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June 09, 2006

暴虐と矛盾に生きる。---村上世彰と新井将敬

で、それはともかく。

村上ファンドの一連の事件を見ていたら、あのことを思い出した。
新井将敬氏の自死についてである。

なぜ彼のことを思い出したのか。それは、時代も立場も違うとは言え、村上氏とのあまりの距離を、そして日本という国が歩いてきたこの何年かに、一体何が起こったのかについて、あらためて考え起こされたからかもしれない。新井氏にはもちろん面識はなかったが、当時は被差別者から立ち上がった「改革派のスター」として、メディアにもてはやされていた。
新井将敬が、「借名口座」でいったいいくらの額を調達しようとしたのかは、よく覚えていない。覚えてはいないが、罪状はやはり証券取引法違反である。さらにそれを超えて日興証券に利益追求していたとされ、逮捕直前に自ら命を絶った。あまりにもあっけない死であった。

あれこれ探していたら、新井の死から2ケ月後に書かれた黄英治氏のこの論説を見つけた。在日の貧しい被差別環境から「成り上がって」きた新井氏に、死をも選ばざるをえなかった、どんな事情があったかは知らない。誰かをかばおうとしたのかもしれない。あるいは「縄目」の屈辱に耐えられなかったのかもしれない。しかし、いずれであったにしろ、その「犯したとされる罪」が命をもって償わなければならないほどのことであったとは、わかっている事実からは考えられない。

新井将敬代議士が自死して、2ヶ月がたった。在日韓国人二世という出自を否定し、その激しい自己否定のエネルギーを推進力に、日本社会のエリート階段を上りつめようとして挫折。それでもなんとか再起を期そうとしていた矢先、株の不正取引が暴露され、証券取引法違反容疑者として逮捕が目前に迫った2月19日、自死という手段でこの無明世界からすり抜けていった新井将敬氏。

 この日本社会では特異な彼の出自と経歴、そして自死という衝撃的な結末のためか、この長くもない2ヶ月の間、彼の生と死に関してさまざまな言説が飛び交った。一方、3月25日には、彼に利益提供していた日興証券事件の初公判が開かれた。その被告席には、「弁明できぬ永遠の欠席者」に全責任を転嫁しようとする自己弁護者たちだけが座った。そして29日には、彼の選挙区の補欠選挙がおこなわれた。補欠選挙には、新井氏の妻が「主人の潔白を訴える」と立候補を表明したが、結局は断念するという、本番以上に緊迫感のある幕間劇をへて、東京の国政選挙では戦後最低の投票率で、新井氏と同じ自民党の候補者が当選した。このように、彼が「存在したこと」を彼方に押しやるような出来事も、この日々のなかで積み重ねられている。
新井将敬代議士の孤独な自死 黄英治

一連の証券スキャンダルでの借名口座による株取引が問題化。 更に日興証券に利益要求していたという疑惑も浮かび上がる。衆議院本会議で逮捕許諾が議決される直前に、真相が解明されないまま都内のホテル(ホテルパシフィック東京23階2338号室)で首を吊って自ら命を断った。部屋にはウイスキーの空き瓶が沢山落ちていた。ただ自殺には諸説あり、他殺の可能性もないとはいえない。山口節生は「新井将敬を殺したのは、他の政治家たちだ」と主張した。(Wikipediaより)

村上氏は、数千億のギャンブルマネーを使って世をかき回したあげく、「聞いちゃったと言えば聞いちゃったんだよねえ」と、口元に笑いさえ浮かべながら、会見会場を去り、その後逮捕された。村上の胸中が穏やかであるわけもないであろうが、外形的に見る限り、その動かした金額の巨額さに比べて、その態度は如何にも軽い。

そこにある違いは何なのだろうか。新井と村上の境遇の違いか。人間の違いか。逞しさの違いか。誠意の違いか。歩んだ道の違いか。絶望の深さの違いか。民族の違いか。あるいは生きていこうとする、どんなときにも生きていこうとする、奥底に流れる命の力の違いなのか。

村上世彰と新井将敬。

その二人を比べること自体が愚かなことなのかもしれない。どちらが正しいとか、強いとか、弱いとか、潔いとか、言葉は口に出した次の瞬間に、禍々しい偽物に変わっていくような気がする。

それでも、我々もまた、新井や村上ほどではないにしても、暴虐に晒され、失敗を謗られ、あるいは嫉妬され、あるいは自らと時代の暴力に晒されて生きている。

生きていく時間が長いものが勝つと言ってしまえば、あまりに即物的である。ではあるが、それでも死をもって贖う罪が、この世界にどれだけあるだろうか。逆説的に言えば、死をも想像される苦境に落とされながら生きている人々がどれだけいることか。
人が成功をするとき、自らの力だけで成功したのではないように、過ちの淵に落ちていくときもまた、自らの業のみによって落ちていくわけではないと思う。
何度でも這い上がればよいと言えば、その言葉もまた風に吹かれて、指の間から滑り落ちていく。

自分の内なる業も含めた、あらゆる矛盾と暴虐に耐えていくこと。
生きていくことはそういうことなのではないかと思う。

村上を見ていてそう思えたのである。

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Comments

そこから逃げてしまう人に、その言葉は決して届かないですね。私も何度思い知らされたかしれないし、そういう人はこちらを罵倒し続けながら、負うべき責任をいつもこちらに押し付けていく。そんな時いつも、自分がなぜこんな事をやっているのか、判らなくなります。「私のことではない、あなた自身のことではないか」といつも思います。おそらくあなたは、私以上にそういう人を目の当たりにしてきたのでしょうけどね。

我々が要求しているのは、自身の現実に対せという事でしかないけれど、言うだけ虚しい。残るのは徒労だけです。それは最初からわかっている。これは個人で対すべきことではないのです。

なぜ「ジャーナリズム」という公の手段をもって、なぜやってはくれないのか。「強制」をしてくれないのか。ジャーナリストと名乗る人間たちが悉く、馬鹿な発言をし、こちらを追いつめかねないような事すらしていくのか。泉さんは懇談会で実名の名刺を求めたとありましたが、彼女自身は名乗らなかった。そして今回、彼女がすべて無茶苦茶にした。

ジャーナリズムとは何なんでしょうね。二十年も記者をやってきたことをひけらかし、海外のテロの取材をし、捜査一課の担当記者だった人間が、あんな事を書く。
危険とは何でしょうか。虚しくなります。

こんにちは。
すいません、単なる感想を。

新井議員が亡くなったのはずいぶん前ですよね。
僕は、精神年齢ではなく、リアルで若かったです。
だから、事件の背景についてよく理解できなかったし、
きっと今見聞きしてもあまりよく理解できないでしょう。

僕は「錬金術」のことは何もわからないし、
何が許される錬金術で、何が「禁忌」なのかも
よくはわかりません。当時も今も。
「禁忌」を禁忌とする手段を勉強しているはずなのに。
(しかもこんなところで微妙にマンガの話をしているし)

そんな僕ですが、
新井議員のことで強烈に思い出すことがあります。
彼の死が報じられ、遺族にカメラを向ける報道陣に対して、
彼の母親が激しく怒りをあらわにしていたことです。

「みんなやってることじゃないか!」

僕がこの「事件」で思い出すのは、
ただそれだけ、と言ってもいいかもしれません。

彼女の怒りの内容と矛先が正当なものなのか、
それも僕にはよくわかりません。

僕に感じられたのは、
「一人の人間の命が失われたこと」と
「それを心から悲しむ人がいること」だけです。

僕に見えたのは「お金のこと」ではなかったと。

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