SNS

My Photo

My List

BooksBooks

無料ブログはココログ

« 今夜のファルージャ--世界と接する境界を見て欲しい | Main | 友へ---追悼の言葉 »

November 11, 2004

死の格段の厳粛さに気づかぬ者は大バカである。

ようやく欝な検索用語の波が引いてきた。
ネットにはさまざまな人がいる。
僕のサイトにコメントを残された方で、この発言は聞き捨てならないと思うこと数知れず。
しかし大海のような人の数の前で、徒労感にすら襲われる。

香田さんの件では、我慢のならない無礼さが行きかっている。
バカをバカと言って何が悪いなどという単純思考からは
何も生まれない。1人でずっと言ってればよろしい。
おっと1人ではありませんでしたね。お仲間は結構たくさんいる。


それでもバカはバカだとおっしゃいますか。

ちょっと待ってください。そもそも我々はみなバカなんです。
あなたも、私も。

偏差値が75だか50だかという次元ではない。
一回、みんな愚かなものだというところから、一緒に出発してこそものを
考えていくことができるのである。
この混迷した世界をどうしていくのか、共通の認識から出発することができる。

世界に目を向けず、失敗したものをそしり、侮辱しあざ笑う。
この致命的な卑しさに気がつかない者がなんと多いことか。

近視眼的な卑怯者のあふれる国のはるかかなたでは
今日も無力な人々が死んでいく。

聞いてみたい。これらの国々はみなバカな国ですか。
ならば世界はずいぶんとバカな国々と、乱暴者の国と
そして卑怯者の国しか残らないことになる。


今日夕方、大学時代の友人の急死の報が入った。
彼も野放図で破天荒な人生を送って早逝した。
彼もバカかもしれない。

ただ、一つ言える事は、そんな彼であっても彼の死を冒涜するも
のがいれば、僕は許さないということだ。

死というものはそういうものだ。
運動会の勝敗や、模擬試験の勝ち負けではない。
ましてやディベートの材料でもないし、業界の重箱のような
重箱処世訓と一緒に語られるものでもない。

死の格段の厳粛さに気がつかずに世界を見逃して生きていく人を、
僕は大バカと呼ぶ。

« 今夜のファルージャ--世界と接する境界を見て欲しい | Main | 友へ---追悼の言葉 »

Comments

トラックバックありがとうございます。
「バカ」を「バカ」というのは勝手です。
まあ法律論の展開は避けますが。

ところで、「イスラエル」を経由して「イラク」に、
しかも十字架のいれずみをして、正規ではないルートで
入国(越境)したとの情報が正しければ、かれは法的にも指弾されるべきでしょう。

さて、あなたは「バカ」を「バカ」と認識しない人ですか?
ならばシナプスが切れている人、と認識される可能性があります。
あなたは、ご自身の脳で「バカ」という概念をつくりあげ、多くの人がカレについて「バカ」ということを言っている、という認識があなたにあるわけです。

つまり、あなたもカレを「バカ」といっているわけです。
あなたが意識しまたは意識せずとも、脳の働きでは、
「バカ」というデータを保持したことになりますよ。

脳の働きを考えましょう。
さもなくば、あなたも「バカ」わたしも「バカ」みんな「バカ」なんです。


すごい論理展開ですね。・・
いや論理じゃないんでしょうね。

シナプスという言葉がお好きなようですが。
唖然としながらも、この投稿の格好のターゲットの方であろうと思いますので、微笑してお迎えしましょう・・

>さて、あなたは「バカ」を「バカ」と認識しない人ですか?
>ならばシナプスが切れている人、と認識される可能性があります。
>あなたは、ご自身の脳で「バカ」という概念をつくりあげ、多くの人がカレについて「バカ」ということを言っている、という認識があなたにあるわけです。

>つまり、あなたもカレを「バカ」といっているわけです。

なんか逃げていくようなコメントですね。
わたしは、香田氏は「自殺した」のではないか、というメールを200通弱受け取っています。
それぞれ理路整然と書かれていましたが、事実は「自殺」ではないでしょう。香田氏が単に「バカ」だったということです。

