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November 15, 2010

アウンサンスーチーの帰還・ビルマは動き始めるか

Suukyi

ぎりぎりまでどうなるかとハラハラさせたが、自宅軟禁が切れる13日(土)の夕方、アウンサンスーチー氏はついに解放された。当初は無条件解放をめぐって、居住をヤンゴン市内に限るとか、国内旅行の制限など条件を軍政が主張しているのではないかとも言われたが、実際には無条件という形だったようだ。実際スーチー氏は14日には30カ国の外交官と面談し、集まったおよそ5000人の支持者に向かって演説を行った。演説の音声はDemocratic Voice of Burmaによって中継された。

一時は健康問題も深刻にささやかれていたので心配したが氏の声は非常に力強いものだった。さすがに肉声が響いてきたときには胸に迫るものがあった。

2007年に彼女の長い友人である宮下夏生さんの話を聞き半生をまとめたとき(「アウン・サン・スーチーという意志」)から、この人の肉声はもう聞くことができないかもしれないと想像することは自分にとって非常に精神的につらいものがあったからだ。
それが(全く理解出来ないビルマ語であるとはいえ)スーチーその人がライブで民衆の前で自由にしゃべっているのだから。

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November 11, 2010

ビルマで解放された山路徹氏がラジオに電話出演

11/10日深夜TBSラジオ「Dig」「20年ぶりの総選挙で軍事政権が圧勝へ。 ミャンマー(ビルマ)は今後どうなる?」に解放された山路徹氏が電話出演した。以下はその要点。

Podcast
http://podcast.tbsradio.jp/dig/files/dig20101110.mp3

●ミャンマー軍事政権は外国メディアを一切入れない。それをかいくぐって総選挙投票の様子を取材に入った。日本ではビルマのニュースは薄い。何とかビルマの投票の様子を伝えようと入った。

●ビルマの中には華僑系の人もいるので、それなりの身なりで入った。川を渡って市内に入ったとき警察の詰め所があるがそこはパスできた。

●学校が投票所になっていたが通り過ぎる人の方が多い。入っている人はほとんどいない。

●ペンカメラで投票の様子を撮影後、市内を歩いていたら黒いバンが止まり4人の男が飛び出してきて有無を言わさず連行された。

●拘束した人間はSB(スペシャルブランチ)と名乗っていた=FBIのようなもの。取り締まりで暴行を受けるようなことはなかった。外国人であったためと思われる。

●拘束中は他に62名の囚人がいた。食事は食べなかった。留置場は豚小屋にオリをかぶせたような不衛生な場所で糞尿のにおいが漂っていた。そこに3日いた。臭くて暑くて汚い。両手両足をもがれて箱に詰め込まれるようなもの。

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November 10, 2010

ビルマの辿ってきた道。11月13日アウン・サン・スーチーは解放されるのか。

Suki

Juntaの行ったビルマの総選挙は(予想通り)酷いものだった。詳細は省くが、オバマ大統領は、「Myanmar election was neither free nor fair」と表現している。まさにこれが「民主化へのプロセス=ロードマップ」を明言して我々を欺いてきた(何度目かの)挙句の果ての結果である。

ビルマがここに至るまでの数年の経緯は当ブログの記事でかなり追えると思う。どれもかなり長文だけれど、時間と関心のある方は読んで欲しい。

【参考】
ミャンマー(ビルマ)情勢緊急集会----これまで何がおきてきたのか」(JVJA主催)出席報告(1)-(3)(2007年)

さらに、今回の総選挙に先立つ憲法改正の選挙の折に行った数々の非道は以下のリンクに詳しい。

ビルマ国民投票 当局による不当な圧力・脅迫行為の例(2008年)

ビルマ、パゴダの影で-----ビルマ憲法国民投票を間近にして(2008年)

アウン・サン・スーチーさんに関しては当ブログには、スーチーさんの親しい知人である宮下夏生(みやしたなつお)さんをインタビューした記事がある。

アウン・サン・スーチーという意志-----序章~第二章(2007年)

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May 19, 2008

「ハリウッド・スターとビルマの30日」---ハリウッドの人気俳優が語るビルマ

米国のビルマ民主化支援団体、米国ビルマキャンペーン(USCB)が5月1日から、ビルマ問題に関する新しいキャンペーンを開始した。これは、

「ハリウッド・スターとビルマの30日 ハリウッドの人気俳優が日替わりでビルマを語る!」

というタイトルで、30日間に渡って毎日、ハリウッドの人気俳優がビルマについての映像メッセージを発表するというものだ。ビルマ情報ネットワークでは、この映像を、日本語訳をつけて紹介しており、今日現在で8本(8日目まで)が掲載されている。
      

