていた。飛び交う流星に時折歓声があがる。
1人で歩道橋の片隅にしゃがみこんで、何だか難しい顔をしながら
一心に空を眺めている人もいる。
友達と連れ合ってはしゃいでいる女の子もいる。
人が一心に、何の利益にも(笑)ならないもののために真剣に
同じ方向を寒さに震えながら、見上げているこの風景が、とても
好きだと寒さの中で思った。
僕の自慢の一つは、天文少年だったころの名残で、どんな季節に
おいても、どんな時間でも、空さえ見上げれば主だった星座や
星の名前がわかり、そして東西南北の方向がわかることだ。
空さえ見える場所なら、きっとジャングルの中でも道に迷わないと
思う。
今でも僕の使っているサーバやコンピュータにはその名残で
全て星や惑星の名前がついている。
育った都営住宅の屋上に、祖母に手伝ってもらい望遠鏡を出し
月や木星、金星、何億光年も先の星雲を息を凝らして眺めていた時代。
まだ女の子とつきあったことがない、遠い昔。
いつか好きな子と一緒に望遠鏡で星を眺められたらいいなどと甘い夢を
描いていたことを思い出す。
結局そんなロマンティックな(ある種非現実的な)経験はついぞし
たことがない。
いつでも1人で夜明けまで、丸い望遠鏡の視界を飽かず眺めていた。
歩道橋に上がってくる女の子の中には、無邪気に
「見えますか」
「どっちを見ればいいんですか?」
などと声をかけてくれる子がいる。
今夜ばかりは、見知らぬ誰かも、一緒に空を眺める仲間だ。
自信をもって星座の方向を教えてあげながら、
そんな夜は天文少年であった子供時代を密かに、そして少しだけ
誇りに思うのだ。
2004 12 15 [日記・コラム・つぶやき] | 固定リンク | コメント (7) | トラックバック
December 06, 2004
強風の去った後に--激しい風を知らずに眠っていた。

今朝方、東京は強風が吹き荒れたそうだ。目を覚ましてから聞いた。
観測史上でも最大の40メートルからの風だったというから、僕の家も
相当あおられて大きな音を立てていたらしい。
朝方眠る頃には確かに雨の音が激しく聞こえていたが、
その後眠ってしまった。
寝入りばなは眠りが深いようで、まったく気がつかなかった。
がっかりしたような、ほっとしたような気分である。
激しいものを知らずにやり過ごしてしまった。
期せずして。
12月だというのに、25度を越える気温を記録した東京。
温暖な冬は、良い傾向ではない。
今年連続に起きた自然災害が思い起こされて、何かが調子を
外しているのではないかと、不安な気持になる。
そんなことを思いながら西に向かって車を走らせた。
それにしてもこの青い空はどうだ。
美しい世界。美しい空。
もう少し、君のその深くて広い表情を覗き込んでみたい。
憂いはないかい?
そして迷いや悲しみは?
