May 19, 2008

「ハリウッド・スターとビルマの30日」---ハリウッドの人気俳優が語るビルマ

米国のビルマ民主化支援団体、米国ビルマキャンペーン(USCB)が5月1日から、ビルマ問題に関する新しいキャンペーンを開始した。これは、

「ハリウッド・スターとビルマの30日 ハリウッドの人気俳優が日替わりでビルマを語る!」

というタイトルで、30日間に渡って毎日、ハリウッドの人気俳優がビルマについての映像メッセージを発表するというものだ。ビルマ情報ネットワークでは、この映像を、日本語訳をつけて紹介しており、今日現在で8本(8日目まで)が掲載されている。
      

・1日目:ウィル・フェレルから皆さんへ
・2日目:ジェニファー・アニストンvsウディ・ハレルソン
・3日目:住めば都? ねずみがいても大丈夫~ジェイソン・ビッグス&ジェニー・モーレン
・4日目:サラ、白衣の天使になる?~サラ・シルバーマン
・5日目:テキサスの非現実、ビルマの現実~ジュリー・ベンツ
・6日目:若者・思い・喪失~エディ・イザード
・7日目: このゲームは一体~エリック・ズマンダ&ジョルジャ・フォックス
・8日目: 声

作品を見るとすぐに気がつくのは、さすがにハリウッドでありこの問題を正面からとらえるものだけではなく、問題の暗さが深刻であるにも関わらず、私たちに苦い笑いを誘うものまで、実に様々な表現方法がとられていて、ビルマの直面している様々な問題が実感できるようになっていることがわかる。正面からの政治的なスローガンは苦手であるという方も、ぜひ一度ご覧になっていただきたいと思う。

この中からいくつか紹介しよう。

●2日目:ビルマが自由になるまでは!?~ジェニファー・アニストン&ウディ・ハレルソン

 

ジェニファー・アニストンは、1994年から2004年まで全米で放送されたテレビドラマ「フレンズ」で一躍有名になり、その後は映画を中心に活躍中。日本では、2005年にブラッド・ピットと離婚したことで話題になった人である。






トレーラー(ロケ現場での控え室)からなかなか出てこない俳優を説得するため、ジェニファーはあることを約束します。そのあることとは? 

(トレーラーから男性(俳優)が出てくるのを待つ女性スタッフ。)

 女性スタッフ「マンディどうぞ。そう、もう3回もノックしたけど、出てこないのよ。水もかけられたし、ヘンプシード(麻の種)らしいものも投げられたし……いいわ、わかった、もう一回やってみる」

(トレーラーのドアをノック。中から大きな物音と犬のほえる声)

ジェニファー・アニストン「ちょっと、もう一体どうなってるのよ。私もう2時間も待ってるのよ。お金がかかりすぎてるわ。彼は一体なにがほしいの? 豆乳マテラテ(豆乳でマテ茶を割ったもののこと)? 何?」
女性スタッフ「カフェインの問題じゃなくて……」

ジェニファー「そう、じゃあ何か化学物質のせいで呼吸ができないとでも?」
女性スタッフ「エアコンは止めた……」
ジェニファー「そう、エアコンは止めたと。じゃあ何が問題なのよ?」

トレーラーの男性「ビルマが自由になるまでは出ていかないぞ!」

ジェニファー「ええ? ビルマ? それだけ? そんな簡単なことだったなんて! だったら大丈夫。もうできたも同然! じゃあ私が、その……ビルマ? を何とかしておくから、その間に……あと5分くらいで……

(男性、首を振ってドアを閉める)

ジェニファー「了解。じゃあ、あなた今の聞いたわね、だから言われたとおりにして、ビルマを自由にしてきてよ。お金はいくらかかってもいいから。いいわね?」

残された女性スタッフ「ビルマってどこにあるのよ?」

(日本語訳:ビルマ情報ネットワーク 秋元由紀 )

この作品がユニークなのは、ジェニファー・アニストン自身が、決して正当なビルマ論を唱えるのではなく、役柄とは言え、むしろ全くこの問題がわかっていない、実にトンチンカンな女優として自ら出演していることである。彼女自身が道化を演じることで、逆に見る側に自分自身の無知だとか、意識の足りなさを思い起こすような構成になっている。言うはた易いが、実際には誰もがこの問題に関しては正義を訴えたいはずなのに、自身が道化を演じるとは、なかなかできないことではないだろうか。ある意味でのハリウッドの「懐の深さ」が感じられる作品だと思う。

他にも2例ばかり紹介しておこう。


●7日目: このゲームは一体~エリック・ズマンダ&ジョルジャ・フォックス

人気テレビドラマ「CSI:科学捜査班」の主演2人、エリック・ズマンダとジョルジャ・フォックスが、あるゲームをするというもの。ゲームは次第にジョルジャの表情を凍らせていく。


エリック: 新しいゲームやってみる?
ジョルジャ:  いいわよ。

エリック: 「強制労働」っていうゲーム。僕はビルマ軍の兵士役。
エリック: 君は、ビルマの市民ね。
エリック: まず、僕は君の奥さんを殴ってレイプする。
エリック: 次に、君の子どもを殺す。
エリック: そして、君の村を焼き払う。
エリック: それから君は僕の荷物や弾薬を持って何日も歩き、君の足は傷つき血だらけになる。食べ物ももらえない。そして歩くときは君が先に行くんだ。つまり地雷があったら、まず君が踏むことになるわけ。
エリック: 具合が悪くなって歩くのが遅れたら、殴ってやる。
エリック: 逃げようとしたら殺す。
J: どうして私がビルマの市民役じゃなきゃいけないの?
エリック: 不法な軍事政権が指導力を握ってからは、君に選ぶ余地はないんだ。
ジョルジャ: 私、このゲーム嫌い。
エリック: 好きな人なんていないよ。

(日本語訳 大垣俊朗 秋元由紀 )


●8日目: 声

他のものとは異なり、映像でビルマ軍政下の自由のない「耳を奪われた」生活を告発するもの。言葉よりもむしろ映像の力で見せているところが特徴的。顔を覆われたカットの連続がかなり刺激的。




       

人はみな、耳を傾けてほしいと思う声を持っています。

ビルマ軍政は国民を押し黙らせています。
私たちが声を合わせれば、軍政の抑圧を止めることができます。
100万人の運動に参加しましょう!


今後も、シルベスター・スタローン、アンジェリカ・ハストン、シェリル・クロウなどが参加する予定だという。

& nbsp;

2008 05 19 [ビルマ] | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック

May 10, 2008

ビルマ・サイクロン被災者緊急支援窓口リンク集(転載歓迎)

ビルマサイクロン被害緊急支援窓口リンク集です。一部を除き、クレジットカードやPayPalでの送金が可能。

●日本ビルマ救援センター( ビルマ情報ネットワークメールマガジンより転載)

大型サイクロンの直撃で死者数が2万2980人、行方不明者が4万2119人
(7日軍政発表)に達したビルマへ、世界各国からの緊急援助物資が到着し、国連 世界食糧計画(WFP)など一部国際機関の現地事務所やミャンマー軍事政権に よる被災者支援活動が始まりました。しかし、国外の国連救援スタッフには入国 許可が出ないなど、限定的な支援にとどまっています。

日本ビルマ救援センター(BRCJ)では本日よりビルマ国内の被災者への支援基金 を募らせていただきます。皆さまからの善意の基金が、決して軍政の手に渡らず、 一般の市民を救済する方法をここ数日探してきました。日本ビルマ救援センター の創設者であり、現在仏教救援協会の代表であるカワサキ ケンさんが寺院を通 じての支援基金を開設しましたので、BRCJで集めさせていただいた支援金はこち らに送らせていただきます。

BRCJ(日本ビルマ救援センター)への送付方法
支援金振込先:
○郵便振替:00930-0-146926 BRC-J
○りそな銀行 金剛支店(普通)6553928 日本ビルマ救援センター

************************************
ビルマ・サイクロン被災者緊急支援基金

5月3日(土)ビルマを襲ったサイクロンで、6万人以上が亡くなり、
少なくとも百万人が家を失いました。
多くの人びとは仏教寺院に避難しています。
(以下のURLのサイトに写真があります)
仏教救援協会ではいくつかの支援依頼により、サンガを通じて支援を送るネット ワークを設立しました。すべての基金は直接、確実に寺院に届き、そこに避難し ている人々に分けられます。
ご寄付を希望される方は、こちらのサイトで行うことができます。
http://www.brelief.org/cyclone/cyclone_relief.html
ありがとうございます。

ケン、ヴィサカ

Emergency relief assistance for victims of the cyclone in Burma

We are sure that you have been reading and seeing the news of the
cyclone which struck Burma on Saturday, May 3. the latest report is
that more than 60,000 people were killed. At least one million are homeless.

Many have taken refuge in Buddhist monasteries.

In response to several requests, Buddhist Relief Mission has
established a network among the Sangha to send relief assistance into
Burma. All funds will go directly and safely to monasteries and to
the destitute being sheltered in them.

If you would like to make a donation, you may do so at this site.
http://www.brelief.org/cyclone/cyclone_relief.html
Thank you very much.

With metta,
Ken and Visakha


セーブ・ザ・チルドレン・緊急援助基金

ミャンマー・サイクロン災害緊急支援の活動へのご寄付。
口座番号 00980-7-57019
加入者名 セーブ・ザ・チルドレン・緊急援助基金
※通信欄に「ミャンマー・サイクロン」とご記入ください。

    • 振込手数料は5月13日(火)より無料です。但し、この口座を通じてお振込みいただく場合には、必ずゆうちょ銀行(旧郵便局)窓口で手続きをし、払込手数料が無料の口座であることをお申し出ください。
    • 領収書ご希望の方は振込用紙通信欄にその旨ご記入ください。
    • 当団体へのご寄付は、特定公益増進法人に対する寄付金として、一定の要件の下に税金控除の対象となります。

●国際NGOワールドビジョン

http://www.worldvision.jp/material/news_0042.html?banner_id=ggl&gclid=CJagm8mUm5MCFRQsagodUEmpwA

●日本ユニセフ協会

http://www.unicef.or.jp/kinkyu/myanmar/2008.htm

●特定非営利法人グッドネーバーズジャパン
http://www.gnjp.org/reports/rpt-myanmar-cyclone-01.html?gclid=COH1x8SVm5MCFQY_agoduhaBww

2008 05 10 [ビルマ] | 固定リンク | コメント (1) | トラックバック

ビルマ国民投票 当局による不当な圧力・脅迫行為の例 (転載歓迎)

サイクロンによる、ビルマ史上空前の大災害の混乱の中、ミャンマーの新憲法案の賛否を問う国民投票が強行されている。

投票は午後4時(日本時間同6時半)に締め切られ、開票作業に入 る。サイクロンの被害が大きかったヤンゴン、エヤワディ両管区の一部地域では24日に投票が行われ、その後、結果が公表される見通し。軍事政権は圧倒的多 数の賛成による承認を目指しているが、被災直後の投票強行には強い批判が出ており、投票に影響を与えそうだ。
 旧憲法は1988年の国軍によるクーデターで停止された。ミャンマーで投票が行われるのは90年の総選挙以来18年ぶり。僧侶ら宗教関係者を除く有権者の過半数の投票で国民投票は成立。総投票の過半数の賛成で新憲法案は承認され、2010年に総選挙が行われる。  【バンコク10日時事】

以下にビルマ情報ネットワークが英語資料等からまとめた、「ビルマ国民投票 当局による不当な圧力・脅迫行為の例 」を転載。

※オリジナルを確認していただければニュースソースはわかると思いますが、判断の上転載を歓迎・推奨します。その際には、末尾の配布条件に従ってください。

ビルマ国民投票 当局による不当な圧力・脅迫行為の例
http://www.burmainfo.org/politics/referendum-govt-pressures200805.html

ビルマ情報ネットワークまとめ
2008年5月7日現在
*以下、日付はすべて2008年


ミャンマー軍政、公務員に賛成投票を強制、反対投票したければ辞表を出せ、と脅す
当局の監視下で投票用紙に記入させられる
ロイター(5月2日)[一般]
http://www.burmanet.org/news/2008/05/02/reuters-myanmar-forces-civil-servant
s-to-vote-for-charter-aung-hla-tun/

タイ国境近くのミャワディで期日前投票、既に記入済みの投票用紙の配布も 公務員
には賛成投票を命じる
イラワディ(4月30日)[カレン州]
http://www.irrawaddy.org/highlight.php?art_id=11683

ラングーンの美容院など100店の所有者、反対投票をしたら店舗閉鎖命令を出すと
当局に脅される
DVB (4月30日)[ラングーン]
http://english.dvb.no/news.php?id=1169

軍政がこの3日間で活動家70人を逮捕、とビルマ政治囚支援協会 シュエダゴン・パ
ゴダなどで
ミジマ(4月29日)[一般]
http://www.mizzima.com/news/ins ide-burma/4-inside-burma/391-7 0-activists-arr
ested-in-3-days-aapp

軍政、賛成票を動員するために脅迫や不当な圧力を利用 投票結果も最終集計結果の
みをネピドーから発表(各投票所での集計結果は公表されない)
ミジマ(4月28日)[一般]
http://www.mizzima.com/news/inside-burma/4-inside-burma/371-junta-adopts-dub
ious-means-to-win-support-for-constitution

マグエー管区で教師が期日前投票しようとしたら、既に本人に代わって賛成票が投じ
られていた
DVB(4月28日)[マグエー管区]
http://english.dvb.no/news.php?id=1158