心神喪失状態で鉄道に飛び込んで「自殺」というのと同じ程度の尊厳のある死であると私は考えております。

なぜならば、一般の常識ある人であればパスポートの表紙をめくったところに書いてある文章と(日英)その文責である「日本国外務大臣」が「行くな」といっているところに、しかも日本のパスポートを不正な手段で使用してイラクに密入国したといわれています。
(カレのパスポートにイラクのイミグレの記録がないらしいですが。)
それでもなお、カレの救出に尽力した日本政府についてあなたはどう思います?ぼくはほうっておけ!税金の無駄遣いだ!とは思いませんでした。
世界にむけて「恥ずかしい日本人」を早く回収してだびに付してくれ!と思いました。実際にオーストラリア人の複数の友人が、オーストラリア一般の世論として「香田というバカな旅行者が十字架を腕に書いて頭と胴体を引きちぎられたらしい」、と笑っているらしいです。

※シナプス、という言葉が好きなのではなく、説明上の必要からです。シナプスがつながらない状態で、あのようなことが可能になる、とでも説明しておきましょうか。(わたしは経済学部生です。)

>学生の株屋さん

BigBanです。再度のコメントありがとうございます。
サイトも見させていただきました。
せっかくきていただいたのですから、できれば議論したいとは思いますが、サイトの印象からは難しいのかなと思っております。

ですが端的に、あなたと私の見解の違いについて、あなたのコメントの中の「肝心でないと私に思われる部分」以外について書かせていただきます。

>わたしは、香田氏は「自殺した」のではないか、というメールを200通弱受け取っています。

興味がありません。あえてこのことをいろんなところに書かれるお気持が私にはわかりません。

>それぞれ理路整然と書かれていましたが、事実は「自殺」ではないでしょう。香田氏が単に「バカ」だったということです。

あなたには、「香田氏がバカだった」ということ以外の視点はおありではないのですか?私は彼は「軽率だった」とは思いますし、その軽率さを棚に上げて美化するつもりはさらさらありませんが、死者への礼儀としてそうした言葉を使いたくありません。バカと連発して一体何が叶えられるのか理解ができません。

現在のイラクの状況や日本の状況を語るときに「香田さんがバカだった」と繰り返し言わないと語れないものなのでしょうか?
これは皮肉ではありません。あなたのような方を多く見ますので非常に疑問に思っている点です。

>それでもなお、カレの救出に尽力した日本政府についてあなたはどう思います?ぼくはほうっておけ!税金の無駄遣いだ!とは思いませんでした。

不正にイラクに入国した「軽率な」日本人を助けようとしてはいけないというわけですか?
私は助けてもらいたいと心から思いました。但し自衛隊の撤退をそれを理由に行えないということは承知しています。
あくまでも日本国家の責任として、日本人の生命を守ってもらいたいと思いました。国家として当然の義務だと私は信じて育ちましたが私の勘違いですか?
この考え方はあなたにとっては「非常識」なのですか?

「不正入国したバカは助ける必要がない」

とおっしゃいますか?でしたらそれはあなたと私の見解の相違ですね。

>世界にむけて「恥ずかしい日本人」を早く回収してだびに付してくれ!と思いました。

憎まれ口をいいますよ?私にとって恥ずかしい日本人はあなたのような考え方を堂々と繰り返す方のほうが恥ずかしいです。しかし回収していただくわけにも行きませんしね。あなたは法を犯してはいないし、不正入国もしていませんから。
怒らないでくださいね。それこそ、見解と感性の相違です。

>実際にオーストラリア人の複数の友人が、オーストラリア一般の世論として「香田というバカな旅行者が十字架を腕に書いて頭と胴体を引きちぎられたらしい」、と笑っているらしいです

それがオーストラリアの世論ですって?ずいぶん信用できないお友達をお持ちではないですか?苦笑するしかありません。オーストラリアの名誉のためにもそんなことは書かれないほうがいい。
私もあなたのような意見が日本の世論であると、あなたのお友達から外国に広められたらたまりません。

最後になりますが「シナプスが切れている」という表現を使われている方を良くみますが、なんなんでしょう?はやり?それともお友達ですか?まさかすべてあなたじゃないですよね?
・・・・これは失礼。今のは取り消します。
ちなみにあなたが理系か文系かは興味がありませんのであしからず。

