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March 10, 2005

たった一人の一から-----受け継ぐ偉大なるブログの遺伝子

ここのところ、いろいろなことがあったせいか、時間がずいぶんと密度が高いような気がする。まあ、誰の人生でもきっとそんなに平穏無事などということはなくて、沢山のことが起きているのだろうから、特に自分だけがと思ってはいけないけれどね。そのせいか、なかなか眠れない。これはいつものことだが。

ブログでも、何でもそうだけれど、プロであれ、アマチュアであれ、言論を張るのであれば「たった一人の一」より始めたいといつも思ってきた。
人種、家族、会社、職業、学歴、派閥・・そうした属性から逃れることは、僕もあなたももちろんできないのだけれど、せめてものを申すのであれば、その属性を全部払ったところで、大仰に言うと「たった一人で宇宙に立つ」つもりで全ての束縛から自由にもの申したいと、子供の頃から思ってきたのだ。

もっとも、僕の場合、両親という多大なる束縛が存在せず、出発点の「一」から始めるということは、比較的しやすい環境に生まれたので、「このまま何も守りたくない。一重に全てを「一」から見ていきたい」と思っていた。他にはできない、それこそが自分の「生きる道」だと思っていたのだよ。

そう。確かにその段階では、ずっと1人で生きていこうと思っていたのである。

ところが大人になり、期せずしてしがらみもでき、新しい家族ができてみると、この思いを貫くのは決して簡単ではないというのは、もちろん身にしみてわかってきている。むしろ僕の場合、この「出発点が一であること」を言わないと、何も言えないような、ある種逆プレッシャーのようなものがかかり、必要以上に自分の事情の説明から始めてしまう癖があるのは、このサイトの読者おわかりの通り。最近それで痛い目にもあった。

いやいや、そんな話は実は前振りであって、ここで触れたいのは、残念なことに一つのブログが更新を停止した話である。残されている記事も今月一杯で読めなくなるという。尊敬するstandpoint1989さんの「小さな目で見る大きな世界」である。
最初は「世界史オタク」の何だか小難しいブログだなあ程度にしか思わなかった(失礼!)のだけれど、いつしかその独特の語り口と、超絶の博識に圧倒され、ブログ界にあっての僕の精神的思想的な支えの大事な一つであっただけに、そのあまりにも潔いというか、鮮やかな幕引きに、再度驚かされている。

前段の話がどうつながるかというと、standpoint1989さんこそ、まさに「たった一人の一」で、この世界に毅然と立っておられる風の方だったからだ。広大な知識や趣味、関心を背景に論じていても、博識の者にありがちな「解説自慢」はなく、いつも感性と論理を鮮やかに配合して独自の見解を披露し、そして論争の時には決して引かない骨っぽさもしっかり見せていただいた。
コメントしようと思っても、BigBanの浅学では、よほどのテーマでないと口もはさめなかったけれど、知的で元気づけられる背筋の伸びたブログだった。

自分ごときとは違って、決して私的な弱みや背景も掴ませない方だった。まあ、いまのような「私的には弱み出しまくりの、それでいて攻撃的なスタイル」というのは、僕には合っているので、何もstandpoint1989さんの真似はできないし、する必要もないのだが、ある種の硬派の美意識の漂っているブログだったので、1年間を節目にぱっと止めてしまわれる上に、サイトも全面的に閉じてしまうということを聞いたときには、本当にがっかりした。
「在庫処分」と称してここのところ、未公開の記事も、どっと出してこられた。想像を超える遙かなる余力をもっていることを、最後にあらためて見せていただいた。

しかも、全ての記事の著作権も放棄し、自由に使ってくれとまで言われる。なんということだ。最後まですがすがしいほどに毅然として、過去を振り返らず去っていく人である。

#結構生きにくい人かもしれないなあなどと無礼にも心配したりもする。余計なお世話ですね。

ただ、「これほどの想念を持つ人が沈黙できるのだろうか」という僕の下種な予想の通り、ご本人的には、いつか別のブログを再開する可能性も言っておられるので、そのことだけをせめてもの希望として、楽しみに待ちたいと思う。

今月が終わると、「小さな目で見る大きな世界」は消滅する。何かあったときに、このブログを頼ることはできなくなる。いつかstandpoint1989さんが帰ってくるまで、(こういう言い方はとてもおこがましくて、荒唐無稽なのは百も承知だが)微力であっても、その何百分の一の遺伝子だけはここでも受け継いでいきたいと思う。

僕なりに解釈した、「その受け継ぐ遺伝子」とはもちろん、最初に書いた「たった一人の一」から始まる格闘の覚悟である。


standpoint1989さん、本当にありがとう。お疲れ様でした。

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Comments

私も読んでいて、ごくたまに(!)コメントを書いたりする、好きなブログの一つでした。
一年という期限を定めてらしたのを知らなかったので、だんだん終わるという風になってきて、「あらら」と思った次第です。

ブログ、ネットの世界は、「基本的には」人間が個人として、しがらみから解放され、その思想をまっすぐに発信できるところにあると私も思います。
そして、リアルな社会では絶対に出会えないような人々の思想に触れて、異論を知ったり、同意見の人にであったりできることが醍醐味でしょう。

私にとって「小さな目で見る大きな世界」は、必ずしも考えが一致するブログというわけではありませんでしたが、何も時事をリアルで採り上げなくても、自分が普段考えていること──それは彼にとって世界史であったり文学であったり、思想であったりしたわけですが──を良質な随筆のように書き連ねるという方法での「特化」もあったのだなあ、と新たな発見をさせてくれたブログでもありました。

そうですね。彼の遺伝子を受け継ぐというようなおこがましいことはできませんが、私は私なりに、ちょっと考え方を変えて(どうしても受けに走る私…)たまには文学のことを書いたり、時系列がいつであっても読めるようなエントリもしてみたいと思います。もともと「自分の思考をまとめていくこと」「文章を鍛錬すること」を目的に始めたブログですから。(ちょっと~いや大分自己満足ですが)


こんにちは。ぶんだばさん。

>私にとって「小さな目で見る大きな世界」は、必ずしも考えが一致するブログというわけではありませんでしたが、何も時事をリアルで採り上げなくても、自分が普段考えていること──それは彼にとって世界史であったり文学であったり、思想であったりしたわけですが──を良質な随筆のように書き連ねるという方法での「特化」もあったのだなあ、と新たな発見をさせてくれたブログでもありました。

そうですね。件のブログで知ったのは、本当に「良質の」コンテンツの前には、「意見の違い」などということは二の次なのではないかということです。まあ、考えてみれば同じ意見の人が群れていてもしょうがないわけです。(で、つい違う意見の人のところにTBしては物議をかもすのですが)

異なる意見だったとしても、「小さな・・・」さんの場合には、やはり力がありますから、新たなものの見方を提供してくれた。(時折難しすぎてわからなかったのですが 笑)

そうした「知的に重厚」なブログは貴重だっただけに残念です。

#それにしても、相変わらず僕の記事のタイトルは恥ずかしい・・・・少し後悔。

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