2004 12 06 [日記・コラム・つぶやき] | 固定リンク | コメント (2) | トラックバック
November 19, 2004
果たして「闇」は変わろうとしているのか?-「むぎ茶」と「ネオむぎ茶」と「電車男」

まだ2ちゃんねるが今ほど巨大ではなく、ITベンチャーが球団を買うなど
遠い未来でしかなかった、ネット世界の神話の時代。
「むぎ茶」というハンドルを持つ魔神がうごめいていた。
「むぎ茶」は決して媚びない、妥協しない、なじまない。
虚偽を見抜き、偽善に敏感でとてつもなくニヒルで露悪家。
それでいて、寸鉄人を射るような言語と頭脳の鋭さを持つ。
僕は今でも「むぎ茶」なるものが残した掲示板の書き込みを思い出すたびに
鳥肌が立つ。
そうだ。あの頃。渋谷に「ビットバレー」などという馬鹿げた呼び名が付き、
成金ぶった青二才が昨日あつらえたようなスーツで街を闊歩し始めた90年代。
ネットバブル前夜。
「むぎ茶」なるものは、悪のヒーローだった。
決して「むぎ茶」と闘ってはいけない。手を出してはいけない。
それはネットの世界になじみ始めた者には不文律だった。
なぜなら「むぎ茶」はあなたの心の中の「嘘」を見抜くからだ。
あたかも、あなたの心の中から現れた者のように
しかし、「ビットバレー」の嘘臭さが露見し始めた頃、「むぎ茶」は突然
姿を消した。
その名前が衝撃的な形で再び姿を表したのはあの時だ。
佐賀のバスジャック事件の「ネオむぎ茶」である。
2ちゃんねるに犯行を予告した彼の使ったハンドルは「ネオむぎ茶」。
あまりマスコミは報じなかったけれど明らかにあの悪のヒーロー、
「むぎ茶」を意識していた。
生きていく途中で、育っていく途中で、誰しも一度は悪に惹かれる。
それは「悪」は思い切りが良く、迷いがない(ように見える)からだ。
「バカはバカだ」「そんな奴は死んでしまえ」こう、口にするときの暗い
すがすがしさはどうだ。正義ぶってそれに反論しようと思えば、こうした
単純思考の連中に比べて何万言も費やさなければならない。
たどたどしく愛を説かなければならないし、誠実を、人としての倫理を
口にしなければならない。
そんなものは格好悪い。
奴らはそれを知っているのだ。
「むぎ茶」が「ネオむぎ茶」に伝えてしまった悪は、あのような最悪な形で
終末を迎えた。「むぎ茶」が色濃く持っていた、「誠実そうな不誠実を許さない
姿勢」や「本当そうに見える嘘を決して見過ごさない」姿勢はきれいに
フィルタリングされてしまい、いさぎよいかに見える「悪」だけが受け継がれた。
僕にとってあの佐賀のバスジャック事件はそういう事件だった。
さて、時が移って電車男である。
かつて悪の巣窟のように扱われた2ちゃんねる、むぎ茶やネオ麦茶が生まれた
その場所を舞台に、全く新しいタイプの純愛ドラマとして「電車男」は
現れた。
愛や恋の物語はいつでもあり、それには共通のオーソドックスなスタイルは
確かにあるのだけれど、電車男のスタイルの新しさは、かつて泥水のように
扱われ、某キャスターが「便所の落書き」とまで呼んだこの電脳の魔窟を
思いがけない明るい世界として21世紀に創出した。
果たして「闇」は変わろうとしているのだろうか?
電車男の誠実さ、ひたむきさ、それを応援する集団が作り上げていく恋愛の
理想世界は、この泥水のようだった闇世界を、少しでもまともなものに
見せるには、おそらく多大なる効果をあげることだろう。
僕のように、闇のネットを記憶し、「むぎ茶」のようなヒールの恐るべき
スタイリッシュな後姿を覚えている人間のほうが、少数派になっていくのかも
しれない。
そう言えば、「出会い系」という言葉も当初のいかがわしさをすっかり薄め、
反抗期を過ぎた子供のようにものわかりの良い笑顔で、あなたに親友のように
とりつく。
だが、思い出す。
「誠実そうな不誠実を許さないこと」
「本当そうな嘘を許さないこと」
そして
「決して妥協をしないこと。媚びないこと」
それをもしも、闇の世界の英雄の数少ない置きみやげだとするならば、電車男が
もてはやされる世界の、一皮剥いた裏側に、ひずんだ闇や残酷、不誠実は隠されて
