一歩も引かぬこと 日隅一雄さんが亡くなられた
@yamebunさんこと、弁護士でジャーナリストの日隅一雄さんが、先ほど亡くなられたと聞いた。
深夜の東電会見で小柄だけれど一歩も引かない、仁王立ちになった姿に吸い寄せられた。日隅さんを知った最初だ。凄い人がいると思った。会合でお会いできて、あの夜のことは忘れませんとお伝えしたが、たぶんうまく伝えられなかった。何度も言われた言葉だろう。
照れたように笑っておられた。
日隅さん。今こそいて欲しかった方が去っていかれた。もっとお話がしたかった。
たった1人でも一歩も引かなかったあの夜の場所にはいられなかったけれど、深夜まであなたの凄さを目撃できて良かった。ありがとうございました。お疲れ様でした。
決して我らも引きません。
安らかにお眠り下さい。
【追記】23:47
これを書いた後で、Facebookである方に指摘を受けた。日隅さんと僕は実はこの記事で書いた会合ではなく、それよりもずっと前に、ある場所でお会いしていた。当時、「ヤメ記者」という字は名乗っておられたものの、おなじみの「ヤメ蚊」という名前がなぜか僕の記憶に残っておらず、間抜けなことに僕は気がつかなかったのだということがわかった。
このブログにもそのときの記事が残っており、読むと当時の日隅さんの様子が伝わってくる。自分の記事を読んでようやく、あのときの人だったのだとわかった。ここまで書くと、このブログの長い読者の方なら何となくわかるのではないかと思うが、あまり思い出したくない出来事が含まれているので、あえてリンクは張らないでおく。
僕にとっては、あくまでも日隅さんは東電会見の日隅さんだ。それでいいと思う。けれども、返すがえすも残念なのは、日隅さんのお元気なうちにこのことを思い出せなかったことだ。日隅さんも忘れておられただろうから、それを話せば、きっとおもしろがってくれただろうにと思うと、残念でならない。
実はずっと前からご縁があったのだと思うことは少しうれしいけれど、にも関わらず、瞬く間にすれ違ってしまったと思うと、また悲しさを増す。
【追記2】01:34
衝撃的だったあの夜の日隅さん。2011年4月5日。この場面は実際にはもっとずっと長かった。息をのんだ。
あの夜、東電は責任を不明確にしたまま歴史に残る大量の汚染水を海に放った。人が譲ってはいけないこととはなんだったのか。曖昧にしてはいけないことは何なのか。日隅さんは教えてくれた。
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