ギブ・コイズミ・チョコレート
何とも言い難い不快感を感じた映像であった。我らのコイズミは、米国大統領夫妻の前で、両手を挙げ、本人としてはプレスリーの真似であったらしいが、ゆらりと体を傾けて、ソーラン節のように不器用に体を揺らして見せた。
首相になる前、泡沫候補といわれながらも、総裁選に打って出て、頑強なまでに郵政民営化を主張した変人であるが、信念に満ちた男の姿は、もうどこにもなかった。
あっけにとられたような大統領の表情に、微かに、しかし明確な困惑が走ったのを、私達は確かに目撃した。
「・・・・・・・・・・・・・・」
いったいあれは、どんな悪夢だったのか。
「あれ、気恥ずかしくて、どこか穴があったら入りたいという気持ちでしたよね」
小泉首相が米テネシー州メンフィスのプレスリー邸で、プレスリーの「猿まね」をしたテレビ報道を見た知り合いの主婦の感想である。今もアメリカの半植民地として位置づけられている一国の長が、アメリカの有名芸能人の猿まねをして、それを評価する国はどこにもないばかりか、軽蔑されるのは誰の目にも明らかだからだ。
(中略)
日本と犬猿の仲である中国、北朝鮮、かつてルックイースト(日本を見習え)の標語を掲げたアジア各国、アメリカ嫌いの南米諸国や欧州の人々に、この光景がどのように映ったかは想像に難くない。(朝日新聞 時流自論「エルビスの亡霊」藤原新也)
僕の幼い頃のアメリカは「ララミー牧場」であり、「ローハイド」であり、「コンバット」であり「奥様は魔女」であった。米国への圧倒的な憧れとまではいかない世代だが、それでもやはり、ホームドラマに映る米国一般家庭の食卓や台所のまぶしさは、今でも忘れない。
給食には臭い脱脂粉乳(GHQがかつて日本の栄養不良児童を救ったあの脱脂粉乳である)が並び、優勝するとJALパックの憧れのバッグが手渡されされる、クイズ番組のハワイ旅行はまるで月世界旅行のような扱いであった。
まして小泉首相である。 とは思う。
幼い頃、貧しい日本の社会から見上げた圧倒的豊かな米国の姿は、この人の脳裏を生涯去らないのであり、正直な人物であるだけにそれを隠そうともしない。決定的な貧しさと卑屈さ。それはある面では彼だけではなく、日本社会全体が未だに捨てることのできない、強烈な米国への従属意識であり、若者には単に「みっともない」「かっこ悪い」小泉首相のパフォーマンスも、年配になるほど見てはいけないものを見てしまったような、何ともいえない思いと共に目をそむけるのである。
日本が米国から離れて立つことの、困難さの深さを知った場面ではあった。
さらに
こういった極端なアメリカ化現象は、実際に進駐軍が入ってきた土地固有のものである。小泉首相の育ったあの横須賀もまったく同じ様相を呈していたであろうことは想像に難くない。同じ港町に育った私には、小泉首相のあの情景の”出自”が手に取るようにわかるのだ。
ただあの時と今回のそれとの違いは、助役の孫がプレスリーの猿まねをして見えを切っていたその周りには、ただの貧相なガキ達の羨望の眼差しがあっただけだが、プレスリー邸での小泉首相の周りにはブッシュ大統領以下世界各国のメディアが一歩引いた眼差しで見守っていた、ということである。(同上)
そして、心の中で静かにつぶやいたはずである。
Give Koizumi chocolate!!
と。
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» 「従属意識」のありか [玄倉川の岸辺]
左翼も右翼も大好きな「アメリカ従属論」。
私はあまり興味ないのだが、どうしても語りたい人は「政治的・経済的現実としてアメリカに従属している」ことと「強い従属意識を持っている」ことを分けて考えたほうがいいと思う。
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» 「従属意識」のありか その2 [玄倉川の岸辺]
“「従属意識」のありか”の続き。
どうしてBigBang氏や藤原新也、大江健三郎といった人たちの「小泉総理グレースランド訪問」批判がこんなに不快なのか考えてみると、どこかの国の文化を愛好することを「従属意識」や「○○コンプレックス」に結びつける安易さが嫌なのだった。
たとえば台湾の李登輝・元総統は22歳まで「日本人」だった。親日派として知られる彼が日本を訪問したとき日本語で短歌を詠んだらそれは「日本への従属意識の表れ」なのだ�... [Read More]
あの一件の直後、某所の空港からレンタカー屋までバスに乗ったのですが、運転手さんがエルビスのimpersonatorで、美声を披露しつつ「そういや君んとこの首相もやってたね。結構結構」とうれしげでした。中には喜んでた人もいるようだ、というアネクドータルな事例に過ぎませんが。
しかし、今でもアメリカのチョコを欲しがるひとって、そんなにいるのですかね。おいしくないのに。変人対猿人の心の交流はわれら凡俗の忖度を超えたものがあるのかな。
いずれにせよ、歴代米国大統領で、あれほど日本の首相の名を肯定的に連呼した人はいないわけで(「僕の父が戦った敵国の首相が、いまやわが国の最も大切な友人の1人だ。(_だから_)対テロ戦争、自由と民主主義の拡大は成功する」)、日本のいまは、確実にあの2人の個人的関係に負うところがあるのですよね。
世界にどう思われようと、どこまでもついていきます、捨てないでね、という方向に我々はきっちり舵を切ったわけで、この地獄行、はたしてどこまで行くのやら。
Posted by: harmoniker | July 18, 2006 09:07 AM
>しかし、今でもアメリカのチョコを欲しがるひとって、そんなにいるのですかね。
いや、今はいないでしょう。(笑)何のかんの言っても、もう任期が切れますからいいのですが、次の首相は米国から「つまんない奴になった」と言われそうですね。誰がなっても。
要は思想よりもパフォーマンスのセンスの問題だったかもしれないですが。
Posted by: BigBang | July 19, 2006 01:22 AM
そんなあなたに
「戦争で死ねなかったお父さんのために」つかこうへい(1972)
Posted by: 小西慎一 | July 19, 2006 02:15 AM
やっちまったものは、仕方がないですね。なんにせよ。
>Give Koizumi chocolate!!
これ、小泉さんの胸中を慮っておられる?だとすると、自分を3人称で呼ぶってぇのは、うーん、相当に幼児らしいけど。しかし、藤原さん、こんな詰まんないことを型にはめて書くなんて、どうなんすかね。漂流シリーズとか、官能なのに。
Posted by: harmoniker | July 19, 2006 03:47 PM