いないか。口当たりのいい物語の余韻に酔うのは良いが、すっかり姿を変えた「闇」に
私たちはどう対峙するか。
村上春樹が「アフター・ダーク」で書いたよりもはるかに、この世界の闇は複雑に
姿を変えてあなたの後ろに潜んでいるのかもしれない。
このブログに来た人ならわかるはずだ。
まだまだ「悪意」は消えていないのである。
2004 11 19 [日記・コラム・つぶやき] | 固定リンク | コメント (2) | トラックバック
November 15, 2004
友へ---追悼の言葉
今となっては君の耳には届かないけれど、君の友人達に
読んでもらうことで、どこかでどのようにしてか、で
君に届くことを、不合理にも期待して書きます。
芝居を見に行かせてもらいにいく以外に何もできなかったけれど、
最後に告別式で君を見送ることができたのは僕の幸運だった。
久しぶりに見た君の顔はずいぶんとやせ細っていて驚いたけれど
告別式の弟さんのお話では、君は亡くなる最後の瞬間まで、僕達の
良く知っている「奇抜でやんちゃ」な君だったようで、それは
近しい人たちにとっては、大変なご苦労だったようだけれど、
今となっては、皆がみな揃って、滑稽なほど自分らしさを貫いて
走り去ってしまった君のことを、自分自身の生き方とどこかで
比較しながら。心に留めたと思う。
ただ、もっともっと君の芝居を見せてほしかった。
ところで、きっと君は気がついていたと思うけれど、あの君と
同様に「やんちゃでエキセントリックな」作家の小説に、君の
事が少しだけ出てくる。
君がいたときだったら、失礼で言及するのもはばかられたけれど
今だから許して欲しい。
作中に登場する、病に倒れたAを助けようとする
その人の言葉だ。
「わたしの前の夫は役者でした。彼の本棚にAさんの本があ
りました。彼の父が肺癌で闘病している最中に、一方的にわた
しが悪いんですが、夫と離婚したんです」
「なにかのため、だれかのためではなく、ひとにはこころか
らやってみたい、どうしてもしなければならないことがあると
思うんです。その気持ちだけはわかっていただきたいんです。
お願いです。ごいっしょさせてください」
読んですぐに「役者だった前の夫」とは君のことだとわかった。
授業になるとトレーニングウェアのまま稽古場から現れて、授業が
終わると足早にまた戻っていった君と話す時間は僕はあまりなかった
けれどAは確か君があの頃あこがれていた劇団の主宰者だったと
記憶している。
限られていたけれど、一緒に時間を過ごした人に、こういう風に
言ってもらえる君を、僕はあのときとても羨ましく感じて、また
その言ってもらえる相手が幸運にも自分の友人であったことにも
誇りを感じたよ。
シャイでカッコつけの君に直接こんな不躾な話をする機会は、今生でも
今生でも来世でも永遠にないだろうけれど、君を知っている人たちの
間で、そして君を心から惜しんでいる人たちの間で、君の思い出として
ほんの少し共有することを許してください。
心からご冥福をお祈りします。
そして、ありがとうございました。
2004 11 15 [日記・コラム・つぶやき] | 固定リンク | コメント (3) | トラックバック
November 11, 2004
死の格段の厳粛さに気づかぬ者は大バカである。
ようやく欝な検索用語の波が引いてきた。
ネットにはさまざまな人がいる。
僕のサイトにコメントを残された方で、この発言は聞き捨てならないと思うこと数知れず。
しかし大海のような人の数の前で、徒労感にすら襲われる。
香田さんの件では、我慢のならない無礼さが行きかっている。
バカをバカと言って何が悪いなどという単純思考からは
何も生まれない。1人でずっと言ってればよろしい。
おっと1人ではありませんでしたね。お仲間は結構たくさんいる。
それでもバカはバカだとおっしゃいますか。
ちょっと待ってください。そもそも我々はみなバカなんです。
あなたも、私も。
偏差値が75だか50だかという次元ではない。
一回、みんな愚かなものだというところから、一緒に出発してこそものを
