縁もゆかりもない南相馬に2011年の初夏に初めて足を踏み入れてから3年。出会う前から尊敬していたカメラマンの Katsuo Takahashiさんと、この3年ずっと僕たちと南相馬を繋いでくれていた 佐藤 喜彦さんと一緒にグループ写真展を開かせていただくことになりました。
当初ボランティアで入った南相馬の街に最初は満足にカメラも向ける事ができず、何を話したら誰と話したらいいのかもわからない状態でした。3年の年月がたち、グループ展の声をかけていただいたお2人に感謝です。
311以後。東京では散々震災の事を喋っている自分ですが、まだ現地では写真の公開もトークもしたことはありません。正直写真を撮る事以外には、街をうろうろしていただけであり、じっと街の人の話を聞いていただけです。自分の両手が南相馬に対してできたことは本当に何一つありません。
この3人の共通点はきっとパンフレットの高橋さんのリード文(記事末に引用)に的確に表現されていると思います。それは「怖さ」ということです。こんな怖いイベントは正直ないのです。何で引き受けたんだろうと今でも時折思いやめたくなります。苦笑
でも3人は3人のそれぞれの立場から、それぞれの理由で一番恐れている事をよいしょと力を振り絞って実行することになりました。こんなこだわりは人から見ればそれぞれ大したことがない小さなことなのでしょうが、それぞれの目からは大きく見えるのだと思います。人から見ると大した事ではない事でも、本人にとってはそれを超えるのが途方もなく難しいことというのはよくあることです。それをひとつひとつ超えて行く小さな努力もきっと復興には必要なことなのだろうと思い、足を踏み出そうとおもいます。
この街とのたった3年のおつきあいの中で、貴重な友人と尊敬する仲間を失いました。その人たちにも何もできていなかったことも悔いています。その悔いも繰り返さないためにも。
お近くの方はどうか足をお運びください。
(以下は パンフレットから高橋かつおさんのリード文です)
きっかけは佐藤がツイッター呼びかけた原町でのオフ会だった。
時は2011年7月某日。当時佐藤は震災後に気を揉んでいた故郷原町に数年ぶりに戻って来ていた。その折に殿岡は震災後初のボランテシアとして南相馬に来ており、高橋は4月から始めた撮影で南相馬に入っていた。
偶然集った3人は生まれ、年齢、仕事など立ち位置や背景は全く違い、原発に関しても今後の南相馬についても意見を異にするが、以降3人で何かできたらと話しており、気付けば3年の時が経った。タイミングの問題もあったと思うが正直、みな怖かったのだと思う。自分のフィールドで、しかも地元の方々に見てもらってその反応を見るのが。「よそ者の自分が」という後ろめたさもあったと思う。
それでも「あれから」3年を迎える今回発表することにしたのは世間の風化と、そして我々自身の中で風化することの危機感からだ。行政からもメディアからも半ば放棄され(=Abandoned)、文字通り「行き止まり」の地となった南相馬が3年を経ても何も始まっていない閉塞した現状とそれに対して何もできていない3人。その現状を少しでも打破できればと願い写真展開催に踏み切った。過去と現在の写真を通じてそれぞれの南相馬の未来を想起してもらえれば嬉しい。
最後に、今回の展示では地元出身の佐藤が南相馬の過去を、殿岡が野馬追を中心とした南相馬の現在を、そして高橋が震災以降の人々のポートレートを担当した。
文責 : 高橋かつお
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