いろいろ憎まれ口を効きましたが、せっかくいらしてくださったことには感謝します。ではでは。

TB、コメント、有り難うございました。
正直言うと、同じ怒りや憤りを共有して下さる方がいると、随分と気が楽です。本当に有り難うございます。

同時に、ご友人が亡くなられたとのこと、ご冥福をお祈り致します。早死にした友人というのは私にも既に何人かおり、その中でも二人は病死なのですが、本当に何か出来なかったとか、後々思い出しては考えてしまうものです。
豪快な方だったのでしょう。
多分、そういう生き方が性に合っていて、恐らく「誰がが何と言おうと、我が人生に悔いなし」などと言いながら、下界を見下ろして笑っていそうですね。
やり残したことは多いのでしょうが、本人は多分、思いっきり生きた人生だったのではないでしょうか。
少なくとも、心から悼んでくれる友人を残せた人生だったのですから、悔いは少ないはずですよ。

りーとさん、ありがとう。
死は自分と関係のない遠い世界であると思っている人に、今回の件に関して、より軽率な意見が多いように思っています。
それはその人たちが馬鹿だとかじゃなくて(笑)、元気があり、まだ若く、死を身近の苦しみとして(毎日解剖してますなんてのは次元が違う話です)捉えることができないのではないかと思います。

畢竟、一言で言えば「若い」ということかもしれない。

身近な人間が死に、愛する人が死に、親が死ぬ・・
そうした「痛み」に幾度も出会って必ず考えは変わっていくでしょう。それを信じたいと思います。

トラックバックを戴きまして
ありがとうございます。

ボクは幸田氏の死を
恥ずかしいと思い糾弾した立場です。
そして彼の死を悼めないと言う記事を書きました。
(悼まないのではなく、悼めないのです)

彼がタダの無知で軽率なだけの男なら
それは別によいのですが
彼は残念なことに
イスラムという教えの中で生きる人を
侮辱し侮蔑しました。
故意ではなかったにせよ結果的に。

その内容については良いでしょう
虚実を織り交ぜた報道でお聞き及びと思いますので。

イスラムの女性に知り合いがいて
その人に感想を聞いたら
その死を「報い」だと言いました。

その人が過激なのか
それともそれがイスラムの常識なのかは知りませんが
強い宗教意識を持つ彼らにとっては
案外そういうモノかも知れません。

そしてイスラムの人たちに
そういった感情を抱かせた同胞を
やはり恥だと感じます。

わたしも確かに馬鹿です
しかし馬鹿は存在に負い目はなくとも
その馬鹿の延長上に加害者としての側面が有れば
それは非難され糾弾されるに値します。

またそうすることが
それに続くモノへの抑止にも成る。
わたしはそう思っています。

わたしは死を冒涜しようとは思いません
ただ彼の生に対しては非難をしておきたい。
そしてそれは死を越えた後に消え失せるような
小さな過失ではないと思っています。

彼が死んだことは痛ましいことで
その死を悼むことは大切だと思います。

ただ死というひとつの区切りは
全てをひっくり返すハートのエースではない。

ボクは死刑後の重犯罪者を許せない。
ボクはアラファトを許せない。
ボクはヒトラーもムソリーニも
スターリンも東条英機も毛沢東も許せない。

それどころは彼らの死はむしろ
歓喜の対象ですらある。

幸田氏はそういった人とは
比べるべくもない小さなモノで
その死を歓喜の対象だとは思わず
むしろ悼むべきだとは思います。

しかしだからといって
生前の彼の行いを否定し罵倒したい気持ちは
やはり消せない。

ただ、彼の親を非難するのは
お門違いな部分もありますね。

自衛官の家族以外は
彼の親を非難する資格はない。


彼の母親が会見で言った
「うちの子は自衛官じゃないから・・・」
という発言の直後
自衛官の妻である友人から電話があり
「自衛官なら死んでも良いのか」
と泣きじゃくりながら訴えられました。
そういう意味で
自衛官の家族以外という表現をいたしました。


