4月5日の夜の椅子の話
日隅さんの昨年4月5日の深夜の東電会見。彼の勇気と正義が称えられた。僕もそうしてはいるが、忘れてならないことがある。
それはあの夜。
大量の放射能汚染水の不法海洋投棄に対して、あの夜あそこで両手を広げて立っていたのは日隅さんと木野さんしかいなかったということだ。たった2人だ。この国であの夜。その2名は座る椅子さえあの部屋になかったのだ。
なぜあの夜2人が立ったままだったのか。激して立ち上がっていたのかと不明にも僕は思っていた。お2人の出版のトークイベントに行き、彼らには席がなかったのだと聞かされた。日隅さんも木野さんも笑い、僕たちも笑った。
けれども、これは笑って流せる話ではない。それが僕らの作ってきた世界の現実だからだ。
木野さんはああいう性格の方だし、そんなことを声高に言うのもいやだろう。日隅さんもそうだったろう。けれども日隅さんはもう帰らぬ人となられた。控えめな2人のジャーナリストに代わってこれは書いておこうとおもう。
僕たちは、間もなく癌に侵されて1年少し後にはこの世を去る人に対して、椅子に座らせることすらできずに、立ったままであの場にいさせ、誰も言わなかったことを言わせた。その間ほとんどの記者は黙って俯いていた。座ったままでだ。
そのことをずっと僕らは覚えておいた方がいい。
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