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August 04, 2010

人を切るということ

友人が知らない間にリストラ担当になっていた。

久しぶりに会いたいという彼の話の目的は、最初からそれだったのかもしれない。彼は、あるサービス関連の会社にいて社員は500人くらいだ。この春、なんとそのうちの1/10にあたる50人を依頼退職という形で切った。業績不振だ。

「俺がやるんだぞ。それを。考えてみろ。1人1人に面談してあなたは、ここにはいらないと、最後にはわからせるんだ」

思わず顔をしかめた。僕は知っている。その仕事を彼にやらせるのは駄目だ。おおよそリストラを告げる役割が似合っている者など、どこにもいないかもしれないが、彼には一番似合わない仕事だ。僕は知っている。彼の精神はそういうことには耐えない。

「・・・でもそれは退職勧奨だろ。どうしても本人が辞めないと言ったらどうするんだ。解雇か。」

「そんなことできるわけないだろ。あくまでも本人が辞めるように説得するんだ。応じるまで何度も面談に呼ぶ。何度も呼んで、いかに自分が会社にとって不要であるかを遠まわしに何時間かかっても説得する」

「それでも応じなかったら?」

「このままではろくな未来が待っていないことを教える」

彼が言うにはこうだ。退職勧奨に応じれば早期退職金も出る。割増の退職金だ。それでもこのままあと10年会社にしがみついて、給与を10年分もらってからさらに退職金を受け取る方が有利だが、割増の退職金をもらって、そのあと10年安くても、たとえ月収10万円でもいいから再就職すれば、あるいはこのまま会社に残った場合よりも計算上は収入で上回るか悪くてもとんとんになる。そのあたりは最初から計算されて、この「罠」は組み立てられているのだ。

「でも再就職ができなかったら?」

「会社が再就職も面倒みる。一回入った会社が気に入らなかったら、もどってくればもう一回さがす。それまでの費用も全部会社持ちだ」

「それなら応じたほうが全般的には本人のためだということか」

「会社にもだ。膨大な節約になる」

50人を辞めさせて割増の退職金を払って再就職の費用をかけても、その50人があと10年間会社で働き、その後退職金を払うことを考えれば辞めさせたほうが大幅に得だという。

「そうか。俺ならすぐ応じるな。」

「そうだろうな」と彼が笑う。

「お前ならそうだ。最初から組織にこだわりがない。でも普通の人間は違う。金だけじゃないんだ。こだわりがある。」

「それはそうだろうな。全人格を否定されたように思うだろうな」

「そうだ」

「厄介か」

「厄介なんてもんじゃない。。。。地獄だ」

呼び出されて面談を受けた時点で最初から会社の「解雇」の意図はわかりそうなものだが、それでは「辞めさせる」ことになる。厄介を避けるために、対象となる人間よりも遥かに多くの人物と面接を行って意図をぼかす。
そして2回目、3回目と次第に当初から目的とする人間に絞っていく。狙いをつけられた人物は執拗に呼び出される。そこで、今までしてきた仕事がもうこの先、会社に存在しないことを説明される。こちらから辞めろとは言わない。それでは解雇になる。辞めるというのはあくまで本人からだ。そう仕向ける。

それに先立って、彼は外部コンサルタント主催の講習を受けた。いわば「人を切るための講習」だ。これは想像以上に厳しい仕事だ。辞めさせられる側だけではなく辞めさせる方も精神的にずたずたになる。それをケアするのもコンサルの仕事だと言われたという。

「俺、母親が死んだだろう」

「・・ああ。」

「3回会っても4回会っても相手が納得しないと、そんな話もすることになる。」

「お前の母親の話?」

「うん、関係無いと思うだろう?でもそういう話になるんだ」

結局自分はどう生きてきたのか、どう生きていくのかという話になるんだという。そこまでの話をしないと相手は納得しない。しまいにはどっちも号泣しはじめる場合があるという。壮絶な現場なのだ。

「頭がおかしくなってくるんだ。どっちも平静さを保てなくなる。だから事前に講習を受けるんだ。難航する相手には必ずこう言えと言われる。『奥さんはなんて言っていますか?』」

自分が会社から切られようとしている。こんな話を奥さんにはしたくない。会社だってもしかしたら、本気でクビにしようとしているわけじゃない。何か妥協点があるんじゃないか。そう考えて奥さんに打ち明けずに仔細を秘密にしている場合が多い。奥さんに相談しろと告げることで、相手のはかない希望も砕くように仕向けるのだという。妻に相談すると男は平静になり不思議と現実感を思い出す。