軍政は賛成票を組織するため不正行為を働いている、と国民民主連盟(NLD)
AFP(4月25日)[一般]
http://www.burmanet.org/news/2008/04/25/afp-suu-kyi-party-says-myanmar-junta
-trying-to-force-yes-vote/

ビルマ当局、国民民主連盟(NLD)の青年部メンバーに脅迫や警告
DVB(4月25日)[一般]
http://english.dvb.no/news.php?id=1155

軍政当局、ラングーンの工場労働者に「一人3票」の賛成票を入れるよう指示、すで
に「投票済」
DVB(4月25日)[ラングーン]
http://english.dvb.no/news.php?id=1154

チン州で軍政当局が「民主化してほしいなら『賛成投票』を」と住民に呼びかけ 講
習会を開き「賛成」を「正しい投票方法」だと教えた例も
ミジマ(4月25日)[チン州]
http://www.mizzima.com/MizzimaNews/News/2008/April/60-April-2008.html

シャン州東部で軍政が中国国籍の住民に身分証明書を発行 国民投票での投票を期待

シャン・ヘラルド・ニュース(4月25日)[シャン州]
http://www.shanland.org/politics/2008/junta-issues-id-cards-to-chinese-citiz
ens

国民投票に関して報道の自由がない、と国境なき記者団 軍政は憲法案に反対する運
動の報道を禁止
AFP(4月24日)[一般]
http://www.burmanet.org/news/2008/04/24/afp-no-press-freedom-for-myanmar-con
stitution-vote-rsf/

軍政が公務員に「憲法案に賛成しなければ解雇」と脅している、と国民民主連盟
(NLD)その他の脅迫為も 賛成しなければ農民の土地を接収、学生は退学に
イラワディ(4月24日)[一般]
http://www.irrawaddy.org/article.php?art_id=11530

当局がラングーンやマンダレーの国民民主連盟(NLD)党員の自宅を襲撃、投石も 
国民投票で反対投票を呼びかけるキャンペーンを始めてから悪化
イラワディ(4月24日)[ラングーン、マンダレー]
http://www.irrawaddy.org/article.php?art_id=11530

ビルマ 国民投票で反対票を投じる運動の報道が禁止される
国境なき記者団(4月24日)[一般]
http://www.rsf.org/article.php3?id_article=26694

アラカン州でムスリム住民に「賛成」投票を促す 賛成すれば市民としての身分証明
書を発行すると約束
ナリンジャラ(4月23日)[アラカン州]
http://www.burmanet.org/news/2008/04/23/narinjara-news-national-id-cards-for
-muslims-in-arakan-state/

インド・ニューデリーのビルマ大使館でも期日前投票が始まる 反対票を入れたら報
復があるのではないかという懸念を持つ人も
ミジマ (4月22日) [海外]
http://www.mizzima.com/MizzimaNews/News/2008/April/47-April-2008.html

シャン州民族南部で当局が国民投票についての講習 憲法案を支持しなければ民主化
はない、と賛成票を促す
シャン・ヘラルド・ニュース(4月21日)[シャン州]
http://www.shanland.org/politics/2008/junta-says-no-democracy-without-suppor
t-for-draft-charter

シャン州北部では 反対票を入れたら身元がばれるかについて住民が懸念
シャン・ヘラルド・ニュース(4月21日)[シャン州]
http://www.shanland.org/politics/2008/voters2019-worry-will-officials-be-abl
e-to-track-us-down

ラングーンでの商人らが「NO」の文字の入ったTシャツを回収 憲法案に反対する動
きを警戒する当局からの報復を恐れ
ミジマ(4月21日)[ラングーン]
http://www.mizzima.com/MizzimaNews/News/2008/April/46-April-2008.html

カチン州では当局関係者が「賛成」などのロゴ入りのTシャツを着て賛成投票を呼び
かける
ミジマ(4月21日)[カチン州]
http://www.mizzima.com/MizzimaNews/News/2008/April/44-April-2008.html

軍政の宗教副大臣がチン州南部を訪問、賛成票投票を促す
Khonumthung News(4月21日)[チン州]
http://www.burmanet.org/news/2008/04/21/khonumthung-news-thura-aung-ko-campa
igns-for-referendum-in-western-burma/

軍政、憲法案に反対する勢力への締め付けを強化 水かけ祭り以来、シットウェでは
約60人が逮捕される
ロイター(4月21日)[アラカン州]
http://www.burmanet.org/news/2008/04/21/reuters-myanmar-arrests-keep-pressur
e-on-no-campaign-%e2%80%93-aung-hla-tun/

海外在住のビルマ人でさえ「反対票」投票を恐れる
アジア・ニュース(4月21日)[海外]
http://www.burmanet.org/news/2008/04/21/asia-news-even-abroad-burmese-afraid
-to-vote-%e2%80%98no%e2%80%99-in-referendum/

カチン州ミッチーナで 軍政当局が憲法案を支持する住民のリストを作成
カチン・ニュース・グループ(4月17日)[カチン州]
http://www.kachinnews.com/index.php?view=article&catid=36%3Apolitics&id=81%3
Ajunta-compiles-list-of-illiterate-citizens-in-myitkyina&option=com_content&
Itemid=59

チン州で軍政、村長らを国民投票の運営についての訓練に強制的に参加させ、憲法案
を支持するという誓約書に署名させる
Khonumthung News (4月17日) [チン州]
http://www.khonumthung.com/kng-news/2008-news-archive/april-2008/constitutio
nal-training-for-government-employees

軍政、シットウェで軍政の憲法に抗議するデモ参加者約20人を逮捕 ヤンゴンでは国
民民主連盟(NLD党員でアウンサンスーチー氏側近の男性も逮捕される
ストレーツ・タイムズ経由AFP(4月15日)[アラカン州、ラングーン]
http://www.straitstimes.com/Latest+News/Asia/STIStory_227575.html

軍政、スーチー氏の側近を逮捕
ガーディアン(英国)(4月15日)[アラカン州]
http://www.guardian.co.uk/world/2008/apr/15/burma

軍政、カチン州で投票者名簿に未成年市民も加える
カチン・ニュース・グループ(4月14日)[カチン州]
http://www.kachinnews.com/index.php?view=article&catid=36%3Apolitics&id=71%3
Ajunta-includes-underage-people-in-voters-list&option=com_content&Itemid=59

軍政、アラカン州で国民投票運営について講習を開く 地元当局や連邦連帯発展協会
(USDA)など向け
カラダン(4月12日)[アラカン州]
http://www.kaladanpress.org//index.php?option=com_content&task=view&id=1273&
Itemid=2

軍政、国営紙で憲法案を支持するよう国民に呼びかけ
ミジマ(4月11日)[一般]
http://www.mizzima.com/MizzimaNews/News/2008/April/34-April-2008.html

アラカン州の 国民民主連盟(NLD)党員が逮捕される 国民投票についてのNLDの声
明を手にしていたため
ナリンジャラ(4月11日)[アラカン州]
http://www.burmanet.org/news/2008/04/11/narinjara-news-nld-member-arrested-f
or-statement/

シャン州の多くの郡で、当局が住民に憲法案支持を命じる 反対する者がいたら逮捕
するなどと脅す
シャン・ヘラルド・ニュース(4月11日)[シャン州]
http://www.shanland.org/politics/2008/many-townships-forced-to-support-the-d
raft-constitution

アラカン州で当局、「反対票」を入れないよう住民に警告 反対票を入れれば多大な
苦難が待っていると脅すカラダン(4月11日) アラカン州
http://www.burmanet.org/news/2008/04/11/kaladan-press-network-junta-authorit
ies-warn-villagers-not-to-cast-%e2%80%9cno%e2%80%9d-vote/

国民民主連盟(NLD)、国民投票への国際監視団を求める 憲法案への反対を呼びか
ける活動家への襲撃が続いていることを指摘
ロイター(4月10日)[一般]
http://www.burmanet.org/news/2008/04/10/reuters-myanmar-crackdown-on-no-camp
aign-begins-opposition-%e2%80%93-aung-hla-tun/

シャン州で 当局関係者が国民投票についての説明会で「賛成」投票のやり方だけ教
える
シャン・ヘラルド・ニュース (4月10日)[シャン州]
http://www.shanland.org/politics/2008/no-way-for-voters-in-tachilek-to-expre
ss-his-wish-secretly

インセイン刑務所に収容されている僧侶に、一般市民としての身分証明書を発行 国
民投票で投票させるため 全ビルマ僧侶連盟のガンビラ師談
DVB(4月9日)[ラングーン]
http://english.dvb.no/news.php?id=1131

軍政、国民投票スタッフにハンドブックを配る 票数は投票所で数えるが、合計数は
公表しないと規定
DVB(4月9日)[一般]
http://english.dvb.no/news.php?id=1130

ラングーン・フラインタヤー区で国民民主連盟(NLD)関係者(50)がオートバイに
乗った2人組に襲われ、20針も縫うけが 民主化活動家が襲われるのは3人目
DVB(4月7日)[ラングーン管区]
http://english.dvb.no/news.php?id=1119

アラカン州マウンドー郡当局、18歳以上のロヒンギャ民族女性に憲法案を支持する
よう圧力 賛成票を入れれば移動や結婚の制限をなくす、と
カラダン(4月7日)[アラカン州]
http://www.burmanet.org/news/2008/04/07/kaladan-news-girls-threatened-asked-
to-support-draft-constitution/

民主化活動家が軍政寄りの暴漢に襲われる事件が続く
イラワディ(4月4日)[一般]
http://www.irrawaddy.org/article.php?art_id=11287

検閲局、国民投票関連の報道を制限 報道する場合には厳しい規則
DVB(4月4日)[一般]
http://www.burmanet.org/news/2008/04/04/democratic-voice-of-burma-censors-re
strict-media-reporting-on-referendum/

ビルマ当局、憲法案に反対する勢力への弾圧を強める 活動家の逮捕を米国務省が非
難 
イラワディ(4月3日)[一般]
http://www.irrawaddy.org/article.php?art_id=11271

軍政寄りの暴漢が国民民主連盟(NLD)党員ら民主化活動家を襲う事件が相次ぐ
イラワディ(4月2日)[一般]
http://www.irrawaddy.org/article.php?art_id=11250

インセイン刑務所で当局が「国民投票で『賛成票』を入れれば刑を軽減する」と誘う
DVB(4月2日)[ラングーン]
http://english.dvb.no/news.php?id=1104

国民民主連盟(NLD)のラングーン・フラインタヤー区議長が何者かに襲われ重傷
ミジマ(4月1日)[ラングーン]
http://www.mizzima.com/MizzimaNews/News/2008/April/03-April-2008.html

軍政、「試験の成績が悪かった者は、賛成投票を入れれば合格にする」などの手法 
脅しも
DVB(3月31日)[アラカン州]
http://english.dvb.no/news.php?id=1094

アラカン州で軍当局が国民投票に備えて翼賛団体などに軍事訓練を施す
ナリンジャラ(3月28日)[アラカン州]
http://www.burmanet.org/news/2008/03/28/narinjara-news-military-trains-for-r
eferendum/

シャン州で国民投票の予行演習 賛成票以外を入れたら禁固刑か罰金、と脅される
シャン・ヘラルド・ニュース(3月24日)[シャン州]
http://www.shanland.org/humanrights/2008/forced-donations-for-id-cards

国民投票で「反対票を入れよう」という動きが勢いを増す 各地で呼びかけ
イラワディ(3月20日)[一般]
http://www.irrawaddy.org/article.php?art_id=11037

シャン州東部で 軍政当局、憲法を支持するよう各家を回って住民を説得、脅迫 
「反対したら憲法上の権利すべてを失う」などと
シャン・ヘラルド・ニュース(3月19日)[シャン州]
http://www.shanland.org/politics/2008/junta-authorities-coax-threaten-civili
ans-to-support-charter

軍政、国民投票で「賛成票を入れろ」と政府職員らに指示 憲法草案は非公開のまま
イラワディ(3月17日)[一般]
http://www.irrawaddy.org/article.php?art_id=10924

マンダレーで国民投票の投票所役員になる人々を一方的に指名 指名した人に「賛成
票をなるべく多く取るように」と指導
http://www.mizzima.com/MizzimaNews/News/2008/Mar/47-Mar-2008.html

軍政、住民に国民投票で賛成投票するよう働きかけろとラングーン管区当局に命令
イラワディ(3月12日)[ラングーン管区]
http://www.irrawaddy.org/article.php?art_id=10824

イラワディ管区ニャウンドン郡で当局が国民投票に反対している住民を特定、リスト
を作成
DVB(3月3日)[イラワディ管区]
http://english.dvb.no/news.php?id=1015

国民投票について発言した3人が逮捕される ラングーンの市場で
イラワディ(3月3日)[ラングーン]
http://www.irrawaddy.org/article.php?art_id=10673

国民投票で「反対票」が有効とされるかについて疑問の声
ミジマ(3月3日)[一般]
http://www.mizzima.com/MizzimaNews/News/2008/Mar/02-Mar-2008.html

軍政の国民投票関連法 国民投票に反対したら禁固刑、僧侶や尼僧は投票禁止
DVB(2月28日)[一般]
http://english.dvb.no/news.php?id=1009

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配布元: BurmaInfo(ビルマ情報ネットワーク)
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※BurmaInfoでは、ビルマ(ミャンマー)に関する最新ニュースやイベント情報、
参考資料を週に数本配信しています。
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・再配布と転載は、原則として出典明記の上で自由に行ってください。
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2008 05 10 [ビルマ] | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック

May 06, 2008

ビルマのサイクロン被害は死者15,000人以上の大惨事に

ビルマを襲ったサイクロンは、当初の死者350人程度という予想を大きく外れ、今日まで、10万人以上が家を追われ、少なくとも1万5千人が亡くなったという、想像を超える大災害となっている。
被害状況などを知らせる情報をまとめてみた。なお、10日に予定されていた憲法の国民投票は被害地域に関してのみは24日に延期されたということであるが、指定地域以外では予定通り投票を強行すると軍政は発表している。

サイクロン被害の状況(2008年5月6日)
http://www.burmainfo.org/relief/CyclonNargis_20080505.html

5月3日に大型サイクロンがビルマに上陸し、最大都市ラングーンやイラワジ・デルタ地域全域、バゴー(ペグー)管区、カレン州、モン州で大きな被害が出た。ラングーンでは家屋の半数近くが破壊され、屋根が吹き飛ばされた家屋も多い。特に被害が大きかったのはラングーンのフラインタヤー、シュエピタ、ダゴンミョーティッ北、ダゴンミョーティッ南の各地区。イラワディ(エーヤワディー)管区ではチャイラッ郡とラップッダ郡が壊滅的な被害を受けた。ハインジー島では10万人近くの住民が住居を失った。
ピャーポン郡ピンシー村では住民3000人のうち少なくとも2000人が行方不明とのこと。軍政は4000人が死亡したと発表したが、実際の死者数はもっと多いと見られる。(ビルマ情報ネットワークによる注(以下の注釈も同様):なお軍政のニャンウィン外相は6日、国営テレビを通して、全体の死者数は最低1万5千人であり、エーヤワディー管区ボーガレーだけで死者1万人と発表した。)
(配布元: 配布元: BurmaInfo(ビルマ情報ネットワーク)
http://www.burmainfo.org

軍政の非民主的支配により、現在では世界の最貧民国にも数えられるビルマの住民たちには、さらなる打撃となっているようだ。深刻な米不足も懸念される。

ラングーンでは多数が住居を失い、飲料水や電力の供給も途切れている。電気や電話が再び通じるようになるまでに数週間かかると見られる。
イラワジ・デルタ地域はビルマで主要な米の生産地で、サイクロンに襲われたのは米の収穫期直前だった。このため深刻な米不足が起きると予測される。日用品の値段も既に2~3倍に上がった。(注:現地からの情報では、首都ヤンゴンのガソリン価格は1ガロン(約3.8リットル)あたり2万チャット(2千円)を突破している。リットル計算では5000チャット(500円)を超えている。これはサイクロン前の約10倍にあたる。)
(同上)

また、インセイン刑務所ではパニックになった囚人に軍が発砲し、36人が死亡したという。

刑務所の一部で被害が特にひどかったため、約1000人の囚人が刑務所内の第一ホールに集められた。外から鍵をかけられ、どこにも行くことはできなかった。
囚人らは雨でぬれて寒かったため、火を起こして暖を取ろうとした者がいた。不幸なことに、この火から大量の煙が出て、火は消えたが囚人らがパニックに陥った。状況は悪化し、無秩序状態になった。これに対応するため、ビルマ軍兵士や暴動鎮圧隊が出動し、ホール付近で囚人に向けて発砲した。36人が死亡し70人がけがをした。(同上)

日本政府の動きとしては下記。緊急援助の額は2800万円となっている。

政府は6日までに、死者が1万5000人にも達するなどサイクロンで大きな被害を受けている ミャンマーに対し、テント330張、発電機50機(計約2800万円相当)の緊急援助を行うことを決めた。
シンガポールの備蓄倉庫から拠出し、7日に現地に物資が届く予定。 緊急援助はミャンマー政府が要請した。日本政府は、人権抑圧を理由にミャンマーへの 政府開発援助を絞っているが、今回は緊急性と人道的観点から支援が必要と判断した。 (
http://www.jiji.com/jc/c?g=pol_30&k=2008050600204

※また、日本ユニセフ協会は ミャンマーで発生したサイクロンによる被害を受けた子どもたちを支援するため、50万ドル(約5200万円)を緊急支出することに決定したという。募金の窓口は下記。

http://www.unicef.or.jp/children/children_now/myanmar/sek_my06.html

【その他ビルマの被害状況を伝えるリンク】

サイクロンの被害に関する写真・データ:

・ミャンマーのサイクロン被害(毎日新聞)
http://mainichi.jp/select/world/graph/myanmarcyclone/index.html

・サイクロン被害の惨状(BBC、英語)
http://news.bbc.co.uk/2/hi/in_pictures/7383733.stm

・サイクロン・ナルギスの被害状況 (ニューヨーク・タイムズ、英語)
http://www.nytimes.com/slideshow/2008/05/05/world/0505-MYANMAR_index.html

・ニューヨーク・タイムズ:サイクロン被災地と初期被害に関する図(英語)
http://www.nytimes.com/interactive/2008/05/05/world/asia/20080505_MYANMAR_GR
APHIC.html

・ReliefWeb:被災状況に関する地図資料ほか(英語)
http://www.reliefweb.int/rw/dbc.nsf/doc108?OpenForm&emid=TC-2008-000047-MMR&
rc=3

2008 05 06 [ビルマ] | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック

May 04, 2008

ビルマ、パゴダの影で-----ビルマ憲法国民投票を間近にして

Pagoda_4

ゴールデンウィークに暗い話に触れたくはない。触れたくない気持ちはわかるのだけれど、それにしてもあまりに小規模な催しだった。5月2日に「ビルマ、パゴダの影で」を上映した渋谷のApple Linkは、確かに小さな小屋だったけれど、その小さな小さなスペースですら、空席が目立ったのである。

スイスのジャーナリスト、アイリーヌ・マーティがこの映画を撮影したのは2004年である。当時、この映画で取り上げたビルマ、タイの国境付近に追いつめられた少数民族の苦境に対して、世界は全くの冷淡だった。アイリーヌは、ビルマの観光映画を撮りたいと偽ってこの国に入り、幾重もの軍事政権に対する警戒心をくぐりぬけて、特にカレン、シャン、ロヒギンジャーを中心にした少数民族の受けている、ビルマ国軍による徹底した弾圧の実態を世界に伝える役割を果たした。

ビルマの反軍政勢力と言えば、アウンサンスーチーを精神的主柱とする国民民主連盟(National League for Democracy; NLD)をまず思い起こすが、この映画には、アウンサンスーチーも、NLDも全くと言っていいほど紹介されない。この映画での主役である、少数民族からすれば、NLDもまた、ビルマ族の反政府権力の一つにしかすぎないのである。彼らの直面している苦難は、その次元を異にする。軍政の目指すところは、ナチスの目指したユダヤ民族に対するところのふるまい、徹底した民族浄化にあるのであり、村々は何の合理的な理由もなく焼き払われ、ジャングルの奥に追われる。たどり着いた場所もまたいつかは焼き払われる。国境を越えてタイ側に逃げ込む少数民族の難民の数は100万とも言われているが、国際社会は今なお、彼らを救う「功利的な」理由を見い出せずにいる。

連休で賑わう渋谷の街角にあって、この彼方の少数民族の少女たちの涙、少年たちの涙、親を理由なく参殺されたビルマ国軍に対する徹底した復讐心の絶望感は、ひたすら空気中で孤立していた。

Pagoda2

手法として、疑問の点は多々ある。その陥りやすい報道の死角については、上智大学の根本敬教授により、解説のパンフレットに明らかである。それにも関らず、この映画の淡々とした、あまりに演出が施されていない素の映像に見るところは大きい。ビルマの抱える問題のただ事ならない複雑さ、入り組んだ問題の深さが伝わってくる。

映画の後にトークショーとして、強制送還の危機を幾度と乗り越えた、在日のビルマ人、テーテーイスェさんの話があった。テーテーイスェさんは流暢な日本語を操り、ビルマの少数民族の苦境をあらためて訴え、日本人に対しての支援を呼びかけた。

【テーテーイスェさん プロフィール】
1979年ヤンゴン生まれ。幼少期をビルマで過ごした後、1991年に祖国を出国し、タイ
を経由して家族で日本に移り住む。オーバーステイによる強制送還の危機を乗り越
え、二十歳の時にようやく難民申請が受諾され、その過程は幾度もマスコミに取り上
げられた。現在「ビルマに自由と融和と民主主義を」をモットーにウェブ上のコミュ
ニティー"Change Burma Community"を運営。

世界が国家単位である民族の苦境に手を伸ばすのは、残念ながら国家がその問題に関わることで何らかの外交的、経済的、政治的な利益が得られる場合に限られるのが実情である。それを超えて人道的に動くのは、言うのは簡単だが、とてつもなく難しい。世界の各所で人々は見捨てられ、世界の各所で今日も路傍で息絶えている。なぜなのか。

それを考えるとき、我々人間存在の根本にある無力感を思い知らされるし、賽の河原のように前途にあるとてつもない障害の深さに心は萎縮する。

テーテーイスェさんが幾度も、幾度も「出来るところからでいいですから、無理のない範囲からでいいですから」と呼びかけていたのが、つらく心に刺さる。

5月10日に承認を問う国民投票が行われるビルマ新憲法は、議会の1/4を軍関係者が占めることに合法的保証を与えるものであるが、これらの少数民族たちは、それらの点について何の説明も受けていない。のみならず、憲法草案は英語とビルマ語にしか翻訳されていないし、文案を印刷した冊子もほとんど用意されていないのである。

ビルマに対するODAもどうか止めてほしい、私たちにはまったく利益がないどころか、軍政支配を延命させるエネルギーにしかならない。テーテーイスェさんは振り絞るようにして訴えていた。

2008 05 04 [ビルマ] | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック

January 21, 2008

アウン・サン・スーチーという意志-----第2章 「写真物語Ⅱ」

Suti

(参考リンク)
アウン・サン・スーチーという意志-----第1章 「写真物語Ⅱ」

宮下さんは、ご本人も言われているとおり、ずっと美術畑を歩んでこられた。オックスフォードに行かれることになったのも美術がきっかけだし、英国でのアウン・サン・スーチーさんの親代わりになったゴーブース卿と知り合ったのも美術を学ぶ願望が因である。

私に会う前に、宮下さんは自分がビルマの政治的な状況を語る立場ではない、と気にしておられたが、スーチーさんの英国時代の話を少しでもお聞きしたいのでと、無理を聞いていただいた。おそらく宮下さん自身、スーチーさんをめぐる現在の不思議な運命の展開に戸惑っておられる面があるのだろう。

人が人に出会うときには、不思議な力が働く。宮下さんのお話を聞いて思ったのは、まずそのことである。英国で紹介された、ビルマ出身で少々変わってはいるが、そして美しくはあるが普通の夫婦。小さな子供を抱え、子育てに邁進する、どこでにいるような普通の主婦。それが宮下さんの、アウン・サン・スーチー氏の第一印象だったという。宮下さん自身、その後、スーチー氏がここまで世界的な注目を浴びるような立場になるとは夢にも思っていなかった。その後の展開が、どれほど彼女にとって驚きであったかは、想像に難くない。
例として適切であるかどうかはわからないが、ご近所の普通の若き母親が、突然厳しい表情をたたえて、世界史の表舞台に突然現れた。自分の知っているあの、若くてこまめな母親の優しい表情をかなぐり捨てて。一体何がどうなってしまったのか?推測するに、それが、宮下さんの正直な戸惑いであったと思う。

我々は、ともすればスーチー氏を別次元にいる、自分とは関係のない別の世界の人だと思っている。そうとでも思わなければ、これほど過酷な運命の中で、ただ1人十年以上にも及ぶ軟禁状態で戦っている彼女の実像を理解することは難しい。特にこの国にあっては。地理的な問題はおいても、ビルマが精神的に遠い国であるからでもあるし、身近に感じるには、あまりにアウン・サン・スーチー氏の厳しい表情は、平穏な日常を送る日本の我々にとって遠いからでもある。

英雄の娘に生まれたという、拭い去れない運命の必然はあっても、普通に暮らし、普通に恋愛し、普通に子供を育て、普通に母親の看病に帰国していた彼女の運命を一変させたものは何だったのだろうか。そのことについて考えてみたいと思ったのが、宮下さんにお会いしたいと思った私の動機である。

しかし世界は、かように簡単に個人の感傷が通じる世界ではない。我々は幾度も中途半端な理想を掲げては虚しく現実に跳ね返され、打ちのめされ、時には完膚なきまでに叩きのめされる。無力な私達である。過酷な世界の現実の前に、私たちのできることは殆どないと言ってもいい。

実際、年が明けてからビルマ関連のニュースが入ってくることはほとんどなくなった。軍政とスーチー氏の間では、対話がなされているはずだが、我々には、その仔細もほとんど知ることはかなわない。思えばあの軍政は過去何十年もそれを繰り返しながら、支配体制を温存してきたのだ。悪い意味で賢いのである。スーチー氏の健康状態も非常に気遣われるところである。

絶望だらけの世の中で、こんな端っこのブログで何かを伝えることなど出来るのだろうか。意味があるのだろうか。事実、こうした現状を、そして試みまでもただ嘲笑うしかしない者もいる。救いようのない現実はこの国にもあることも、おそらく我々は知っている。だが、良いではないかとも思うのだ。そんなことは気にする必要もない。あなたが今日もあなたの一歩を何らかの形で刻むように、私も宮下さんも、それぞれの一歩をそれぞれの形でまた今日も刻めばよい。おそらく世界はそうした試みの無限の積み重ねでしか変わるはずもない。他の道はないのだ。