わたしは若い
死への現実感もたぶん薄い。

友人の幾人かは死に
同じ屋根の下に住んだ親友や
姉のように慕っていたいとこもなくし
数人の親類を神戸でなくしました。

しかしわたしはそれでも死を身近には感じていない
そう自分を定義します。
それはたったそれだけのことを持って
それがいかにつらい経験だろうとも
死を知ったかのような立場に立ちたくはないからです。
死はそれほどに畏敬の念を持って接するモノだからです。

しかしだからこそ
死は贖罪の魔法ではない。
そんな都合の良い道具ではない。

彼の死は悼みたい
悼むべきだとも思う。
しかし彼のしたことを想い
命がけで主義主張を戦わせる人たちの信念を思うとき
わたしは彼の死を悼めない。

esesinnsiさん、今晩は。
しっかりと向き合っていただいてありがとう。

私も死がすべてを洗い流すとは思っていません。
香田さんは軽率でした。それは全ての人が認めています。
それはいいんです。

問題としているのは、人としての態度の問題です。
これは何が正しいとか、正しくないとかではない。
死に対して持つべき、あるいは持っていると当然に
思われるある種の厳かな思いが失われている、もっと言えば
垂れ流しのような思い付きの誹謗を重ねている人たちがいる。
それが許せないといっているのです。

おそらくあなたは違うと思います。
真剣に考えていただいていると思う。

でも一つ疑問があります。

>彼は残念なことに
イスラムという教えの中で生きる人を
侮辱し侮蔑しました。
>故意ではなかったにせよ結果的に。
その内容については良いでしょう
虚実を織り交ぜた報道でお聞き及びと思いますので。


彼のどの行動がイスラムへの冒涜なのですか?
十字架をつけていたこと?
それとも半ズボンでいたことですか?
私の知らないこともあるかもしれないので
教えてください。ただし、噂はやめてくださいね。
確かな「彼がイスラムを侮辱した」と思われる事実が
あるのでしょうか?

それともう一つ。
彼がイスラムを冒涜したから殺されたのではなく、
外人であれば誰でもいい。つかまえて、武装勢力に
売り渡してやろうという卑しい人々のせいで彼は
死んだのではないですか?
あの国に入った軽率は百万遍も言われるとして
礼儀正しく私やあなたがしていても、私たちは
やっぱり殺されたのではないですか?

それと、さらに言います。
逆の立場になってください。

この日本に入ってきて、日本人を結果として
侮辱していると思われる行動をとっている外国人は
たくさんいます。
例えば先日の沖縄でのヘリ墜落時に米軍がとった
行動をご存知ですか?
私も記事を書いていますから、ご存じなかったら
読んでください。

ここまで侮辱されている私たちは、1人の米軍の
首もはねていませんよ。
これはなぜですか?

イスラムとの文化的違い?

それを私は許せません。
考え方や習慣、思想や宗教の違いで人を惨殺するということは許してはいけないのです。断じて。

それなのに、殺された同胞の責任を一方的に糾弾し
結果として現在の小泉政権やブッシュを利する人々は
一体どういう了見なのでしょうか?
それが問いたく思います。

>イスラムの女性に知り合いがいて
その人に感想を聞いたら
その死を「報い」だと言いました。

こういう感想はいろんな人がいろんなことを感じ
言いますよ。
私たちは。「こういう人がこう言っているらしい」とか
「向こうの世論ではこうらしい」という「デマゴーク」に
惑わされず物を自分達なりに考える気概を持ちましょうよ。

本質はどこにあるのか。

決してある種の人々が声高に叫ぶ「青年の軽率」になど
ないはずです。

丁寧なご返信、ご反論痛み入ります。

まず彼の犯した罪について。
やはり貴殿のご指摘のように
半ズボンと十字架はいけないですね。

かつてサウジでアメリカ軍の排斥が起こったとき
その理由は「ノースリーブの兵士」だったと聞きます
(もちろん民衆レベルの理由ですが)
イスラエルではパレスチナの人の目の触れる場所で
人形すら売ってはいけません。
偶像崇拝を禁じる彼らへの配慮です。

私たちに計り知れないほど
イスラムの戒律は厳しく
そしてそれは厳格です。

彼はそれを知らないと言う理由で
犯すことになった。
しかもまさにそこで
そういった価値観を巡る戦いが行われている
その場所で。

確かにイスラムの戒律を犯したから
彼は殺されたのではない。
しかしイラクにいる日本人は
彼だけではなかったはず。
今でもたくさんの日本人が
彼の地に滞在しているのです。

その中で彼がチョイスされた
その原因の大きなひとつが
彼の軽率な
故意ではないイスラム蔑視ではなかったか?

