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June 01, 2006

優しさと微笑と厳格----関嘉彦先生を悼む

恩師・関嘉彦先生が亡くなられたのは、少し前のこと。
今年の5月4日のことだった。

関 嘉彦(せき よしひこ、1912年11月19日 - 2006年5月4日)は、昭和・平成期の社会思想史家。東京都立大学名誉教授。法学博士(京都大学)。元参議院議員。イギリス労働党の日本における紹介者として知られる。(Wikipedia)

1936年大学卒業後、日本生命を経て、恩師である河合の推薦により1940年太平洋協会に勤務。河合が2・26事件から来る弾圧にもリベラリストとしての節を曲げずにファシズム批判を続け、出版法違反で起訴されたためその法廷闘争の応援活動を続けた。戦時期には陸軍軍属として太平洋協会より南方占領地調査に派遣され、北ボルネオで司政官(調査部員)として勤務した。(同上)

1955年、日本社会党に属するが日常活動の低調なことに失望。1959年、右派の脱党に際してはこれと行動を共にする。民主社会党綱領を起草すると共に、党のイデオロギー的重鎮となる。1970年から1983年まで民主社会主義研究会議議長。早大退職後、1983年、民社党から比例区で参議院議員に当選。1989年まで一期務める。
(同上)

都立大学の名誉教授という地位におられながら、私の大学でも教鞭をとっておられ、私は2年間にわたってゼミでお世話になった怠惰な学生であったが、温和な好々爺といった表情の中にも、非常に厳しい視線を持っておられた。先生の思想は民主社会主義と解されるものであるが、実際には防衛等に関する考え方は、自民党よりも右と言われた当時の民社党にその思想が反映されており、Wikipediaにあるように民主社会党綱領の起草も勤められている。
俗に言う西欧型の「修正社会主義」であるが、「修正」というどちらかという半煮えの用語では一まとめにできないと思っている。都立大学を退職されたきっかけが、教授会の自衛官入学拒否と大学立法への反対であったことは、不明ながら今になって知った。

政治学など社会では元々何の役にも立たぬのであるが、やはりマスメディアに就職する学生には、国際関係論やメディア論が人気があり、政治思想をやる学生など当時もそれほど多くなかったのである。

それでも生意気盛りが揃った政治思想ゼミの我々を、論破するなどは、先生には朝飯前であったろう。声を荒げず、微笑を絶やさずに、それでいて絶妙のタイミングで学生の論理の甘さを見逃さず衝く。先生を相手にしては、遥かに余裕のある剣の高段者を相手にしているようなものであり、鋭い舌鋒の間合いから1歩も中に入ることすら、我々「若輩者」になど、到底及びもつかなかった。

クリスチャンで絶対非戦論(というより忌避論)を頑なに唱えるある学生を、「宗教的良心で戦いを忌避する考え方は、宗教的には合理性があるが、それは政治思想ではない。僕のゼミで通用する議論を行いなさい」と、きっぱり諭したシーンを思い出す。心優しくも、しかし独善的な平和論を唱えた学生の非合理性を、先生は見逃さなかった。

おそらく若き日には理想主義の旗を掲げておられた先生が、風雪を経て専守防衛の論に辿り着かれたのであろうことは、その経歴を眺めるに自然と理解される。かみ締めるように語られる論説には重い迫力があり、決して表面的偽善を許さないものがあったが、孫のような、我々学生を相手に、理屈で1歩も押し込まれることのない明晰な頭脳は、今更ながら敬服するとしか評せない。このような迫力のある大学教授が、失礼ながら今何人おられるだろうか。

しかも始終穏やかに笑みを絶やさずに、佇んでおられたのである。
あの厳格ながらも優しい表情が思い出される。

そして、思想に対峙する時の厳しさというものもおそらく最初に教えていただいたはずだ。

「お別れの会」は6月19日に東京グランドホテルで開催されるとのことである。関係者の方からご招待状を頂いた。几帳面な先生のことである。こんな私もしっかりと、名簿の一隅に加えておいていただいたのであろう。

先生。

どうかゆっくりお休みになられますことを。

非学にして不肖の弟子は、教えに遠く至らぬ場所で、飛んだり跳ねたりの日々をおくるばかりで、先生の厳格にも微笑にも、遠く及びもしない不明の汚泥にまみれて日々を送っていますが、本当にありがとうございました。

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Comments

こんにちわ。

関嘉彦さん。
私は、本、あるいは論評でしか知りません。
むーん!感動したよ!と思ったこともあります。
でも、これは、私の考えとはチョット違うものだよね。
って思ったこともあります。

私としては、
BigBang氏とは異なり、
ただただご冥福をお祈りする次第です。

私も恩師?か分らないけれども、
好きだった先生に、近いうちに会いに行こう、と思いました。
このエントリを読んで。

けろやんさん、ども。

>私も恩師?か分らないけれども、
好きだった先生に、近いうちに会いに行こう、と思いました。このエントリを読んで。

それは良かった。それをお聞きしただけでも書いてよかったです。

関先生に直接お教えいただいたことはないですが、ご自分の信念を貫いていらしたという印象を持っています。同じ時代の空気を吸った者として、こころからご冥福をお祈りするしだいです。

>まじっくばすーんさん

ども。騒がしいブログなのにコメントいただいてありがとう。懐かしい顔にも会えるかもしれないので、会には出席しようと思っています。

ウィキペディアで関先生の記事を執筆したものです。引用していただいたようでありがとうございます。
関先生に限らず、何らかの形で政治にコミットされた方は、イデオロギー的に左右どちらからも、それぞれ、より長い説明が可能かもしれませんが、今回は最小限にとどめました。
私の投稿の後、他の方が足らざるところを補ってくれたようです。

>MF2さん。

これは光栄です。コメントありがとうございます。本日、お別れの会に行ってきました。奥様が気丈でおられる様子、多くの方々が心から別れを惜しんでおられた様子、刻んできました。

こぶしの花と、ソクラテスが耳に残りました。これは機会があればまた。

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昨日、関嘉彦先生の「お別れ会」に出席。その中で、関先生を「辛夷の花のような方でありました。そしてソクラテスのような方でもありました。」と評している方があった。 「ソクラテスのような」というのは、ある意味わかるし、そう評される人も他にいるような気がするが、... [Read More]

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