SNS

My Photo

My List

BooksBooks

無料ブログはココログ

« 中村屋のボース----恋とインド革命とアジア主義と謎の青い球 | Main | GripBlog報道メディア設立企画書について思うこと(1) »

May 16, 2006

すさまじく消費されていくこと------永遠に?

このブログを初めてからそろそろ2年だろうか。最初のころは何を書いたらいいかわからなくて、2週間に1回ほど、街で思ったこととか、とりとめのないことを書いていた。もちろん、アクセスなんてほとんどない。自分が自分のブログの一番熱心な読者だった。
そのうち、少しずつ読んでくれる人が増えて、記事も頻繁にあげるようになった。アクセスが増えていくことが嬉しかった。

いわゆる「ウケのいい」記事を書くと、とたんにアクセスが増える。毎日のように覗いてくれる人が増えてきたことも励みになった。余計頻繁に記事を書き始める。

はてなのブックマークを覚えた。関心の高い話題に突っ込むと見る見るうちにブックマークが増えて行く。気持ちが高ぶる。

だがそれも一瞬のこと。数時間が過ぎれば、はてぶの波は、何事もなかったように、新たな記事に移って行く。例えどんなに関心を集めたとしても、ブロゴスフィアは、すさまじい勢いであなたと、あなたの記事を「消費」していく。

消費されてなるものかと、次の記事を書く。読者の波が戻ってくる。なぜこんな記事がと思うものにアクセスがつく。これはと思うものが無視される。読み違えたバカモノが、見当違いの批判を残す。かと思えば、泣かずには読めないようなコメントを残す人がいる。

好意であっても、悪意でも、この間もブロゴスフィアは、僕と、僕の記事を。
あなたとあなたの記事を消費し続けるのだ。その速度には誰も勝てない。

やがて何人かのブロガーが疲れ果てて、あるいは書く意味を見失って、ブログを閉じて去って行く。

何のために書いているのか。1円にもならないのに。
何のために書いているのか。名誉にもならないのに。

この空間に消費され尽くし、体中に傷を受け、留まっていられるのは、いったい何年が限界なのだろうか。そして何本の記事が限界なのだろうか。そんな御託を並べている間にも、僕はこうして記事を書き、あるいは人のブログに、無謀なコメントを残す。

彼方で、誰かが傷つき頭を抱える。
彼方で誰かが涙して、そしてそれでも消費は止まらない。
記事を送信した途端に、今日も凄まじい消費が始まり、あなたを、そして僕を吸い尽くしていく。

これが死ぬまで続くのだ。
ブログ上で死を迎えるまで。永遠に。

« 中村屋のボース----恋とインド革命とアジア主義と謎の青い球 | Main | GripBlog報道メディア設立企画書について思うこと(1) »

Comments

私は、決して今しかない、わけではないと思いますよ。
私の日記には、過去の記事を検索して読みにくる方が結構いらっしゃいますし。
投稿した記事はずっと残るのですから、消費されるというか自分の投稿がwebを豊かにしていると考えたほうが楽しいんじゃないですかね?

私も上でネコ七さんがお書きになったように、
BigBangさんのブログには、過去記事を検索して辿り着きました。

その過去記事はブックマークして、
時々読ませてもらっています。
本棚にある愛読書のように、私にとっての宝物です。

また、ブログ自体も時々思い出したように(失礼)
過去記事を手繰らせてもらっています。
もちろん、その時々に流れるものに併せて読むのが
ベストかもしれませんが、あとで読んでも足るものに
なっていると思います。僕の中では消費されてはいません。

たぶん、ブログというのは、友愛ということなんだと思いますよ。そして、そうではないものとの指標も明らかにするのだ、と。

コメント欄のあるブログとは、ブログ者が管理人がつとめなければならないフォーラムだと思う。
それって、荒れた場合にとっても痛い・辛い。to 自分。

そのことが分かっている山本隊長は、突っ込まれる前に
、「俺様キンクダム」と自虐してみせる。

…な、感じです。失礼しました。

保存されてあとで引っ張りだすことができるというのがブログの一番の特徴かと。
それって消費なんでしょうか。

すさまじく消費されていくその流れのどこかで溺れかけていた誰かが、ほかの誰かの1本の記事によって再び足を着き、顔を上げる、そんなこともありますよ。
BigBangさんのブログには何度か泣かされ、何度も考えさせられ、時々笑わせてもらっています。固定ファンが(きっと)大勢いることもお忘れなく!