そうかんがえるのは、
推測を越え空想には
ならないと思っています。

ボクは当然テロを憎みます
そして教義のために人を殺すことや
宗教として殺人を肯定する
そんな考えは認めません。

しかしそんなボクの考え方
ある意味世界的常識こそ
イスラムの人、特に原理主義の人にとっては
僕らが彼らに思うのよりも強く
認められない考え方なのでしょう。

他文化とのせっしょっくにおいて
人の取る道は3通りしかないといいます。
それは、圧力か尊重か批准です。

価値観の違いを
圧力で埋めることを
ボクは良しとはしません。
よってアメリカの派兵も日本の派遣も
原則反対です。

しかし当然批准はしない。
イスラムの考え方を認め批准するなど
ボクの何処を探しても見あたらない考え方です。

そうなると尊重するしかない。
彼らの考え方を彼らの内だけで
実行し実現するならかまわない。
そういった立場です。

彼らが日本で
イスラムの戒律に従って
聖戦を起こしたならばそれは非難します。
しかし彼らの文化圏においては
彼らの価値観で彼らが動くことは
ある意味自由だと考えています。

彼らの文化圏において
彼らに殺されても仕方のない様な振る舞いをし
(イスラムを侮辱したと言うことだけでなく
国際情勢を考えてないと言う点でも)
結果殺されてしまった彼を
悼めないのはそういう理由です。

死は厳粛で厳格です
それは生がそうであるのと同義で
軽々にどうこう言えるモノではない。

しかしイスラムの人
特に原理主義者にとっては
自らの生や死すら
宗教を越えて厳格なもの足り得ない。

そしてそれは「認める認めない」というモノではなく
「正しい正しくない」というモノでもなく
あたかも空気のような常識であり
彼らの文化そのものです。

そんななかで
批准するわけでもなく
尊重するわけでもない
振る舞いをした幸田氏が
自らに圧力を加え
価値観と文化を破壊しようとする
アメリカの一派に連なるモノだと
彼らに認識されても
当然のように思います。

自分の価値観をかっことして持つことは
確かに大切なことでしょう。
しかし、それでは世界ははかれない。

鯨を食うことを野蛮だという人もいる
犬を喰うことを当然だと思う人もいる
重婚が富の象徴な国があり
貞淑が人の理性だという国もある

どのレベルのどの主張も
やはり尊重されるべきで
もしそれを自らの価値観で喝破しようと言うなら
それなりのリスクと報いを覚悟しなければいけない。

特にそれぞれの文化圏で
自らの価値観を守り保持するには
多大なる覚悟が必要なはずです。

彼にそんな確固たる価値観はあったのか?
あったとして報いを受ける覚悟はあったのか?

異論反論は多いとは言え
民主国家の定義として
国民の総意で派遣された自衛隊の撤退を
我が身のかわいさから求める彼に
それがあったとは考えにくい。

批准もせず尊重もせず
イラクを訪れた幸田氏が
圧力を加えている国家への見せしめとして
殺害されてしまった一連の流れが
ボクには自然に思えて仕方ない。

かつて同じようにイラクで命をちらした
橋田カメラマンの夫人が
記者会見で語った
「本望です」という言葉の意味が
今とても強く感じられる。

イラクの国民も
イラクの原理主義者も
そしてアメリカ兵も
厳格なる命をかけて
彼の地で文化の対峙と攻防を行っている。

そして幸田氏の命も
やはり厳粛であると捉えるならば

人が命がけで戦っている場所に
覚悟もなく踏み込んだ彼を許せないし
彼の命という大切なモノを
このようにいい加減なことで散らし粗末にしたことを
ボクはやはり許すことが出来ない。

