牙を尖らせて
自分の祖母は貧農の生まれで、教師にすら蔑まれて、明治から大正を生き、関東大震災から戦争、東京大空襲と戦後を獣のように牙を尖らせて生き抜いた。
その祖母が期せずして大きな家に嫁ぎ貧乏人、無学と愚弄され、やがて運命的に引き受けた小さな孫に「戦え」とのみ教えて育てたとして、なんの不思議があるだろう。
今になってわかるけれど、彼女にはこの国に蹂躙され続けた恨みつらみとコンプレックスが溜まりまくっていた。その淀みまくった恨みを合理的な言葉で説明できず、ただ「戦え」と表現したのだろう。
「誰の言うことも信じず、自分が思ったことに殉じろ」
今になって思えば、そして側から見ていればきっとカッコよかったぜ。ばーちゃん。あんたほど平和を唾棄して権力に媚びず絶対孤独を引き受けると明言してた人がいるだろうかね。
けれども戦いがデフォルトで育てられた自分は苦労している。どうやってこの世界と折り合いをつけていくか。それはあんたは教えずに逝った。通常の人は、牙の不在に苦しむらしいんだ。鏡の世界だな。
きっと俺はそういうところから沖縄を見ている。福島を見ている。
-
« 双葉消防本部の記録を観た | Main | 絶望と希望の狭間で---Cocco 「ジュゴンの見える丘」 大浦湾に帰ってきた2頭のジュゴン 辺野古で起こっていること »
The comments to this entry are closed.
« 双葉消防本部の記録を観た | Main | 絶望と希望の狭間で---Cocco 「ジュゴンの見える丘」 大浦湾に帰ってきた2頭のジュゴン 辺野古で起こっていること »
Comments