ナベツネに何が起きているのか(2)----老人の繰言か、言論クーデターか。
それにしてもうまいことを言う人がいる。
衰退凋落著しい朝日新聞とはいえ、世間では「水と油」「源氏と平家」「清水の次郎長と黒駒の勝蔵」ひところまでの「巨人と阪神」に「鹿島アントラーズとジュビロ磐田」の関係とイメージされている朝日新聞の論説主幹と読売新聞の主筆が対談し、しかも、その朝日新聞の論説誌で持論を展開した渡辺氏の戦略は悪くないと思う。単体で客を呼べなくなったプロレスラーが他のプロレスラーとセットで(しかも、過去の遺恨などの<物語>を付加された上で)興行するのと同じである。(渡辺恒雄氏(読売主筆)が朝日と「共闘」宣言?/松尾光太郎 de 海馬之玄関BLOG)
その老朽の「鹿島アントラーズ」(?)は言う。
渡辺
「僕は、首相候補の1人である安部晋三さんとは仲がいいんです。だから安部さんに、「僕は靖国公式参拝には反対ですよ。それ以外の点では、あなたにはずいぶん期待するんだけれども、この1点だけは妥協できない」と話した。安部さんに会うと「わかってます」と言うんだけどねえ」
「分祀と言うのは本当によくわからない話なんだ。合祀と言うのは「座」というけれども、いわば座布団の上に名簿を持ってきて、祝詞か何かをやると、その霊が全部その中に入ってしまう。いったん入った霊を、A級戦犯の分だけ取り戻すということはできないんだという。それは、瓶にある水をちょっと杯に入れて、それでその杯の水をもし瓶に戻したら、その杯分の水だけを瓶から取り出すことはできないじゃないかというような理屈で、今の宮司の南部利昭さんが言っている。」
「これは、神道の教学上の理由だそうだ。しかし、南部さんの言っている神道の教学というのは、明治以降の国家神道。廃仏毀釈をし、国教は神道だけだ、ということをやってできた国家神道の教学だ。そんなもののために日本の国民が真っ二つに割れて、さらにアジア外交がめちゃくちゃにされている。そんな権力を靖国神社に与えておくこと自体が間違っている。」
ここで元電通マンの宮司・南部利昭について少々。
南部利昭は、平成16年9月12日付で靖国神社の宮司に就任している。電通に23年間勤務したという異色の経歴の持ち主で、南部家第45代当主。靖国神社宮司はほとんど旧華族出身者が就任しており、南部氏は9代目に当たる。靖国に祀られている1人には、日露戦争で1905(明治38)年に戦死した42代南部利祥がいる。南部氏は就任に当たって「没後100年ということで、宮司就任に浅からぬ因縁を感じている」というコメントを出している。
また毎日新聞のインタビューに答えて南部氏は以下のように述べている。
--中国が求めているA級戦犯の分祀(ぶんし)についてどう思いますか。
○分祀はあり得ない。他の神社で祭神が気に入らないから、替えてくれとは言えないはずだ。東京裁判で連合国がA級、B級などと決めたもので、一緒に日本人が言うことはない。(終戦記念日に行う)全国戦没者追悼式には、いわゆるA級戦犯らを含んでいる。天皇・皇后両陛下、首相も出席するが、誰も文句を言わないではないか。
--戦没者追悼目的の「国立無宗教施設」構想をどう考えますか。
○靖国神社が戦没者を祭る日本の中心的神社との考えが定着しており、全くナンセンスだ。若い人に靖国神社というものを教えていかなければならない。「靖国に行くな」とか営業妨害はやめてもらいたい。(毎日新聞:インタビュー記事「靖国神社第9代宮司の南部氏に聞く」(2004/12/29)より)
営業妨害かい。(笑)
渡辺氏の説明と近い次のような記事もある。
奇しくも分祀に関する中曽根氏と渡辺氏の意見がぴったり一致していることが、わかる。
この中国の意向に沿って出てきたのが、A級戦犯を靖國神社から切り離すという「分祀論」。しかし、靖國神社は、「分祀は不可能」という。一度、神社に祀られた英霊は、ひとつの神霊となり、仮にそれを分霊したとしても、元の神霊は変わることなく神格を有するというのが、神道を支えてきた信仰だというのだ。たとえるなら、水を張った瓶の中にコップ1杯の水(A級戦犯)をいったん加えてしまったら、以前のコップの水だけを再度分離させることはできない、という理屈だ。
対して、そもそも靖國神社は神道古来の伝統に沿って存在してきたわけでなく、明治初期に人間がつくった神社の仕組みなのだから、修正できないはずがないという唯物的な意見もある。元祖・分祀論者の中曽根康弘元首相も、分祀に反対する靖國神社に対して「神主さんの視野が狭くなった。昔のように、もっと大らかな神道に返ったらどうか」と、靖國神社の杓子定規な姿勢に意見を述べている。(サイゾー2005年8月号/分祀を許さぬ靖国神社の事情・元電通マン宮司の苦悩とは?)