命の大切さを想い
死の厳粛さに真摯に向き合うからこそ
彼の死は悼めないのです。


似非紳士さん、そちらこそ丁寧な再反論をありがとうございます。
ご意見を何度も読みました。似非紳士さんのおっしゃっていることに総体として異論はありません。
ただ、あなたは一つだけ間違っています。

それは

「彼の死は悼めないのです。」

と言われていることです。

あなたは十分に彼の死を悼んでいます。

それが私のあなたの文への感想です。

こんにちは。はじめまして。
BigBanさんの記事(というかそこからつながる様々なblog)
を拝見しまして思った事を書きましたので、
勝手にトラックバックさせて頂きました。

TBって他人のHPに無断でリンクを貼るってことだから、
考えてみれば失礼な話ですよね。
もし、不快に思われたら消しちゃってください。

BigBanさんの言い回しは詩的で、僕の好きな感じです。
これからも素敵な記事を書き続けてください。

くさのさん、こんにちは。
ブログ拝見しました。

>語りえないものには沈黙しなければならない
(ヴィトゲンシュタイン)

には考えさせられるものがありますし、その言おうとすることも(少し)わかります。ですが私が共感するのはむしろ、その後のくさのさんの言葉

>しかし、合意に達する事はできなくても、それでもなお、
語り合うということ自体に意味があるのかもしれません。

の方です。
真剣に論じ合うことは元来「格好悪いこと」だと思うのです。ですが、この世は「格好悪くても」やらなければいけないこともあるし、格好悪くても許してはいけないことがある。

例え結果は空しくても、そこはできる限り(できる限りですよ)コミットしておこうというのが僕の考えです。

#とこういうやりとりをしているのも、格好悪いと思う人からは格好悪いんですよね。きっと。笑

これからもよろしくお願いいたします。

もう、それ以上、彼らに優しくしてあげることも、甘やかすこともやめたほうがいいと思います>BigBanさん
貴方ご自身の時間も、彼らと違って有限です。

くさのさんは「語りえないものには沈黙しなければならない」と言っています。
いい言葉ですが、我々にとっては、「語り得ぬこと」ではないけれど、彼らにとってはまだ「語り得ぬこと」なのです。

置いて行かれること。
見送ること。
助けられたのに気づかずに、助けられなかったこと。
助ける道もわからず、ただ一緒に嘆くくらいしかできないこと。
助けようにも何もできず、己の無力を嘆くこと。
ただ、遺族と一緒に涙すること。

彼らにとって経験したことがほとんどないことが、我々にとっては、今日明日にも再び来る筈の、ごく有り触れた試練です。
いつかは、彼らもそんな日が来るはずですが、今そう感じられないならこそ、他者の死を粗末に扱える。
それは、己にとって「死」という存在があまりに遠く感じられ、意味がまだ実感出来ていないからでしょう。
また、妙な選民思想をもっていて、自分や身内の死と他人の死とでは価値が違う等と思いこんでいる人々の場合もありますが、その場合は、「洗脳」が解けるまでいくら、あるいは何歳になっても、悟れないので、話しても無駄です。

彼らにも、消化するまでの時間が必要です。恐らく数年、人により数十年かかるものでしょうが、いずれ誰しも通る道であり、それが理解出来ないなら、家族や恋人と必ず齟齬ができて、そういう人々を苦しめるだけのこと。
そこまで、貴方が心配する必要はないと思います。
もう、そろそろ、甘やかして世話をしてあげなくていいと私は思います。
BigBanさんだとて、昔、親に言われたことがわからず逆らっていたのに、いつの間にか自分がしっかり理解出来てるようになっていたことが、たくさんあるのではないでしょうか?
そんなものですから、言葉はもう充分尽くしたと思います。
物事には、時間も要るのですから、そうせっかちにならずに。
短気な私も、よく忘れることなんですが。

りーとさん、今晩は。
ありがとう。

まあ、僕もりーとさんのところを訪れている性質の悪い若干の人のことが気にかかり、ニュアンスは違うけれど同じような「忠告」をりーとさんにしようかと思っていたところです。

とりあえず僕は(時々言葉が激烈かもしれないが)あせってはいません。おっしゃるとおり、この種の話題は、人生経験により、表出の仕方が異なるでしょう。
だからといって、経験が多ければ必ずしも結果がいいとも限らないのが、難しいところであり、生きていくことのおもしろいところでしょう。

