消えていくブログ
夜中に知人が嘆いていた。彼のうっかりミスで過去何年間ものブログの記事が消えてしまったと。バックアッップから戻しても数ヶ月分の記事しか戻らないと。
普通なら「よくあることだ」で済むんだろう。
「お気の毒にあはは」と。
ところが今回そうはいかなかった。僕はショックを受けた。
「うわあああ。マジか」
あわてて、google から彼のブログにあるはずだった記事を検索してみる。当然リンクは消えている。
うわー本当に消えてる。。。こんなことなら記録をとっておけばよかった。。とブログ主でもない自分が夜中に呆然とモニターを見つめている。
ここまで他人のブログにこだわるのも理由がある。
数年前にブログを舞台にして、いやそれは現実社会にも及ぶ非常にきつい経験をした。いまさらその仔細を繰り返して説明する気にもなれないけれど、自分にとってはいままでの人生の中でも屈指の経験だった。大きなきつい深刻な出来事だった。
人を酷く傷つけたし、人に酷く傷つけられもした。
そのときのいきさつは、自分のブログにももちろんだが、幾人かの人のブログにまたがって痕跡として残っている。彼はそのうちの一人だ。といってももちろん本人にとっては意識していない、多くの出来事のうちの一つだろう。
彼だけではない。
このときの出来事を記録していた人たちのブログが、あるいは更新停止し、あるいは今回のような予想外の出来事で消えて行く。
この出来事であらためて思った。ブログはそれを書いている本人だけのものではない。いつの間にかそれを読む読者というか、読み手にとっても貴重な財産になっていくのだと。書いている本人の意図を超えて。
そうであっても、ブログを維持して行くことはそう簡単なことではない。更新し続けることはもちろんだが、更新が止まってもなお、それを維持し、何年間も人に読まれるようにしておくことは簡単なことではないのだ。ふとしたことで今回のように消えてしまう。一方、本人がすでにこの世になくても残っているブログもある。僕は時々そうした逝った人のブログを読むことでその人に会いに行く。
過去のセンチメンタリズムにとらわれすぎるのは、もちろん、いいことばかりではない。偶発的な出来事で記録が消える。それは人の社会にとっては日常的な風景であるし、だからこそ前を向ける。
「前を向こうよ」
あなたはそう言うだろう。僕もブログを自分のミスで消して落ち込む彼にそういった。
けれども。
感傷とは決めつけられない、何かがそこにあることも確かなのだ。誰も一人では生きられない。自分だけの観念の中だけに生きることも、誰もできない。
僕たちは他人をも含めた観念のネットワークの中に記憶を紡ぎ、思考を重ね年を重ねていくのだ。ブログだけではない。僕たちのネット社会の不可思議さのひとつはそういうところにある。
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