むずかしい煩悶ですよね。

良いとこ探ししてみたり…
カッコつけてみたり…
更新の強迫観念にさらされたり…
喜怒哀楽に任せたり…

私も、何気なくサイトを始めて7年程ですが
目的、意義、何のため?と問われると
「精神安定剤の代わり」としか答えられないですね(笑)

>好意であっても、悪意でも、この間もブロゴスフィアは、
>僕と、僕の記事を。あなたとあなたの記事を消費し続けるのだ。

死ぬまで仕事して、死ぬまで家族がいて、死ぬまで娯楽して
死ぬまで生きて…

ネットはデータの時間経過を淡々とカウントしていく。
恐怖が視覚的、具体的ですね。

取り込まれないようにしないと…私も用心してます。

最初からブログは消費を受け入れなければ成り立たないものですし、そう言いながらも何らかの友情は見つかるかもしれないし(笑)、彼我の違いを思い知らされるものでもあります。
消費物であるゆえに、求められる枠というのはあって、また本質的な話に入ろうと踏み込むと、必ず邪魔なものが現れてくる。

生きていく上での苦しみであるとか、そういったものを背に語っていけるのか、感じられるか否か。自分自身が歴史の中にいるのだと感じられるか否か。それが場に組み込まれていけば、まだしも消費から逃れられるように思いますが、ハードルが高すぎますか(笑)

目につく新着記事をばーーっと流し読みして、といっても雑にではなく感性のチャンネルは空けておいて、ひっかかったものはとりあえず保存しておいて、後で読み直す・・・ってのが私のやり方ですが、新着記事をさらうので精一杯で読み直すのもどんどん溜まる一方で、過去記事を読む余裕は全然ない(苦笑)

BigBanさんの仰る「消費」という言葉は、共感できる部分があります。アルファブロガーのエントリーを引用して書いてTB送ると、その日から数日間はアクセス急に増える。で、その後はすぐに元の少ないアクセス数に戻る。
ゆっくり「消化」するに値するだけの質の高いエントリーを書けない自分がいけないんだけど、やはりこれだけブログスフィアが大きくなってくるとどうしても「消費」するしかないって人の方が多いのかなぁと思ってしまいますね。

まぁ毎日欠かさず書いてる人ってのは意外に少ないと思うけど、それでもブログの本来的な性質として「毎日のように」書かなきゃいけない・読まなきゃいけないってのはあるので、どうしてもそれが「消費」につながり易いとは言えるんでしょう。
ブログ自体の数や更新のペースなどからして、私はもう書き手としても読み手としても流れについて行くのが非常に辛いんだけど、皆さんはどうなんでしょうね?

BigBangさんのことですから、枝葉末節に絡め取られることなく、事の本筋を追って行かれることと思います。ご自身のスタイルで、ご自身の信念に従って進まれますよう。一読者としての思いです。
渦中のエントリー群にコメントしても論旨にそぐわないと思いますので、こちらに失礼いたします。

>>なおこさん

ありがとうございます。感謝。

The comments to this entry are closed.

TrackBack


Listed below are links to weblogs that reference すさまじく消費されていくこと------永遠に?:

» 人間は遊ぶために生まれてきた [Proving grounds of the mad over logs]
「現代は消費社会であり、消費社会においてはあらゆるものが消費対象となりうる」というような意味のことは、... [Read More]

« 中村屋のボース----恋とインド革命とアジア主義と謎の青い球 | Main | GripBlog報道メディア設立企画書について思うこと(1) »

-