靖国参拝は犬の散歩ではない----参拝私人論の不自然
小泉純一郎首相は30日の衆院予算委員会で、首相の靖国神社参拝について違憲判断を示した同日の大阪高裁判決について「私の靖国参拝が憲法違反だとは思っていない。首相の職務として参拝しているのではない。それがどうして憲法違反なのか、理解に苦しむ」と述べ、反論した。松本剛明氏(民主)の質問に対する答弁。首相は同日夕、判決が自らの参拝に与える影響を記者団に問われ、「ま、ないですね、(判決自体は)勝訴でしょ」と述べ、否定した。
答弁で首相は「私は戦没者に対する哀悼の誠をささげるということと、二度とあのような戦争を起こしてはならないという気持ちで参拝している。それが憲法違反であるというのはどういうことか」と判決を批判。年内の参拝の予定については「適切に判断する」との立場を改めて示した。(毎日新聞 - 10月1日)
一体この人物は何度同じ言葉を繰り返すつもりなのであろうか。「理解に苦しむ」のはあなたの頭の中である。あなたがこれまで「適切に判断」できていないからこそ、靖国は近隣国に外交カードに使われる羽目になっているのである。
のみならず、国内の伝統的国家主義、あるいは保守に属する人々が、この「外国からの干渉」を事由にして、憲法の政教分離の原則に対しても感情的な批判をする風潮を呼び起こす結果となり、事態をますます「面倒な事態」に追い込んでいる。
このサイトでは何度も靖国については取り上げているが、
A級戦犯の分祀や東京裁判の再評価といった作業への誘惑にこの国家を誘導することによって得られる国家的利益はない。同時にまた、中韓の「政治的思惑」からなされる外交攻勢に対して、守勢に追い込まれる結果を招いていること自体、明らかに参拝が引き起こしている「国家利益の損失」である。
つまり今更止めれば外交的敗北と受け止められかねない結果を恐れなければならず、さりとて、強行を続ければそれもまた周辺国から交渉の材料として駆け引きに利用される。
外交の目的は様々あるが、国家間の利益調整という現実的側面の背後には、近隣国との平和的交流を構築することで、国家の安全保障を確立するという、「より現実的な」面も存在する。この点に関しては綺麗事ではないのであり、付け込まれる余地のある行動は、相応の熟慮がなされるのが当然である。
元来、政教分離の原則は、特定宗教や思想に対して、国家が過剰に肩入れすることの弊害を防ぐ目的と共に、こうした対内的/対外的な「国家利益の喪失」や混乱を避けるための予備的意味合いも結果として持っている条項であると解釈すべきであろう。
(これは原始的な20条の解釈とはやや異なるかもしれないが、現代的な政教分離の解釈はそこまであるべきであると、私論であるが確信する。)
小泉首相は、合理的に説明できない彼個人の、情緒的感情や思想、心情を国政の場に持ち込む傾向が明らかにあるが、それがこのリスクを継続的に発生させている原因となっているにも関わらず、そのことへの説明責任を明らかに怠っている。先の選挙でも意図的にこのことを政争のテーマから避けたのは周知の事実。
しかし、この問題は「さっぱりわかりませんねー」などという、横丁のオヤジぶって片付けられる問題ではないのは無論であり、今になって裁判所が私的参拝であるか否かを基準に違憲判断することも、誠に奇異なことである。
大阪高裁(大谷正治裁判長)の判決は、原告の賠償請求は退けつつも、(1)参拝は、首相就任前の公約の実行としてなされた(2)首相は参拝を私的なものと明言せず、公的立場での参拝を否定していない(3)首相の発言などから参拝の動機、目的は政治的なものである--などと指摘し、「総理大臣の職務としてなされたものと認めるのが相当」と判断した。
小泉首相は、参拝を「私的な行為である」とは明言していないが、そもそも参拝行為を、「公人ではなく私人としての行為である」などと、当の首相自身が、あるいは周囲の主観によって選択できる余地はあるのか?これも極めて疑問に思う。
参拝を「私人の行為」などと苦しい言い逃れを始めたのは、自民党の支持団体からの強い要請により1975年に三木首相が戦後最初の参拝を行ったときからである。当初は玉串料を公費から支出しないというだけでなく、公用車を使わず公人としての肩書きも使わないということで「私人としての参拝」をうたい、憲法違反を逃れたというのが、この茶番の始まりである。
私人論の一つの論点は、首相の人権的な観点を重要視するもので、「首相個人の信仰や信念も尊重されるべきであり、参拝は私人とし行われているものであり問題がない」という立場である。