考えていくことができるのである。
この混迷した世界をどうしていくのか、共通の認識から出発することができる。
世界に目を向けず、失敗したものをそしり、侮辱しあざ笑う。
この致命的な卑しさに気がつかない者がなんと多いことか。
近視眼的な卑怯者のあふれる国のはるかかなたでは
今日も無力な人々が死んでいく。
聞いてみたい。これらの国々はみなバカな国ですか。
ならば世界はずいぶんとバカな国々と、乱暴者の国と
そして卑怯者の国しか残らないことになる。
今日夕方、大学時代の友人の急死の報が入った。
彼も野放図で破天荒な人生を送って早逝した。
彼もバカかもしれない。
ただ、一つ言える事は、そんな彼であっても彼の死を冒涜するも
のがいれば、僕は許さないということだ。
死というものはそういうものだ。
運動会の勝敗や、模擬試験の勝ち負けではない。
ましてやディベートの材料でもないし、業界の重箱のような
重箱処世訓と一緒に語られるものでもない。
死の格段の厳粛さに気がつかずに世界を見逃して生きていく人を、
僕は大バカと呼ぶ。
2004 11 11 [日記・コラム・つぶやき] | 固定リンク | コメント (16) | トラックバック
November 08, 2004
最後に詫びて死んだ青年2-そんな言葉で検索するな。
この2-3日、Blogのアクセス数が爆発的に増えた。
本来は喜ばしいと思うべきかもしれないが、原因がはっきりしているので、素直に喜べない。
同輩よ、憂えよ。
この社会には、異国で非業に命を奪われた同胞の悲惨な死の映像を見ようと、おぞましき検索用語を打ち込み闇のインターネット世界を徘徊する輩の何と多いことか。その数も数十の単位ではない。
詳しくは言うまい。同種の現象を憂いているブロガーは多いだろうし、嘆いているのも僕だけではあるまい。
動機はさまざまなのであろうし、そうした関心のあり方の全てを批判するものでもない。
ただ、せめておぞましい検索用語やフレーズの羅列に深夜ひそかに心寒いものを感じているブロガーも多くいることを心に止めて忘れるな。
神もブロガーも見ているのである。
2004 11 08 [日記・コラム・つぶやき] | 固定リンク | コメント (1) | トラックバック
October 29, 2004
地が揺れる深い夜に3---君は生き抜いた
大地が揺れた幾日もの暗闇を君は生き抜いた。
なにものかの為す、想像もできないような大きな力。
それも君の命を奪うことはできなかった。
君はまる4日も、猛り狂う地の隙間に、じっと
潜んで生き抜いていた。
僕達はみな本当に驚いた。
小さな、小さな君のそのか細い体のどこに
こんな残酷で恐ろしい夜を生き抜く力が潜んでいたのかと。
君は忘れる必要はない。
この君の生き抜く強い力を。
君は忘れる必要はない。
おそらく最後の最後まで君を守ろうとした人が
いたことを。
僕はこう思う。
君がこれからすべきことは、同情されることでも
憐れまれることでもない。
君のその生き抜いた力を
君の周りの人たちに注ぐことだ。
君のその稀有の生命力を
この人の世界の隅々にまで注ぐことだ。
きっと君はそのために生き抜いたのだ。
2004 10 29 [日記・コラム・つぶやき] | 固定リンク | コメント (5) | トラックバック
October 27, 2004
地が揺れる深い夜に2---生き延びてくれた・・
良かった。良かった。
生き延びてくれていた。
でも、母親は駄目だったか・・
2004 10 27 [日記・コラム・つぶやき] | 固定リンク | コメント (1) | トラックバック
地が揺れる深い夜に---みんな生き延びよう
うーん、久々に仕事が詰まってしまって追っかけられている。
本当はこんな夜にも少しでも進めたほうがいいのだろうけれど、ついブログを更新したり、サイトをさまよったりしてしまう。
こんな暇があったら少しでも仕事をした方がいい・・・などと苦しみながら今夜も結局違うことに精を出してしまっている人、多いんだろうな。
昨日から死の話ばかりでちょっと暗くなっているけれど、新潟の地震でショックや過労で亡くなる人が増えているというニュースを聞いて、
