「意識の高い」あなたへ
うーん。自分が思うのは、事件があったときだけ何でみんな急に意識が高くなるの?というところ。普段、シリア情勢とか難民のこととか考えている人、どれだけいますか?関心を持っている人どれだけいますか?
そのことがいけないとか、いけなくないとか以前に現実はどうですか。ほとんどいないでしょう。
国家とか民族とかテロとかイスラムのこととか考えて暮らしている人、どれだけいますか?俺は考えてるぞじゃないです。世間的にはいないでしょう。ほとんど。全体的に。
一事が万事。そういうことを考えているなら最低限、自分の国の選挙には来ますよね。全てがつながっているということがわからないような人たちだから選挙にも来ないし、まして外国のことなんか意識していない。
東京タワーを三色にするとか、アイコンを何色にするかというのは、「意識高いみなさん」のための行為じゃないんです。まったく世界がどうなっているかわからない、関心もない人が、「お?タワーの色が変わったぞ?なんかあったのか?」て思ってくれるためのものなんです。割り切りましょうよ。
こういうメッセージの対象はあなたではないし、僕ではないんです。
そこで終わってはいけない?
そんなことは当たり前のことです。
フランスのときだけなぜやる?
じゃあレバノンがテロにあったときも、あなたはレバノンの国旗を掲げればいいじゃないですか。ガザの地獄を友人にも話して聞かせればいいじゃないですか。沖縄という犠牲を同朋に強いていながらどうすることもできない。そのやるせなさを日常の中で話せばいいじゃないですか。
ガザがあれほどやられていたときにも
シリアの状況が最悪になっている現在でも
古くはエジプト、アラブの春。
ミャンマーの先のお坊さんのクーデター失敗、アウンサンスーチー氏の解放。ロヒンジャ。全米で同性婚合法化。
その都度、あなたは国旗を掲げたり、アイコンを変えたり、それを話題にしたりしましたか?その都度発言しましたか?
そんなことしましたか?ほとんどの人はしないでしょう?これからもできないでしょうし、やれないでしょう?ほとんどの人はできないし、しないんです。たいていの人は日常の中で生きている。全てに目配りよく参加しないと、なにもできないんでしょうか。やることに意味がないんでしょうか。
人が世界に対して徹底的に無力であること。僕はそれがいけないとか思いません。しかたがないことだし、自然だと思う。けれども、
「ああ。そうか。タワーの色が変わったのはそういうことだったのか」
と気づいた人が仮にいたとする。その数秒後にはその人はそのことを忘れますよ。横にかわいい彼女でもいたら、もうそっちに関心は戻りますよ。
人間はそういうものだし、そうやって生きている。ほんの少しの人たちがめちゃくちゃ敏感なのは確かだけれど、ほとんどの人はそんなことはない。でもそれがきっかけになって100人に1人くらいは変わるかもしれない。
フランスという国家のことだとか、イスラムの人たちのことだとか、世界の不平等のことだとか、いつも考えているならそんなことは日常の中で、語り合えばいいじゃないですか。季節限定じゃないですよ。365日24時間ある。いくらでもできる。今はSNSがあるんだから。語ろうという意欲さえあれば。
そういう「意識高い」人たちの間で、やあアイコンはどうだとか、タワーの色は安直だとか、そんな話をする余裕があったら、もっと違う話を普段からしましょう。事件があったときだけ、なぜ参加の基準を上げるんですか?
人は何かを「しない理由」なんて求められもしないのに語る必要はないし、そういう話の中に実のある話はまずない。「何かをする理由」について語るほうがいい。
テロは簡単な問題じゃない。
フランス国旗を掲げてどうにかなる問題じゃない。
かといってパレスチナの国旗を掲げたってやっぱりどうにもならないんです。それだけではね。
世界は不平等?そうですよ。たまらなく不平等ですよ。
そんな世界に自分たちは生まれた。その現実の中で、地をはうようなところから1人から始めるしかないと思うのです。苛立たずに。諦めずに。本当に必要な議論は何なのか。見失わないように。
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