宮下さんには、彼女以外にもアウン・サン・スーチー氏の人となりを知る方のお名前を何人か伺わせていただいた。私の気持ちとしては、ペースがあがらずとも、これからもそういう方たちに一人でも多くお目にかかり、あるいは消えていくかもしれない、貴重な記憶の数々を言葉にしていければいいと思っているが、どうだろうか。そこで私の決心やら覚悟やらも問われるのだろう。まあそれは私の問題として、今回はこの記事を何とかお届けするところまでである。今はそこまでだ。

この週末、実家から引き揚げてきた書籍を整理していたら、その中に「韓国からの手紙」という岩波新書が出てきた。1972年10月に韓国に戒厳令が布かれて以来の緊迫する韓国の政情,民主化を求める知識人の動き,そして民衆の声を生々しく伝え、「世界」に連載されて大きな反響を呼んだ著作である。金大中氏拉致事件を含む激動が生々しく報告されている。(著者はいろいろ取り沙汰されているが、日本在住の韓国人の書いたものであることがわかった。)


久しぶりに古ぼけた茶色く変色した「韓国からの手紙」をぱらぱらとめくり、現在のビルマの状況が、その当時の韓国の状況に類似している点が多いことに、今さらながら格別の思いを持った。

ここに書かれている韓国は35年前の世界の一遍である。

あせらず、それでいて歩を弛めることの決してないように。


【参考】

※宇田 有三氏略歴

1963年 神戸生まれ。
1990年 27歳で教職を辞し、フォトジャーナリストの勉強のため渡米。
1992年 中米の紛争地エルサルバドルの取材を皮切りにフォトジャーナリスト
    としての仕事を開始。
現在は、東南アジアのビルマ、中米、オーストラリアを中心に軍事政権下の人々、先住民族を中心にドキュメンタリー写真を撮影し続ける。

1995年 神戸大学大学院国際協力研究科修了(国際法修士)
1998年 「平和・共同ジャーナリスト基金」奨励賞受賞。


※宮下さんは、「写真物語Ⅱ」への出演をきっかけに、アウン・サン・スーチー氏の貴重な記録写真を盛り込んだDVDを制作された。売上金は、ビルマ難民など、現在のビルマの現状に苦しむ人たちへの支援に充てられると言うことであるので、ここで紹介させていただく。関心のある向きは、宮下さんの「ビルマ応援の会」からご購入ください。

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ビルマ応援の会

(紹介文から)

「本年10月6日、「写真物語Ⅱ」(フジテレビ)に、アウン・サン・スー・チーと、夫・マイケルの友人として出演して以来ビルマ(ミャンマー)で迫害されている人々を以前よりなお一層案じるようになりました。隣国タイの国境には現在14万人のビルマからの避難民が過酷な状況下にいます。また、私たちの住む日本にも多くの政治難民が滞在しています。
スー・チーとマイケルの友人として私が出来ることをと考えたとき、私が撮った写真を
もとにDVDを作製し、その売上金を困っているビルマ人に寄付しようということでした。この構想を彼女たちの親友であった田崎明氏に話しましたところ、亡きマイケルから預かっていたという貴重な写真の使用を許してくださいました。また、この数年ビルマに滞在し、写真を撮り続けているカメラマン・宇田有三氏がこころよく彼の作品使用許可をしてくださいました。
美しく聡明なスー・チーを中心にビルマ建国の父・アウン・サン将軍、元インド大使の母キン・チー、スー・チーの夫と二人の息子を紹介するDVDです。」

2008 01 21 [ビルマ] | 固定リンク | コメント (1) | トラックバック

アウン・サン・スーチーという意志-----第1章 「写真物語Ⅱ」

(参考リンク)
アウン・サン・スーチーという意志-----序章 「写真物語Ⅱ」

品川・高輪台にある宮下さんの事務所をお訪ねしたのは昨年の11月3日だったのだが、私の多忙から、その後インタビュー記事をまとめるのに、長い時間がかかってしまった。しかしながら、ビルマからの情報はほとんど入ってこなくなった現在だからこそ、これを公開する何らかの意味があると信じたい。それを言い訳にしながら、この記事を公開したい。

当日は、宮下さんが自ら車を運転して、品川の駅まで迎えに来てくださった。第一印象としては、非常にてきぱきと動く方であるという印象を受けた。海外で長い間生活をされた方であるということも影響しているのかもしれない。そして、宮下さんが語ってくださったアウン・サン・スーチーさんの印象と、どこか宮下さんのイメージも重なるところがあったような気がする。

宮下さんの事務所の周りは閑静な住宅地だけれど、周囲には大変にお寺が多い。高輪には行く機会もかなりあったけれど、いまさらながらこんなにもお寺が多い所なのかと驚いた。宮下さんのお祖父様は画家でおられたのだが、そういう関係でか、宮下さん自身も早いうちから美術に親しんでおられたらしい。アウン・サン・スーチーさんとの出会いも、この美術がきっかけだった。

Miya

【宮下夏生氏プロフィール】

美術史家。元明海大学講師、日本根付研究会理事、米国プリンスィピア大学奨学金生、卒業。BA取得。英国ロンドン大学大学院で東洋美術史を3年間学ぶ。この他、ロンドン大学コートードル・インスティテュートにて西洋美術史、オックスフォード大学・北京大学で中国語、ミュンヘン大学でドイツ語、ハーバード大学でアメリカ文学、ヴィクトリア・アンド・アルバート美術館で西洋絵画、彫刻史を学ぶ。2007年、フジテレビ番組「写真物語Ⅱ」にアウンサン・スーチー女史の友人として出演する。


BB 「宮下さんは、フジテレビの「写真物語Ⅱ」に出演されましたが、スーチーさんとの関わりは、スーチーさんの親代わりになっておられた、ゴーブース卿(Lord Paul Gore Booth)を通してということですね?」

      

はい。ゴーブース卿とゴーブース夫人は、卿が戦前に日本大使館につとめ、ゴーブース夫人が日本で生まれたこともあり、日本とは関係が深く、大変気さくな方たちでしたので、よくお食事に招かれました。ゴーブース卿とスーチーさんの関係ですが、ゴーブース夫人がビルマ大使をされていた時、8歳のスーチーさんとお会いしたそうです。ゴーブース夫人は地位のある方ですが、困った人や体の不自由な方には特に手を差し伸べていました。親切な人ですから、スーチーさんの身元引受人にもなったんだと思います。スーチーさんのお母様のキンチーさんは凄い方で、国会議員でインド大使も務めておられますし、お父様のアウンサン将軍は、ご存じのようにビルマの英雄ですから、人々にそれはもう尊敬されていて、会うこともなかなか自由にならないくらい、大変な方だったそうです。

BB「宮下さんが最初にスーチーさんにお会いになったのはいつ頃なんでしょうか」

スーチーさんとお会いしたのは1984年だと思います。ゴーブース夫人に「オックスフォードに行くのなら、ぜひスーチーさん夫妻に会いなさい」と言われました。最初にオックスフォードのご自宅でお会いした時は、スーチーさんは普通の母親で、日本料理に大変興味を持っていらっしゃったので、ご夫妻とはお稲荷さんを作ったり、のり巻きを作ったりしました。

BB「マイケルさんとスーチーさんが知り合ったのも英国ですね」

ゴーブース夫妻の息子、クリストファーと同じ大学の友人が、スーチーさんの夫、マイケル•アリスでした。ロンドンのチェルシーにあるゴーブース邸にマイケルが招かれるようになり、そこで21歳のスーチーさんと20歳のマイケルは初めて出会いました。彼女は大変にきれいな方ですから、マイケルはすぐに彼女に惚れてしまったそうです。もし、私が男性でしたら、きっと同じようになったでしょうね。スーチーさんはオードリーヘップバーンのような、それはもう妖精のようにきれいな方でしたから。

スーチーさんにとってもマイケルは魅力的に映ったようで、二人はその後、文通を続けました。

マイケルは大学卒業後、ブータンへ行き、ロイヤル・ファミリーの家庭教師となり、滞在中に博士論文の準備をしました。一方、スーチーさんは国連本部に勤務し、1970年、クリスマス休暇にマイケルが彼女の元に訪れ、二人は正式に婚約します。式は19721月にゴーブース邸で執り行われ、8ヶ月後にスーチーさんはマイケルのいるブータンへと移り住みました。

BB「当時、宮下さんは彼女がアウンサン将軍の娘であることなどはご存知だったんですか?」

いえ、全然知りませんでした。

スーチーさんはマイケルの妻で、二人の息子の母親。お料理が上手で、動きが早く、家事をてきぱきこなす女性でした。マイケルは優しいので、そんなスーチーさんの言いなりでしたね。マイケルは本当に優しい夫でした。だから、アリス家ではスーチーさんが家庭をリードしているような感じでした。

ですから、彼女がビルマに帰国して、軟禁状態にあっても、マイケルに持って来て欲しいものを色々と指示していました。彼女が最初に軟禁状態になった時、困ってしまったのは食べ物だったらしいんです。彼女は日本の食べ物が好きなので、私も力になれないかとうどんや、長持ちする鰻など、彼女の好きな食べ物を色々詰めて、マイケルに持って行ってもらったこともありました。

彼女が京都大学に来ていた時も、夫妻で私の住む東京まで会いに来て下さり、一緒に写真を撮りました。それが三人で撮った唯一の写真です。

ゴーブース卿が亡くなった時も、それはもう凄く豪華な式だったんですが、スーチーさんもいらっしゃって、よもやま話をしたりしました。それからしばらくして、スーチーさんはどんどんテレビに出てくるようになっていて、私は確実に彼女はビルマのリーダーになるのだと思っていましたが…


BB「
1988年以降、スーチーさんが自宅軟禁されて以降、マイケルさんとはどんなお話をされていたのですか?」

マイケルとは始終、毎月のようにお会いしていて、「スーチーさんはどうしているだろう」など、色々な話をしていました。

面白いエピソードがありまして、ある時、マイケルとアフターヌーンティを飲んでいましたら、ファックスが届いたんです。送り主を聞いたら、当時、大統領夫人だったヒラリー・クリントンさんでした。「このメッセージをスーチーさんに伝えて欲しい」といった書き出しで、「私達、アメリカ国民は、決してあなたのことを忘れていません」といった内容でした。目の前でそういったメッセージが届いたことに私は驚きました。また、元国連弁務官の緒方さんと、マイケルはメッセージの交換をしていました。そういったことからもやはり、スーチーさんがノーベル平和賞をいただいたことに、マイケルはとても貢献していると思います。

マイケルは貴族の家系や特殊な家ではなく、普通の家に生まれたのですが、不思議なことにマイケルの祖父母は明治時代に日本に来ていたことがあったそうです。ですから、私の伺ったオックスフォードの家には日本の印籠と根付が綺麗に飾られていました。「これは祖先のものなので、絶対に売れないよ」と、マイケルはとても大切にしていましたね、そういったルーツからも、彼はアジアに興味を持ち、スーチーさんにひかれたのかもしれませんね。

テレビで彼女を見かけるようになって、驚きましたけれど、英雄の娘とはいえ、こちらにしてみれば、友人の奥さんが急に演説を始めるという印象でした。スーチーさんの育ちを聞いてはいましたが、頭の中でうまく結びついていなかったんですね。

BB「マイケルさんは本当にスーチーさんを支えていたんですね」

ええ。それで、スーチーさんをなんとか援助しようとマイケルとは色々な話や相談をしました。「今、スーチーさんはどんな風に暮らしているんだろうか」とか、「今度は何を送ろうか」とか。彼は辞書や本を彼女に渡していたみたいです。他にも、化粧品や下着類は「ここの会社のこういうもの」と、指定が細かいんですって。女性ならではのエピソードですよね、お洒落な人ですから。

最初はマイケルも自由にビルマに出入りできたんです。入国を拒否されても結局は許可されたり。スーチーさんと一緒に軟禁されたこともあったんですよ。(1989年の一時期、スーチーさんは夫のマイケル、2人の子供も一緒に4人で軟禁されていたことがあった。この時マイケルはスーチーを訪ねようと降り立った空港からそのまま連行されて拘束され、一時行方がわからなくなり欧米のメディアでも騒ぎになっている)

けれども、そういった入国の許可が軍事政権の大きなミスだったんですね。スーチーさんにマイケルがオックスフォードに戻ってくるようにと説得すると思い、入国を許可したのですが、彼は彼女を尊敬し、彼女の活動を応援していましたから、逆にビルマで頑張るようにと励ましたらしいですね。

二人の息子、長男アレクサンダーと次男キムは大事な時期に母親がいないということで、みんなで心配をしていました。けれども、アレクサンダーは現在、アメリカ国籍のビルマ人でお医者さんをしているお嫁さんをもらい、オレゴンに家を買い、キムはオックスフォードで絵の額縁を作る工房で働いています。二人ともすっかり落ち着きました。アレクサンダーが34歳、キムが30歳ですからね。兄弟二人とも、今は政治的な活動を行っていません。

BB「マイケルさんが亡くなる頃の話を聞かせてください」

※マイケルが癌になってからは、軍政はスーチーさんに対して、国外に出るなら対面は自由だが、呼び寄せるなどの許可は一切出さなかった。彼女は、一度国外に出れば二度とビルマに入国できなくなることを警戒して出国はしなかったため、夫婦は会うことはなかった。当然彼のイギリスでの葬儀にもスーチーさんは出席できなかった。