・1日目:ウィル・フェレルから皆さんへ
・2日目:ジェニファー・アニストンvsウディ・ハレルソン
・3日目:住めば都? ねずみがいても大丈夫~ジェイソン・ビッグス&ジェニー・モーレン
・4日目:サラ、白衣の天使になる?~サラ・シルバーマン
・5日目:テキサスの非現実、ビルマの現実~ジュリー・ベンツ
・6日目:若者・思い・喪失~エディ・イザード
・7日目: このゲームは一体~エリック・ズマンダ&ジョルジャ・フォックス
・8日目: 声

作品を見るとすぐに気がつくのは、さすがにハリウッドでありこの問題を正面からとらえるものだけではなく、問題の暗さが深刻であるにも関わらず、私たちに苦い笑いを誘うものまで、実に様々な表現方法がとられていて、ビルマの直面している様々な問題が実感できるようになっていることがわかる。正面からの政治的なスローガンは苦手であるという方も、ぜひ一度ご覧になっていただきたいと思う。

この中からいくつか紹介しよう。

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May 10, 2008

ビルマ・サイクロン被災者緊急支援窓口リンク集(転載歓迎)

ビルマサイクロン被害緊急支援窓口リンク集です。一部を除き、クレジットカードやPayPalでの送金が可能。

●日本ビルマ救援センター( ビルマ情報ネットワークメールマガジンより転載)

大型サイクロンの直撃で死者数が2万2980人、行方不明者が4万2119人
(7日軍政発表)に達したビルマへ、世界各国からの緊急援助物資が到着し、国連 世界食糧計画(WFP)など一部国際機関の現地事務所やミャンマー軍事政権に よる被災者支援活動が始まりました。しかし、国外の国連救援スタッフには入国 許可が出ないなど、限定的な支援にとどまっています。

日本ビルマ救援センター(BRCJ)では本日よりビルマ国内の被災者への支援基金 を募らせていただきます。皆さまからの善意の基金が、決して軍政の手に渡らず、 一般の市民を救済する方法をここ数日探してきました。日本ビルマ救援センター の創設者であり、現在仏教救援協会の代表であるカワサキ ケンさんが寺院を通 じての支援基金を開設しましたので、BRCJで集めさせていただいた支援金はこち らに送らせていただきます。

BRCJ(日本ビルマ救援センター)への送付方法
支援金振込先:
○郵便振替:00930-0-146926 BRC-J
○りそな銀行 金剛支店(普通)6553928 日本ビルマ救援センター

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ビルマ国民投票 当局による不当な圧力・脅迫行為の例 (転載歓迎)

サイクロンによる、ビルマ史上空前の大災害の混乱の中、ミャンマーの新憲法案の賛否を問う国民投票が強行されている。

投票は午後4時(日本時間同6時半)に締め切られ、開票作業に入 る。サイクロンの被害が大きかったヤンゴン、エヤワディ両管区の一部地域では24日に投票が行われ、その後、結果が公表される見通し。軍事政権は圧倒的多 数の賛成による承認を目指しているが、被災直後の投票強行には強い批判が出ており、投票に影響を与えそうだ。
 旧憲法は1988年の国軍によるクーデターで停止された。ミャンマーで投票が行われるのは90年の総選挙以来18年ぶり。僧侶ら宗教関係者を除く有権者の過半数の投票で国民投票は成立。総投票の過半数の賛成で新憲法案は承認され、2010年に総選挙が行われる。  【バンコク10日時事】

以下にビルマ情報ネットワークが英語資料等からまとめた、「ビルマ国民投票 当局による不当な圧力・脅迫行為の例 」を転載。

※オリジナルを確認していただければニュースソースはわかると思いますが、判断の上転載を歓迎・推奨します。その際には、末尾の配布条件に従ってください。

ビルマ国民投票 当局による不当な圧力・脅迫行為の例
http://www.burmainfo.org/politics/referendum-govt-pressures200805.html

ビルマ情報ネットワークまとめ
2008年5月7日現在
*以下、日付はすべて2008年


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May 06, 2008

ビルマのサイクロン被害は死者15,000人以上の大惨事に

ビルマを襲ったサイクロンは、当初の死者350人程度という予想を大きく外れ、今日まで、10万人以上が家を追われ、少なくとも1万5千人が亡くなったという、想像を超える大災害となっている。
被害状況などを知らせる情報をまとめてみた。なお、10日に予定されていた憲法の国民投票は被害地域に関してのみは24日に延期されたということであるが、指定地域以外では予定通り投票を強行すると軍政は発表している。

