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January 05, 2011

【新年のご挨拶---夕焼けの色】

Newyear

年明けの東京は晴天が続き、美しい夕焼けを見ることができました。最近では、ネット上でも美しい夕焼けの写真が多くアップされています。高解像度のカメラ付携帯電話やモバイル機器の普及で、誰でも目にとめた風景をすぐに撮影し、多くの人に見せることができるようになったためだと思っていたのですが、余りにすばらしい夕焼けの写真を見ているうちに、最近ちょっとしたことに気づき、気になっています。

それは

「夕焼けって昔からこんなに美しかったろうか」

ということです。

若いときには何とも思わなかった陽の光、花や空の色が年を重ねると美しく見えるようになるという話はよく聞きますが、この話はちょっとそれとは違います。子供の時に見ていた夕焼けの空の色とそれに染まって刻一刻と姿を変えていく雲は子供の時の記憶とは、何かが違っているような気がするのです。

もともと、星好きの子供だったので、空は飽きるほど眺めています。宵の明星をカメラで撮影しようと寒い冬の暮れに陽がが落ちていくのをじっと眺めていた記憶もあります。
でも手元にカメラはいつもあったのに、夕焼けの雲の美しさを留めた写真は手元に全くありません。日没の写真では太陽のみを撮影していて、まわりの雲の様子がわかるものはありません。星に夢中な目先の狭い子供は、目の前がそれだけでいっぱいになり、空全体に広がっている雲にも夕焼けにも関心がなかったのでしょうか。あるいは、ただそれだけの話なのかもしれませんが、何かが気になります。

色々探していると、この話のヒントとなるかもしれないものを見つけました。2007年の
記事です。

ターナーなど夕焼けの絵画を分析、温暖化研究に活用へ

「ギリシャの科学者らがこのほど、古今東西の日没の風景画の色彩を分析したユニークな研究結果を発表した。ターナーが描いた「夕焼け」の色調を測定することで、制作当時の地球成層圏に浮遊していた火山性ダストの量が推算できる」のではないかという。
研究者たちは、1500年から1900年のあいだに制作された『夕焼け画』554点の画像を集め、作品ごとに『赤と緑の色彩比』を測定し、たとえばターナーの作品が、火山噴火の直後とそれ以外の時期でどう変化するか調べた。この年代には1883年にインドネシアのクラタウ火山の大噴火という出来事があった」(CNN)


というものです。

ターナーは夏目漱石の小説「坊っちゃん」で青島につけられた名称「ターナー島」でも有名ですが、彼の書く「夕焼け」の空の色は、あり得ない色として、天文学者には酷評する人もいたということです。ターナーはそれに対して「私は心の色」を書いているのだと返したと言われており、それはそれでいいコメントなのですが、実はターナーが見ていた「夕焼け空」と我々が今見ているそれとは、最初から別の色だったかもしれないというのが、この科学者たちの着眼点です。

この科学者たちが正しいのかどうかは、なかなか実証しにくいでしょうが、「心の色」という感動的な言葉の背景にあるのは、もしかしたら地球の気候変動という別テーマなのかもしれません。現代の夕焼けの空の赤さを、火山灰の増加や黄砂と結びつけて論じる学者も確かにいるようです。
私はそれに加えて、雲の様子も何だか違ってきているような気がします。これは抽象的ではっきり言えないのですが、昔に比べて荒々しい様子の雲が増えてきているような気がします。それがかえって夕焼けの壮麗さを引き立てているような気がするのですが、これも気象変動と何か関係があるのかもしれませんし、見当はずれかもしれません。

絵画はともかく、遠い昔に夕焼けがどんな色だったか、誰も知らないことがこの話を複雑でミステリアスなものにしているような気がします。自分の人生で考えても子供の時のカラー写真はもう色が褪せて、本当はどんな色だったかわかりづらくなっています。その前にはカラー写真すらありません。

ですが、ここからは違います。私たちの撮影したデジタルの夕焼けの写真は、よほどのことがなければ永遠にネットに残るでしょう。これからは、世界中で空に向けられた無数のカメラが、人類が存続する限り永遠に残る数えきれないほどの夕焼けを記録し続けるでしょう。もしも夕焼けの色が少しずつ変化していくようなことがあっても、これからは私たちの残す記録が遠い先の子供たちによって、その頃の空の色と比べられるようになるのだと思います。

全世界でアーカイブが始まったというのは本当に大変なことなのだと思います。そして大変革と言うのはこういうことなのでしょう。本当に変わっていく本質的なことが何なのか、本質的でないことが何なのかは、数十年も数百年もたってから、ようやく私たちにはわかるのでしょう。今はその大変革のほんのとば口とすれば多少の混乱はつきもの。政治も経済も、そして小さな個人の運命も。

そう思って平穏であったような波乱であったような昨年を振り返っているところです。100年後の夕焼け色のがどんなものなのか、私には知る由もありませんが。

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昨年は大変お世話になりました。
本年もよろしくお願いいたします。

どうか今年は、私たちの差し出す無数の手が、それを求めるさらに無数の人々の手に届き、しっかりと繋がりますように。

(いつもながら新年より長文のメールで失礼いたしました。ご容赦ください。)

【追伸】

私ごとですが、昨年「ツイッター軟式革命」という書籍を出版しました。企業の中でツイッターの先進的な発信者となった方たちを取材させていただいたものです。もし宜しければ

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をご笑覧ください。

※ブログ

IT's Big Bang! -- ITビジネスの宇宙的観察誌(CNETJapan)
http://japan.cnet.com/blog/it_bigbang/ 

BigBang
https://ultrabigban.cocolog-nifty.com/ultra/

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Comments

BigBang様
明けましておめでとうございます。
相変わらずツィッターではフォローばかりしています。

このトピックと同じような事を感じたのが、寒さや暑さについてです。温度の比較は簡単に出来てしまうので、あくまで感覚としてのもので。
特に寒いという感覚は昔の方が強かったという印象を持っています。
体感として記憶している範囲だけでも、学校に行く道すがらに霜柱を踏む音、水溜りに出来た氷を踏んで割る足裏の感触、教室に入れば石油ストーブ独特の臭い、何人かのアカギレた手、真っ赤な頬などなど。
もちろん、加齢による変化、衣食住の環境の変化もあるのですが、「寒くてどうしようもない」という事がなくなったように思えます。
今の寒さに慣れたということなのかもしれませんが、どうもその変化を見過ごしている事にはっとさせられます。
いろいろな変化に対応する事は生物として必要な能力なのかもしれませんが、変化することの自覚がないままに慣らされているという事の無い様にこの一年を過ごしたいと思いました。

今年も呟きとは別にブログアップ楽しみにしています。

ヴヴァンさん、すっかりご返事が遅くなってしまいました。いまさらあけましておめでとうでもないのですが、そろりそろりと更新していこうかなと思っています。気が向いたらお読みください。

(夕焼けはちょっときれいに書きすぎました。悪い意味で(苦笑))

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