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June 17, 2004

チグリスとユーフラテス

 

ずいぶん昔(4年くらい前)にネットに書いた古い文章ですけれど「チグリスとユーフラテス」のことを僕が書いているものなので、ちょっと暇があったら読んでください。

 

そのころの雰囲気もわかるかも。

 

#漂というのが僕です。

 

< チグリスとユーフラテスから/ぐるぐる-狂気と滅びと再生と1>

 

いろいろなところで書評にとりあげられ、ずいぶんと評判もいいらしい、B・シュリンクという人の書いた「朗読者」という本を図書館で予約して、2週間ほど待って入手した。

 

読み始めたのだけれど、どうもわからない。

 

ナチスに対するドイツ人の鬱屈した思いが込められているということは、わかるのだけれど、どうにも日本人にはこの世界は立ち入ることのできない「深い森」であるように思われた。
メディアで激賛されていた。元女看守と主人公との関わりも、なんだか僕には「一杯のかけそば」のように感じられて切実な感動がなかった。

 

こうも「朗読者」に浸れなかったのも、その直前に読んだ新井素子のちょっと前になるSF長編「チグリスとユーフラテス」が余りにもインパクトがあったせいかもしれない。
新井素子という、おそらく男性はあまりお読みにならないであろう(というか、大多数の男性はこいつのことが嫌いだろうな)作家の「独特の」饒舌で多弁な語り口は、確かに鼻につくのだけれど、人間の「狂い」がすさまじい勢いでエスカレートしていく後半のスピード感が、ぼくは好きなのだ。

 

「グリーンレクイエム」や「ひとめあなたに」といった、初期の作品が好きで、一時ずいぶんはまったのだけれど、いつか読もうと思っていて久しぶりに手を伸ばした「チグリスとユーフラテス」は、僕にとってはがつんだった。

 

ぐるぐる。

 

万一とち狂って(失礼)これから読もうという奇特な人もいるかもしれないから、ストーリーは書かないが、

 

「チグリスとユーフラテス」はとんでもないスケールの時間の重奏構造を持った、ひねりにひねった、そう僕のようなへそまがりな人間のある種の欲望を、すっぽりと満たしてくれる小説だったのだ。

 

そして、お気に入りの、後半にかけての「狂気」の描写は今回もいや今回こそは一段と筆がさえていて、さまざまな現実のわずらわしさの粘着質的なパワーを、うち砕き、別の世界に連れて行ってくれた。

 

こんなにもすさまじい時間軸の破壊を行って「狂気」を描いた小説というのは、(僕はそう豊かな読書歴を持っていないけれど)遭遇したことがなかった。

 

 

 

「狂気」と「滅び」と「再生」と。

 

ストーリーを書けないから、はがゆいけれど、これは要はある惑星の文化の誕生と、発展と、滅亡、そして再生(か?)につなげて終わる物語なのです。
それはもちろん、前にもかいたように途方もなく現実からかけ離れているのだけれど、それでいて不思議と現実=今の僕らの生活というか生のようなものにイメージを重ねてくるところがあった。

 

つまるところ、私たちは先のことなど何一つわかってはおらず、ぐるぐると繰り返しているのだ。

 

「狂気」と「滅び」と「再生」を。

 

そんな言葉を、抱かされて、ぽんと日常に放り返されてくると何の脈略もなく四谷の駅近くにある古めかしいビルの屋上にある、いやあったはずのある「物」のことが思い出された。

 

ぐるぐる。

 

< チグリスとユーフラテスから/ぐるぐる-狂気と滅びと再生と2 >

 

僕が広げた企画書とその説明をしばらく聞いていた、広報課長は顔を上げて

 

「漂さん。これはダメ。ダメなんですよ。うちでは」

 

と言った。
ぼくが憮然としてその理由を尋ねると、彼は、しばらくいい澱んだかに見えたが、とんでもない話をしてくれた。

 

僕が苦戦していたのは、この会社が九州のテーマパークに出店するレストランのテーマコンセプトで、何ら社内からは意味のあるオリエンもメッセージもだし得ず、できることといえば、僕たちのチームを北海道大樹にあるチーズ工場に連れて行ったり、札幌にある資料館に連れて行ったり、果てはオランダの最果ての地に大堤防を越えて連れて行ったり、あてもなくぐるぐると、世界中を連れ回し、やがて1年がすぎようとしていて....