マイケルが癌になったという知らせは日本で聞きました。カナダにいるアレクサンダーに会いに行って、その帰りに飛行場で突然、身体に異変が起きたと聞きました。体調を崩し、這うようにして帰って来たそうです。
99年に亡くなってしまったんですが、3ヶ月くらいの闘病だったと思います。あんなに元気だった彼が…と信じられませんでした。

マイケルが病気になってからは一度も会えませんでした。ゴーブース夫人から容態を教えていただき、そばに行ってあげたいと思ったのですが、オックスフォードには彼をサポートしてくれる人は沢山いましたから…そうこうしているうちに彼は亡くなってしまって。

BB「ビルマの現状をご覧になってどう思いますか」

私の本業は美術ですし、できるだけ政治に関わらないようにと思いましたが、スーチーさんの力になれればと思いまして、新たに行動を起こすことにしました。カメラマンの宇田有三さんが撮影したビルマやスーチーさんの大変素晴らしい写真や、私の持っている彼女のプライベートな写真等を使い、スーチーさんのDVDを制作、販売し、売上でビルマの人々に支援できないかと思っています。

今、私がスーチーさんの友人として一番心配しているのは、スーチーさんの健康状態です。ガンバリ特使との写真が掲載された時、彼女の本当に不健康そうな顔を見て、驚いてしまいました。

それだけではなく、話し相手もメイドさん一人で、そのメイドさんが全ての買い物に行き、食事の面でも彼女が作ったものを召し上がっているらしいんですが、それでは精神的にも、身の回りのことも不十分だと思い、心配です。家も、荒廃して雨漏りも激しいのに、それを直す人もいない状況です。

ビルマはデモもすぐに鎮圧されてしまいますし、反政府活動はなかなか長続きしないですね。今後、ビルマの中からスーチーさんに代わるようなリーダー的存在が現れないと、この先、どうにもならないと思います。スーチーさんにビルマという130以上もの少数民族が集まる国を治めることができるのかという否定的な意見もありますが、軍事政権の弾圧により、国外へ逃亡している優秀なビルマ人達を呼び戻し、彼らをブレーンとすれば、スーチーさんはしっかりと国を治められると、私は信じています。スーチーさんには本当にがんばってもらいたいと思っています。

(続く)

2008 01 21 [ビルマ] | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック

November 26, 2007

アウン・サン・スーチーという意志-----序章 「写真物語Ⅱ」

005

アウン・サン・スーチー氏とビルマ軍政とは、幾度となく会談を行っているようだが、依然として軍政の言う「民主化へのロードマップ」は明確ではなく、彼女の解放も実現されていない。国内のビルマ関連報道も最近は、少々低調になってきたような気がする。
過去、この軍政は幾度となく同種の虚偽的な時間稼ぎをして、事態を先延ばしにしてきた経緯がある。1988年の民主化デモの直後、そして1990年の総選挙、NLDの勝利の直後にも直下の独裁体制は民主化へ移行するための、緊急避難的措置であると言明し、そのたびに国際世論を惑わし、反対勢力を無力化してきた。アウン・サン・スーチー氏に関する度重なる監禁と開放、彼女の自宅前のロックアウトの解除と再配備。同じような手口はビルマのこれまでの歴史の中で繰り返し使われてきた手法である。

今回の一見軟化した姿勢の裏で、またこうした意図的な時間稼ぎがなされないことを切に望むし、それを国際社会は騙されることなく見続けていくべきだろう。

ところで。

「写真物語Ⅱ 宿命を背負ったアジア人女性 激動の人生 アウン・サン・スーチー」という番組がフジテレビ系で放映されたのは、今年の10月の連休のことだった。アウン・サン・スーチーの波乱の人生を1枚の写真に象徴させて描くこの番組を、僕は偶然見ていたが、そこで取り上げられていたのが、冒頭の写真である。

アウン・サン・スーチー氏が偶然母親の看病に戻ったビルマで政治動乱に直面し、ついに彼女がイギリスに帰ることないまま、残されたご主人は亡くなってしまったという話までは聞いていたが、番組でコーナーの最後にアップされた写真は始めて見るもので、日頃ニュース番組で見ている彼女の厳しい表情とは全く違った、夫マイケルに寄り添う「普通の温和な女性」としての表情が、印象的だった。

だが、それはそれで、その番組を見たこともしばらく脳裏から離れていた。

10月の終わりに、大学同窓のMLでビルマ関連のコミュニティをSNSに立ち上げたことを告知すると、マスメディア関連含めて多くの友人が関心を示してくれたのだが、その中のある友人からメールが届いた。それは、アウン・サン・スーチー氏をよく知る人物を知っているので、会って見る気はないかというものだった。どんな方かと聞くと、彼自身ももう何年も会っていないし、そうした話を昔ちょっと聞いただけなのでよくわからないと言う。詳しい経歴もよくわからない。ただ、最近その方がテレビでアウン・サン・スーチー氏関連の番組に出演したという。お名前は、宮下夏生(みやしたなつお)さんとおっしゃるそうだ。
何分にもそれだけの話しかわからない。茫漠とした話ではある。友人に、すまないけれどもう少し確認してもらいたいと一旦返信した後で、頭にフラッシュバックが走った。

「写真物語Ⅱ」で、あの写真をお持ちになり、番組中でアウン・サン・スーチーのロンドン時代の話をされていた女性。それこそが、あの宮下夏生さんではないか!

僕はすぐに友人に連絡を取り、宮下さんにお会いして詳しいお話を聞ける機会を頂けるよう頼んでもらうことにした。

自分の心に深く残っていたのは、いつも戦場にあるように厳しい表情で演説を行う、繰り返し流されているアウン・サン・スーチー氏と、宮下さんがお持ちになった柔和な若い彼女の写真とのギャップの深さである。アウンサン将軍というビルマ建国の父を持つ彼女は、それだけで生まれながらの「選ばれた人」であったが、番組中で宮下さんは、英国でのスーチー氏はそれとは全くかけ離れた人であったとも話されていた。だが宮下さんの話は僅かな時間しかオンエアされなかった。

どういう状況で、どのような過程を経て彼女の表情があのようなものになっていったのか、そしてあの立場に立つに至ったのか、詳しく宮下さんにお聞ききしたいと思った。これも縁かもしれないとも思えた。

宮下さんには、マスメディアの取材ではないこと、お聞きした内容はもしかしたらブログでしか発表できないかもしれないこと、そして関心を持った理由について書いたメールを送ってそれでも快く了承をいただいた。

宮下さんにお話をお聞きしたのは11月始めの土曜日である。もっと早く公開したかったが、その後私のほうでなかなか手が回らなかったこともあり、原稿を起こすのが遅れた。この作業が現在のビルマを巡る状況に対してどんな意味を持つのかはわからない。また、こうしたことに関わることによってその後、私がどのような場所に行こうとしているのか、それもまだ整理がついていない。ただ私は、宮下さんに聞いてきた話を、愚直にここに記することから、始めていこうと思う。

これを記していく作業そものが、私自身のこの問題への不勉強と無力感を炙り出すことになるのかもしれない。この作業で万能感を持てるとは、私も期待してはいない。こんなことをして、何になるのだろうという迷いも、まだ持っている。

それでも、記していこうと思う。元来私にできることはそれほど多くはないので。理屈や批判は自ら後で口にしても、遅くはないだろう。

未だに原稿を起こしながらの作業になるが、アップはゆっくりと何度かにわけて行っていくつもりである。よろしければ気長に、お読みいただきたい。

こちらに続く

【参考リンク】

●「写真物語Ⅱ宿命を背負ったアジア人女性 - 激動の人生 - アウン・サン・スー・チー

●ミャンマーのこと---相対主義の地獄を超える(BigBang)

2007 11 26 [ビルマ] | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック

October 15, 2007

「ミャンマー(ビルマ)情勢緊急集会----これまで何がおきてきたのか」(JVJA主催)出席報告(3)

出席報告の3回目である。急いでまとめなければと思いながら、なかなか時間が取れず、少し間があいてしまったが、引き続きお読みいただきたい。


●ビデオ映像:「遠く祖国を離れて--在日ビルマ人・ティンチの旅--」 土井敏邦制作

ここで、次に土井敏邦氏が2000年10月に制作した「遠く祖国を離れて--在日ビルマ人・ティンチの旅」が上映された。ティンチ氏はビルマを亡命した後、「ビルマ青年ボランティア協会」という在日の抵抗組織に属して、抵抗運動をしてきたが、入国すると逮捕されるために本国には入れない。ティンチ氏が目と鼻の先のタイ国境から祖国を眺め、さらに大量に発生した難民の元を訪ねて、涙するシーンが上映された。尚、ティンチ氏は2003年に米国に拠点を移してそこで活動しているという。

【参考 土井敏邦氏の経歴 BigBang調】

1953年佐賀県生まれ。1985年以来、パレスチナをはじめ各地を取材。1993年よりビデオ・ジャーナリストとしての活動も開始し、テレビ各局でパレスチナやアジアに関するドキュメンタリーを放映。著書多数。日本ビジュアル・ジャーナリスト協会(JVJA)正会員。広島大学総合科学部卒業後、中東専門雑誌記者を経て、現在フリージャーナリスト。1991年より1年間、週刊誌『朝日ジャーナル』の嘱託記者。1985年以来、断続的に延べ5年以上、イスラエルとその占領地(パレスチナ)の難民キャンプや村に滞在して取材を続けている。また1986年からのべ12カ月間、アメリカ各地でユダヤ人、パレスチナ人を取材し『占領と民衆──パレスチナ』『アメリカのユダヤ人』『アメリカのパレスチナ人』の三部作を完成。

1990年の湾岸危機ではアメリカのユダヤ人社会とアラブ人社会の反応を、また翌年1月の湾岸戦争ではイスラエルで占領地のパレスチナ人とイスラエル国民の反応を取材し『朝日ジャーナル』に連載。3月から2カ月間、NHKスペシャル「アメリカのパレスチナ人」制作をコーディネイト。
1993年の「中東和平合意」を機に再びパレスチナ・ガザ地区の難民キャンプやイスラエル国内に長期滞在し取材、ETV特集「失業と解放の1年── パレスチナ難民エルアグラ家の場合」(94年)「パレスチナ和平の陰で──ある家族の6年」(99年)、また「ニュースステーション」の特集で6回にわたって現地報告。

●写真と報告「ビルマ民主化の足を引っ張り、民衆化勢力の期待を裏切り続ける日本政府 少数民族弾圧とアウンサンスーチーの封殺から見える軍政のメンタリティー。」

報告:山本宗補氏


【山本宗補氏の経歴】

 1953年、長野県生まれ。アジアを主なフィールドとするフォトジャーナリスト。1985年からフィリピン取材、1988年よりビルマ(ミャンマー)の少数民族問題、民主化闘争の取材開始。 1998年、アウンサンスーチー氏のインタビュー直後、秘密警察に身柄を拘束され、国外追放となる。日本ビジュアル・ジャーナリスト協会(JVJA)会員、「ビルマ市民フォーラム」運営委員。
 著書に「ビルマの子どもたち」(第三書館)、「ビルマの大いなる幻影 解放を求めるカレン族とスーチー民主化のゆくえ」(社会評論社)、「また、あした 日本列島老いの風景」(アートン)、「世界の戦場から フィリピン 最底辺を生きる」(岩波書店)など。共著に「フォトジャーナリスト13人の眼」(集英社新書 2005 年)などがある。現在、国内各地で「老いの風景」、「戦争の記憶」をテーマに取材を続ける。

(これからお見せする映像は)軍事政権の残虐さ、反対する者は容赦しないということを感じさせることができる映像だと思っています。また今回、日本政府は、日本人のジャーナリストがあのような形で、映像もしっかり残っている形で、射殺されている。そのために、厳しく抗議している姿勢を見せています。

しかし、よく考えてみると、もし長井さんではなくて、あのジャーナリストがタイのジャーナリストだったらどうだったか、フィリピンのジャーナリストだったらどうだったか。日本政府ははたして、ビルマで来ている軍政下の状況に対して、どのような毅然とした態度をとるか。非常に疑問だと言えると思いますね。そこらへんをちょっと、具体例をあげながら説明したいと思いますが、この残虐性ですね、それはまず少数民族であるカレン族に対して、ある意味で日常茶飯事に起きているそういう状況です。

例えば、今回の大きなデモは、19年ぶりなんですが、少数民族であるカレン族の難民、タイ側に逃げている難民はは、19年前には18,000人でした。現在、どれだけいると思いますか?140,000人です。これはタイ側に逃げ出している、難民キャンプで生活しているカレン民族の難民です。19年の間にこれだけ増えたんです。これが少ない数でしょうか。さらにですね、この数字に含まれていない国境を越えることができないまま、カレン州の山中で逃げ惑っている国内の避難民は、少なくとも100,000人はいると見られています。

現在も、昨年から始まったカレン族に対する軍事作戦は続いています。その点を、この数字を頭に入れておいていただきたいと思います。もう一つは、アウンサンスーチンさんのことですね。軍事政権にとっては、もっとも手ごわい、つまりこの人さえいなければ、現在の状況を、市民をコントロールできるということで、強い意志で、圧力で動きを封殺するということをしています。先ほど根本先生が言われたように、19年間のうち、合わせて11年以上、自宅軟禁です。全く活動できていない状況です。それ以外の期間、スーチーさんが、自由に活動できた部分というのは非常に短い。その一部ですけれど、お手元の資料で98年、9年前ですね。スーチーさんがかろうじて活動できた頃に、自宅からビルマの南部のほうのNLDの関係者を訪問する際にとった行動、これは軍事政権が、道路を完全にブロックして、完全に彼女の動きを止めます。2度にわたってハンガーストライキを彼女はするんですが、その時に取材したもの、インタビュー記事がお手元の資料にありますので、読んでいただければと思いますが、さらに2003年5月30日、軍事政権は、アウンサンスーチンの命を狙った形でエネルギー関係者、一般市民、合わせて少なくとも70人から90人は、このときに殺されている、亡くなっていると思われます。それ以降、現在に至るまで、完全に政治活動が封殺されているわけです。

