100年の孤独
その人がいなければ、おそらく今の自分はなかったし、今の自分のありようとは大きく異なっていただろう。
苛烈という言葉が、これほど似合う人もいなかった。妥協だとか、弱気だとか、まず無縁な人であったし、過去を後悔するということもなかった。実際この人の元を離れて社会に出たとき、世の人たちはこんなにも気が弱いものなのかと驚いた。それほどに、強い心の人の元に自分はいたのかと知り、驚いたものだ。社会は厳しいなどというが、ある意味ではこの人の世界のほうが、遥かに過酷で厳しく、そして混乱もしていた。
物心ついてからは、この人に対して、「社会の理(ことわり)」を説くのは僕の役割になっていた。なぜ遥かに年少の自分が、そして世の経験の少ない自分が逆の立場にならなければならないのかと、不思議だったものだ。
もしも世界が焼け野になることと、理不尽を受容することとの2つを選択せざるを得ないとすれば、迷わず彼女は、世が全て焼け滅ぶことを選んだだろう。全ての人が自分の前から立ち去ったとしても、それを彼女に迷わせるものはなかっただろう。息子である父が死んだときも、娘である伯母が死んだときも、その精神は微動だにしなかった。
おそらく父も伯母も、常にこの人を恐れていただろう。
他の全員が賛成しても、自分が納得できないなら、たった1人でも立ち向かえと繰り返し繰り返し教えていたのもこの人だった。その心が培われたのは、全てが狂ったように破綻に向かって突き進んでいった、先の戦争の経験だったとは、ずっと後で知った。およそ卑怯であることなど、彼女の前では許される余地もなかった。
理知的とはお世辞にも言えず、蒙昧といえば蒙昧であったが、周囲の状況を見抜くこと、人の心の狡猾さを見抜くことに関しては、天性の勘を持っていた。この世の人たちは、暴力よりも権力よりも、こういう人間を恐れるのだ。決して相手を恐れない人間を恐れるのだ。過ちを犯すことを恐れず、相手の反撃を恐れず、ただ、ただ主張を続ける人間にこそ怯えるのだ、と僕はこの人に学んだ。もちろんそれがまた、新たな理不尽を生んだのだけれど。厄介といえば実に厄介な人だった。
おそらく強さは限りない孤独を生むのだろう。自分にも周囲にも。そしてそれは美しい孤独であるとは限らない。強さと孤独は背中合わせの関係なのだということも、この2度の大戦と限りない死者を超えてきたこの人に学んだ。あなたのような生き方を肯定するのか否定するのか、僕は今でもそれに関して言いよどむ。そこには何か、大きな道筋が隠れていたようにも思うが、今はまだ定かではない。
昨夜、祖母の心臓は、あらかじめ止まる時が、ずっと前から決まっていたかのように、今まであれほど長い長い時間、鼓動を刻んできたのが嘘のように、あっさりと止まった。病室に入り、直線になって反応しなくなった心電図を見ながら、ああ、この人の命もこうやって尽きる時があったんだなあ、それは今日だったんだと今更のように思った。何かがあらかじめ今日のこの時間に向けて全てがセットされていたのではないかという、不思議な感慨を持ったのだ。それほど永遠に、彼女はこの世界にこの先永遠に生きているのではと思っていたのだ。ついこの前まで。
十分に長い人生だったと思う。
涙は、不思議とまだ出ていない。
あるいはこの人を送るにふさわしい強さをもってなそうと、僕は無理な努力をしているのかもしれないのだが。
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Comments
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気の利いた言葉など何も浮かびません。
心よりお悔やみ申し上げます。
Posted by: なおこ | February 03, 2008 12:04 PM
祖父が亡くなったのも2月でした。冬に逝かれる方はやはり多いようです。
なおこさん、早々とありがとうございました。
Posted by: BigBang | February 04, 2008 12:23 AM
出遅れましたが。
ただご冥福をお祈りいたします。
Posted by: ボクシングファン | February 04, 2008 06:44 AM
ご冥福をお祈りします。
故郷で闘病中の父を想いました。
Posted by: mikomori | February 05, 2008 10:50 AM
ボクシングファンさん。
ありがとうございました。知人の祖父も先日急逝されたと聞きました。冬はお年寄りが去っていかれやすい季節なのですね。
mikomori さん。
ありがとうございました。すっかりご無沙汰しております。お父様、お大事になさってください。
Posted by: BigBang | February 05, 2008 01:21 PM
こんにちは。
不謹慎な思いかもしれませんが、文字列の連なりをモニター越しに読んでいるブログというものに、突然、人間を感じました。ブログを書いている人も人間であり、生活を抱えて送っているのだ、という気持ちです。
私は、遅かりし親孝行をしようと思いました。
Posted by: けろやん。 | February 07, 2008 07:02 AM
どうも。けろやん。
>私は、遅かりし親孝行をしようと思いました。
本当ですよ。苦笑。誰にも101年の猶予があるわけではありません。なかなかわからないんですけどね。切羽詰まらないと。
まあ私も人に言えた義理ではありませんが。
Posted by: BigBang | February 08, 2008 09:45 PM
こんばんは、りーとさん。ちょうどメールをしたところでした。あちこち読みました。最近ゆっくりしようとしています。りーとさんも、減速しましょう。
講堂は見事に立っていますよ。そのお礼も言いたかったのです。回線が復帰したら見に来てください。
Posted by: BigBang | April 27, 2008 02:48 AM
Liedさん。コメント、保存した上でいったん削除します。後日reviseしてください。
Posted by: BigBang | April 27, 2008 04:44 PM