人は本当に強いのか弱いのか、わからないなあと思ってしまう。
中には責任感が強く、1人で倒れた祖先の墓石を起こしたり、親類みんなの無事を確かめに走り回ったりしているうちに亡くなってしまわれた方の話もあった。
普段から病気もしなかったというから、責任感が強かったんだろうなあ。
あんな大災害のただ中に放り出された経験はないから、なんともコメントのしようはないけれど、
人という存在は
失意+過労+寝不足
というあたりを組み合わせて攻撃されると、参ってしまうものらしい。そしてもうひとつ、
意外と命取りになるのが責任感というやつで、これがあるが故に苦しむ結果になっている人は本当に多い。
失意+過労+寝不足+責任感→死?(うーん)
たとえが非常に悪くていけないかもしれないけれど、大災害にあったとき、あるいは振られたとき、失業したときでもいい。
おおまかに言うと二通りあると思うのだ。
自分をひたすら責めて責めて責めて、反省しまくる人。
全てが自分の努力の不足、至らなさに結びつけ、さらにはそこから立ち直らない自分にまた腹を立てる人。
そしてもう一つは、全てを周りや他人のせいにする人。無責任な人。
自分は努力せず、極端に言えば寝たまま事態がどうにかならないかと願う人。
人間の歴史を、どちらの人々が切り開いてきたかは明らかで、
おそらく人間性とか言う言葉で優劣をつければ、これも明らかだ。
でも思う。本当の強さというのはどちらにあるのだろう。
この場合の強さとは「生き延びていくこと」だ。
どんな時にも絶望しないで明日を目指すというのは、
普通に考えれば前者の人々なのだけれど、ぽっきりと災害地で折れてしまった方たちを見ると、考えてしまう。
何の尊敬も得られないかもしれないけれど、「無責任な人々」が生き残っていき、
それでいて地道に再建に貢献していく場合もあるのではないか。
華々しくはないけれどね。
こういう乗り越え方もあるのではないか。こういう生き延び方もあるのではないか。
そしてそれは決して悪いことばかりではない。
とにかく眠らないと人間は崇高も卑もない。まず眠ることだ。
自分を責めすぎないこと。虐めすぎないこと。
そしてとにかく生き延びることだ。生き延びていくこと。
生き延びてさえいれば大抵のことはどうにかなる。きっとなる。
途中で投げ出さないこと。そうしようよ。
みっともなくても、格好悪くてもね。
●山古志村緊急BLOG
●新潟中越地震 被災者救援本部@2ch †
2004 10 27 [日記・コラム・つぶやき] | 固定リンク | コメント (17) | トラックバック
October 15, 2004
ライブドアの肩は持ちたくないが-アダルトの何が悪い
堀江君は好きではないし、ライブドアという企業も好感が持てない。
株主から預かった金を、稼いだ金と称し、金儲けの本まで出して
しまう人が好きになれるわけないでしょ。
でも、でもである。
アダルトをやっていることが公共性に反するのか?
プロ野球のオーナーになるような企業はアダルトやっちゃだめなのか?
審査基準は
・参加申請書の妥当性、球団経営の継続性、安定性、発展性
・野球協約との整合性
・専用球場など施設能力、観客の需要
・選手、コーチ陣の確保の見通し(監督も含む)
・親会社と球団の経営状況の分析
・公共財としてふさわしい企業、球団か
公共財としてふさわしい企業お????
・日本最大の合法的暴力団とまで言われているYグループは
公共性があるのか?
・アダルトが公共性に反するというんなら、アダルトサイトに
サーバを納入しているN社、I社、その他諸々の会社。
ルアンダにカラシニコフを入れているようなもんだぞ。
ライブドアにもサーバ売らなきゃいいじゃないか>各社
・楽天は、青少年は見ることができないようにしている?
とか言われてるけど
http://item.furima.rakuten.co.jp/item/20933066/
↑
こういうのあるじゃないか。こういうのはアダルトじゃないのか?
みんな気取るのはやめようよ。
プロ野球ってそんなに神聖不可侵なのかい?
