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November 30, 2004

小田和正という存在-月曜組曲での驚異6

小田和正という存在-月曜組曲での驚異
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小田和正という存在-月曜組曲での驚異4
小田和正という存在-月曜組曲での驚異5


今日の「月曜組曲」で流れた「生まれくる子供達のために」 は、なおこさんが
「日々のキリトリ帳」で書いていらした曲だ。 僕は、この曲はあまり聞いてい
なかったんだけれど、なおこさんのブログで 読んでから、心に留めていた。

言葉の持つ力は、それが素朴であればあるほど際立つ。
同時にやはりその詞がどんな時代にめぐり合うのか、ということも重要だと
思う。

古い曲の場合、それが書かれた時代は今とは全く違うわけだけれど
幾時代かが巡る中で、同じような、あるいはもっとふさわしい時間に
めぐり合う場合がある。

「生まれくる子どもたちのために」

も、今このときだから、あなたにひときわ響くのかもしれない。

#ここまで書いて気がついたけれど、小田和正が他人の曲をカバーするのも
驚きなら、実はオフコースの曲をこうしてテレビで歌うのも かなり珍しいことなんだね。

それと同時に、どんな人が自分にその曲を伝えてくれたか、ということも
かなり重要だということに最近気がついた。恋人や大切な人が教えてくれた
曲が、ひときわ気持の中に残るのは当然かもしれないが、より不可思
議なのは、こうしてネットの中の見知らぬ人があたえてくれる、何気ない
きっかけだ。その不可思議を思う。

曲が純粋に内在している力のように見えて、実はそれをつくり、伝える
無数の人の渦によって、それ(そうした力)は存在しているわけだ。
ヒトの持つ力が歌に伝播しているわけである。

#あたりまえのことですね。
われらもあなたもヒト。ここはヒトの世だ。

僕も最近、見知らぬ人からふっとブログを見たと言うメールをいただく場合が
ある。どういうわけか僕のブログは、何かに迷っていたり追い詰められて
いたりする時に妙な吸引力があるようで、読んで救われたというメールも
いただいた。

どんな心象の中にそうした方がいて、どんなことを感じてくれたのか
その全てを知ることはできないけれど、

どちらかというと明るいトーンのサイトではないと思っているので、そう
言われるとなにやらくすぐったいような、少し面映いような気持になる
が、やはりこちらも心に響くものがある。いただくコメントも無論だ。
(全てになかなかコメント返しできないんだけど)

人はよく知っている身近な人に救われることももちろんあるけれど、
会ったこともない見も知らない人の何気ない言葉に救われることも、確かにある。
こんな僕でもヒトの渦の空間に対して何かを放射しているんだろうか。

そして面白いのは、というか不思議なのは、救ったことになっているはずの
当の本人もまた、その人からの言葉を聞くことで、その人から生きる力を
もらっていること----つまり、やっぱり救ってもらっている場合があるという
ことだ。

救いを求めて意図せず発した声が、広大な世界のどこかの、同じような誰かを
救うことになるのかもしれない・・となれば、感謝すべきはこちらの方かもしれない。

モニタの中にいる小田和正の声。

どれだけの人がこの夜、救われているのかと考えると、
「つくること」「続けていくこと」の持つ大きな力を、あらためて知る。


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Comments

トラックバックありがとうございました。
それに本文中にリンクまで。
まさかBigBanさんの記事の中に自分の名前を見つけるとは!

「伝播」という言葉に反応してしまいます。

このブログというシステムが広く使われ始めた時に、
なんともそら恐ろしい気がしたのです。
ブログ以前はサイトとサイトの間には目に見えない敷居があって、
黙って覗いている分には良いけれど、何らかのアクションを起こす際には
管理人同士の間で一声かけるといったステップがありましたよね。
ところが、ブログってやつは、そういう経緯をすっ飛ばして
いとも簡単に横へ、横へと繋がっていってしまう。

これは大変な事だと。

世論が「論」以上の力を持ち得るようになるのではないか。
漠然とそんなことを思いました。

たとえば、新潟中越地震の情報を現地から発信しているブログがあって、
そこに書かれた「必要な物資」の内容がブログからブログへと伝えられ、
チェーンメール化してしまった件がありました。
必要な物資は日々変わるのですから、1日過ぎたらもうその情報は屑に等しい。
けれど、その情報は本物の善意にくるまれていたのでどんどん広がって収拾がつかなくなっていきました。

ブログというのはそれほどの伝達力を持っているのだと思い知らされた出来事でした。
使われようによったらえらい事になるのではないかと。

でも

そんな大きなウェーブのようなものばかりが「伝わる」ということではないのですね。
何気なく発した一言が、もしかしたら距離を超え、時間をも超えて
いつかどこかの誰かの心に届く、そんな小さな奇跡が
毎日何千、何万と起きているのかもしれない。
BigBanさんの記事を読んで、そんなことを思いました。

長文失礼致しました。
お邪魔でしたら削除してくださいね。

こんばんは。なおこさん。
でしょ。(笑)

ほかの人の記事に自分のことが出てくるとどきっとしますよね。(確信犯・・・笑)削除するなんてとんでもない。
充実したコメントをありがとうございます。

短い経験の中でブログについて書くときりがないんだけれど、当初のWeblog=日記ツールという概念が強くて、誤解されがちですがぼくは3年以内にすべてのサイトがブログもしくはブログ形式になると思っています。

そういう意味での捉え方は、もちろん一面的であり、TBを中心とする「伝播力」(電波ではないw)は今まであまた登場したインターネットソフトウェアの中でも群を抜いています。ようやく力になるツールを手に入れたと思っているのです。

それに今ブログを開設している人たちは個性的で、表現のスタイルやコンテンツ(本当の意味での)、オピニオンをしっかりもっている人たちが多い。
これもホームページ創生期のごった煮状態とは違います。(あれはあれでおもしろかったけれど)

力として。
生きていく力として。
あるいは何かに対抗するための力として。

僕は期待しています。今度こそ。

ブログを始めて、色んなブログを読むようになって、ほんと、みんなすごく魅力的なブログを書いてますよね。

で、コメントやトラバをいただくようになって、自分でも、コメントやトラバをするようにもなって来ました。そしたら、すごく世界が広がった感じです。ちょっと大げさですけど。

掲示板にはまったりしたこともありましたが、これまでずっとROM専でした。でも、ブログを始めてからは、自分でも、読むだけじゃなくて、コメントしたりしたくなりました。ほんと、そう言う意味で、ブログってすごいツールですよね。

ネットを始めた頃、自分には発信する情報なんてない、と思ってました。でも、始めてみたら、そこには違う世界がありました。今、ブログを始めて本当に良かったと思っています。

>wans-net さん
こんにちは。コメントありがとうございます。掲示板というものも、元々あちこちにあったわけですが、ブログがすごいのは、全てのサイトに、その機能が元々ついているのと、やはりトラックバックでしょうね。
これが、こんなにコミュニケーション促進に威力を発揮するとは、始めてみないとわからないところですね。
今後ともよろしくです。


小田和正さんの曲で誰か教えてください。サビが『忘れない この時を…忘れない この風を…』(だったとおもいます。)1996年ごろTBS系の日本ゴルフツアー番組のテーマ曲だったんですが、曲名がわかりません。よろしくお願いします。

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