本論へ戻ろう。この後、対談では憲法9条解釈についても若宮と渡辺が意見を交わしているが、あくまで「軍」ではない現行の自衛隊の呼称にこだわり、9条問題に慎重な見方をする若宮に対して、渡辺は「軍は軍なんだからごまかしてはいけない。自衛隊と言ったら平和で、自衛軍と言ったら侵略的になる。そんな馬鹿な話はないでしょう。」と応じて朝日の見解とは一線を引いている。しかし朝日・若宮からも「憲法改正問題は、僕らも昔のように憲法9条を守ることがすべてであるとは考えていません」と言う言葉を引き出している。
また、国歌・国旗に関しては日の丸は支持するが、君が代は
渡辺
「国歌である君が代は文章が古臭いし、曲が悪い。あれは明治時代の雅楽でしょう。国民を躍らせるような曲ではない」
として
「もしどうしても国歌を変えられないというなら、国民歌というのをつくったらどうだと思う。もっと躍動するフレーズ。メロディのいい、心躍るような国民歌をつくって、それにふさわしい歌詞を公募してつくるべきだと思うんだよ。いつかやりたいね。」
と続ける。
最後に若宮が
「もちろん読売新聞と朝日新聞は違う主張をした方がいいんですけれども、やはり健全でリベラルな主張を争うことができればいいですね。」
と挑発(?)すると
渡辺
「いや、それはもう、言論の自由とか言論の独立を脅かすような権力が出てきたら、読売新聞と朝日新聞はもう、死ぬつもりで結束して闘わなきゃいけない。戦争中にそうしていれば、あそこまでひどくならなかったと思うんだよね」
さすがに若宮もこれには
「いや、本当にそうですね」
と応じざるを得ない。
さてさて、我々の前にいるこの渡辺氏はあの強面の、Wikiでまで罵倒されるあのナベツネであろうか。こんなに物分りのいい人物であればなぜ、言論界の諸悪の根源、反動の代表とまで恐れられたのであろうか。老人になって焼きが回ったとか、やっぱり正体は根っからのマルキストであるとか、靖国の問題がいよいよ、にっちもさっちもいかなくなり、青年の時の「理想主義」が目覚めたのだとか、いろいろ言われているが、ここは注目点としてやはり2人の人物への微妙な距離感を、渡辺が保っていることに注目したい。
1人は言うまでもなく中曽根氏。古くから旧交があり、中曽根政権誕生時にはなりふり構わず応援した中曽根氏との、強い繋がりは、今でも健在であることは発言の諸所で知ることができる。
昭和60年8月15日に中曽根康弘元首相は靖国神社に初めて公式参拝した時にアジア諸国から猛反発を受けたので、翌年から参拝をとりやめ、その後の歴代首相も参拝を控えたとされているが、これは
中曽根首相本人の証言によると、自分の靖国参拝問題が、中国国内の政争で胡耀邦総書記の進退に影響が出そうだという暗示を受け取り、「胡耀邦さんと私とは非常に仲が良かった。」「それで胡耀邦さんを守らなければいけないと思った。」から参拝をやめた。(「私が靖国神社公式参拝を断念した理由」 正論 平成13年9月号)
中曽根にしてみれば、現在の小泉首相の行為は自らが「泥をかぶってまで」中国の顔を立てた自らの努力を無にされるものと映っており、それが渡辺にも影響を与えているのではないか。
また2005年6月には中曽根はフジテレビでこのように発言している。
靖国神社に代わる新たな戦没者追悼施設について「前から反対だ。靖国神社は国のために死んでくれた人をお祭りしており、寂れることは絶対避けねばならない」と述べ、反対の立場を明確にした。
(しかし)小泉純一郎首相の靖国神社参拝については「(現状では)国益に反することになる。(第二次世界大戦の)A級戦犯の分祀(ぶんし)ができないなら休んだ方がいい」と改めて自粛を要請。ただ、東京裁判自体ついては「私は(正当性を)認めない。A級戦犯と言われる方々が、犯罪とか罪という考えは毛頭ない」との認識を示した。(靖国参拝と国益/誰がため 戦った~Qの日記~より)
微妙ではあるが、中曽根は小泉の靖国参拝について国益擁護の立場から、中途より批判的立場を強めている。
そしてもう1人は、ポスト小泉最有力とされる安倍晋三との関係。
小泉が9月以前に靖国に関して画期的な「譲歩」をしない見通しが強い以上、中韓との外交関係が画期的に好転するとは当分考えられず、勢い次期総理の呼び声が高い安倍にその後の「処理」が求められるわけだが、安倍は靖国参拝を続行しかねない様子を漂わせており、ここに渡辺=中曽根ラインは強い警戒心を持っているのではないか。
