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March 20, 2018

高木佑輔写真展「kagerou」-中心部に近い周辺

昨夜、Yusuke Takagiさんの写真展「kagerou」に伺ってきました。自分にとっては何度か見ていて再会するような気持ちのする作品の数々にまったく新たな命を吹き込まれているような、新鮮な気持ちで見ることができました。



















写真家に限りませんけれど、作品はその作家の行動や発言と背中合わせにあるものだと思います。アウトプットのみを見て感じるものももちろんあるけれど、takagiさんと南相馬と自分、そして原発事故は自分にとっては不可分の存在なので、きっと自分なりに中心部に近いところから見ているのだろうと、ちょっと思いました。

もちろん最中心ではありませんが。その周辺の1人くらいで。

改めてあの事故と、街と、自分の見てきたものを思い出しました。

明日までです。曳舟のReminders Photography Stronghold

https://m.facebook.com/events/345719499169482?acontext=%7B%22ref%22%3A%2298%22%2C%22action_history%22%3A%22null%22%7D&aref=98

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May 08, 2015

読了【貧乏の神様 芥川賞作家困窮生活記/柳 美里】





柳美里さんには、南相馬のあるお店でたまたまお会いしたことがある。お会いというか、こちらから声をおかけした。

柳さんの本に少し出てくるある僕の友人のその後について伝えたいことがあったのたが、突然話しかけられて柳さんにはうまく伝わらなかっただろう。きっちり文に書いてお伝えすればよかったと思いながら時が経っている。

柳さんは「創」の原稿料不払事件の前後をこの本の中で落語の演目を交えながら書いている。さらけ出しながらやはり強い柳美里さんは、最近、南相馬に移り住まれたと聞いた。

http://t.co/2LnpR2KTiM

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November 15, 2014

黒く危険な「ダイヤモンド」

浜通りの建設屋さんから聞いてきた話。

大量にたまっていく仮仮置場(浜通り、中通り始め栃木も。そこらの軒先)の黒い除染袋。これを仮置場(まだほとんど決まっていない)に運び、さらに中間貯蔵施設(大熊になるかまだ目処立たず)に運ばなければならない。

膨大な量の除染袋を運ぶには大量の車が必要だが、運搬コストは想像もつかない。通常の人件費、車代では誰もやらない。しかも除染袋を運んだ車はほかの荷物は運べない。その後はおそらく廃車。そのコストも織り込んで考えるとコストは天井知らず。

おまけに沿線住民の猛反発が予想され見通しがまったく立たない。だれが自分の家の前を四六時中除染袋トラックが行き交うことを許容するか。

一方でカネを無限に生む小槌のような仕事なので大手ゼネコンは特殊車両の開発を検討しているというが。。

混沌は続く。
黒く危険な「ダイヤモンド」。

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February 19, 2014

グループ写真展「南相馬の今と昔」開催のお知らせ。

縁もゆかりもない南相馬に2011年の初夏に初めて足を踏み入れてから3年。出会う前から尊敬していたカメラマンの Katsuo Takahashiさんと、この3年ずっと僕たちと南相馬を繋いでくれていた 佐藤 喜彦さんと一緒にグループ写真展を開かせていただくことになりました。

当初ボランティアで入った南相馬の街に最初は満足にカメラも向ける事ができず、何を話したら誰と話したらいいのかもわからない状態でした。3年の年月がたち、グループ展の声をかけていただいたお2人に感謝です。

311以後。東京では散々震災の事を喋っている自分ですが、まだ現地では写真の公開もトークもしたことはありません。正直写真を撮る事以外には、街をうろうろしていただけであり、じっと街の人の話を聞いていただけです。自分の両手が南相馬に対してできたことは本当に何一つありません。

この3人の共通点はきっとパンフレットの高橋さんのリード文(記事末に引用)に的確に表現されていると思います。それは「怖さ」ということです。こんな怖いイベントは正直ないのです。何で引き受けたんだろうと今でも時折思いやめたくなります。苦笑

でも3人は3人のそれぞれの立場から、それぞれの理由で一番恐れている事をよいしょと力を振り絞って実行することになりました。こんなこだわりは人から見ればそれぞれ大したことがない小さなことなのでしょうが、それぞれの目からは大きく見えるのだと思います。人から見ると大した事ではない事でも、本人にとってはそれを超えるのが途方もなく難しいことというのはよくあることです。それをひとつひとつ超えて行く小さな努力もきっと復興には必要なことなのだろうと思い、足を踏み出そうとおもいます。

この街とのたった3年のおつきあいの中で、貴重な友人と尊敬する仲間を失いました。その人たちにも何もできていなかったことも悔いています。その悔いも繰り返さないためにも。

お近くの方はどうか足をお運びください。

(以下は パンフレットから高橋かつおさんのリード文です)

きっかけは佐藤がツイッター呼びかけた原町でのオフ会だった。

時は2011年7月某日。当時佐藤は震災後に気を揉んでいた故郷原町に数年ぶりに戻って来ていた。その折に殿岡は震災後初のボランテシアとして南相馬に来ており、高橋は4月から始めた撮影で南相馬に入っていた。