若くても本質をしっかりとつかんでいる人もいる。
いくつになっても「何を言ってるんだか」という人もいえる。

とかく若いうちは、自分より相手が年上というだけで許せなくて何かにつけてつっかっかったりする。後になってから顔から火が出るような思いをすること、数知れず。

>BigBanさんだとて、昔、親に言われたことがわからず逆らっていたのに、いつの間にか自分がしっかり理解出来てるようになっていたことが、たくさんあるのではないでしょうか?

僕ですか?あえて聞かれるまでもありません。
但し時間をさかのぼってあの頃に戻れば、やっぱり言うこと聞かないと思いますよ。

そういうもんでしょう?


 BigBanさん、こんにちは。

 私は香田さんがどういう人間だったか、どういう生き方をしてきたのか知りません。またこれからとくに知ろうとも思いません。だから、香田さんの人間性に言及する立場にいません。

 ただ、一人の人が残虐な殺され方で死んでいく動画を興味本位で見ようとし、それを正当化する心理はひどく醜いと思っています。その点でBigBanさんに共感します。

 この件で私のサイトへアクセスがさらに集中するのは避けたいのでアドレスは書きませんが「香田 動画」で検索してくるアクセス数は莫大です。
 「ロシア 人質 子ども 裸」で検索してくる人の次に多いのです(!)。失望します。性や暴力への醜い欲望に身を任せるな、恥を知れ、といいたい気持ちです。

 香田さんを非難する人たちは、一人の死というつらい事実の責任を感じ、そこから逃げたいのでしょう。日本という国が彼を守れなかった責任を強く感じ、その責任のつらさから「甘えだ」と当の被害者を非難したいのでしょう。死んだのが仮に自業自得だとしても、さらに非難するのはひどい。かりに自業自得だったとしても、彼は命というもっとも高価な代償をもって償ったのだから。

 私は香田さんの死についてどう思うかといえば、ただ悲しいだけです。死者をそっとしてやってほしい。酒の肴や話のダシにしないでほしい。

 たとえヒトラーが惨殺されたとしても、その残虐な映像を皆で見て楽しんだりするべきではありません。私の考えは極端かもしれませんが、誰の命であっても命は尊いと思っています。

ネット上の掲示板で、香田君の殺害映像について面白可笑しく茶化す連中が多いですが、こういっいた若者達はのモラルの無さや、人の痛みが分からない連中に対して悲しくなります。   遺族の方々もどれだけ傷ついたか、、きっと成長して行く過程で、人としての最低限の思いやりや優しさを教えてくれる人がいなかった、可愛そうな人たちだとは思うけど、こんな思いやりのかけらも無いような連中が作り上げていく日本の将来はどうなるんでしょうね?幸田君がイラクへ行ったこと云々よりも、人の死というものを面白可笑しく茶化すことの出来る人達のほうに、憤りを感じてしまいます。 

The comments to this entry are closed.

TrackBack


Listed below are links to weblogs that reference 死の格段の厳粛さに気づかぬ者は大バカである。:

» deaths with or without dignity [海に向かってバカ野郎]
香田氏を初めとして、民間人がアホな場所に行きアホなことをして、当然の結果として首切られて死んだり怪我をしたり事件に巻き込まれたりすると、とたんに擁護しだす輩は多... [Read More]

» 【ブログ】死者を冒涜するなかれ - 医大生を名乗るA君へ - [改善案まにあ]
ここ数日、ブログのTBに関して、医大生を名乗るA君という人とずっとトラブルがありました。 相手も謝罪を拒んでいますし、私も謝罪する筋合いはありません。よって、こ... [Read More]

» 語りえないものには沈黙しなければならない [V.E.フランクルと僕の日記]
なんか語呂が良かったから覚えているんです。 確か、ヴィトゲンシュタインという哲学者が神は存在するかどうか という論争に対して、「存在するとも存在しないとも言えな... [Read More]

« 今夜のファルージャ--世界と接する境界を見て欲しい | Main | 友へ---追悼の言葉 »

-