自民党内の「鷹派」の代表としての安倍の靖国神社、軍事、安保問題においての保守、強硬な態度は、アジアの隣国の心配を引き起こすことになるだろう。彼は日本政府内の強硬な鷹派の人物であり、小泉の靖国神社参拝の熱烈な支持者である。安倍晋三は再三歴史問題を「日本内政への干渉」などとして中韓を攻撃し、米日同盟の強化、日本憲法の修正を主張している。日本政府の右傾化の中堅の人物である。(北京青年報 2005年11月01日 )
渡辺の中国へのスタンスは今回の対談からでは微妙に読み取れないが、中曽根の意向をあるいは他の自民党の政治家の意向を踏まえつつ、安倍政権への牽制に動いている可能性が見える。
渡辺は対談でも「国立追悼施設を考える会」をベースに、山崎拓、福田康夫、加藤紘一、民主の鳩山由紀夫、公明党の冬芝鉄三の名を引いて、
「・・・さんとかが、同じ目的で集まっているんです。だから、僕は靖国参拝に固執する政治勢力は、やがて少数派になり孤立するんじゃないのかなと思った」
と評している。
渡辺が青年期の「理想主義」を取り戻しつつあるとは、とても素直に見て取ることは出来ず、これらの人間関係を見るとき、ポスト小泉に向けて靖国を政争化される可能性が、みてとれるのであり、渡辺が老いたりとは言え、こうした動きのデマゴークとして、朝日をもツールにして大仕掛けに出てきている可能性はある。
戦争責任の追及に関しても、これら政治的思惑のポーズとしてしか僕には感じることはできず、僕が「青年のときなら」感動したかもしれない渡辺の方向展開にも、素直な情は寄せることができない。
小泉以後を睨んで、朝日をも「利用」して、腐っても1,000万部の読売新聞上での戦争責任の追求と言う禁じ手まで動員して、保守派の「言論クーデターの試み」が静かに進行しているように思えるのであり、裏に中国の影も感じる・・といっても陰謀史観ということではなく、日中関係の過度の緊張を望まない勢力は当然中共政権にも存在するであろうから、このへんは何も不思議ではない。
小泉氏はアジア外交を完膚なきまでに破壊し、靖国を外交問題化させたが、これを収拾しないことには対中経済交流も進まない。日本国内の企業はみなやきもきしている。一方で北京オリンピックに向けていつまでも対日関係がこのままでは済まないだろう、と考える一派は中国にもいるはずである。(それが胡耀邦ルートであるか否かはわからないが。)
米国も最近靖国問題の深刻化に懸念を表明しており、これも中曽根・渡辺の動きとあわせて、微妙にこの問題に影響を与えていることも感じられる。
今回の対談を、一時的な「老人の繰言」として渡辺恒雄を無視することは簡単であるが、穿った見方をすると今年から来年にかけての、保守陣営でのかなりの駆け引きの萌芽を見て取ることも可能なのである。
さあ、どうなる。
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愛読紙日刊ゲンダイに載っていた朝日新聞社発行の月刊誌「論座」での読売のナベツネさ [Read More]
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Ney York TimesのN.Onishi記者が渡辺恒雄氏のインタビューを紹介しました。
前回も彼の「マンガ嫌韓流」の記事をピックアップして分析して見ました。今回はどのように表現したのでしょうか? これから見ていきましょう。
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はじめまして。TBS報道番組の筑紫哲也との対談を見て驚きました。小泉―竹中政策により、多くの中小企業の破綻などにより大量の自殺者を出し、そんな総理に投票をした国民は白内障になっているとか、東条は戦争責任があるとか、自らの軍隊経験を経て生きている間に人々に言いたい事を発言するらしく、読売新聞では、いま日本の戦争責任者を自ら洗い出す検証シリーズを誌面展開。80歳を前にして今まで、メデイアを利用し、国民を右傾化するよう洗脳をした罪を償っているように思えました。緊急時には朝日新聞と協力を辞さないと言った発言には心を打たれました。
Posted by: タジイ | January 31, 2006 01:19 AM