 

そう、僕たちは最初はこのダイナミックな仕事を楽しんでいたけれどいつまで経っても見えてこないこの企業の「テーマ」探しの旅に疲れ始めていたのだ。

 

たまたま入った札幌の資料館で僕はこの企業を代表すると思われるあるオブジェを見つけた。それは牛の首につける「カウベル」で、牛を放牧したときにカランカランと心地よく、ちょっと滑稽な音をたて、牛の居所を知らせるものだった。
形も様々で、音色はなんだか風鈴に似たこのカウベル群が僕は、気に入り、このオブジェを中心に構成したレストランテーマを出したのだった。

 

しかし、僕の企画に首を振った広報課長は、俄には信じがたい話をした。

 

ぐるぐる。

 

彼の話はこうだった。
私たちの会社の象徴として、カウベルはどうかという考えは実は、何年か前に自分たちも思いついた。
そこで、このカウベルを形作った大きなオブジェを、屋上に設置した。
大きな鐘楼のようなこの巨大なカウベルは遠くからでも、認識することができ、絶好のビルの広告塔になる予定だった。
ところが、カウベルを屋上につり下げて間もなく、ある役員が首を吊って自殺した。原因はノイローゼらしいが、よくわからない。

 

そのうち誰からともなく、妙な噂が広まった。
この役員の首を吊った姿が、屋上のカウベルに似ていたという。
いつしか屋上のカウベルが会社に禍々しい不幸を呼び込むのではないかというのだ。
会社は噂に悩みカウベルを屋上から撤去する決定をした。
その場所には、小さな祠が設置され、供え物がされている。都会の真ん中の、著名な企業の屋上にである。

 

この課長の話で会議は重く沈み、僕はもう一度テーマ探しの沈鬱な旅を再開することになった。

 

ぐるぐる。

 

 

 

< チグリスとユーフラテスから/ぐるぐる-狂気と滅びと再生と3 >

 

それから10年近くがたち、今回の大騒ぎになってから、そしてなぜか「チグリスとユーフラテス」を読んでから、僕は、あの会社の屋上にあるという(見たことはなかった)小さな祠と、あるはずだった(これも見ることはなかった)大きなカウベルを思い出した。

 

最初は10円玉くらいの汚染から始まった、「小さな禍々しさ」はやがて、手のつけられない巨大な「凶事」となって、今彼らを襲っている。打つ手はすべて裏目に出て、一つのことをカバーしようと言う努力が次の「禍々しさ」を生みだし、組めどもつきない「計算違い」が続いている。

 

思えば、「チグリスとユーフラテス」では、未来科学の盲点から始まった、ある種のDNA異常が人間を追いつめ、最後にはこの星の文化そのものを滅ぼしていくという物語だった。
一つの計算違いを埋めようと言う努力が、次の「計算違い」を引き起こし、滑稽なほど「勘違いした」思いこみが、やがて喜劇を越えて大きな悲劇につながっていく。
だが、惑星には、今まで思いつきもしなかった、方法で最後の最後になって、希望が生まれる。

 

全体が滅んだ瞬間?いやその直前から再生の物語が始まるのである。

 

「いやあ、明日からはこれですよ、これ!」
人の「苦悩」(!!)など知る由もなく、不気味な話をした直後に両手でスキーの身振りをして、のんきな笑顔を僕に見せた、あの実直さだけが取り柄だったような、あの広報課長の風貌が思い出される。

 

実際、その会社には、スキーの達人がとても多かったのである。

 

つまるところ、私たちは先のことなど何一つわかってはおらず、ぐるぐると繰り返しているのだ。

 

「狂気」と「滅び」と「再生」を

 

ぐるぐる。

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Comments

 5号館です。トラックバックありがとうございました。不思議な気持ちにさせられましたが、なんだかとても良くわかるような気もします。
 ダイレクトじゃないところが、妙にうれしかったです。これからもよろしくお願いします。

今晩は。いつも読ませていただいています。
最初、「なんじゃこりゃ?」と思ったでしょう?(笑)これはずいぶん前に書いたんですが、そしてわかりにくいと思いますが、僕が大切にしているエントリーなんです。わかっていただいて良かったです。

これからもよろしく。

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