過酷で無慈悲で不合理な
仕事というのは多かれ少なかれ過酷で無慈悲で不合理な部分はある。過酷で無慈悲で不合理な部分を直そうとすると、大体の場合は状況よりも自分がダメージを受けるので、多くの人はそれをやり過ごして現実との間に均衡点を求める。こうして人はオトナという都合のいい生き物に成長する。
それはそれだ。
しかし現実に対して無制限の妥協を重ねると、いつかそれは私のチンケな仕事の分野にとどまらず、全てに波及する。そして社会に波及する。
各所で至る所でこの流れに抗する小さな抵抗がなされることがきっと必要で、それが合流して大きな力に知らぬうちになっていく。これはまさに選挙における投票行動とそっくりの話だと思う。
あなたや私のチンケな1票では何も変わるように見えないが、そのチンケな1票以外に社会を変える方法はない。それができなければ革命しかないのだ。
あなたは笑うけれど、それは世界においては始終起きていることだ。タイ以外でも。どこでも。どこでもだ。
投票行動は社会を変える欠かせない力だけれど、唯一絶対ではない。ほかに変えるべき手段があってそれを本当に実行できる機運と勇気があるなら試すのもいいだろうと思う。
けれどもちろん、チンケな投票ひとつも行わないただのチキンが、そんなことを唱える資格はないと思う。
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