そして最初のほうのカレン民族の難民の状況、去年撮影したものがありますので、それをご覧ください。

(ここから、写真の上映と説明)

彼は、40歳の農民で、ビルマからタイ側に逃げてきたんですが、ビルマ軍に捕まって、殴られたり、ナイフを首につきつけられたりして、軍は、隣に座っていた一緒に捕まっていた農民を目の前で射殺したそうです。
さらに銃口が、こういう感じで(自分に突き付ける動作)されて、たまたま彼は(射殺は)免れたんですが、そういう感じです。

これはタリム湾のダウイン(?)という場所の(よく聞き取れず)建設予定の水力発電ダムの現場ですね。水力発電のダムを造って、軍事政権は電力をそれでお金を稼ぐという計画をしています。

この人は、やはり耳がちょっと欠けているんですが、ビルマ軍に捕まった時に、拷問されて耳を食いちぎられてということです。彼は現金から食糧とか市場に行って自分の村に戻る途中だったわけですが、その際に運悪く全部奪われてしまったのです。

この人は、夫が、ビルマ軍に捕まったまま、帰ってきません。つまり殺されてしまったと、そういうことです。

これは、2002年の4月ですが、先ほどまでの避難民とは違って100Kmばかり南に下がったところなんですが、2002年12月に夜間ビルマ軍の襲撃によって殺されているということです。12名のうちの6名が子供で、さらに1名は妊婦だったということです。この写真がなぜあるかというと、写真を持っている彼がたまたま隣の村にいたということで、翌日駆けつけて、遺体を埋葬する手伝いをして、その際に撮影した映像です。実際、このとき、彼も襲撃でお子さんを2人、娘さんですね、亡くなって両親も殺されたということです。この取材のとき、難民キャンプに逃げてきて、そういう話をしてくれましたわけです。

こういう状況がほぼ日常的にカレン民族に対して行われているわけです。ですから私が言いたいのは少数民族を1999年からずっと取材してきているんですが、この人たちに対する軍事政権のやり方、横暴などという言葉ではとても表現できない、残虐そのものなわけですね。それが今回たまたま大都市で起きていると、それが国際社会に広がったということで、非常にショッキングだと思われると思うんですが、あの・・・・残念ながらですね
、あの・・・・ビルマの統一政権のやってきたことを、非常に端的に表現しているだけとしか思えないとこがあります。つまり彼らは、あの先ほど言ったんですが、自分たちのやり方に反対する者は、どんな形でも、封じてしまう。それが少数民族のカレン族の場合は、軍事活動を、ゲリラ活動している兵隊に対してやるんじゃなくて、一般の農民です。今ターゲットにしているのは。

だから今でも農民が逃げるしかないんですね。軍事政権がターゲットにしているのは農民です。民間人です。兵士ではないんです。それが一つ。

これはさらに遡る、10年くらい前ですね。これはタイ領内にあった難民キャンプを軍事政権は一夜にして焼き払ったんです。つまり、国境を越えて、越境攻撃をして、カレンの難民キャンプを攻撃しているんです。

これは現在50,000人くらいの難民が一つのキャンプに収容されているところです。

これは現在のヤンゴンではなくて19年前の大きな民主化運動が弾圧されて、その1年後に私が、ヤンゴンに行った時の写真です。銃剣を持って市民を監視しています。ここで注目していただきたいのは、あの・・軍用トラック、あれは日野のトラックですね。

※兵士の向こうに、見えているトラックが日野のトラックだという。私はここではよく意味がわからなかったが、ODAによって日本から寄贈された日野のトラックが軍事政権によってほとんど軍用車に転用されているのだという。

都市部の住民に対して軍事政権は何をやったかということですが、ひとつは、強制移住、もう一つは強制労働、もう一つは、国境地帯で必要な捜査、都市部の市民を捕まえて、それを国境地帯での軍事作戦に使ったりと、そういうことをしています。

これは子供たちが、寺院の草取りをさせられているところですね。大人が出て行ったら仕事になりませんから、子供たちがこういう強制労働をさせられていると、そういう場面です。

これは強制移住ですね。つまり兵士は都市部の密集した地域に住んでいる住民を命令一つで郊外の新しいサテライトタウンですね、そこに移住させてしまうんです。もちろん誰も拒否できません。数万人単位でどんどん、移らざるを得なかったわけですね。移った先は、これはビルマの南のほうですが、移らされた先ですが、丘陵地帯ですね。一気に住民を移住させてしまって、住民は仕事もなくなってしまうと。そういうことを平気でやってきた政権だということです。国境でどんなことをやるか、都市部でどんなことをやるか、これを見ても明らかですね。

これは運河を何月何日までに用水路を建設しなさいということで、住民が強制的に働かされているところです。

最後、アウンサンスーチーさんの、映像を紹介します。(次々とアウンサンスーチーの写真が写る)アウンサンスーチーさんのインタビューは4回やったんですが、4回目というのが98年のときで、そのあと私は拘束されて、フィルム、テープ色々没収されて、国外に追放されてしまったわけです。で、それ以来申請してもビザは出してもらえないという状態です。

最後にですね、こういう形で軍事政権の本質というのは、少なくともビルマをいろんな形で・・都市部で取材していると明らかですね。この間、日本政府はどういう態度で外交をしてきたのか、そこが今回曖昧にされたまま、この長井さんの追悼のみの報道になっているのではないかと。それは非常に、そのフリーのジャーナリストとして取材をしてきて強く感じるのは、やはり一番欠けているところは、日本政府はビルマ民主化のために何をやってきたのか、実際に何もやってこなかったのではないか、つまり足を引っ張ってきた。そうとしか言えない事例がたくさんあるんですね。それはお手元の資料を読んでいただければわかると思います。その点、後で時間があればまた最後にお話しします。

(会場から拍手)

山本氏の論点は、我々日本人がヤンゴンの争乱と武力制圧、そして長井さんの死にショックを受けているが、実は軍事政権の特にカレン民族などへの迫害は、ずっと続いてきたことであり、それを黙認してきたのが日本政府だということだ。その一つの象徴がODAなのだが、トラックの話などは、後で少し補足された。

おもにスライドで写真を投影しながらの説明なので再現が難しいが、国境地帯での難民発生の必然、強制移住の実態などは、僕にとってはかつてのポルポトの体制を想像させた。あの時には、いまのようなインターネットといった国際的な情報網がなかった。もちろんこうして書くことのできる「ブログ」もなかった。

大虐殺があったことが本当にわかったのは、ポルポト政権が倒れてから。何年も経ってからだったことを思い出す。


(4)に続く

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October 09, 2007

長井健司氏の葬儀にて----英雄ということ

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青山葬儀場で行われた、故長井健司さんの葬儀に出席してきた。折悪しく雨。会場に到着すると、少し遅れたこともあり、既に式は始まっていた。外には会場に入れなかった一般参列者が雨の中、黙って並んでいた。後から主催者が発表したところでは、1000人が訪れたという。会場入り口には、多くの遺影と花で祭壇が作られていた。

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○待機する一般参加者

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○在日ビルマ人の方が100人出席したという。オレンジ色の服を着ている人たちだ。他にも式場の各所に、民族服を着た姿が見られた。

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○祭壇に飾られた、取材中の写真


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○ビルマ語と思われるメッセージも多く寄せられていた。

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○多くの報道陣

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○出棺前

葬儀委員長はAPF通信の山路徹代表。弔辞は鳥越俊太郎氏、田丸美寿々氏、カメラマンの嘉納愛夏氏、(祭壇に飾られた写真は、03年3月にヨルダンのアン マンでカメラマン、嘉納愛夏さんが撮影した写真だそうだ)ニュースキャスターの村尾信尚氏、そして式次第にはなかったが、在日ビルマ人の方が2名、弔辞を 述べられた。(お名前をちょっと失念した)


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○会場にはよしだたくろうが流れていた。わかる。

そのビルマ人の方が、「軍政が倒れて新しいビルマが出来上がったときには、長井さんは永遠に国民の英雄としてビルマ人の記憶にとどまるでしょう」と語られたのが印象的だった。少しはっとした。

長井さんは「英雄」になったのだろうか。本人の意思によらず、おそらくそうなのだろう。長井さんの死がなければ、おそらく日本政府はミャンマー問題に対して重い腰をあげなかったろうが、それだけではない。

取材中のジャーナリストが、狙い撃ちで殺害されるショッキングな映像は、軍政の残酷さを印象付けるものとして、世界に配信された。撃たれる瞬間の映像、兵士が長井さんを引きずる映像のみならず、今夜はテレビ朝日で、兵士が長井さんのものと思われるビデオカメラとデジタルカメラを奪う映像までが見つかったと、放映されていた。

これほどまで、詳細な「瞬間の映像」が残っている「ジャーナリストの死」は過去に記憶にない。多くの人が携帯電話やデジタルカメラを携え、インターネットを駆使できる時代にあって、初めて可能になったことだ。報道カメラマンの宮嶋茂樹氏が最近、週刊文春に寄稿したところによれば、デジタルカメラ、パソコン、そしてインマルサットの携帯電話の3つが、現代の報道カメラマンの三点セットであるという。そしてインマルサットはともかく、他の2つは多くの一般の人が持っている。いまや世界中に眼があるのだ。

期せずして長井さんは、ミャンマーにおいては、自らが記録した映像で、ではなく、自らの死の映像によって、世界的にその名を知られることになった。そしてその撮影した映像は未だに見つかっていない。

こうして身を挺して、軍政の暴力による圧制行為を知らせることになった長井さんはしかし、キャリアのある報道カメラマンであり、その風貌に似合わず(本当に普通のオジサンだ)勇猛で知られていたという。中東をメインフィールドにしていた長井さんがミャンマーで倒れたことには驚いた同業者が多かったそうだ。

さて、一体英雄とはなんだろう。

あるいはその死が、利用されることがあっても、その志に沿った形で「利用」されるのであれば、おそらく長井さんは諾とするのかもしれない。しかし英雄という言葉と、彼との間に、何かもやもやしたものが僕の中にある。それはきっと、今後もずっと残るのだろうと思った。

長井さんが、英雄の名にふさわしくないというのではない。それどころか、僕は生前の長井さんに残念ながらお会いしたことはないが、彼を知る人によれば、勇猛さと穏やかさを兼ね備えていた方で、どんなときにも周りをリラックスさせる不思議な力があったそうだ。英雄とはそういうものなのかもしれない。

僕の言いたいことは、そういうことではなくて、時に権力すら「英雄」という言葉を利用することを、死神の腕を中東の戦場で何度も切り抜けてきた長井さんは、きっとよくご存知であったはずだからだ。

そんな長井さんの死を、英雄という名にふさわしい、本望の死であったと言っていいのだろうか。

一度もお会いしたことも、話したこともないにも関わらず、やはり長井さんの遺影に接し、そして遺族のご好意でお顔も直に見せていただき、車椅子のご尊父に接し、やはり胸は詰まるのだ。涙はこぼれる。だがその自分達の「涙」を利用する力はないか。

そもそも「英雄の死」と、そうではない「死」など、本当にあるのだろうか。

文春で、宮嶋氏が長井さんのことを淡々と書く中に、「正義ではなく金儲けのために俺達はやっているのだ、テレビや新聞が臆病なおかげで写真が買ってもらえるのだ、だから死んじゃ駄目だ、死んだら金がもらえない」と書いていた。「自分と長井さんはフセイン政権の崩壊に立ち会えたけれど、自分は政権が壊れるまで怖くてホテルで震えており、窓からそっと写真を撮っていたが、長井さんは歩き回っていた」 とも。

「金のため」というのは、長井さんという長年の「戦場の友人」を失った宮嶋さんの独特の、精一杯の「宮嶋節」であり、同時にその仕事へのプロ意識だったろうし、それを書いた宮嶋さんはおそらく泣いていたと思うので、その言葉に胸を衝かれるものがあった。

やはり人は、生き残らなければならないのだ。どんな手を使っても。たとえ勇気に欠けるといわれても。

「だって長井さん。死んだら金がもらえないよ。何も英雄になるためにやってるわけじゃないだろ。がははは」

宮嶋さんはきっとそんな風に言いたかったのだろう。

019

○葬儀場の空

午後になると雨はあがり、美しい夕焼けに西の空が染まった。

心から長井健司さんの冥福をお祈りする。

2007 10 09 [ビルマ] | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック

October 06, 2007

「ミャンマー(ビルマ)情勢緊急集会----これまで何がおきてきたのか」(JVJA主催)出席報告(2)

続いて上智大学の根本敬教授の報告。根本教授の専門は専門はビルマ近・現代史である。これまでのビルマの歴史を解説しつつ、民主化運動と僧たちのデモとの関係や、民衆の心理の機微に重点をおいて話をされた。最初は学者らしく、メモを見ながら冷静なトーンで始まったと思われた報告は、しかし次第に熱を帯び、後半は叫ぶような口調に変わり、圧倒されるものがあった。

