この世に悪魔はいたのか
この世に悪魔というようなもの、おそらく日本では鬼ともいう。能の世界では鬼は数々あれど、例えば般若は人の心の中の鬼であるとする。しかし中ではなく外に敵対する鬼を想定することで人は白の世界にいようとするものではないか。暗黒面は光の世界を想定しなければ成り立たない。逆もそうである。
60年代の高度経済成長、70年代後半から80年代のバブル期、その後の氷の世界、2000年代のITバブル期を駆け抜けた広告の悪魔性についてよく考える。人ごとではなく加担してきたひとりとして。自分の中の一部にあの時悪魔はいたか。あるいは悪魔に心を売っていたか。
あの戦争を引き起こした人たちの中に一定の懺悔と怨念があるのであれば、スケールは段違いとは言え、80年代から2000年にかけて、そして現在に連なる日々の中で我らの世代にも一定の懺悔と怨念はあって然るべきだろう。この世は眠っている間に出来上がったわけではないのだから。
時代の懺悔と怨念はどの世代にもあるのだろうが、我らの時代は先の戦争の如き大量殺人を起こしていないからか、まとまった懺悔や後悔の言葉を聞いていない。(オウムの時代は隣接して捉えられるべきだろうが)西武セゾンの全盛を頂点とするバブル広告文化の焼け跡の中で、糸井氏も何も語らない
現代にあってまだその周辺を彷徨っている自分にとってあの時代への加担について、自分如きにあっては、まとまった言葉など出てくるわけもないのは当然かもしれない。しかし今日のような日はぼんやりと考える。自分は果たして小童として悪魔に手を貸していたのだろうかと。
「彼ら」が悪魔であった証拠を見ていたはずだ。と1人の自分は言い、他の自分はそれを頑として否定する。鬼はそれぞれの心の中にあり。彼らを鬼と呼んでそこに何があるのか。世代も変わり社会のストラクチャーが激変する中で、それでも鬼の子供達を鬼と呼び続けるのか。自分は何様だと。
何を言っているのか、わからない人にはそれでいいのだろうが、今でも僕はぼんやりと杉山登志のことを思い出しまた先行する時代を駆け抜けた父親のことを思い、巨大なグループを一夜で廃墟にして逝った総帥のことを思う。彼らが悪魔だったと自分に言えるのか。言えるわけもない。商業主義の何が悪い 。
おそらくそこには人の幸福と商業主義との間の相克があり、暗闇と断層があるのだろう。豊かさと商業主義の幸福な並走はあるいは終わったのかもしれないとも、いま始まったところなのかもしれないとも思う。「個々の人に個々の悪魔が宿った。別々の方向を見ている悪魔が」とするべきなのか。
何もいない空間に向かって念仏を唱え、誰もいないところに自分は問いかけているだけかもしれないが。ネットがその空間として、願わくば寛容であることを。
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