「加害」ということ
常磐道を走る
これが1年前。そして人々は帰り始めようとしている。
何を語っても的を射たことが言えるわけもない。ただこの問題について言えば、自分には(当たり前かもしれないが)被害より加害の意識が強いことに今更のように気がつく。
被害とは何か、加害とは何かという狭間に多くの人がいるのだと思う。圧倒的な両極の人たちを除いて。その痛みや迷いを持たずに正義を語って「加害者」をただ糾弾することは自分にはできない。行動原理というか、思考の原理が晒される時間だったと思う。
これも当たり前の話だが、それぞれが自分の内にあるものと向き合うしかなく、向き合うことすら避ける人たちこそが、本当の「加害者」なのではないかと思う。
が、残念なことに圧倒的な多数はそこに位置する。
人はそういうものだと諦念するのではなく、そこから始めるしかない。あなたが幾つになっても。
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