経済制裁や、僧の運動については様々な異論があるであろうが、先入観を持たず、根本教授の熱のこもったプレゼンテーションを、ともあれ最後まで読んでいただきたい。

●ビルマ情勢の解説「僧侶たちはなぜ立ち上がったのか?逼迫した市民生活。今後の経済制裁の必要性。88年の民主化運動との比較など」

報告:根本敬氏

【根本敬氏のプロフィール】
1957年、米国ワシントンD.C.で生まれ。上智大学教授、専門はビルマ近・現代史。62年から64年まで、ビルマの首都ラングーンで生活を送る。85 -87年の2年間、かつての民族運動関係者や抗日農民ゲリラ参加者から精力的に聞き取り調査を行う。現在はビルマ近現代史におけるナショナリズムの形成と展開をテーマとし、ビルマという一国の枠を超えた地域的な比較研究や、幅広い角度からの歴史研究をおこなう。
 著書に『アウン・サン―封印された独立ビルマの夢 現代アジアの肖像』(岩波書店)、共著に『ビルマ軍事政権とアウンサンスーチー』(角川書店)、『ビルマ (暮らしがわかるアジア読本) 』(河出書房新社)などがある。

●なぜ僧侶だったか

私は今回の事件の背景説明をさせていただき、今回の事態にどのように対応したらいいのか私見を述べさせてもらいます。まず、今回の事件は突然起きたのではありません。
その源は1988年の民主化運動まで遡ることができます。前回の民主化運動のとき、立ち上がったのは現役の大学生、そして高校生達でした。彼らが、民主化運動で大きな犠牲者を出しながらも、最後が市民の合流を実現させ、5ケ月間で最後は100万200万という単位でビルマの国内の多くの人たちが、ビルマ社会主義、これも軍が指導する体制ですけれど、これを倒して立ち上がりました。

しかし、それを押しつぶし、現在の軍政権の体制ができたわけです。人々はその後も軍政下19年の間、我慢をしながら生活してきました。しかし経済状況も改善されず、またもちろん政治状況も改善されず、1990年5月の総選挙で圧勝した、アウンサンスーチーさんの率いる国民民主連盟に政権移譲もなされず、軍政が一方的に新しい憲法を作り、そしてそのままビルマの政治にに強い影響力を軍が残し続ける、そういったシナリオが、できたわけです。
経済的なこともあり国民は不満を残し続けてきました。何かきっかけがあれば爆発する、そういう状態が続いてきました。今回は、学生ではなく、僧侶が立ち上がったのです。

なぜ僧侶だったんでしょうか。

88年のときに中心的な役割を果たした学生は、残念ながら現在はそうした運動の中心に立つことはできません。現在の現役の学生達は、軍政下で育った世代です。その教育の影響を受けて、政治から距離を置く、政治よりも経済に関心を持つ、そういう習慣が身についています。一部の学生はそれでも政治への思いがあり、国をよい方向に変えたいと思ってますけれど、大学のキャンパスを都市から田舎に無理やり動かされ、運動を起こそうにも起こせません。学内でデモをしても市民と合流するきっかけが掴めません。
またかつては学生寮がありましたけれど、その学生寮に集まって相談事が出来ましたけれど、今は寮自体がありません。教員達も軍政によって強制され、学生が政治運動をしないように監視させられています。現役の学生は動けません。

そういう中にあって、動くのは誰か。アウンサンスーチーさんが動ければ一番いいわけです。そして彼女の率いる政党が動ければ一番いいわけです。ところが、アウンサンスーチーは軍政下19年のうち、14年間自宅軟禁の状態にあります。現在は3度目の自宅軟禁、既に4年以上たちました。NLDもアウンサンスーチー無しでは、大きな決定が出来ません。

そうしますと、昔に指導的立場にあった学生達がいまは40歳前後になっていますが、その人たちがもう一度立ち上がるしかない。そこで8月15日の燃料費の大幅値上げに反対するデモを、そうしたOB達が開始しました。抗議行動もシュプレヒコールもしない。ただ黙々と歩く。6月から10月までのビルマ、特にヤンゴンは雨季ですから、毎日雨が降ります。雨が降ってもただ黙々と歩く。人々は、88年当時の学生達がただ歩いているのを見て、彼らが何をしようとしているのかすぐわかりました。したがって市民達も少しずつ静かなデモに合流を始めました。

しかし、この運動もすぐに軍政によって封じ込められ、ミンコーナインという元学生運動のカリスマ的リーダーも捉えられ、また参加者も指導者も拘束されてしまいました。

そうなると、もはや動ける人たちはいないのか。一般的市民は、私達もそうですが、失うものがあまりに大きくて決心がつきません。運動に参加しようと思っても家族のことを思います。仕事を失ったり、地位や名誉を傷つけられる、そうしたことをどうしても恐れます。従って一般市民は、なかなか運動の先頭に立つことが出来ません。そうした中、僧侶が立ち上がったんです。

ビルマの僧侶はお隣のタイ、そしてカンボジアと同じように「上座仏教」と言いまして、日本では小乗仏教という別称で知られていますけれど、その上座仏教のお坊さんは、まさに世捨て人です。出家者です。言葉本来の意味で家を捨て、この世と縁を切った人々です。すなわち財産は一切ありません。捨てるものは自分の命以外ないわけです。ですからそうした人たちが決心すれば、かなり力の入った本格的運動を起こすことができます。

イギリスの植民地時代に、僧侶が独立運動に参加したことがありました。イギリス当局が一番悩んだのが、僧侶の運動です。当時も学生達が、反英運動をしました。また市民も合流しました。今回、独立後もう60年以上たっていますけれど、このビルマで、もう独立しているのに僧侶が政治に対する不満を表明すべく、僧侶が立ち上がったわけです。
僧侶というのは、一般的市民と絶えず接触があります。出家者ですから、仕事はしませんし自分の食事も、それから身につけている袈裟も、修行の場であるお寺の建物も、すべて信徒に頼ります。信徒は出家者を支えることによって功徳を積み、よき来世をめざします。
ですから、出家者である僧侶とそれを支える信徒の間には深い深い関係があり、信徒達はお坊さんの住んでいる僧院に週に1回か2回は来て、お坊さんに悩み事を話します。それに対してお坊さんは宗教的アドバイスを与えます。

そういう関係ですから、僧侶は一般の人たちの生活状況は手に取るようにわかります。托鉢を毎朝行いますから、食事をもらいます。お坊さんは食事の質を通してですね、一般の人たちの生活レベルを、自分のお腹で感じ取ることができるわけです。当然生活が悪化してくれば、いくらお坊様とはいえ、お坊様にご馳走ばかり作るわけにはいきません。
そうやって僧侶は一般の人たちの生活状況を感じ取ることが出来ます。ましてや日常的に、交流しますので、一般の人たちの政治への不満、経済生活の悪化、そういったものを感じ取ることが出来る。そういう中、アウンサンスーチーは動けない、また学生は動かない、学生OBは捕まってしまった、そこで僧侶が自覚して立ち上がったといえます。

きっかけはパコックという街の僧侶の静かなデモを、地元の治安部隊が非常に乱暴に、取り締まったことでしたが、それに対する抗議が急速に広がり、ヤンゴン、マンダレイといった大きな街の僧侶が集団で立ち上がったわけです。ローマカトリックの教会と違い、釣鐘型の組織をビルマの仏教会は持っていませんので各僧院が自分で判断し、また各僧侶が自分で判断し、デモに参加します。ですから必然的に何万人という僧侶が立ち上がったということは驚くべきことではありますが、落ち着いて考えてみれば、彼らは一番民衆の苦しみを感じ取ることが出来、捨てるものが何もないからこそ立ち上がれたんだということが言えます。

●市民生活の悪化

市民の生活はどの程度悪化しているのでしょうか。8月15日の燃料費の大幅な引き上げ。日本でも石油代はあがっています。しかしその比ではないんです。私たちは多少燃料代があがっても、食べることに困ることはありません。しかしヤンゴンのような大都会に住む人たちにとって、燃料費があがるということは、通勤費の値上がりに直結します。ヤンゴンのバスは、最近多くが天然ガスで動いています。天然ガスの燃料費が一時5倍になりました。ということはガソリン代も当然3倍、4倍になりました。ディーゼルガソリン代、これも、1.5倍くらいになりました。そして当然燃料費は流通全体に影響を与え、あっという間に物価をより一層悪化させることになります。ただでさえ、年間のインフレーション上昇率が40%の国にあって、こういう燃料費の値上げが起きますと、益々人々の生活が苦しくなります。これが19年間にわたる軍政に対する不満に火をつけたということは容易に想像できます。

本当に人々の生活苦、貧困観というものを僧侶が敏感に感じ取って立ち上がった。僧侶が立ち上がって一番驚いたのは、おそらく市民でしょう。市民は、まさかお坊様たちが自分たちのために立ち上がってくださるとは思っていなかった。したがって非常に感謝の気持ちを抱きます。デモの当初、お坊さんたちの両側を人々が手をつないで守る形でデモしました。これは、お坊さんたちに絶対に当局に被害を与えさせてたまるか、自分達のために立ち上がってくださったお坊様たちを絶対に守るぞという気持ちだったわけです。

それからアウンサンスーチーが戸をあけて出てきたのは、政治的なメッセージを送るために出てきたのでは、断じてなくて、お坊様が自分の家まで来てくださった、自分のことを心配して来てくださったことに対して、お礼を言わないのは大変に失礼なんですね。それで、自宅の庭の内側の警備を説得して、姿を見せた。ただ、結果的にそれが政治的に大きな意味を持ちました。その写真が、国内外に配信されて、お坊さんのデモと、アウンサンスーチーの民主化運動を結び付けて、民主化運動がお坊さんのデモに合流したという印象を与えることになりました。それが26、27日の大爆発になり、それがお坊さんと市民を巻き込んだ大規模なデモになっていったわけです。

しかし、大変に残虐な取り締まりがされ、1000人を超える僧侶が逮捕され、100人近い僧侶が命を失ったり大怪我を負ったりしています。市民も大変な犠牲を出しています。その中で、日本人のジャーナリストも命を失った。狙い撃ちで、撃ち殺されたわけです。

●経済制裁はなぜ必要か

こういう中で最後に一つだけ私が訴えたいのは、国際社会の対応についてです。制裁は効果がないという人がいます。制裁をしたからといって軍政が態度を変える可能性はゼロです。制裁をしなくても、外から説得をしても軍政は変わりません。どのようにしても軍政は変わりません。

そうしますと、じゃあ制裁はしないのか、そうじゃなくて、今回立ち上がって犠牲になった人への「モラルサポート」が必要だと思うんです。それから今回の出来事を遠巻きに見ていて、もう少し盛りあがったら出ようかなと思っている人が、何百万、いや何千万人といる。そういった人たちが、「ああ、また今回も失敗してしまった。もう駄目なのか」と絶望的な気持ちになる。インターネットを見ると、もうデモでは自分の国は変えられないのではないかという絶望的な書き込みをしている人がいます。絶望の背後には、国際社会に助けてほしいという悲鳴にも似た訴えがあるんですね。

そうした人々の絶望的な気持ちを、今私たちは実感することができるわけです。長井さんの死はその象徴です。そしてこの軍政の残虐なふるまいを、我々はリアルタイムで見てきたんです。そういう人たちに贈るメッセージとして経済制裁を、強い非難声明を各国が送るべきだろうと思います。おそらく国連はそうした行動に出ませんけれど、文言で強いメッセージを送るべきですし、政府はたとえ少額とはいえ、ODAを止め、大使を引き揚げる位のことはやって、軍政に強いメッセージを送るべきです。これは軍政をすぐには変えることにはなりません。しかし人々は、日本からの、そして外国からの制裁付のメッセージに勇気づけられる、プレゼントとして受け止めることができる。今回こそ、単なる言葉だけのメッセージではなく、制裁付の強いメッセージでないと意味があまりないだろうと思っています。

以上です。

(会場より大きな拍手。)

(3)へ続く

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October 05, 2007

「ミャンマー(ビルマ)情勢緊急集会----これまで何がおきてきたのか」(JVJA主催)出席報告(1)

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http://www.jvja.net/Birma-Myammer.htm

10月3日。会場は明治大学のリバティタワー。定員が130名限定と聞いていたので、時間がぎりぎりになったことを気にしながら行く。11階の会場まで行くと、場所が変更になって地下になったという張り紙が。さては定員が予定に満たなかったかと勝手に想像しながら行くと、満員。予定を上回る参加者に急遽広い教室に変更になったそうだ。確かに朝日新聞にも事前に報道されていたし。どうも失礼しました。

来場者は若い。明治大学ということもあって8割は学生か。若い女の子も多く、始まるまで履修している授業の噂話などしている。賑やか。私のような世代の参加者は開始前から厳しい顔をしている人が多い。手元に資料がバラバラと配られる。報道と思われるカメラも多く来ている。参加費は1000円。収入はミャンマーで倒れた長井さんの遺族に届けられるという。

●長井健司さんの記録したイラク

主催者側の挨拶に続いて、ジャーナリスト長井さんの足跡を辿るとして、長井さんのイラクでの取材風景。ここで、APF通信のメンバーが抗議メッセージを読むはずであったが、会場に来れず、代読となった。僕は忘れていたが、長井さんはイラクで傷を負った少年のためにおむつを届けに行くということをしたことがあり、それがテレビでも報道されたことがあった。

携帯電話での撮影で画質が悪いが、アップしておく。(再生にはQuickTimeが必要です)

