3月11日がやってくるまでの個人的な話。今思えばどこかで繋がっていた。
大震災から1ヶ月たった。ようやく書く気分になったので、3月11日がやってくるまでの個人的な話をちょっと書いておく。
僕は1月ころから中東で起きている大変革に心を奪われた。アルジャジーラの報じるエジプトのタハリール広場の映像にかじりつき、時計の表示を日本とエジプトに合わせて常に現地時間にあわせて、Twitterに飛び込んでくる現地や欧米の英語情報を拙い日本語に翻訳するというようなことを延々とやっていた。
そんなことを始めたのも、エジプトの大変動が日本のメディアでは殆ど報道されなかったからだ。いくつもの欧米メディアや広場の若者からリアルタイムで飛び込んでくる情報は日本の日常とは遠く離れたスリリングなものだ。慣れてくると相互の情報の隙間に垣間見える現地の民衆の息づかいも体感できるようになる。時を忘れた。
革命はムバラクの退陣という形で一定の成果を収めたが、その政権崩壊の瞬間にも日本メディアは「マイペース」を崩す事はなかった。民放はバラエティをやっていたし、NHKは松本人志のドキュメンタリーをやっていた。何か大きなものが中東には舞い降りていたが、それは本当に日本からは遠かったのだ。物語は遠くで、遠くで起きていた。遠雷というよりも、もっと遠くだ。
エジプトから注目がリビアに移る頃、友人から連絡をもらって三軒茶屋の路地奥にある店で会った。色々な話をしたが、彼の僕へのコンタクトの一つの理由は「中東よりも日本のことをもっと考えた方がいい」というものだったと思う。見かねたのだろうね。それに対して僕は「これは繋がっていると思うのだ」というような話をした。極めて感覚的な話ではあったが、僕は「大きな物語」がいずれ日本にやってくると感じていたのだ。中東の革命がそのままの形で日本にやってくるとはもちろん思わない。それがどんな形であるかは、もちろんわからなかった。もっと感覚的なものだ。
言うまでもなく長い停滞の時間に日本ははっきりと疲弊している。国債の発行残高は膨れあがり、長い不況で頼みの個人金融資産は吐き出された。シニアのタンス預金ももうそれほど残っていない。数年後には借金がこれら個人の金融資産を凌駕する。そのときに世界のヘッジファンドは一斉に巨額の国債を売り浴びせてくるのではないか。そうなれば日本が破綻する。
友人はその危惧を感じていたし、僕もそれは変わらなかった。だがアウトプットへの意見が微妙に変わっていた。僕のしていた瑣末なこと。遠い海外の様子を実況することがどう日本と関わるのか。この「繋がっている」感覚がどんなものなのか、具体的にはうまく伝える事ができなかったが、いい年の男2人が何時間も日本の将来について話し合うなんてそれほどよくある話ではない。何かの空気が来ていた。
朝も近くなった頃、僕は彼の自動運転のTwitter Botを冷やかした。「地震速報はどうなんだろう。震度1のお知らせ」とか要らないよ」。ある人から彼のBotの「地震速報」が頻繁すぎるので伝えてくれと冗談半分な話もされていた。友人が阪神大震災の経験者であることは知っていたが、それにしてもと言うと、彼は意外なことを言った。それは「最近、群発地震がすごく増えている。気になってしょうがない。」というものだった。「そうかねえ」と僕は軽く対応し、それでも「ほんとに気をつけた方がいいよ」という真顔のアドバイスに「そうするよ」と応じた。それでその夜は終わりだった。
そうして3月11日がやってきたが、あの日もそうだった。
僕はエジプト革命を寝食を惜しんで翻訳している「変わり者の一人」ということであるネットメディアから取材を申し込まれ、自分の会社の会議室でインタビューを受けていた。このブログで書いたような事を話し、カメラの前で実際にキーボードを叩いた。どこかで何かが繋がっていると思うのだ。というような話をそこでもしたとき、あの瞬間が来た。当然ながら取材は途中で打ち切られ、揺れが収まった時に僕は会議室のテレビをつけて、取材のスタッフたちと一緒に、モニターの向こうにハリウッドの特撮映画のような信じられない光景を見た。田畑や家を波が飲み込んでいくあの光景だ。沢山人が死ぬ。と思った。
取材に来た女性はショックで何かを叫んでいたが、僕は黙ったまま映像を見ていた。きっと大きなショックを受けていたのだと思うが、そのこともその時にはわからなかった。けれど「これだったのか」と感じたことだけは覚えている。その「これ」がどれだったのかは今でもよくわからない。中東からの一連のことなのか。それとも友人の言っていた「群発地震」の不吉だったのか。
中東革命を全く報じない日本のメディアに業を煮やした頃、僕はTwitterにこう書いていた。
この様相ではもしこの国に何かが起きても、僕らはCNNやABC、 BBCやAJに頼って自国のニュースを知ることにもなりかねない。自国のことになると、ここのメディアは、なお一層口をつぐんだりしないか。http://twitter.com/HyoYoshikawa/status/31572351632015360
このツイートも僕らの上にやってきた「大きな物語」に繋がっていた。
流されていく信じられないほどの数の家の映像の向こうで、「福島原発が。。。」とテレビのニュースが何かを告げていた。「それ」は思いのほか早くやってきたのだ。
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