偶然集った3人は生まれ、年齢、仕事など立ち位置や背景は全く違い、原発に関しても今後の南相馬についても意見を異にするが、以降3人で何かできたらと話しており、気付けば3年の時が経った。タイミングの問題もあったと思うが正直、みな怖かったのだと思う。自分のフィールドで、しかも地元の方々に見てもらってその反応を見るのが。「よそ者の自分が」という後ろめたさもあったと思う。

それでも「あれから」3年を迎える今回発表することにしたのは世間の風化と、そして我々自身の中で風化することの危機感からだ。行政からもメディアからも半ば放棄され(=Abandoned)、文字通り「行き止まり」の地となった南相馬が3年を経ても何も始まっていない閉塞した現状とそれに対して何もできていない3人。その現状を少しでも打破できればと願い写真展開催に踏み切った。過去と現在の写真を通じてそれぞれの南相馬の未来を想起してもらえれば嬉しい。

最後に、今回の展示では地元出身の佐藤が南相馬の過去を、殿岡が野馬追を中心とした南相馬の現在を、そして高橋が震災以降の人々のポートレートを担当した。

文責 : 高橋かつお

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June 11, 2012

この街で再稼働すると叫べるのか

「国民の生活のために」「豊かで人間らしい生活のために」と言うならそれを因数分解しろ。

豊かとは何だ。
人間らしいとは何だ。
明らかにそれから外された10余万の人達は何だ。

心にも思わぬことを言うな。


あなたはこの街で再稼働すると叫べるのか。

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国民の生活
国民の生活
国民の生活

国民はどこにいるのか。あなたの目の前にいる我々は誰だ。

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November 06, 2011

南相馬の状況(2011年10月16日) 鹿島区烏崎付近

南相馬市鹿島区烏埼付近の状況。

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南相馬の状況(2011年10月16日) 鹿島区北泉海浜公園・原町火力発電所付近

整理が遅くなったけれど2011年10月16日の南相馬市の現状を写真中心にまとめてみた。今まで僕が足を踏み入れた事のなかった鹿島区北泉海浜公園付近と火力発電所付近。

○放置された消防自動車

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November 01, 2011

ETV特集「果てしない除染〜南相馬市からの報告〜」をみて

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通っている南相馬市の除染の現実を取り上げた番組、そして知己の方も出ていると言うことで録画で見た。はたからみると「閑散としている」原町区の町並みも、線量が恐ろしいはずの飯舘村と接する山並みも、僕にはもう見慣れた風景であり、懐かしささえ感じる。

ところが、録画をみる前からネットなどに流れた評判を見ていると、番組中に登場する児玉教授の一部の発言をNHKがカットしたとか、番組全体が「除染ありき」を重視するという姿勢だと(そのようには僕は感じなかったが)批判を浴びて、大変な意欲作であるにも関わらず、かなり厳しい評価がされているようだ。

南相馬に行き始めた頃、街の人たちのあまりに無防備な姿や、小さい子供がマスクもかけずに歩いている姿にショックを受けた。雨が降ると決して濡れまいとホテルまでわざわざ傘をとりに帰ったこともある。恐ろしさに身が縮んでいた。

ところが、何度も行くうちに、いつか僕の中からは初期の警戒心は消えた。画面に映る街も、僕にとっては「大変な問題の渦中にある」とは言え、懐かしい南相馬の町並みである。けれども、そうした(主に県外の人たちの)声を聞き、冷静にあえて「知らぬ街」として見てみると、「何を言ってるのだ。とにかくまず避難だろう」と県外の人たちが声を荒げるのもわからなくはない。自分の中でも「東京に住む自分」と、「多少はあの街の空気を知った自分」との間の奇妙な乖離がある。


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August 12, 2011

南相馬へまた行ってきた 野馬追/ひまわり/花火 (完)


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【前章】
南相馬へまた行ってきた 野馬追/ひまわり/花火 (4)

●支援者の方々に感謝 復興を願う  「ありがとう祭」 (南相馬市原町2中 7月24日)

24日は、原町2中で行われた「ありがとう祭」の取材兼、お手伝いに行った。ここは避難所にもなっていて、会場に着くともうステージが始まっており、周りには多くのブース。食べ物。
賑やかである。

これは子供コーナー

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August 11, 2011

南相馬へまた行ってきた 野馬追/ひまわり/花火 (4)

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【前章】
南相馬へまた行ってきた 野馬追/ひまわり/花火 (3)

昨夜は、ツイッターで知り合った南相馬出身で今は東京にいる佐藤さん(@sunsunmylifeさん)のご実家に、ボランティアの方々と一緒に招待していただいた。佐藤さん、本当にありがとうございました。

思えば、被災を受けた方達とこんなに話をさせてもらったのは、初めてのことだ。僕は前にも書いたように、相方が会津の出身なので、福島には年に何回も来ている。しかし、浜通りには震災まで来た事がなかった。元気なこの街の日々を知らない。同席したボランティアの方たちもみなそうらしい。佐藤さんと、佐藤さんのご両親の話に聞き入る。

この季節は南相馬の人たちにとっては本当に特別な時なのだとわかった。

「本当なら今日は原町は馬で溢れて、観光客がいっぱいで、みんな街に帰ってきて。ちょうど今時分は盆踊りでねー。原町に馬の来ない野馬追なんて野馬追じゃねーよ。。」

何度も何度も「あの日」が来るまでの町の様子を語ってくれる佐藤さん。

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