※酔ってるかな。今日
2004 10 15 [日記・コラム・つぶやき] | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック
October 02, 2004
QRコードBlog!-ははは。おもしろい。
めげるようなことが多い今日この頃。
久しぶりに笑わせていただきました。
QRコードBlog
僕の携帯は未対応だからぜんぜん読めないんだけどね。
つくった人偉い。
笑
#教えていただいたのは
このサイト。
ありがとうございました。
2004 10 02 [日記・コラム・つぶやき] | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック
September 09, 2004
苦悩の創作ー水上勉氏死去
もう何年前になるだろうか。
水上氏の創作の場を映像で紹介する番組があった。
氏は、ちょうど重度のスランプに陥って悩んでいた。カメラを意識することもなく
髪をかき上げながらうつむき、疲れきった表情で
「書けない・・まったく書けないんですよ、今・・」
とうめくように語っていた姿が忘れられない。
僕にとって、作家という職業のすさまじさ,
厳しさに、震撼した体験だった。
そんなにもこの番組が印象的であったのには理由がある。
氏と自分の家とは不思議な縁がある。
貧しく無名であった時代、氏は僕の祖母や伯母の住んでいた家の
近くに暮らしていた時代があった。
水上勉として名を成したことに、家族は驚き、昔の水上氏の思い出を
子供であった僕に語ってくれたことがあった。
そのときの氏に関するエピソードは、プライベートなことだから省くけれど
僕はこの、不思議な縁のある作家をどこか(変な話だが)誇りに思ってきた。
その「誇り」を、その真剣な氏の映像は裏切らなかったのだ。
今でもあの日の、髪をかきあげてうつむくしぐさと、
そして、どこか怖い闇の中を覗き込んでしまったような自分自身の
身震いするような感覚を思い出す。
テレビドラマ「飢餓海峡」の暗い衝撃も忘れられない。
荒れる津軽海峡。嵐の海。
あの厳しい風景は氏の創作の姿勢の厳しさとあわせて、僕は忘れることはないだろう。
安らかに眠られることを。
お疲れ様でした。
2004 09 09 [日記・コラム・つぶやき] | 固定リンク | コメント (3) | トラックバック
August 25, 2004
青山ブックセンター再開-こういうときに洋書を。
このサイトよりトラックバックしていただいたが
読売新聞ニュースによれば
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民事再生中の書店チェーン、青山ブックセンターの再建支援を表明している日本洋書販売は24日、同センターの基幹店だった青山本店と六本木店の営業を9月29日に再開すると発表しました。
六本木店では今月30日から、洋書など2万冊の再建支援フェアを行います。
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とのこと。六本木店の再建支援フェアで洋書の一冊も買ってみようか。
こういうときでないと洋書も手に取らないし。苦笑。
2004 08 25 [日記・コラム・つぶやき] | 固定リンク | コメント (1) | トラックバック
August 08, 2004
キリギリス
この空間が消える前に、写真を撮っておこう。そう思った。
僕の育ったのは都営住宅なんだけれど、もう築60年近くに
なる古い建物で、ようやく建て直しの決定がされ、今年から
少しづつ壊されることになった。
今では祖母が暮らしているだけだし、新しく建てられる建物に
はもう入らないと思うので、僕とその場所とのつながりは、建物
が壊されたときに終わりになると思う。
新しく建つ高層の建物は、同じその空間にあっても、僕が小さい
ときから遊んだその空間の記憶はもう伝えないだろう。
「そう考えれば、来年までで、この空間が閉ざされる。」
窓から部屋に吹き込む、涼しい風に吹かれてうたた寝をしている
祖母の横顔を見ていたら、そのシンプルな事実があらためて思い
起こされた。
すでに、住民の半数は他の場所に引越しをしているので、夜とも
なれば窓に灯る明りも少なく、しんとした寂しさがあたりを包む。
