挙手の地下茎
香港やミャンマーで命の危険を引き受けながら戦っている人達のことを思えば日本は確かに平和である。突然玄関に軍人が立ち連行することもない。権力欲しかない愚かな老人の世迷言に何をそんなにと考えている人もいると思う。もっと重要なことはあるだろうと。
しかし国にはそれぞれの戦い方があり、その国の局面があるのだと思う。この国にもかつては発言すれば憲兵が、特高が玄関に立つ時代があった。ひとつの非合理はきっと深いところで地下茎のように非道の数々に繋がっていると思っている。命がかかっていないからと言って生易しいものだとは思わない。ここは絶対に譲ってはならないと思う局面はひとつひとつ潰さないと、大きな非道の台頭を許す。というよりもう許している。
端的にはあのような者のために、多くの人が死んでいる。多くの女性が、いや多くの男女が死んでいるのだ。
ひとりの愚かな老人すら追い出すことすらできないことの地下茎は、結果として最後は自分達全員の命を脅かしているのだと思う。女性の命だけではない。我々全員の命だ。これが大げさな表現ではないことは、コロナ禍の只中にいる自分達には十分理解できているはずだ。
遠い未来にもしかしたら軍人があなたの家の玄関に立つかもしれない。立たないかもしれない。それはわからないが、今行うべきことはそれに遠く繋がると思われる地下茎を片端から断つことだ。それはモノを言わせない不合理を断ち切ることである。
もちろん現場ではそれほど簡単なことではないのだろう。それは理解できないことではないが、それぞれの現場で、挙手を行おう。モノを言おう。国に希望の1つの基準があるとすれば、挙手をして(銃を持ってではない)立ちはだかる人がどれだけいて、その背中をどれだけの人が逃げずに支えてくれるかなのだろうと思う。
あの愚かな老人の向こうに地下茎の先に非道があり、最後は私達の命が全て繋がっている。自分達は皆、それがよくわかっているはずだ。
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