「最後まで抵抗する場合には、あなたのためにはろくな仕事はここには残ってないけど
それでもいいかと脅す」

「子会社に飛ばすとか?」

「そう。駐車場の管理人か住宅展示場の番人しか残ってないけれどそれでもいいかとまで言う。給与も半分以下になる。そこまで言うとたいてい相手は黙りこむ。」

そこまで屈辱的な扱いをされて意地を張って残るよりも、退職勧奨に応じたほうが金銭的にも有利なのだ。それを説得する。

「そのあたりでまた、相手は黙りこんで喋らなくなったり、泣いたりする。会社を恨むんだ。長年尽くした自分にこの態度かと」

「それはわかる。そこは金じゃない。」

「そうだ。金じゃない。だから厄介だ。修羅場だよ。でも俺はやり遂げた。担当する5人を最後には納得させて全員辞めさせた。」

彼はそう言って黙りこむ。3ケ月かかったそうだ。母親が亡くなって直後にお前はそんなことをしていたのか。知らなかった。

「お前は奥さんに言わなかったのか?その仕事のこと」

「ちょっと言ったよ。俺もきつかったから」

「そしたら何て言った?」

「あ、そうなのと5秒で終わりだ。すぐにカーテンの柄の話になった」

「カーテン?」

「新しく買うカーテンの柄の相談の話だ。彼女にとってはカーテンの柄よりも遥かに重要じゃない話だ」

「あははは。お前の奥さんらしいな」

「うん」

「この話、ほかに誰かに話したか?」

「話せる相手なんかいない。お前ともう一人幼馴染に。。。」

僕は黙って彼の顔を見ている。

「こんな話、普通のやつには話せない」

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Comments

読んでいて過去の記憶が蘇ってきました。
私もかつて同じような事をやらされましたが、誰にも話せなかったです。かみさんにも。

やる側もやられる側も当事者にとっては地獄ですが、組織に残るやった側もその組織に対しては不信感を残す結果となります。
また、そういう事がかつてあった、という記憶やら臭いを組織から取り去る(忘れさせる)には10年はかかります。

いろいろな形でいろいろな場所で「いす取りゲーム」が繰り広げられていますね。

>>ヴヴァンさん
10年かあ。。そうですよね。。

こんにちは。
お久しぶりです。
垣根涼介「君たちに明日はない 」という本は、切捨てごめんを主題にした短編小説集で、ペーソスがあり面白いのですが。実際のところはどろどろしたものでしょうね。

これからも更新を楽しみにしています。

けろやん、おひさしぶりです。ブログは時々拝見しています。「君たちに明日はない」は読んだことはないですが、一抹のペーソスもない現実世界は辛いものです。切るも地獄、切られるも地獄ではありましょうが、地獄の構造も巧みに出来ているものではあります。

2年ぶりに書き込みさせていただきます。

「お前ならそうだ。最初から組織にこだわりがない。でも普通の人間は違う。金だけじゃないんだ。こだわりがある。」

という部分、非常に重いボディーブローですね。
私は今年大学を卒業してしまい(!)、路頭に喘ぐ日々。
しかし、組織にも社会にも執着が皆無な私の佇まいは、「真剣味」に欠けると周囲には映るらしく、毎日のように父から泣きの電話が入ります。

息子である私の将来が心配、ということ以上に、父にとっては「息子と社会・組織との『密接な』つながり」がどうしても目に見える形で欲しいのでしょう。
ある意味、父のこだわりといえます。
他人から自分の息子はどう見えるか。
それを通して、自分はどう見られるか。
世間体への異常なる執着があるのです。

そして、その「こだわり」を解きほぐすのは困難を極めます。
それは彼の中に「自分がこだわっているものには、他者もこだわっているに違いない」というこだわりがあるからでしょう。
ですから、「こだわりのない」私を見ると絶叫するのです。
「わかってくれるはずだ(自分と同じ「こだわり」が私にもあるはずだ)」と信じるが故、絶叫するのです。


ある意味、こだわりというのは、その人のプライドであり、悪く言うと、動かしがたい固定観念なのかもしれません。

二十余年、父殺しの夢にうなされ続けている私ですが、時間や文学から得た知識をどう用いたところで、父のこだわりを解体することは叶わず、さらなるこだわりの膜を生じさせるだけ。

その幾層にも重なり絡み合った「こだわり」(良くも悪くも、その人自身である何か)を除去しようというのですから・・・人間業ではありませんね。


想像しただけで吐きそうです。

>hisaさん

コメントありがとうございます。ご存知かどうかですが、自分は生まれつき親との縁が薄いので、幸か不幸か、そうした「他者であり他者でない」身近な人間の思惑に左右されたことがほとんどありません。祖母はディテールに突っ込む力はありませんでしたから。
ただ、父との絡まった糸は、父の寿命が尽きるまで解けることはありませんでした。いっそそういうものだと割り切ることも、あるいは必要かもしれない、ほかに我々には術もない。そんな気がしています。

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