思えば夏の夜も涼しい風が南側の窓から、北側に開いた窓に
向け吹き通り、冷房が欲しいと思ったこともなかった。
そうした夏休みに、祖母はキリギリスをとりに毎日僕を連れ出した。
なぜか夏休みにはキリギリスを捕らえに行かなければならなかった。
それがこの家の夏休みの過ごし方だったのだ。
淺川の川沿いに茂るうっそうとした草むらに、捕虫網を持った
祖母に、虫かごをかかえた僕が続く。
キリギリスを捕まえる祖母の腕は本当に鮮やかで僕はいつも感心し
て見守っていたものだ。
捕らえたキリギリスは、夏中その声をこの小さな部屋に響かせて
くれた。やがて彼らの声が途切れ途切れになったころ、夏が
終わり秋が来る。その繰り返しだった。
祖母はそのころのことを覚えているのだろうか。小さくなった体
が、ゆっくりと風にあわせて息をする様子を見ながら思う。
思えば昔から、夏でも風がよく通る場所だったのだ。
君はこんな気持のよい風を知っているだろうか。
2004 08 08 [日記・コラム・つぶやき] | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック
August 03, 2004
青山ブックセンター再建へ-空気にも21世紀性が求められる
洋書販売の取り次ぎである洋販により再建の動きがあるという。
多くのファンを持つことが、今回あらためて判明した同書店だけれども、
ある意味では利用者にとって(一風変わってはいても)
「空気のような」存在であり、まさかこの書店がなくなる
可能性なんて想像していなかった人が多いのではないだろうか。
もっと言えば、あらためて話題になることも少なかったよね。
今回の出来事まで。
(それこそが問題になっていたのかもしれない)
教訓:空気も油断すれば、なくなることがある。(もちろん実際の空気もだ)
洋販が本当にこのユニークな書店を再建してくれることを祈るが、
実は経営状況が惨憺たる様相だったことが、今回明らかになったのも
事実。
この良質の空気を保ちながら、「生き残れる」書店に生まれ変われるか。
空気にも21世紀性が必要なのである。
2004 08 03 [日記・コラム・つぶやき] | 固定リンク | コメント (31) | トラックバック
August 02, 2004
三里塚で馬に乗った
ひょんなことから三里塚近くの乗馬学校で、2日間、馬に乗った。

10分に1回程度。指導員の声もかき消される、大音量の離陸。繰り返し。
遠い空のこの猛々しい鳥の振る舞いにも、本来臆病なはずの馬に動揺はない。悠然と並足を繰り返す。
人と馬とこの空は、三里塚の物語を確かに、確かに飲み込みつつある。
2004年夏である

2004 08 02 [日記・コラム・つぶやき] | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック
May 22, 2004
大塚である
大塚である。
大塚というところは、どうしていつも街をいじっているのに、何も変わらないのだろう。
この駅の南側、南大塚の友人の家の上にあるマンションに住んでいたのは
もう20年以上も前になる。
今日、知人の見舞いで久しぶりに駅に降りた。
ベッカーズは元気だったが、ドミノビルは相変わらずドミノビルであった。
出入りしていたこきたない24時間喫茶は、おしゃれな今風カフェに
変わっていた。
あの頃、自宅に小さな事務所を開き、会社を登記し仕事を始めた。
ファックスがないので近くのニコマートに行って取引先に
企画書の原稿を送った。
ファックスの隅に「ニコマート」の文字がいつも入っているので
「ニコチャン」とあだ名をつけられた。
80年代に栄華を極めた池袋に拠点を置くその取引先も
いまでは、普通のデパートになってしまった。
知人の入院しているのは都立大塚病院。いつの間にこんなきれいな病院ができたんだろう。
病室に行くと、既にベッドはきれいに整頓されていた。まさかっと思ったが
(こういうとき、テレビドラマだとさ・・ねえ?)
知人は既に今日の午前に退院した後だった。
まぬけである。
大塚はこの先変わることはあるのだろうか。
2004 05 22 [日記・コラム・つぶやき] | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック






















