南相馬の状況(2011年10月16日) 鹿島区烏崎付近
○ねじ曲がった電柱
○被災地にも秋がきている。
○GPSを見て走ると、辛うじてこのあたりにあった街を感じることができる。「ああここはガソリンスタンドだったのだ」「スーパーがあったのだ」 何もない地平線にかつてあった街の姿を描く。
○萱浜に比べて烏埼はあまり手がついていない。こんな遺留物も多く見られる。
○遠くに火力発電所が見える。
○津波で破壊され尽くした堤防。
○爆撃の後のようだとはよく言われるが、本当にそんな表現がぴったりだ。巨大なコンクリートが吹っ飛ばれさている。その力の甚大さはここに立っても想像しづらい。
○チャイルドシートが
○至る所に水たまりができている。
○この力。
○地名からして烏がもともと多かったのだろうか。
○遺留物を眺める。小さな小石の間に人の生活の痕跡が刻み込まれている。
決定的に俺に欠けているのは元気だった時のこの街の姿を知らないということ。どこを目指せばいいのか、どこを目指さない方がいいのか、まるでわからない。 地元の人に教えてもらうしかない。自分の故郷ならこんなことはあり得ない。
イメージを持つこと。街の未来にイメージを持つのは難しい。
« 南相馬の状況(2011年10月16日) 鹿島区北泉海浜公園・原町火力発電所付近 | Main | 【新年のご挨拶 昨日と同じ明日】 »
Comments
« 南相馬の状況(2011年10月16日) 鹿島区北泉海浜公園・原町火力発電所付近 | Main | 【新年のご挨拶 昨日と同じ明日】 »
写真ありがとうございます。
私の父の実家は烏崎です。親戚もたくさんいましたが、ほとんどの家は流されてしまいました。
夏に帰省した際に行って見ましたが、そのころと状況はあまり変わっていないようです。
親戚の家のあったところに立ってみて、門があった辺りが、かろうじて分かっただけでした。
震災前の町の面影は一切なく、津波の威力を思い知らされ、ただただ立ち尽くし、自分の無力さにため息が出るだけでした。
Posted by: Hisa1214 | November 06, 2011 04:54 PM
コメントありがとうございます。ご親戚はご無事だったのでしょうか。
このエリアは何だって手をつけないのだろうというくらい、あの日のままになっているようですね。地元の方にも色々聞いたのだけれどよくわかりませんでした。復興の計画でいろいろ緒論があるような話でしたが。
ここまで行って、ため息をついて、ただ写真を撮って帰ってきています。無力だなあとかそういうことは、考え始めるときりがないので避けていますが。
Posted by: BigBang | November 07, 2011 03:06 AM