しかしこれは苦し紛れの範疇を出ないと見なさざるを得ない。日本国の首相が靖国参拝を行った場合、国内は言うに及ばず、世界に対して報道がされる。中韓の反応のあり方の是非はともかく、それは具体的に外交への「無視できない影響」を及ぼしている。実際に昨今首相参拝が報道で取り上げられることで、靖国神社への参拝客が増えていることは事実であり、この原因に首相参拝があることが明らかである以上、参拝行為の「私人性」を言うことには疑問が残る。首相の参拝行為が及ぼす公的な影響の重大性を考えれば、「問題がない」どころか非常に問題のある行為であると思う。
「日本の小泉首相が靖国神社に参拝した」としてひとたび認知されれば、それは、どう考えても日本国総理大臣小泉純一郎の、公務行為でしかなく、その瞬間の端的な事象をのみ抜き出して、「公用車を使ったかどうか」とか、「玉串料を国庫から捻出したかどうか」といった基準を元に判断すること自体も、極めて不自然な基準であると解せざるを得ない。
首相が「私人として参拝」することに問題がないとすれば、先の「国旗国歌法」における東京都の教職員の君が代や日の丸に対する厳しい強制などは、誠におかしなことになるわけであり、そこでも「教職員の私人としての国歌斉唱の拒絶事由」をなぜ認められないのか、という議論になってくる。教職員の行為の自由は、私人として免責されず、それよりも遥かに重要な影響力を持つ、首相参拝が「私人である」で済むのか。
おおよそ、高度な「公共の利益」の前には、私人としての利益は制限されてしかるべきであり、首相ともなれば次元の高い「公人性」を24時間負っていると解されるのが自然であろう。。
個人の思想信条の自由というが、首相在任中の参拝の回避が、人間小泉純一郎の人権を「回復できないほど」侵害するとは到底思えない。
「私人」という言葉が、参拝を正当化するための概念として今でも頻繁に使われ、それにメディアや国民、そして裁判所までが巻き込まれて論争している状態の異常さが、そろそろ意識されるべきではないか。
何よりも、そこまで「私人」を強調してなされ、外交物議を巻き起こす首相参拝こそ、かえって靖国に眠る霊を冒涜することにならないか。
言うまでもないことだが、靖国参拝は、首相がプライベートで行う犬の散歩ではないのである。
【参考記事】
●横丁のオヤジの繰言は聞きたくない--靖国神社参拝問題に関して
●ナショナリズムも合理的かつ未来志向で願いたい。--靖国神社参拝問題に関して
● 靖国神社と首相と私(たゆたえど沈まず)
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僕はもともと小泉首相自身には靖国参拝に対する思い入れはないのであろうと推測する。
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「印象の奴隷」になるな〜首相発言を読む
No.1240(2005/10/18/火)から
最も困難な国際問題は、
国内事情の対外的表現である場合が多い。
松本重治『上海時代(上)』p51
中公新書、昭和49年10月25日発行
■首相発言の感想
小泉首相が17日夕方、靖国神社でA級戦犯を参拝した後で話
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ただ、僕は今回の参拝については、小泉総理が私的参拝というポーズをつけようと意識したことについては評価したいと思っています。苦し紛れには違いありませんが、彼のいままでの政治姿勢にはなかったものです。
公人の宗教行為において、そもそも原理的に公私の区別が成り立つかどうかという疑問は確かにありますが、しかし、彼自身の信仰の自由は法的観点から認められるべきではないでしょうか。
そうした権利としての靖国参拝を認めたうえで、彼が自分の思想・信条の自由を行使することを、それが政治的にもたらすデメリットに優先したということが重要なのではないでしょうか。僕はここにこそ、彼の政治的責任と、その行為の悪質さがあるのだと思います。
Posted by: 寝太郎 | October 18, 2005 10:03 PM
こんにちは。
別の記事でも書きましたが、一体公務員に完全なる思想や信条の発露の自由があるのか、ないのか。
靖国を参拝する首相の自由があるなら、君が代や日の丸に対する意見表明の自由も教職員に認められるべきではないか。
要は、「国家主義的」であれば寛大に処され、それに対峙すれば個人の自由が制限されるという、典型的な日本の歪みの構造のように思っています。
彼=小泉は自らの思想信条の自由を守ろうとすれば、日本国首相を辞して、個人の立場に緊急避難すればいいではないかと、僕は思います。
Posted by: BigBang(>寝太郎さん) | October 20, 2005 01:36 AM