サイクロン被害の状況(2008年5月6日)
http://www.burmainfo.org/relief/CyclonNargis_20080505.html

5月3日に大型サイクロンがビルマに上陸し、最大都市ラングーンやイラワジ・デルタ地域全域、バゴー(ペグー)管区、カレン州、モン州で大きな被害が出た。ラングーンでは家屋の半数近くが破壊され、屋根が吹き飛ばされた家屋も多い。特に被害が大きかったのはラングーンのフラインタヤー、シュエピタ、ダゴンミョーティッ北、ダゴンミョーティッ南の各地区。イラワディ(エーヤワディー)管区ではチャイラッ郡とラップッダ郡が壊滅的な被害を受けた。ハインジー島では10万人近くの住民が住居を失った。
ピャーポン郡ピンシー村では住民3000人のうち少なくとも2000人が行方不明とのこと。軍政は4000人が死亡したと発表したが、実際の死者数はもっと多いと見られる。(ビルマ情報ネットワークによる注(以下の注釈も同様):なお軍政のニャンウィン外相は6日、国営テレビを通して、全体の死者数は最低1万5千人であり、エーヤワディー管区ボーガレーだけで死者1万人と発表した。)
(配布元: 配布元: BurmaInfo(ビルマ情報ネットワーク)
http://www.burmainfo.org

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May 04, 2008

ビルマ、パゴダの影で-----ビルマ憲法国民投票を間近にして

Pagoda_4

ゴールデンウィークに暗い話に触れたくはない。触れたくない気持ちはわかるのだけれど、それにしてもあまりに小規模な催しだった。5月2日に「ビルマ、パゴダの影で」を上映した渋谷のApple Linkは、確かに小さな小屋だったけれど、その小さな小さなスペースですら、空席が目立ったのである。

スイスのジャーナリスト、アイリーヌ・マーティがこの映画を撮影したのは2004年である。当時、この映画で取り上げたビルマ、タイの国境付近に追いつめられた少数民族の苦境に対して、世界は全くの冷淡だった。アイリーヌは、ビルマの観光映画を撮りたいと偽ってこの国に入り、幾重もの軍事政権に対する警戒心をくぐりぬけて、特にカレン、シャン、ロヒギンジャーを中心にした少数民族の受けている、ビルマ国軍による徹底した弾圧の実態を世界に伝える役割を果たした。

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January 21, 2008

アウンサンスーチーという意志-----第2章 「写真物語Ⅱ」

Suti

(参考リンク)
アウンサンスーチーという意志-----第1章 「写真物語Ⅱ」

 

宮下さんは、ご本人も言われているとおり、ずっと美術畑を歩んでこられた。オックスフォードに行かれることになったのも美術がきっかけだし、英国でのアウンサンスーチーさんの親代わりになったゴーブース卿と知り合ったのも美術を学ぶ願望が因である。

 

私に会う前に、宮下さんは自分がビルマの政治的な状況を語る立場ではない、と気にしておられたが、スーチーさんの英国時代の話を少しでもお聞きしたいのでと、無理を聞いていただいた。おそらく宮下さん自身、スーチーさんをめぐる現在の不思議な運命の展開に戸惑っておられる面があるのだろう。

 

 

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アウンサンスーチーという意志-----第1章 「写真物語Ⅱ」

(参考リンク)
アウンサンスーチーという意志-----序章 「写真物語Ⅱ」

 

品川・高輪台にある宮下さんの事務所をお訪ねしたのは昨年の11月3日だったのだが、私の多忙から、その後インタビュー記事をまとめるのに、長い時間がかかってしまった。しかしながら、ビルマからの情報はほとんど入ってこなくなった現在だからこそ、これを公開する何らかの意味があると信じたい。それを言い訳にしながら、この記事を公開したい。

 

当日は、宮下さんが自ら車を運転して、品川の駅まで迎えに来てくださった。第一印象としては、非常にてきぱきと動く方であるという印象を受けた。海外で長い間生活をされた方であるということも影響しているのかもしれない。そして、宮下さんが語ってくださったアウンサンスーチーさんの印象と、どこか宮下さんのイメージも重なるところがあったような気がする。

 

宮下さんの事務所の周りは閑静な住宅地だけれど、周囲には大変にお寺が多い。高輪には行く機会もかなりあったけれど、いまさらながらこんなにもお寺が多い所なのかと驚いた。宮下さんのお祖父様は画家でおられたのだが、そういう関係でか、宮下さん自身も早いうちから美術に親しんでおられたらしい。アウンサンスーチーさんとの出会いも、この美術がきっかけだった。

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