会場での映像1

会場での映像2

会場での映像3

会場での映像4

会場での映像5

「未公開の映像も多くあります」

と主催者があらかじめ言っていたが、オンエアするのは難しかっただろうという、悲惨な映像が続く。顔中血まみれの少年、足がぐしゃぐしゃになって潰れた子供の泣き声、目を覆うような光景の中を、カメラを持ち時折笑顔も交えながら歩いて行く長井さん。余りの映像に、静まり返った会場の各所から時折「わっ・・」という小さな悲鳴が聞こえる。電気がつくと、さっきまで授業の話で盛り上がった女の子たちが目を拭っている。
そう言えば、最新の週刊文春に寄稿している不肖・宮嶋記者によれば、長井さんの主たるフィールドは中東であり、ミャンマーで撃たれたと聞いて耳を疑ったそうだ。なぜそこにいたのか、宮嶋記者にも理解しがたいほど、東南アジアと長井さんは結びつきにくかったそうだ。

●「今、ビルマで起きている民主化要求デモと治安部隊による弾圧の現状」、「秘密警察による拷問の実態」

報告:アウンサンスーチン氏の元ボディガード、ポーンミントゥン氏

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続いて在日ビルマ人でかつてアウンサースーチン氏のボディガードを務め、秘密警察に逮捕されて投獄され、拷問を受けた経験のあるポーンミントゥン氏が壇上に。

【ポ-ンミントゥン氏の経歴】
1969年、ビルマの首都ヤンゴン生まれ。アウンサンスーチー氏のボディガードを務め、秘密警察に逮捕され91年から95年までインセイン刑務所に5年間投獄された。釈放後に来日し、在日ビルマ人の活動家として民主化運動を継続している。投獄中の拷問経験を元に、AAPP(ビルマ政治囚支援協会)日本支部代表として活動し、ABFSU(ビルマ学生連盟)日本支部代表を務める。

少々ユーモラスに「私は日本語がうまくないので、すみません」と前置きして始まった、少したどたどしいスピーチに、会場が笑いで反応できる余裕があったのは最初だけ。補いつつ主旨を。

「皆さんは今回のことで驚いているかもしれないが、お坊さんは(報道される前に)もっと殺されて亡くなっていると思う。あの場所にいるというのは、殺されても構わないということでいる。人が動物のようになっている。動物のような扱いを受けているから、市民もお坊さんも何人が亡くなっているか、はっきりとはわからないんです。数えられないんです。

そういう状態で、逮捕されて刑務所に入る前にも何人も亡くなっている。一昨日くらいに写真を見ました。お坊さんが拷問されて川の中に捨てられている写真です。頭や体には凄い傷がありました。こういうことはビルマでは、今回のデモが最初ではないんです。世の中の誰もがわかっていないところで、起きていたんです。今はITの時代ですから、すぐに伝わりますが、88年や96年にも沢山の人が殺されましたが、誰もわからなかったわけですね。

今、市民達はすごく不安になっています。事態がどこまでいくかわからないからです。日本で5人一緒に歩いていても捕まることはないでしょう。ビルマでは5人一緒に歩いていたら捕まるんです。ビラを受け取って友達にあげることもできません。そういうことがいっぱいあります。

こんな状況でビルマの市民たちがどうやって生きているのか、皆さん不思議に思うと思いますので、今回のデモの写真を少しお見せしようと思います。

(写真の上映)

これは88年の時の学生デモのメンバーですが、今回はこういう人たちがリーダーになっています。最初の頃、お坊さんが殺されたわけですが、(パコック市での虐殺)その写真がないですが絵があります。(僧侶が軍に虐殺されている場面の絵が上映される)。それでヤンゴンでお坊さんたちのデモが始まったわけです。

(僧たちの読経の写真、市民が僧たちを両手を繋いでガードしている場面、怪我した僧を市民が手当てしている場面)

ポ-ンミントゥン氏の日本語は確かにたどたどしかったが、最後にそのたどたどしい日本語で

「日本の皆さん、どうか、どうかビルマの人を助けて下さい。力を貸して下さい」

と、何度も頭を下げられたのが印象的だった。会場から少し弱い拍手があった。

(2)へ続く

【備考】
・このエントリーで紹介した「会場で流された映像」の著作権は全て長井健司さんにあります。このブログへのアップについては、JVJAさんに連絡をとりますが、問題あるという権利者が他にありましたら、申し出てください。
・ミャンマーの国名表記ですが、カテゴリーとしては以後「ビルマ」とします。また発言者が「ビルマ」という呼称を使った場合にはそのまま「ビルマ」としますが、他については当面「ミャンマー」のままにします。これは、タグとしての配慮であり、政治的な価値判断を含みません。

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October 02, 2007

ミャンマーのこと---相対主義の地獄を超える

この記事について少し。

インターネットを遮断したミャンマー軍事政権とブロガーの戦い - IT's Big Bang!

CNETのほうで、あまり政治的な議論は、おそらくそぐわないだろうと思いながらも、ネットが遮断されたミャンマーでのブロガーの情報発信について書いた。これは情報システムの話だろと。幾分確信犯的にやったところもあったのだが、後段でつい価値判断を思わせる表現を交えてしまい、私のこの問題への関わりがあるいは浅薄に見えたか、finalvent氏の、そしてそれに対するエレニ氏のエントリーと続くことになった。

●この事態はちょっと微妙(finalventの日記)


●ブログの使いよう(エレニの日記)

まず、私の記事は即座に現在のミャンマー軍政の全体的な批判に繋がるものではない。ご指摘の通り、自分はこの件に関して継続的なウォッチをしてきたわけではないからであり、今回のエントリーの中心は、非武装の市民と僧侶によるデモに対して武力制圧に出た今回の行為、そしてネットを遮断して海外への情報流出を阻止している行為への個別的な批判でしかないと思ってもらってよい。

もう一つには、(おおよそ今日の日本において、彼の地と同じ状況になることはそうそうないであろうが)自分としてはこうした「暴挙」に体制が出てきた場合に、ブロガーにとってどのような抵抗方法が存在しうるかという、実践的なケースとして、注目を持って見ている面もある。

それは押さえた上で。

ミャンマーを巡る状況にどのような事情があっても、外国との情報遮断を「暴挙」と呼ぶことは適切だと私は考えており、総合的な事情と切り離しても批判されて然るべきだと考えているし、それをすべきであると考えている。

おおよそ政治を為すにあたり、絶対的な平和主義、絶対的な非暴力主義というのは、私はあり得ないと思っており、いかなる政権であっても根本的には暴力から逃れることは出来ないだろう。にも関わらず、一方で政権の、あるいは政策の「絶対悪」は、確かにあると考えており、今回の背景にある(かもしれない)、中国や欧米の諸勢力の思惑や事情とは切り離しても、非武装の市民に向かって発砲することや、外部への情報伝達の道を絶つこと、裁判無で極刑を強行すること等々は、断じて合理的に擁護されるべきではないし、強く批判されなければならないと考えている。この視点は揺らぐべきではないと思う。

これは、軍政であるからNOとか、民主的政権であればYESとかいう問題ではなく、その政権への国民の支持の多寡とも関係がない。他から切り離して、こうした行為は単独で批判されなければならず、停止されなければならないと考えるし、現在のミャンマーの状況はまさしくその状況であると考えている。

※1990年5月の総選挙でNLDと民族政党が圧勝したにも関わらず、軍政が選挙結果に基づく議会招集を拒否し居座ったことは、歴史的な事実として認識されても良かろう。ここで軍政は正当なミャンマーの政権であるという根拠すら失うのだが。

過剰な相対主義の元では、時として人は何も語れなくなるし、どんな行動もできなくなる。理由は簡単で、おおよそどんなことにも「表」と「裏」があるからだ。極端な相対主義に陥ると、あるひとつの行為を批判することが、他方で新たな悪を作り出すことに、あるいはいまひとつの「善」を排除することに繋がると思い当たり、結果身動きがつかなくなる。誠実であろうとすれば尚そうであろう。
おそらく実際に世界はそうしたものであろうし、だからこそ、しばしば私達は、過剰な情報の作り出す迷宮にはまり込む。そしてそこから抜け出すことは出来なくなる。誰も真実を知ることは出来ないし、知ろうとする欲求がよりその主体を一層がんじがらめに拘束することになるからだ。つまり背景を深読みするあまり、絶対的な悪の概念が持てなくなり、目の前にあるほんのシンプルな悪すら批判できなくなる。

私はそれを恐れる。

軍政崩壊後のミャンマーの混乱を根拠に、あるいは多民族の複雑な構成を元に現状の体制を擁護するとすれば、それもまたあらゆる圧制に対して同様の論があてはまり追認することになろうし、実際スターリン支配下の旧ソ連でも、毛沢東の文革下でも同じ論が用いられた。実際に現状の政権が崩壊した後に何がおきるか合理的な予想はできないにも関わらず、あらゆる圧制には存在理由があるということになり、つまるところ暴政の正当化に繋がりかねない。

当時私は成人していなかったが、相対主義の陥った地獄の象徴、その強烈な記憶としてベトナムがある。アメリカがベトナムに介入したことが正しかったかどうか。北爆が適切であったか否か、これについて語るなら、話は永遠に終わらないだろう。ベ平連は日本から飛び立つ大量の爆撃機に異を唱え、日本各所で脱走兵を助けた。人道的見地からの行動はしかし、赤いベトコンを助けることにならなかったのか、インドシナを赤化することに寄与しなかったのか。一方で、赤化を防ぐために脱走の米兵は過酷に死ななければならなかったのか。そしてサイゴンは?この問いに答は出ていない。現在までも、そしてこれからも議論は悪夢のように続く。

しかし物事に表と裏があるからと言って、隠された事実があったからといって、我々はソンミ村で起きたことを知るべきでなかったと言えるのか、枯れ葉剤について知るべきでなかったのか、反共のために黙るべきだったのか。いかなる事情があってもソンミ村の虐殺はあるべできはなかったし、枯葉剤によるシャム双生児が誕生する事態は避けなければならなかった。そこのところは決して揺らいではならないと思う。戦いにおける正義がいずれにあったのかということとは別に。

これは他人事ではなく、かつての戦争で我らの祖父母の頭上に降り注いだ焼夷弾にしても、原爆についても当てはまる。ここで現代の米国の多くの人々の主張は、大日本帝国の行為への評価をもって、あるいは戦いを終焉させるための、不可避の手段として、それらを正当化することである。東京大空襲でも同様の主張がなされたことを僕は知っている。果たして我らの父祖は、大日本帝国の罪により、焼かれて死ぬにふさわしかったろうか。当時知られていなかった大陸での残虐行為(があったとして)のために、死してしかるべきだったろうか。

非武装の市民を戦闘に巻き込むことは犯罪であるという国際的な合意がある中で、ここで構造的な「悪」があれば、犠牲を個人に強いても構わないという乱暴な飛躍があり、そうした欺瞞は現代でもあらゆるところで続いている。それどころか、未だに多くの米国人は事実を知ろうともしない。

ブロガーの役割が、主体の一貫した継続的な責任表明であるべきだというのは、平和国家に住む者としては、おそらく誠実な姿勢であろうが、そうしたことに逡巡している間に時は経過し、暴挙は続いていくかもしれない。電話もネットも新聞も止められている国に対峙するにあって、我らのこうした「知的誠実さ」が、「意志の継続」が、決定的な意味を果たして持つだろうか。その誠実さは自己への生き方への誠実さであっても、彼らに対する誠実さになるのだろうか。100日だけ関わることしか出来ないなら、1秒も関わらないほうがましであると、言っていいのだろうか。

かのエントリーでは、日本にもたらされていない、否、日本語化されていない情報のほんの一片を伝達した。そしてそれは、自分という主体の継続的な主張や思想の表明ではもちろんなく、単なる一時的な伝達であるかもしれない。無責任の謗りがもしあるとすれば、それもわからないでもない。だが1分であれ、10文字であれ、情報の伝達がどんなかたちであれなされなければ、我々は彼の地の出来事への価値判断もできないであろう。もちろん情報の取捨選択は厳になされなければならない。最低限の判断の材料として、現代のミャンマーで何が起きているかを知らせることは、甘い正義感ではなく、不可避のソリューションだと思う。

仮に自分が継続してできなくても、その後を誰かがリレーしていくかもしれない。その誰かが息を切らしたら、今度は自分がまた走る。そういう形があっても、否、人にとってそれこそが苛烈な問題に対していくための唯一の方法ではないのかとすら思う。100m走れなければ1mも走るべきではないとは、自分は思わない。

ブロガーの、いやブログを書く者としてコミットできる可能性が少しでもあるとすれば、僕はほんの少しバトンを前に向けて進めて行きたいと思う。その距離はきっと、途方もなく、馬鹿げて小さいものでしかないこともわかっているが。にも関わらず走らないよりはましだと思っているわけだ。一方で目は凝らしていくのは言うまでもない。


【参考リンク】
ミャンマー暴動メモ(極東ブログ)
ミャンマーの政変、複雑な印象とちょっと気になること(同上)
「非人道的」とはどういうことなのか。批判の限界(1)-(4)(BigBang)


【追記】
誤解のないように追記しますが、私のこのエントリーは、特定の明確なブロガーに向けて書かれた物ではない。従って、他への批判として書かれているのではなく、自分も含めて陥りがちなあるティピカルな論点への評価であり、それ以上ではありません。そういう意味でfinalventさんから再度の「反論」をいただく種類のものではないというのは、その通りだと思います。

 

2007 10 02 [ビルマ] | 固定リンク | コメント (5) | トラックバック